蒼きバンダナのアレス First Episode
〜Engage Destiny〜【LUSTER/ROUGE】

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会  合

 翌朝。
 湯浴みをし、ヒゲも剃り、こざっぱりした後で替えの司祭衣を身にまとって、ルスターは町長サイクスの屋敷を訪ねた。
 交易商だけあって、その屋敷は地方の集落には珍しいほど大きなものだった。ジェラルディン子爵の豪邸には及ばぬものの、吹き抜けの聖堂、鐘楼、それから司祭と司祭補佐が合わせて数人生活できるだけの生活空間を持つシュルツ教会よりは格段に広い。
 サイクス邸の大広間にはすでにシレキス中の集落の長、孤児院の長たちが総勢十数人集まっており、貴族が使っているような長大重厚なディナーテーブルを囲んでいた。
 簡単な自己紹介の後、ルスターは最下座である町長の正面に座らされた。
 そして、会議は始まった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 白いテーブルクロスで覆われたテーブルの上を、厳しい言葉が飛び交う。
「導き手を失ったと知った民は、怯えて飯も喉を通らぬ――」
「信仰篤い孫が泣いておって――」
「ともかく、わしらの言いたいことは一つ。今の平穏を壊すことなく――」
「せっかく貴族の支配を終わらせてくれたんだ。それをそのまま――」
「また民に過酷な租税が――」
「シュタインベルク司祭の言っていた通りに『道具』の提供をしていたんだ。突然方向転換などされても――」
「そもそもお前がいらぬくちばしを突っ込まねば、こんな会合など――」
「息子の嫁が飯を食わせてくれん――」
「貴族の目を欺くためには、お前が全てシュタインベルクのした通りに――」
「何かあればお前の責任として――」
「とにかく何とかしろ――」
 口々に発せられる言葉に、ルスターは動じることなくただうんうん頷いているだけだった。
 あまりのおとなしさに、途中からサイクスやホルマールの村長が怪訝そうにルスターの顔を窺うほどに。
「――……君から言うことはないのかね、ルスター君」
「謝罪の言葉も聞いてないな」
 業を煮やしたサイクスの一言に、誰かが付け加えた。一斉に頷き合う長達。すぐにその視線はルスターに向けられた。
「えー……と」
 少々緊張感に乏しい顔つきで頭を掻きながら発言しようとしたとき、ルスターの背後で扉が開いた。
 入ってきたのはこの家の小間使いの男。
 男はサイクスの傍に行くと、何事か耳打ちをした。たちまち、サイクスの顔色が変わる。
 妙な雰囲気にざわつき始める場を無視し、サイクスは立ち上がってルスターを見やった――否、睨んだ。
「ルスター君……エキセキル及びヘルディンの義勇軍からの交渉団と名乗る連中が、シュタインベルク司祭を訪ねてきているそうだが、これはどういうことかね? 君が呼んだのか?」
 成り行きを見ていたルスターは大きく首を横に振った。
「いいえ。……ただ、近々に来ることはわかってましたが。シュタインベルクの計画の次の段階のために」
 一層ざわつく長たち。
「どうすればいい」
 サイクスの感情を押し殺した声に、ざわつきはすぐ収まった。答えを期待する眼差しがルスターに集まる。
 しかし、ルスターは左手を頭の高さに挙げて首を振った。
「さあ? 私に聞かれましても」
「それでは困る」
 一声唸ってサイクスは、テーブルに拳を叩きつけた。
「連中が何をしに来たのか、君はわかっているのだろう!? ならばどう対応すべきか、わかっているはずだ! シュタインベルクは義勇軍などという物騒なものを呼んで、どうしようとしていたのだ!」
「んー……まあ、それをこれから話すつもりだったんですが……面倒ですから、彼らをここに呼んでやっちゃいましょうか?」
「それは……」
 サイクスの呻きに他の者たちもざわめいて渋い顔を見合わせる。
 ルスターは畳み掛けるように告げた。
「義勇軍なんて名乗る血の気の多い連中を、門の外に延々待たせておくとどんな騒ぎを起こすかわかりませんしねぇ」
 たちまち首を絞められたような顔つきになった老人たちは、やり場の無い苛立ちの視線を一斉に無礼な若僧に向けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 シレキスの代表たちは十数人、エキセキル・ヘルディン義勇軍の交渉団は10名。総勢20数名で席に着くことはさすがに出来ず、屋敷中からかき集めた椅子が大広間に運び込まれた。
 テーブルに着くのは各集落の長達とルスター。そして向かい側にエキセキル・ヘルディン交渉団。シレキス各地の施設の長は、代表たちの背後に並べられた椅子に座る。
 ルスターだけがサイクスのすぐ下座、ホルマールの村長とにはさまれて座っていた。
「遠路はるばる、ご苦労様です」
 明らかに歓迎していない、感情のこもらぬ口調で、サイクスが向かいの交渉団団長に手を差し出す。
 それを握り返した団長も、戸惑いがちに挨拶を返した。
「お忙しいのに皆様にお集まりいただき、このような歓迎を受けるのは実に喜ばしいことです」
 団長は初老の男だった。白髪だが髪の裾の方はまだ濃いブラウンの色を残している。義勇軍の代表にしては体格はそれほどでもなく、むしろ痩せているせいか威圧感が無い。目が細く、始終微笑んでいるように見えるのもその印象を強くしている。
 握手を解き、席に着いた団長は自己紹介を始めた。
「私はエキセキル・ヘルディン義勇両軍から交渉団団長として任じられましたハーグ=カットナーです。ヘルディン出身ですが、エキセキルとの交渉も私が行いましたので、その辺りの事情には通じております。さて、こちらが――」
 カットナーの手で指し示された隣の若い男が頭を下げる。
「エキセキル義勇軍より代表として参りましたファングです」
 さらにその隣の禿げ頭の中年男が頭を下げた。
「ヘルディン自治会より代表として参りましたギルアス=ベーデルです。よろしくお願いします」
 次は、左目を跨ぐ大きな傷跡のあるキツイ顔つきの女。
「メルヴィエ。リエシュ=メルヴィエです。ヘルディン義勇軍からエキセキルに戦術指南役として派遣され、現在両地域の事情に通じているため、交渉団のオブザーバーとして任じられました。オブザーバーはもう一人おりまして、一番向こうの――」
 身を乗り出して、テーブルの一番下座に座る若者を手で示す。
 ルスターより若いその青年は、妙な目つきでルスターを凝視していた。
「彼はエキセキル義勇軍の指揮官ゼラニスの御子息で、レンディル。今回はゼラニス殿のたっての願いで参加しております。なにぶんこのような場は初めての若者ゆえ、失礼の儀は平にお許し願いたい」
 初めから無礼な振る舞いをすることがわかっているかのようなその物言いに、困惑げに顔を見合わせるシレキス代表たち。
 ルスターだけが、何か言いたげにしながらもそっぽを向いて頬杖をつくその若者の横顔を見ていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「わたくしがここシュルツの町長であるグスタフ=サイクスです。現状、わたくしがシレキス代表を務めている状況です」
 サイクスの自己紹介に、エキセキル・ヘルディン交渉団の間に妙な空気が広がる。それを察知したサイクスも困惑げにルスターと顔を見合わせた。
「失礼」
 カットナーが手を上げた。
「シレキスの代表はシュタインベルク司祭と思っていたのですが……」
 そう言いながらルスターを見つめる。
 サイクスは両者の齟齬に気づいた。
「あ、いや、それは――」
「シュタインベルクは死にました」
 言葉を濁すサイクスに代わり、ルスターはにっこり笑った。
 たちまち大広間はざわめきに包まれた。シレキス側はなぜそれをばらすのかという驚き、エキセキル・ヘルディン側は自分達をここへ呼びつけた交渉の相手役が死んでいるという事実への驚きに沸いた。
 ルスターはそんなざわめきなどどこ吹く風で続けた。
「つい先日です。まあ、少し調べればわかることなので、この際ばらしてしまいますが、ある女性に刺されて殺されまして。その原因になったのは私なんですが」
「あなたは?」
 カットナーの問いに、ルスターは座ったまま頭を下げた。
「ルスター。シェルロード=ルスターと申します。あー……」
「そういうことかい」
 どすの利いた低い声と、椅子をずらす響き。誰もがその音を立てた主に注視した。
 それは末席の若者レンディルだった。
「――レンディル! お前はオブザーバー、意見など――」
 叫んだのは傷のある女メルヴィエ。
 しかしレンディルは動じることなく、ルスターを指差した。
「てめえ、そのペンダント……」
 皆の視線がルスターの首にかかっているペンダントに集まる。
「どこのかは知らねえが、樹帝教学院のものだろうが。なんでこの場に樹帝教の回し者がいやがるっ!!」
 エキセキル・ヘルディンの交渉団が目を剥いた。
 シレキス側はしまったという顔をし、ルスターだけが飄々と微笑んでいる。
「レンディル、それは確かなのか!?」
 メルヴィエの問いに答えたのは、ルスターだった。
「よくご存知で」
 驚いて振り返るメルヴィエ。
 レンディルは低く唸るように続けた。
「昔、親父の使いでミンスニアに行った折りにちょっとやんちゃが過ぎてな。樹帝教学院の馬鹿貴族をぶちのめしたことがある。そのときの戦利品、今でもうちにあるぜ。毎日見てるからな、見間違えはしねえ」
「うん、私はハイデロアの出身です」
「樹帝教の中心じゃねえかっ!! よくもまあ、貴族の手先が……っ!!」
 動じないルスターに苛立つように、レンディルの怒声が上がってゆく。
「ええ、そうですよ? シレキスにはびこるボラスディアという邪神信仰集団を壊滅させるために、こんなものまで押されて送り込まれたんです。これはご存知ですか? 破門の印と言うんですが」
 笑いながら三角巾で吊った右手の甲をさらしてみせる。
 途端にレンディルの顔つきが困惑に変わった。
「破門……え? なんで破門だ? いや、破門されたのになんで貴族の手先で、そのペンダント……」
 失速したように勢いが萎えてゆくレンディル。
 ルスターは左手でペンダントをすくうようにして持ってみせた。
「破門されたのは事実ですが、かといってハイデロアで学んだことやそこで紡いだ絆が幻だったわけでもないのでね。それに、樹帝教の司祭だといえば、どこの地域でも潜り込みやすいじゃないですか」
「だったら、最初から破門の印など……一体何なんだ、あんたは!?」
「言ったじゃないですか」
 ルスターはわざとらしく意外そうな顔つきをしたあと、にんまり笑った。
「シェルロード=ルスター。今はそれだけ、どこの司祭でもない身です」
 場の空気に微妙なものが流れ始める。
「……シレキスを解放した立役者がなぜ死んだのか、そしてその代わりがなぜ樹帝教の回し者なのか、ご説明いただけますかな? サイクス殿」
「いや、それは……」
 カットナーの落ち着いた声の問いに、サイクスは目を白黒させる。
 カットナーは続けた。
「我々が前以ってシュタインベルク司祭からの書簡にてお知らせいただいたところでは、あなた方は既にジェラルディン子爵一族を抹殺し、自由を手に入れたとか。我々ですら、追放という形でしかなしえなかったことをなしたと聞き、いささか感服していたのですが……」
 外部に漏れてはいけない情報が漏れていたことに、顔色を失ってざわめくシレキスの代表たち。
 そして、その意外な反応に戸惑う交渉団の面々。
 ルスターだけが全てを知っていたかのように悠然として、茶をすすっていた。
「結局……貴族が怖くて樹帝教にすがったってことか」
 ルスターを睨み続けながら席に腰を落としたレンディルの指摘に、サイクスは首を横に振った。
「いや、そういうわけでは。これはその……なんといいますか」
 サイクスの目がちらちらと隣のルスターを見やる。助けを求めるその視線に、ルスターはカップを置いてにっこり笑った。
「まあまあ。皆さん、落ち着きましょう。実は、エキセキルとヘルディンの皆さんがここへ来るのを知っていたのは私だけ。ですので、態度がはっきりしないのはお許しいただきたい。皆様まだ戸惑っているのですよ」
「……君だけが?」
「ええ。私自身、シュタインベルクに仕えていた司祭補佐から先日聞いたところです。今日ここでその話をするつもりだったんですが、その前にあなた方が到着してしまったというわけで。つけくわえるなら、今日シレキスの長が集まっていたのは、その件で話し合うためでして。シュタインベルクを死なせた責任として、私に彼の後を継がせたいという話です」
「君が?」
 交渉団側から露骨に疑惑の眼差しが突き刺さる。どの表情も樹帝教の回し者であることを肯定した若者の意図を測りかねていた。
 ルスターは動じずに続けた。
「私もあまり気乗りはしないんですけどね。……ちょっとよろしいですか?」
 席を立ち、テーブルの上座に回る。向かい合わせに座る両者の間に立ったルスターを、20数人の視線が見据える。
 ルスターは心地よさげに一同の顔を見回し、頷いた。
「では、ここでシュタインベルクの構想を打ち明けましょう。根拠となる書簡やメモは、教会の方へ来ていただければいつでも見られるようにしてあります」
 さて、と一息ついてルスターは講義を始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ルスターがシュタインベルクの遺した書類から得た情報を総合すると、その計画は四段階に分けられる。
 一段階目は『潜伏』。シレキスに根を下ろし、静かにボラスディアを増やす時期。
 二段階目は『侵食』。シレキスの支配者を排除し、ボラスドーを信仰することの利を証明する時期。
 三段階目は『発症』。隣接する地域の義勇軍と交渉し、連合を組み、本格的にマンタール公国及びシレニアスに反旗を翻す時期。
 四段階目は『転移』。ボラスディアの教えを他地域にまで広げ、一から三段階をその地域地域で実践し、樹帝教の影響をも削いでゆく時期。
 結局本人は、第二段階の『侵食』時期終盤にて予想外の死を迎えたわけだが、その前に第三段階へと進む手を打っていた。
 それがエキセキル・ヘルディン義勇軍の交渉団の招待。
 両者による圧力と、シュタインベルクのカリスマによりシレキスにも義勇軍を組織し、本格的な反攻に出るつもりだったと思われる。
 おそらくはその繋がりを通じて両地域にもボラスディアの教えを浸透させ、勢力を広げてゆくつもりだったのだろうが。

 ―――――――― * * * ――――――――

「つけくわえておくと、シュタインベルクはそもそもアスラルの人間ではありません」
 ルスターの一言に、一同は虚を突かれたように目をしばたかせた。
「シュタインベルクは遥か南の大帝国、オ=レディウス帝国の回し者です」
 南の大帝国の名は、間に数国を挟んだ彼方のこの地にも届いている。
 シレキス、エキセキル・ヘルディンを問わずざわめきが揺れる。
「彼の遺した日記などを見ると、そこで迫害されていた辺境部族の出身のようです。その部族で信仰されている神が破壊神ボラスドー。彼は、その信仰を広めることでアスラル全土を手中に収め、帝国に併合させるつもりだったのです。そうすることで帝国内における一族の地位確立を狙っていたのですね。驚いたことに、彼の一族は昔からその目的で、アスラル内外を問わず世界中のあちこちに散らばっているんだそうです」
 初めて聞く話だったのだろう。シレキスの者たちはお互いに顔を見合わせ、困惑しきっている。
 エキセキル・ヘルディンも判断のつきかねる顔つきで、お互いに何かぼそぼそと話し合っている。
 その様子を一通り見回してから、ルスターは続けた。
「さて、ここからが本題です」
 たちまち、全員が意外そうな顔でルスターを見やった。
「ま、まだ本題じゃなかったのかね?」
 サイクスの問いに、ルスターはさも当然という顔で頷いた。
「当たり前です。シュタインベルクのたくらみを暴露するためだけに集まったわけじゃないでしょう。そもそも、それならエキセキル・ヘルディンの交渉団にいていただく理由もない」
「では、なにを?」
「この先どうするか、です」
「どうするって……」
 困惑するシレキスの代表者たち。
 ルスターは彼らを見やりながら、左手の指を三本立てた。
「道は三つ。一つ目は、全てをシュタインベルクのせいにして貴族に詫びを入れる。二つ目は、エキセキル・ヘルディンの両者と結び、義勇軍を組織して自由のために戦う。三つ目はシレキス独自で貴族側と交渉する」
「待て待て待て」
 声を上げたのはホルマールの村長だった。
「わしらはこれまでどおりでええんじゃ。そんな、戦になど――」
「それは無理というものですよ、村長」
 ルスターは明確な拒絶の言葉とは裏腹に、にこやかな笑顔を振りまいた。
「私にはシュタインベルクの代わりは出来ない、と前以って伝えておいたはずです。そして、そもそもそのシュタインベルク自身が、シレキスを戦へ導く道を作っていたんです。どう転んでも今のまま、というわけにはいきませんよ」
「ではどうせよと」
「それを決めるために集まっているのでしょう、皆さんは。幸い、ここには戦の先輩方もいらっしゃる。その話を聞いて決めるのもいいでしょう。……それとも、この地に来て1年にもならない私ごときが、この地域の先行きを決めてしまってもいいので?」
 シレキスの代表たちは、一様に酢を飲んだような渋い顔になった。
「はっきり言いますが、私はこの土地にさほどの執着があるわけではありません」
 ざわめきが広がる。シレキスだけでなく、エキセキル・ヘルディンの交渉団も眉をひそめていた。
「シュタインベルクの件で追放される覚悟もしていましたしね。孤児たちとともにどこか他所の土地へ移ることも、正直考えています。……この一年、良くしていただいたホルマール村の人々に愛着はありますが、それはそれで仕方のないことだと思っております」
「残りたい、とは思わないのかね」
 サイクスの問いに、ルスターはおどけたように肩をそびやかして見せた。
「そりゃ、できればね。でも、住まわせてもらいたいがために出来ないことを出来るとは言えません。出来ないのなら出て行け、と言われれば、出来ないのだからそれに従うだけの話です。皆さんがお決めになってください。このシレキスに生まれ育ち、シレキスに限りない誇りと愛着を抱く皆さんが」
 大広間は静まり返ってしまった。
 シレキスの代表者たちは突然降って湧いた『決断の時』に恐れ戸惑い、口をつぐんでいた。
 エキセキル・ヘルディンの交渉団はシレキスの代表者たちの決断を待っていた。
「……ルスター君、決断は我々がするとしても、だ。助言はいただけるのかな。アスラルにおける最高学府である、樹帝教学院ハイデロア校に在籍していた君の知見を」
 サイクスの絞り出すような声に、ルスターは頷いた。
「もちろん。私に答えられる範囲であれば」
「では、聞こう。君は、さっき言った三つのうち、どれを選ぶのがシレキスにとってよい道だと考える? シレキスの者ではない、君の意見として聞きたい」
「二つ目です」
 ルスターの言葉に一切のためらいや澱みはなかった。計算の答えを告げるかのごとくにはっきりきっぱりと言い切った。
「一つ目の貴族に詫びを入れるのは、現実的ではない。おそらく、かなりの無茶を要求されるでしょう。シレキスの集落の長全員の首を差し出せ、とかね。加えて、決められた租税の他に賠償料という名目でさらに厳しく搾取されるでしょうね。彼ら貴族にとって、この土地は別に滅んでしまっても問題ないわけですから」
「そうなのかね?」
「シュタインベルクの代筆がよほど上手かったとはいえ、一年間子爵家が病気に伏せていても全く問題とされない程度の興味しかないんですよ、マンタール公国からすれば。これがマンタール大公家に連なる家柄なら、見舞いの客が引きもきらなかったはずです」
 ざわめきと納得の頷きがさざなみのように広がる。
「三つ目の選択ではいけない訳はなんだね?」
 シレキス側の誰かから飛び出した問いに、ルスターは首を振った。
「いけないわけではありませんよ。ただ、あなた方に果たして宮廷内での権謀術数に慣れた貴族との交渉が出来るかどうか、怪しいというだけで。三つ目の選択というのは、つまるところ反乱軍の存在を前提にした策です」
 シレキスの面々は困惑げに顔を見合わせたが、当の反乱軍たるエキセキル・ヘルディン側は怪しい雲行きに警戒感を表情ににじませる。
「我々がエキセキル・ヘルディンの反乱軍に対する貴族側の楔となって両者の協力を阻害する代わりに、この地における大幅な自由、もしくは中立地帯化を認めてもらう、というのがまあいいところでしょう」
 たちまちエキセキル・ヘルディン交渉団がざわついた。
 シレキス側の人間も、当事者たちを前にしての発言に青ざめる。
「何なら、今日この場にいる皆さんをふん縛って貴族に差し出せば、それだけ有利に話を進められるかもしれませんねぇ」
 ざわつきどころではない。レンディルはじめ顔色を失った数人が立ち上がり、抗議しようとする――それを、カットナーは腕の一振りで押しとどめた。
 驚く交渉団に、カットナーは顎で席に着くよう示した。
「……交渉は席を蹴った方の負けだ。話は終わっていない。少なくとも、ルスターさんの話が終わるまで待ちたまえ」
 どれほどの影響力を持つ人物であるのか、レンディル以外の者は納得できない顔つきながらも、粛々と腰を下ろした。レンディルだけが立ち上がったまま、殺意に燃える目でルスターを睨んでいる。
 ルスターはどうも、と愛想笑いをカットナーに振りまき、続けた。
「ただ……何かの拍子に反乱が鎮圧された場合には、何の戦力も持たないこの地域が蹂躙されるのは火を見るより明らか。そもそも素朴な田舎ものに過ぎないあなた方が貴族と同じテーブルに着いたところで、こちらの望みの半分も受け入れてはもらえないでしょうしね。また、もし反乱軍が勝利し、マンタール公国が倒れた場合には裏切り者のそしりを受け、討伐される可能性も無いとはいえない」
 当然だ、とばかりに荒い鼻息を高らかに放つレンディルとメルヴィエ他、いかつい顔の面々。
「無論、そうならないために反乱軍とも適当な距離を保つ必要があります。たとえば、この地の名産である火薬の供給をエキセキル・ヘルディンに優先的に回す、とか。どちらからも必要とされ、どちらからも攻められない立場の確立、それがあなた方にできるかどうかがこの策の肝です」
 肝、とは言ったものの、無理なことはシレキス代表側の面々の表情を見ていればわかる。皆、困惑を通り越して絶望的に青ざめている。要は覚悟が決まっていないのだ。
「しかし、二つ目の道というのも……」
 ホルマールの村長が気乗りのしない口ぶりで抗議する。互いに顔を見合わせあって頷きあい、気持ちを確認している。
「シュタインベルクがボラスドーを持ち込み、それを秘密にしたのはシレキスの住民の気持ちを一つにするためでもあります。秘密の共有は、連帯感を生みますからね。シュタインベルクはその連帯感を以って、シレキス義勇軍を組織するつもりだったんでしょう。……もっとも、その主力は火薬を背負わせて爆殺するための孤児のつもりだったのかもしれませんが」
 少し険しい顔つきになったルスターはサイクスのカップを勝手に奪い、茶を飲み干して一息ついた。
「ともかく、私が見る限りもっとも現実的であなた方にも実行が難しくない道は、エキセキル・ヘルディンと連合を組み、自らの自由を確保するために戦うことです。……まあ、マンタールでもシレキスごとき田舎領地で何が起きているかは把握していないし、それほど興味もないでしょうから、対外的にはもう少し旗色をはっきりさせないというのもありですが、どちらにしろ判断の先延ばしというだけで、結局――」
「いや。そうでもないよ、ルスターさん」
 ルスターの言葉を遮ったのは、カットナーの静かな声だった。
「マンタールはシレキスがエキセキルとヘルディンの掛け橋になるのを恐れている。この三地域が手を結び、域内の貴族の勢力を退けたとなれば、その東側にある領地、マンタール公国の深南部地域が孤立する。また、ヘルディンへの補給線も一部失われる。事実上、マンタール南部は貴族の手を離れるに等しい」 ※ マンタール公国南部反乱地域地図
「ははぁ……なるほど。では、マンタールもシレキスに注目していると?」
 頷いたカットナーは、腕組みをして答えた。その表情はやや硬い。
「現状、マンタールの紅光騎士団(カーマイン・ナイツ)はヘルディンの義勇軍他各地の反乱勢力と戦っている。アスラルを貫く主要街道に位置するエキセキル地域でも義勇軍が立ったことで、戦力が足りずにシレニアス本国の旭陽騎士団(グロリアス・ナイツ)まで招聘している。これ以上の劣勢を彼らが看過するとは思えない」
「確かに……。シュタインベルクがミンスニアに送ったとおぼしき書簡の下書きにも、シレキスの現状を必要以上に落ち着いている、皆ジェラルディン子爵を敬い、尊敬していると説明していました。それでか。あまりにしつこかったので、少し不審に思っていたんです」
「おそらく、それがミンスニアを安心させていたのだろう。しかし、その書簡も途絶えてしまえば……」
「不審は疑惑に変わり、シレキスにも……ということですね。まして、紅光騎士団(カーマイン・ナイツ)の騎士バイドがその配下ともども行方不明とあっては」
「おそらく――」
 メルヴィエが口を挟む。戦士の目をした女は、ルスターを値踏みするようにじっと凝視していた。
「全てが明らかになった暁には、この地に軍勢が押し寄せる。子爵・騎士の殺害犯討伐という大義名分があり、戦略上も重要となればね。千年の惰眠を貪る貴族とはいえ、あちらもそこまでバカではありません。つまるところこの戦、シレキスがどちらに着くかで趨勢が変わると言ってもいい。……期限は迫っています」
 高まる戦の足音。シレキスの代表者たちは一様に青ざめて顔を見合わせあっては首を振り合った。
「……ルスター君、ルスター君」
 蚊帳の外に置かれていたサイクスの呼びかけに、ルスターは我に返った。
「あ、すみません。ここから先は、あなた方の領分でしたね」
「いや……今のやり取りを見ていて思ったのだが、やはり我々には君の導きが必要だ。もし、貴族と交渉するにしても、君ならばもしかしたら――」
 すがるような眼差しと、その口調。その背後にずらりと並ぶ、同じ眼差しと共有する頷き。
 ルスターはうんざりした顔つきで首を振った。
「私は意見を求められたから答えただけですよ。この地にそれほど執着のない者としてね。実際問題、彼らと組んで戦をするとなれば、確実にシレキスの住民の血は流れるでしょうし、万が一攻め落とされたりすれば蹂躙されるのは目に見えています。その決断を、私にしろと?」
「頼む。我々では、とても……」
 喜劇でも見ているかのように、一斉にうんうんと頷くシレキスの代表者たち。
「お断りします」
 冷然とルスターは言い放った。
 ずいっと前に身を乗り出し、じろりとシレキス代表団を見据える。
「あなた方も人の上に立つ者ならば、今こそ覚悟をお決めなさい。……戦の覚悟ではなく、シレキスの行く末を自らの意思で決める覚悟を。それがこの地に生まれ、この地に誇りを持つ者の宿命であり、務めです」
「そして、それが自由ということです」
 カットナーの静かな声に、シレキスの人間の視線は一斉にルスターからカットナーに移った。
「生きるも死ぬも、自らの意思で選び取る。それが自由というもの。いずれ後悔はつきまとうにせよ、まず自らの意思で足を踏み出さねば何も変わりますまい。我々はそうして一歩を踏み出した。もう戻れない一歩をね。そして、お互いに戻れないと知るからこそ、エキセキルとヘルディンは手を結ぶのです。正直……この中には戦の中で親しい者を亡くした者もいる。それでも、この戦いには意味があると私たちは思っている」
「大勢の住民が死んでも、なお意味がある戦いとはなんです?」
 苛立たしげにサイクスが問いただした。
「勝てるとはわからぬ戦いに、長として皆を駆り立てることはできない。皆を守るのが長の役割と、我らは心得ている」
「そのために貴族の圧政を受け入れるのもよしとするのか。一人二人の娘が貴族に白昼堂々連れ去られ、弄ばれ陵辱されたとしても、我慢するというのか。それは、我慢か」
 深い怒りを含んだ声音のメルヴィエを、カットナーは手で制した。
 サイクスに向けてわずかに頭を下げる。
 サイクスは咳を一つはらって続けた。
「我々はこれまで戦をしたことがない。だからわからぬ。あなた方は貴族を相手に勝てると思っているのか? それとも、蹂躙されることも覚悟の上で戦わねばならぬ理由があるのか?」
 カットナーは頷いた。
「勝てるかどうかではなく、勝たねばならぬのだ。そして、戦う理由はある。おそらくはこの戦に参加する者それぞれに、それぞれの理由が」
 そこで、その表情がわずかに崩れ、微笑が浮かんだ。
「かく言う私の理由など、大したものではないが」
「お聞かせ願おう」
「孫が……いるのです」
「それを言うなら、わしだって」
 口を挟んだのはホルマールの村長。しかし、メルヴィエの冷たい視線を浴びて、すぐ恥ずかしそうにうつむいてしまった。
 カットナーは、それは重畳とでもいいたげな笑顔で見ていたが。
「親である長男夫婦は、貴族の横暴で亡くなりました。今は次男夫婦の下ですくすくと育っている」
 サイクスはため息をついた。
「なるほど、つまりは息子夫婦の仇討ち――」
「さにあらず」
 カットナーの声は静かだったが、聴いていた者全てが驚くほど響いた。
「その孫が、長男夫婦のような悲劇に遭わぬ世の中にしたいのです。私の望みはそれだけ。そして、老い先短いわしの命ごときで、孫の未来が勝ち取れるなら、安いもの。それが、理由です」
 大広間は静まり返り、しばらく誰も声を立てなかった。
 そしてその時、すでにその場からルスターの姿は消えていた。
 レンディル=ゼラニスと共に。

 ―――――――― * * * ――――――――

「おい、偽司祭。どこへ行く」
 サイクスの屋敷の玄関ポーチを出たところで、ルスターは若い声に呼び止められた。
 振り返れば、レンディルの姿があった。敵意を隠しもしない視線で睨んでいる。
 ルスターはにっこり笑ってみせた。
「どこって……教会ですよ。私の役目は終わりましたし」
「どこの神にも仕えてねえてめえが、教会に戻って何しようってんだ。……そもそも、牙を持ってるくせにそれを使おうとしねえのがまず気に入らねえ」
「牙?」
「ここのことだよ、ここ」
 レンディルは自分のこめかみに指を当ててつついてみせた。
「うちのカットナー団長とメルヴィエ相手にあれだけ話が出来る人材、今のシレキスには得がたい才能のはずだ。それをてめえ自身も理解している。にもかかわらず、あの場を逃げ出したのはなぜだ。貴族との衝突を煽るような発言をしておきながら、なんでてめえはその先頭に立たねえ。まるで……それが目的みたいじゃねえか」
「はっきり言ったらどうです?」
 ルスターは笑みを浮かべたまま、切り返した。
「あ?」
「私は貴族の回し者なんだろうって。シレキスを戦に駆り立て、その後内部から私がかき回し、さしたる戦闘もさせずに貴族側に勝利をもたらすつもりなんだろうって」
「……否定しねえのか」
「したら信じます?」
 レンディルはたちまち言葉に詰まった。
 ルスターは微笑を絶やさぬまま、視線を屋敷の大広間がある方に走らせた。
「中でも言いましたが、私はこの地の出身ではない。そしてあの場にいれば、皆が私を頼りにする。それではいけない。この先が危うくなる」
「なんでだ。才能のある奴が、それを生かして戦う。当たり前のことじゃねえか。出し惜しみをして勝てる相手か、貴族は」
「そこですよ」
 指を向けられたレンディルは、顔をしかめた。
「皆は貴族だけが敵だと思っている。けれど、本当にそうですか?」
「なに……?」
「私をこの地へ派遣したのは、貴族ではない。樹帝教ですよ?」
「それがどうし――ちょっと待て。お前、まさか!」
 レンディルの顔色がさっと変わった。あわててポーチの階段を駆け下り、ルスターの傍にやってくる。
 ルスターの心底を覗こうとするかのごとく、真っ直ぐ瞳を見つめてくる若者に、ルスターは笑みを消して表情を引き締めた。
「樹帝教は貴族と同一視されていますが、そうではない。言ってみれば、シレニアスという大樹に絡みついたヤドリギや蔦のようなもの。たとえ主が倒れたところで、新たな主を求めるだけ。だが、そこまで巨大になったヤドリギでは、新たな宿主は耐えられない。すぐに養分を奪われ、倒れてしまうでしょう。そうなれば、いっそ元の主の復活を企むかもしれない」
「冗談はよせよ? アスラル中に根を張る樹帝教を、お前一人で倒すつもりなのか? ……そんなのは、無理だ」
「シレキスの人間から言わせれば、あなた方の戦いだって無理は承知に見えるでしょうよ」
 しれっと言い返してから、ルスターはいたずらっぽく舌を出した。
「まあ、今信じてもらう必要はありませんけどね。ただ、それをするためには、『シレキスのルスター』になるわけにはいかないんですよ」
 それでは、と頭を下げてルスターは再び歩き出した。呆然と立ち尽くすレンディルをその場に置いて。
 その姿が門を出る寸前、レンディルは我を取り戻し、叫んだ。
「待て、ルスター! ……てめえ、さっき言ったな! この地に生まれ、この地に誇りを持つ者には宿命があり、務めがあると! じゃあ、てめえはどうなんだ! 言葉通りなら、てめえはてめえの故郷に戻ってなすべきことがあるんじゃねえのか!? てめえの故郷はどこだ!?」
 足を止めたルスターは、しばらくそのままその場に固まっていた。ついで、空を見上げ――振り返って笑った。
「私の故郷は……アスラル大樹海ですよ」
 予想だにしない答えに固まるレンディルを残し、ルスターは門の彼方へと消えていった。


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