愛の狂戦士部隊、見参!!

【一つ前に戻る】      【目次へ戻る】   【ホーム】



第四章 混迷 (その3)

 しばらく沈黙が続いた。
 キーモは話を聞き始めたときと同じ姿――のけぞったような姿勢で高いびきをかいている。
 シュラはつまらなさそうにアクビを繰り返し、グレイも興味なさそうに虚空を睨んで手を揉んでいる。
 ストラウスは腕組みをして難しい表情で考え込み、ゴンは唇を真一文字に引き結んでいた。目が細く、目尻が下がっているため常時笑顔のようなその顔が、今はそれとわかるほど完全に強張っていた。
 ミリアはうつむいていた。その肩が少し震えていることを、隣に座っているストラウスだけは気づいていた。
「……私……何て言ったらいいのか……」
 両手で顔を覆い、いやいやをするように首を振る。
 ブラッドレイはその肩に優しく手を置いた。
「しょうがないことなんだ、ミリア。彼は、私達が対抗できるような存在じゃない。私達はじっと息を殺して耐えるしかないんだ」
「でも、ジョセフが……彼が……」
 唇を噛み締めて、言葉を失うミリア。結婚間近の娘は、押し寄せる絶望と悲嘆をかろうじて抑えつけている。
「クリスもだ」
 ぼそりと低く唸ったグレイは、やにわに立ち上がった。
 怒りを内に秘め、殺意の光が激しく閃く据わった瞳をストラウスに向ける。
「……聞くほどのこともなかった。時間の無駄だった」
「なんだと」
 ブラッドレイは顔を引き攣らせたが、グレイはそちらをちらとも見ずに続けた。
「後の聞き取りは任せる。俺は一旦山へ戻って、傭兵団の連中に今の状況を説明してくる」
「わかった。気をつけて」
 ストラウスの返事を聞いて頷き、グレイは席を離れた。
「ま、待ちたまえっ!」
 顔色を変えたブラッドレイが立ち上がって、その腕をつかむ。
 わずらわしそうに司祭を見やるグレイ。その瞳には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいた。
「傭兵団を率いて、城へ攻め込む気だな? いかん、そんなことは許さんぞっ! 伯爵に手を出すなっ! これ以上事態をややこしくして、ミアの人々を危険にさらすような真似は、私が絶対に――」
「知ったことか」
 グレイは力任せにブラッドレイの腕を振り払った。勢い余って、ブラッドレイはソファへ倒れこむように腰を下ろしてしまった。
 鼻を鳴らしたグレイは、ちらっとミリアを見た。
「彼女には悪いが……ミアの連中が皆殺しにあおうとも、俺はクリスを助け出す。邪魔をするなら、俺が皆殺しにしてやる」
 吐き捨てると、叩きつけるように扉を閉じ、部屋を出て行った。
「く、くそ、あの若造めっ! 何も、何もわかっておらんっ!」
「はぁ〜…………今さら、なに言ってんだか」
 ストラウスが長いため息の後に、呆れた口調で漏らした。
 驚いて振り返ったブラッドレイに、ストラウスは頭をぼりぼり掻きながら続けた。
「よそ者なんか知ったことじゃないって言ったのは、司祭自身でしょ。だったら、よそ者が何をして伯爵に返り討ちにされようと、ミアの村の人には関わりないことじゃないですか。約定を破ったことにもならないし」
「そんな理屈が通用する相手かっ! 伯爵は我々ミアの村の者が、彼を退治するために君達を呼んだと思っているのだぞ! だから約定は破られたなどと言ってきたのだ!」
「はぁ?」
 ストラウスは顔をしかめた。
「なんでそんな話になるんです? わけがわかりませんが」
「しらばっくれるな! デービスの件だっ! 彼が傭兵部隊を集めて、何をしようとしていたか知っているだろう! それを未然に防いでしまった君達の存在が――」
「おっさん、それは違うぜ」
 シュラがストラウスの向こうから、身を乗り出すようにして割り込んだ。
「あの化け物野郎、俺達のことを何も知らなかったからな。俺がラリオス師匠の弟子だってことも、ゴンがアレフ師匠の弟子だってことも、デービスの件に関わってたこともだ。戦ってる最中に理解したみたいなこと言ってた」
「そんなバカな……だったら、なぜネスティスはあんなことを」
 悩んで首を傾げるブラッドレイに、シュラとストラウスは思わず顔を見合わせた。
「……ブラッドレイ司祭? ひょっとして、本気でわかってない?」
「だとしたら、本物のバカだな」
 呆れて天井を見上げ、へらへら笑うシュラ。
 その明らかな侮蔑の嘲笑に、たちまちブラッドレイは頬を引き攣らせた。
「なんだと……どういう意味だ、それは?」
「あんたは、伯爵に騙されてるってことだよ」
「馬鹿なことを言うなっ!!」
 怒りも露わにテーブルへ拳を叩きつける。
「伯爵は人を騙すような人間ではない! これまでだって、彼は約定を違えたことはないっ!」
「いやいや、司祭、司祭。あれはもう人間じゃなくて、ヴァンパイアですよ。ヴァンパイア」
「揚げ足とりをするなっ!」
 指摘を一蹴され、ストラウスは困惑げに小首を傾げる。
「いや、そうじゃなくてね。……まあいいや。いずれにせよ、伯爵には、もう約定なんか守る気はさらさらないんですよ」
「何を根拠に。彼は貴族だぞ! 誇り高き貴族が、自分から約定を破るわけがなかろう! 私の今の話を聞いていなかったのか、君達はっ!?」
「いや、聞いてましたよ? 聞いてましたけどねぇ」
「つまらん話だったよな。負け犬の遠吠えっつーか、ヘタレの言い訳っつーか。かっかっか」
 ブラッドレイの禿げ上がった額が真っ赤に染まる。頭の筋が二、三本切れそうだ。
「き、き、貴様……私の三分の一も生きとらん若造の分際で……っ!!」
「そうだぞ、シュラ。それは言い過ぎ。わかってても言わない。話がややこしくなるから……とにかく、司祭?」
 ストラウスの計算高い冷徹な眼差しが、怒りに血走り始めたブラッドレイの瞳を射抜く。今にもシュラに殴りかかりそうだった司祭は、タイミングを失って立ち尽くした。
「冷静に状況を見てください。伯爵は僕らのことを知らなかったくせに、ミリアさんの家を襲った。この時点で既に約定は、向こうの手によって破られてるんですよ? それは疑いようのない事実。それとも、僕とミリアさんが示し合わせてあなたを騙しているとでも?」
「む……ぐ……」
 ストラウスはともかく、ミリアを疑うことは出来ず、ブラッドレイはうろたえる。
 シュラが頷いて後を継いだ。
「それに、あのゲロだかロゲだかいう狼男が言ってたからな。俺達みたいな護衛がいるのは予想していたとかなんとか。ま、要はそれを言いがかりに約定を破棄されたことにするつもりだったんだろうが――」
「たまたま僕がミリアさんの家にいたから、完全な同時襲撃だったことがわかりましたけどね。色んな意味で危なかったわけです」
 あの恐怖を思い出したのか、ジョセフを心配してか、ミリアは身体を強張らせストラウスにそっと擦り寄る。
「そうだ……デービスの件も……」
 不意にゴンが呟いた。これまで存在を忘れられていた彼の声に、思わず皆が注目していた。
 ぽん、と片膝を叩いたゴンはやにわに立ち上がった。
「そうだよ。マイク=デービスだって、もう十年もミアに住んでるんだ。立場としてはブラッドレイ司祭と同じはずだよ。なのに、彼は殺された。ここ二、三ヶ月で雇われた使用人殺しは微妙だとしても、マイク=デービス殺しは立派に約定違反じゃないの?」
「ああ、そういやそうだ。冴えてるじゃないか、ゴン」
 シュラが満足そうに頷く一方、新たな事実にミリアは目を丸くしている。
「……え……でも、デービス様は転落事故だって……」
 ストラウスはバツが悪そうに苦笑した。
「いやまあ、あの時はショックを与えないようにね……犯人もまだわかってなかったし」
 ミリアの鳶色の瞳が虚空を彷徨う。次々と判明する深刻な事態に、そろそろ頭の中が真っ白になってついて来れなくなってきているのだろう。まあ、こういった状況に慣れていない村娘なら、正常な反応だ。
 ストラウスは注意を司祭に戻した。
「それで、司祭? あなたの見解ではマイク=デービスはよそ者なんですか?」
「それは…………その……」
 意地悪な問いに答えられるはずもなく、立ち尽くす。
 ストラウスは証明終了、とばかりに両手を広げ、軽く首を傾けた。
「ま、回答はいりませんよ。ご自分でもわかっていらっしゃるでしょうから。ただ、これでもう自覚できたでしょう? 騙されてるってことが。あるいは試されてるのか……どこまで従順か、をね」
 苦虫を噛み潰して、へたり込むブラッドレイ。
「……なあ、ブラッドレイ司祭。自分の失敗を隠す時の、一番手っ取り早い方法って知ってるか?」
 唐突なシュラの問い掛けに、司祭はじろりと敵意に満ちた目を向ける。
 シュラは司祭を見下すかのように、ニヤニヤ薄笑っていた。
「すぐ傍にいる奴のせいにしちまうんだよ。いきなり言われると、大抵の奴は信じちまうからな。そう、犯人にされた本人すらも、な。んで、その嘘がバレる前に、次の動きに出る――とんずらするとか、仕事を片づけるとか……裏の世界じゃ基本中の基本だぜ? 今回のもそれだ。奴が『お前らが先にやった』と言っちまえば、あんたはそう信じ込んで勝手に原因を探してくれる。こんな騙しやすい奴、使わない手はないよな」
 返す言葉もなく、ただ唇を噛み締め、頬肉を引き攣らせるブラッドレイ。
「へへっ、俺の三倍生きてるにしちゃあ、人生経験が足りねえんじゃねえのか、おっさんよ?」
 ガックリ禿げ頭が前に折れ、もうそれ以上聞きたくない、とばかりに両手で左右のこめかみの辺りをわしづかむ。
 言葉にならない苦悶の唸りが、隠れた口元から怨念のように漏れ出て来た。

 ―――――――― * * * ――――――――

 古い苔むした石造りの地下迷路には、すえた腐敗臭が澱んでいた。
 肌にまとわりつく湿った空気は、肺の中にまで忍び込み、身体を内から腐らせてゆくようにさえ思える。
 どこかで滴る水の音が、どこまでも暗く一片の光も射さぬ闇の中に寂しく響く。
 数百年動いた試しがないかのような粘着質な空気が、掻き乱されていた。
 静まり返った石の回廊を駆け続ける一人の青年。一心不乱に走り続ける。
 青年の名はジョセフ。腰に一振りの剣を帯び、片手に松明を持って走り続けていた青年は、ある辻で足を止めた。
 どちらを向いても同じ風景にしか見えない石造りの四つ角。
 その角の一つに顔を寄せる。新しい傷がかすかについていた。
「……こっちか」
 傷の始まっている方の通路へ、足を踏み出す。
 その時を待っていたかのように、何かが破裂するような小さな音が連続した。
 振り返ると、ジョセフのやって来た後方から、石組みの壁に設置された松明掛けに不気味な緑の炎が灯ってゆく――松明など刺さってもいないのに。
 不可思議な点火はちまちジョセフの立ち尽くしている四つ角まで来ると、三方に分かれてそれぞれ先の闇を切り開いて行く。
 ごくりと唾を飲んだジョセフは、ついさっきのことを思い出していた。


 地下牢に囚われていたジョセフ達衛兵数名と幾名かの村人、それに十数名ほどの傭兵達が引き出されたのは、地下の闘技場だか演劇場だかだった。全体の直径は5、60mほどか。四方に重々しい金属製の扉があり、中央に直径2、30mほどの石の舞台、周囲は観客席を兼ねた石段になっており、何十本かの松明が明々と燃え盛っていた。
 その観客席に、五つの影があった。
 その場の男達が皆思わず目を奪われた、長い黒髪、黒いシルクドレスの妖艶な女。
 熊のぬいぐるみでも抱えていた方が似合いそうな、黒いフリル服を着た十歳ほどの金髪の少女。
 立っているだけで妖しげな気配を撒き散らしている緑色の鎧騎士。
 見るからに頑強そのものの黒い鎧騎士。
 そして、静かに佇む細身の赤い鎧騎士。
 最初に口を開いたのは、観客席に座っていた妖艶な女だった。
 立ち上がり、席の一番前まで進み出てきた彼女は、薄笑いをたたえて言った。
「今から、お前達に逃げる猶予を与えてあげる」
 唐突な宣言に、ざわめきが広がる。
 女は心地好さげにその雑音を聞き流し、右手で大きく虚空を撫でるように広げて四方の扉を示した。
「ここは、伯爵様の城の地下に広がる迷宮の中心。四方の扉から好きに出て、好きに散らばりなさい。あたし達はそれを追い――お前達を狩る。狩られれば、どうなるか……言うまでもないわね?」
 にんまり悪女の笑みに歪んだ口元に、白い牙が覗く。
 再びざわついた。
「そうそう。人間は闇を見通せないものね。灯りはここから松明を持っていくといいわ」
「ふざけるなっ!」
 不意に、誰かが叫んだ。
「俺たちを逃がすつもりなんてないはずだ。出口なんかあるわけがない。誰が貴様ら化け物の楽しみのために、逃げてなどやるものか!」
 女の切れ長の目が、すうっと細くなった。冷気じみた気配が漂い始める。
「そう思うのなら、ここに残りなさいな。でも……ゲームをつまらなくした報いは受けていただくわよ」
「む、報いだと?」
「ええ。うふふふ……死なない程度に身体を切り刻んで、治る端から再び刻んであげましょうか? それとも、皮膚の下で蟲どもを蠢かせてやりましょうか? ああ……考えただけでもぞくぞくするわぁ……」
 なにやら妙に熱い吐息をついて自分の肩を抱き、身体をくねらせる。
 反発と罵声に彩られたざわめきに、怯えと囁き声が混じり始める。
「とーにーかーくー」
 閉鎖された空間に、幼い娘の甲高い声がきんきん響き渡った。観客席最上段に立つ、黒いフリル服の少女だった。
「あなた達に選択肢はなくてよ。ちなみに言っておきますけれど、わたくし達もまだここへ来て日が浅いから、この地下迷宮の全てを知っているわけではないわ。うまくいけば……逃げられるかもね」
 くすっと天真爛漫な笑みを浮かべる。それは悪魔の浮かべる、天使の笑み。
「では、始めましょう」
 黒髪の女の媚笑を含んだ声が、前ふりの終わりを告げる。
「あたし達がお前達を追いかけ始める合図は、通路の灯り。通路に掲げられている松明掛けに火が灯ったら、私達が動き始めた合図……それまでせいぜい、遠くへ逃げ延びることね。うふふふふふ……」
 女が手をかざすと、四方の扉が重々しく蝶番を軋ませながら開き始めた。
 囚われた者達は最初こそたじろぎ、戸惑っていたが、やがて一縷の――本当にわずかな希望にすがり、一人、また一人と松明をつかんで通路へと消えて行く。
 ジョセフもまた、松明をつかんで迷宮の闇へと身を躍らせた。


 ジョセフは再び道を進んでいた。あの地下闘技場だか、演劇場だかに連れて来られた道を、記憶を頼りに逆の順序で戻って行く。
 道標はあそこへ連れて行かれる際に、剣の柄頭で壁につけておいた傷。
 ほどなく、ジョセフは目的の地に着いた。通路の両側に鉄格子の並ぶ、地下牢。
 手前の空き部屋が先ほど閉じ込められていた場所だ。奥にはなにやら不穏な気配と唸り声……姿は見えないが、何かモンスターがいるらしい。
「……ここまで来れば……」
 少し躊躇して、しかし決然と奥へと踏み出したジョセフは、ふと背後に気配を感じて――……

 ―――――――― * * * ――――――――

「さて、ブラッドレイ司祭」
 居住まいを正したストラウスは、いきなり沈うつな雰囲気を吹き払うように手を打ち鳴らした。
 ゴンとシュラ、ミリアが驚いてストラウスを見ただけでなく、寝ているキーモまでが妙なひきつけを起こしたようにびくりと慄いた。
「過去のいきさつはわかりましたし、現状も正しく認識していただけたところで、本題に入っていただきましょうか」
 頭を抱えていたブラッドレイが、ふと顔を上げる。
「本題……? 何の話だね」
「伯爵と部下について。御存知なんでしょ?」
 ブラッドレイの目元に、一瞬引き攣りが走った。
「……聞いてどうする」
「決まってんだろ。もちろん――もがっ」
 横から口を挟もうとしたシュラの口が、彼の意思に反して急に閉じられた。
 隣で、立てた人差し指の先に不思議な燐光をまとわせたストラウスが、悪びれずに謝る。
「悪いね、シュラ。口を挟まれるとややこしくなりそうだし、ちょっと『クローズ・ロック』の呪文を掛けさせてもらったよ。しばらく黙ってて」
「む、むがーっ! むぐー!! むぐー!!」
 横から見ていると、歯を食いしばりながら何かを呻いているようにしか見えないシュラを無視し、ストラウスはブラッドレイに向き直った。わざとらしい愛想笑いを満面にたたえて、ぺこりと頭を下げる。
「失礼しました。――弱点がありそうなら、戦うのもいいんですが、あんまり強そうなら逃げようかな、と」
「……嘘をつけ」
 即座にブラッドレイは吐き捨てた。
「逃げる? 心にもないことを。その笑みを見ていると……アレフを思い出すよ。君達はあの食えない男の弟子だ。そんな連中の、そんな言葉を今さら額面通り信じると思うかね。先ほど出て行った傭兵同様、さらわれた者達を助けに行くつもりだろう」
 ストラウスは肩をすくめてみせた。
「ミリアさんの手前、違いますとは言えませんねぇ」
「む……」
 ジョセフの身を案じているミリアをだしにされ、表情が強張る。
 さらに、ブラッドレイが言い訳を口にする前に、ストラウスは続けた。
「ま、その辺はどーでもいいことです。教えていただけるのか、いただけないのか。そこんとこだけ、はっきりしてくださいな。教えていただけないなら、別の方策を探りますので」
 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたブラッドレイはしばらく考え込んだ末に、一つため息をついた。
「いいだろう。教えてあげよう。……そうすれば、君達がいかに強大な勢力と対峙しているか、理解できるだろう」
「助かります」
 ブラッドレイは窓の外に目を向け、もう一度深いため息をついてから話し始めた。
「……ノスフェル伯爵の部下のうち、名前がわかっているのは六人。一人は執事で、ワーウルフ(狼男)のジンジ=ロゲ。彼は――」
「それはもう倒しました。シュラが」
 ゴンが低い声でボソリと漏らした。
 隣でシュラも頷いている。
 ブラッドレイは不快そうに眉根を寄せたが、何も言わず話を続けた。
「――なら、残りの五人だが……ナーレムとノルス、デュラン、マルムーク、そしてネスティス。このうち、ナーレムとノルスはヴァンパイア、後の者はスペクターナイトだ。端的に特徴を言えば、艶っぽいのがナーレム、少女がノルス、緑がデュランで、黒がマルムーク、そして赤いのがネスティスだ」
 頷くストラウス。その脳裏にはマルムークとノルスの姿が浮かんでいた。
 ゴンとシュラの脳裏には、ネスティスの姿が。
 ブラッドレイは続けた。
「私が聞いたところによると、ナーレムは――」

 ―――――――― * * * ――――――――

 人が三人並んでなんとか歩けるほどの石の通路を、五人の男達がおそるおそる歩いていた。
 会話はない。先頭に立つ年かさの衛兵が、他の四人を引き連れていた。
 否、三人だ。
 他の四人が気づかぬうちに、最後尾にいた一人が姿を消していた。
 四人は、ただ前だけを見つめて緑色の炎に照らし出される通路を奥へ奥へと進んで行く。


 口を押さえられ、動きは肩から流れ込む冷気に封じられ、そのまま暗がりに引きずり込まれた男は、村でも自慢の力持ちだった。切り出した丸太を肩に担いで山を下りる様に、多くの賛辞が送られたものだった。
 だが今、その力は全く発揮できない。
 一行を背後からの敵から守るため、殿(しんがり)を申し出たというのに。
「ふふ……見ぃつけた……」
 聞いたこともないほど甘ったるい、ぞくぞく背筋が震えるような声に耳元で囁かれ、男の膝が砕けた。
 熊より凄い、と評判の背筋になにやら柔らかい物が押しつけられた。聴覚と触覚、二つの感覚が股間の男を呼び覚ます。
「……いただきまぁす……ふふ……」
 声を潜めているせいか、少しかすれたようなハスキーな声が聞こえた刹那、首筋でぶつりと皮膚の破ける音が聞こえ――男はビクビクとその巨体を痙攣させた。


 しばらくして、また一人一行から消えた。


 さらにまた一人。


 また。


 初老の衛兵が異変に気づいた時、既に背後に誰の姿もなかった。
 その顔が、見る見る強張った。
 背後に続くのは、緑の炎を両側に灯した冷たい石の通路のみ。
 まるで、最初から付き従っていた連中は影か幻だったのだと言わんばかりの静寂。
 恐怖のあまり声も出せず、ガタガタと震える男は、ふと背後から光の気配を感じた。
 振り返れば、確かに通路の先に明るい光が見える。
 男は、走り出した。靴音が響き渡るのも構わず、こけつまろびつ、光に向かって走った。途中から壁の灯火が消えたことも気づかず、たった一つの希望を信じて。
 しかし、その希望は光に近づくにつれ萎みはじめた。光は日の光ではない。少し青白い、魔法の光――
 それに気づいたとき、男はもう光源の間近まで来ていた。
 人の視線の高さに浮かぶ、光の玉。それを支えるようにしている人影。石組みの壁に背をもたせかけ、人待ちをしている風情の女。
 黒髪と黒いシルクのナイトドレスによって、顔から首元、そして手だけが仄白く闇の中に浮かび上がっている。
 女がゆっくりこちらに向く――前髪がぱらりとほつれ、切れ長の冷たい眼差しが男を射抜いた。
「あらあら……逃げなさい、と言ったのに、自分から来るなんて……おバカさんねぇ……」
 くすくす笑う声が、闇に反響する。男は抵抗どころか、逃げる気力さえも失ってその場にへたり込んだ。
「いいわあ……その絶望に満ちた表情……。とっても素敵。……感じちゃうわ……」
 興奮が押さえられぬ態で、紅の唇をさらに毒々しい赤の舌で舐めずり、自分の豊満な胸を掻き抱いて身体をくねらせる。
「でも、ごめんなさいねぇ……今夜はもうお腹いっぱいなの」
 ハスキーな甘え声とは裏腹に、その顔に浮かぶは――悪女の冷酷な笑み。その瞳が赤く邪悪に輝く。
「あなたには断末魔の悲鳴を聞かせてもらうわ。……さ、やっておしまい」
 白くたおやかな指を鳴らす。
 絶望と隠微な雰囲気に呆然としている男の背後から、彼が連れ立っていた四人の男たちが現れ――……

 肉を裂き、骨を砕く聞くに堪えない音と断末魔の絶叫が響く。
 と同時に、性的な興奮を伝える女の艶声が暗闇に吸い込まれていった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「――ナーレムという女は、男なら誰でも欲情せずにはいられない美貌と性的な魅力に溢れた肉体を使い、魅了して意のままに操ることを得意としておるそうだ。だが、その性格は冷徹にして情は酷薄。その色香に迷ったが最後、骨の髄までしゃぶり尽くされ、殺されるという」
 ブラッドレイは一息ついた。
「ま、その辺りはマイク=デービスの末路を見ればわかるだろう。彼はまれに見る自制心の強い男だったが……あの最期だ。年若い君達など……とてもかなうまい」
「つまり、マイク=デービスを惑わしたのはそいつ……」
 ストラウスは左の拳を右手に打ちつけた。
「そうだ。ミリアさんのお母さんから聞いた噂話……三ヶ月ほど前から夜な夜なデービスの館に出入りしているという絶世の美女とは、ナーレムのことだ。これであの屋敷の惨状も説明がつく。ヴァンパイアなら霧になって背後に忍び寄り、姿を現わすと同時に殺せば、最悪の場合被害者にさえ全く気づかれることなく皆殺しにすることも可能だ」
 ゴンも頷いた。
「相手が逃げたり抵抗しなければ、半時間もいらないものね……。元より勝手知ったる屋敷の中、どこに誰がいるかもわかってる……」
「後は暗示か催眠術でも使ってデービスを操り、身投げをさせたってとこだな」
 ようやく得心がいったように、何度も頷くストラウス。隣でそうするしか出来ないシュラも頷いている。
 ブラッドレイはストラウス達の言葉には興味なさそうに、話を続けた。
「次はノルス――ノルス=エル=シェッドラント……マーリン君とミリアが会った少女がそうだ。外見年齢は十歳ほどだが、その能力は普通のヴァンパイアとなんら変わらん。彼女は――」

 ―――――――― * * * ――――――――

 緑の灯火の並ぶ通路の彼方に、光が見えた。暖かい、上方から差し込む光。
 男二人に女一人、三人組の傭兵達は顔を見合わせ、頷きあって走り始めた。
 やがて、上へと上がる階段にたどり着いた。見上げれば、きらびやかな燭台に火が灯った広間のような場所が見える。明らかに地下からの出口だった。
「――おっそーい。もう少し早くたどり着くと思ったのにぃ。それに少ないぃ〜」
 幼い娘特有のキンキン声。
 階段に足をかけていた傭兵達は、咄嗟に身構えた。
 その行く手――階段の先に現れる影。黒いフリル付のドレスに身を包んだ、金髪の少女。
 表情を強張らせるよう兵達に、娘はにっこり笑って小首を傾げた。
「残念でしたぁ。ここはあそこから近い出口だし、絶対誰か来るんじゃないかと思って先回りしてましたの」
「貴様……」
 男二人が剣を抜き、ローブをまとう女が杖を構える。
「あらら、わたくしとやりあうつもりですの? ……まあ、気持ちはわからなくもないですけれど。何しろ、わたくしさえ倒せれば、出口はすぐここですものねぇ。ふふふ」
 物分りのよさそうな笑みを浮かべながら、一段一段階段を下りる。
 傭兵達は気圧されるようにじりじりと下がってゆく。
「ご存知? この地下通路はねぇ、伯爵様のご先祖様がここにお城を建てる前からあったそうですの。何でも、この近辺に住んでいたドワーフ達が造ったのだとか……。当の本人たちはこの迷宮を造り込みすぎて、奥の方へ引っ込んでしまったとか言う話ですけれど……もっと奥へ進んでいれば、逃げられたかも知れませんわね」
「うるさい。貴様を倒して、ここを出る。……仲間を連れずに来たこと、後悔するがいい!」
 言うなり、男は少女の胸に剣を突き立てた。階段の下から、心臓をえぐるように突き上げる。軽い少女は串刺しになったまま中空に掲げられる格好になった。たちまち、失禁したかのようにドレスのスカートの中からぼたぼたと体液が滴り落ちる。
「ぬ……?」
 あまりのたわいなさに、傭兵達は戸惑った。
「これで、終わりか……?」
「あっま〜い。わたくしにこんな普通の剣が効くと思って?」
 串刺しになったまま、少女はぴょこんと顔を上げた。にぃと底意地の悪い笑みを浮かべながら手を伸ばし、剣の柄を握る傭兵の手をつかむ。
 たちまち、その傭兵は動きを止めた。
「がっ……う…………ぐぅ……」
 異変に気づいた女が、素早く呪文を唱える。
「ブレイズ・バースト!」
 杖の先から放たれた炎の矢が少女に当たった瞬間、爆発した。剣を持った傭兵ごと巻き込んで。
 もう一人の男も、それについて何も言わず、爆発の範囲から身を退いていた。
「……あ〜あ、酷いことするのね、お姉さん」
 クスクス忍び笑いが闇に響き――魔法使いの杖を持つ手の手首から先が切り落とされた。
「ひぃ、ぎ…………ぎゃああああっ!!」
 尻餅をついた女の絶叫が響き渡る。噴きだす血潮が通路に落ち、粘着質な音を立てていた。
「クスクスクス……」
 再びどこからともなく響いてくる含み笑い。
「……大丈夫ですわ。もうすぐくっつきますから――それよりぃ」
 二人を見捨てて階段を駆け上ろうとしていた残りの一人が、ぴたりと動きを止めた。
 外の光をつかむかのように突き出した指先は、少しでも先へとばかりに虚空を掻く。
「ダメじゃない、お兄さん。仲間を見捨てちゃぁ……そんな大人はぁ……おしおき」
 ぶつん、という音と共に膝が砕けた。たちまち襲い掛かる浮遊感――男はバランスを失って階段を転がり落ちた。
「忘れものよぉ」
 右足の膝下に走る激痛、転がり落ちた拍子に受けた打撲に呻く男の背中に、何かが投げつけられた。
 緑色の灯火の下、男の前に転がるそれは――男自身の右足だった。
 もう声も上げられず、ただ脂汗にまみれてすぐ傍の、しかし永劫とも思えるほどに遠い光を見上げる。
 出口から差し込むその光を塞ぐように漂う霧が集まり、黒いフリルドレスの少女の姿になる。
 少女は逆光の中で、笑っていた。いたずらに引っかかった大人をからかうような、無邪気な笑顔で。
「……痛い? 痛いよねー。でも、しょうがないよねー。せっかく一緒にここまで来たのに、見捨てて逃げるような大人は、やっぱり罰を受けないとダメだと思うの」
 男の目に宿る怯えや恐れを楽しむように、ゆっくり首を傾ける。その口調は、興奮しているためか最前からの丁寧なものではなく、年相応の幼いものになっている。それが、さらに男の恐怖をあおる。
 裾の広がったスカートが少し上がったかと思うと、少女はその幼い体躯に見合わぬ怪力で反対側の膝を踏み潰した。
 もはや声もなく苦悶に身をよじる男の両肩も、次々と。顔色一つ変えず、作業的に。
「これが罰だと思っちゃダメよ、お兄さん。本当の罰はこれから……後の二人はわたくしの配下になってもらうから、あんな傷すぐに治っちゃうでしょうけど、あなたはこのまま放置してあげる」
 その時、魔法使いが背後から自分の手がつかんだままの杖を逆の手で握り、襲い掛かった。
 しかし、振り返りもせずに躱した少女は、その腕を握るや、まるで小枝でも折るかのように軽くへし折った。さらに暴れる女を力づくで目の前に座らせ、その首筋に牙を突き立てる。
 一瞬、目を剥き、開けた口をわななかせ、呼吸を止めた女……その首筋から溢れる血潮、それをすする音……。
 やがて、魔法使いの瞳から魂の色が消えた。深い闇に落ち、生気を失った瞳は閉じられることなく……女は恍惚の表情を浮かべたまま崩れ落ちた。
「――でも、あなたのその生への執着は褒めてあげる。だから、ここから出て行くのは許してあげるわ」
 口許を血で汚した少女は、何事もなかったかのように両手足を潰された男に話を続けた。
「もっとも、そんな格好でこの階段を這い上がれるなら、だけど」
 聞いているのかいないのか、目を見開いたままひゅうひゅうと呼吸を繰り返し、ただ階上の光を見つめ続ける男にくるりと背を向ける。
 生きたまま焼かれ、消炭と化して倒れ伏しているもう一人の男に向かいながら、少女はぼそりと漏らした。楽しそうに。
「……まあ、ここを出ても話の通じない門番達が待っているんだけど」

 ―――――――― * * * ――――――――

「――彼女は、私が友人のつてで聞いた話では、五人の中では一番残忍・残虐で容赦がない。年相応の無邪気さと怖いもの知らず、そして感情の抑制が下手なゆえにな」
「子供かぁ。しかし、いくら処女がいいといっても、まさか十歳の子供にまで手を出すなんて……伯爵って、ロリコン?」
 ストラウスとシュラは顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
 しかし、ブラッドレイは面白くもなさそうに答えた。
「彼女は貴族のような名を名乗っているが、元はある村の孤児だ。名前は伯爵から与えられたらしい」
「はぁ、孤児……ですか」
「そうだ。アモン=ロードの知り合いに聞いた話では、ノルスは伯爵が向こうにいたとき、ある村から伯爵に差し出された生贄だそうだ」
「生贄……」
「村の安全のための貢ぎ物だ。よくある話だよ」
 頷くストラウスの向こうで、シュラの目が薄暗く光った。表情が消えている。
 それに気づかず、ブラッドレイは続けた。
「わかるかね。私達がやっていることは、どこでもやっていることなんだ。それで安穏な村の生活が確保できるんだ。それでいいじゃないか。税金の代わりに乙女を一人、差し出しているだけだ。それを正義の味方面した連中がやってきて、事情も知らずに引っ掻き回す……迷惑だよ。この上なく、な」
「…………っ! …………っ!!」
「まぁまぁ、その辺りのことは後でゆっくり」
 今にも飛び掛りそうなシュラを、そっと手で制しながら、ストラウスはブラッドレイをなだめにかかった。
「ともかく、あと三人の騎士の方を……そもそも、亡霊騎士(スペクターナイト)ってなんです? 私の知識の中にはないんですが。亡霊(スペクター)ならよく知ってるますけど」
 言いながらゴンのほうをちらりと見やる。しかし、ゴンは無言で首を横に振った。
「基本的にはスペクターだ。違うところは、主人を持つことか」
 ブラッドレイはふっと息を吐いて、話を続けた。



【次へ】
    【目次へ戻る】    【ホーム】