愛の狂戦士部隊、見参!!

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第三章 襲撃 (その4)

 ゴンとキーモは、グレイと赤い騎士の凄まじい剣戟に声を失っていた。
 割って入る隙がない。下手に加勢しようものなら、かえってグレイに斬り捨てられてしまいそうだった。
 二人はただ、じっと二人の戦いを見つめるしかなかった。
 ふと、ゴンは妙なことに気づいた。
(……あの亡霊……妙に落ち着いてるよな。スペクターのわりに……。殺気もそれほど感じない。それどころか、スペクター全般に見られる狂気めいた執着なんか、微塵も感じられない。どういうことだろ?)
 司祭であるゴンは闇に属する存在である亡霊スペクターに関する知識がある。
 スペクターとは破壊衝動と怨念の塊。ほとんどの者は生前の意識や記憶もなく、ただ憎み、壊し、殺すためだけに存在する哀れな、救いようもなく狂い、歪んだ魂のはず。そのスペクターが、なぜ殺気を抑えているのか。
(何かを狙っているのか……? いや、そんな器用なことができるのは、そもそもスペクターじゃない)
 隣ではキーモも珍しく生真面目な顔でネスティスを見ていた。
「……どうしたのさ?」
「ん……いや。何や、違和感がな。あの女……」
「なにそれ? ……どういう意味さ」
 自分の抱く疑惑を隠し、探るように聞く。しかし、キーモは顎を指先でつまんだまま、首を傾げた。いつもの覇気がない。長い耳も少しうなだれているように下を向いている。
「どうも……な」
 何を考えているのか、訳の分からぬゴンも首を傾げる。
 その時キーモの瞳に浮かんでいる厳しい色に、ゴンは気づいていなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ネスティスがグレイの逆手突きを、軽く身体を反らして躱した。お返しに全身鎧を着ているとは思えない早さの突きを連続で放つ。
 戻した剣で受け流し、躱すグレイ。
 そうしてひとしきり攻防をくり返した二人は距離を取った。ひしと互いに相手を窺う。
 外で閃光が弾ける。轟く雷鳴。余韻の低い唸り。そして、再び閃く白刃――
 その時だった。ネスティスは振り返りざまに剣を一閃した。
 空中で真っ二つになって落ちる、木組みの粗末な三人掛けの長椅子――キーモの投げた物だった。
「……エルフっ!!」
 ネスティスの注意がそれた瞬間、それこそグレイにとって待ちに待っていた最大の隙だった。
「こっちだっ!!」
 身体を低く、剣先を床にこするぐらい低く構えつつ間合いへと踏み込み、最高のスピードと力を載せて斬り上げる。全身全霊をかけた、乾坤一擲の斬撃。
 しかし、ネスティスを寸断することは出来なかった。
 椅子を斬り払ったネスティスはそのまま、その場で一回転して懐に踏み込んできたグレイの首根っこに剣の柄を叩きつけた。
「ご……あっ!!」
 同時にグレイの剣が紅の鎧の脇腹に叩き込まれる。
 その胴を薙ぎ斬るだけの威力は、寸前にグレイの受けた衝撃で霧散していた。
 床に叩き伏せられるグレイ。
 壁際まで横様に吹っ飛ばされるネスティス。
 そして――
「去れ! 悪霊よ! 夜の下僕共よ!」
 清冽な叫びが聖堂に響き渡る。シュラの傍で片膝をつき、掌底を合わせたゴンがそれをネスティスに向けていた。
「リパルスアンデッド!」
 突き出した両掌からまばゆい光が溢れる。その光はネスティスを直撃した。
「消え失せろ、亡霊!!」
 光が収まると――ネスティスは顔をしかめて目をつぶり、その場にいた。
「え……――ええっ!? ちょ、待って、なんで!?」
 闇の種族を討ち払う神官・司祭特有の能力リパルスアンデッドが効かない場合、理由は二つしかない。
 一つは相手が闇の種族に属していない場合。もう一つは、自分の司祭としての力が対象の敵に遠く及んでいない場合。
 明らかに伯爵の場合は後者だった。実は試すまでもなく、向き合っている時に相手の強大さは既に感じていた。だから、効かなくともさほどショックではなかった。しかし、この赤い亡霊騎士にまで効かないとは。
(僕はそこまで……いや、それとも敵が……)
 ゴンは驚きのあまり、一瞬我を忘れかけた。
 その忘我を打ち破ったのはキーモの雄叫びだった。
「ううらああああああああああっっっ!!」
 新たな長椅子を振り上げ、ネスティスに襲い掛かるキーモ――その目が、一瞬ゴンの目と合った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 闇の種族――と言うより、闇の力で甦ったアンデッド(不死者・動く死者などの総称)の中でも、高位の存在である亡霊『スペクター』に普通の武器は効かない。ヴァンパイアであるノスフェルと同じく、神聖な祝福を得ているか、魔力を宿している必要がある。
 したがって、長椅子などはそもそも実体化した精神体であるスペクターに当てるすら出来ない。身体をすり抜けてしまう。つい先ほど、ネスティスが咄嗟に長椅子を斬ってしまったのは、むしろ剣士としての無意識の反応だった。
「愚か者、そんなガラクタで――」
 白い輝きの尾を引いて椅子が叩きつけられた瞬間、嘲笑していたネスティスはありえない衝撃を受け、床に這いつくばっていた。
「――なっ……!?」
 慌てて顔を上げれば、今度は横殴りの一撃。
 ネスティスは横っ面を殴られてのけぞった格好のまま、無様に吹っ飛んだ。
 ゴロゴロと転がって祭壇の瓦礫に叩きつけられた女亡霊騎士に、長椅子を下ろしたキーモが叫ぶ。
「どうやぁ!? 『ゴッド・ブレッシング』付きの長椅子攻撃はぁっ!! 効いたやろ! ぬははははははは」
「長椅子に……神聖属性付加魔法……だと……?」
 ネスティスは立ち上がった。怒りのせいか長い黒髪は逆立つように乱れ、唇は屈辱にぎりり、と引き結ばれ、その双眸には殺意が燃え、紅く輝いている。
 キーモの背後では、ゴンが間に合ったことにそっと安堵の吐息をついていた。
「武器っちゅうのはな、武器として生まれたもんだけやない。石ころでも、椅子でも、神像でも、相手にダメージ与えられるもんは何でも武器になるんやっ!! おのれら騎士みたいなかっこつけた連中にはわからんやろけどなっ!!」
「……殺す」
 低い声。グレイの時とはうってかわって噴き出す、怒気をはらんだ殺気。
 しかし、キーモは邪悪な雰囲気さえたたえて、にんまり笑った。
「おお、ええわい。かかって来いや。けどな、気いつけやぁ」
「なに?」
 キーモの余裕を警戒してか、ネスティスは踏み込みをためらった。
「さっきからのグレイとの戦いでおんどれの手の内はだいたい見せてもろた。そのうえ、わしはお前と剣術の競り合いなんかする気はあらへん。こっから先はケンカで、殺し合いや。下町仕込みのケンカ殺法に、お上品な剣法で勝てると思いなや。そっちが勝つにしても、腕の一本や二本は覚悟してもらうで」
「……………………」
 ネスティスは目を細め、キーモを値踏みするように見つめる。
「どないした、来ぉへんのか。そっちから来ぉへんのやったら――」
 ずいっと一歩踏み出したキーモに、ネスティスは剣を構え直した。相手を強敵と認める、正眼の位置。
 キーモは長椅子から手を放した。
「――来ぉへんのやったら、ここで取引といこかい」
 たちまち、ネスティスの気配が揺れる。
 シュラに回復魔法をかけているゴンも、首をふりふり身を起こしたグレイも顔をしかめた。
「この場は見逃してくれ。ほな、後ほど挨拶に行くよってな」
 堂々と胸を張って、頬に薄笑いを浮かべている男のセリフではない。ネスティスも怪訝そうに首を傾げている。
「……それのどこが取引だ」
「本調子とちゃうんやろ」
「どういう意味だ?」
 ネスティスは顔をしかめた。
「生き馬の眼を抜くグラドスのスラムで育ったわしの眼を、甘ぅ見るんやないで。あんた、さっきから全然気ぃ入ってへんやないか」
「何を言っている、私は――」
「迷いがあるっちゅーてんねん」
 途端に、ネスティスは黙り込んだ。
 しばらくキーモを睨めつけ、訊く。
「……貴様、何者だ」
「愛の狂戦士部隊リーダー、キーモ=ヤン様や。どないや、退くんか、退かへんのか」
「退かぬ、と言えば」
「下らんプライドか? しゃあないのぉ」
 ふっと悲しげに笑ったキーモは、長椅子に手をかけ――そのままどっかり腰をかけた。両腕を背もたれに広げてかけ、親指で背後のグレイを指差す。
「ほな、これがもういっぺん相手したるわ」
 グレイが不意の指名に目を見開いて驚く。
 ネスティスは笑う素振りもなく、低い声で当たり前のことを訊いた。
「お前がやるのではないのか」
「誰もそんなこと言うてへんやんけ」
 へらへらっと信義の欠片もない顔で笑うキーモ。その吊りあがった眼がギラリと光を放つ。
「せやけど、隙があったらいくらでも後ろからやるで、わしは。グレイが手ぇ出すな、ゆーてもな。わしはなぁ、勝つためやったら何でもやる。生き死にの瀬戸際を見てきたもんを甘ぅ見たらどうなるか、その別嬪の顔に刻んだるで」
 いいながら、椅子の背もたれの部分を拳で軽く叩く。さっきそれで殴ったことを思い出させるように。
 悪徳商人も顔負けの脅しっぷりに、ゴンはげんなりした顔をした。
(すっかり悪党だよ、キーモ……)
「さあ、よぉ考えや。わしだけやない。いずれシュラも回復するやろ。なんたら伯爵の右腕を切り落としたこいつとグレイ、それにおのれらアンデッドを狩るのを生甲斐にしとるゴン、それに抜け目のあらへんこのキーモ様の四人を相手に、あんたほんまに勝てるやろかなぁ?」
「勝手に人の生甲斐にしないでよ」
 ゴンの不服を無視して、キーモはただ唇を歪めて笑っている。
 その時、キーモの背後でどっかり腰を落とす音が聞こえた。
 グレイがやる気なさそうな仏頂面で胡座をかいていた。
「……やる気を削がれた。どうせ、後でクリスは取り返しに行く」
 ネスティスはしばらく四人を見回したあと、現われた時と同様目尻をそっと指でなでた。その指先を見つめ、ふむ、と頷く。
「いいだろう」
 剣を納め、手の中に赤い兜を出現させる。それをかぶりながら続けた。
「だが、そっちの提案に乗ったわけではない。どうやら、お前達はここで死すべき定めにないようだからだ」
「はぁ?」
 キーモが怪訝そうに顔をしかめる。
 フルフェイスヘルムで顔を隠したネスティスは、一同を見渡して告げた。
「次にあいまみえたときこそ、貴様らは私の涙を見るだろう。――見た者に死を告げる、我が涙を」
「なんや、それは」
 続けて問いかけようとしたそのとき、玄関に影がさした。
「……なんだ、これは。聖堂が目茶目茶じゃないか」
 一同の眼差しが声の主に集まる。それは、ブラッドレイ司祭だった。
「し、司祭……!」
 ゴンの呼びかけには安堵が混じっている。
 入ってきたブラッドレイ司祭は、祭壇近くに立っている赤い鎧騎士に気づくや、頬を引き攣らせた。
「お前は……!!」
「……お前か、ブラッドレイ」
 ネスティスの呼びかけに、ブラッドレイは答えず、拳を握り締めていた。
 ゴンの表情が曇る。
(……今の呼びかけ方……まるで――)
「伯爵は怒っておいでだ。このような者を呼ぶとは……約定は破棄せざるをえんな」
「ま、待て! 誤解だ、彼らは私が呼んだわけでは……!」
「それは……どういう意味です、司祭? 約定とは?」
 ゴンの静かな、しかし、毅然とした声にブラッドレイは哀れなほどうろたえた。
「いや、その……君たちには関係ないっ! あ、待て、ネスティス!」
 ゴンは確かに聞いた。薄れ、消えてゆくネスティスが残した鼻笑いを。
 直後、赤のネスティスは完全にその場から消えていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 その頃、ミリアの家を出たストラウスは、嫌な予感に捕らわれながら街道を神殿へ向かっていた。
(うぅん……暗すぎるなぁ。まだ午後なのに、まるでもう夜みたいだ)
 ふと空に蓋をしているかのような暗雲を見上げたストラウスは、足を止めた。
(待てよ……。この暗雲が奴の呼び出した天候操作魔法だとしたら……なんで今なんだ? 寝床で眠ってる間はこんなものは必要ないはず……これがこの上にあるということは、つまり伯爵は――しまった!!)
 自分の呑気さに舌打ちをして駆け出そうとした時、前方から二頭立ての馬車が猛烈な勢いで突っ込んできた。灯火など一切つけていない。二頭立てとわかったのも、ただ馬の目らしきものがほんの申し訳程度、四つ緑色に輝いていたからだ。
 ストラウスは慌てて道端に身を翻した。寸瞬の差で、馬車が通り過ぎた。
「ば、馬っ鹿やろぉ! どこ見てやがる!」
 だが、馬車は応える事なく走り去った。
 ストラウスは舌打ちをして立ち上がり、再び走り出そうとした。が、不意に足を止めて、驚愕の表情で馬車の走り去った方向を見つめた。
(おいおい、待てよ。今の馬車……御者席に乗ってたの……鎧騎士じゃなかったか? 妙にでかかったんで、この暗さでもかろうじてわかったけど……第一、この闇の中をあんな速度で灯りもなしに走れるなんて、ただものじゃ――まさか!)
 ストラウスは踵を返して走り出した。馬車にも劣らぬのではないかと思われる速さで、砂塵を巻き上げてミリアの家へ向かって。
 それはまさに黒い疾風だった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 巨大な鎧だった。身の丈は2mをゆうに超え、立ち上がった熊など比ではない。ちょっとした巨人並の体格だった。その上、そのそれぞれの装甲板は外見から推し量っても尋常なものではない。総重量は装飾を施した貴族の馬車をも凌駕するやも知れぬ。
 そして黒かった。消し炭のようにつやのない黒を基調に、様々な象嵌装飾の全てまでもが黒で統一されている。それは、見る者に恐怖を与えずにはおかぬ黒の塊だった。
 巨大な黒の鎧は、壁に大穴を空けられたエルシナ家の台所を我が物顔で占拠していた。その右手はちょうど猟師が獲物の兎でも掲げているかのように、ミリアの両腕をまとめてつかみ、持ち上げている。
「ぐふ、ぐふふふ……この娘、可愛いのう。伯爵様に捧げるのがもったいないわ。まずここでわしがもらっちまおうかのう」
「い、嫌ぁ!」
 ミリアが恐怖に目を見開き、身を震わせる。
「あらあら、マルムークもすっかり欲望の虜になっちゃって。勝手なことしたら伯爵様に言いつけてよ? でも――」
 黒を基調にしてフリルだらけの時代がかった衣装、豪奢な金髪にコバルトブルーの瞳、病的なまでに白い肌をした可憐な十才ほどの美少女は、年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべて視線を下に落とした。そこには少女に押さえ込まれ、身動きのとれないジョセフがいた。
「この男をもらうのを黙っててくれるのなら、わたくしも黙っていてあげてもよくってよ?」
 うふふ、と微笑む笑顔には確かに淫らな欲望が隠しもせず現われていた。
 うつぶせにされ、後ろ手に組まされた手首に軽く少女の指を載せられているだけなのに、全くびくともしない。そして、その指は異様に冷たい。体温がその一点から奪われてゆくようだ。
「く、くそっ、お前たちは一体……」
 突然やってきた馬車から降りてきた巨大な黒い鎧は、ジョセフが扉を開けるより早く、いきなり家の横壁をぶち抜いて台所に侵入して来た。
 あまりのことに言葉を失っている間に、ジョセフは気づいたら床に這いつくばらされていた。自分の腕を押さえているのが、十歳にもならぬ少女と気づいたのはついさっきだ。
「なんなんだっ、なにが目的なんだっ!! こんなことをして、ただで済むと思っているのかっ! 僕は衛兵なんだぞ!」
 少女はジョセフの喚きを無視して、吊り下げられたミリアを見た。
「昨日の傭兵達の血はまずかったけど……この娘はわたくしみたいに若くて活気に溢れてるから、とってもおいしいのでしょうねぇ。伯爵様がわたくしにまで回してくださるといいんですけれど。それとも、わたくしの妹になるのかしら」
 にぃっと歯茎をむき出して笑う。鋭い犬歯がジョセフとミリアの目に映った。
 ミリアは歯の根が合わなくなるほどの恐怖に襲われ、震えあがった。この少女が何者で、何を言っているのかが分かったのだ。
「じゃ、じゃあ、昨晩傭兵兵舎を襲った吸血鬼というのは……」
 ジョセフが昼間にも関わらずミリアの家に来たのは、そのためだった。衛兵隊長から傭兵部隊の兵舎で起きたことの仔細を聞き、いまだうろついているという吸血鬼から彼女を守るために。それがまさか、こんな少女だったとは。
 ジョセフが信じられないという表情で少女を見たが、少女の飢えた目は彼のうなじを見つめていた。
「ぐふふふふ。では、いただくとするか。ぐふふふふっ……!」
 黒い鎧は下品な笑い声をあげるなり、空いた左手でミリアの服を引き裂いた。まだ誰にも触られたこともないであろう白い乳房がこぼれ出る。恐怖に声も出ない農家の娘は、ぱっちりとした瞳に涙を浮かべて弱々しく顔を振るだけだった。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!! ミリアに手を出すなぁ!」
「ぐふふふふ、いいぞいいぞ。その悲嘆、その苦しみ、その恐怖、その怒り……わしの身体に力が流れ込んでくるわ」
「くそぉぉぉぉぉ、許さないっ!! 絶対に許さないぞ、お前た――」
 必死に叫ぶジョセフの頬を少女の両手が包んだ。地獄の幽鬼じみた冷たさが魂さえも凍りつかせるように感じて、ジョセフの肌が恐怖に粟立った。
「うふふふ。マルムークはねぇ、亡霊――スペクターだから、こうやって人の負の感情のエネルギーを自分の力にするの。以前は単なる破壊バカだったんだけど、伯爵様のおかげでああやって人を辱めたり、あなたみたいに怒らせたりしてその力を吸収することも憶えたのよ? すごいでしょ?」
 少女も興奮しているのか、少し言葉づかいがぞんざいになっている。外見の年齢相応に。
 無理やり顎をすくい上げられたジョセフの目に、否応なく十歳ほどの少女には不釣合いな淫靡な笑みが飛び込む。邪淫に濡れる赤い目に見つめられた途端、ジョセフの意思はその目に吸い込まれ、暗闇に堕ちていった。
「私はノルス。ノルス=エル=シェッドラント。これからは私があなたの主。さぁ、もうあんな娘のことは忘れて……」
 ノルスの可愛い口がジョセフの喉に近づき、汚らわしき牙先が頸動脈に食い込む……。
 その瞬間、突然玄関の扉が吹き飛び、光の矢が雨のように黒い鎧に襲いかかった。
 思わぬ攻撃を受けた黒鎧はつんのめり、ミリアを放り出して床に倒れ込んだ。その騒ぎで催眠状態にあったジョセフが目覚め、ノルスは慌てて床に彼を押えつけた。
「だ、誰!?」
 丁度、家の中に光源がなかったので、玄関に薄光と閃く雷光を背負って誰かが立っていることしかわからない。だが、ミリアとジョセフにはその閃きの中に立つ人物が救世主に見えた。
「……天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。悪を倒せと呼んでいる。人呼んでさすらいの農耕技術者、若き天才魔法使い……ストラウス=マーリン見っ参!!」
 決めの台詞とともに気取った決めポーズ。
「……天才魔法……って、農民?」
 黒い上下に麻のチョッキといういつもの格好に、肩に担いだ鍬。ノルスは首を傾げた。
「ストラウスさん!」
 ミリアは露わになってしまった胸を押さえて、泣きながら救世主に駆け寄った。
「うわぉ♪ ――あー、いやいや。だ、大丈夫です。この私が来たからには、もう暴虐の輩に大きな顔はさせません。退がっていて下さい」
 意外と大きな胸のふくらみに思わず目を奪われそうになりながら、ストラウスは何とか気持ちを目の前の敵に集中させた。
 黒い鎧が立ち上がった。身長は巨大な熊すらゆうに超えている。そもそも人が着て活動できる鎧とは思えなかった。先ほどマジックアローが命中した部分からは僅かに煙が立っている。  全身から凄まじい怒気を放つ黒の鎧騎士マルムークは、脇に立てかけておいた自らの身長ほどもある幅広の巨戦斧(グレートアックス)をひっつかむと、獣じみた声で吠えながらストラウス目がけて振り降ろした。
「ぐぅおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」
「マジックアロー!」
 ストラウスの傍らに瞬時に現れた数本の光の矢は、マルムークの顔面に襲いかかった。十本あまりの光の矢がフルフェイスヘルムの顔面で弾け、その勢いでヘルメットを吹き飛ばす。
 マルムークは一言呻くと、顔を押さえて片膝をついた――いや、顔がない。本来顔のあるべき場所に、ただ黒い煙の塊みたいなものが揺らいでいた。眼の代わりなのか、薄汚れた黄色い光が二つ、その暗黒の瘴気の中に漂っている。
「ぐぐ……貴様ぁ、ぶち殺してやるぅ……」
 ヴァンパイアではない、と警戒を強めてストラウスは眼を細めた。
「クスクスクス……。マルムークも案外だらしないわね」
 黒い鎧の背後でジョセフを押さえている少女が笑う――その口に光る鋭い犬歯をストラウスは見落とさなかった。
 マルムークがひるんでいる隙に、ミリアに囁く。
「――神殿に僕の仲間がいる。急いで呼んで来てくれないか」
 ミリアは顔を赤らめた。
「で、でも、あたしこんな格好……」
「時間がない! その辺の農家で服を借りればいいだろ!」
「くぅぉぉぉぉぉろしてやるぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
 風を巻いて巨戦斧が二人に襲いかかった。ミリアの顔が恐怖に硬張る。
「きゃあああああああ!」
「ちぃっ! 『アクセレレイト』!」
 呪文とともにストラウスは青い輝きを放った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 呪文の発動と共に、マルムークの動きが遅くなった。
 否、マルムークだけではない。世界の全てが遅くなっていた。
 巨戦斧の刃がゆっくりと、木の葉が舞い落ちるような速度で落ちてくる。傍らではミリアが恐怖の表情を浮かべたまま凍りつき、両腕を突き出そうとしている。
(止めるつもりだったのか?)
 苦笑したストラウスは、ミリアを横抱きに抱えると、一気に入口から街道まで走り出た。
(仕方がない! ここは一時撤退して神殿で迎え撃とう。……ジョセフさんには悪いが)
 後ろを振り返りもせず、街道をひたすら神殿へ向かって走る。
 ストラウスはまだ、伯爵の神殿襲撃を知らない。

 ―――――――― * * * ――――――――

 巨戦斧が玄関の敷居を叩き割った時、黒衣の農民姿の魔法使いはおろか、ミリアさえもその刃の下にはいなかった。マルムークには、あのふざけた魔法使いが一瞬青く輝いたかと思うと、次の瞬間にはいなくなったとしかわからない。
「どういうことだ! あやつ、どこへ消えおった!? ノルス、お主見ておったか!?」
 ヴァンパイアの少女は薄く笑った。
「ええ、何とかね。今のは『アクセレレイト』、つまり加速の呪文だわ。今のあいつは超高速で動けるのよ。街道を走っていったから、おそらく救援を呼びに行ったのかしらね……。まあいいわ。それより、次に行きましょう。私達の役目はまだ終わっていないわ」
 それでも不満そうに街道の彼方を見やるマルムークに、ノルスがぞっとするような低い声で囁いた。
「うふふふふ。マルムーク、心配無用よ。この男を連れていけば、あの娘か、あいつが城へ来るわ。取り返しにね。それでなくとも、聞いたでしょう? あいつの仲間は神殿にいるって。伯爵様が自ら行かれた神殿に。もし、伯爵様が首尾よく獲物を手に入れていたら、その仲間共々城へ来るはずじゃない? その獲物を奪い返すために……ね。フフフ……」
 ジョセフの顔から血の気が引いて行く。
 マルムークはまだ不満げに、疑惑の表情をノルスに向けた。
「で、もし伯爵様がそいつらを皆殺しにしていたらどうする?」
「そんなことさならないわ。絶対に」
 ノルスは疑うことを知らないように平然と言ってのけた。
「伯爵様が殺すのは相手を敵として認めたか、自分しか倒せない、という時だけだわ。あいつや、あいつの仲間ごときに伯爵の食指が動くと思う?」
「確かにそうだな……。では、城で待つか」
 ノルスは口元に、再び年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべた。それを蒼白な顔で見つつ、ジョセフは心の中で必死に祈っていた。
(ミリア、ストラウス君、僕のことは忘れろ……。絶対に助けになんか来るんじゃないぞ)



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