愛の狂戦士部隊、見参!!

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第四章 混迷 (その2)

 当時、ミア地方を治めていたのはカイゼル=フォン=ノスフェル伯爵だった。
 ノスフェル家は代々ミア地方を治めていたが、彼ほど厳格な領主はいなかった。
 飢饉で国王が税の減免を決めたときも、彼はそれを受け入れず、あまつさえその減免分を自らのものとしてしまうほどだった。
 とはいえ、金の亡者であるとか、贅沢を極めていたというわけではない。
 カイゼル=フォン=ノスフェル伯爵は、いわゆる専制君主だった。
 おそらくは、ミア地方の自治独立……いや、ひょっとしたらミアからレグレッサを征服しようとさえ目論んでいたのかもしれない。それほど野心に燃える男だった。残念ながら、その野心に見合う配下や環境には恵まれてはいなかったが。
 アレフとの最高司祭位争いに敗れたブラッドレイが、ミアに赴任してきたのは今から十二年前。
 赴任の挨拶うかがいに伯爵の古城を訪れたブラッドレイは、謁見の間においてノスフェル伯爵と初対面した。
 玉座を模した椅子に座り、肘掛にふてぶてしく頬杖をついたノスフェル伯爵はしかし、一見しただけでその内に秘めたる精力と燃え盛る野望を感じとれるほどの人物だった。
 玉座すら狭く見えるほどの堂々たる体躯、白ではなくまさしく銀色の髪、五十代には見えぬ肌の張り。そして、自信と不満に満ちた――檻に囚われた野生の猛獣のような――厳しい表情。初対面の相手を炯炯と輝く眼で睨めつけ、相手の器量を見極めようとする眼差しを隠しもしない。
 ノスフェル家当主は代々魔道士と聞いていたが、この現当主にはむしろ戦士や闘士という表現の方が相応しく思われる。
「ふん。都落ちの生臭坊主が何をしたとて、ミアは変わらぬわ。布教は構わぬが、わしの邪魔をするな。いらぬお節介を焼けば、貴様はより早く神の御許とやらへ行くことになる」
 当時、少々やさぐれていたブラッドレイは飄々として答えた。
「どうせ仰るとおり、都落ちの身。それもよろしゅうございますな」
「……………………わしを恐れぬか」
「伯爵の悪名は遠くグラドスまで響いておりましたゆえ、この程度のことはあろうかと。ま、何をなさろうと私の知ったことではありませぬが、これだけは言っておきましょう」
「ほぅ……なんだ。言うてみよ」
「神の力だけは恐れなさいませ。レグレッサ王家の力はたかだか南の海からこの山の向こうまでですが、神の勢力は世界の隅々にまで広がっておりますからな」
「くく……わしを脅すか。生臭坊主め。面白い」
 無愛想に言い放ったブラッドレイに、銀髪の伯爵は頬を歪めて笑った。
「よかろう。では、わしからの赴任の祝いを与えよう。うぬには布教の自由の他に、言論の自由を与えてやる。今後、どこで何を言おうとその言葉だけでうぬを罰することはせぬ。わしの悪口でも何でも、あることないこと好きなだけ吹聴するがいい」
「ほぉ……豪気なお祝いですな。ありがたくお受けしましょう。しかし、よろしいのですかな? そのような自由……私が村人を扇動し、あなたを打ち倒す端緒になるやもしれませぬぞ」
「やれるものならやってみるがよい。くっくっく……その時には、言論の自由などというものがいかに無力か、思い知ることとなろう」
 不敵な含み笑いを残し、ノスフェル伯爵は玉座を立った。マントを翻し、奥に姿を消す。
 ブラッドレイは呆れたようなため息をついて、その後姿を見送った。

 一見並び立つかのような初謁見。しかし、ブラッドレイは後に思い知ることになる。ノスフェル伯爵という男の恐ろしさと、底知れない権力への渇望を。

 ―――――――― * * * ――――――――

 そして一年が過ぎ、二年が過ぎたものの、ブラッドレイがノスフェル伯爵に対して反旗を翻すことはなかった。
 常に貧しく、人買いが横行する悲惨な地方ではあったが、その原因が必ずしもノスフェル伯爵の政治手法そのものに根ざしているわけではなかったからである。
 ミアで暮らし始めてまずわかったことは、この地方の気候風土の厳しさだった。
 厳しく長い冬に、短い夏。故に育つ作物の種類も少なく、収穫高自体も少ない。森は多く、平地が少ない故に耕作地を広げることもままならず、主たる産業である木材の切り出しにも、僻地ゆえ頻繁に出没するモンスターや限られた運搬手段により苦労する状況に置かれていた。
 そんな状況でも、伯爵は税の軽減を一切行わなかった。
 その理由は、治安維持のためだった。出没する山賊、野盗、人さらい……それら犯罪者を検挙・排除するために、ミア地方は辺境としては飛び抜けて高水準の治安組織を備えていた。また村を襲うモンスターに対応する組織さえあった。
 治安組織は一方で税の取立てにもその力を発揮していた。税の取立ては情け容赦のない厳しいものではあったが、しかしその実、決して伯爵の私腹を肥やすためではなかった。
 ノスフェル伯爵は徹底して公私混同しなかった。集めた税を伯爵家の財産として使わぬ代わりに、伯爵家の財産を以って税の不足に代えることもしなかった。また、犯罪者は身内であろうと旅人であろうと容赦なく断罪した。公私の別も貧富の差もない証として、妻でさえブラッドレイが赴任してくる以前に斬首で命を落としていた。
 村人は伯爵を怖れながらも、尊敬の念を抱いていた。

 それが、ブラッドレイがグラドスで聞いた話からでは全く想像できなかったミアの実像だった。

 とはいえ、伯爵の統治力にも限界があった。
 そもそも、伯爵の目的は良き統治ではなく、強力な権威と権力の掌握にあった。その野望を達するために、彼がどこで道を誤ったのか、ブラッドレイには知る由もない。ブラッドレイが出会った時には既に魔界へ踏み入れていたのか、それともその後のことなのかさえ。
 ともかく伯爵はより強い力を求めて禁断の秘術に手を染め、転生した。闇の王とも呼ばれるヴァンパイアに。

 一方、新任の司祭は苦労していた。
 ブラッドレイに農作業の知識はない。都会生まれの都会育ちゆえに、山に分け入る知識もない。もちろん経済活動の知識はあるが、交易都市から遠く農林業が基本のこの寒村地方では、民を導く力とはなりえない。結局、ブラッドレイにできるのは一人の司祭として村人達の間に溶け込み、その精神的な支えになることしかなかった。
 それゆえ、ブラッドレイの役目は自然と伯爵と村人の間に立って調整をする立場、という形に落ち着き、やがて信頼を得てゆく。それに伯爵から与えられた言論の自由の保障と、モーカリマッカ神の力から来る金回りの良さが役に立ったことは言うまでもない。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ブラッドレイがそれに気づいたのは、ミア地方の中でもさらに外れのミンク村からの音信が途絶えたという話を聞いてからだった。
 村々を巡回して教えを広めていたブラッドレイが、不吉なその噂を聞いて訪れたとき、すでに村は滅んでいた。
 ミア地方の中でも最も貧しいその村に村人の姿はなく、ただ放棄された生活の場がそのまま残されていた。姿を消す寸前まで変わらぬ生活が営まれていたことを感じさせる廃墟というのは、実に異様な光景だった。

 続けてほぼ同時期に、次々と変異が起きた。
 各地で行方不明者が増え、伯爵が姿を現わさなくなり、治安組織が姿を消した。村々を守る者はいなくなった。
 治安が見る見る悪化し、モンスターが跳梁し始めた。しかも、ゾンビ(動く死体)やスケルトン(動く骸骨)、ゴーストやスペクターなど、闇に属するモンスターが頻繁に出没し、村人を襲った。

 そんな中、ブラッドレイはただ一人、面と向かって伯爵に意見できる者として、村の有力者とともに古城を訪れたのだった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 出迎えたのは、荒れ果てた古城の風景と無数の死者の群れ。
 ブラッドレイは神より授かりし司祭の力により、生ける屍どもや甦りし亡者どもを退け、何とか有力者たちを守りつつ謁見の間までたどり着いた。
 そして、そこで見た。変わり果てたノスフェル伯爵の姿を。
 全ての窓に光を通さぬ分厚いカーテンを下ろし、玉座に座するノスフェル伯爵――異様に白い肌。赤い唇。以前より狂気を増した瞳。
 ブラッドレイは瞬時に理解した。何が起きたのかを――いや、漠然たる予想が現実となってしまっていたことを。
 恐れおののき震え上がる村人を背に、ブラッドレイは恐れを見せずノスフェル伯爵と対峙した。そして、要望をぶつけた。
 村人がモンスターに襲われて困っている。何とかして欲しいと。
 対して、初めて会ったときのように肘掛に頬杖をついた姿勢で、伯爵は興味なさそうにこう答えた。
「……うぬらを従えるのは、もはや飽いた。われの求めるものを得るに、うぬらは邪魔でしかない。いっそ、滅ぶがいい」
 背後で絶望の嘆息を漏らす村人。恐れと絶望のあまり、腰を抜かしてへたり込む者もいる。
 だが、ブラッドレイは動じずに返した。
「私もこの二年で、少々難儀な役目をいただいている。そのような物言いに、素直に従うわけにはいかん」
「ほほう……よそ者の分際で、命を懸けて愚民どもを守るか。見上げた、そしてあまりに安っぽい正義感だ。愚か者め」
 にぃ、と頬笑む唇の端から、鋭くとがった犬歯がちらりと見えた。そして、伯爵が身じろぎ一つしていないのに風が吹いた。浴びているだけで心底から凍えるような魔風が。
 吹きつける魔風をものともせず、ブラッドレイは少し目をすがめた。
「愚か者か。まったく、私もそう思うよ。だが……私とて何の考えもなく、この場に来ているわけではない。当然、こういう状況も一応、予想していた」
「ほぅ……?」
 伯爵の笑みが変わった。何かを期待するかのように頬杖を解き、身を起こす。
「うぬが、何をするというのだ?」
「これ以上村人に無体を働くなら、私は戦わねばなるまい。それは伯爵にもわかるだろう」
「ふふん、わしに勝てる気か。【転生体】たるわしに、貴様一人で」
「……いや」
 ブラッドレイは首を振った。
「勝てはすまいな。しかし傷つけ、力を削ぐことは出来よう。もしくは、そちらが揃えつつある戦力のいくばくかを削ることもな。それだけでも、野望達成の遅れ、いや綻びには十分だろう。まして、転生したてでまだ心身ともに安定せぬ時期。この時期に事を構えるのは得策ではあるまい?」
「……その口ぶり……うぬはこのわしと取引をしようというのか」
「何もなければよい、というのはどちらも同じ事。取引ではなく、取り決めをしようというのだ」
「……くく、面白い」
 伯爵はどっかり玉座の背もたれに背を預けた。
「聞くだけ聞いてやろう。うぬに言論の自由を与えておいたからにはな。……言え」
「では……」
 ブラッドレイが出した取り決め案は以下のようなものだった。

1.ノスフェル伯爵は以後もミア地方の領主として振る舞い、村人が逆らわぬ限りは、直接・間接に関わらず意味もなく村人に危害を加えぬこと。
2.ノスフェル伯爵は村人を周辺諸領と事を構える際の戦力とせぬこと。
3.村人はノスフェル伯爵の支配を受け入れると同時に、伯爵を怖れ、敬い、その命に従うこと。また、その配下の者にも決して逆らわぬこと。
4.村人はノスフェル伯爵の命に従い、定められた期間に一人、生贄の乙女もしくは少年を差し出すこと。

 提案を聞き終わるなり、ノスフェル伯爵は侮蔑しきった鼻笑いを返した。
「つまり、服従するから殺さないでくれ、ということか」
「それ以上を望む者はおるまいし、それ以下では意味がない。条件の駆け引きをするつもりはない。元々、私の後ろを見ればわかるように、村人には伯爵と事を構えるだけの気概も勇気もない。ただ、自分たちの生活を守りたいだけだ」
 ブラッドレイの背後では、へたり込んだ村の有力者がブルブルと震えながら交渉の行方を見上げている。
「私は正義の味方ではないし、それを信じるほど若くもない。少ない犠牲で多くの者の命と生活が守れるなら、それもありだと考える。そちらとしても、わざわざ村人を滅ぼす手間暇をかける必要は、どこにもないだろう。例え造作もないことだとしてもだ。……簡単なことだ、配下に村人を襲うなと命じてくれればそれでいい。よそ者のことまでは知らん」
 伯爵はすぐには応えず、しばらく黙り込んだ。
「……ふん。その提案をわしが飲んだとして……いつまでもそれを守ると思うのか? わしの力が安定し、うぬなど木っ端のごとく粉砕できるようになったら、もはやバカ正直にその約定を守る保証はない。それでも、その取り決めを結ぶと言うか?」
「伯爵からこの取り決めを破ることはない、と私は信じている」
「ほほう……なぜだ。転生前のわしが領主だったからか」
「いや、あなたは今も、以前も変わらず貴族だからだ」
「ほう」
 ノスフェル伯爵の顔つきが少し変わった。嘲りの色が少し薄れる。
「下賎の者と結んだ約定を一方的に破棄するような貴族など、貴族の名に値せぬ。違うか」
「そうだ。破ることなど造作もない下賎の者との約定だからこそ、守り続けることで貴族の器と誇りが試される……くくく、そこまでわかっておるか。さすが、わしが見込んだクソ坊主だけのことはある。よかろう。うぬの提案、飲んでやろう」
 たちまち、ブラッドレイの背後で一斉に控えめの感嘆の声が上がった。
「だが、生贄の件は領主として一つ言わせてもらおう。期間は決めぬ。わしが欲しい時に欲しい者を奪う。その邪魔をするな」
 ぴたりと安堵の声がやんだ。
 ブラッドレイも表情で難色を示す。
 伯爵は嘲笑を村の有力者に向けた。
「どうせそこのクズどものことだ。生贄一つ出すのでも村同士の争いになりかねん。それでは意味がなかろう。領主としては、領内の融和を図らねばな?」
 くっくっく、と愉快げに喉を鳴らす。
「わしが選ぶのであれば、誰を生贄に出すか争わずともよくなる。その上、わしに対する恐怖を共有することになる」
「確かに……それは……」
「見損なうな、ブラッドレイ。わしとて見境なく乙女狩りをするほど愚かではない。それほど貪欲でもなければ、暇でもない。それを信じられぬというのなら、はなからこの交渉は意味をなさぬ」
「そうだな……わかった」
 きっぱりとブラッドレイは頷いた。
「そちらの言い分を飲もう。もとより、こちらにはそれを拒否するだけの材料などないのだから」
「よかろう。では今の約定、ノスフェル伯爵家の名において、うぬらから破棄せぬ限り守ると誓おう」
 にぃと笑う伯爵。
 対して、司祭は印を結んで頭を垂れた。
「では、私はモーカリマッカの名において誓おう」
 司祭の背後では、村の有力者達も見よう見まねで印を結んで頭を下げている。
 話は済んだ。玉座からのっそり立ち上がった伯爵は、ばっさりマントを翻してブラッドレイを見下ろした。
「ブラッドレイよ。以後領民に命を下す時は、うぬを通じて出すこととする。領民のわしへの直訴は禁ずる。……もっとも、うぬ以外の者が直訴に来たとて門番どもに八つ裂きにされるだけだろうがな」
「心得た。皆にはそう注意しておこう」
 伯爵の言葉に頷いたブラッドレイは、へたり込んだ老人たちの肘を引き上げて、立たせた。
「さあ、皆様。話は済んだ。立たれよ。村へ帰りますぞ」

 ―――――――― * * * ――――――――

 そして――半年後。彼らがやって来た。
 どこで聞きつけたのか、正義の味方気取りの四人組が。
 宮廷大魔術師スターレイク=ギャリオート。
 モーカリマッカ最高司祭アレフルード=シュバイツェン。
 そして見知らぬ戦士と、二十歳にもならぬ黒装束覆面姿の不気味な少年。
 伯爵の部下を蹴散らし、ブラッドレイの懇願を無視し、伯爵の住まう古城へと山道を攻め上る四人。
 ブラッドレイは村の若い衆を引き連れ、その前に立ちはだかった。
 辺りは深い針葉樹の林。上空では雷雲が不気味な唸りをあげ、時折白い閃きが世界を照らし出す。轟く雷鳴は大地を震わせるほどだった。
 山道で睨み合う一行。
 ブラッドレイは四人に対して、決然と言い放った。
「君達の行為は、我らミアの民にとって迷惑以外の何者でもない。我らは伯爵と約定を結び、平穏を手に入れた。これ以上かき回してくれるな。グラドスへ帰ってくれ」
 応えて進み出てきたのは永遠の仇敵、金髪の若き最高司祭――アレフルード=シュバイツェンだった。
「ブラッドレイ、お前は何もわかっていないようだな」
 ブラッドレイより二十近く年下の若者は、苦々しげに吐き捨てた。
「なに?」
「我らが何ゆえここまで来たか……お前達の平穏など、知ったことではない。お前達を救うために来たのでもない。我らはレグレッサという国のために来ている。【転生体】ヴァンパイアを放置すれば、いずれその影響は流行り病のように国を冒してゆく。そうなる前に、取り除く」
「……我らの平穏など知ったことではない、だと? ふざけるなっ!」
 ブラッドレイは、背後の若い衆同様いきり立った。
「この貧しき寒村に住む者の必死の努力を、苦渋の決断を、踏みにじる権利が貴様らにあるのか、アレフ!」
「必死の努力だと?」
 侮蔑の笑みがアレフの頬に刻まれた。
「必死と言うなら、死ぬほどのことをしてみたのだろうな。単に流れ易きに流れただけではないのか? 自分たちを哀れみ、犠牲者を悼んで、それで何かをした気になっているだけなのではないのか?」
 痛烈なその物言いに、若者達はもはや我慢の限界だった。次々に得物を抜く。
 アレフは鼻先で笑って、ウォーハンマーをドン、と逆様に立てた。その柄頭に両手を重ねて乗せ、鋭い眼差しで若者達を睨めつける。
「……必死と言ったのだ。どれほどのものか見せてもらおう。言っておくが、我らに歯向かうはレグレッサ王国に歯向かうも同じ。我らが奴を退治したあかつきには、お前達は反逆者だ。死罪となる覚悟があるなら、来い」
 アレフの背後では、スターレイク=ギャリオートがのんびりアクビをしていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 勝負は瞬く間に――いや、それは勝負などと呼べるものではなかった。あまりに一方的な敗北。
 まず、アレフが動きを止める魔法『マス・ホールド』を放ち、ブラッドレイ以外の者が動きを止められた。
 アレフに挑んだブラッドレイは腹部を一撃殴られて倒れ伏し、若い衆はその後一人一人アレフに何事か罵られながら、拳で殴り倒された。
 一行全員を叩きのめしたアレフは、そこら中で呻く人影を一通り振り返って吐き捨てた。
「ふん。笑わせるな、何が必死だ。……顔は覚えた。事が終わり次第、お前達を国王の御名において処刑する。死ぬのが嫌なら、我々が負けることを祈るか、さっさと山を降りてどこぞへ逃げるんだな」
 そのままウォーハンマーを肩に担いだ背を向け、城門へと続く山道を進んで行く。他の三人は既に先行していた。
「……なぜだ……なぜ、私は奴に勝てない……」
 遠ざかる鎧の背中を睨み上げ、力の入らぬ下半身を叱咤しながらブラッドレイは呻いた。呻くしかなす術はなかった。
「アレフ、お前がしようとしていることは……村のためにならん……。くっ……所詮、よそ者のお前などに……我々の苦渋の選択など……」
 そして、意識が暗闇に落ちた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 気づいたとき、戦いは終わっていた。
 モーカリマッカ神殿で目覚めたブラッドレイは、村長から事の顛末を聞いた。
 あれから丸一日が経っていること。
 伯爵があの四人に破れてミアを去ったこと。
 伯爵の部下の吸血鬼と化していた私設治安部隊も、ミンクの村の住民も、その他のさらわれた人々も全て退治されて塵と化したこと。
 あの四人が既にこの地を去ったこと。
 結局何の沙汰もないこと。(宮廷大魔術師のスターレイク=ギャリオートが、伯爵に操られていたことにしてくれたらしい)
 新しい領主と国王派遣の衛兵隊が来ること。
 そして――ミア地方全体で今回の件を全て封印し、忘却の彼方へ押しやることも決まっていた。
 ブラッドレイは屈辱に唇を噛んだ。
 自分は何も出来なかった。またしても、アレフに全てのいいところを奪われてしまった。しょせん自分は、卑小で卑屈で臆病者の卑怯者にすぎないのだと、思い知らされた気分だった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 それから十年。
 全てはうまく行っていた。
 国王の格別の計らい(おそらくはアレフとスターレイクによる何らかの助言があったと推察される)で税の軽減などもなされ、村人の努力により耕作地が広がり、収穫物や伐採木材の効率的な運搬方法や販売経路も確立され始めた。
 良好な天候が続き、ミアの経済状況は徐々にだが好転し始め、村人の暮らしぶりは確実に向上し、人買いの風習も消えた。
 新しい領主にも、新しい治安組織たる衛兵部隊にも馴染み、人々は暗黒時代を忘れ、今を謳歌していた。
 ようやくミアの地が、人々の意識の上でもレグレッサ王国の一地方として統合されようとしていた。

 ――だが、奴が戻って来た。
 より強い力を得、より強い意志をみなぎらせ、より凶悪な部下を引き連れて。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ノスフェル伯爵が凱旋を目論んでいるらしい、という噂自体は、ガイア山脈の向こうアモン=ロード帝国内の司祭仲間から連絡を受けていた。彼が現在引き連れている部下の情報も、手に入っていた。
 アレフに知らせるか否か迷っているうちに、赤い鎧騎士が現われ、十年来使う者のなかった古城に招待された。
 そこで再会したノスフェル伯爵は、もはや魔王と呼べるほどの強大な存在になっていた。彼の前に立った段階で抗う術などないことを、その圧倒的な威圧感と噴き出すがごとき瘴気によって理解せざるをえなかった。
 ブラッドレイはその場で部下の紹介を受けた挙句、十年前の約定がいまだ続いていることを再確認させられた。
 それは一種の儀式だったのだろう。お互いの力関係と立場をブラッドレイに認識させるための。
 そして、ブラッドレイは膝を屈した。他に道はなかった。……十年前のあの時と同じく。

 それが、四ヶ月前。
 こうして再び、ミアは伯爵の支配に落ちた。ブラッドレイ以外の誰にも気づかれることなく。
 唯一の反抗は、目の届く限りの乙女に良縁と婚前交渉を進めることで領内の処女を一掃し、なるべく村人から犠牲者を出さぬようにすることだけだった。


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