第一章 愛の狂戦士部隊 その日常 (その1)
レグレッサ王国。
遥か昔、まだ人跡未踏の地であった大陸東南部一帯を拓いた英雄王ファムスが建てた国である。
北は大陸を東西に貫く大山脈・ガイア山脈から、南は大西神洋まで。西は北よりマクソン国、ファクト・ランダ王国、ペンタイア王国、イラクレス大氏国と国境を接する、広大な領土を有する。
しかしながら、広大すぎる領土が災いし、周辺国からはいわゆる大国としての扱いは受けていない。また、レグレッサ王国自体も大国としての振る舞いができるほどの国力を、いまだ持てずにいた。
その理由としては、領土の大半――特に他国と国境を接する西側――がほとんど未開拓地であることが挙げられる。
国境沿いにいくつか自治権を持つ都市はあるが、その周辺から離れると、途端に他国が侵略するだけの価値は見出せなくなる。
いまだに無数の怪物・化け物・魔物・幻獣・怪異の数々が巣食い、人々の日々の安寧を脅かし続けているような土地に誰がわざわざ攻め入ろうか。まして、敢えてそのような難儀な土地を支配したところで、その労力に応じた見返りはほとんどない、となれば。
だが、レグレッサ王国からすればその未開拓地域が他国との交流の妨げになっている。特に首都グラドスが国土の南東端、海に面した湾内にあるため、必然的に内陸部の国ほど交流が薄くなる傾向がある。
それゆえ、独立は守れるものの国際社会でさほど顧みられない、という状態が続いているのである。
しかし、その状況が逆にこの国に活気を与えていた。
未開拓地域が多いということは、無法地帯が多いということでもある。
無法地帯とは弱肉強食の世界、という意味ではない。国家的治安維持機構が完全な形では機能していない、というだけにすぎない。その解決が暴力に訴えられることが多いにせよ、そこにはその土地に生きる人々の約束事があり、また一定ではない解決の形があると言うことでもある。
そして、その解決法の多くは冒険者、と呼ばれる(もしくは名乗る)傭兵たちに委ねられていた。
かくして、レグレッサ王国は無数の冒険者が跋扈し、人々の日々の安寧を守ったり乱したり、種々の問題を解決したり起こしたりややこしくしたり――……とにかく、活気ある時代を築き上げていた。
―――――――― * * * ――――――――
グラドス湾最奥部に位置し、レルム川の両岸に町を広げる形で佇むレグレッサ王国の首都グラドス。
港の真ん前に魔の島などという恐ろしい名前の島を有しながらも、この都市最大の経済活動は海上貿易である。
何しろレグレッサという国は、広大な領地があだとなって他国との陸上交易が難しい。そこで、まだ比較的平穏な海上交易が発達したのは当然のことである。
しかし、逆に言えばこの広大な領地の玄関口を一都市だけで担っているわけで、現在、常時数十隻の船が停泊・入出港するグラドス港は、"見渡す限りの港"と呼ばれるほどの港湾施設を持ちながらも、なお港湾施設の拡張を求められていた。
そうした状況ともなると、もちろん不心得者も出てくる。税関官吏や治安を守る衛兵隊の目を盗み、違法な物を持ち込む例は後を断たない。
そして、そうした違法な物が暴れ出すことも――……。
港に並ぶ倉庫の一つ。
比較的早期に作られたため、そろそろ耐用年数を迎えようかという古い倉庫の中は、大小様々な木箱や樽などの貨物が並べられていた。
その倉庫の中央部、貨物をどけて作った空間に人相の悪い男たちが二列に並び、向い合っていた。
「……ブツが届いたと聞いたが、サグリー?」
入り口を背にした列の中央、かっちりと正装をした初老の男が唸るように訊いた。雰囲気からして、そこいらのチンピラとは違う格を持っている。鋭い眼光、垂れた頬肉からはブルドッグを連想させる。
「奥です、ブルータスさん」
背後に親指を向けて答えたのは、その真向かいに立つ覆面の男だった。どこに覗き穴があるのかもわからない、不気味な漆黒の覆面で顔を隠し、少々趣味の悪い金属細工をちりばめたレザーコートを着ている。
右目に傷のあるブルドッグ似の男――ブルータスは、煩わしそうに顔をしかめた。
「じゃあ、早速見せてもらおう。私がわざわざ足を運んだ甲斐があればよいのだがな?」
「もちろん、御納得いただけるかと――おい、そこの新入りども。持ってこい」
覆面男は最後列に並んでいた部下に命じた。まだ17、8ほどにしては妙に目つきが鋭く、鼻の上に傷のあるチンピラと、チンピラと呼ぶにはややおとなしげな容貌の少年が、頷いて奥へと姿を消した。
「おい、サグリー。私は焦らされるのは嫌いなんだ。そっちの言い値で買うんだ、目玉商品から持ってこさせろ」
ブルータスの居丈高な言い草に、覆面の下からくつくつ含み笑いが漏れる。
「ええ。あなたのことはようく存じておりますから。もちろん、メインディッシュから……あれです」
二人の部下が押してきたのは、かな大きな立方体の箱状のものだった。上から大きな布を被せてあるため、中は窺い知れない。
高さは3m以上、幅と奥行きはそれぞれ2mはある。普通ならそんな物をたった二人で運ぶのは不可能だが、二人はまるで重さを感じない風に押してきている。
当然、ブルータスは顔をしかめた。
「何だ、軽そうだな。大丈夫なのか?」
「でかい獲物を運ぶのに、わざわざ何人もの人足を使えば、それだけ足がつきやすくなります。後始末も大変だ。そこで、うちでは魔法使いを雇いまして『フロートディスク』とかいう魔法で、浮かび上がらせているんですよ」
「浮かび上がらせるだけで、軽くなるのか?」
「ブルータスさんみたいな貴族の方々には、我々泥臭い一般市民の苦労はわからないかもしれませんな。重い物ってのは、持ち上げるのが一番大変でね。浮いてりゃ、それなりの力だけでも移動できるもんなんですよ――ま、これもその魔法使いの受け売りですが」
話している間に覆いが取り去られ、中身が晒された。たちまち、濃厚な獣臭が辺りに撒き散らされる。
ブルータスとその取り巻きから畏怖の声が漏れた。
覆いの中身は檻だった。その檻の中にゆうに身長3mを超える牛頭人身の怪物――ミノタウロスがいた。
両腕、両脚、両角を鎖でつながれた怪物は、立ったまま目を閉じていた。
その威容に目を奪われている貴族の横で、覆面男は恭しく腰を折った。
「これが今回最大の目玉商品、カオス公国産のミノタウロスでございます。並の奴よりデカイでしょう? ヒュージとかいう百年物らしいですよ」
「……眠って、おるのか?」
声が震えている。
「ええ。海の上で暴れられると困るので、魔法で眠らせた後、定期的に薬を嗅がせてます。今、起こすと大変ですよ? この三日ほど何も食ってませんからね。下手をすると、今のこいつ一匹で一国の軍隊を相手にできるかもしれませんな」
おかしそうにくつくつと笑う覆面男。
ブルータスの顔に笑みが広がった。
「……これなら、他の貴族どものペットにもひけはとらん。いや、それどころか遥かに凌駕しておろう。もちろん、調教は出来るのだろうな?」
「無理ではないと思いますよ? 赤子ほどではありますが、知能もありますし……ま、飼い方としては広い空間に閉じ込めておくことをお勧めしま――しま?」
二人の目の前で、檻の扉が錆びついた蝶番を軋ませながら、開いてゆく。
「と、扉が開いておるでは――」
ブルータスが慌てたその時だった。背後の扉が鈍い軋みとともに開け放たれた。
逆光の中に立つ何者かが、高々と笑う。
「なーっはっはっはっはっは、そこまでやっ! 天下太平を騒がす悪党ども! 観念せいっ!」
スラムのスラング丸出しで叫ぶ男、その姿――完全武装。いや、過剰武装というべきか。
プレートメイルで身を固め、ロングボウと盾を背負い、左右の腰にロングソードを一差しずつ、後ろ腰にダガー数本、首から紐を通したメリケンサックをぶら下げ、手には身長を超えるロングスピアを構えている。
「エルフ……か?」
ブルータスの誰何が疑問形になったのも致し方あるまい。確かにその男は、高い背丈のわりに鎧を着ても着膨れしない細い体型、背の半ばまで伸びた金髪、グレイの混じった青い眼、興奮を抑え切れぬようにぴくぴく動く長い耳――と、エルフ族の特徴を完全に備えていた。
エルフ族といえば、王侯貴族に匹敵する容姿、上品さと優雅さを兼ね備えている種族である。その典雅な物腰が、他種族に対する優越感から来るものだとしても、それがエルフの美点であることに間違いはない。にも関わらず――
「そうや、わしが愛の狂戦士部隊リーダー、その名も高き正義の味方、超カッコよぉて女にモテモテのエルフ、冴えてる男の代表選手、キーモ=ヤン様や!! ふっふっふ、おのれら一人残らず――しばき倒したる!!」
美形のエルフにはおよそそぐわぬ、スラング丸出しの雄叫び。
倉庫の中に何ともいえない空気が漂った。
悪事が露見したことに驚けばいいのか、あまりに頭の悪い口上に顔をしかめればいいのか。
「ぬはははははははは、驚いて声もないようやな……先手必勝!! ライトニング・ストライク!!」
突き出した指から、稲妻の矢が放たれる――それはブルータスとサグリーの間を抜け、ミノタウロスに命中し、背後に突き抜けて箱に当たり、ランダムに跳弾した。その弾道上にいた二人の部下が次々と撃ち倒される。
「し、しまった……! 散らばれっ!! 伏せろっ!!」
サグリーの叫びに、そして大慌てで弾道上から逃げようと右往左往するチンピラどもの姿に、キーモの哄笑はいよいよ高まる。
「ひゃーっはははははは、踊れ踊れぃ!! 踊りながら――ぐはっ」
倉庫内をジグザグに飛び跳ねた稲妻は、最後にキーモ本人にぶち当たって消えた。
派手な音を立ててぶっ倒れるエルフ。
ブルータスとともに木箱の陰に駆け込み、伏せていたサグリーは顔を上げた。辺りを見回して静寂を確認する。
「……なんだったんだ。今のは……ブルータスさん?」
ブルータスは真っ青になって、ガタガタ震えていた。頬肉がぷるぷる波打っている。
「あ、愛の狂戦士部隊……奴らが、何でこんなところに……」
「奴を知っておられるので?」
「……貴族が邸宅を並べる貴族街……国王の権力ですらその全てを掌握しきれぬあの地に忍び込み、好き放題に暴れ回った冒険者どもがおった……。おかげでいくつかの悪事が露見し、幾人かの貴族が国を追われ、何人かが断罪された。そのときの冒険者どもが――」
「ち……要するに、正義の味方気取りの英雄志願者か。それならそれで――」
木箱の陰から首を覗かせようとしたサグリーは、慌てて首を引っ込めた。
「どうした?」
「しーっ!!」
サグリーが口元に人差し指を当てるのと、誰かの悲鳴が上がるのが同時だった。さらに、獣の野太い咆哮が倉庫に響き渡る。
「な、なんだ?」
「だめです、顔上げないで!! ……ミノタウロスが暴れて――」
様子を見ようと首を上げかけるブルータスを抑えたその時、二人の頭上を大きな木箱が飛んでいった。壁にぶつかり、老朽化したレンガをぶち抜く。
「おおおおおっ!? どどどどどどーするんだ!?」
「あのバカエルフが『ライトニング・ストライク』を当てたせいで、目を覚ましちまったんですな。とりあえず、ここは逃げましょう。これだけの騒ぎになれば、さすがに衛兵どもにも気づかれちまう」
ブルータスは頷いた。確かにたとえ貴族の立場にあろうとも、この騒ぎのド真ん中にいては申し開きは難しい。人込みにでもまぎれてしまえば、まだなんとでもなるが。
「あっち……ミノタウロスが壁に空けた穴から出ましょう」
二人は木箱の陰に潜みつつ、這って壁面の穴を目指し始めた。
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錠前に細い針金を差し込み、二、三度手指先を動かす。小さな手応えがあり、鍵が外れた。
悲鳴と咆哮が交錯し、チンピラやブルータスの護衛が逃げ惑っている。その混乱の中、黙々と――いや、喜々として鍵を開け続けている少年がいた。
黒土色の前髪、鋭く切れ上がった目頭、普段から何かを睨んでいるかのような三白眼、目の下から鼻を真っ直ぐ水平に走る醜い傷、悪巧みを練って一人ほくそ笑んでいるような緩みがちの口許――いわゆる悪党面。サグリーに命じられてミノタウロスを奥から運んできた、目つきの鋭い新入りの片割れである。
彼が開けているのは、ミノタウロスよりは小型の怪物を閉じ込めている檻だった。
一通り開け終わると、今度は片っ端から檻を蹴飛ばして中で眠っているモンスターを叩き起こし始めた。
「おらおら、おねむの時間は終わりだぜ! 餌はそこいらのもんを適当に獲って食えっ!!」
先ほど入り口で騒いでいたエルフに負けぬ荒っぽさで、まだ寝ぼけ半分の怪物どもを追い立てる。
混乱の中、その少年を見つけた男がいた。大慌てで少年を羽交い絞めにする。
「ちょ、おま、待……何してんだよ!!」
「いや、餌の時間だし」
「バカかお前、なに言ってんだ!?」
少年は身を沈めると、まるでうなぎのような鮮やかさでするりと羽交い絞めを逃れた。そのまま男の背後に回り込み、逆に完璧な羽交い絞めを極めてみせる。
「……お!! ……かっ……」
あまりに鮮やかな手並みと技で完全に動きを制され、目を白黒させている男に少年が囁く。
「暗殺者相手にあんなので極められるか、っつーの。ったく、カオス公国の回しもんがよー……貴族に売りつけるためだけに、これだけのモンスター用意したわけじゃねーんだろ?」
「な……お前、なんでそれを……!! お前、現地採用の人足扱いのはずじゃ――」
「へっへっへ、蛇のヘビは道っつーか、壁に耳あり扉にマリアっつってな」
「マ、マリア?」
少年は少し考えたが、訂正せずにそのまま締め上げた。
「んなこたどうだっていいんだよ。おめーらの悪巧みもこれまでだっつーこった。この愛の狂戦士部隊・真のリーダー、シュラ様がいるからにはな」
「あ、愛の――あの、通った後にはぺんぺん草一本も生えないと言う……貴様がっ!!」
たちまち男の顔から血の気が引いた。
「オレだけじゃないぜ。オレと一緒にミノやんを運んできた"新入り"、それからそれを運ぶ『フロートディスク』をかけた魔法使いもだ。それぞれ、ゴン、ストラウスってんだ。冥土の土産に持っていけ」
「冥土の土産って――」
男は途中ではたと気づいた。自分を見つめている熱い視線に。
すぐ傍の檻の中からじっとこちらを見ているのは、虎の体に蝙蝠の翼、尻尾が幾本ものぬるぬるした触手になっているモンスターだった。
顔どころか、全身から血が引いて行く。
「ちょ、ちょっと待て、まさか……」
「どうせこいつらをグラドスの町中(まちなか)に放つつもりだったんだろう? そうなりゃ、住民がどういう目に遭うか……身を以って知っとこうや。飼い主としてよ」
ゆっくりとモンスターが檻から身を乗り出してくる。少し警戒しつつも、盛んに舌で口の周りを嘗め回し嘗め回し、じっとこちらを凝視している。
「ま、待て、待て、待って下さい、ちょっとぉぉぉぉぉ――……」
虎の牙が光り、そのしなやかな体が少し屈んだ瞬間、羽交い絞めが解けた。しかし――……
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黒い風が疾っていた。
木箱と木箱の間を、尋常ではない速さですり抜けてゆく。
風はシュラたちとかわらない年の少年だった。ただ、その出で立ちは少々変わっていた。
黒のタートルネックセーター、足首で絞っただぶだぶの長ズボン、麻で織られたチョッキ。背中に麦わら帽子を引っ掛け、片手になぜか鍬を携えている。つやを失ったぼさぼさの黒髪、どこか締まりの悪い顔つき……その姿はどこからどう見ても、農家の次男坊か三男坊にしか見えない。
少年は倉庫の中を滑空する有翼爬虫類プロダクティルス(前肢から脇にかけて皮膜のあるトカゲと鳥の中間生物)に指を向けた。
「マジック・アロー!」
ざら、と少年を囲むように細い光の矢が数本発生し、次の瞬間プロダクティルスを襲う。全弾をその身に受けた有翼爬虫類はあえなく撃墜された。
「プロテクト・シールド!」
一息つく暇もなく、鍬で虚空を払う。
どこからともなく飛んできた木箱が、見えない障壁に弾かれた。
見渡せば、投げたのはどうやら直立したブタのようなモンスター種族、オークらしい。
少年はぼやいた。
「ええい、シュラのアホめ。考え無しにモンスターなんか放ちやがって……外へ出たらどうするつもりだ。――ブレイズ・バースト!!」
炎の矢が飛び、オークを中心に半径6mほどの爆発を起こす。周囲にいたモンスターも木箱も人もミノタウロスも全て巻き添えに。
怒号と悲鳴が巻き起こる。
「き、貴様、仲間を巻き添えに……!! 何てことしやがる!」
全身こんがり丸焼け、頭はすっかりパンチパーマ、衣服は燃えてスッポンポンになったチンピラがつかみかかって来た。
その手を少年はするりするりと逃れながら、露骨に嫌そうな顔をした。
「仲間ぁ? よしてくれ、お前たちチンピラヤクザもんなんかと一緒にするない。こちとらいっぱしの冒険者だ」
「なんだとぅ!? でけえ口叩きやがって若造が、痛い目にあわせて――」
チンピラの繰り出す拳を、鍬の柄で次々受け流す。それは棒術にも似た動きだった。
「ぬ、お……て、てめえ、なんだその腕前は!? 魔法使いじゃねえのか!?」
少年は鍬を器用にくるくる回すと、びしりと正眼に構えた。
「ふふふ、魔法使いと侮ったがうぬの不運よ。俺の名はストラウス=マーリン。農業系魔法使い、大地の心を知る男! この鍬は我が手の延長であり、我が分身だ」
「農業系魔法使い……? 何の冗談か知らんが……しょせんは農具! これならどうだ!」
チンピラは傍に落ちていたナイフを拾い上げた。ブレイズ・バーストの直撃を受け、いまだその熱が引きやらぬ金属の塊を。
じゅう。
チンピラの手が妙な音をたてた。
「う……うわちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃっっ!!!」
せっかくつかんだナイフを放り出し、手の平に息を吹きかける。
しかし、ストラウスはその騒ぎを見ていなかった。
「……いかん」
チンピラの後ろで、火の手が上がっていた。どうやら火の着いた木箱から覆いの布切れに引火したらしい。
「オレが火事を出したなんて知られたら、師匠に何をされるか――フロスト・ストーム!!」
青白い光の矢が飛び、今度は半径6mほどの範囲で極低温の吹雪が荒れ狂った。たちまち炎は掻き消され、その範囲内にあった存在は全て凍てついた彫像と化した。
もちろん、チンピラも。
―――――――― * * * ――――――――
「うわー、酷いなぁこれは」
まるで他人事のように呟いたのは、シュラとともにミノタウロスを運んできたもう一人の"新入り"、ゴンだった。
その呟きそのままに、葱坊主を思い出させる坊主頭で細い目の、どこか浮世離れしたというか呑気そうな少年は、足元でのびているエルフ、キーモの胸に右手を押し当て、回復魔法をかけていた。しかし、その目は倉庫の中で起きている凄惨な地獄絵図をしっかり追い続けている。
逃げ惑う連中が多い中、何人かはさすがにこの業界に身を置いているだけあって肝が座っているらしく、武装してミノタウロスに戦いを挑んでいる。しかし、思わぬところから別のモンスターにぱっくりやられていた。
そのうち、爆発が起きた。ミノタウロスも、武装したチンピラも、貨物もみんな巻き込んで。怒号と悲鳴が倉庫内に響き渡る。
「あー……ストラウスだな。無茶してるなー」
続けて、轟、と白い嵐が吹き荒れる。
「うっわー。火と氷の連続攻撃か。相変わらずやることがえげつないなぁ」
見ていると、ミノタウロスだけがむっくりと起き上がっていた。ストラウスを見つけたのか、一声吠えて倉庫の奥へと突進して行く。
すると、好機とばかりにここまで生き延びたチンピラたちが、入り口に向かって殺到して来た。
「あ、と」
対応を考えていると、先頭のチンピラがナイフを懐から取り出し、振りかざした。
「どけ、小僧! 邪魔をするなら、ぶち殺すぞ!!」
「やれやれ……それが人にものを頼む言い方ですか」
すっくと立ち上がったゴンは、シャツの右袖をまくり上げた。意外と筋肉質な腕があらわになる。
「なめんな、ガキィ!! ナイフに素手で――」
「……ひゅうっ」
ナイフの間合いに入った瞬間、ゴンは一歩踏み込んだ。交差法の要領でナイフの軌跡から身をそらしつつ、一瞬にして力みなぎった右肘の内側をチンピラの喉元に叩き込む。
その瞬間、腕を支点にチンピラの体が浮き上がった。天地逆様に半回転して、受身も取れず頭から地面に叩きつけられる。それはまさに首を刈り取るかのような一撃だった。
チンピラの手からナイフが零れ落ちる。しかし、もはや意識のない彼に、それを拾うことは出来なかった。
「……ふー……」
力を誇示するように右拳を突き上げ、左手で右肘の内側を叩く。
「神の、裁きです」
泡を吹いて痙攣している仲間の姿に、チンピラたちは怯んだ。しかし、相手はほとんど威圧感のない、呑気な面構えの少年。すぐに恐怖は怒りにとって変わった。
「こ……こいつ……よくも――全員でいっせいにやっちまえ!!」
次々にナイフや匕首を抜き放つ。小型の鎖鉄球を持っている者もいる。
ゴンは彼らを押しとどめるように手の平を向けた。
「神よ、この無礼者達にいましめを――マス・ホールド」
次の瞬間、チンピラたちは時間を止められたように動きを止めた。武器を握り、走っている態勢で。
何が起きたのかと、目線で左右の仲間と意思を伝え合うが、もちろん何がなにやらわからない。ただ、体が動かなかった。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……6人か。まあ、強がるのもいいけど、相手との実力差ぐらいわかるようにならないとねー。あ、ちなみに今の魔法、ボクより強ければかからない魔法だし。全員かかったってことは、ま、そう言うことだから」
口調はあくまで穏やかに、しかし拳をボキボキ鳴らしながら。にこやかに笑っている分、妙な怖さがある。
しゃべることもできない六人のチンピラは目を白黒させるばかり。
その時、ゴンの背後に影が立った。
「え?」
振り返れば、そこにはキーモが立っていた。
自分で放った電撃魔法『ライトニング・ストライク』を浴びたエルフの頭は
凄いことになっていた。髪の毛が一本残らず逆立って一本の棒のようになっているため、もともと高めの身長が2mを軽く超えている。
その姿に、ゴンは首をねじって笑いをこらえた。チンピラたちの目にも一様に愉快げな光が灯る。
キーモは気づいていないのか、槍を手にして一歩一歩踏みしめるように前進して来た。
「……くっくっく、皆さんお揃いのようやのぉ」
地獄の悪魔か、と思うような低くいやらしい笑み。蛇を思わせる妖しい瞳。槍をしごくその手のいやらしさ。
たちまちチンピラたちの目から笑みが消え、恐怖が浮かんだ。
「わしはやられたら百倍にして返すたちでな」
(ちょ、ちょっと待て……俺達はお前には何も……)
(お、俺達は無実だ〜〜!!)
――無言の悲鳴が交錯した。
―――――――― * * * ――――――――
まさにほうほうのていで壁の穴から脱出したブルータスは、ようやく一息ついた。ポケットからハンカチを取り出して、汗をふき取る。
「ふぅ、命がいくつあっても足らんな」
サグリーが道の向こうを調べて、戻ってきた。
「ブルータスさん、だいぶ騒がしくなっている。早く立ち去るべきです……こちらに馬車を用意してあります。貴族のあなたに乗っていただくには、少々不似合いですが」
「おお、準備がよいな。よい、今はここから一刻も早く立ち去るのが先決だ」
サグリーの案内に従って、ブルータスは歩き始めた。
「サグリーよ、今回はあの連中のおかげで大変なことになったが、あれほどのモンスターを調達してきたお主の力量は気に入った。しばらくは私の元で身を隠し、いずれ私のためだけに働いてみんか? 組織を立て直すにも、先立つものが何かと入り用であろう?」
「ありがたいお言葉、いたみいります。……と、これです」
角に二頭立ての箱馬車があった。覗き窓は御者台に一つと、後方の鉄格子がはまった窓が一つだけ。
普段なら決して貴族が乗ったりしないような陰気な代物だが、ブルータスは喜んだ。
「おお、これなら中に私がおることはわかるまい。貴族街近くの人目につかぬところで降ろしてくれい」
勇んで馬車後方の扉を開く。
「それならば、うってつけのところがありますよ。ブリティン=ラス=エグドガルド男爵殿」
同時に、サグリーの声色が変わった。口調ではなく、声色そのものが変わったのである。
踏み台に足をかけていたブルータスの動きが止まる。驚愕の瞳が振り返る。
「な…………なぜ私の本名を……」
サグリーは自らの覆面を剥ぎ取った。現われたのは墨よりも黒い髪に深海の闇よりも黒い瞳、左頬に十字傷を負った青年――その瞳に青白い炎を宿し、じっとエグドガルド男爵を凝視している。
一瞬、顔をしかめた男爵はすぐにその顔に思い当たった。
「き、貴様は――!!」
「特別警護隊長ラリオス……闇に潜みし悪を討つが、我が使命」
「な、なぜ貴様がサグリー……え? あ? あれ?」
「サグリー=マルソーズは3日前に逮捕された。今日のこの騒ぎの件で、明日にも断罪されるだろう」
ラリオスの指が鳴るや、馬車の中から幾本もの手が伸び、男爵の身体を捕まえた。
「ぬわっ!? こ、こいつらは――衛兵だと? お、おわっ、やめんかっ、このクソ、放せ、放さんかぁっ! 私はエグドガルド男爵、貴族なるぞ!」
「闇に潜む我らに貴族特権は通じない。観念するんだな」
数人の衛兵が、暴れる男爵の身体を中へと引きずり込んで行く。
「ブリティン=ラス=エグドガルド男爵、グラドスの治安を脅かした罪、並びに国王陛下への反逆容疑で逮捕する。……貴族街の近く、人目につかぬところ……城の牢獄へとご案内いたしましょう」
「き、貴様……初めから私を……たばかりおったなぁぁ!!」
ラリオスは派手な金属飾りのついたレザーコートを脱ぎ捨て、いつもの黒装束に姿を変えた。顔の下半分を隠す覆面を引き上げる。
「本来ならあの場であなたを殺すはずだったのだ。だが、あなたとカオス公国のつながりを知りたい人がいるのでな、一芝居打たせてもらった」
喚く男爵が馬車の中へ引きずり込まれ、中から扉が閉じられた。
中で何が行われているのか、しきりに揺れる馬車を引きながら、二頭立ての馬は走り出した。
「さて、後は中の始末だな……」
ラリオスは倉庫を振り返った。
―――――――― * * * ――――――――
「行くぜ、おらぁっっ!!」
シュラがチンピラ風のありふれた衣服を一剥ぎで脱ぎ捨てると、現われたのは黒装束に皮鎧という戦闘用の装束だった。いつの間にか、額に革のヘッドバンドも巻いている。
「ラリオス暗殺術、鋼糸殺法、条の奥義その五――蜘巣陣(ちそうじん)!」
両手のどこからか放った鋼の糸が、投網となって空中で大きく口を開く。
空を飛び、火を吐く体長2mほどの蛇、パイロサーペントがその中に捕らえられた。
「――獲った!! 条の奥義その五の変化――捕網斬」
大きく鋼糸の端を引き絞れば、網はたちまち縮んでパイロサーペントを切り刻み、無数の肉片に変えた。
「これで空飛ぶのは最後みてぇだな、後は――」
返り見れば、粉々になった木箱の残骸の山の中で、ストラウスとミノタウロスが追いかけっこをしている。
キーモは……入り口でチンピラどもの累々たる山の上で高笑いを上げている。
ゴンは……その背後で状況を見ている。
「ええい、武装してないゴンはともかく、あのバカはっ!!」
シュラはすぐさま木箱の残骸の上を身軽に飛び渡り、ストラウスの救援に向かった。
―――――――― * * * ――――――――
チンピラを踏みつけて勝利の高笑いをあげていたキーモを、ゴンが後ろからつついた。
「シュラがストラウスを助けに向かったみたいだけど、キーモはいいのか?」
「ああん?」
キーモはようやく周囲を見回した。
「おお、大物が残っとんな。せやけど……わざわざわしが行くまでもあらへんやろ」
「いや、でもなぁ」
「わかったわかった。ほな、何とかしたろ」
キーモはわずらわしげに指をミノタウロスに向けた。
―――――――― * * * ――――――――
後ろ向きに走っていたストラウスは、足をとられて倒れそうになった。
「どわっ――っと、こなくそっ!!」
鍬の柄をうまくつっかい棒にして、何とか体勢を立て直す。しかし、今のロスでミノタウロスとの距離が縮まった。
得意の俊足も、こう足場が悪くては充分に使いこなせない。
魔法を使おうにも、今日の分はほぼ使い切った。後はこの戦闘では役に立たない呪文しか残っていない。
できることといえば、シュラやキーモたちが他のモンスターを始末するまでこの化け物を引きつけておくだけだが、それもだんだん危なくなってきている。
(やばいなー、早くしてくれないと……)
その時、シュラが駆けつけた。
「待たせた、ストラウス!! ラリオス暗殺術、鋼糸殺法、縛の奥義その一、棒縛(ぼうばく)!!」
シュラの指から伸びた鋼線がミノタウロスの身体に絡みつく。しかし、それで動きを押さえることはできなかった。
皮膚一枚を切り裂きながらも、一唸りして腕を振り回す。
「うおっ!! ――ぐぁはっ!」
シュラは鋼線ごと振り回され、木箱の残骸に叩きつけられた。
「このっ……!!」
ストラウスはシュラが襲われる前に、相手の注意を引き付けるべく鍬で殴りかかった。しかし、こちらも腕の一振りで弾き飛ばされた。
勝利を確信したかのように咆哮するミノタウロス。
その刹那――
「ライトニング・ストライク!!」
響き渡るキーモの声。
入り口から飛んできた稲妻の矢が、ミノタウロスを打った。突き抜けた矢はそのまま奥の壁で跳ね返り、再びミノタウロスを突き抜ける。そして、またしても放った者に――。
「……ま゛ぁたぁかぁ〜……」
全身から仄かな煙を立てながら、キーモはのけぞり倒れた。
同時に立ち上がりかかっていたシュラも、ぶっ倒れた。ミノタウロスとシュラを結ぶ鋼線から、白い煙が漂う。
「……あの……ボケ……」
ガックリ首を折り、シュラは意識を失った。
「あああああああ、シュラっ!! た、助けに来たんじゃないのかっ!」
「ぶ…………ぶもあおあおあおあおあおおおおおおお!!!!」
ストラウスの叫びに、ミノタウロスの雄叫びが重なる。たちまちストラウスの表情が強張る。
「どわー!! ま、まだ生きとんのかいっ!! しぶとすぎるんちゃうかーっ!!」
ミノタウロスは鼻先が床に着きそうなほど頭を下げると、その凶悪極まりない角の先端をストラウスに向けた。
角を振りたてて、突進をかけてくる気だ。あの巨体で突進され、成人男性の腕ほどもある角に引っ掛けられたら、鎧も身につけていない自分など、間違いなく致命傷を負う。
慌てて鍬を正眼に構えてみるが、チンピラ相手ならともかく、力自慢が売りのモンスター相手に、魔法使いがこと肉弾戦で太刀打ちできるはずもない。
視界の端に、キーモのメリケンサックを拳につけたゴンが走ってくるのが見えたが、それも間に合うまい。いかに力自慢のゴンでも、素手では無理が過ぎる。せめて彼がいつもの装備――プレートメイル装備にウォーハンマーだったなら、多少は……。
「――考えも無しに、片っ端から檻を開いたりするからだ」
低く冷たい声が聞こえたと思った刹那、黒い影がストラウスの前に立った。
その頼もしい黒装束の背中は、何度も見たことがある。
「あ……ラリオス師匠?」
ミノタウロスが床を蹴り、突進を開始する。木箱の残骸が吹っ飛ばされ、踏み砕かれ、文字通り木っ端微塵になって辺りに舞い散る。
同時に黒い影――ラリオスも床を蹴り、ミノタウロスに真っ向立ち向かった。その左手が華麗に踊り、虚空に冷たい輝きの軌跡を描く。
「ラリオス暗殺術、鋼糸殺法、縛の奥義その一……棒縛」
ミノタウロスと交差するなり、高々と宙を舞ったのは、はね飛ばされたのか、自ら飛び上がったのか――無論、後者だった。
ハムの塊みたいに全身を鋼線で巻き取られた牛頭人身の化け物は、足まで縛られてつんのめり、滑り倒れる。
空中でトンボを切って、その背にふわりと舞い降りたラリオスは、右手を一閃――人で言えば『盆の窪』にあたる首の後ろの部分に、長さ30cmほどの針をぶつりと突き立てた。さらにすぐ引き抜いて続け様に右の耳から左の耳へ、貫き通す。
「ラリオス暗殺術、鋼針殺法、点の奥義応用……背転穿から耳貫穿」
へたり込むストラウスの前で、ミノタウロスの荒い鼻息が止まり……その目から、生気が消えた。
「やれやれ、以前ドラゴンを倒したと聞いていたが……まだまだだな、お前達」
ミノタウロスの背から降り立ったラリオスが、冷たい声でストラウスに言い放つ。
ストラウスは少し表情を固くして言い返した。
「連帯責任にせんでくださいよ。今回のはキーモとシュラがアホなことばっかやったせいです。……まぁ、毎度のことと言えば、毎度のことですけど」
「そうだな」
ラリオスは頷いて、いまだ意識を失っているシュラをじろりと見やった。
「弟子の不始末は師匠の不始末……しばらく修行やり直しだな」
ストラウスは立ち上がった。心の中でシュラに向かって舌を出しながら。
ゴンがやってきた。
「大丈夫か、ストラウス。怪我はないか?」
「ああ、オレは大丈夫。それより、シュラを見てやってくれ」
「ほいきた」
そそくさとシュラの元へ走るゴン。
「それより、師匠。これから――あれ?」
ストラウスが気づいたとき、ラリオスの姿は消えていた。
倉庫周辺に、騒ぎに気づいた人々が集まり始めていた。
何も知らされていない、港湾部治安維持役の衛兵達も、続々と。