愛の狂戦士部隊、見参!!

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第四章 混迷 (その1)


 閃く白刃の輝きが一体の彫像を闇の中に浮かび上がらせる。
 彫刻の名はネスティス。玉座のある謁見の間で闇の中に一人で沈み、窓から一瞬ごとにきらめく稲妻を見つめていた。
 儚さを秘めた繊細な輪郭が、何度も白と黒の狭間に浮かび上がる。しかし、その双眸には何も映ってはいない。
「――ネスティス、帰ってきておったか」
 地獄から響いてくるかのような声。
 振り返れば、漆黒の闇に同化するようなマントを翻し、ノスフェル伯爵が現れるところだった。
「伯爵様……」
 窓の外で白刃が閃き、伯爵の口許にこびりついたわずかなぬめりが光る。
 ネスティスの目が、わずかに細まった。そのまま、膝をついて頭を垂れる。
「あのクリスという娘、なかなかに元気がよい。正気に戻してやると泣き叫びよる。くっくっく、久々に血が滾りおるわ」
 楽しくて仕方がないようだ。珍しく全身から喜気を発している。
「………………」
「それはそうと、奴らをどうした? 殺したか」
 確認する口調ではない。予想を口にしただけだ。
「いえ」
「ほほう、うぬでも奴らはてこずったか?」
「少々不覚をとりはしましたが、殺せぬことはありません。ただ……」
「ただ、なんだ?」
 ネスティスは一瞬口ごもった。
「ただ……気分が乗りませんでした。それに、ブラッドレイも帰ってきましたゆえ」
「ふむ……。確かに奴まで追い込んでは元も子もない。よくぞそこで退く決断をした。褒めてつかわす」
「ありがたき幸せ」
 ネスティスはいっそう頭を低く垂れた。
「しかし、『気分か乗らぬ』か。うぬもなかなかしゃれた言い回しを使うようになったではないか。ふはははは」
 揶揄して笑い、マントを翻して玉座につく。
 ネスティスも玉座の前に移動し、再び膝をついて臣下の礼を取った。
「伯爵様、それよりも。連中はこの城へやってくるつもりのようです」
「ふん、身の程知らずどもめ。師匠を呼びたくはないか。愚かな……よい、遊んでやれ」
「御意」
「――お楽しみを抜けがけして独り占めですの? やはり、伯爵様一番のお気に入りですわね。本当に、憎らしいほど取り入るのがうまいこと」
 淫靡な含み笑いを伴った女の声に、ノスフェル伯爵は目線をネスティスから上げた。
 ネスティスは動かない。
 謁見の間の正面大扉の脇に女が立っていた。成熟した女の体のラインをさらに強調する黒いシルクのナイトドレスを身にまとい、剥き出しの肩にショールをかけている。
 女はノスフェル伯爵の視線に気づいて、艶然と微笑み、ナイトドレスの裾を広げて頭を下げた。
「伯爵様、ナーレムもお与えいただいた役目、しっかりと果たしてまいりましたわ。ご褒美はいただけませんの?」
「ナーレム姉さまも抜け駆けはずるいですわ」
「あら、ノルスも帰ってたの? マルムークは?」
 どこから入ってきたのか、黒いフリルだらけの服の少女が、ナーレムとは反対側の扉の脇から現われた。
「マルムークなら今、連れて来た者達を地下の牢獄へ連れて行かせましたわ。今夜はお楽しみですわね」
 くすり、と――少女らしからぬ媚笑を浮かべたノルスは、ノスフェル伯爵にスカートの裾をつまんで挨拶した。
「伯爵様、ご機嫌麗しゅう。ノルスもお役目を果たして参りましたわ」
 そして、腕を組んで得意げに胸を張った。
「ま、あれしきの役目を果たすことなど、造作もありませんけれど。ねぇ、お姉さま? だって、わたくし達はどこかの血も吸ってもらえない半端者の女騎士様とは違って、直接伯爵様の愛を受けているんですもの」
 目を細め、心地好さげに蛇のような笑みを浮かべるナーレム。
「本当にね――あなたもそう思わなくて? ねぇ、ネスティス?」
「………………」
 ネスティスは答えない。二人を無視するかのようなその沈黙に、二人の女の表情に険悪な引き攣りが走る。
「御二方、ネスティス殿を揶揄するのはそこまでにいたしませい」
 ネスティスと背中合わせになるように、床からぬっと姿を現わしたのは全身鎧の騎士だった。灯りがあれば、その鎧は緑色に輝いて見えたことだろう。
 ナーレムの目が細まる。獲物に狙いを定めた蛇のように。
「……デュラン? あなた、ネスティスの肩を持つの?」
 デュランは肩をすくめた。
「肩を持つも何も。ネスティス殿は何もしておられぬではありませんか。なにゆえ目の仇になさる」
「何もしてないくせに、伯爵様の寵愛を受けているのが許せないのよ。実体もない半端者のくせにっ! あんたも同じよ、デュランっ!」
 ノルスがきんきん声で嫉妬丸出しに叫ぶ。
 それでもネスティスは彫刻のようにその場で膝をついた姿勢を崩さない。
 デュランはため息をついた。
「やれやれ。次は私ですか。御婦人方の嫉妬とは、げに理不尽で恐ろしきものですな。私はただ、伯爵様の前でこれ以上の無様なやり取りは収められませ、と忠告しているのですよ。第一、いつも言っているようにネスティス殿は我らの中では一番の古参。重用されて当然ではありませぬか」
「納得いかないわっ! わたくしやお姉さまの方が、ずっとずっとずぅ〜〜っと、伯爵様に近いんだからっ!!」
「ですが、御自分たちで言い出した『闇の軍団結成』計画も頓挫し、伯爵様の御名に傷をつけたのも事実。褒美をおねだりになる前に、そのことを反省し、処分を下されぬ伯爵様の寛大な御心に感謝なさるべきでありましょう」
「う……」
「あう……」
 途端に二人は黙り込んで、視線をそらした。
「それにナーレム殿、私からも苦言が一つございますぞ。あれはあまりではありませんか」
「あれ? あれとは? 何のことかしら?」
 ナーレムは怪訝そうに優美な眉を寄せ、デュランを見た。
 デュランは心底つまらなさそうに、大きくため息をついた。
「あなたが切れ者と評した男ですよ。もう少し骨のある相手かと思うていたが……全くお話にならなかったではありませぬか。剣の腕など、護衛の者の方が立ったくらいです。今後、あのような者の始末ごとき、私ではなくマルムークにでも命じていただきたい。わたくしは――」
 すらりと剣を抜き放ち、まっすぐ立てたそれを真っすぐ前に突き出して見せる。窓の外で閃いた稲光が、剣の刃に弾けた。
「わたくしはロンウェルの亡霊騎士。強き者と立会い、それを打ち破ることのみが望みゆえ。小物は眼中にありませぬ」
 その時、窓の外でひときわ大きな雷光が閃いた。一瞬送れて雷轟が空気を震わせ、デュランの声を掻き消されそうになる。
「……もう、よい」
 ようやく重々しく城の主が口を開いた。デュランは慌てて剣を鞘に収め、ネスティスの後ろで膝をついた。
「ネスティス。こやつらがやる気であれば、うぬが出るまでもない。うぬは最後の砦として、いつものごとく控えておれ」
「御意」
 静かに頭を下げるネスティス。ナーレムとノルスはお互いに手を取り合って喜んだ。
「デュラン。うぬも行くがよい」
「は? わたくしもでございますか。しかし……しょせんは小物でございましょう? マルムークの方が適任かと」
 珍しく難色を示したデュランを咎めず、ノスフェル伯爵はにんまり笑った。
「案ずるな。十年前、わしにこの傷をつけた者――」
 伯爵の指は、額に空いた孔――遠目にはほくろに見える――を指差していた。
「その者の弟子がおる。確か……シュラとか言ったか。なかなか面白い曲芸を使いおる。油断したとはいえ、変身したロゲを惨殺し、わしの右腕を奪いおった」
「伯爵様のっ!?」
 叫んだのはデュランだけではなかった。後方にいたナーレムとノルスも恐怖に顔を歪めて、同じセリフを叫んでいた。
「どうだ。うぬの暇潰しには最適の相手であろうが?」
「伯爵様のご推奨とあらば、もはや何の異存もございません――今から楽しみでございます」
 言葉通りの喜びをあらわすかのように、ヘルメットの奥で目にあたる部分がより赤く光を増した。
「では、後は好きにするがよい。だが、うぬらにこれだけは厳命しておく」
 ノスフェル伯爵は玉座から立ち上がった。
「連中は、十年前わしをこの地より追いやった者どもの弟子だ。その素っ首は首都グラドスに送りつけるゆえ、なるべく人相がわかるように回収せよ。よいな、首だけでよい。他はいらぬ」
「ははっ!」
 その場にいる四人の配下は、一斉に頭を下げてその命を受けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ちょっと、ネスティス!」
 謁見の間を退出し、地下へと向かう道すがら、赤の騎士は少女に呼び止められた。ノルスの背後では、ナーレムが少し薄笑みを浮かべて闇に消えるところだった。その挑戦的な眼差しは明らかにネスティスへ向けられている。
「……はい、なんでございましょう。ノルス様」
 目の前で片膝を着いた赤の騎士に、ノルスは腕組みをして頬を膨らませた。
「そんなことしても許してあげませんわ。……正直におっしゃいな。そしたら、あなたもいっしょに連れてってあげてもよくてよ」
 ネスティスは話が見えず、小首を傾げた。
「正直に、とおっしゃいますと……?」
「悔しいんでしょ? わたくしやお姉さまに伯爵様からのお仕事を奪われて。妬ましいんでしょ? 正直に言いなさい」
 勝ち誇って嘲う。しかし、ネスティスはその瞳に澱みやうろたえの色を浮かべることもなく答えた。
「いえ、そんなことは。決して」
 たちまちノルスは苦々しげに顔を引き攣らせ、荒々しく床を踏んだ。
「なんでよ! せっかく伯爵様のお役に立てる仕事を、横からかっさらわれて悔しくないはずがないじゃない! 絶対嘘だわ。それとも、伯爵様のお役には立たなくてもいい、ということなのかしら?」
「そのようなことは断じて。伯爵様御自ら、ノルス様方にお任せになるとお決めになったのです。私にとっては、その指示に従うことこそが与えられた役目。役目さえ果たせれば、それでいいのです。それに……あ、いえ」
 不意に言い澱んだ女騎士に、少女吸血鬼は目を光らせた。パッチリした目を細めて、勝ち誇ったように頬笑む。
「それに? んふふ、ほーらやっぱり。何か言いたいことがあるんじゃない」
「……言っても詮無いことです。それより、なぜ私ごときに構われますか? 私は嫌われているものと……」
「嫌いよ」
 不思議そうに見上げるネスティスに、ノルスはぷいっと顔を背けて即答した。
「何があっても絶対笑わないし、いつも素っ気ないし、血も吸ってもらえないくせに、わたくし達より伯爵様に重用されているんですもの。大っ嫌い」
「そうですか……」
 なんと答えていいのかわからぬ態で、うつむく女騎士。
「でも、教えてくれたらちょっとは許してあげる。いつもいつも顔を合わせるのにつんけんするのもイヤだしぃ」
「教える……私ごときが? ノルス様に何を? ナーレム様の方がよほど物をお知りでは……」
「知りたいのはあなたのことよ。お姉さまに聞いてどうするの」
 ノルスは腕組みを解き、びしっとネスティスを指差した。その目は外見相応の好奇心で輝いている。
「さしあたっては、『それに……』なんなのか教えてもらおうじゃないの」
「…………。では……失礼ながら」
 ネスティスは一旦うつむいてから、言葉を紡いだ。
「私には……悔しいとか、妬ましいという気持ちがわからないのです」
「はえ?」
 ノルスの方こそわからぬ態で小首を傾げる。
「伯爵様にお仕えして五年。こうした受け答えや、様々な知識を伯爵様から与えていただきました。しかし、いわゆる感情とか気持ちというものは、いまだによくわからぬままなのです。伯爵様も、それは無駄なことだとおっしゃいました。ですから――」
「……冗談よね?」
 一瞬、喜びかけていた少女の表情は、再び険しいものになっていた。
「それとも、わたくしにはあくまで話せない、ということなのかしら?」
「嘘偽りはありません」
「じゃあ、伯爵様に仕えることも別に喜びでも何でもないって言うの?」
「喜び、ということ自体がよくわからないのです。ただ……伯爵様に与えられたお役目を果たせば、妙な心持ちにはなります。それが何か、私にはわかりませんが、嫌な心持ちではありません」
 神妙な表情を崩さず、とつとつと話すネスティスに、ノルスは少し表情を和らげた。
「それが嬉しいって気分なのよ。多分ね。……そっかぁ……ネスティスって――あら?」
 ノルスは不意に屈みこんでネスティスの顔を覗き込んだ。不思議そうにその頬を指で拭う。
「……ネスティス、泣いてるの……? そんなに本心を明かすのが嫌だった?」
「い、いえ。そんなことは……」
 ネスティスも慌てて自分の指で目尻を拭った。その指先は確かに濡れていた。
「……こんなバカな……私にもわかりません。どうして、こんな……ノルス様の前で」
「嬉し涙かしら?」
 常に巌のごとき無表情を崩さぬ女騎士を泣かせたのがよほど嬉しいのか、少女は屈託なく笑いながら涙を拭った指をくわえて舐めしゃぶった。
「ま、いいわ。ちょっと気が晴れたから。次は笑ってよね」
 呆然としているネスティスに背を向け、ノルスは闇に消えた。最後にくすくすと小さな笑いを残して。

 ―――――――― * * * ――――――――

「なんだ、これ……」
 恥ずかしがるミリアにチョッキを着せて神殿に現れたストラウスは、聖堂の入口で茫然となった。背中に隠れたミリアも息を呑んだ気配が感じられた。
 聖堂は目茶目茶だった。扉や祭壇は壊されるわ、長椅子は薙ぎ倒されているわ、あっちこっちに刃傷沙汰の後らしき筋が残っているわ、なにやら得体の知れない肉片と血痕が散らばっているわ……さしものストラウスも、何が起きたのかを推理する前に奥の間へと駆け込んでいた。
「おい、みんな!! 一体何が――」
 応接間の扉を開け放った途端、ストラウスは声を失った。
 疲れきった表情のゴンが、ロングソファの一つをベッド代わりに横たわっている。外傷はないが、表情の疲労具合から見て、呪文連発の反動だろう。
 テーブルを挟んだ向かいのロングソファでは、白目を向いたシュラが倒れていた。そのはだけられた胸に残る鮮やかな雷撃痕。ライトニング・ストライクが突き抜けていったのだと、ストラウスには一目でわかる。
 グレイは額に包帯を巻き、部屋の隅で暗い眼差しを虚空に向けていた。
 無傷なのはキーモと、シュラに回復魔法をかけているブラッドレイ司祭だけだった。
 そのキーモも長い耳をうなだれさせ、上座の単座ソファに脱力しきった姿でもたれている。
「んあー……ストラウスか……いや、どないもこないもあらへん。見ての通りや」
「伯爵の手下が来たのか」
「まさか」
 キーモは皮肉を絵に書いたような笑みを浮かべて、顔だけを起こした。
「本人が来おったんや。クリスも連れて行かれてもた」
「な……なにぃぃぃぃぃぃっっっ!!!!!?」
 ストラウスの目は極限まで見開かれた。
「ま、マジかっ!! それでよくお前ら、そんな程度の怪我で……いや、よく勝てたな?」
「勝ってへん。あいつ、クリスさろうたらそのまんま帰っていきおったんや。捨て台詞残してな。……わしらには殺す価値もないんやと。わしらじゃ相手にならんから、師匠を呼べっちゅうとった」
「師匠を…………何で?」
「なんや、十年前に一戦交えて負けたっちゅーよーなこと言うとったな」
 負け犬丸出しの様子で、力なくへらへら笑うキーモ。その時、ブラッドレイが口を開いた。
「その通りだ」
 ストラウスとキーモがシュラの怪我の処置を終えたブラッドレイを見やる。ゴンも疲れきった顔のまま、状態を起こした。
「……シュヴァイツェン、ラリオス、ギャリオート、ランボー。この四人が、十年前伯爵を追い払った。彼の目的は、その復讐だ」
「十年前ということは、既にあなたは……。じゃあ、その時の仔細をご存知なのですね?」
 ゴンの問いに答えず、ブラッドレイは傍に置いていた水の入った洗面器を取り上げ、立ち上がろうとした。
「司祭、あなた……裏切ったんですか?」
 途端に、ブラッドレイは狼狽した。手から洗面器がこぼれ落ち、シュラに中の水をぶっかけてしまう。おかげでシュラは目を覚ました。
「――うわっぷ!! なんだっ、あいや、ごめんなさい、ラリオス師匠!! 昨日は遅かったもので……って」
 跳ね起きたシュラは、周囲に漂う重い空気に戸惑いながら、我に返った。
「……ああ、そうか。俺は……」
「裏切ったとは穏やかではないね、ゴン司祭」
 落ち込むシュラを置き去りに、ブラッドレイはゴンを見つめた。いつもの笑顔だが、その表情の端々に強張りがある。
 ゴンは、怯むことなく続けた。
「以前、僕はストラウスに教えてもらったことがあります。ヴァンパイアは流れる水を渡れないのと同様に、なぜか招きなしに他者の邸宅へ入ることができない、と。だから、普通は家人を騙して招き入れてもらうか、外で襲って口づけを与え、次以降はその被害者を操って招き入れさせる」
 ブラッドレイの顔色が、見る見る青ざめてきた。汗が額に浮き始める。
「そ、それがなんだと言うんだ」
「ずっと引っかかっていたんです……どうして、ここに寝ていたはずのクリスが噛まれたのか。神聖な気に満ちた神殿の中のはずなのに。あなたが許しを与えた。そう考えれば、納得がいく」
「私が……ノスフェル伯爵を、ここへ招き入れたというのかね。そんな――」
「そんなはずありません!!」
 割って入った若い娘の声に、皆は驚いた。ストラウスの背後に隠れていたミリアが、ストラウスを押しのけて叫んだ声だった。
「そんなはずありません! ブラッドレイ司祭様が……とってもお優しい方で、いつも村のことを考えてくれて、村人がみんな尊敬する方なんです! だからそんなこと、絶対にありません!!」
 頬を紅潮させて叫び終わった娘は、視線を感じて我に返った。チョッキの前をかき合わせ、耳まで真っ赤になって再びストラウスの背後に隠れる。
「その娘は……エルシナさんちのミリアじゃないかね。どうしたんだ? そんな格好で……まさか! ストラウス君、君は婚約者のある彼女を……」
 司祭の顔に怒りが兆すのを見て、ストラウスは慌てて首を振った。
「だぁぁ! 俺は何もしてないっ! これは伯爵の手下の仕業だ!」
「ああ、はい。そうなんです。マーリンさんは、私を助けてくださったんです」
 ミリアも命の恩人が誤解されそうなのを察知して、慌てて援護する。
「さっき突然、私の家に黒い鎧の男と十歳ぐらいの金髪の女の子が馬車でやってきて……」
 恐怖が甦ったのか、ぎゅっと自分の胸を抱きしめてストラウスの背中に身体を預ける。
 司祭の目が細まり、鋭い光を放った。
「マルムークと……ノルスか。く……もう約定には意味がないとでも言うつもりなのか。だが、それにしては動きが速すぎるじゃないか」
「そういえば、あの赤い騎士も言ってましたね。約定は破られたとかなんとか。どういう意味なんです」
 ゴンの追求に、ブラッドレイは黙り込んだ。何かを考えている。
「この期に及んでだんまりなんてやめてくれや、司祭さんよぉ」
 ようやく状況を把握したシュラが立ち上がった。テーブルに置かれていた手ぬぐいで、身体についた水分を拭い去る。
「もっとも、俺なら無理矢理でも口を開かす術も知ってるから無駄だけどな。痛い目に遭いたくなかったら――」
「…………君達は……まさしくアレフ達の後継者だな。無粋で、無礼で、無神経。状況など全く考えず、自分たちのことしか頭にない」
 シュラを睨みつけて放ったブラッドレイのその言葉に、ゴンは顔をしかめた。聖職者らしからぬ、怨嗟と屈辱と、怒りに満ちている。
「それともただ、頭が悪いのか」
「んだと? ……てめえ、本気で痛い目に――」
 表情を険しくしてブラッドレイの襟首をつかんだシュラに、ブラッドレイはさらなる侮蔑の眼差しで応える。
「ふん。力づくかね。傷を癒してもらった礼も言えぬ無礼者にはお似合いの、実に短絡的で乱暴な行動だな」
「ぬ……!」
「笑わせるな、盗賊風情の若造めが。痛い目に遭おうとも口を割らぬ者は割らぬし、痛い目に遭わずとも話すべき者は話す。その見極めすら出来ないのかね。ああ、言われるまでもない、教えてやるとも。十年前に君達の師匠がしたこと、その後のこと、そして今回のこと」
 顔を歪めるシュラの腕を乱暴に振り払い、司祭衣の乱れを手早く整える。
「とにかく、全員座りたまえ。話はそれからだ」
 納得していない顔つきでブラッドレイを睨むシュラを、ストラウスがなだめて座らせる。全く一言も話さなかったグレイも部屋の隅から腰を上げ、ゴンの隣に腰を下ろした。
 ただ一人、ミリアだけが恥ずかしそうにして応接間に入ることをためらっていた。破れた服の上から麻のチョッキを着ているだけの、見ようによっては扇情的なその姿では、男ばかりの部屋に入るのをためらうのは仕方がない。
 ブラッドレイは自分の着ているゆったりした司祭衣をつまんで、少し微笑んだ。
「ミリア、こういう司祭衣でよければ着替えてくるといい。廊下に出て、左側の一番奥の部屋のクローゼットにある。好きなのを着てきなさい」
「ありがとうございます、ブラッドレイ司祭様」
 頭を下げて彼女が姿を消すと、司祭は再び表情を引き締め、キーモの正面、下座の単座ソファに腰を下ろした。
 一通りそこに座る面々を見渡す。
 少し口をへの字に曲げているストラウス。
 今にも飛びかかりそうな猛犬の目でブラッドレイを睨みつけているシュラ。
 脱力して背もたれに背を埋め、天井を見上げているキーモ。
 炯々と光る危ない目を虚空に向けているグレイ。
 疑惑と疑念に満ちた険しい眼差しを、横目でブラッドレイ司祭に送っているゴン。
 そして、ゆったりした司祭衣を着て戻ってきたミリアは、ストラウスにチョッキを返し、その隣に腰を下ろした。
 全員が揃ったところで、ブラッドレイは重いため息をついた。
「さて……本来ならミリアちゃんには聞かせたくない話だが、ことここに至っては致し方あるまい。……いずれわかる話だろうしな」
 ミリアが怪訝そうに眉根を寄せる。
「勿体ぶんなよ、おっさん。早いとこ本題に入れ。こっちはじじいの長話に付き合ってられるほど暇じゃねえんだ」
 シュラが凄み、続け様にゴンがたたみかける。
「そうです。僕らはクリスを奪い返しに行かなくちゃならない。時間がないんだ。必要なことだけを――」
「二人とも黙れ」
 遮ったのはストラウスだった。驚く二人に、ストラウスは冷たい眼差しを向けた。
「知っておくべき事も知らずに、助けに行くも行かないもないだろう。お前ら、一度負けてるんだぞ。黙って聞けないってんなら、後は全部俺が聞いておく。外へ出てろ。邪魔だ」
「く……」
 二人はむくれて押し黙った。
 ブラッドレイはもう一つため息をついて、再び口を開いた。
「……そもそもの始まりは、十年以上前に遡る」



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