愛の狂戦士部隊、見参!!

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第二章 デービスの叛乱(その1)

「は〜……ここが、ハブラ・ビン」
 鎧を入れた大きな袋を担いだゴンが感嘆の声を漏らし、周囲を見回す。
 四人がスターレイク=ギャリオートの『テレポート』の魔法で送り込まれたのは、きちんと護岸工事のなされた港のようなところだった。ただし、周りに広がっているのは青い水面ではなく、緑の草原である。その草原を渡ってきた気持ちいい風が吹いている。
「しかし、なんでまた陸地に港なんか作りよったんや。アホちゃうか」
 へらへら笑うキーモに、シュラはさもバカにしたように鼻を鳴らす。
「は。アホはてめえだ。昔はここまで水が来てたんだろ。旱魃やら、天候不順やらで水が干上がっちまって、港だけが取り残される……内陸の湖畔都市ではある話だ。なあ、ストラウス」
「いや、そういう話は聞いたことあるけど、ここのは違う。これは今使われてる港だよ」
 ストラウスは飄々と答えた。残る三人は目を丸くする。
「アルゴス大草洋はその名の通り、まさに草の海。その草の海に点々と村や町が散らばってるわけだけど、それらをつなぐ道ってのがほとんどない。なぜだと思う?」
「……モンスターか」
 シュラが少し硬い口調で答える。
「ああ、確かにそれはあるか。アルゴス大草洋には未知のモンスターがまだまだいっぱいいるらしいからなぁ。ま、それも一因かもしれないけど、実は草の成長が人の行き来より早いもんで、道が作れないのさ。作るはしから草に埋もれちゃうから」
 ストラウスは港を背にして、町に向かって歩き出した。
 三人もめいめいの荷物を抱え、その後について歩き出す。
 ゴンが訊ねた。
「でも、ハブラ・ビンてアルゴスの中心で、交易都市なんだろ? どうやって行き来してるのかな?」
「せやな。物と人の行き来がなかったら、交易なんてできへんもんな」
「船を使ってるそうだよ。だから港があるんじゃないか」
 ストラウスの答に、三人はたちまち疑惑の表情を浮かべた。
「船ぇ〜?」
「水もないのに、なんで船が走るんや!」
「しかも、そうだよ、っちゅーことはお前も又聞きか。そんな噂を鵜呑みに――」
「師匠が言ってたんだから、間違いない」
「ああ、そうか。それじゃ間違いないな」
 シュラがあっさり前言を翻し、ゴンとキーモも頷く。
「なんでも、草の上を走る帆船で――あ、アレじゃないか?」
 ふと振り返ったストラウスが足を止め、背後を指差す。三人は振り返った。
 三人は目を疑った。水平線――もとい、地平線の向こうから、帆船が走ってくる。海の上に浮かんでいるものとほとんど変わらぬシルエットが、こちらへ滑るように。
「えええええっっ!?」
「おおおおおっっ!?」
「ほ、ホンマに走っとる……」
 近づいてくる帆船を呆然と見ている一行。
「動力とか原理とかまでは聞いてないから、俺に訊かないように。まあ、そう言うことだから。――あ、と。そうそう、もう一つ」
 踵を返しかけていたストラウスは、ふとその足を止めた。
「キーモ、シュラ。ハブラ・ビンは武器使用禁止だから。違反すると首か手を切り落とされるって話だよ。自警団もかなり強いって話だから、気をつけた方がいいんじゃない?」
 しかし、二人はそんな話など気にも留めず、ただひたすら『すげー』とか『あれ乗りたーい』などと騒いでいた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 五日後。
 『草原船』に乗ったオブリッツ監査官が到着し、一行の泊まる『グラスショアー(草の波打ち際)亭』を訪れた。
 大きな手提げカバン、きちっと着こなした正装、手入れされた八の字ヒゲ。年の頃は四十から五十代。影の薄い、どこぞの貴族の執事と紹介されても、全く疑いを持たれないであろう風体の男だった。少なくとも、高級官吏といえば思いつく慇懃さのオーラがない。
「やあやあ、お待たせしました」
 一行の若さに驚きもせず、正装の中年男は気安く手を差し出した。
「わたくしがメイジャン=オブリッツ、北方領地監査官です。以後、よろしくお願いします」
 ストラウスを始め、全員と握手を交わしたオブリッツ監査官は、一行とともに奥のテーブル席に着いた。
 高級官吏にしては珍しい腰の低さに驚いている四人を尻目に、オブリッツ監査官は宿の娘に五人分の飲み物を頼んだ。そして、その飲み物が揃うのを待って、協議は始まった。
「――さて、皆様。わざわざ北方へのお運び、誠にありがとうございます。わたくしと致しましても――」
「あー、ちょっと待って」
 "愛の狂戦士部隊"の面々の間に漂う困惑と白けたムードを感じ取り、ストラウスが遮った。
「そういうかしこまった言い方とか、もって回った言い方されるとさぶいぼの出る連中ばっかりだし、単刀直入に行きましょう」
「あ、これは失礼。では、単刀直入に。……皆さんの指令については一応、聞いております。わたくしの職務遂行のための情報収集と陰からの警護、そうですね?」
「ああ、間違いあらへん」
 一息に飲み干したキーモは空っぽのジョッキを見ながら頷いた。
「ああ、すいません、お代わりは後にして下さいね。なんでしたら、わたくしのを差しあ――」
「おお、おっさん話わかるのう。さんきゅー」
 目にも止まらぬ速さで、キーモはオブリッツ監査官のジョッキを奪い取った。
(……グラドスで痛い目にあったのが、何にも身になってないじゃないか……)
 ストラウスが恐縮して軽く頭を下げる。
「ええと……続けます。表向きの警護に関しては、ハブラ・ビンから数名衛兵を連れてゆく算段になっています。ですので、わたくしとしては、皆さんに警護より情報収集に力を入れていただきたいと思っております」
「それは助かりますけど……なんか、えらく信用されてるんですね、僕達。冒険者なのに」
「当然です」
 ストラウスの皮肉交じりの一言に、オブリッツ監査官はにっこり微笑んだ。
「陛下直々の推薦に加え、あのスターレイク=ギャリオート様がマジックギルドに連絡を依頼するほどの事件を任される事実、それに皆さんの後ろに控えておられる師匠の名前を聞けば――」
「まあ、師匠のことはおいとくとして」
 口を挟んだシュラはちょっと唇を尖らせていた。
「信用されてるのはやりやすい。よろしく頼む。で、まず何をしたらいい?」
「そうですね……まず、皆さんにだけは伝えておかねばなりませんね。マイク=デービスは――」
 唐突に出てきた叛乱容疑者の名に、一行の空気が変わる。
「――限りなく黒です」
「え?」
 ストラウスだけではなく、全員の眼が点になった。
「な、何や、もうそんなとこへ話しが飛ぶんかいな」
「ここへ来る前に、ミアに寄って来ました。村の生活自体に変わりはありませんが……妙な空気が漂っています。わかりますか、この表現?」
「村人達も気づいていないけど、どこかに不安めいた緊張感が漂っているという感じですか?」
 ゴンの答えに、監査官は頷いた。
「関所もそうです。対応自体はいつもと変わらないんですが、妙に視線のようなものを感じる。それに、知り合いが数人よそよそしかった」
「それだけで?」
「勘というのも大事な要素ですよ? とにかく、あそこで何かが起きつつあるのは間違いありません。あなた方にはそれを探ってほしい。できるだけ迅速に。そこで、こういう方針で行きます」
 監査官は自分の策を説明し始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 三日後。
 アルゴス大草洋を走る草原船の上甲板に四人の姿があった。
 船首近くの見晴らしのいい場所で、四人が車座になって座っているのは少し目立つが、それを気にする連中ではない。
 そもそも今は昼食の時間なので、他の乗客は食堂に集まっている。"愛の狂戦士部隊"は、同乗するオブリッツ監査官一行と極力接触しないため、食事の時間をずらしていた。
 四人の前には食堂からいただいてきたジョッキが並んでいた。
「……というわけでぇ、ミアにはバラバラで潜入することになったわけだが、それぞれ方法を考えただろうな」
 ストラウスの問いに、キーモが自慢げに唇を歪ませる。
「くっくっく、任せとけ。わいがごっついの考えたった――つーか、グラドスにおった時から考えとった」
「却下だ」
 シュラのにべもない一言に、キーモが吠える。
「なんやとわれ、人の話も聞かんと何を――」
「どうせ力ずくで突破とか、関所を避けて潜入とか、そんなところだろう。できるか、そんなこと」
「誰もそんなこと言うてへんやろがっ! ……ははーん、さてはわれもおんなじこと考えよったな?」
 いやらしげな目つきで嘲うエルフに、シュラが珍しく狼狽した。
「バ、バカ言え、なんで俺が」
「ほな、われの方法を聞かせてもらおかい」
「あー、いや、方法というか……別にそのまま通ったらいいんじゃないのか?」
 たちまちキーモは嘲りの笑みを浮かべ、やれやれとばかりに両手を広げた。
「シュラ、お前アホちゃうか」
「な、なに?」
 キーモは肩をすくめたまま、首を振った。
「この時期に何の用事もないのに村に来る奴なんぞ、普通そんだけで警戒されるか、ひょっとしたら追い返されるんとちゃうのか」
「ああ、確かにそれは言えるかもね。怪しげなことしてる奴って、怪しげな奴を疑うからなぁ」
 ゴンが相槌を打つ。そして、その相槌がキーモを増長させた。
「せやろ? やれやれ……いややねぇ、学のない人間は。こんな簡単なことすらわからへんねんからなぁ」
「待てこらぁっ!!」
 シュラは両手でキーモの襟首をつかみあげた。
「今のだけは聞き捨てならねえ!! ストラウスからならともかく、てめぇから学がないなどと言われる筋合いはねえぞっ! こっちは無理矢理とはいえ、師匠にいろんな学問を教えられてんだっ! てめぇなんざ、教わる相手すらいねぇだろうがっ!」
 こめかみに血管を浮かせて怒り狂うシュラに、キーモはいよいよ馬鹿にした目付きを強めた。
「へっへーん。本当の学とは生活に即したものや。おのれの言う『いろんな学問』とやらも、ここではむわ〜〜〜ったく、役に立ってへんやんけ。え? どうや? 何とかゆうてみぃ」
 キーモの軽蔑の眼差しと余裕の薄笑いが、とうとうシュラの怒りに火を着けた。
「くききききぃぃぃぃ……!」
 嫉妬深い女のような歯軋りを立てて身悶えたシュラは、自らの懐に手を突っ込んだ。
「ここまで頭に来たのは生まれて初めてだっっ! てめえだけは許せねぇ! この場で切り刻んでくれるっっ!!」
「殺れるもんなら殺ってみぃ! その前にこの呪文で――」
「二人とも、やるんなら表でやれ」
 鋼糸を引き出したシュラと魔法を唱える態勢に入ったキーモに、ストラウスの冷静な指示。
 二人はいつも通り、その指示に従って立ち上がった。
「おお、そうやのう、表で決着つけたるわ!! 来いや、シュラ!」
「はっ、それはこっちのセリフだぜ……てめえの命も今日が限りだ」
 そうして二人は睨み合いながら甲板の手すりを越え――
「うわあああああああっっっっ!!!!」
「おわーっ、落ちるっ落ちるっ!!」
「バカッ! 俺の足に捕まるなっ!! 落ちるんならお前だけ落ちろっ!!」
「殺生なこといいなや、仲間やんけ! 落ちる時は一緒やぁ!」
「お前と心中なんかごめんじゃー!!」
 手すりの向こう――船べりにぶら下がりながらも続く喧嘩。
 ゴンとストラウスは何かから解放されたように、大きく深呼吸をしてジョッキをあおった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……まあ、言い出しっぺはキーモだしな。決着はキーモの話を聞いてからでもいいんじゃないか?」
 あくまで冷静に告げるストラウス。
 キーモとシュラは何とか船べりから生還したものの、四つんばいで肩で息をしている。
「まぁ、僕とストラウスはもう決まってるしね。後はシュラたちだけのことだし」
「な……なにぃ……」
 相変わらず呑気なゴンの発言に、シュラとキーモは苦しげな顔を上げた。
「僕はアレフ師匠からの紹介状があるし、ストラウスはさすらいの農業技術顧問だって」
「さすらいの……な、なんじゃそら?」
 苦しい息の下からシュラが問う。
「土壌改良から、品種掛け合わせ、データによる天候予測、効率的な作づけ方法……農業に関することなら何でもござれの歩く知恵袋。人呼んで、アグリカルチュリスト・マーリン。――ふ、俺に耕せぬ大地はない」
 一人ポーズを決めたストラウスの瞳が妖しく光る。
「まあ、ストラウスは鍬持ってるし、格好が格好だしね。それに、四人一緒ならともかくストラウスだけなら、何とか僕の口利きで入れると思うし。司祭と農業技術顧問の取り合わせなら、あんまり警戒されないんじゃないかな」
「……取り合わせ以前に、ストラウスのあのボケは呆れられそうな気もするが」
「そこまでは知らないよ。で、シュラたちはどうする?」
 シュラは苦々しげにキーモを振り返った。
「おう、どうするつもりだ。キーモ」
「簡単な話や……わしらは傭兵として入ったらええんやんけ」
 キーモは何とか身体を起こしたものの、船べりの手すりに背中を預けていた。まるで格闘技の選手がコーナーポストで休んでいるみたいに。
「傭兵だ?」
「ああ、せや。マイクのおっさん、傭兵集めとんのやろ。そのまま部隊に入ってしもたら、内部の潜入捜査もできるやんか。どぉや、完璧やろ」
 得意げに唇を歪めるキーモ。
 すぐにストラウスは賛同した。
「なるほどな。それは確かにいい案だ。もっとも、まだ傭兵募集してたらだけど」
「そん時は関所でひと暴れして、わいらの実力見せたったらええんやんけ。向こうの方からどうぞ入ってくださいって言うようにな」
「そうだね。叛乱を起こす気ってことは、戦力はあればあっただけ助かるだろうしね」
 ゴンも頷いた刹那、キーモの鼻先をシュラの拳がかすめた。
「お、おわっ!! 何すんねん!」
「ふっふっふ、確かに案は完璧かもしれんがな、俺は馬鹿にされたら、最低3倍にはして返すことにしてんだ!」
「口でへこまされたくせに、拳で返す気かい! 大人気ないのう!」
 シュラの構えに応じて、キーモもファイティングポーズを取る。
 両者の間に火花が散る。そして、今しも衝突しようかと言う瞬間、ストラウスが告げた。
「お前ら、ちょっと待て」
「なんだっ!」
「なんやっ!!」
 ストラウスはイラついた表情で、親指を外へ向けた。
「喧嘩は外でやれと言ってるだろう。はた迷惑だ」
「おお、わかったわい。シュラ、こっちや! 来んかい!」
「命令すんな、ドブエルフ! 言われんでも――うわああああっ!」
 睨み合いながら手すりを越えた二人は、再び船べりにぶら下がる羽目に陥った。
「わひゃあああっっ!! 落ちるっ落ちるっ!!」
「だーかーらー、俺の足に捕まんなって……ああっ、てめ、どこ握って――おおっ、あはぁ……。じゃなくて、そ、そこは握る、にぎ――あふぅん」
「変な声出すなぁ!!」
「あ、アホ……変なとこ握るから……握らんといてぇ、そこ、そこはアカン……」
 手すりの向こうの騒ぎを一切黙殺し、ストラウスはゴンの肩を叩いた。
「ほな、話は決まったし、昼飯食べに行こうか」
「今日のオカズはなにかなぁ」
 ゴンもにこにこ笑って船内に下りる階段へと足を向けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 その時、入れ代わりに娘が一人、甲板に上がってきた。
 年はゴンたちと同じくらい、素朴な面持ちだが切れ長の眼が印象的な娘だ。服装も軽快なもので、どこか冒険者の類の雰囲気がある。
(あ、かわいい)
 などと思いながら道を譲るゴンに、娘は軽く会釈した。
「あ、ごめんなさい。ありが――ちょっと!」
 急に肩で切り揃えられたブラウンの髪が跳ね上がった。
 船べりで手すりからぶら下がって喚いているシュラに気づいた娘は、機敏だった。ゴンを突き倒して船べりまで行き、身を乗り出してシュラの腕をつかむ。
「大丈夫!? 今すぐ引き上げるから――って、もう一人いるの!? なにやってんのよ、あんた達!」
 突然の叱咤に、シュラたちの喧嘩も止まる。
「あ、いや、俺はその――あおぅん」
「変な声出さないっ!! ちょっと、もうちょっと頑張って――そこの人たち!! なにしてるの、助けなさいよ!!」
 振り返った娘は、船内へ降りる階段の前で成り行きを見ていたゴンとストラウスに呼びかけた。
「なにしてるって……なぁ、ゴン」
 二人は顔を見合わせて苦笑した。
「それはそいつらの自業自得だから」
「なにバカなこと言ってるのよ!! だからって見殺しにしていいって法はないでしょう!! 早く手を貸しなさい!」
「は、はい」
 娘の気勢に呑まれ、思わずゴンが手伝いに走る。
 ストラウスは少し考えてから、辺りを見回した。ある物を見つけ、そちらへ歩いてゆく。
 娘とゴンは二人でシュラの腕をつかみ、力を合わせて引き上げようとした。しかし、男二人分の体重というのは容易に持ち上がらない。
 左脚と股間をキーモに握り締められたシュラは、ゴンに懇願した。
「ゴ、ゴン、キーモや。キーモを何とかして――おっほぉうん」
「おのれだけ助かろうたってそうはいかんど、シュラ!」
 キーモは右手をぐりぐり動かした。
「あ、アホ、そこつかまれたら力が抜け――あ、あおうっ」
「だーかーらー、さっきからなにを変な声出してんのよ! あんたおかま!?」
「ち、ちが……こいつが……ゴン、キーモを落とせ! さもないと、俺の大事なナニが、ナニがもげ――もげえぇん、あううー」
「自分だけ助かろうなんて、男が浅ましいこと言わないっ! 二人とも助けるから、頑張って! もうっ、あんたももっと力出しなさいよっ!」
「は、はいぃ」
 とばっちりを食ったゴンは、恐縮してさらに身を乗り出し、シュラの服の襟首をつかんだ。
「うぬ、ぬぬぬぬぬ……」
 ゆったりした司祭衣の下で、筋肉に力がみなぎる。
 シュラとキーモの身体が少しずつ浮き始めた。
「凄い凄い、あなた凄いじゃない! 頑張って、ほら、ほら、もう少しぃぃぃぃ、うぅぅんんん〜〜〜」
 隣で力を合わせながら一心に叫ぶ娘の声援に応え、ゴンは全身の力を総動員した。
 ゆっくりと、しかし確実にシュラの上体が船の手すりの上まで上がってくる――しかしそこでシュラの手が、しきりにゴンの腕を叩いた。
「……ちょ……ゴン……待…………苦し……」
「わ、わわっ!? ご、ゴメ――」
 襟首に喉を締め上げられ、紫色になったシュラの顔に思わずゴンは手を滑らせた。
 再び落下したシュラとともに、腕をつかんでいた娘も引きずり込まれそうになった。
「きゃああっ!?」
「危ないっ!!」
 ゴンが慌てて腰にしがみつき、娘の落下を防いだ。
 しかし、自らの身長と同じぐらい落下したシュラは、キーモに握られている部分に荷重を受け、声も出さぬまま悶絶した。人間、本当に痛いと声も出せない。かろうじて指先を手すりに引っ掛けたのは、意地かそれとも本能か。
「ちょ……ちょっとちょっとぉ! しっかりしてよね!」
「ごめん、びっくりして……」
「いいから早く引き上げて……って」
 その時、ストラウスがやってきた――船べりから大きく身を乗り出したゴンと娘の前に、てくてくと歩いて。
「え――ええええ!?」
「はーい」
 支えも何もない虚空を歩く農民は、なぜか愛想笑いを振り撒いて手を振った。
 ゴンと娘が呆気に取られていると、船の外に浮かんでいるストラウスは少し高度を下げた。そして、どこからか持ち出してきたロープをキーモとシュラの身体にそれぞれ結びつけた。返り見れば、ロープの反対側の端はマストの柱に結び付けられている。
「……あんた、魔法使いなの……?」
 もう安全と見てシュラから手を離し、ゴンに抱きかかえられるようにして甲板に引き上げられた娘は、いまだ驚きが醒めやらぬ様子だった。
「レビテーション――空中浮揚の魔法さ。まだ物体遠隔操作の魔法は使えなくてね」
「とてもそんな風には……てっきり、どっかの村人かと……」
「よく言われる」
 ストラウスは笑いながら、キーモの指をシュラのナニから引き剥がし始めた。
「あ、こら、ストラウス、おのれ何をしてけつか――おわあおおぉぉぉ…………ぉぉぉおおおっ!!」
 ロープに吊られ、時計の振り子のように船べりを揺れるキーモ、そして男なら誰でもわかる安堵の溜め息を漏らすシュラ。
「……うう、すまん、ストラウス。ああ、自由って素晴らしい……」
「後は自分で登れるだろ、二人とも。それじゃ、これで」
 パンパンと手を打ち鳴らして甲板上に戻ってきたストラウスは、踵を返して船内へと降りて行った。
「とおぉっっ!! はぁっ!」
 即座にシュラがトンボを切って甲板上に舞い戻った。微妙に内股でポーズを決める。
 キーモもゴンと娘の手を借りつつ、ロープを伝ってやっとこさっとこ戻ってきた。
 甲板上で視線を絡み合わせた二人の瞳に、再び闘志が燃え上がる。
「しゅぅぅぅぅらあぁぁぁぁ〜」
「……きぃぃぃぃもぉぉぉぉぉ」
 獲物に飛び掛る寸前の猛獣のように、ぐっと両者が身を屈めた刹那、ゴンの鉄拳が二人の頭に落ちた。
「なにしやがるっ!」
「なんやゴン、てめえからゆわした――ろか?」
 腕を組み、師匠譲りの怒りスマイルで傲然と立ちはだかるゴン。
 その迫力に、二人の気勢は削がれた。
「二人とも〜、喧嘩再開の前に言うことがあるんじゃない〜?」
「な、なにかな、ゴン君」
「なんでっしゃろか」
「ほら、この娘にきちんとお礼言わなきゃ。いつも師匠が言ってるだろ? 礼節をわきまえなさいって」
 二人がほどいたロープを巻き取っていた娘が振り返る。
「あー、どこのどなたか存じませんが、お騒がせしました。アリガトウ」
 両踵を揃え、いささかぎこちない口調と表情でぺこりと頭を下げるシュラ。
「へん、わしは助けてくれなんて――」
「……アレフ師匠に報告しとくからね」
 途端にキーモは目を輝かせて、娘の右手を両手で握り締めた。せっかく巻き取っていたロープが落ちる。
「ありがとう、おネエちゃん。あんたはわしの命の恩人や。この借りはいつか必ず返すさかいにな」
 キーモと娘では背丈が頭一つ違うので、のしかかられるような構図になる。
「あ、ああ。あはは、いいのよ、困ってる時はお互い様だもの」
 少し上体を後ろにそらしながら、戸惑い気味にはにかむ娘。切れ長の目がより細くなった。
 キーモは泣いているように腕で目の辺りを盛んに拭った。
「くぅぅ〜、ええ人やぁ、あんた。……どこぞの暗殺者見習に爪の垢でも煎じて飲ませたりたいわ」
「へっ、どこぞのドブエルフにもな」
 振り返った両者の間で、バチバチと火花が飛び散る。
 再び睨み合いを始めた二人を放置して、ゴンは娘の手伝いを始めた。
「……ほんと、ありがとう。っていうか、ごめんなさい。手を煩わせちゃって」
 娘はふと手を止めた。不思議そうにゴンを見やる。
「なんであなたまで謝るの?」
「いや、だって……一応友達だし」
「ふぅん。その友達を見捨てようとしたんだ、あなた」
 声音の温度が十度ぐらい下がった。
 ゴンは慌てた。
「そ、そうじゃないよ。あいつらは別に手助けしなくても、最終的には自分で何とかする連中だから……」
「あ、そ。それじゃあ、あたし余計なことしたみたいね。それこそゴメンナサイ」
 不機嫌さを隠しもしないで会釈した娘は、巻取り中だったロープを乱暴にゴンに押し付けた。
「もう二度と余計なことはしませんから」
 吐き捨てるように言うと、呆然としているゴン、そして剣呑な空気に思わず喧嘩を中断したシュラとキーモに背を向けて、船尾甲板の方へと歩いて行ってしまった。
「なんや、何を怒ってるんや、あのおネエちゃん」
「あ、いや……もう二度と助けてはくれないって……」
「はぁ? なんでそんな話に。ゴン、お前何を言ったんだ」
「僕にもよくわかんない……」
 巻取り中のロープを抱えたまま、ゴンは首を傾げた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 翌日、船はガイア山脈の麓のある村に着いた。
 船はまだここから東へ向かい、ガル=ミラースの森を右手に見ながらぐるりと回り、地図にも載らない村々を巡って最後にハブラ・ビンへと戻る。
 "愛の狂戦士部隊"とオブリッツ監査官一行はここで降船し、それぞれに山の中へ――ミア地方へと向かった。


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