愛の狂戦士部隊、見参!!

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第四章 混迷 (その6)

 キーモがとぼとぼ山道を登り、傭兵部隊兵舎に着くと――第四部隊兵舎が燃えていた。
 とっぷりと暮れた紺色の夜空を舐め回すように、無数の朱色の舌が踊っている。
「何……じゃこら」
 呆然と立ち尽くす。そこへ男が一人駆けて来た。
 横を通り抜けていこうとするその男の襟首を、キーモはつかんでいた。
 急に引き止められ、男はぐぇ、という声を出してひっくり返った。
「げ、げほっ……何しやがんでぇっ、ぶっ殺す――」
 跳ね起きてキーモの胸倉をつかんだ男の胸倉を、キーモはつかみ返していた。
「おうこら、なにが起きたんやっ!! 説明せえっ!」
「何がって……お前、何を――あれ?」
 喚き返そうとした男は、キーモの顔と長い耳を見て顔をしかめた。
「……エルフ? ああ、あんた確か第三部隊の……おお、ちょうど良かった。組頭のところへ来てくれ!」
「は? ちょ、ちょお待て、何や、何が何やねん!」
 男に手を引かれ、キーモは燃える兵舎へと近づいていった。


 兵舎は既に完全に火が回っていた。火の勢いからみて、自然の燃え方ではない。どうやら油を撒いたようだ。
 兵舎の玄関前で腕組みをしてしかめっ面をしているグレイの元へ、キーモはやって来た。
「おーい、グレイ。どないなってんねんな」
 首を巡らせたグレイは、キーモとわかっても硬い表情を崩さずに言った。
「見ての通りだ。兵舎を焼いている」
「せやから、それをなんでやっちゅうて聞いてんねや」
「……第四、第五部隊の連中が救えぬと判断したからだ」
 ぼそりと漏らしたグレイの横顔は、炎に照らされて真っ赤になっている。
「ああ? どういうこっちゃ」
「第二部隊の組頭を務めている司祭の判断だ。……実は、俺が下に下りていた間に、第四、第五部隊に所属していた『犠牲者』の連中が何人か消えた。加えて、ここで待機していたはずの者も十名ほど、姿を消している。単にここを抜け出しただけならいいが、状況が状況だ。吸血鬼と化した『犠牲者』が傭兵どもを襲った挙句、村へ下りたとしたら……」
「せやけど、処理やか処置やかしてたんとちゃうんかい。その第二部隊の組頭はじめ、他にも司祭はおったやろ。治せへんかったんかいな」
「結論から言うと、そうじゃ」
 深い苦悩の刻まれた声に、キーモは振り返った。無毛の頭に炎の照り映える初老の男がそこにいた。ゴンやブラッドレイと違う神の司祭らしく、司祭衣はより活動的でぴったりしたものだ。シュラの着ている服に近い。もっとも、色は白だが。
「なんや、おのれは」
「彼が第二部隊の組頭、ユジウス=シノだ。第一部隊の組頭は、第五兵舎の方で火をかけている」
 グレイがすかさず説明する。シノは頷いた。
「大体の経緯はスレイグス組頭から聞いた。考える限りの手は尽くしてみたが……血を吸われ尽くしてもうすぐ丸一日。早い者はもうそろそろ蘇る頃合いじゃ」
「わしらが伯爵倒すまで待てへんのかいな」
 シノはじっとキーモを見つめた。
「……いつまで待てばよい? 倒しに行った者が帰ってこなければ、どうなる? そもそも、今の状況であたら無駄に戦力が釘付けになっておるのは感心せぬ。この後、伯爵とやらの城に攻め込むにしろ、監査官代理の命によって村の守りにつくにしろ、こやつらを放っておくわけにも連れて行くわけにもいかぬ以上、せいぜい処理を施して盛大に送り出してやる他あるまい」
 『処理』は首を切り落とし、心臓を白木の杭で一突きしておくことだ。こうして燃やしてしまえば、普通の吸血鬼なら蘇ることは出来ない。
 キーモは腕組みをして、渋面を作ったまま頷いた。
「まー、血ぃ吸い尽くされた時点で要は相手に殺されてたわけやしな。遺体がキレイで変に回復しそうやから、どないしよか思うけど」
「そうだな。しょせん俺達はどこで命を落とすかわからぬ傭兵稼業。死んだ奴も、そいつらに関わりのある者も、そう納得してもらう他はない」
 その突き放した物言いとは裏腹に、グレイの口調は重く、表情は硬い。
 口をへの字に曲げて燃え落ちる寸前の兵舎を見上げるキーモの肩に、シノが手を置く。
「……『森の守り手』たるエルフとしては、このような大きな火を焚くことには言いたいこともあろうが、四十人もの連中を送る送り火じゃ。少し大目に見てやってくれ。一応周りに燃え移らぬよう、適当に伐採しておいたしの」
「いや、まあ、そっちは別にかまへんねんけど。わしはスラム生まれのスラム育ちやし。……ほんで、これからどないすんねんな」
 キーモが口を尖らせて訊くと、グレイとシノは怪訝そうに顔を見合わせた。
「おいおい。それはこっちのセリフだ。俺はともかく、傭兵部隊の指揮は監査官から権限を委任されたお前達が執ってくれなければ困る。今の状況では我らは動くに動けん」
「そうなんか? そら困ったな。そんなんはストラウスの領分なんやがなぁ」
「そういえば、結局どういう話に収まったんだ? お前達はどう動くつもりなんだ?」
 キーモは自分の思い出せる範囲で一通りの状況を話した。
 村にも行方不明者の被害が出ていること、村で寄り合いが行われていること、ブラッドレイの見解と立場、愛の狂戦士部隊の見解と立場。
「ふむ……とことん混乱しておるようじゃが……基本的に村人は味方ではない、と思った方がええようじゃな」
「わしもそない思うな」
 シノの見解にキーモが頷く。グレイも頷いて、キーモに言った。
「キーモ、どうする? 傭兵部隊もお前たちとともに伯爵の城へ攻め込むか? それとも、余計なお世話は承知で村の守りにつくか? あるいは部隊を分けて、両方に対処する手もあるが」
「……ん〜……」
 キーモはうつむいて考え込んだ。
(……今からストラウスに聞きに行くのも面倒臭いのぉ。ちゅーか、こいつらわしの言うこと聞くんやな……それやったら――)
 にへらと企み顔で唇を歪めたキーモは、腕組みを解いて手を揉んだ。
「……よぉ考えたら、別に愛の狂戦士部隊で倒さなアカン理由はあらへんやんけ」
「なに?」
 グレイが怪訝そうに顔をしかめた。
「いや、せやからやな。――おっさん、今ここに何人おんねや?」
「第一から第三部隊まで合わせて総勢四十三名」
 おっさん呼ばわりされたシノは、しかし嫌な顔一つせず即答した。
「じゃが、うち十一名はほとんど素人じゃ。格段に腕が落ちる。伯爵の城攻略には使えぬな」
「ほな、そういうのは衛兵長官とかに預けて、村の守りに就かせたらええ。それでも三十二名や。わしも入れたら三十三人。うちの連中はわし入れて四人や。冒険者四人と三十三人の傭兵、どっちの方が強いと思う?」
「ちょっと待て、キーモ。それはつまり……ストラウス達が城へ行く前に傭兵部隊で攻めてしまおうということか!?」
「攻める? アホ言え。伯爵を倒すんや。心配すんな。わしが指揮執ったる」
 グレイの頬が引き攣った。
 心配するなといわれても、根拠がない。先ほどのネスティスとの戦い、駆け引きはそれなりに見事だったと思うが、部隊を率いて戦うのは全く別の才能が必要だ。そもそも経験豊富な傭兵どもが、こんなおちゃらけたエルフに黙ってついてゆくだろうか。
「ふむ、血の気の多い連中は喜ぶのぅ」
 血の気の多い連中どころか、言っている本人が既に喜色を言葉ににじませている。
 グレイは首を振った。
「お前の指揮能力の程度は知らんが……俺はストラウスたちと行くぞ。あいつらの本当の思惑はどうであれ、俺の婚約者とあの娘……ええと、ミリアか。彼女の婚約者を救うために伯爵と戦うと言ってくれた。勝ち目だけの問題じゃない。その心意気を踏みにじる真似は、できん」
「第三部隊を放り出しておいて、よく言うわい」
 くっくっく、と愉快そうにシノが笑う。たちまち、グレイは言葉に詰まった。
「まあよい。何が大事かわかっておる若者を盛り立てるのも老兵の役目。第三部隊の連中のことは任せておけ。いずれにせよ、こうなったからには部隊の再編はせにゃならんしの」
「すまない。よろしく頼む」
「うむ。――で、指揮官。キーモ=ヤン殿だったかな?」
 おう、とキーモは頷いた。
「部隊を集め、状況の説明を行って再編。村の守備隊はそれからすぐに、城攻めは夜明け近くにそれぞれ出発、ということでよろしいかな?」
「うむ。よきにはからえ」
 どこからともなく取り出した扇をぱっと広げて、キーモは能天気に頷いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「銀ってのは、鋼よりやわだ。延性、展性は高いから、即割れるってこたぁないんだが……まあ、本来は武器として使える材料じゃあない。どついた途端曲がっちまう武器なんざ、使えめえ? まして、それを極細に伸ばして自在に扱うなんぞ、常識的に考えれば無理だ」
 スミスは坩堝の中に、シュラが集めてきた銀の燭台、食器、スプーン、フォーク、ナイフ、置物、色んな物が放り込んでゆく。時たま「こいつはメッキだ」とか、「こいつは偽物」などといって背後に投げ返されてくる。
「でも、作業してるってことは、あんたには出来るってことなんだろう?」
 テーブルに肘をつき、頬杖をついてシュラは訊いた。
「さて、な」
 立ち上がったスミスは、奥の棚から古びた壷を取り出した。蓋を開け、中から一つまみの粉を坩堝に振り入れる。それを何度か繰り返した。
「職人ってのはな、『出来ません』なんてことは言わねえし、言えねえんだよ。何はともあれ、何とかしちまうのが本物の職人だ。本来なら無理な仕事でもな。そっちの方が燃えるし、腕の見せ所だからよ――ま、世の中にはいくらでも抜け道があるしな」
 壷を戻し、再び炉の前に腰を落としながら、スミスは自信ありげに唇を歪めていた。
「まあ、黙って見てろ」
 坩堝を炉に入れ、ふいごで空気を送り込み始めた。真っ赤に燃え始めた炉の中をじっと見つめている。
「スミスさんの御先祖は、このあたりに住んでいたドワーフさんなんですって」
 テーブルを挟んで座っているミリアがシュラに笑いかけた。
「ドワーフ? ……なるほど」
 シュラは納得した。
 ドワーフは身長こそ人間の胸ほどまでしかないが、筋肉の塊のような種族だ。体格はビール樽を思わせる。その力で穴を掘り、鉱物を集め、精錬して鍛え、大魔法使いでも及ばぬような魔法の武器や道具を作り出す。また、その体格のわりに指先が非常に器用で、いかな職人にも及ばぬ精緻な装飾細工を造作もなく造り上げてしまう。
 金属を嫌うエルフとはまさに犬猿の仲だが、エルフほど人の世を嫌ってはいないので大きな町にはちょくちょく住み着いていたりする。
 エルフの長耳、金髪、細面とは対照的に、男女ともヒゲ面、黒髪、ずんぐりむっくりなのでいかつく思える。
 まさに今目の前にいる職人は、そのドワーフの特徴を備えていた。
「……昔々は、この辺りにもドワーフがいたそうだ。だが、山ん中にでっかい町を造るんだとか言い出して、奥へ奥へ掘り進んでいるうちに姿を現さなくなっちまったとか。今でも伯爵の城の地下にはその最初の部分があるって話だが……」
 ふいごで空気を送り込み続ける。既にその肌には珠の汗が噴き出していた。
「ふ〜ん。だったら、多分そこだな」
 シュラの目が、少し危うい炎を揺らめかせた。
「あん? なにがだ?」
「伯爵の棺と土がさ。……ヴァンパイアは、万が一のときの避難場所として棺の中に自分の墓所の土を詰めておく習性があるんだそうだ。実際、以前に戦った奴らはそうだった。やられたときは、そこへ逃げ込んで力の回復を待つ」
「てこたぁ、そいつを清めちまわねえと……何度でも蘇えって来るということか」
「そういうことだ。ただ、向こうもそれはわかってるから、そう簡単にわかる場所には隠してねえけどな」
「やれやれ、倒すだけじゃなく城の中を捜索せにゃならんとは……難儀なことだな」
「その城の地下の都市の跡ってやつの地図とか、どっかにないもんかね」
「あるぞ」
「そうだよなぁ。そんな都合よくあるわけねえよなぁ――って、あるぅ!?」
 素っ頓狂な声に、ミリアが驚いて思わず身体を震わせた。
 スミスはふいごで空気を送り込みつつ、淡々と続けた。
「ああ。うちの先祖が残した地図だ。いや、地図ってより設計図に近いか。かなり古いもんだが、ドワーフ以外にあの通路をいじれる者がいるとは思えねえから、多分今でも使えるだろう」
「それ、くれっ!! すぐくれ! くれねえなら、奪うっ!!」
 立ち上がってとんでもないことを叫ぶシュラに、ミリアは慄いてその腕にすがりつき、首を振りたくる。
「奪うか。躊躇ねえ奴だな、おめえもよ」
 スミスは愉快そうに笑って手を止める。坩堝の様子をちらりと覗いて、振り返った。
「まあその話は後にしようや。とりあえず、こっちを先に済ませちまおう。お二人さん、手伝ってくれ」
 二人はスミスの指示に従って、工房の中を右往左往し始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 自らの荷を背に、山を下りてきたグレイはモーカリマッカ神殿の様子に顔をしかめた。
 扉は破られたまま、全く片づけをした形跡がない。
 聖堂へ入ると、祭壇前にうずくまる人影が見えた。
「……ゴン、か?」
 声をかけると、人影は振り向いた。
「あれ? グレイ? どうしたのさ」
「それはこっちのセリフだ。何をしているんだ。こんな所で、一人で」
 言いながら、グレイは聖堂の中へ入って来た。ゴンは司祭衣の裾をはたいて、立ち上がる。
「ちょっとお祈りを。色々とね。それに、奥にはストラウスもいるよ?」
「そうか。実は、傭兵部隊の動きが決まったので、知らせにきた。……あまり芳しいとは言えんな」
「どういうこと?」
 グレイの困ったような顔に、ゴンは怪訝そうに眉を寄せた。
「その辺の話は、ストラウスを交えて話そう。一気に状況が動きそうだからな。彼の意見が聞きたい」
「わかった」
 頷いたゴンは、グレイを伴って奥の部屋へと入って行った。

 ―――――――― * * * ――――――――

「何だよ、今忙しいんだ」
 ストラウスは閉じこもっている部屋から出ようとはせず、扉を少しだけ開けて応対した。
 扉の隙間から覗く目が、妙に据わっている。
「グレイが、状況が動きそうだって」
「どういう風に?」
 俺が説明しよう、とグレイが進み出た。ゴンと場所を入れ代わる。
 グレイは傭兵部隊の状況を詳しく説明した。第四、第五部隊を火葬に処したこと、残る部隊を二つに分けたこと、そしてそのそれぞれの役割、それを率いるキーモのこと。
「ふ〜ん」
 ストラウスの返事はそれだけだった。
 グレイは当然顔を曇らせる。
「ストラウス、いいのか。キーモは――」
「まあ、あいつが予想外の動きをするのは予想の内だし」
「いや、しかし」
「いいのいいの。聞いてる限り、さほどの問題はないって。勝手に突撃かまして勝手に自滅しても、それはこっちに関係ないことだし。だいたい、傭兵部隊の連中だってガキじゃないんだし、こっちだってガキのお守りしてるわけじゃないんだし。とにかく、今はちょっと手が離せないから。また状況が変わったらよろしく」
 扉は閉じられ、グレイとゴンは困惑した顔を見合わせるしかなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「わぁ……」
 ミリアが歓声を上げた。
 汗だくで後片付けをしていたシュラとスミスが何事かと振り返る。
「見て、キレイ……」
 天井の明かり取りから落ちてきた月光が、鋼板を張った工作台の上で無数の弧を描く銀の糸を幻想的に輝かせていた。
 ただの銀色ではない。弾かれた光が虹の幕を作っている。しかもその幕が、揺らめいていた。
 スミスは真っ黒な指先で得意げに鼻をこすった。
「ああ、途中で入れた魔法薬の副次効果だろうな」
「何かあるのか?」
 使用者としては予想外の効果はあまり歓迎できない。シュラは少し顔をしかめていた。
「いや別に。普通じゃないもんを作ったんだ、普通じゃない輝きがあったってかまわんだろう。それだけだ。……多分な」
「多分てなぁなんだよ、多分てな」
 シュラが噛み付くと、スミスはひげをゆっくりしごきながら小首を傾げた。
「いや、装飾用のやつならともかく、武器として使えるような銀の糸なんざ作ったのは初めてだしな。まあ、振り回して爆発するような細工をした覚えはねえから、大丈夫だろ」
「そこはかとなく心配だ……」
 たゆたう虹の幕を放つ銀の糸を見ながら、ため息をつく。
「嫌なら使うな。別に俺が使ってくれと頼んだわけじゃねえ」
 笑って、スミスは炊事場へ向かった。手水桶で手を洗う。
「……そういうわけにゃいかねえんだよ」
 懐から鋼線を一巻き取り出し、軽くスナップを効かせて放つ。狙い通り弾かれた銀糸の束は虹色の光を撒き散らしながらシュラの手へ――
「まだ熱いぞ」
「と、はっ!!」
 ぼそりと漏らしたスミスの一言に、シュラは慌てて手を引いた。
 さっきまで椅子代わりにしていた木製の台に落ちるなり、焼印でも押したかのような音が立った。ほのかに白煙が揺れる。
 ミリアが小さく悲鳴をあげて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか、シュラさん!?」
「あ、あっぶねえ……。いや、触らなかったから大丈夫だが……――おい、おっさん! そういうのは先に言っとけ!」
 汚れた手ぬぐいで濡れた手を拭いていたスミスは、じろりとシュラを睨んだ。
「俺が終わったとも言ってねえのに、手ぇ出すのが悪い。覚えとけ、若造。職人に仕事頼んだら、これでいいというまで手を出すな。てめえら素人目にゃあ出来上がってるようでも、そうじゃねえんだよ」
 言いながら手水桶の水を、柄杓で軽く銀の糸に打った。たちまち蒸発音と水蒸気が立ち昇り、ミリアが咳き込む。
「いいか。おめえも、そんなもん使って曲芸じみた技を使うんだったら、肝に銘じとけ。職人仕事ってのは、完璧でなきゃいけねえ。ほんのわずかな狂いも許さねえ、妥協しねえ。そのために日々腕を磨くんだ」
「わかってらぁ、そんなこたぁよ。師匠から耳にタコができるぐらい聞かされてる」
 ぶすっとふてくされて顔を背けるシュラ。
 スミスは首を振りつつ、工房の隅に置かれている古びた戸棚へ向かう。
「いーや、わかってねえよ。わかってたら、あんな軽率なことはしねえ。お前さん、ラリオスに鍛えてもらってるだけあって、それなりに腕はあるようだが、まだこっちの方が全然足りねえようだな」
 戸棚の引き出しを開けて中を覗きながら、スミスは頭を指差していた。
 たちまち、シュラの表情が歪む。頭の悪さを指摘されるのは、相手が誰であれ腹が立つ。
「……頭が悪いってのか。これでも師匠には勉強を――」
「バカ。経験が浅いっつってんだよ。しがない細工職人の俺が、勉学のことで人にとやかく言えるか――お、これだ」
 スミスは一枚の古びた羊皮紙を取り出し、それをシュラに突き出した。
「ほれ。城の地下迷宮の設計図だ。ただし、うちのご先祖様が関わった場所までだから、ひょっとしたら奥の方は構造が変わってるかもしれんぞ」
 受け取ったシュラは、するっと羊皮紙を開いて中をあらためた。
「いいさ。先に伯爵を倒しちまえば、探す時間はいくらでもある」
 一通り見回していたシュラの視線が、ふと一点で釘付けになっていた。
「この部屋……怪しいな」
「ほう?」
 スミスは背伸びをしてシュラの見ている設計図を覗いた。
 シュラは何の変哲もない一室を、ここだ、と指で指し示した。
 同じような部屋の並んでいる一角。主要な通路から離れているわけでも、面しているわけでもない中途半端な場所だが、その条件に合う部屋は両隣をはじめ、いっぱいある。
「……別にこれといって、おかしな部屋とも思えんが?」
「盗人の勘、て奴かな」
 にまっと笑って、羊皮紙を丸める。それを懐に入れた。
「悪いが、うまくは説明できねえ。説明したら、逆に今の確信が揺らぐ」
「ふむ。お前さん、盗賊の技持ちか……長いのか?」
 何を気にしたのか、スミスは思案げな面持ちで訊いてきた。
「ああ。ラリオス師匠の元に来る前は、盗賊ギルドの構成員だった。かれこれ十年以上はいたか。ま、最初はかっぱらい、空き巣、スリからだけどな。生きるために必要な技だったから、必死だったぜ。見つかりゃ良くて袋叩き、悪けりゃ問答無用でぶっ殺される」
 シュラの言葉を聞いたスミスは、腕を組んで何度も頷いた。
「なるほどな。……お前さん、どうやらそっちの腕は既に職人並か」
「俺が? よせやい。まだまだ上がいるんだぜ、この世界にも」
「誰かと比べての話じゃねえんだよ、職人てのは。理屈が感覚として身についてりゃ、十分だ。そのわりに落ち着きがねえのは、性格か、若さか……まあ、だったら、俺から改めて言うことは一つだけでいいな」
「あん?」
 ぽんぽんと肩を叩いて、スミスは戸口に向かった。戸を開けながら、続ける。
「焦るなよ。自分の感覚を信じろ。平常心を失ったら、どんな職人もまともな仕事は絶対に出来ねえ。敵さんは色々やってくるだろうが、お前さんの経験のなさを補うにゃあ、それしかない」
 スミスの開いた戸から、さやかな月の光が差し込んでくる。
 振り返ったスミスのシルエットが真っ直ぐシュラを見つめた。シルエットになっても表情はうっすらとわかる。
「いいか。お前がどう思おうと、間違いなくお前らの肩にはミリアちゃんの希望や、村の連中の希望が乗っかってる。絶対に勝たなきゃならんのだ。相手が強いとか、お前が弱いとかは全然関係ない。仕事をしろ。お前にしか出来ない仕事を。きっちりと、そつなく、完璧にだ。そして、そのためには絶対に焦っちゃいかん。わかったな」
「んなこたぁ、言われなくても――……いや、そうか。そうだな」
 いつもの調子で憎まれ口を叩こうとしたシュラは、ちらりとミリアを見て思い直した。
「確かに、ちょっと浮かれてたかもしれねえ」
「ふん――ああ、もういいぞ」
 目顔で銀の糸を示し、にぃ、と笑うスミス。
 無言で笑い返し、シュラの手首がしなる――鋼の糸に弾かれて再び舞い上がった銀の糸束が、不思議な光沢を撒き散らしながら空いた手に収まった。
「ほんじゃま、行って来い。だが、俺の作ったそいつを使いもせずに死ぬんじゃねえぞ」
「おう、任せとけ。――ありがとよ、おっさん」
 スミスの差し上げた右手を右手で打ち鳴らし、シュラは月光に染まる夜へと踏み出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 明け方近く。
 傭兵部隊第三兵舎。
 愛と哀しみの殴り込み部隊(キーモ命名)本部となった食堂に、キーモとシノの姿があった。
 いつもの過剰武装に身を固めたキーモと、司祭衣の上に革の鎧をまとっただけのシノの姿は対照的だ。二人とも食堂奥のテーブルについていた。
 周囲には、やる気満々で落ち着きのない傭兵連中が数人、たむろしている。
 伝令役の青年が駆け込んできた。
「キーモさん、第四、第五共に無事鎮火したようです。火消しに出てた連中、今こっちへ向かってます。それと、村の方へ行った連中ですが、どうも村の入り口で村人が結成した自警団と睨み合ってるとかで……」
 食堂の空気が張り詰め、全員が完全武装のエルフを見やった。
 キーモは腕組みをして、皮肉げな笑みを頬に刻んだ。
「……ブラッドレイのおっさんやな。まあええ。村の入り口で睨み合っとるんやったら、向こうの動きも止められとるはずや。ご苦労はん。さっさと装備身につけてきぃや」
 青年が戻って行くと、入れ代わりに女が入ってきた。軽装に革鎧は、見るからに盗賊風だ。
「キーモ=ヤン監督官代理、ミア地方衛兵長官シュレーゲルから言質を取ってきました。今夜の件に関して、夜が明けるまで衛兵部隊は関知出来ない、と」
 傭兵部隊の面々から、喜びのどよめきが起きた。
 しかし、シノは少し顔をしかめていた。
「夜明けまで関知しないということは……それ以降は村人の側につくということかの」
「まあ、こっちは元々よそもんや。村人がぎゃあぎゃあ言い始めよったら、あっちの立場としてはつかざるをえんやろ。どっちにしろ、村の入り口でもう騒ぎは起きとるわけやしな。……ま、要は、早よ行けゆうとんのや」
「あの」
 報告した女は、続けた。
「衛兵部隊の方でも何人か消えてるようです。長官は、出来たら遺体だけでも見つけて欲しいと」
 キーモは顔をしかめた。
「ヴァンパイアの『犠牲者』相手に遺体なんか持ち帰れるかい。倒してもたら灰しか残らんで」
「じゃが……遺族にはその灰だけでも、十分じゃろう」
「さすがおっさん、司祭やの。せやけど、灰を拾とって死んでも知らんで?」
 揶揄するかのようなキーモの言動に、シノは気を悪くする風もなく頷いた。
「うむ。せいぜい気をつけるとしよう――悪いが、灰を入れられそうな小袋をなるべく多く用意しておくれ」
 頷いて、女は食堂から出て行った。
「では、キーモ殿」
 シノは立ち上がり、キーモを見下ろした。
 両者の目顔でやり取りがなされる。
「……せやな。そろそろ行こか。宝の山――やのうて、ノスフェル伯爵をぶっ飛ばしによぉ」
 キーモは食堂の中を獣のような眼で睥睨しつつ、ゆっくり腰を上げた。
 合わせたように、その場に居合わせた連中が次々と席を立つ。一様にキーモと同じギラギラと殺意に輝く眼。唯一、シノだけが指揮官らしい落ち着いた涼しい目をしている。
「わしらをメシ代わりに集めくさったタガメ女どもと親玉タガメに、よぉ思い知らせたるんや。メシの恨みは恐ろしいっちゅうことをなぁ」
 くっくっくと悪党以外に見間違えようのない、凄絶な笑みを浮かべるキーモ。
 最後の最後、最大級の盛り上がりの場面――そのボケが計算なのか天然なのかわからず、傭兵達は顔を見合わせていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 同じ頃――西の山際に満月が落ちかかる時刻。
 ストラウスがこもっていた部屋から出て来た。
 応接間で待機していたシュラ、ゴン、グレイ、ミリアに向かって、ストラウスは親指を立ててみせた。
「待たせるだけ待たせて……何のサインだ、そりゃ」
 シュラがいささかげんなりした表情で吐き捨てる。
 ストラウスは照れ臭そうに頭を掻いた。
「いや……この短期間で新魔法を一つ編み出したもんで、その心境を素直に」
「はぁ?」
 シュラだけでなく、その場にいた全員が怪訝そうに顔をしかめた。
「ちょっと待って。僕らが使う、神の力の行使と違って魔法って……そんな簡単に出来るものだっけ?」
「そこはそれ、俺って天才だから」
 両手を腰に当て、胸をそらしてみせる自称天才魔法使い。
「呪文詠唱のみの魔法ってのは、( 作者注・以後黄色部分読み飛ばし可 つまるところ単語や発音や何やかんやの組合せに意志の力を載せることによって、この世界に無い現象を起こしたり、この世界を構成するものとは異なるエネルギーを引き出す方法だからな。慣れた者なら、その組合せを代表する言葉、例えば“ライトニング・ストライク”などと唱えるだけでその力を使うことができるし、完全に習得した者は言葉すら発せず、頭に思い浮かべただけで使うこともできる。まー今のは素人にはそれとわからんほど微妙に発音をずらしたんで、その気があっても発動しないわけだが。このタイプの魔法はそんな性質上、単語と発音の組合せによってはすぐにでも新しい魔法を作り出すことも可能なわけだ。新しい魔法の大体の方向性も決まっていれば、後はどの単語を選び、どう並べ、それをどう発音するかということだけ。もっとも、その組み合わせの複雑さと、呪文そのものが途中に他の効果をもたらす呪文を含んでいないかどうかを確認するのが一筋縄ではいかないところなわけで ――わかった?」
 その場にいた者全員が、示し合わせたように一斉に首を振った。
「……ゴン、わかったか?」
 魔刀を肩に預けたまま、グレイが問う。ゴンは首を振った。
「全っ然。今のが魔法の呪文みたいだ……」
「同感です……」
 ミリアも呆然と呟く。
 代表して、シュラが問い質す。
「あー……要するに、なんだかよくわからん魔法をひねり出したっつーことで、いいんだな?」
「ぶっつけ本番で成功するかどうかもあやふやだけどなっ!」
 言葉とは裏腹に腕組みをして、ますます胸を張るストラウス。
「威張れることかっ!」
 ソファのクッションがストラウスの顔面に叩きつけられた。


「……ともかく、これで全員準備は出来たわけだな」
 クッションの跡が残る顔をきりりと引き締めて、ストラウスが一同を見回す。
 ブレストプレートメイル(上半身を中心に固めた板金鎧)に身を固め、腰にバスタードソードを佩び、背に魔刀ライフサッカーを背負ったグレイ。
 黒装束にレザーメイルを身につけたシュラ。
 プレートメイルで完全武装、背に盾を背負い、破壊されたモーニングスターの代わりに厚手のグローブをつけたゴン。グローブの拳部分には鋼鉄の板が貼られている。
 そして、ストラウスは黒のタートルネックセーター、足首で絞っただぶだぶの長ズボン、麻で織られたチョッキに麦藁帽、肩に担いだ鍬という、いつもの農民スタイル。
 その一行を、ミリアが心配そうに見ていた。
「……マーリンさんだけ、全然強そうに見えない……」
「ケンカは格好でするわけじゃないし、頭脳担当だし」
 しゃあしゃあと言って、ストラウスは鍬をくるっと回した。
「今から出れば、まあ夜明けには城に着くだろ。それじゃあ――行くか」
 誰一人応声を出すことなく、ただ頷きあって――粛々と四人は応接間を後にした。
 ミリアの祈りを背に受けて。


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