愛の狂戦士部隊、見参!!
第二章 デービスの叛乱(その5)
傭兵部隊第三部隊兵舎。
夜も更けて、辺りには虫の音が鳴り響いている。
その玄関ポーチに、一人の男が立った。
「やれやれ……前は結構遠いように感じていたが、こうしてみると近いもんだな」
くくく、と喉を鳴らした男は、体中についた木の葉や草っ葉を払い落とした。
「さぁて……ナイトメア・フォー・ユゥゥゥ……」
歌うように呟きながら、男の手は玄関を押し開いた。
―――――――― * * * ――――――――
騒ぎは食堂で起きた。
唐突にテーブルやら椅子やらを薙ぎ倒して、男がぶっ倒された。
殴られたのは無精ひげを生やした中年の傭兵戦士。殴ったのはエルフ。
「わりゃあ、もっぺん言うたってみぃぃぃっっ!!」
いきり立ち、首からぶら下げたメリケンサックを指に嵌めるのは言うまでもなくキーモ――今はキモン=ケロ。鎧はさすがに脱いで、長袖シャツとズボンというラフな服装だが、剣は腰の両側にぶら下げている。
「なんだなんだ」
周囲にいた傭兵の注目が集まる。
殴り倒された男は怒りの炎を目に宿し、むくりと立ち上がった。
「こンの腐れエルフが……ぶっ飛ばしてやる」
「はっ、たった今ぶっ飛ばされた奴が何ゆーてけつかる。……エルフを相手にするンや、気ぃつけやぁ」
素早く印を切って、口の中で呪文を唱える。
ざらぁ、と周囲に光の矢が出現した。
たちまち今の啖呵もどこへやら、男の表情が青ざめる。
「お、おいおいおいおい、ちょっと待て、たかが喧嘩にそんな――待て待て待てぇぇぇ!!!」
「あの世でも覚えてくされ! わしの喧嘩は命懸けなんじゃぁぁぁ!!」
轟、と光の矢が男を目がけて襲い掛かった。
「ぎにゃあああああああああああっっっっ!!!」
尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が響き渡った。
―――――――― * * * ――――――――
「何だ、今の騒ぎは……」
自室にこもっていたグレイがカップを持って食堂に顔を見せた途端、その場に渦巻いていた殺気が少し軽くなった。
傍にいた戸口の傍で壁に背を預けていた女戦士が、グレイに状況を説明する。
「アゴルの阿呆が新入りにちょっかいかけて、返り討ちにあったんだよ。ただまあ、魔法の矢を使ったのはやりすぎだと思うけど」
「双方怪我は?」
「ない。……股間の傍に魔法の矢が刺さったもんで、アゴルが漏らしたぐらいだ」
「そうか」
グレイは興味なさそうにそれだけ言って、カップに樽からぶどう酒を注いで席についた。
すると、女戦士もグレイの前の席についた。少し身を乗り出して、眉と声をひそめる。
「ねえ、グレイ。私達がここへ集められて、もう一ヶ月だ。一応集団戦の演習はやっているが……正直、みんなイラついているよ。いつになったらモンスターと戦うんだい」
「俺に言うな。決めるのは雇い主だ。俺はただ、組頭を任されただけだ」
ぶどう酒を飲みつつすげなく突き放したが、女戦士は引き下がらない。
「だったら、グレイから雇い主に訊いてみておくれよ」
「そんな権限はない。向こうから連絡が来るのを気長に待つしか――」
「オレが教えてやるよ」
低い声に振り返れば、いつの間に入ってきたのか、さっき女戦士が背を預けていた場所に陰気な男が一人立っていた。
女戦士は小馬鹿にしたように笑った。
「……ベリウスかい。お姫様の護衛は滞りなく終わったのかい?」
「ああ。きちんと村まで連れて行ったよ。その後までは知らんがね」
「すまんな、ベリウス。この借りはいつか――暇な時に一杯おごろう」
カップを上げて目礼したグレイに、ベリウスは首を振った。
「いや、今がいい」
背を起こし、ふらりと近寄って来たベリウスは、女戦士の横でテーブルに手を置いた。
「今だと?」
グレイは手にしている飲み差しのカップを見下ろし、再びベリウスに目を向けた。
「……これでいいのか?」
「いや、ちょっと黙っててくれればいい」
「なに?」
意味不明のやり取りに、グレイの意識がふと内側に落ちた。自分が何か聞き違えたかと思い、会話を頭の中で再構成しようとした。
その刹那――ベリウスは女戦士の首に噛み付いた。
ぶつり、という皮膚を突き破る鈍い音と共に、首筋から一筋、赤い血が流れ出す。
グレイも女戦士も、何が起きたのかわからなかった。
そこで動いたのはただ一人。
キーモのマジックアローがベリウスの横っ面に炸裂し、盗賊あがりの傭兵は長く伸びた犬歯から血の糸を引きながら吹っ飛んだ。
―――――――― * * * ――――――――
アゴルという傭兵に失禁させた直後、キーモは若い男が食堂に入室してくるのを見ていた。確か、ここへ着いた時に組頭と紹介された男だ。
(……なかなかやるな、あいつ。隙があらへん。確か名前は……グレイとか言うたな)
立居振舞が、堂々としている。剣士らしいが、達人とは言わぬまでも相当な腕前だということはわかる。
スラム生まれのスラム育ちだけあって、キーモは人の強さ弱さには人一倍敏感だった。
そして、場の雰囲気というものにも。
グレイが入ってきたとき、確かに空気が変わった。それはとりもなおさず、本人の実力だけでなく、その場にいる者の感情をも表わす。どうやら彼は尊敬されているらしかった。
アゴルの失禁騒動で実力を認めたのか、傭兵達がキーモを囲んで酒盛りを始めた。
もちろん、酒盛りは嫌いではない。
しかし、みんなで一斉に乾杯をしようとした刹那、キーモは再び空気の変化を敏感に感じ取った。
それは言うなれば、鶏小屋に山猫や狐が侵入した時の緊迫感に似ている。
その空気の元凶は、入り口脇に立っている痩せぎすの男だった。
男はキーモの視線に気づかないのか、グレイの前に座っている女戦士の横に行った――その時、キーモの目は確かに捉えた。男の首筋に空いた、二つの穴を。
キーモはカップを投げ捨てて呪文を唱え、マジック・アローをざらりと虚空に並べた。
傭兵達が驚愕し――
女戦士の脇の男が身を屈める――
キーモの指がその横っ面を指し――
やけに真っ赤な唇が女戦士の首に吸い付き――
光の魔法矢が男に襲い掛かる――
傭兵達がキーモを羽交い絞めにするのと、男がテーブルや椅子を薙ぎ倒して壁に叩きつけられるのは同時だった。
―――――――― * * * ――――――――
「手前え、なんて事しやがる!! アゴルん時は寸止めだったが、今度は当てやがった!」
「ベリウスを殺す気か!!」
「アホんだら、放さんかい! それどころやあるかい!!」
口々に喚く傭兵の顔に拳をくれ、羽交い絞めから逃れたキーモはテーブルと椅子を踏み台に、グレイの前まで跳んだ。
グレイは椅子から落ちて床にぐったりと倒れている女戦士を介抱していた。
「おい、大丈夫か、おい!!」
「組頭グレイっちゅーたな、こいつはもうアカン! 司祭か神官呼んで来い!」
キーモは女戦士の喉の傷を押さえているグレイの手を引き剥がし、叫んだ。
「何だ、どういうことだ! 説明しろ!」
グレイがキーモの襟首をつかみ上げたとき、ベリウスの声が応えた。
「――オレが教えてやるっていっただろぉ……」
キーモとグレイ、二人の顔が声のした方を睨む。
顔の左半分を砕かれたベリウスが、操り糸に吊られた人形みたいな脱力した格好で立っていた。
「オレは……生まれ変わったんだ。あれは…………素晴らしい体験だった。オレは色んなことをしてきたが……あれに勝る快感は味わったことが無い……」
オペラでも歌うように両手を広げ、恍惚の表情を浮かべている。その眼差しは二人を見ていない。
「何を言ってるんだ、あいつは……」
「わからんのかい! あいつ、どこぞでヴァンパイアに血ぃ吸われよったんや!」
その叫びに、食堂が凍りついた。
「バカな! ついさっき、クリスが訊ねて来た時はまだ明るかったが、堂々と外を歩いていたぞ!?」
「ほな、その後や! 日が暮れてから吸われよったんや! 普通は、血ぃ吸われてから一日か二日の潜伏期間があるもんやが、時々おるんや。妙に馴染みの早い奴とか、吸血鬼とえらい波長の合う奴が。どっちか知らんけど、こいつはもう吸血鬼ヴァンパイアや!」
傭兵のざわめき。そして、キーモの言葉を裏付けるように、ベリウスの砕かれた顔が音を立てて元に戻ってゆく。
キーモの耳がおぞましげに下を向く。
「……ヤバイで。ヴァンパイアを滅ぼすにゃ、銀の武器か魔法の武器がいるんや。ここの傭兵で、そんなもん持ってる奴、おんのか!?」
「多分、無い」
グレイが搾り出すように呻いた。キーモはぎりりと歯を噛み締めた。
「これだけ頭数あってかい。くそ、役に立たんのぉ」
「くっくっく、どうやらオレが教えるまでもなく、理解したようだな。もはや絶望だということを……では、もう一つ絶望をくれてやろうか」
完全に元の顔を取り戻したベリウスは、邪悪そのものの笑みを浮かべた。
「オレ達は、このために集められたのだ。闇の軍勢となり、あるお方のもとで永遠に働くために……モンスター退治なんて嘘さ。くく、今ごろ他の兵舎でもオレの同類が活動を開始していることだろう。わかるか? これから夜はますます更けて行く。明日は満月。この状況で、兵舎の外へ出て逃げ切れると思うか?」
食堂はシーンと静まり返った。
グレイでさえ、真っ青になって言葉を失っていた。
「ここは大人しく、オレの牙にかかっておいた方が後々気が楽になると思うんだがなぁ」
追い詰めた獲物をいたぶるかのように、低く耳障りな笑いが犬歯の伸びた唇から漏れる。
「ああ、助けなんか期待するなよ? まず、ここにいる連中以外は、もういただいちまったからな。つまり、この第三部隊兵舎で残っているのはお前達だけ……どこからも助けは来ないぜ」
「そ、そんな……」
傭兵達が、膝を折りはじめた。手にしていたカップが転がる。
「もう……だめなのか……」
「い、いやだ……そんなのはいやだぁ……」
「ふざけんな、タガメ野郎!!」
大音声で叫んで立ち上がったのは、キーモだった。
ベリウスはカラクリ人形のように、少し首を傾げた。
「タ、ガ……メ?」
「タガメで悪けりゃ蚊や、モスキートじゃ!! 人様の血ぃ吸わんとよぉ生きられんくせに、大層な能書き垂れてくれよったのぉ」
「ふむ……確かにエルフには魔法がある……厄介だな。先に殺しておくか」
ベリウスは一歩踏み出した。
キーモは腰の剣を抜いた。正眼に構える。
「運が悪いのぉ、おんどれも。わしはおのれの同族を倒したことがあるんや。手の内は読めとる」
「ふふん。ではその実力、口ほどのものか確かめてやろう」
にんまり笑ったベリウスは、腰のショートソードを二本とも抜き放った。
「……二刀流かい」
キーモの表情に少し強張りが走る。二刀流はそう簡単に習得できるものではない。はったりでなければ、二刀流というだけですでに相当の腕を持っていると考えてよい。
「ふ、ふん、ええやろ。相手に不足はないわい」
「抜かしてろ、クソエルフ」
へらっと笑って突っ込んできたベリウスに向け、キーモは足元の椅子を蹴り上げた。
―――――――― * * * ――――――――
蹴り上げられた椅子を片腕で払い落とし、キーモの剣と打ち合う。
その途端、グレイは部屋を飛び出した。
この行動に、戦っている二人だけでなく、その場に居合わせた傭兵全てが驚いた。よもや、組頭がいの一番に逃げ出すとは。
「なんや、グレイ!? こら、逃げるなぁっ!! くそ、見込み違いかい!!」
「ふはははは、守る者がいると弱いなぁ、人は」
「なんやて? どういう意味や、それは!」
ベリウスの二刀流を剣で必死にさばく。ベリウスは遊んでいるのか、表情に余裕がありありと浮かんでいる。
交差したショートソードと、キーモの剣の刃ががっちり噛みあった。
二人の顔がくっつきそうなぐらい近づく。
「今日の昼間、奴の婚約者が来た。今の話を聞いて、その彼女が心配になったのさ。だから、ここを抜けて村へ向かうつもりなんだろう。お前を囮にしてな」
「へっ、お前は追いかけんでええんかい」
「いいさ。クソエルフを殺して、すぐに追う。逃げられやせんよ。夜はオレの世界だ」
ひひっ、といやらしい笑みがその頬を歪める。
ぎぃん、と鋼が弾け震える音が響き渡り、二人は後方に飛び退った。
「くくくくく、そんなものか? オレはまだまだ本気を出してないぜ?」
やたらに赤い下を伸ばし、ショートソードを舐める。
キーモもふぅ、と一息ついて剣を構えた。
「そーら奇遇やな。わしもまだ全然本気やないんや」
「じゃあ、出しやすいようにしてやるよ」
ベリウスは部屋の端に集まって呆然としている傭兵達を見た。その眼が紅く光る。
「……貴様……そうだ、出て来い……」
見つめられたヒゲ面の傭兵が、夢遊病者のような足取りで進み出て来た。その眼はとろんとして生気がない。
「さあて、本気にならなければこいつに舌を噛ませ――おおっ!?」
振り返ったベリウスは、信じがたい光景を見た。そこにエルフの姿はなかった。
思わず傭兵達の方を見る。
部屋の隅で身を寄せ合っている傭兵たちは、一斉に首を振った。
ベリウスの頬肉がぴくぴくと屈辱に震えた。
「あ、あのエルフ……仲間を見捨てて逃げやがっただぁ!? ちくしょう!! 組頭のグレイといい、どうなってんだ!? この部隊はっ!!」
―――――――― * * * ――――――――
「こんなところで何をしている!?」
声をかけられたキーモの耳が、兎のようにピンと垂直に立った。
振り返ると、キーモに割り当てられた部屋の入り口にグレイが立っていた。細長い布包みを手にしている。
「戦闘は終わったのか!? まさか、もう……」
「アホ、んなわけあるかい! お前が逃げたさかい、わしも逃げて来たんやないかい! 武器が剣二本では足らんのや! それより、この辺に川はないんか!?」
「川? ……水汲みに使っている小川なら、この下にあるが……」
キーモは腰に二本の剣、後ろ腰に短剣、背に弓矢と盾、手に長槍を握って、廊下に出る。鎧は着ている暇がない。
「ヴァンパイアの弱点の一つに、流れる水が渡れんちゅうのがあるんや。あるいはそん中に入ってまうと動けへんなる、とかな。あいつはまだなりたてで、その辺の弱みとかよぅわかってへんはず。心臓抉り出して川に落としたったら、魔法の武器なんぞのぉても十分倒せる」
「その話、本当だな?」
一縷の希望を見出したグレイの表情が引き締まる。
「こんな時にホラ吹かんわい!!」
「すまん。なら、オレも手伝う」
「そらかまへんが……なんなんや、それ」
二人して廊下を食堂に向かいながら、キーモはグレイが手に持つ包みを気にした。
「これか。これは……我家に伝わる呪われし剣だ。呪いの剣でもこの際、魔法の剣に違いはない、と思ってな」
「ま、あいつを斬れるんやったらなんでもええわい。ほな、斬る方は任せるで。わいが何とか動きを止めるさけ」
「わかった」
二人は腕の背をガツンと交わらせ、頷いて食堂へと戻っていった。
―――――――― * * * ――――――――
食堂へ戻った二人が見たのは、惨劇の現場だった。
残された傭兵達はことごとく首筋の二つの穴から血を流し、倒れ伏している。
重い音を立てて最後の犠牲者が床に落ち、口元を真っ赤に濡らしたベリウスが振り返る。
「……なんだ、手前ぇら。逃げたんじゃなかったのか?」
ひひひっ、と下品に笑う。
「アホ抜かせ。何で怪奇タガメ男ごときに逃げなんならんねん。準備を整えてきただけや」
部屋の中で使うには不向きな、長い槍を構えるキーモ。
「……ベリウス」
グレイは長細い袋を開き、中から一振りの剣を取り出した。
「お前への借り、お前を滅ぼすことで返そう」
「え〜とそれは……借りを踏み倒すっちゅうことか?」
「違う」
キーモのボケに対し、ぶっきらぼうに吐き捨てながら、ずらりと鞘からその剣を引き抜く。
否。それは剣にあらず。
刀――カタナ。
僅かに湾曲した片刃の剣は、サーベルと呼ぶには柄の造りが淡白だったが、その刃は美し過ぎた。冴え冴えとした白銀の輝きを放つその刃には、波のような紋が浮かび上がっている。素人目にもそれが唯の武器ではないことはわかる。それはまさに、世界にも僅かしか存在しない"カタナ"と呼ばれる逸物だった。
そのうえその刀は何やら青いオーラのようなものをまとっているようにも見えた。
ベリウスの目が細められた。
「ほほう、いい物を持ってるな。そいつぁ、高く売れるぜ。だが、値段じゃ今のオレは斬れねえなぁ」
グレイは無言でその刀を両手で持ち、真っ直ぐに構える。
ベリウスの勝ち誇った笑みは変わらない。両手を広げ、胸を突き出す。
「いいぜ、勝てると思うならさっさとかかってきな。その代わり、お前らは殺す。オレに逆らった奴は、生かしちゃおかねえ」
―――――――― * * * ――――――――
「死ぬんはおのれじゃっ!! 『マジック・アロー』っっ!!」
いきなり魔法の矢を呼び出し、間髪入れずにベリウスに全弾叩き込む。
さすがのヴァンパイアものけぞったところへ、グレイが斬りかかった。
「けえええぇぇいっっ!!」
乾坤一擲の一振りを、ベリウスは両手の剣で上手く受け流した――つもりだったが、二本のショートソードは甲高い音を立てて柄元から断ち切られてしまった。
「おおっ!?」
驚くベリウス。間を置かず、キーモが突っかかった。
ロングスピアを腰だめにベリウスの胸の真ん中を突く。
槍の穂先はベリウスの胸を正確に突き、そのまま勢いよく窓を打ち破って兵舎の外へと押し出した。
「ぬううっ、クソエルフっ!!」
体勢を崩さずに着地したベリウスは、胸に刺さった穂先を無理やりへし折るようにして引き抜き、夜闇に包まれた森の中へ投げ捨てた。
憎しみと怒りに赤く輝く眼で、自分が破った窓を睨みつける。
キーモはロングボウに矢をつがえていた。その矢の先には、いつの間に点けたのか火が灯っていた。
ベリウスの顔が蔑みに歪む。
「……火だあ? 火が効くのはトロール (身の丈3mほどの食人鬼族。肉体損傷に対する驚異的な復元力を持つ) だぜ、クソエルフ!!」
吼えて爪を振りたて、窓際に駆け寄る。
「オレの爪は、貴様ごとき紙のように引き裂――」
キーモの指から弦が離れた刹那、ベリウスの右眼に矢が突き刺さった。
ベリウスの狙いは外れ、窓枠を素手で剥ぎ取っただけに終わった。
「ぐああああっっ!!」
慌てて眼球ごと右目から矢を引きずり出したベリウスは、矢を投げ捨て、潰れた右眼をそのまま右の眼窩に戻した。
眼球はあっという間に復元し、再び赤い光を放つ。
「……くくく、どうだ! これがヴァンパイアの超復げn――」
勝ち誇った瞬間に、再び弦の音。今度は左眼に突き刺さった。
「ごああああああああっっ!!」
吼えてのけぞるベリウス。左眼の矢を抜くより早くさらに弦が弾け、右眼にも突き刺さった。今度はのけぞるだけでは済まず、地面に転倒した。
両眼から矢を生やし、悶絶して転がり回るベリウス。
それを上から見下ろしながら、キーモは傲然と言い放った。
「ふふん、憶えとけ未熟者。エルフは夜目が効く上、天然の一流射手(スナイパー)なんや。矢をつがえたエルフに真正面から襲い掛かるなど、愚の骨頂!! 勉強が足らんわっ!! なーっはっはっは!!」
ベリウスが両眼から矢を引き抜こうとしている間に、キーモは手の平を向けた。
「『ブレイズ・バースト』!!」
キーモの手の平から飛んだ炎の矢がベリウスの胸に刺さる。次の瞬間、それは轟音と共に直径6mの火球となった。
その衝撃で大きく吹っ飛んだベリウスの身体は斜面に落ち、そのまま樹間を闇の底へと転がり落ちていった。
「……近すぎたのぅ」
けほ、と咳を一つついたキーモの口から、黒い煙が漏れる。その全身は服の消し炭やら何やらで真っ黒になっていた。
―――――――― * * * ――――――――
「く、くそ……なんだあのクソエルフ……妙に戦い慣れてやがる」
第三部隊兵舎で水汲み用に使われていた小川のほとりで、ベリウスはボロボロの身体を引きずっていた。
真円に近い月の光の下、ボロボロと体から消し炭が剥がれて落ちて行く。それが衣服のなれの果てか、それとも再生が済んだ皮膚の炭化した部分なのかはわからない。
幸い、両眼に突き立った矢は炎に焼かれ、視界は回復していた。
「……お前は、ヴァンパイアの力を過信しすぎた」
背後からの声に振り返ったベリウスは、そこに人影を認め、顔をしかめた。
人影のその手の先から伸びる、細い三日月を思わせる銀の輝きがしきりに眼を射る。
「グレイか。……今、なんと言った?」
聞きながら、舌なめずりをする。新鮮な血を吸えば、今のダメージもよりすみやかに治るだろう。
グレイはそれ以上何も語らず、手のカタナを顔の前で水平に構えた。そのまま上体を右後方にねじりつつ、腰を落とす。顔の横に構えた白刃の切っ先がベリウスの胸を狙う。
「問答無用かよ……案外冷てーな。だが……一人で来たのは間違いだったな!!」
ベリウスは河原を蹴って、一直線にグレイに襲い掛かった。
瞬間、カタナは青白い炎のようなものをその刀身にまとわせた――グレイの手首が返り、虚空を薙ぐ白銀の閃きがベリウスと交差する。
ベリウスの爪はグレイの肩口を引き裂いただけに終わった。
「ちぃ、外した――か?」
振り返ったベリウスは視界が傾いていることに気づいた。
傾きはだんだんひどくなり、ついに世界は一回転した。
「な、なんだ!?」
視界の端で何かが倒れ、小川の水を跳ね上げたのが見えた。
「か、身体? ――まさかっ!?」
水際に倒れているのは、胸の中ほどから上を失った人間の身体。そして自分の身体を見下ろせば、その部分がなかった。腕もない。
驚きに声もないベリウス。
「ベリウス。哀れだな」
振り返ったグレイの言葉が、小川のせせらぎだけが聞こえる夜のしじまに響く。
刀の背を自らの肩に載せたグレイ。その刀身が青白く輝いていることに、ベリウスは気づいた。
「それは……魔剣だったのか」
「魔刀ライフサッカー。持つ者の命を刃に変えて、全てを断ち切る刀。俺の親父も、そのまた親父も、こいつに命を吸い尽くされて死んだ。皮肉なものだな。こいつを封印するために旅をしていたのに、こいつに救われるとは」
「オレを斬ったぐらいで……思い上がるなよ、グレイ。オレには無限の再生能力があるんだ」
頭を振り振り胸から上だけで、自分の身体へとにじり寄って行くベリウス。
グレイは首を振った。
「水に浸かると、ヴァンパイアは力を失うそうだ。切り口が水の中では、もうどうすることも出来まい」
胸から小川へ向かって突っ伏したベリウスの身体は、グレイの言う通り生気を失っていた。脱力したようにべったり伸びきっている。
しかし、それでもベリウスはにじり寄るのをやめなかった。
「ほざけっ! オレが……このヴァンパイアに生まれ変わったオレ様が、貴様らごときにやられるはずが――」
「ベリウス……礼を言うぞ」
「なに?」
「お前が自分でもよく知らないヴァンパイアの力に溺れてくれたおかげで、大事なく済んだ。お前の盗賊としての技能に、ヴァンパイアの能力を上乗せされていたら、あのエルフとオレぐらいではとてもお前を止めきれなかっただろう」
しばらくポカンとして、グレイが近づいてくるのを見ていたベリウスは、やがてへらへらっとしまりのない笑みを浮かべた。
「そうかよ。そうすりゃよかったんだ。ちっ、最期までバカにしやがって。……へへ、次はうまくやるとするぜ」
「さらばだ」
青白い炎をまとった刃が、笑うベリウスの首を刎ね――続けて身体の方の心臓も串刺しにした。
首は小川の中に落ち、身体は灰と化して風に舞い散った。
―――――――― * * * ――――――――
闇の底へ落ちたベリウスを追うべく、窓から飛び出そうとしたキーモの眼前に、黒い影が現われた。
屋根の上から飛び降りたとおぼしきその影は、キーモの飛び出しを予想していなかったのか、派手に額と額をぶつけて地面に転がった。
「ぐおおおおおっっっ…………ってぇな、このバカッ!! 窓から飛び出すときはちゃんと上下左右を確かめろ、くそっ!!」
「いたたたた、目から火花が……そっちこそ落ちてくる時は一声かけんかい――ってその声はシュラか!?」
額をさすりさすり、二人は立ち上がった。
「なんだ、キーモか!? 何でお前、またよりによって窓から……ははん、さっそくトラブルか」
服の消し炭まみれで半裸状態のキーモの姿に、シュラは覆面から覗く眼をからかいの笑みに細めた。
キーモはシュラのからかい笑みに構わず、取り落とした弓と矢を拾い上げていた。
「おう、トラブルもトラブル、大トラブルや。ヴァンパイアが出おった。うちの兵舎のもん、わいと組頭除いて全員やられてもた」
「ヴァンパイア!? ……こっちはそんなのが出たのか」
シュラは覆面を引き下げて、しかめた顔を露出させた。
「いや、実は俺が連れて行かれた第一部隊兵舎にも狼男が襲ってきやがってな。マイク=デービスの件も絡んでいるらしい」
「んなもんは後でええわい。今はあいつを仕留めんのが先や!!」
「そうだな、どこだ?」
シュラの目の前で、キーモは漆黒の闇に包まれた森の斜面へ身を躍らせながら叫んだ。
「この下や。川があるさかい、野郎は向こうには渡れん。逃げてなんだら、こっちへ上がって来よるか、上流下流のどっちかへ――おぅわっ!!」
何やら落ち葉で滑ったような音がして、何かが倒れた。そのままその何かがずるずる滑り落ちて行く音と共に、キーモの悲鳴も遠ざかって行く。
「おぎゃらげがふごわおがああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
立ち木にぶつかっているのか、鈍い音が何度も続いていた。
残ったシュラはため息をついた。
「暗がりが見えるからって、自由に行動できるとは限らんのだよなぁ……」
―――――――― * * * ――――――――
斜面を転がり落ちてきた半裸のキーモに、鞘に刀を収めたグレイは驚いて駆け寄ろうとした。
「大丈夫か!? ――むっ!?」
足が止まる。斜面の森を睨み上げる。
警戒し、刀を抜こうと構えるグレイに、キーモは跳ね起きた。
「待て待て待て! グレイ、それはわしの知り合いや。大丈夫やさかい、殺気立つな! ――シュラ!!」
キーモの呼びかけに、シュラは梢から身を躍らせた。高さに物を言わせて五回転半後方反転にひねりを加えつつも、最後は高さを感じさせない静かな着地を決める。
「おお……」
その見事な空中曲芸にグレイも思わず見とれた。キーモはいつものごとくに舌打ちをする。
「けっ、ええカッコしいが――ま、ええわ。それはそうと終わったみたいやな、グレイ」
「ああ。奴は灰になった。……礼を言う。助かった」
素直に頭を下げるグレイに、キーモは満足げに頷いた。
「ええがなええがな。ほな、お互い紹介しとこか。――シュラ、こいつが第三部隊の組頭グレイや」
グレイは頷き、傍らの岩に腰を預けた。
シュラとキーモはそのまま地べたで胡座をかいて座り込む。
「ほんでグレイ、こいつはシュラ。俺も実はキモンやのうて、キーモなんや」
「キーモにシュラ……どこかで聞いた名だな」
眉をひそめるグレイに、シュラは半覆面をずり下ろし、得意げな笑みを露わにした。
「俺達は『愛の狂戦士部隊』だからな。そっちの方が通りがいいんじゃないか?」
「ああ、あの……。あ、いや、その……お噂はかねがね」
一旦は頷いて破顔したグレイだったが、すぐに微妙な表情で言葉を濁しにかかった。
「どんな噂かは後でじっくり聞くとしてや。シュラ、なんぞ重大な情報があるんとちゃうのか? こいつは信用してもええと思うんやがな」
「お前の信用は当てにならん」
苦笑したシュラは、しかしグレイに目を向けた。
そして、第一部隊兵舎で見聞きしたことを二人に全て話した。
話が終わるや、グレイは唸った。
「……つまり、デービス領主は闇の軍勢を手に入れたかったということなのか? そのために俺達傭兵を集め、狼男とヴァンパイアに襲わせる」
シュラは首を振った。
「その辺の理由はよくわからん。ただ、デービスが嘘で傭兵を集めたってことと、俺達が狼男とヴァンパイアに襲われたということだけは事実だ。あとは本人を問い詰めるしかないだろう」
「それはそうだが……」
考え込むグレイ。
「ちょお待てや」
キーモの割り込みに、シュラとグレイは同時に顔を向けた。
「シュラ、お前第一部隊兵舎におったんやな? んで、そこを襲った狼男が第二部隊兵舎を襲う手はずになっとった」
「ああ、それがどうした」
「第一、第二はシュラが助けた。第三(ここ)はわいとグレイで凌いだ。ほな……第四、第五は今どないなっとんねん」
シュラとグレイが顔を見合わせた。
「ヤバイな……ここに来たヴァンパイアが第四、第五を襲う手はずになっていたのならいいが……」
シュラの引き攣った笑みに、グレイも表情が硬張る。
「それ以外なら、惨劇だぞ。……どうする!?」
唸る二人。再びキーモが口を挟んだ。
「とりあえず、第一か第二部隊の兵舎へ行かへんか? ここで話しとってもどないもならんし、他の連中にも聞いたらなんか知恵出るかも知らんで?」
グレイは頷いた。
「そうだな……その案に賛成だ。第三(ここ)の連中の処置もあるしな。一旦あちらへ合流し、第一、第二から何人かを募って第四、第五の様子を見に行こう」
「いや……潜入捜査は俺の領分だ」
シュラがゆらっと立ち上がった。
「俺一人で行ってくる」
「大丈夫……なのか?」
不安げなグレイに、シュラはドンと胸を叩いて覆面を引き上げた。
「心配するな。俺は戦士じゃない。考えなしに突っ込んだりしない。ヤバそうだったらすぐ引き返してくる……まぁ、万が一戦闘が必要なら、あんた達に譲ってやるよ。――じゃあな」
言うなり、斜面の森に向かって跳び上がった。
月の光に照らされた枝がいくつかざわめき――その後ろ姿はすぐに樹間の闇にまぎれて消えた。