愛の狂戦士部隊、見参!!

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第一章 愛の狂戦士部隊 その日常(その2)

 周囲を石積みの城壁で守るグラドス最北辺。レルム川の西岸に壮麗……とはいいがたいが、大きな館がある。
 町の一街区分を占める敷地の奥で森に囲まれ、街壁に接して建つ三階建ての白い館。街壁より高い見張りの塔を一つだけ備えたその古い館こそ、王家の住まうグラドス城である。
 城と呼ばれながらも、およそ城らしからぬその建物は、実は初代レグレッサ王ファムスが建てさせたものである。
 当時、町を作り、その周囲に高い石壁を張り巡らせたファムス王は、こう述べたという。
『街壁内に敵軍の侵入を許せば、それはもはや敗北である。荒れ果てた街中に、ただ城建つのみは国の恥である。ならば潔く町を城、人を石垣とし、その堅牢強固なるを以って外敵を防ぐが肝要。友愛と勇気、不断の努力を国の支えとなし、王家はその定礎とならん。ゆえに城は最北辺より動かすことまかりならず。王家より先に市井が滅ぶこと許さじ』
 以来、城は多少の増築を行いはしたものの、ほとんどその外観を変えずにいる。
 もっとも、人目につかぬ地下にはいろいろ手が入っていると、もっぱらの噂ではあるが。


 初夏の陽射しが容赦なく照りつける。
 グラドス城の庭で、一組の師弟が組んづほぐれつしていた。
 ともにこの暑いのに黒装束で、年若い方は、その上にレザーメイル(皮の鎧)を着込んでいる。そして額には皮製のヘッドバンド。
「だから、そこをそうするからおかしくなるんだろうが。いいか、手首のここをつかんで、それからこの鋼糸を……こう相手の体に巻きつければ」
 年上の青年は少年の右手首をつかむと、逆手に極めたままあっというまに細い鋼線でがんじがらめに縛り上げた。その見事な糸さばきは、まるで少年の方から縛られに行ったようにさえ見える。
「どうだ。動きが封じられるだろう?」
 セリフとは裏腹に全く表情を変えない男は、特別警護隊長ラリオスだった。暑さを感じないのか、この陽射しの中でも全く汗をかいていない。
 男の指が微妙に揺れ、若い弟子――シュラの汗だくの身体に鋼糸が食い込む。
「あいててててっ、し、師匠、降参降参!! それ以上やったら体が切れるっ!!」
「抜け方はこの間教えたはずだ。自力で抜けてみろ」
「そ、そんな無茶な。師匠の技を俺なんかが……」
「御託はいい」
 ラリオスの指が微妙に動いて、鎧の肩当ての先がすっぱり切り落とされた。
「う、うわうわうわわっ!!」
「暗殺者になろうって奴が、このくらいで情けない。そんなことだから、先だっての件でも不覚を取るのだ。そうだな……二度と忘れられんように、腕の一本ぐらいいっとくか?」
 たちまち、シュラの顔色が変わった。
 ラリオスはやると言えばやる。必要とあらば、自分だろうが弟子だろうが平気で腕の一本や二本、ぽっきりといとも容易くへし折ってみせる。
「ぬああああああああああっ」
 関節各所でぽきぽき音をさせるや、少年は自らの身体を、絞られる雑巾のようにねじった。
「ていぃっ!!!」
 空中へと飛び上がり、緩んだ鋼線の縛めから抜け出す。空中で関節を全て元の位置に戻しつつ、華麗に3回転半ひねりを切って着地した。ブラウンの髪からも、汗の玉が飛び散る――ただの汗か冷や汗かはわからないが。
「――どうですか、師匠!!」
 鼻の上の傷をびっと真一文字に親指の腹でこすって、得意げに指をVの字に突き出すシュラに、ラリオスは嘆息した。
「……なんだ、それは」
「シュラ流縄抜け術奥義の一、竜巻タイフーン! 今作りました!!」
 師匠の拳がシュラの脳天に落ちた。鈍い音が響き渡る。
 ラリオスは頭を抱えて呻くシュラの襟首をつかんで、顔を寄せた。
「なるほど、関節を外して糸から抜けることは教えた通りだ。だが、その後のはなんだ? 空中で関節入れながら三回転半ひねって……なんの意味がある?」
「相手の度肝を抜けます!」
「抜けなかったら、お前はがら空きの背中を三回も相手に向けるわけだな。意味もなく」
「う……」
 もう一度シュラの脳天に拳を叩き込んで、ラリオスは襟首を突き放した。
「何でお前はそう、意味もなく高等な技術は教えもせんのにこなせるくせに、"棒縛"とか今みたいな基本的な技はからっきしなんだ。腕をひねり上げて、もう片手で糸を巻きつけるだけだろうが。抜ける方でも普通にやればよかろう」
 しかし、シュラは左手をひらひらさせながら、へらへら笑った。
「いやぁ、俺は多分、天才なんすよ。だから基礎なんて出来なくってもいいじゃないすか」
 その刹那、ラリオスのただでさえ鋭い眼がより凶悪に吊り上がり、鈍い光を帯びた。
 シュラは思わず自分の口を押さえていた。
 調子に乗りすぎた。言ってはいけないことを――咄嗟に大きく跳び退った。そのまま師匠に背を向け、全速力で壁に向かって走る。ヤモリのように壁に張り付き、微細なでこぼこを指先に捉えてよじ登る。
(やばいやばいやばい、逃げるが勝ちだ! このまま城外へ! ほとぼりが冷めるまで――)
 などと考えている間に、石を穿つ細かい音が連続し、シュラは無数の針で城壁に縫い付けられていた。
「げ」
 動けない。全身を濡らしていた汗が、一瞬にして引いた。
「ラリオス流暗殺術、鋼針殺法、投の奥義その七、人形包み(にんぎょうづつみ)――どこへ行くつもりだ、シュラ」
 師匠の放った針は、精確に身体の輪郭に沿って服一枚だけを貫いていた。
「あ、あは……いや、何か、誰かが呼んだ気がして……」
「師匠の教えの最中にか」
 怒気と呼ぶには冷たすぎる気配。これはもう殺気だ。
 壁に向かって縫いつけられたシュラには、師匠の顔が見えない。しかし、その声と気配だけで十分だった。
 ぷす。
 背中のどこかに針が刺さった――瞬間、生爪を引き剥がされるような痛みが走った。叫び声も出ない痛み。
「……………………!!!!!!」
「いつも言っているだろう。優れた技の使い手は基本をこそ最も美しく仕上げる。まして、俺の作ったラリオス暗殺術――」
 ぷす。
 また別の場所に刺さった――瞬間、虫歯の歯で思いっきり食べ物を噛んでしまったような痛みが炸裂する。
「――基本も修めずに、応用ができるなどというふざけた真似は、俺をバカにしているとしか思えん」
「しししししし師匠、決してそんな――」
 ぷす。
 唯一自由になる手先足先が、奇妙にくねり踊る。
「……………………!!!!!!」
「大体、より基本の鋼針殺法を修めずに、いきなり鋼糸殺法から始めやがるし――」
 ぷす。
「しかも、教えてないことまでやりやがって。やっぱりお前、俺をバカにしてるだろう」
 ぷす。
「なんか言うてみ、ああん?」
 何か言おうと思っても、痛みが強烈で口が開けない。ただ鼻上の傷の両端が、奇妙に上下して波打つばかり。
 シュラはかろうじて顔をねじ向け、涙目で降参を訴えた。
「……暗殺者が泣くなよ」
 ぷす。
 のけぞって大きく口を開けるシュラ。やっぱり声は出なかった。

 その時、鉄柵の門が開く音が聞こえた。
 さして敷地の広くないグラドス城、二人の位置からも正面城門が開いているのが見えた。
 門を抜けて来たのは一騎の騎影。
 かなり遠方から飛ばして来たらしく、馬も騎手もかなり疲れているのが遠目にもわかる。
 全身から汗を滴らせている馬を馬丁に預けた騎手は、慌ただしく城内へ駆け込んで行った。
 何かあったな、と眼を細めたラリオスは、ふと傍らの弟子を横目で見た。上目使いに含み笑いをしている。
「し、師匠、国王様から依頼が来たら、行かなきゃなりませんよね? ね?」
 冷たい眼差しでじっと弟子を凝視したラリオスは、溜め息を一つついた。
「……今のお前を出すのは、はなはだ不本意だがな。まあ、そう慌てるな。もしかすると、私の仕事になるかもしれんしな。ともかく――」
 ラリオスの左手が一閃されると、その手から放たれた鋼線が鞭と化して、壁に刺さった針を弾き飛ばした。澄んだ響きとともに宙を舞った鋼針は、それ自身が意思を持っているかのように、ラリオスの手の中へと戻る。
 シュラはようやく壁から解き放たれた。
 ずるずると壁にすがりつくようにずり落ちてゆく弟子に、師匠は一息つく暇も与えず非情な一声をかけた。
「――今は修行中だ。集中しろ。次は鋼糸殺法、縛の奥義、その一、棒縛。縛の奥義の基本中の基本だ。やってみろ」

 ―――――――― * * * ――――――――

 グラドスの街の中央を北から南へ貫くレルム川。その西岸と東岸では町の様相がかなり異なる。
 単純に言えば、西は富める者、東は貧しき者の町ということになる。
 西岸には王城をはじめ、貴族街、それに中流階級の家が並ぶ。しかし、東岸は寂れたスラムや、冒険者・傭兵が泊まる宿屋街、それに少々後ろ暗そうな商人が軒を並べている。
 その東岸のスラム街の一角に、修道院風のこぢんまりした建物がある。正面にでかでかとモーカリマッカの紋章が掲げられたその質素な建物こそ、実は大陸南部のモーカリマッカ教を統括する総本山、モーカリマッカ神殿だった。その最高位神官を務める男はアレフルード=シュバイツェン――アレフである。
 遠方から総本山を拝みに来た信者は、まずそのみすぼら――もとい、質素な建物に驚く。
 次いで、最高位神官の若さに驚く。
 そして最後に、教義の本質を諭され、感動とともに帰途につくことになる。
 モーカリマッカはいわゆる金儲けの神であるが、蓄財至上主義ではない。むしろ、教義としては無用の蓄財を禁じてさえいる。
 金とは使うためにあるのであって、それを人と人の間で回すことで真の力を発揮する。金の流れを滞らせることこそが、モーカリマッカにとっての悪である。一般常識的に不正とされるような稼ぎ方は、実はモーカリマッカでは悪ではない。横領であろうが賄賂であろうが強盗であろうが泥棒であろうが、教義にそれを禁じるような一文はないのである。このため、一部の国ではモーカリマッカは邪教扱いを受けている。
 しかし、アレフはそうした手段を選ばぬ稼ぎ方を良しとはしていない。
 その問いは常に遠方から参拝に来た信者から発せられる。
『手段を選ばずお金儲けをすることを許す神様をありがたがるのは、いかがなものか(と非難されます)』と。
 アレフは常に同じ言葉を返している。
『神が禁じてなくとも、人としてやっていいことと悪いことはある。その善悪さえわからぬ者が、真に神を信仰できるはずがない。人を愛せない者に、神を愛する資格はないし、そんな人間を天上の神も愛しはしない。(まあ、いい試練だと思いなさい)』と。

 ―――――――― * * * ――――――――

 金儲けの神の神殿とはいえ、金は生活に必要な分だけあればよい。
 総本山だけあって参拝客からの寄付はひきもきらない。さらに神官たち自身も何だかんだと働いているため、日々の生活に必要な額を支払えば後はかなりの額が余る。
 その余りの金は、定期的に祭壇に供えてモーカリマッカ神に捧げる。それが信仰の証となる。額は多ければ多いほどいいが、かといってそのために自分の生活を犠牲にしても、モーカリマッカ様はお喜びにならない。過ぎた質素と倹約は美徳ではない。必要なら必要なだけ使わねばならない。
 聖堂には祭壇があり、幸せそうに笑う恰幅のいい老人の像――モーカリマッカの神像が置かれている。
 今、その前にアレフが立ち、今月の稼ぎの九割強に当たる金貨七百枚ほどを供えていた。
「金の流れを司る神、我らがモーカリマッカよ。今月、私たちの元に集まった金で私たちが必要としない分です。お約束通りここに捧げます……。どうぞ、お納め下さい」
 厳粛に祈りを捧げ、胸の前で印を切って手を組み、頭を垂れて目を閉じる。
 どこからともなく、光が降りてきた。頭上からの光を受けた神像が、より柔和に微笑む。
 アレフの手がほどけた。焦点の遠い眼で、神像を見上げる。
「……久々の御来臨を心よりお喜び申し上げます。モーカリマッカ様」
 恭しく頭を下げるアレフ。宮廷の女性をとりこにする怜悧なスマイル、そしてその艶やかさに嫉妬の対象とさえなる栗色の髪が、光を浴びて輝いていた。
 自らの主と崇める神と交信できるのは、最高位神官たる者の特権である。特に、今回のように神の側から声をかけるのは珍しい。そしてその場合、大抵がよからぬ報せである。
「――……は?」
 何を聞いたのか、恍惚としていたアレフの表情が険しくなった。
「なんですと……? 奴が――どこに!?」
 その時、聖堂の扉が勢いよく開け放たれた。坊主頭のシルエットが逆光の中に浮かび上がり、同時に調子っ外れな声が響き渡る。
「師匠師匠師匠師っっしょお〜〜っ! 大変でぇぇす!」
 たちまち、アレフはトランス状態から現実に引き戻された。
 同時に、祭壇の上に供えた金貨が輝きを放ちながら消えてゆく。
「あ……あああ……」
 薄れ消えてゆく金貨を茫然と見つめながら、アレフの口は開いたまま塞がらなかった。
 やがて金貨が全て消え去り、光も去った。
 アレフはゆっくりと首を捻じ曲げた。その口元がぴくぴくと攣り、こめかみに血管が浮いている。
 扉を開け放った姿勢のまま、笑みを凍りつかせている少年がそこにいた。
 短く刈り込んだ坊主頭に、目の細い呑気そうな面立ち――ゴンである。
「……ゴぉぉ〜ンん。お前ぇ、今自分が何をしたか、わかってんだろうな……?」
 低くドスのきいたその声、ドラゴンも怯えそうなその怒り狂った瞳に、たちまちゴンの顔から血の気が引いた。元から人相的には良くない(とはいえ、その辺りの冷たさが宮廷に出入りする女性達にはたまらないそうだが)師匠の顔つきが、悪鬼のそれに変わっている。
「は、いや、あの、ごめんなさい……つい忘れて……あは、あははははは」
 後退りながら、両手を突き出す。
「は、ははは……し、師匠、落ち着いて。話し合いましょう。人間話せば――」
 わかる、を言わせず、一瞬で距離を詰めたアレフの左下腕がゴンの喉に食い込んだ。後ろへ跳ね飛び、後頭部から床に叩きつけられるゴン。
「……! ……! ……! ……! ……!」
 後頭部を抱えて転がり回るゴンを無理矢理引きずり起こし、その頭を右脇に抱え込む。限界まで振り上げた右脚を思い切り振り降ろし、太腿に叩きつけた。
「ぐあっ」
 若き頃より冒険を続けてきたアレフの、鋼と化した太腿の筋肉を使った一撃必殺"やしの実割り"である。思いきり頭に衝撃を食らったゴンは、ゆっくりとのけぞり倒れた。
 だが、すぐに引きずり起こされ、何度も何度も頭を叩きつけられる。
「この……大馬鹿者っ!」
 がんっ。
「おぐっ」
「何のためにお前を……見張りにしたと思ってやがる!」
 ごんっ。
「うげっ」
「それを……てめぇが破ってんじゃねぇっ!」
 ごがっ。
「ぐはっ」
「せっかくモーカリマッカ様が御降臨なさっていたの……にっ!」
 ごげんっ。
「げこっ」
「この大たわけがぁぁぁぁぁっ!!!!」
 がっつんごっつんげっつんどっこん――
「むぎゃっ、ぬぎゃっ、んがっ、おがっ……」
 最後に十連打ほど叩きつけてから、アレフはようやくゴンの頭を解放した。
 ゴンはそのままその場で大の字に寝転んでしまった。額から一条の煙が立ち、揺らめいている。
「……うぁぁ……、あぇぁ……せ、世界が回ってるぅ……、……目が回るぅ……」
「心身ともに鍛え方が足らんっ!!」
 苦々しげに吐き捨てたアレフは、激しく両肩で息をしていた。顔中汗だらけで、栗色の髪もざんばら。最前まで艶を放っていたのに、しっとりと汗に濡れてしまっている。
 アレフは息を整えながら視界を塞ぐ前髪をかきあげた。腰を伸ばし、額の汗を拭い、心を落ち着ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……。俺と……いや、私としたことが、思わず我を忘れてしまった。私もまだ修行が足りんな」
 何度か大きく深呼吸して、ようやく落ち着きを取り戻したアレフは、その時初めて戸口に立っているもう一人の人影に気づいた。
「おや、君は……?」
 王国支給のプレートメイルに身を固めた若い衛兵だった。鎧からして国王近侍の衛兵だろう。
「あの……城からお呼びにあがったのですが」
 一部始終を見られていたらしい。アレフは苦笑して頭を掻いた。ざんばらに乱れているの気がついて、手早く手串で直す。
「ああ、お見苦しいところを。すまんね。……で、呼ばれているのは私かね? それともこのバカ弟子どもかね?」
 若い衛兵は、だらしなくのびたままのゴンをちらりと見やった。
「御両名に来ていただきたいと。……詳しい用件の内容は聞いてはおりませぬが、緊急を要するとのことで」
「ほう」
 アレフの表情が険しくなった。
「私まで呼びつけて、緊急を要する……? ふむ、それは穏やかではないな。よろしい、こちらも城に用事が出来たところだった。すぐにうかがおう。ああ、こいつは引きずって連れて行くがいい」
「ひ、引きずって、ですか……」
「私は後ほど城へうかがう。、まずは身だしなみを整えて――とっと、そうだ」
 アレフは返しかけていた踵を戻した。
「ここの向かいにドブエルフが一匹、住みついている。こいつの仲間だから、呼んで来てそいつに運ばせてやれ。名前はキーモだ」
「ああ、はい。うかがっております。彼も呼ぶようにと。では、そちらへ先に行ってまいります」
 衛兵は頭を下げて、退出していった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 エルフは、森に住む種族である。レグレッサ王国の西に広がる大森林には、エルフの独立国家『イラクレス大氏国』があるが、その国境も全て森の中である。
 エルフ族について知られていることはわずかである。
 その容姿は限り無く人間に近い。表面上の相違点は彼らの耳たぶがかなり細長く、先端がとんがっていることぐらいであろう。
 種族の特徴として眼が切れ長であるとか、長身で美男美女であるとか、寿命は人間の百倍などという話もあるが、実はそれを確かめた者はいない。なぜならエルフはあらゆる人間型の生物に対する自分達の優越性を信じ切っており、徹底的にそれらとの交流を断っているからである。そうした下等種族から研究対象にされることすら嫌っているため、エルフ族の社会学的研究というのは成立していない。
 したがって、『エルフ族が全て〜である』と言えるほどに、人間はエルフについて知らない。現状では、『これまで会ってきた(文献に出てきた・人づてに聞いた話での・一般的に聞く話での)エルフは、耳が長く、目は切れ長、長身で美男美女、魔法と弓を使った射術に長けていた』ということしか言えないのである。
 確実なことは、彼らが種族ぐるみで人間との関わり合いを断ち、自らの定めた領域に引き篭もっているということだけ。イラクレス大氏国を覆う"迷いの森"の結界を、いまだかつて正面から突破したり、無効化できた人間はいない。
 何事にも例外はある。何らかの理由で森から出て来るエルフはいないわけではないし、戦場でも時折、傭兵や魔法兵団の中に彼らの姿が見受けられることもある。彼らは神技的な腕の射手でもある。そのうえ魔法も使えるとなれば、重宝される。
 しかし、ここグラドスに生きる例外中の例外は、永きエルフ族の歴史上でも汚点中の汚点だった。
 スラム生まれのスラム育ちのエルフ。
 このエルフ族を冒涜しているとしか思えない存在、その名はキーモ・ヤーン。十六歳になったばかりの若きエルフ。
 彼の住処は廃材を寄せ集めた堀っ立て小屋である。そして今、その小屋の裏を流れるレルム河に膝までつかり、泥とゴミにまみれ、鼻唄を唄いながらしじみをすくっている。
「♪ はぁ、明日の仕事はパン屋のバイト、ああ、あさってはモーカリマッカとドブ掃除、仕事は辛いが頑張るぞ、やがておいらは金持ちに、天下はみんな俺のも――お? んひひひひひ……大量大量」
 アップにまとめた金髪をべっとり濡らし、ザルの底にしじみを見つけては小さな幸せににま〜っと、およそ上品とは程遠い表情でほくそ笑む。その姿にエルフの気品などかけらもない。
「♪ はぁ、昨日のバイトは――」
「あのぉ」
 突然、頭上から降ってきた声に、キーモは鼻唄の二番を中断して振り向いた。2mほどの高さの護岸の石垣の上には、スラムの堀っ立て小屋が乱立している。そのうちの自分の家の裏口に、衛兵が立っていた。
 たちまち、キーモの顔色が変わった。慌ててしじみ捕りのザルを背中に隠し、スラム訛り丸出しで叫ぶ。
「な、なんやねん、わし何にも盗ってへんど。このザルかて、捨ててあったんを見つけたんや! わしのもんやからな!」
「いえ、そうじゃなくて。実は君を呼びに来たんだ」
 衛兵は苦笑しながら裏口を出て、石垣を降りた。
 河原へ降りてきた衛兵に、キーモは慌てて河の中へ後退さる。
「わあぁぁっ! く、来るなっ! わし何もしとらんてゆうとるやろぉ!」
「いや、だから、落ち着いて。話を聞いて。別に君に危害を加えようとか――」
「嘘ついたって無駄やど! お前ら衛兵はそうやって、わしを酷い目にあわすんや! わしは、わしは……――うわっ」
 じりじりと後退っていたキーモが、突然派手な水柱をあげてぶっ倒れた。
「う、うわっ――あかん、泳げへんっ! 溺れぶっ! がぼっ! ごぼっ!」
「だ、大丈夫かっ! 今、助けるっ!」
 衛兵は水際まで来るとプレートメイルを脱ぎ捨てた。
 実は、王国から衛兵に支給されている鎧は、こうした緊急事態に備えて、どれでも最低二分で脱げる造りの特注品となっている。
 完全にプレートメイルを脱いだ衛兵は、躊躇なく流れに踏み込んだ。
 今は初夏であり、さらにこの地方は割と温暖な気候なので、河の水はあまり冷たくない。すぐにキーモの傍まで来た。水位は胸ぐらいまでしかない。川幅が広いので流れも緩やかで、川底もしっかりしている。衛兵は暴れるキーモをなだめにかかった。
「大丈夫、大丈夫だ! 足は着くから、暴れないで! 落ち着いて!」
「――さよけ」
「え」
 突然暴れるのをやめたキーモに、一瞬呆気にとられた瞬間、衛兵は凄まじい勢いで水中に引きずり込まれた。
 両脚で相手の脚を前後から挟んで倒す技、『蟹ばさみ』をかけられたと気づいた時には既に水中深く沈んでいた。慌てて水面に上がろうとした彼の脚が強い力で引き戻される。なんと、キーモは川底の岩を抱きしめたまま蟹ばさみを続けていた。
 なぜこのエルフは潜っているのか、さっきまで溺れていたのに。岩を抱いて何をしたいのか、なぜ自分が引きずり込まれたのか……疑問が頭で渦巻き、困惑と混乱の極みにある衛兵の背を、恐怖が走り抜ける。
 キーモは嗤っていた。
 溺れていたのは芝居だったことにようやく気づいた衛兵は、とにかく自分の脚に絡んだキーモの脚を外し、水面に上がろうと躍起になった。しかし、凄まじく強烈な力の蟹ばさみで、びくともしない。
(こ、こいつ……なんでこんなに水中戦に慣れて――)
 息が続かない。肺が空気を求めている。しかし、足は外れない。
(息が……!)
 手の指先は空気に触れている。にもかかわらず、息は出来ない。
 衛兵は生まれて始めて、絶望を味わっていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 キーモは暴れる獲物を見ながらニヤニヤと笑っていた。幼い頃からここで暮らし、溺れ続け、泳ぎ続けていたため、今や五分ぐらいなら息継ぎ無しで潜っていられる。キーモは目に絶望を浮かべて助けを求める衛兵に、勝ち誇った。
「ぶばはばは……びばが、ぎーぼじぎがびが――(ふはははは……見たか、キーモ式蟹ば――)」
 口を開いたとたん、当たり前のことだが一気に肺の中の空気までが泡となった。代わってどっとばかりに水が体内に浸入する。目を白黒させたキーモは慌てて蟹ばさみを解いて、浮上した。自由を得た衛兵も慌てて水面に浮上する。
 同時に浮上した二人は、大急ぎで岸へ向かった。
 恐怖の形相も凄まじく、岸へたどり着いた衛兵はそのまま水際に倒れ込んだ。激しく咳き込むのが精一杯で、動くのもままならない。
 その隣を、キーモが悪態をつきつき上陸してゆく。
「けはっ、かはっ、くそぉ、鼻に水が入ったやんけぇ! くしゅっ! えきしっ! うぁぁ、鼻の奥が焼けるみたいやぁ! いっきし!」
 咳とくしゃみと悪態で大忙しのキーモは、そうすることが当然のように衛兵の脱ぎ捨てた鎧を肩に担ぎ上げた。そのまま身軽に護岸の石垣をよじ登り、自分の家の裏口で振り向いて嗤った。
「ふっふっふ。アホめが。わしはここで生まれて育ってきたんじゃ。泳げへんわけないやろが。へへーんだ。お尻ペーんぺん。あーほ、あーほ。あっかんべー。ひゃはははは」
 何がそんなに嬉しいのか、衛兵にはわからない。問いただそうにも、息があがってかすれた声しか出ない。
「ま、待てぇ……その鎧は俺のだ……そんな物を盗ってどうするつもりだ……」
 喘ぎながら声を振り絞る衛兵を、キーモはさらに甲高い声で嘲笑う。
「なーははははは、これやから城付の衛兵は世間知らずや、ちゅーねん。決まっとぉやろが、売るんじゃ。衛兵の鎧は着やすぅて脱ぎやすいから、めっちゃ高う売れるんやど。ほんじゃま、達者でな」
 別れの挨拶に片手を挙げて踵を返した刹那、その顔面に手刀がめり込んだ。
「むがっ!」
 鼻血を吹きながら石垣を転げ落ち、河原へと落ちるキーモ。板金製の鎧が派手な音を立てて転がる。
 続いて神官衣を着た男が戸口に現れる。アレフだった。
「全く……何か嫌な予感がしたと思えば……。期待を裏切らん奴だな、貴様は。この大馬鹿野郎がっ!」
 最初は何が起きたのかわからず、頭を振っていたキーモは、相手がアレフとわかると即座に上半身を起こして食ってかかった。
「な、何や、アレフのおっさんやんか。おどかさんといてぇや。わし、金儲けしとっただけやで。なんか悪いんか!」
「衛兵の鎧を奪う奴があるかっ、馬鹿っ!!!」
 一度衛兵を振り返ったキーモは、頭を掻きながらにへら、と締まりのない笑みを浮かべた。
「いや、たまたまそこに落ちとったもんやから……」
「見えすいた嘘をつくなっ!」
「う……。そやけど、モーカリマッカの教えは『何をしてでも金儲け』やんか。わしはその教えに乗っ取ってるだけやん」
「お前が言うな、お前が。信仰心なぞ欠片も持ちあわせてないくせに。お前が言うと教義が穢れるわっ」
 エルフは神を信仰しない。存在は知っているが、その力なしでも十分独立して生活を営めるからである。だが、キーモは別の意味で神を信仰していない――いや、信仰していないのではなく、あまりに卑俗で神の方が相手にしない。
「いやいや、アレフのおっさん。それは違うで。わしかて信仰心が欠片もないわけやない。わしの生活を助けてくれるんやったら、そらもーあんた、いわしの頭でも何でも信じるがな」
 至極当然といった顔で平然と言ってのけ、けらけら高笑いをあげる。
「前から思っていたが……お前にはエルフの誇りがないのか」
「そんなもん銅貨一枚分にもならんがな。わしは生きていかなあかんのやさかいな」
 確かに、こんな……スラムの中でも低レベルな生活をしている者に、誇りや気高さなど求める方が間違っている。そう思い直して、アレフは首を左右に振った。
「それを……返してくれ」
 ようやく体力が回復したのか、哀れな衛兵が起き上がって来た。
 しかし、キーモは鎧を拾い上げると、抱きしめて返す意思がないことを示す。
 アレフは深いため息をついた。
「……キーモ、その鎧は返してやれ。さもないと金貨百枚単位の仕事を捨てることになる」
 その一言がキーモに激烈な変化をもたらした。切れ長の目を丸く見開き、長い耳を兎のようにそばだてる。そして、鎧を肩越しに投げ捨てた。
 振り返りもせずに投げられた鎧は、衛兵のいる岸から遥か下流で水しぶきを上げて沈んだ。
「わぁぁっ!? な、何てことをっ! 錆びてしまう!」
 悲痛な叫びを残し、慌てふためいて再び河の中にざぶざぶ入ってゆく。だが、キーモにはもうそんな様子など眼中に入っていない。
「金貨百枚単位? それ、ほんまか? それやったら、あんなんいらんわ」
 目を輝かせ、身を乗り出してくるキーモに、アレフは今更ながらにあきれ返った。
「……現金な奴め」
「現金が生活の要やさかいな。かかかかかか」
 泥まみれのエルフは、楽しそうに笑った。


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