愛の狂戦士部隊、見参!!

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第 0 章  《 ……10 Years ago 》


 暗雲を背景に浮き上がる、黒々とした山脈のシルエット。
 闇の世界に吹きすさぶ、風の雄叫び。
 白刃が暗黒を切り裂き、垂直に切り立った崖の上に建つ古城の姿が露わになる。
 耳をつんざく雷轟に大気が震えた。
 男はその大音声に打ちのめされたように、がっくり膝をついた。
「……なぜだ……なぜ、私は奴に勝てない……」
 怨嗟に満ちたその呟きは、轟々と荒れ狂う風に吹き散らされる。
 その眼差しは、針葉樹林に挟まれた山道の先にそびえ立つ、古い城門に向けられていた。
「アレフ、お前がしようとしていることは……村のためにならん……。くっ……所詮、よそ者のお前などに……我々の苦渋の選択など……」
 ふっと瞳から光が消え、男は崩れ落ちた。
 その頭上で何度も白刃が閃き、雷鳴が轟き渡る。
 彼の背後――針葉樹林に挟まれた山道には、累々と人影が倒れ伏していた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 古い城だった。
 城壁は所々崩れ落ち、雑草や苔の類いが至る所を覆っている。
 尖塔の先、鐘楼では鐘が古錆びて傾いたまま止まっていた。
 庭は丈の高い雑草に覆われ、そこに生える木々は幹から枝に至るまで奇妙にねじれている。
 どこを見ても、ずいぶん長い間、人の営みが行われた形跡はない。
 城の外では嵐が吹き荒れていたが、中は死の静寂が支配していた。


「ブレイズ・バースト!」
 老人の声が朗々と響き渡り、闇に紅の炎が走る。そして、爆発した。炎に呑み込まれ、吹き飛ぶ人影。砕け散る調度品、燃え上がる装飾。
「……むぅ、これこそまさに“焼け石に水”じゃの」
 老人がやや気の抜けた声で漏らす。
 明かりはないが、囲まれているのは気配でわかる。この闇の中、明かりもつけずに蠢き這いずる者どもに。その数、ざっと数十体は下るまい。
「ん〜……御老体、とりあえず明かりをつけていただけませんか。我らはエルフじゃない。このままでは戦いにくい」
 刹那、闇の中で鎧の板金ががちゃつき、肉を斬り断つ鈍い音が響いた。
「こりゃアーノルド、ドサクサ紛れにわしを老人扱いするでないわ! ……やれやれ、最近の若いもんは目上の者の敬い方も知らん……ほれ、フラッシュライト!」
 ぱっと放たれた青白い光が闇を駆逐する。そこにいる者達が、一斉に露わになった。
 光を灯したのは、白髪白ヒゲの老人だった。
 無数の星印を刺繍したとんがり帽子、黒いローブにねじくれた杖、といういかにもな魔法使いスタイル。その白ヒゲは胸の中ほどに届いている。
 その老人を二人の鎧武者が守っていた。
 一人は、バスタードソード(両手でも片手でも扱える長剣)を構えた甘いマスクの戦士。
 金髪碧眼で背丈も高く、堂々たる体躯を誇っている。まるで神話をモチーフにした彫刻が、そのまま動き出したかのようだった。年の頃は二十代後半だが、身にまとうプレートメイル(板金を組み合わせた鎧)に刻まれた無数の傷が、その戦歴の長さを物語っている。
 もう一人も、得物こそ無骨なウォーハンマー(戦槌)だったが、同じようにプレートメイルで身を固めていた。しかし、その表面はきらきらと黄金色に輝き、その左胸には商売と金儲けの神モーカリマッカの紋章が刻まれている。それは彼が神官職にある証明だったが……戦士より少し若いその顔には、邪悪な雰囲気さえ漂う笑みが浮かんでいた。
 そして、その三人を囲むのは――村人。
 男、女、娘、子供、老人、中年、青年……赤く濁った光を放つ目に飢えを映し、三人を睨む彼らは、近隣で平和に暮らしているはずの村人だった。
「……ざっと四十というところか。結構集めたもんだな。ま、前座の前座としては、こんなものか?」
 室内を見渡した神官が、唇をぺろりと舐めていった。
 戦士がふと左右を見回した。
「おや、ラリオスの坊主はどこへ行った?」
「おぐ」
「えげ」
「ぐえ」
「ひゅあ」 
 立て続けに奇妙な声が漏れ、包囲の一角が崩れた。悲鳴の数だけ、村人が倒れている。
「……あそこか」
 戦士の眼差しは、闇よりなお黒い装束に身を包んだ人影を捉えていた。
 あの闇の中、どのようにして包囲の外へ逃れ、闇を棲家とする連中の目を欺いて背後に回ったのか――戦士にはとんと見当もつかなかったが、その黒装束が手の中の何かを閃かせるたび、呪われし村人たちは次々とその偽りの生を終えてゆく。
「このままでは、奴の総取りになるな――呪われし者、汝、還るべき場所へ還れ! リパルスアンデッド!」
 神官が突き出した掌から、眩しい太陽光に似た光が噴き出し、手近に迫っていた若い娘を直撃した。
 たちまち娘は灰の塊と化し、崩れ落ちた。
「……ふむ。これはもう、助からんな」
 仲間を灰にされ、少し怯んだ村人たちに向けた神官の目が、ぎらりと輝く。
「汝ら、その魂に刻むがいい。我が名はアレフルード=シュバイツェン。モーカリマッカ神殿最高位神官にして、汝らの魂を救う者なり!」
 振り下ろしたウォーハンマーが正面にいた老人の頭部を砕いた。
 その脇で、戦士はその体躯に似合わぬ華麗な体さばきで、周囲から伸びる手を次々に払い落としていた。
「おい、アレフ! こいつら――殺してしまっていいのか!? 親玉倒せば――元に――戻るとかっ!」
「無理だな」
 冷静な声で答えながら、アレフは足元にまとわりつこうとした子供に容赦ない蹴りをくれ、背後からのしかかろうとした太った男を肩口越しに放ったリパルスアンデッドで灰に還す。
「血を吸われてから時間が経ち過ぎている。奴が――親玉がただのバンパイアならともかく……アーノルド、こいつらはまとめて灰に還してやるのが情けというものだ。容赦するな」
「そうか、わかった」
 頷くなり、戦士アーノルドの動きが変わった。
 両手で握ったバスタードソードが閃き、何本もの腕がまとめて斬り飛ばされる。返す剣で背後に迫っていた数人の首が、一振りで泣き分かれた。
 周囲を押し包みつつあった村人たちの足が、怯んだように止まる。
 戦士アーノルドは剣を肩に担ぐような構えで、周囲を睥睨した。
「今の俺にはアレフのような立派な肩書きはないが……いずれ歴史に名を残す男だ。冥土の土産に憶えておけ、我が名はアーノルド=ランボー! そしてこの剣は貴様ら闇の眷属を斬るための聖剣『アストレル』なり!」
 戦士の手の中で、聖剣は仄白い光を放った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 戦いは十分もかからなかった。
 いや、それは戦いとは呼べない。一方的な虐殺と見えたかもしれない。
 それほど双方の実力差は歴然としていた。
「……煙たいのぉ」
 ローブの袖で口元を押さえ、魔法使いの老人がぼやく。
 室内はかつて村人だった灰の塊で床が見えないほどだった。
「やれやれ、幸薄い者達に魂の救いあれ。アレフ、後ほどねんごろに弔ってやらねばな」
「ええ、しかし今は――」
 きぃ、という蝶番の軋む音に気づけば、奥へ続く扉の一つが開いていた。
 バスタードソードを鞘に納めたアーノルドが、溜め息を一つつく。
「ラリオスか。あのガキ、勝手な真似を」
「構わぬ構わぬ。それも計算の内じゃからして」
 老人が可笑しそうに含み笑う。
 アレフもふっと頬笑んだ。
「スターレイク師の仰るとおりだ、アーノルド。暗殺者が団体行動など、土台できるはずもない。それに、奴の腕は確かだ。ここへ来るまでにわかっているだろう? 奴を先行させておけば、ありとあらゆる罠を先に解除しておいてくれる」
「……あいつ自身が罠にかかっちまったら、どうするんだ?」
 アーノルドのいたって常識的な疑問に、アレフは指を左右に振った。
「ちっちっち、かからんよ。あいつは。そんなものにかかる間抜けなら、この場にはいない。ねぇ、スターレイク師?」
「そうじゃの。あやつには魔法仕掛けの罠すら歯が立たぬ」
「魔法の罠まで?」
 スターレイクの言葉に、アーノルドは顔をしかめた。
 魔法仕掛けの罠は、常識を超えた効果を発揮する。それを仕掛ける者にもかなりの腕前が必要であるが、さらにそれを無効化するとなると、並みの盗賊では無理だ。盗賊を統括する盗賊ギルドの長でさえ、できるかどうか。
「あやつはな……ついこの間、国王のお命を狙って送り込まれた暗殺者だったのじゃ。最後の最後で何とかその凶行を止められはしたが、そこへ至る全ての仕掛けが無力化されておった。いやはや、あの時はさすがのわしも冷や汗をかいたわい」
「国王って……カイン王か!? そんな奴が何で俺たちと――」
「まあ、その辺は話せばわかる、ということでな」
 老魔法使いはもごもご口髭を蠢かせて曖昧に笑う。
「おいおい、暗殺者相手に話せばわかるって……」
「まあ、色々あるのじゃよ。なんにせよ、ラリオスはあの若さにして既に稀代の暗殺者じゃ。お主の心配など無用。いや、むしろ侮辱かも知れぬな」
 唸るアーノルドに、老人スターレイクはほっほっほ、と快活に笑った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 白刃が閃き、ステンドグラスを通して大広間を照らし上げた。
 玉座に座るいかつい体躯の男の姿が浮かび上がる。目を開けたままの死体を思わせる無表情な男だった。笑みの刻まれた唇の端から、鋭い犬歯の先が覗いていた。
 光は一瞬にして闇に飲まれ――男の姿も再び闇の中に沈んだ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 突然、女の絶叫が城の闇に響き渡り、大広間の扉が荒々しく開け放たれた。
 闇より黒い何かが、そこに佇んでいた。
「よく来た」
 玉座の男は、ふんと鼻を鳴らしてゆっくり立ち上がった。灯りもない暗闇の中に赤い輝きが二つ、ゆらりと浮き上がる。その高さ、2m。
「わしの部下どもをその程度の傷で倒してくるとはな。褒めてやろう」
 男の目は、開かれた扉の向こうに立っている者の姿をしっかり捉えていた。
 全身を黒装束で包んだ十五、六才ほどの少年。だが、その黒装束はあちこち無残に引き裂かれ、覆面に至っては完全なボロ切れと化して血まみれの顔を隠す役目を果たしていない。
 少年から漂ってくる食欲をそそる若々しい血潮の香りに、男は舌舐めずりをした。
 唾を吐き捨てた少年は、指を男に差し向けた。
「お前で最後だ、吸血鬼。灰に戻るがいい」
「月並みな台詞だな。もう少し高尚な言い回しを……まぁ、その若さでは仕方ないか。まだまだガキだからな」
 男は頬を軽蔑の笑みに歪めたが、少年は動じない。男をじっと凝視している。
「……ラリオスをただのガキと甘く見たが、お主の敗因ぞ」
 少年の後ろから響く老人の声。
 男の表情に陰が差す。
「その声、スターレイク=ギャリオートか」
「いかにも。お初にお目にかかる、カイゼル=フォン=ノスフェル伯爵」
 少年の後ろから現われた老人が、髭の下で何事か呟く。
 たちまち宙に眩しい光球が出現し、大広間をあまねく照らし出した。
 悠然と立っていた玉座の男――ノスフェル伯爵は、唐突な灯りにわずかに目を細めた。
 
 ―――――――― * * * ――――――――

 光の下に曝された伯爵の姿は、まさに貴族そのものだった。
 年の頃は人に例えれば四十代前半。すらりと高い背丈に、筋肉質な体格。漆黒の燕尾服を一寸の乱れもなく着こなし、光沢のある漆黒のマントを羽織っている。死人を思わせる透けるような白い肌と、ぬめるような真紅の唇の対比が凄絶だ。
「ふん、レグレッサ王国宮廷大魔術士スターレイクに――」
 ノスフェル伯爵は老人の両脇に控えている男の姿に、眉をひそめて舌打ちを漏らした。
「――モーカリマッカ神殿最高司祭アレフか。貴様らが相手では我が配下では役不足もいいところであったな……」
「それだけではないぞ」
 スターレイクは目を細めて笑っていた。
「こっちの戦士、アーノルド・ランボーは一人で飛竜を討ち取るほどのつわものじゃ。そして、おぬしが今ガキだと見下したこのラリオスは、盗賊ギルドのマスターをも凌ぐ技量の持ち主。いわば、この国の最強戦力と言ってもよい」
 アーノルドが聖剣アストレルを抜き放ち、ラリオスと呼ばれた少年は広げた掌ほどの長さの銀の針を右手で逆手に握り、腰を落として眼の高さに構える。目から、表情から、一切の感情が消えた。
 高まる緊張をものともせずにんまり笑い、伯爵はマントを翻した。
「つまり、貴様らを皆殺しにすれば、事実上この国はわしのものとなるわけだな。わかりやすくてよいわ」
「そいつは無理だ」
 ウォーハンマーを肩に担いだアレフは鼻で笑い、得意そうに鼻の下を親指で拭うような仕草をした。
「ふふん、貴様ら闇の住人を討ち払うのが我ら聖職者の役目。貴様の存在、跡形もなく消滅させてくれるわ。くく……なぁに、お前の財産はうちの神殿で有効に使わせてもらう。安心して逝けぃ!!」
 叫ぶと同時に駆け出し、距離を詰めるやウォーハンマーを振り降ろす。
 ノスフェル伯爵は後ろへ跳ねた。優雅に空中で反転して玉座の背の上に立つ。
「……粗暴な奴め。いかに金儲けの神に仕えるとはいえ、よくそれで聖職者を名乗れるものだ」
「くっくっく、モーカリマッカの司祭に優雅さなど必要ない。必要なのは金を集める能力! どれだけモーカリマッカ様に金を寄進できるか、それが全てだ! 他の神々の信者のような正義や愛など、二の次よ。そして――善悪に囚われぬその姿こそが、真に世の中を象徴するのだ。そう、金とは世の中なのだよ」
 舌なめずりをして戦鎚の柄を握り直す。その物言いといい笑みといい、間違いなく伯爵と同じかそれ以上の狂悪さをはらんでいる。
 スターレイクが杖で床を二度、叩いた。
「ま、お主の財産のことは置いておくとしてもじゃ、カイゼル=フォン=ノスフェル伯爵。お主の悪行もここいらで年貢の納め時だとは思わぬか?」
 老魔術士の言葉に、しかしノスフェル伯爵は傲然たる不敵な笑みを浮かべて応えた。
「思わぬなぁ。……我が配下を倒したぐらいでいい気になるなよ、人間ども。しょせん貴様らはわしの餌食になる定め――」
 伯爵の台詞が終わらぬうちに、ラリオスのハイキックが玉座の上に立つ伯爵の顔面に炸裂した。陰から影へと走ったラリオスの動きに、誰も気がつかなかった。人ならぬ伯爵でさえも。
「ぐぉっ!!」
 バランスを崩し、玉座後と後ろへ倒れる伯爵。
 間髪入れず、ラリオスはその上に覆い被さり、伯爵の眉間目掛けて銀の針を突き刺した。
 寸秒の差で躱し、転がりながら重力も重心も無視した動きで起き上がる。その表情が強張っていた。
「なるほど……これが暗殺者アサシンの技か。異常なまでの敏捷性、無駄のない動き。あながちスターレイクの言葉も間違いではないわけだな。ならば――まずは貴様からだ!!」
 くわっと赤い目が見開かれ、伯爵の爪が異様に伸びた。爪の先から滴る毒液が、足元のじゅうたんを腐らせ、たちまち穴を空ける。
 ひゅっと空を切った爪が、傍らの鋼鉄製の槍の穂先を真っ二つにした。その切り口が、たちまち腐食してボロボロになった。
「気をつけいっ! その爪、鋼鉄を引き裂き、毒を含んでおる!! 食らえば即死確定じゃぞ!!」
 最後部からスターレイクが誰にともなく叫ぶ。アーノルドも駆け出していた。
 ラリオスは既に次の構えに移っていた。その表情にはひとかけらの感情も映ってはいない。
 ラリオスの動きに身構えていた伯爵が、突然、後方へ身を反り返らせた。
 次の瞬間、今まで伯爵の頭があった空間をアレフのウォーハンマーが唸りを立てて通り過ぎる。
 トンボを切って着地したところへ、アーノルドが腰だめの剣を突き出した。
 その剣身が淡く輝いているのを見た伯爵は、その攻撃を躱すべくさらに身を翻した。ただの武器ならこの身体に傷一つつけることはできないが、魔法の武器や聖なる祝福を受けた武器は別だ。一撃二撃なら食らっても大丈夫だろうが、受けないに越したことはない。
 刹那――いきなりラリオスが視界に踊り出てきた。他の二人はともかく、この少年の動きだけは、伯爵をもってしても読めない。
「小僧っ!!」
 伯爵の瞳が鮮紅色の光を放つ。
 瞬間、ラリオスは不自然に動きを止めた。その表情に明らかな動揺の色が浮かぶ。
 してやったりと頬笑む伯爵――の後頭部をアレフのウォーハンマーがかすめる。
 即座にラリオスは動き出した。
 すかさずスターレイクの声が飛ぶ。
「――伯爵の瞳には金縛りの力があるぞい! まともに見るでない!」
 伯爵は舌打ちを漏らしながら上体をひねり、邪魔をしたアレフの胸へ拳を叩き込んだ。無理な体勢からの攻撃だったにもかかわらず、窓際まで吹っ飛ぶアレフ。
 その鎧の胸が、拳型にへこんでいた。激しく咳き込み、うずくまるアレフ。
 ふん、と鼻を鳴らして振り返った伯爵の視界に、ラリオスが迫っていた。
「甘いわっ!!」
 咄嗟に肩からマントを剥ぎ取ってラリオスに投げつける。
 危険を感じた暗殺者は、投げつけられたマントの手前で無理矢理後方宙返りを敢行した。並みの人間には不可能な体技である。
 マントが床に落ちたとき、伯爵の姿はそこになかった。
 ラリオスとアーノルドが辺りに視線を走らせると、スターレイクが注意を促した。
「気をつけるんじゃ。奴は今、霧か塵になっておる。そのままの姿では攻撃できんから、必ず実体化する。四方に注意を払え」
(しかし……)
 老魔術士は言いながら推理していた。
(……あやつの慌てようから言えば、姿を現わす場所は……恐らくあそこしかあるまい)
 彼の目前で、予想した通りの場所に伯爵は現れた。すなわちラリオスの真後ろに。
 ラリオスは気付いていない。いち早く気付いたアーノルドが叫ぶより早く、勝ち誇った伯爵が爪を振り上げた。
 その瞬間、ラリオスの左足が稲妻の速度で跳ね上がった。
 骨の砕ける異様な音とともに、ラリオスの左足が伯爵の胸に沈んでゆく。
 伯爵に背を向けたまま、上体を前に倒して放った蹴りは、伯爵の胸のど真ん中を捉えていた。
「……ごっ…………ふぐっ――」
 信じられないという表情で眼を剥く伯爵の口から、黒々とした液体が吹き出す。
 一瞬の遅滞の後、伯爵はアレフ同様、窓際の壁に叩きつけられた。すぐさまもがくように上半身を起こす。
 唇を割って溢れ出る大量の血。それを手で受けた伯爵は、さらに目を見開いた。
「……こ、こんなバカな……! 魔法ならまだしも……否、魔法ですらわしを傷つけることは難しいというのに、生身の人間の、素手の攻撃でこれほどのダメージを……ば、化け物か貴さ――」
 既に。
 ラリオスは迫っていた。その手に握る銀の針を振りかざし、全く感情を映さぬ顔で。 
「く、来るなっ……来るなぁぁぁっっ!!」
 伯爵は逃げた。ふらつく足取りで、こけつまろびつ、恥も外聞もなく必死で。

 ―――――――― * * * ――――――――

 その余りに情けない姿に、ようやく咳を治めたアレフは呆れ顔で吐き捨てた。
「……あれがアンデッドの中でも最強とも言われる、転生体のヴァンパイア? こけおどしにもほどがある……情けなさ過ぎて涙が出そうだぜ」
 その途端、スターレイクが叫んだ。
「バカもの、時間稼ぎじゃ! アレフッ、ラリオスを守るのじゃ!」
「え?」
 丁度その時、伯爵がラリオスに向き直った。彼の胸の陥没がほぼ治っている。
 アレフの背を冷たい汗が流れた。
「野郎……!」
 ウォーハンマー――は間に合わない。リパルスアンデッドは――間合いが遠い。
 アーノルドもまた離れていた。ラリオスの邪魔にならぬようにと配慮したのが、裏目に出た。
 三人の焦りをよそに、ラリオスの右手がかき消えた。
 同時に伯爵は左手を顔の前にかざした。
 突き出した銀の針が、その左手の真ん中を貫く――しかし、額には届かなかった。
 伯爵は左手で銀の針ごとラリオスの右手をつかんだ。
「――く」
 暗殺者の無表情が揺らぐ。
「やはりまだガキよな……」
 邪悪な笑みに頬を歪めながら右の掌を突き出した。
 ラリオスは右拳をつかまれたまま、身体をひねって爪をかわす。しかし伯爵の目的は別にあった。
「ブレイズ・バースト!」
 突如出現した魔法の火球がラリオスを包む――その中で、膝蹴りを伯爵の左手首に叩き込んで右手をもぎ放す。
「な……」
 アレフ達は一歩も動けなかった。
 重い音を立てて黒焦げのラリオスが床に転げ落ちるまで。
 伯爵は痺れの走る左手首をさすりながら、ぴくりとも動かない消し炭と、針の抜けた掌の孔を見比べる。
「てこずらせおって……しかし、死んでも武器を手放さないのは見上げたものだ。褒めておいてやろう。さて――」
 向き直った伯爵の視界に、淡く輝くアストレルを振り降ろすアーノルドが飛び込んできた。
「ラリオスの仇っ!!」
「ぬぅ!」
 スターレイクの口上どおりの実力を、伯爵は思い知った。避ける暇はなく、刃は左肩から袈裟掛けに入った。
「ただの戦士の分際で――くわぁッ!!」
 伯爵が咄嗟に放った蹴りが、アーノルドの胸板を突いた。伯爵の身体に聖剣を残したまま、プレートメイルを着込んだ筋肉ダルマの戦士は、いとも容易く窓際まで吹き飛ばされた。
 間髪入れずアレフが突っ込んだ。
「……往生際が悪いぞ、伯爵っ!!」
「黙れ、生臭司祭がっ!!」
 刺さったままの長剣を抜こうとした伯爵は、柄をつかんだ手に痺れを感じ、舌打ちを漏らした。
(ちぃっ! ――こいつは聖剣かっ!)
 長くはつかんでいられない。痺れを気力でねじ伏せ、肩から引き抜いたその聖剣をアレフに向かって投げつけた。
「おおわっ!」
 唸りをあげて飛来する聖剣をすんでのところで躱す。
 聖剣は壁際でようやく身を起こしたアーノルドの顔――の横の壁に突き刺さった。まるで粘度にでも突き刺さるように易々と、柄元まで。
「う、うううわっっ!?」
 豪胆で鳴らすアーノルドが蒼ざめる。切っ先は分厚い石壁を貫いて、外にまで突き出しているかもしれない。
「な、なんてぇパワーだ……化け物め……」
 今すぐ抜くのは無理だ、と判断した。戦場で敵に無防備な背中を見せるわけにはいかない。
 藁にもすがる思いで、偉大な宮廷魔術士スターレイクを見やる。
 しかし――期待に反して、大魔術士は困った表情で白髪頭を掻いていた。
「爺さんっ、何をしているんだ!? 今こそ下で見せた強力な魔法の数々をっ!」
 だが、スターレイクは一声唸って、照れ臭そうに笑った。
「いやぁ、実は下での雑魚共との戦いでほとんど使っちまってのお。どうしようか考えているんじゃが……」
 アーノルドがめまいを起こしたようにぐらっと揺れた。
 伯爵は会心の笑みを浮かべた。
「ふ、ふははは、ふあはははははは、そうか、そうであったか!! では、後はアレフを始末すればわしの勝ちというわけだな。くくく、残念であったな。ここまで追い詰めながら。ぐわははははは……」
「――去れ、悪霊よ! 暗き夜の下僕共よ!」
 伯爵の高笑いが硬張った。
 神官・司祭は、ある特殊能力を神より授かる。『リパルスアンデッド』――蘇った死体や悪霊、自然の法則を無視して生き続ける不死者を退散・消滅させる神の力。最高司祭であるアレフほどになれば、その力は伯爵の身体に宿る闇の力を凌駕している可能性もある。
 印を結ぶアレフ――その周囲に神の力が漲リ始めた。これでは迂闊に近づけない。
「ぬぅ……よ、よせ!」
 リパルスアンデッドの能力は、灰や霧になっていても関係なく効く。
 どこへ身を隠すかを考えながら後退さる伯爵は、いつしかラリオスの死体を跨ぎ越えていた。
「よせと言われてやめるか、馬鹿め。さんざんか弱き人々の血で喉を潤し、ラリオスまで殺しやがった礼だ! たっぷり受け取れ!! リパルス――」
「死んでない」
 伯爵の足下から湧きあがる声。
 その瞬間、全員の動きが凍りついた。
「な……」
 伯爵が足元を見下ろすのと、ラリオスが脚から跳ね上がったのは同時だった。
 信じがたい体さばきで伯爵の両肩に膝をかけ、逆立ちの状態から上半身を起こす。電光石火のその動きと、両肩を膝でがっちり極められ、伯爵は動きを封じられた。
「……ラリオス暗殺術、鋼針殺法、刺の奥義、その二十三、表肩車」
 半分以上炭化した顔で無表情に呟くラリオス。
 銀の針を握った右手の上から左手を添え、伯爵の眉間を深く貫き通す。
 最大級の雷鳴が轟き渡った。城のどこかで、その轟きに耐えきれずガラス窓が砕け散る音が響いた。
 眉間から銀の角を生やした伯爵は、呆けたように牙の生えた口を開けたまま立ち尽くす。
 やがて、力尽きたラリオスが崩れ落ちるのをアレフが慌てて下で受け止めた。同時に伯爵もまた仰向けに倒れた。
「任務……完了」
 一言だけそう漏らし、ラリオスの瞳から生気が消えた。
「お、おい、ラリオス!! ……うぉうわっ!?」
 慌てて彼の黒く炭化した服を払い落としたアレフは呻いた。体の表面の半分ほどが炭化し、残りもほとんどが水ぶくれになっている。
「こいつはいかん。よくショック死しなかったものだ」
「助かるかの……?」
 いつのまにか近づいてきたスターレイクが呑気な声で訊ねる。
 だが、アレフは首を振った。
「わかりません。とりあえず使える回復魔法は全てつぎ込みますが……この状態では、それでも明後日まで保つかどうか」
「まぁ、明日まで保てばよかろう。明日になればわしの魔力も回復する。瞬間移送の魔法で首都グラドスまで戻れるわい」
「わかりました。おいアーノルド、薬草があればわけてくれ。私の魔法だけでは心もとない。解熱効果のあるやつだと一番いい――」
 振り返ったアレフの目の前で、淡い光の尾を引いてバスタードソードが踊った。
 鈍い金属音を立てて、危うく喉に牙を立てかけていた巨大な犬だか狼だかを跳ね飛ばす。
「うわぁっ!?」
「おひょー!!」
 驚いて腰の砕ける二人を背に、アーノルドが獣の前に立ちはだかる。
 睨み合う子牛ほどもある巨大な獣と聖剣の戦士。
 獣が忌々しげに舌打ちを漏らした。
『ちっ、すんでのところで。……あの剣を抜くとは……やるな、戦士』
 アーノルドは唇を笑みに歪めた。
 アレフの背を冷たいものが走る。アーノルドがいなければ、首と身体が泣き分かれになっていた。
 見れば、倒れたはずの伯爵の姿がない。そこには、ラリオスの銀の針だけが冷たい輝きを放って転がっている。
「伯爵、か……だが、なぜ灰にならない?」
 獣は低く唸るように笑った。
『くく……そこの爺ぃなら知っているはずだ。銀の武器では、転生体のヴァンパイアを殺すことはできん』
 アレフが驚いて振り返れば、スターレイクは複雑な表情ながら、頷いた。
「むぅ……あやつの言う通りじゃ。銀の武器を使うなら、奴の心臓を破壊せねばならん。脳ではいかんのじゃ」
「そんな……くっ!! ならば、今度こそ――」
 アレフが印を切り始める。アーノルドも聖剣アストレルを構え直す。
「おおっと……」
 獣は油断なく歯を剥き出して威嚇しながら、後退り始めた。その巨体が闇の中へと沈んでゆく。
「今回は私の負けだ。当分、人の姿には戻れそうにないのでな。くくく、だが、覚えておけ。私は必ず戻ってくる。一年後か、五年後か、十年後か、百年後か……再び力が戻り、より強大になりし時にな。それまで命を預けておくぞ……」
「逃がすと思うかっ!! ――リパルスアンデッド!!」
 アレフの掌から発された眩しい閃きが、闇を討ち払う。
 しかし、そこに獣の姿はなかった。
「う、どこへ!?」
 どこか遠く……奥の間でガラスの砕ける音が響いた。稲妻が閃き、玉座の間の窓を黒い影がよぎる。それは、巨大な蝙蝠の姿をしていた。
 蝙蝠とも思えぬ重々しいはばたきを残し、闇に消えて行く伯爵。
『せいぜい腕を磨いておくがいい……』
 奇妙な残響を帯びた伯爵の声が消え、静寂がその場を支配した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 いくら耳を澄ましても、もう城内には何の物音も聞こえなかった。
 外の嵐もさっきまでの荒れようが嘘のように治まっている。窓からは星が瞬いているのさえ見えていた。
「……逃がしたか」
 聖剣を鞘に納め、いましましげに伯爵の去った彼方を睨みやるアーノルド。
「致し方あるまい。転生体が相手じゃ。犠牲を出さなんだだけでも良しとせねばな」
 スターレイクの呟きに、アーノルドは顔をしかめた。
「多くの村人が犠牲になったし、奴が生きていれば、これからも犠牲は増え続けると思うが?」
「……奴を倒せる人間に犠牲が出なんだ、と言うたのじゃ。わしらの仕事は奴を倒すことじゃ。悪鬼から人々を守ることではないわ」
「カイン王が聞いたら目を剥いて怒りそうだな」
 実直で正義感を絵に書いたような若い王の怒りを想像して、アーノルドがへらっと笑う。
「カイン王の仕事はまつりごとじゃからな。わしらとは立場が違う」
「国王側近中の側近、泣く子も……いや、怒る大臣も黙らせる宮廷大魔術士のクセに、よく言う」
「ふん。……ま、しかし、奴も脳味噌に穴を開けられたのじゃ。十年は戻っては来れまい。それ以上かもしれん。先々のことも考えて、それぞれに弟子を育てておいた方がよいかもしれんのう」
「弟子? いや、じいさんは必要かもしれんが、俺はまだ24だし、アレフだって28、ラリオスなんか15――」
 ふと、二人の目があった。
 同時に振り返る。
 ラリオスの上に両手をかざし、回復魔法をかけているアレフが二人を睨んでいた。
 二人の顔が引き攣る。
『早いとこ手を貸してくれませんかね、彼を死なせたくないのなら』
 呪文の詠唱で口は塞がっていたが、二人にはそのアレフのセリフが確かに聞こえた。
 アーノルドが腰の巾着袋をぶちまけ、薬草を取り出す。スターレイクは背袋を下ろし、どこに入っていたのかと思うほどの包帯の山を取り出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 二人の治療により容体の落ち着いたラリオスは、翌日スターレイクの『テレポート』の呪文で首都に戻った。
 モーカリマッカ神殿に収容された彼は、集中的な治療を受けることになる。
 しかし、それでも全快するまで一ヵ月以上もかかった。

 それから十年の年月が流れる……。


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