愛の狂戦士部隊、見参!!

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第四章 混迷 (その5)

 ノスフェル城の地下迷路。
 剣を鞘に戻し、女騎士のやや後ろを歩きながら、ジョセフは延々と続く沈黙に耐えかねていた。
 スペクターである女騎士は、足音もしなければ鎧のガチャつきもなく、衣擦れどころか呼吸の気配さえ感じられない。ただ自分の足音だけが緑色に染まった通路に響き続けている。
 終わりのない沈黙に恐怖が麻痺したのか、ついジョセフは二、三歩先を歩いている女騎士に声をかけていた。
「……それにしても、君って化け物にしては結構話のわかるいい人なんだな。名前を訊いてもいいかな? 僕はジョセフ」
「ネスティス」
 女騎士はぶっきらぼうに答えた。振り返りもせず。
「それと、私は人ではない。スペクターだ」
「いや、そういう意味ではなくて……」
「さっきのお前の行動は、やはり命じられたものなのか?」
 聞きながらも、ネスティスはジョセフに歩幅を合わせることもなく、さっさと歩いて行く。
「さっきの……って、どれだ?」
「自ら命を絶とうとした。命令しておいたのは、ミリアとかいう主か?」
「ミリアは、婚約者だよ」
「コンヤクシャ?」
 ネスティスは足を止めて、不思議そうにジョセフを見やった。
「それは……上司という意味か?」
「婚約者ってのは、結婚の約束をした者同士のことだよ。ええと……婚約を知らないのか?」
「知らぬ」
「婚約は男と女が将来結婚しようと約束をすること。そして結婚は、それから後の人生を一緒に生きていこうと約束して夫婦になることだ」
「ふむ……。つまりはつがいのことだな?」
「つがいって……いやまあ、その通りだけどもう少し言い方ってものが……」
 動物扱いされた気分で、少し落ち込む。
「だが、おかしなものだな。つがいの相手にそこまで忠誠を尽くすのか、人間は」
「そりゃ、好きでもない相手ならともかく、好きで結婚しようって約束したんだから……」
「わからぬな」
 言い捨てて、再びネスティスは歩き始めた。
「お前たち生者の命は短い上に、脆く儚い。にもかかわらず、その者のためにその命を捨てようというのか。命令でもないのに」
「そうだ。それが人を好きになって、愛するってことだからな。そうでなければ、その後の人生を一緒に生きてゆこうなんて約束はできないよ」
 少しむきになって、ジョセフは答えていた。
 正直、愛だの何だのと口にするのは気恥ずかしさが伴うが、これだけ相手が無表情だとさほど気にならない。それより、自分の気持ちが打算や理屈で説明されるのがいやだった。
 しかし、相手はジョセフの想像以上にとことん朴念仁だった。
「ふむ……だが、命を失えば一緒に生きては行けまい。結局、約束は破られることになる」
「あのねぇ。吸血鬼にされたら、愛する相手をその手にかけることになるじゃないか。約束どころの話じゃない。愛する人を殺してしまうくらいなら死んだ方がましだ。そうすれば、少なくとも愛する人だけは生きてゆけるし。それに、命二つが失われるより、一つだけの方がましって考え方もあるし」
「お互い闇の同胞(はらから)となれば、そのようなことで仲違いする必要もなかろう」
「仲違いなんてもんじゃないだろ、それはっ!」
 本当に、この女騎士はどこまで本気なのかよくわからない。冗談を言って笑うタイプにも見えないが。
「とにかく、人間ってのは好きになった人のためになら、命だって懸けるんだよ。命令なんてなくても。……ネスティスにはそういうことはないわけ?」
「ない」
 簡潔かつ明瞭な答。その横顔にそれを恥じるような色も、悲しむ色も浮かんではいない。
「そもそも、『好き』というのがどういうことか、私は知らぬ。まして、そんなことのために脆く儚き命を投げ出す人間の心など理解できぬ」
「……なんで『忠誠』を知ってて、『好き』を知らないんだか。普通逆だろ」
 憮然として呆れるジョセフに、ネスティスは再び足を止めて振り返った。
「私は――伯爵様に拾われた。剣も智も、全てを伯爵様に教えていただいた。全てはそこから始まったのだ。伯爵様への忠誠こそが私の全て。何の不思議がある」
「じゃあ、その伯爵様は好きとか、愛情とかを教えてくれなかったのか?」
「そんなものは、か弱き生者たちの幻想に過ぎぬ――と仰っておられた。だから、理解する必要などない」
 ジョセフを見据えるその眼差しには一点の迷いもない。
「だったらなんで聞いたんだよ」
「不思議に思ったのだ。脆く儚く、短い生を投げ出すほどの――それも戦ってではなく、自ら断つなどという行為によって証しを立てようとする忠誠心の高さを。剣の腕もなく、心が強いわけでもなく、多少智が立つ程度のお前が、なぜそんな忠誠心を、誰に対して持っているのか。……よもや幻想にすがっての行動とは思わなかったが」
「幻想云々の前に、なんだか思いっきり見下されてる気がするんだけど……」
「当たり前だ。そもそも人間とは我らの食料のようなもの。対等などと考えるな」
「……ひょっとして、それも伯爵の受け売り?」
「そうだ」
 ジョセフは思いきりわざとらしく、大きくため息をついた。
「……前言撤回」
「なに?」
「いい人だと言ったのを撤回する。ただの操り人形じゃないか。期待して損した」
「何を今さら。最初に訂正しておいたはずだ。私はスペクターだとな。人ではない」
「だぁーかぁーらぁー。はぁ……もういい――あれ?」
 ふと、ネスティスの頬に光るものを認めてジョセフは顔をしかめた。
「……ひょっとして……泣いてる?」
「なに?」
 言われて、ネスティスは足を止め、指で目尻を拭った。その指先は濡れ光っている。
 初めてネスティスの表情に曇りが生じた。ちらりとジョセフを見やる。その眼差しがすぅっと細くなる。手が、腰の剣に伸びた。
 異様な気配を感じて、肌を粟立てたジョセフは咄嗟に後退った。
「な、なんだよ!? いきなり――」
「……いかなる理由かは私も知らぬが――どうやらお前はここで死ぬ定めであるようだ」
 静かに、何の感情もなく告げる。その両の瞳からあふれる滂沱の涙。それは緑色の灯火に照らされて、幻想的に輝く。
「な…………なに言ってんの!? はぁ!?」
 叫びながら、へっぴり腰で剣を抜く。ネスティスはじりじりと迫ってくる。
 ジョセフはわけのわからぬ展開に動転し、剣を持ちながらももう一方の手を突き出して叫んだ。
「ちょ、ちょっと待った! 話し合おう! 話し合って誤解を解こう! 僕は別に――」
「お前の死は決まったこと――死ね」
 一足飛びに距離を詰め、必殺の居合抜き一閃。
「――お待ちなさいっ!!」
 唐突に響いた甲高い娘の声。剣を半ばまで引き抜きかけた格好で動きを止めたネスティスは、瞳だけで背後を窺った。
「ネスティス。それはわたくしの獲物でしてよ?」
 声は通路の先から流れて来た。  聞き覚えのあるその声に、剣を構えたまま腰を抜かしているジョセフの顔から、たちまち血の気が引いてゆく。
 通路の向こうからつかつかやってきたのは、黒いフリルドレスの金髪少女だった。蒼い瞳に緑の炎が揺れている。
「わたくしがわざわざ連れてきたんだから、勝手に殺さないで欲しいものですわ」
 ネスティスは振り返りながら剣を戻し、片膝をついた。
「これはノルス様。……失礼しました」
「冗談よ。ほんと、石頭ねぇ。狩りに参加させた時点で、捕まえた者が好きにしていい決まりじゃない。別に謝ることじゃないって、わからない? それとも、それもあなた一流の嫌味なの?」
 近くまでやってきたノルスは、腕を組み、頬を膨らませていた。
 ネスティスは恐れ入って、さらに深く頭を下げた。
「そんな。誓って、そのようなつもりは毛頭……」
「わかってるわよ。ネスティスが嫌味を言えるタイプじゃないってことぐらい」
 少女期特有のコロコロ変わる機嫌に、ネスティスは完全に翻弄されている。ただ頭を下げて頷くしか出来ない。
「それにしても、こっち方向はハズレだったみたいね。三人だけよ、この先の出口まで来たのは。こんなことなら、マルムークと一緒にいるんだったわ。あいつ、猟犬みたいなものだし」
 ふと少女は、ちらりと脇で震えているジョセフを見やった。
「彼、ジョセフでしたっけ。……ここで見つけたんですの?」
「いえ、地下牢に隠れておりました。この地下から出たいと言ったもので、案内をしてここまで」
「何でまたそんな――」
 言いかけて口を閉じ、ため息をつく。
「……いいわ。どうせあなたのことだから、狩りにも生命力の奪取にも興味なかったんでしょ。で、頼まれて、断わる理由もなかったから」
「ご推察の通りです」
「はー……ほんと、何を考えているのかしら」
 一層頭を下げるネスティスに、額に手を当てて再びため息をつく。
「まあいいですわ。――それで? なぜ、いきなり殺そうとなんかなさったの? 伯爵様でも侮辱された?」
「いえ。ただ、死すべき定めの者、と思いましたゆえ」
 たっぷり十秒。ノルスは目をぱちくりさせて立ち尽くした。
「なにそれ。わけわかんないわ。説明になってないし――って、また泣いてるの?」
 うつむいたネスティスの頬から石畳に滴り落ちるきらめき。ネスティスは手早く手の甲で両頬を拭ったが、すぐに新たな雫が溢れ、伝い落ちてゆく。
 ノルスは何度も涙を拭うネスティスの様子に、ようやく少し頬をほころばせた。
「おかしなの。……で、彼のことですけれど。殺すぐらいなら、わたくしがもらっていってもよろしくて?」
「は……ご随意に」
 二人のやり取りをただ呆然と聞いていたジョセフは、たちまち我に返って震え上がった。こちらに興味のないネスティスと違い、この少女は確実に自分に害を及ぼす。絶対に血を吸われ、吸血鬼にされてしまう。
「じょ、冗談じゃない! 誰がお前なんかに、くそっ――」
 ジョセフは今度こそ覚悟を決めて、剣を逆手に持った。その切っ先を自らの心臓へ突き立て――
 ぜんまいが切れたかのように、その動きが止まった。
「……あ、う……あ……」
 体が動かぬのはもちろんのこと、声すらも出せない。ジョセフの瞳は暗がりに紅く輝く少女の瞳に吸いつけられていた。
「――勝手なことしないでよねー。あなたはもう、わたくしのものなんだから」
 ノルスが呆れたようにため息をついた。次いで、その表情が悪鬼のごとき邪悪な喜びに満たされ、歪む。
「あなたには、あの恋人を襲わせてあげる。それに、その前にあの家でわたくし達の邪魔をした魔法使いとも戦わせてあげる。嬉しいでしょう? うふふ……どんな顔するでしょうね、あなたの恋人とあの魔法使いは。楽しみだわ」
(い、いやだっ! そんなのはいやだああぁぁっっ!! た、助けてっ! 神様っ、ミリアっ! お父さんお母さんお祖父ちゃんお祖母ちゃん――誰でもいい、誰か、助けてくれっ!)
 胸の内でいくら叫んでも、声は出ない。
 少女の手がジョセフの手首を握る。痺れたように力が抜け、剣が石畳に転がる。
 少女の紅く光る眼が視界いっぱいに広がって――意識が落ちた。
 どこか遠くで、肌が鋭いもので破られるような音を聞きながら。

 ―――――――― * * * ――――――――

「………………?」
 何か、誰かに呼ばれた気がして、ミリアは振り返った。
「どうかした、ミリアさん?」
 荷馬車の御者台から、ストラウスが訊ねる。
「あ……いえ、なんでも」
 ミリアは曖昧に微笑んで首を振った。
 二人はモーカリマッカ神殿の裏手にいた。藁を敷き詰めた荷台には、ミリアの父母エルシナ夫妻が横たわっている。
 帰って来た娘と涙の対面を果たした父母は、ストラウスの考え抜いた言い訳もほとんど聞かず、ただただ抱き合って喜んだ。
 そしてストラウスは、感涙に咽んでいる夫妻に背後から『スリープ』の呪文をかけて強制的に眠らせ、荷馬車に乗せて神殿まで戻ってきたのだった。
「とりあえず、ここへつれてきておけば安全だし、ミリアさんの動きをあれこれ詮索されることもない。あと、ここに事情を知らない人がいてくれると、ブラッドレイ司祭への牽制にもなるし」
「人の両親をそんな風に使わないでほしいです」
 少しすねた風に異議を唱えると、ストラウスは肩をすくめた。
「まあ、これもジョセフを助けるためだと思って」
 それを言われるとミリアは何もいえない。
 そこへ、黒い影が屋根の上から荷台の上に舞い降りた。
 かなりの高さを飛び降りたのに、ほんのわずかに揺れただけ。眠れる夫妻は唸りもしない。
「お帰り、お二人さん」
 口許を隠す黒覆面を下ろし、シュラがにんまり笑う。その手には、なにやら硬そうな物が詰まった袋が下がっていた。
「おお、シュラ。どうだった?」
 シュラは袋を掲げてみせた。
「大漁大漁。……情報もな」
「話はこの二人を神殿の部屋に運んでからだ。ミリアさんはここに。シュラが帰ってきたら、この馬車でその銀細工職人のところへ」
「はい。あの……両親をお願いします」
 頭を下げるミリアを見つつ、シュラが父親を背負い、ストラウスが魔法『フロートディスク』で母親を浮揚させて荷馬車から運び出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 二人は客室らしき部屋の一つに、二人を連れてゆき、ベッドに寝かせた。
 ゴンも不思議そうな顔をしてその場に立ち会っている。二人がミリアの両親であることは既に説明してあった。
 シュラがストラウスに、見てきた村の状況を一通り説明した。
「そんなこんなで、村の方はなんだか不穏な気配だな。村人が何人も急にいなくなってるもんで、何も知らん連中は怖がってるし、知ってそうな連中はピリピリしてる」
「そりゃま、そうだろうな。ま、一応まだ死人は出てないわけだ」
「死体が見つかってないだけかもしれんがな。一応、村長の屋敷にも忍び込んだんだが……じじいどもの寄り合いじゃあ、明日ブラッドレイが伯爵に事の次第を質しに行くということでまとまった」
 腕を組んだストラウスは、さも呆れ果てたようにため息を漏らした。
「やれやれ。この期に及んで、なーにを期待してるんだかなぁ。成り行き次第じゃ、首だけになって戻ってくるぞ。なんでわかんないかねぇ……はぁ」
「ところが、そのブラッドレイのじじいは寄り合いの後、妙な動きをしてる」
「妙な動き?」
「若いのに声をかけているみたいだな。青年団つーか、俺達みたいな血の気の多い連中。何を企んでいるのか知らんが。……ゴン、気をつけろよ」
「え? 僕? なんで?」
 ミリアの両親に毛布をかけていたゴンは、突然の名指しに戸惑った。
 ストラウスもシュラの肩越しにゴンを見やり、眉根を寄せて頷く。
「そうだな。このタイミングで人を集めてるとなると、確実に伯爵への対抗策じゃないだろ。明日伯爵に会うというんだから、俺達を拘束して伯爵への手土産として差し出す気かもしれんな。となると……まあ、ここへ来る可能性が高いか。山の方にはさらに血気盛んな連中がいるしな」
「どうする?」
 ストラウスを凝視して発するシュラの問いは殺気を含んでいる。事と次第によっては、ブラッドレイを暗殺してでも、という素振りだ。
 ゴンはその肩をつかんで、シュラに見えもしないのに首を必死に振っている。
 ストラウスは、少し考えて首を横に振った。
「……ま、ほっとこう。先に動いて手の内読まれるのも、向こうの手の内を読んでいるのがばれるのもいやだし。こちらの動きを見せなければ、向こうもそうそう下手な動きは見せないだろう。何しろ、こっちは泣く子も黙る冒険者だ。何をするかわかったものじゃないしな」
 底意地の悪い笑みを浮かべて、ししし、と嗤う。
「じゃあ、シュラは予定通りミリアさんと職人の家へ行ってきな。俺はゴンとここで待機してる。万が一があっても、二人ならなんとでもできる」
「了解。じゃあ行ってくるぜ」
 言うなり、シュラは部屋を出て行った。この神殿に入ったときより確実に重さを増して、大きくなった袋を抱えて。
 部屋の中の燭台も廊下の燭台も消え、裸のろうそくがぽつんと置かれていた。


「お?」
 エルシナ夫妻の眠る部屋の扉を閉じたストラウスは、ふと足を止めた。
 廊下の突き当たりの窓から最後の残照が見えていた。山のシルエットに吸い込まれてゆくように消える夕陽の残照。わずかに残るオレンジ色が見る見る紺色に塗り潰され、黒い山の稜線がその夜空と溶け合い、世界の全ては闇に落ちてゆく。
「……夜かぁ。状況から考えると明日の明け方には出たいな。少なくとも、夜に連中と戦うのは――」
 ふと、その視線が虚空を漂った。
「――夜、か」
 黒い瞳に稲妻が走る。そのまま、隣の部屋に眼をやった。
「……ゴン」
「え、なに?」
 応接室に戻ろうとしていたゴンが振り返る。ストラウスは空き部屋の扉を開けて、手をひらひらさせた。
「ちょっと悪い。俺、ここにこもる」
「は?」
 ゴンが怪訝そうに眉をしかめる。
「シュラ達が戻ってくる前に、ちょっと状況整理とか色々するし。何か情報が入ってきたら教えて。そんじゃ」
「え、いや、ちょっと――」
 ゴンが答える前に、ストラウスは扉を閉じた。


 置き去りにされたようなゴンは、応接室へ入ろうとしてふと思いとどまった。
 ちょっと考えて、くるりと回れ右をして、聖堂へ。
 聖堂は荒らされたままだったが、ゴンは教壇の破片を片づけて祭壇の前に立った。
 恰幅のいい老人の像が幸せそうに微笑んでいる。
 ゴンは片膝をつき、手を組んで頭を垂れた。
「……モーカリマッカ様。僕にお力を――僕のヘソクリを差し上げますから」

 ―――――――― * * * ――――――――

 ミリアの案内でたどり着いたのは、いかにも鍛冶職人が住んでいそうな古びたレンガ造りの家だった。
 煙突からは一筋の煙が立ち昇り、食事のいい匂いがしている。
 扉をノックすると、鳥の脚を頬張ったままのオヤジが顔を出した。
 黒いヒゲが伸び放題で、顔がヒゲの中にうずもれているような男だった。だが、それ以上に印象的なのはその体。人並みの身長のシュラの胸ほどしかない。しかし、その身体は隆々と鍛え上げられた筋肉の塊。その肌は冬長い北の地ではありえないほど赤黒い。鍛冶職人特有の、炉の照り返しによる肌焼けだろう。
 『赤い筋肉玉』という単語がふとシュラの頭をよぎった。
「ふぁんらぁ? おひゃえふぁら」(なんだ? お前ら)
 ぎょろっと眼を剥く親父に、ミリアが進み出て来た。
「スミスおじ様、私です。ミリアです。大急ぎで作ってもらいたい物があるんです」
「…………イヒィア?」
 口の中から肉をこそぎ落とした鳥の脚を引き抜くと、スミスは顔をほころばせた。
「おお、エルシナんちのミリアちゃんか。久しぶりだな。ええと、こいつは婚約者の……ジョセ…フじゃないな?」
「シュラだ。あんたが十年前に銀の針を作ってやったラリオスの弟子だ」
 進み出て、じろりと見下ろす。目と目が合い、火花が飛ぶ。
 スミスは真っ黒に焼けた額に手をやり、記憶を掘り起こしていた。
「ラリオス……ラリオス……」
 髪を掻き上げていた途中で手が止まった。
「ああ! あのガキか! 思い出したぞ! 伯爵に戦いを挑むとか言っていた馬鹿どもの一人だな。本当にあんにゃろうを追い出しちまって。あん時はその礼を言う間もなく帰っちまったしな。……そうか、あいつも弟子を持つようになったか。息災で何よりだ。いやいや、よく来てくれたな。ま、入れ入れ」
 招かれて敷居をまたぐ。家の中は一間だった。奥が工房で壁に埋め込まれたような形で炉がしつらえられている。その炉の上を二階へ上がる階段が走り、左右の壁面には工具や装飾品が所狭しと並べられている。室内を照らし出す灯りは、炉から漏れ出す輝きだった。
 入ってすぐ左手が炊事場になっており、食卓の脇に小型のベッドがある。床は全面土間だった。
 勧められるままシュラとミリアは、まだ食べさしの夕食の並んでいるテーブルに着いた。椅子はそこらにあった物置台のような物だ。
 シュラは飲みさしのワインを勧められたが、断った。
「いやいや、こんな時間にミリアちゃんが来るとはな。しかもラリオスの弟子を連れて。がはははは、世の中何が起こるかわからんな。いやいや、面白い。がははははははは」
 豪快に笑いながら夕食の残りをかきこみ、口の辺りにべっとりとついた油をふきんで拭い、ワインをあおるように飲む。
「それで?」
 一通り食べ尽くし、飲み尽くしたスミスはゲップをしながら、シュラを睨みつけるようにぎょろりと眼を剥いた。だが、そのヒゲに囲まれた口許はにんまり緩んでいる。
「何を作って欲しいんだ?」
 腕を組んで待っていたシュラは、片眉を跳ね上げた。
「……へぇ。事情を訊かないのか?」
「訊く必要があるかよ。かっかっか」
 また豪快に笑いながら、手荒く積み重ねた皿を傍の水を張った桶に突っ込む。派手な音がしたのは、勢い余って皿が割れた音らしい。
「今日の昼には十年なかった暗雲が垂れ込め、夕方にゃあミリアちゃんの姿が見えねえって、オヤジさんが真っ青な面して来た。その夜にゃあラリオスの弟子がわざわざ俺を訪ねてきた。ま、大体想像はつくわな。あのバカ伯爵が戻って来たんだろ」
「へぇ。……すげえな。そこまでわかるのか」
「お前らは知らんだろうが、ここんとこあっちこっちの村で墓が荒らされてるって話も耳にしたしな。気にはなってたんだ。まあ、なんでミリアちゃんがお前を連れて来たのかはわからんが、そんなこたぁどうでもいい」
「ジョセフが、捕まってるんです」
 眉をたわめ、立ち上がて身を乗り出すミリアに、スミスは肩をそびやかした。
「は、そりゃご愁傷様だったなミリアちゃん。あれに捕まったが最後、もう死んだと――」
「俺達はそいつを助けに行く」
「は?」
 シュラの言葉に、スミスは顔をしかめた。
「なんだと? ……なんだ、その甘っちょろい決断は。てめえ、ラリオスの下にいながら――いや、ラリオスがいながら、なんでそんな」
「師匠はいない。今はグラドスだ。師匠達を呼ぶつもりもない」
 虚を突かれたようにぽかんと口を開けていたスミスは、その口を閉じるや、値踏みするようにシュラをじろじろと眺めやった。
「……ふん。その面ぁ、それ相当の覚悟はあるみてえだな。だけどな、奴の強さを知ってんのか?」
 シュラは黙って服の裾をまくり上げ、腹を見せた。そこには伯爵の放った『ライトニング・ストライク』の傷痕がいまだありありと残っている。
 スミスはぎょろりとその傷を眺めやり、にんまり笑った。
「なるほど。もう手合わせしたというわけか。その上でもう一度喧嘩を売ろうってんだな。その根性は気に入ったぜ」
「彼女には悪いが、俺が戦う第一の理由はこれだ」
 シュラは服を直しつつ、ぶっきらぼうに言った。
「確かにさらわれた奴らを奪い返すことは俺達共通の目的だが、俺個人としてはまずこの傷の落とし前をつけることだ」
「なるほど、奪われた誇りを取り戻したいってところか」
「んな大層なもんじゃねーよ。やられたからやり返す。それだけだ」
「くっくっく、まるっきり悪ガキだな。ますます気に入った」
 ぱん、と膝を叩いたスミスは立ち上がって奥の炉の前に移動する。
 屈み込んで、火掻き棒で炉の中の炭を掻き混ぜ始める。ぱっと火の粉が舞い散り、火勢が一気に上がる。
「で、欲しいものは十年前のラリオスと同じで、銀の針でいいんだな?」
「いや。俺が欲しいのは――糸だ」
 スミスは動きを止めた。
「糸だ? おいおい、俺は鍛冶屋だぞ。糸なんてもんは織物屋に……――いや、鋼線か!?」
 シュラはちっちっち、と指を左右に振った。
「鋼線ごときであの化け物が切れるかよ。俺が欲しいのはただ一つ。鋼よりも硬く、強く、軽く、そしてしなやかな"銀の糸"だ」
 途端にスミスはむうぅ、と唸って顔をしかめた。



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