愛の狂戦士部隊、見参!!
第 0 章(閑話 その6) 揺らぎ (前編)
さらに数日が過ぎ、何度かの戦いを経て事態はデュランの思惑通りに推移した。
もはやこれ以上の抵抗は無理と判断した村々は、デュランの要求通りに乙女を差し出し始めた。
しかし――
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「これも駄目だ」
吸われ過ぎて干乾びた娘の死体が無造作に投げ捨てられる。
玉座に掛けた伯爵は、唇の端から一筋の血を流しながら、じろりとデュランを見やった。
「精神の質が悪い。育ちか、性根か……いずれにせよ、乙女であればよいというものではないぞ、デュラン」
「はっ」
緑の騎士は畏まって頭を下げた。
「申し訳ございませぬ。しかし、見目麗しく、性根も良き女性(にょしょう)というものはなかなか……」
「言い訳はいらぬ。だが、うぬの仕掛けたこの計略、よもやあの女司祭一匹で終わるようなことはあるまいな?」
「重々承知しております」
「次に期待しておる」
ばさりと漆黒のマントを翻し、伯爵は闇へと融けて沈んだ。
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「予想外だ」
伯爵が消えた玉座の間。一人ごちるデュランの口調は、怨嗟の色が濃い。
「よもや、ここまで使えぬ連中ばかりとは。この先もこの体たらくなら、いっそのこと滅ぼしてしまうか……」
「一度交わした約定を簡単に違えるのが、騎士のなすこと?」
振り返ったデュランの視線の先に立っているのは、薄衣の女。薄く白い夜着に透けるなまめかしき肢体、黒く艶やかな髪、貪堕に澱んだ瞳――
「ナーレム……殿か」
「あら、敬称をつけてくださるの? 嬉しいわ」
男心を蕩かす艶笑。ナーレムは裸足だった。ひたひたと石畳を歩く足音がまたなまめかしい。
デュランは軽く会釈した。
「……今のあなたは伯爵殿の傍女(そばめ)。我が仕えるべきお方の大事なレディとあらば」
「大事なレディ、ねぇ……ま、いいわ。それより」
ナーレムははすっぱな商売女のように、流し目をデュランに送った。
「今の話が本気なら……あたしも噛ませていただきたいわ」
「と、言われると?」
んふ、と鼻にかかる笑みを漏らし、長い黒髪をすき上げる。その瞳が欲情に濡れる。
「どうせ無駄に失われる命なら、あたしが渇きを癒すのに横からいただいてしまっても支障はないんじゃなくて?」
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「……デュランは今宵も外か」
城の前庭に出る玄関ポーチ。壊れた噴水に雨水がたまり、空の三日月を映している。辺りはしんと静まり返っていた。
両脇に立つ鎧甲冑の人形と競うかのように腕を組み、ネスティスは訊いた。相手は、伯爵の吸い殻を片づけている狼男の執事ジンジ=ロゲ。
後脚で立ち上がった大狼の姿に変身し、両手いっぱいの遺体を運んでいたロゲは、長い舌を突き出したまま頷いた。
「何やら伯爵様の御意向に沿わぬ生贄を送った村を処罰するいうて……ナーレム様とお出かけになったぞい」
言いながら、前庭の脇に掘られた遺体と同じ数の穴の中に、一体ずつ収めてゆく。
一晩か二晩たてば、新たな吸血鬼として蘇るだろう。ただし、ナーレムのような伯爵の眷属としてではなく、意識も定かでない『犠牲者』としてだが。
その作業を横目に見ながら、ネスティスはそっとため息をついた。
「そうか……。自ら撒いた種とはいえ、忙しいことだ。策を巡らせるにはまず慎重に見極めねばならぬ、ということだな」
ふと、ネスティスの目が城門に走った。ほぼ同時にロゲの狼の耳と口ひげがピクリと動いて、城門を振り返る。
夜半にも関わらず、時ならぬ来客の気配を二人は感じたのだった。
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城門の前に来ていたのは、数人の男たちと年端もゆかぬ一人の少女だった。
人間の年で言えば、十歳ぐらいだろうか。古びた衣服は汚れ放題のほつれ放題。靴も履いていない。軽くウェーブのかかった金髪はくすんで異臭を放ち、肌のつやも良くない。頬の肉は削げ落ち、澱んだ蒼い瞳の回りは黒く落ち窪んでいる――一目見て貧しい家庭の出とわかる。
猫背の老執事に戻ったロゲと共に応対に出たネスティスを前に、男達は畏怖し、うつむいたままぼそぼそと用向きを言っていたが、少女だけはその大きな蒼い瞳でじっとネスティスを見上げていた。
ネスティスは少し顔をしかめた。少女の持つ不思議な雰囲気に、血を吸われる前のナーレムと共通するものを感じる。
ネスティスも少女を見つめ返した。
「それでは、なにとぞよろしくお願いします……なにとぞなにとぞ」
ネスティスが少女に目を奪われている間に、男達は頭を下げ倒し、そそくさと去って行った。
「……なんなのだ?」
まるっきり話を聞いていなかったネスティスが訊くと、ロゲはげんなりした顔で答えた。
「聞いてのとおりじゃよ。シレッケ村の生贄はこの小娘だそうな。……しかし、これでは伯爵様のお口にかかるまでもなく、墓場行きじゃろうな。いやはや、こんな小汚いガキ一匹でお茶を濁そうなどと、舐められたもの。いっそのこと、ここでわたくしめが――」
「いや、待て」
爪を伸ばして殺意をみなぎらせる人狼を制し、ネスティスは小娘を見やった。
「娘。名は?」
「ノルス。シレッケ村の、エルケルじいさんの水車小屋の傍の穴に住む、ノルス」
「穴? 家はないのか?」
ノルスはふるふると首を振った。
「みなしごだから。とと様もかか様も知らないから、家はないの」
「なるほど。……それで? さっきからなぜ私を見る」
「キレイだから」
ネスティスは少し首を傾げた。
「キレイ?」
ノルスは頷いた。
「とってもキレイ。……ほっぺた、触っていい?」
「頬を……私のか?」
再び頷くノルス。断る理由もないネスティスは、膝を折って好きにさせた。
しかし、ノルスの指はネスティスの頬を撫でられない。指先がそのまま空を切ってしまう。
ノルスは戻した指先をわきわき動かし、不思議そうに見つめた。
「……無理だ。お前は生者。生者は私に触れることすらできん」
それでも何度か試したノルスは、再びじっとネスティスを見つめた。
「ありがと」
思わぬ笑顔と礼の言葉に、ネスティスはまた小首を傾げた。
「何を感謝する。お前は望みをかなえられなかったのだろう」
「ううん。いいの。……村では、同じことしたらぶたれてたから。触らせようとしてくれただけで嬉しかったの。だから、ありがと」
困惑してロゲを見やると、執事は呆れた面持ちで肩をそびやかした。
「それで、ネスティス様。いかがなさる? このガキをこのまま伯爵様の御前に引きずり出すのは感心しませんぞい」
「しかし、一応は貢物。伯爵様の目を盗んで飼うわけにも、捨てるわけにもゆくまい。まして殺すわけにもゆかぬ」
腕を組んでノルスを見下ろすネスティスには、これまでにない困惑の色が浮かんでいた。このような状況の対処法は教えられていないし、これまでの経験からも引き出しようがない。
「どうしたものか」
「我らでどうこうできぬなら、せめて伯爵様の御前に引き出して恥をかかぬ程度に最低限の装いに改めるのはいかがですかの」
「……できるのか?」
訝しげなネスティスに、ロゲはため息をついた。
「要は風呂に入れて、適当な服を着させれば良いだけ。それだけでもかなり印象は変わるじゃろ。ついでに化粧も出来ればよいのじゃが……問題は誰がそれをやるか、じゃの」
ロゲの視線は露骨にネスティスを見つめている。しかし、ネスティスは素知らぬ様子でノルスと見つめ合っていた。
その時、場違いな音が鳴り響いた。お腹の虫が鳴く音。そんなものを鳴らすのは、この場に一人しかいない。
ノルスは少しうつむき、お腹を押さえていた。
ロゲはガックリ肩を落とした。
「……そもそも、まず何か食べさせねばならぬようで。とりあえず、食堂へ。何か用意いたしましょう」
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「生贄に食事などとは……前代未聞じゃわい」
ロゲが呆れ顔で呟く。
テーブルの上にはありあわせのサラダとバスケットに入ったパン、鍋にいっぱいのスープが並んでいる。
ノルスは一心に食事を続けていた。とはいえ、がつがつと貪るようにではなく、多少遠慮がちに。その姿からは、絶えず人目を忍んでいた様子がうかがわれる。
「どうせ伯爵様のお目に止まれば、お食事のお世話もせねばならんのだろうに」
ぶつぶつと文句ばかりのロゲに、ノルスの脇に立つネスティスはぴしゃりと言い放った。
「それはそうじゃが……ふん。こんな小汚いガキがお目に止まるなど、ありえぬ話じゃわい」
「……ふむ、ナーレム様ならよかろう」
ふとネスティスがてんで見当違いの一言を漏らした。
「伯爵様への生贄に手を出す心配もなく、装いを変えるための心得がある者……彼女が適任だろう」
「つか、あの方しかおらんの間違いじゃろう」
一人頷いていた女騎士に、ロゲが仕返しとばかりに嫌味を吐く。
「デュラン殿もネスティス殿も実体がないわけじゃし。……じゃが、ご本人がそれをよしとするかのぅ」
「関係ない。伯爵様の御ためだ。やっていただく」
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「いいわよ」
帰ってきたナーレムは、意外にもあっさりとノルスとの入浴を承諾した。出先でたっぷり渇きを癒してきたためかもしれない。いつになく機嫌がいい。
「そういえば、あたしもここへ来て以来沐浴してなかったからね。ちょうどいいわ」
そう言うと、ロゲにノルスの着替えを用意するよう言いつけ、ノルスを伴っていそいそ浴場へと向かった。
ロンウェル城の風呂は天然温泉を引いたもので、主(あるじ)無き百年を経てもなおこんこんと湧き続けていた。
とはいえ、浴室自体は荒れ放題だったため、それをロゲが気を利かせて修繕・清掃を施した。(働いたのは主としてスケルトンだが)
今ではいつ客人を迎えても恥ずかしくないよう、質素ではあるが内装も整っている。……実際はロゲ以外、入る者はいないが。
ノルスと共に中を見渡したナーレムは、嬉しげに頬を緩めた。
広い浴室の奥の隅四分の一ほどが浴槽になっており、こんこんと湧き出す温泉が溢れ出し、湯気をあげている。
入口近くに置かれた衣服カゴと衝立、それに少し古めかしいロングソファ。
ナーレムは薄衣を衣服カゴに脱ぎ捨てると、浴室に目を奪われているノルスの背中を軽くポン、と叩いた。
「まず、汚れを落とさないとね。洗ってあげるわ。さ、脱ぎなさいな」
頷いたノルスは、いそいそと汚れと埃で地の色さえ変色しきった服を脱ぎ始めた。
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ネスティスとデュランは浴室の外で待機していた。
「……あれを伯爵様に? どうかしておられるのか、ネスティス殿」
デュランは両手を広げて肩をそびやかした。
「確かに乙女かも知れぬが、見ての通り生まれも卑しく、装いもボロキレ同然。あの肌艶に至っては、なにか流行り病でも患っているやも知れませんぞ。そのような汚れた血を、伯爵様に御献上差し上げるなど……」
「……あの者の眼だ」
虚空を睨むかのように見上げていたネスティスの声は、呻きのようにも聞こえた。
「は?」
「気づかなんだか、デュラン。あの娘の目は、伯爵様より口づけを賜る前のナーレム様のそれに似ていた。私を怖れもせず、真っ直ぐに見つめる眼差し。生まれは卑しくとも、それだけでは済まぬ何かがあるような気がした」
「ふむ……。ネスティス殿がそう感じたのなら、あの娘には何かあるのでしょう……しかし……しかしなぁ」
腕を組んだデュランは、まだ納得できないのかしきりに首を傾げる。
蝶番が軋み、扉が開く。びしょ濡れのノルスが顔を出した。汚れの落ちた見事な金髪が顔に貼りついている。その間から落ち窪んで隈に縁取られた蒼い眼で見上げられると、いっぱしの幽霊(ゴースト)だか亡霊(スペクター)に見えなくもない。
ネスティスは怪訝そうに顔をしかめた。滴り落ちる水滴の量から見て、まだ身体を拭いていない。
「どうした?」
「……お姉ちゃんが沈んだままなの」
顔を見合わせたデュランとネスティスは、慌てて中へと飛び込んだ。
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「……ぬかったわ。まさか、身近にこんな罠があるなんて」
全身濡れ鼠のままソファーに深く腰を落とし、息を荒げているナーレムが吐き捨てる。
隠す素振りもないので重たげに揺れるアレも、露わにすべきでないコレも全部見えている。濡れた長い黒髪が顔にべっとりと貼りつき、ヴァンパイアというより恨みの末に化けて出た女の亡霊に見える。
ノルスは痩せ細ってアバラの浮いた自分の身体をタオルで拭きつつ、ちらちらとナーレムとその前に立つ二人の騎士をうかがっている。
「どういうことなのだ?」
ネスティスは首を捻じ曲げて背後のデュランに聞いた。しかし、デュランも首をかしげる。
「さあ」
「しらばっくれても無駄よ、ネスティス」
ナーレムは殺意さえこもっているかのような眼差しでネスティスを睨みつけた。
対するネスティスは、困惑げに首をかしげる。
「何のことです?」
「ヴァンパイアは流水を渡れない。流水に落ちれば、死にはしないがまったく動きが取れなくなる。常識じゃないの。それを知ってて、風呂に入らせたわね? すっかり人間のときのつもりで、疑いもせずに入ったあたしもあたしだけど……」
きりり、と口の中で奥歯が鳴る。
ネスティスは浴槽を見やった。
尽きず湧いてくる湯が溢れ出している。これも流水と言われれば、確かにそうかもしれない。
「で、あたしを亡き者にしようって魂胆なわけ? ……新参のあたしが伯爵様の御寵愛を一身に受けているから気に入らない、ってところかしらね」
ナーレムの恨みがましい問いかけに、もちろんネスティスは首を振った。
「そんなつもりは毛頭ありませぬ。私はその弱点のことも、ここのことも知らなかった。ロゲが風呂に入れるのがよかろうと言ったから、同意したまでで…………実は、『風呂』の意味もよく知らなかった」
「うそおっしゃい。――ノルス、あたしのタオル取って」
ノルスにはにっこり微笑みかけ、ネスティスに顔を戻すと鬼のように眉間に皺を寄せる。
「そんな与太話、あたしが信じると思って? 風呂を知らないなんてこと、あるわけが――ありがと」
ノルスが持ってきたタオルを受け取ったナーレムは、立ち上がった。自分の体の水気をふき取りながら、片手でぽんぽんとノルスの頭を叩いてやる。
「ん、髪もちゃんと拭けてるね。じゃ、新しい服を着ておいで?」
ノルスは頷いて、用意された衣類かごへと向かう。白い下着に、黒い服。
「いやしかし、ナーレム殿。本人を前にこういうのもなんですが、ネスティス殿に限って言えば常識知らずはよくあることゆえ、私は信じますぞ」
「あんたに聞いてないっ!」
一喝されたデュランはたちまち俯いて黙り込んだ。
そのまま怒りに吊り上がった眼差しをネスティスに向けるナーレム。
「ネスティス、あたしを亡き者にして伯爵様の御寵愛を取り戻そうったってそうはいかないわよ」
「いや、だから私は――」
「お黙り」
頭にかぶったタオルの間から覗く、怒りに燃える瞳がネスティスの弁解を封じる。
「大体、口づけを受ける実体もないくせに、御寵愛を受けようなんて勘違いも甚だしいわ。あんたなんか伯爵様からすれば、どこまでいったって部下扱い――いいえ、便利な道具扱いに過ぎないのよ。過ぎた夢は、分不相応でなくて? 道具は道具らしく、道具箱の中に控えていなさいな」
「………………」
ネスティスはもう何も言い返さなかった。じっと黙って、俯いている。
代わりにデュランが首を振り振り、再び懲りずに口を挟んだ。
「いやいやいやいや。ナーレム殿、それはさすがに言いすぎですぞ。ネスティス様は十年前の伯爵様ご受難以来、最も早く伯爵様に見出されたお方。その実力も申し分なく、道具扱いなどとは――」
「だからあんたは黙ってなさいっ!」
少し水気を吸ったタオルが、デュランの占める空間を切る。
デュランは首をすくめて再び黙り込む。
「とにかく、あたしはあんたを許さないわ、ネスティス。最古参だからって、いい気でいられるのは今のうちだけよ。あと、アレも後はあたしが全部やるわ。あんたはもういらない」
アレ、と言って顎で示したのは、初めて見る下着や衣類を前に、どのように手足を通したものか途方にくれているノルスの後ろ姿だった。
「服をきちんと着させて、ちょっと化粧をさして伯爵様の前に連れて行けばいいんでしょう? ……ま、伯爵様の逆鱗に触れて殺されるとは思うけど……この世の名残の死化粧。きちんとしてあげるわよ」
タオルで黒髪をしごいている手を止めたナーレムの瞳に、つかの間哀れみの揺らぎが宿る。
「あんたのためじゃなく、あの娘のためにね」
「……ああ、頼んだ」
ネスティスは頭を下げて一礼すると、そのまま部屋から出て行った。
閉じられた扉に、ナーレムの憎々しげな視線が突き刺さる。
「ああいう……なに考えてるのかわかんないところが、一番苛々来るのよね」
「今のやりとりは、もはやそういうレベルではないようにお見受けしたが……なにゆえそこまで憎まれるのか」
デュランも扉を見やりつつ、呟く。ふと、視線を感じて顔をナーレムに戻した。
ナーレムがじっとデュランを見つめていた。その眼差しは異様に冷たい。
「……ナーレム殿、何か?」
「あなたは、なにしてるの」
「は?」
「助けてくれたのはともかく、レディが裸でいるのにいつまでここにいるつもりなのかしら」
デュランは大げさに左右を見渡し、ぽんと手槌を打った。
「おお、確かに。これは、失礼した。あまり堂々としておられるので――では、ごゆるりと」
頭を下げつつ、床に沈み消える。
消えた後にナーレムは鼻を鳴らし、タオルを首にかけた。
「ふん……しょせん亡霊よね。やっぱり実体もない連中ごときじゃ、この身体に欲情なんて――」
風呂あがりの濡れた黒髪をすき上げつつ、胸を張ってしなを作り、そのままちらりと姿見を見る――しかし、ナーレムはがっくり手と膝をついた。
鏡はナーレムを映していなかった。ただその後ろのソファと、不自然に空中に浮いたタオルを映し出していた。
「……迂闊だわ。これじゃあ自分の身体どころか、髪型のチェックもできやしない」