愛の狂戦士部隊、見参!!
第 0 章(閑話 その5) 違和
「女、でございますか……?」
ネスティスは不思議そうに聞き返した。
食堂で食事を摂るノスフェル伯爵の前には、赤、緑、黒の鎧が勢ぞろいしていた。
食事の習慣のない三体は席に着かず、ただ立っているだけだ。ネスティスだけがヘルムを脱ぎ、小脇に抱えている。
ノスフェル伯爵の隣では、先立ってのマルムークとの戦いをかろうじて生き残った狼男が執事として甲斐甲斐しく働いている。
伯爵は血の滴る肉をフォークで刺し、持ち上げてみせた。
「わしは貴族ゆえ、日頃はこうした人間の食う代物で飢えを満たしてはおるが、これは本来の食事とは言えぬ。最近は魔力の消費も激しく、こうしたもので補うのも限度がある」
「確かに。伯爵様の御許に仕えはじめてより、御身が本来のお食事をなさるところは見ていない」
デュランがしたり顔で頷く。
ネスティスはちらりとデュランを見たが、すぐに伯爵に目を戻した。
「我らの知らぬところでなさっておいでかと思っておりました」
「一応、近隣の下見はしてきた。幾人かは直接口づけも与えた。だが、所詮は田舎の寒村。我が下にて永遠に尽くしてもらいたい、そのような気にさせる女はいまだ見出せぬ」
「御身の力を増すための食事ということなれば、娘に限らずとも」
不機嫌そうにナイフとフォークを置いた伯爵の鋭い眼光が、ネスティスを貫いた。
「貴族たるこのわしを、下賎な吸血鬼風情と一緒にするなネスティス。連中は血潮さえ流れておれば、老若男女を問わぬのであろうが、わしはそうしたゲテモノ食いは好かぬ。美しき乙女、麗しき淑女、百歩譲っても穢れを知らぬ少年までよ」
「伯爵はグルメでいらっしゃいますな」
金のカップに水を注ぎながら、執事がおもねる。
伯爵はにい、と唇を歪めた。
「そういうことだ。加えて、我が魔力は血の渇えを満たすだけでは高まらぬ。獲物の魂までも吸い尽くし、我が物としてはじめて高まるのだ」
皿の上に残っていた肉を一口で平らげた伯爵は、ナイフとフォークを置いてナプキンで口元を拭った。
そして、じろりと配下を見やる。
「……ネスティス、デュランには我が糧となる女の確保を命じる。早急に用意せよ。出来れば無垢なる乙女がよい」
「御意」
二人は声を揃えて頭を下げ、部屋を退出した。
―――――――― * * * ――――――――
退出するや、デュランはネスティスを呼び止めた。
「ネスティス殿。今の御命、いかがなさる?」
ふむ、とネスティスは腕を組んで考え込んだ。
「オトメと言われても、私にはわからぬ。……近隣の村より何人かさらってくるか」
「それはまずかろう。捕まえても必ずしも乙女とは限らぬし、主に選ばせるのも失礼と言うもの」
「そうか……ところで、そもそもオトメとは、なんなのだ?」
ネスティスの問いに、デュランはたっぷり五秒は沈黙した。
「……ご、ご存じないのか?」
「知らぬ」
「その……つまり、男と臥所(ふしど)をともにしたことのない女性(にょしょう)のこと」
「? どういう意味だ?」
「ぬ、ぐぅ」
まだ理解できぬ態の女騎士に、デュランは額を押さえてうつむいた。
「ああ……誇り高き騎士にそのことをありていに申せとおっしゃるか。残酷というか、無邪気というか……」
「なんだ? 何をためらう」
悩まし気な緑の騎士を不思議そうに見つめるネスティス。
「まあ、要するに、人間が行う、その……まぐわい――あ、いや、生殖行為を、ああ、こっちの方が難しいか。あー……子作り。そう、子作りの行為を未だいたしたことのない女性(にょしょう)のことですよ」
「なるほど……しかし、お前がそんなにためらい戸惑うほどのこととも思えぬが」
デュランは一瞬、真正面から殴られたように黙り込んだ。
「……中身の問題ではなく、礼節の問題なのですよ。騎士のたしなみとして、そのようなことはあまり口にするものではありませぬ。しかもありていに説明するなど、なにかの罰にしてもあまりに非道な仕打ち」
初めて見せる落ち込みぶりに、ネスティスは小首を傾げながらその肩を軽く叩いた。
「そうか。よくわからぬが、騎士としてあまり口にしてはならぬことを、口にさせてしまったというわけだな。それはすまぬ」
「いや、結構。お気になさるな……まあ、いつものことと言えばいつものことゆえ……。――ああ、それよりも」
気を取り直して顔を上げたデュランは、ネスティスに向かい合った。
「乙女を集める件、ここは一つ、我に任せていただけぬか? 少々腹案がありますゆえ」
「うむ。どうせ乙女の意味も知らぬ私には、荷の勝ったご指示。構わん――いや、私もその方が助かる」
憮然とした様子もなく、いつも通り淡々と語る。
「御了承、感謝。それと、申し訳ないがその件に絡み、少しの間城を空けることとなる。その間のことは――」
皆まで聞かず、ネスティスは頷いた。
「心得た。こちらのことは任せ、心置きなくその腹案とやら、進めてくるとよい。伯爵にもきちんとご説明申し上げておく」
デュランは頷き返して、深々と頭を下げた。
「では、我はこれにて」
言うなり、緑の騎士は姿を消した。
―――――――― * * * ――――――――
割れた石畳。崩れた石積みの壁。降り注ぐ半月の光。そして――物言わぬ幾多の骸(むくろ)。
ある者は鎧ごと断ち割られ、ある者は内側から破裂したかのような惨状を呈し、またある者は何かのオブジェでもあるかのように、石積みの壁にべったり張り付いている。
一つとして原形をとどめぬそれらの骸は全て、今夜この古城に襲撃をかけた者達のなれの果てだった。
凄惨な光景と濃厚な血臭漂う古城の前庭は、破壊と殺戮の嵐が通り過ぎた直後の静けさに満ちていた。
風の音、虫の音一つ聞こえない静寂。
そしてその中にただ一つ立つ影。
その頬を伝い、月光を弾いてきらめく雫――ネスティスだった。
まるで死んだ者達を悼むかのように、尽きることなく両の眼から溢れる涙。気を引き締めていなければ、湧き上がる衝動に駆られて、その場に座り込み、おかしな声を出してしまいそうだった。今も引き締めた口許と寄せた眉が、内なるものを押しとどめているように、軽く引き攣っている。
(また……か)
涙をぬぐうこともせず、月を見上げる。
(なぜ、私の眼からこんなものが……それに、なんだ。この……まるで……まるで、胸の内側を何者かに握られているかのような……体の奥の方に生じているかのごとき妙な感覚は。私には確たる肉体などないはずなのに……わからぬ。精神が安定せぬ……私の体の奥で、なにが起きている……?)
しばらく月を見上げてあれこれと悩んでいたネスティスだったが、やがて我に返った。
(わからぬことを思い悩んでも仕方がない。それより――)
涙をこぼれるに任せたまま、前庭の惨劇現場をもう一度見やる。
(――どういうことだ? ここ数日、妙に多い)
デュランが姿を消して三日後辺りから、古城を訪れる者達がいた。
冒険者か傭兵か……とにかく、そういうことを生業にする者達が次々と襲撃をかけて来た。
たちまち門番代わりのゾンビや骸骨兵士(スケルトン)たち雑魚は蹴散らされ、マルムークとネスティスが出ざるを得なくなった。
マルムークの活躍は凄絶の一言に尽きた。
いかに重装備で、いかに自信に溢れた連中でも、巨戦斧(グレートアックス)の一振りで絶命してしまう。
ネスティスは少し離れた場所から様子を見て、マルムークが暴走した場合の引止め役に徹するだけでよかった。放っておけば、古城のあちこちをぶち壊しかねない。
今も一戦終えた黒い鎧騎士は、さっさと地下のねぐらへ戻っていた。こうなると、後片付けはネスティスの仕事である。
(今宵は十人だったか……? 我らを討伐する名目で何者かに送り込まれたとしか思えぬ。一体何者が……)
戦士六人、魔法使い一人、司祭三に――
死者を検分していたネスティスは、その遺体に触れようとして思いとどまった。
「……生きている?」
マルムークが気づかなかったのか、それとも殺戮に満足したゆえに放置したのか……その司祭にはまだ息があった。
女だった。年は……二十代半ばだろうか。ゆったりした司祭衣の上からでもわかるほどの豊かな胸、広がった長い黒髪はつやつやと輝いている。理知的な容貌、土汚れにまみれても生命力に輝く滑らかそうな白肌。
ネスティスは女の美しさを評価するための基準を持ってはいなかったが、その女の容貌がこれまで見てきた人間の中でも飛び抜けて繊細で、整っていることだけは理解できた。
女の唇の端に血がにじんでいる。
(止めを刺しておくか。いや……ここは――)
剣を抜いてその切っ先を女の喉に向けたものの、ネスティスは少しためらった。
その刹那、女の切れ長の眼がかっと見開かれた。
「――去れ、悪霊よ! 夜の下僕共よ! リパルスアンデッド!!」
女の突き出した手から放たれた神の光が、ネスティスを直撃し――
「え……」
女司祭は驚愕した。
ネスティスは手をかざし、目をかばった姿のまま立っていた。
「そんな……そんな! 私のリパルスアンデッドが……!?」
「何を驚く。ただ、おのが力不足ということだ」
軽く蹴りを入れて突っ転がし、仰向けになった女司祭の豊かな胸を無遠慮に踏みつける。
それを払おうとしてたちまち封じられ、女司祭の表情が屈辱に歪んだ。
「さて……丁度よかった。お前に聞きたいことがある」
ネスティスの静かな瞳が、女司祭の怒りに燃える瞳とかち合った。
「この場所をお前達に教え、襲わせたのは何者だ。そいつはどこにいる」
「何を言っているの。あなたの仲間が教えたのでしょうに」
「なに?」
「緑色の鎧の騎士よ」
ネスティスの表情が強張った。
「……どういうことだ?」
「しらばっくれているの?」
「いや。少なくとも私は知らぬ話だ。教えろ。何が起きている」
女司祭は訝しげに眉をひそめた。
「三日ほど前から近隣の村に緑色の鎧騎士が現われ、ここへ生娘の生贄を連れてこなければ村を壊滅させると脅してきた。私達はそんな村々からお前達を退治するよう依頼を受けて、ここへ来たのよ」
ネスティスはようやく得心したように、頷いた。
(なるほど、奴の言っていた『腹案』とはこのことか)
「――殺しなさい」
女司祭が呻くように言った。
ネスティスは少し首を傾げる。これまでの敵は、この状況なら命乞いをした。
「儚く脆い命の生者にもかかわらず、その命を自ら捨てるのか? 助けを乞わぬのか?」
「冗談はおよしなさい。私は……私は、正義と勇気を司るエイドル神に仕える司祭、ナーレム=ホルシード。お前たち闇に生き、生者の命をすする邪悪な者どもに命乞いなど絶対にするものですか。早くその剣で私を突き殺しなさい」
首からぶら下げた神の紋章をかざして叫ぶ女司祭の気勢に、ネスティスは少し気圧された。
切れ長の眼に映るはもはや炎ではなく、稲妻。確固たる覚悟がそこにある。
「……なるほど。神を主とし、その主の命によりて命を捨てるということか。よかろう」
剣を振り上げる。ナーレムは目を閉じる――
『――待て』
その瞬間、ハンマーで殴られたかのような衝撃が二人を襲った。硬直する二人。
周囲に溢れ始めた異様な気配を感じた女司祭の表情に恐怖が走る。
「な、なに!? まだ何かいるの!?」
「……伯爵様?」
ネスティスの見つめる先に黒い風が渦を巻いた。黒い塵のようなものが集まり――やがて人型となった。
「ネスティス。その者を殺すな。その者は――乙女だ」
「え……?」
思わず目を足元に落とす。
ナーレムはノスフェル伯爵を前に震え上がっていた。伯爵の恐ろしさがわかるのか、先ほどまでの啖呵を切った威勢はどこへやら、顔面を蒼白にして声もなくぶるぶると震えている。
黒い影に赤い瞳をひときわ明るく輝かせ、ノスフェル伯爵は二人に近づいた。
「どけい」
命ぜられるままに引き下がるネスティス。
入れ替わるようにしてナーレムの前に立った伯爵は、心底嬉しそうに大きな吐息をついた。
「ふふぅぁ……はぁぁぁぁぁぁ……っはっはっはぁぁ。久方ぶりよな。穢れなき血と美貌の揃いたる獲物は――今宵は楽しき晩餐となる」
「ひっ、ひっ……」
腰が抜けたのか、かかとで地面を蹴って後退ろうとするナーレムの顎を、伯爵の無骨な手が捕らえた。そのまま、魚でも持ち上げるように吊り上げる。
「い、いや、いや……いやぁぁぁ……」
動かぬ顎を必死に振りたくる。その微妙な動きが、背にかかる長い黒髪の揺れとなって現れている。
生きのよい獲物を前に、伯爵は嬉しそうに目を細めた。
「くっくっく、光栄に思うがよい、ナーレム=ホルシードとやら。今宵より、貴様が仕えるのはエイドルではなく、このわしだ。くくく、貴様の血を吸い尽くした後は、女の喜びも存分に教えてくれる。楽しみにしておれ」
「いや、いやよっ! た、助けてっ! エイドル様っ! 助けてくださいっ! ――あ、あなたっ、早く私を殺してっ! いやっ、こんなのいやぁぁぁっ!!!」
傍で呆然と立っているネスティスにすら、救いを求めるナーレム。
その半狂乱の様子を楽しそうに眺めつつ、伯爵はぐるりと手首を返し、ナーレムに背を向けさせた。そしてその首筋にぶつりと鋭い毒牙を突き立てる。
「あっ…………ああ、あ、ああああああああああぁーーーーーーーーーーーっっっっっ!!」
ナーレムの四肢が突っ張り、頂を極めたかのような悲鳴が半月の夜空に響き渡った。
ネスティスの瞳はもはや乾いていた。
しかし、命と魂を蝕まれながら、恍惚の表情へと変わりゆく女司祭を見つめるその瞳には、自身も気づかぬほどの小さな青い灯火が揺れていた。