蒼きバンダナのアレス First Episode
〜Engage Destiny〜【LUSTER/ROUGE】
孤児院の日々
アル、ビューク、ザブリン、メッケナー、ワイズマン、それにトリーデにナーラ、ケイト。
下は4歳から上は11歳ぐらい(孤児ゆえ詳細不明)までの5人の男の子と3人の女の子、それにペルナー司祭補佐とルスターの共同生活が始まった。
二人だけでは手が足りず、村人の協力も得てのことである。
そのお返しとして、朝方は村を回って奉仕活動。まだ農作業のような力仕事はできない子供ばかりなので、各家庭で使う水汲みや家畜小屋のお掃除、様々なお手伝いをしながら村人たちと交流を深め、昼から勉強。
日が落ちれば二階で就寝。就寝前にはペルナーとルスターがそれぞれ男の小部屋と女の小部屋に別れて、お休み前のお話。遊び盛りの子供たちのこと、やりすぎた末の説教のこともあれば、寝物語を適当に作って話すこともある。
子供たちが寝静まってからも、まだ仕事はある。シュタインベルク司祭への報告書、司祭からの指示書の確認、明日の奉仕活動の計画、勉強時間の下準備。
そんなこんなで一息つく頃には、とっぷり夜は暮れていた。
―――――――― * * * ――――――――
「今日も一日、ご苦労様でございました」
いまだ神像のない大広間で報告書のつづりを閉じたとき、にこやかに笑いながらペルナーがハーブティーを淹れてきてくれた。いつもながらタイミングが良い。
礼を言ってカップを取り上げる。すると、もう一つ皿が出てきた。美味しそうなクッキーが数枚載っている。
「エルデ様が焼いてくださったクッキーでございます」
村で評判の美人未亡人の名前に、ルスターの顔が思わずほころぶ。
「へー……じゃあ、明日お礼を言っておかないとな。子供たちには?」
「子供たちの分は既に取り分けてございます。明日の午後のお茶の時間に出そうかと」
「さすが」
一枚とって口に放り込む。甘味は少ないが、素朴で味わい深い味と香りが口の中に広がる。お茶請けには最高の一品だ。
ペルナーもルスターの前の席に着き、ハーブティーを飲みつつクッキーに舌鼓を打った。
「ところでペルナー」
「はい」
「今日でちょうど一ヶ月になるが、どうだろう? 私のやり方は。何か気づいたことはないか?」
ペルナーははぁ、と気のない相槌を打った後、しばし考え込んだ。
「正直なところを聞きたい。私も孤児院経営は初めてで、これでいいのかどうか迷いがある」
「まあ、ルスター様のお年でしたらいたし方ないことかと。わたくしも、正直最初は戸惑っておりました。野外活動が多いもので。もう少し厳しく皆を机に縛り付けて勉強を教えるのかと」
「……間違っているか?」
ペルナーは首を振った。
「それはわかりません。わたくし、まともな教育を受けたわけではございませんので。ただ……実を言うとわたくし自身、子供たちと楽しく学ばせていただいております」
「そうか」
嬉しそうに微笑むぺルナーに救われた思いを抱きながら、ルスターは頬杖をついて、カップの水面に目を落とした。
「私の経験から言うと、物事を知っているより、問題をどう解決するかという方法を知っている方が重宝されるんだ。貴族社会では。それから、人との交流技術。いろんな感情を表に出し、もしくは隠す。この先、あの子達は社会の底辺を見る。その前に、心穏やかに暮らせる時間と空間があることも知っておいて欲しい。感情や表情を隠さずとも良い場所があることを。最後には、おそらくそういう部分が彼らの心を救うよりどころになると思うんだ」
無論、野外活動が多いのはそれだけではない。この周辺の地理的状況を自分の目で確認するためだ。
ボラスディア探索・追討の任に就いているバイドのような相手が、目を光らせているのだ。あらぬ疑いをかけられぬためにも、そういう邪教集団が集まったり隠れたりしそうな場所の目星をつけておかねばなるまい。あらかじめそういう場所を通報しておけば、連中の調査が空振りに終わったとしても多少なりとも心象はよくなる。
あちらに、ルスターは味方だと思わせなければならない。
ペルナーはそんなルスターの思惑も知らぬげに、何度も頷いた。
「まず生きる力を、というわけですか。良い考えです。確かに、あなたが来てからのこの一月で、彼らの目つきが変わってきました。村の子供たちともよく遊んでいるようですし、村の人たちも柔らかく接してくれるようになっています。わたくしだけの時などはまるっきり信用されていなかったのに」
「…………子供を子供だと甘く見ていると、足元をすくわれるよペルナー」
「そうでございますか?」
「ああ。余計な経験がない分、彼らはまっすぐに物事をとらえる。大人の嘘など、お見通しさ。だからこちらも、余計な取り繕いはせずに、正直にぶつかる方がいい。知らないことは知らない、できないことはできない」
「それでは子供たちに侮られませんか?」
「そこで教えてやるのさ。大人は何でもできるわけではないことをね。けれど、できる人はできる。知らなければ知っている人に聞き、できなければできる人を探す。それは世界の広がりを知っている、大人にしかできないことだ」
「なるほど。そういう考え方も――」
不意に、奥の扉がゆっくりと開いた。
4歳ほどの金髪の女の子――トリーデが立っている。トリーデは眠そうに目をこすりながら訴えた。
「……おしっこ……くらいの……」
ルスターとペルナーは顔を見合わせ、苦笑した。トイレまでの廊下は既に消灯した。あの暗い廊下を一人で行く勇気はまだないのだろう。
ペルナーがいそいそと立ち上がってトリーデをあやす。
「そうかそうか。じゃあ、ついていってあげましょう。――それではルスター様、わたくしはトリーデを部屋へ連れて行った後、子供たちの様子を見て就寝します。お休みなさいませ」
「ああ、お休み。お茶は私が片付けておくよ」
「すみません、よろしくお願いします」
限界が近いのか、むずがるトリーデを抱き上げて、ペルナーは扉の奥へと消えた。
―――――――― * * * ――――――――
さらに数ヶ月がすぎ、季節は秋になった。
小麦畑は黄金色に輝き、さやさやと波打つ季節。森の中でも様々な果実がなり、獣が太り、一年で最も森と大地の豊穣を感謝すべき時期。
その収穫の農繁期は奉仕活動の時間を大幅に増やし、子供たちを農作業の手伝いに行かせるため、ルスター自身は孤児院に残って雑務を行うことが多くなる。
その日も、そんな日だった。
その日孤児院を訪れたのは、ここ二、三ヶ月ほど月に一度のペースで孤児院を訪れるようになったバイドだった。
相変わらずのヒゲ面で、彼が来ると子供たちが怯える。
最近ではこの孤児院周辺では危険がないと判断したのか、若い衆も引き連れず、鎧姿で来ることさえなくなった。今日は赤を基調に蔓草模様の刺繍を施した服に身を包んでいる。胸には紅光騎士団(カーマインナイツ)の紋章である、地平線から半分だけ顔を出した太陽の図柄のワッペンが縫い付けられている。
実はこの図柄が日の出なのか、日の入りなのか、マンタール公国内でも永い間論争になっているのは有名な話だ。西の公国だから日の入りだと言う者もいれば、落日は縁起が悪い、日の出だと主張する者もいる。だが、日の出、つまり旭日だとするとシレニアス本国の旭陽騎士団(グロリアス・ナイツ)とかぶる。
そこではそこで、真似だなんだという騎士の矜持に関わる論争が繰り広げられているため、いまだに決着がついていない。
「お久しぶりですね」
「……………………」
バイドはいつも以上にむっすりした顔つきで、司祭室のロングソファに腰を沈めた。
その前のテーブルに、空のティーカップと村の未亡人から定期的にもらっているクッキーを盛った皿を置く。
「バイド殿はシュルツに御逗留でしたね。シュタインベルク司祭のご様子はいかがです? あの方、まだ一度もこちらに来られていないもので。私もシュルツに行く時間がなくてねぇ」
「相変わらず教会に引きこもったままだ。こんな田舎領地のどこに、あれほど忙しくなるだけの書類が集まる余地があるのか、いまだに以って不可解だ」
思うところがあるのか、言葉にも口調にも棘が感じられる。
ルスターはハーブティの入ったポットを傾け、バイドのティーカップに注ぎ始めた。
「はぁ……では、ジェラルディン子爵様はいかがです? シュタインベルク司祭に止められているので、実はまだ着任の挨拶すらできていないのですが……いくらなんでも、そろそろご機嫌伺いぐらいはしておかねば、と思っているのですよ」
「実は、我もまだ挨拶ができていないのだ」
「は?」
注ぐ手を止めて、バイドを見やる。
「現ジュラルディン子爵家当主、ニケロ=パーレル=ジェラルディン子爵は今、誰ともお会いにならぬ。我らからの報告も、執事を通じて受け取るだけ。指示はいつも同じ。『早くなんとかしろ。出来ないなら帰れ。』――それだけだ。まるでどこぞの司祭を真似しているかのように、屋敷に篭ったまま既に半年以上。……いつぞやの、食料庫襲撃からだそうだ。まったく、情けない限り。これだから田舎貴族は……」
「…………何かありましたか、バイド殿?」
自分の分も入れ終えたルスターは、聞きながらバイドの向かいに腰を下ろした。
「今日はいつも以上に怖い顔をなさっておられる。……子供たちがいなくてよかった」
微笑みながらカップに口をつける。
少し癪に障ったのか、鼻を鳴らしたバイドはロングソファーの背もたれにどっかり両腕を広げると、ちらりと窓の方へ視線を走らせた。
「……ガルディン準爵を知っているか」
「いえ、寡聞にして存じ上げませんが」
ルスターはカップを置いて、バイドの硬張ったような顔を注視した。
準爵という位階は男爵の下に位置する特別な爵位で、公式には貴族として認められてはいない。平民が公国などに対して相当の貢献をした場合、貴族に準ずる地位として、領地を得たり、学院を卒業せずに特別な職へ就いたり、王宮への出入りなどを許されるなどの特権を一代限りに与えられる。いわば、特別平民とでも言うべき地位だ。成り上がりの象徴と言ってもいい。
「ガルディンは20年ほど前、このシレキスの南に領地をもらった者でな。一代限りの準爵から永代安堵の男爵への昇進を望んで功を焦り、少々荒っぽいやり方で統治をしておったのだ。それが、死んだ」
「それは……ご愁傷様です。……ええと、ひょっとしてわたくしに葬儀を?」
バイドは首を横に振った。
「葬儀は既にガルディン準爵配下の司祭が執り行った。領地は――まあ、近隣の貴族に与えられるだろう。問題はその死の原因だ」
「はぁ」
「ボラスディアに殺された」
ルスターは久々に聞いたその単語の意味を思い出すのに、数瞬を要した。そしてついでに自分がなぜここにいるのかも思い出した。
「ははぁ……破壊神ボラスドーの信仰者ですか。……一体どういう殺され方を?」
「領地視察の帰りに何者かの待ち伏せを受け……馬車ごと爆殺された。御者、従者ともどもな」
「バクサツ?」
「火薬による爆破に巻き込み、殺すのだ」
「ああ。それはまた…………えげつないですな」
言いながら、何かが頭の隅に引っかかった。今は言葉にならない何か。
「人の所業とは思えぬ」
バイドは心痛に耐え切れぬように、表情を歪めていた。
最初に会ったときの会話といい、その後の面談といい、今の表情といい、この騎士は悪い男ではない。ただ粗野で、プライドが少しばかり高いだけだ。心根は貴族には珍しくまっすぐらしい。
多分、ここへ話に来たのもその心痛をやわらげるためなのだろう。抱えていれば重いものも、人に話せばとかく軽くなるもの――
「――ここいらの様子はどうだ?」
「は?」
聞き役に徹してやろうと思っていたルスターは、予想外の質問に戸惑いの色を隠しきれなかった。
「どうだ、とは? 別にご報告するような事件は起きてませんが……ここ一月ほどで村が大騒ぎしたのは、ヘルデンさんところのおじいちゃんが夜中にふらふら出て行ったもんで、村人総出で探したら用水路に落ちてたことぐらいですか。しかも奇跡的にほぼ無傷。……まあ、お年がお年ですので、そろそろ頭の方に来られたらしく……」
「そんなどうでもいい話のことではないっ!!」
バイドはテーブルに拳を叩きつけた。カップとソーサーが耳障りな音を立てた。
「……では、何が聞きたいのです?」
「ボラスディアだ、ボラスディア! 何か活動をしてはいなかったのか!?」
「全然」
ルスターの即答に、バイドは継ぐ言葉を失ったように目を白黒させた。
「……噂もないのか?」
「まったく。……といいますか、ここで暮らしているとその話が本当かどうか、疑わしくてしょうがないのですが……。ちょうどいい、前から一度聞きたかったんです」
今度はルスターが身を乗り出すようにして、バイドに詰め寄った。
「な、なんだ」
「ボラスディアという集団が存在するという、確たる証拠はなんなんです? 最初に会ったとき、確証があるようなことを言っておられましたよね? それに、あなたが私に教えてくれる事件も、ボラスディアの仕業によるものだという証拠が何かあるのですか?」
「それを聞いてどうするつもりだ」
「どうするもこうするも。私だって、何がボラスディアにつながるのかわからないのでは、気のつけようがありません。私はこの村は平穏だと思っていますが、何か見逃しているのかもしれない」
バイドは考え込んだ。
おそらくは、糸口を教えていいものかどうか悩んでいるのだろう。つまり、まだルスターを信用していないということだ。
しばらくルスターを睨みつけるような目で見つめていたバイドは、やがて大きくため息をついてうなだれた。
「……ボラスディアという集団自体は、昔から存在が確認されていた。南方の樹海辺縁部に限られてはいたがな。だが、ここ数十年で少しづつ版図を広げている。静かに、静かに、ゆっくりと……菌類が樹木を蝕むがごとくに。公国と樹帝教ではそろそろ看過できぬと判断し、我にその調査・掃討を命じたのだ」
「……………………」
「シレキス地方に奴らの仕業と思しき活動が発生し始めたのは、2年ほど前。ちょうど、シュタインベルク司祭が着任する前辺りだ。そこから、あの者とボラスディアとのつながりが疑われている。樹帝教と違い、傍流宗派の司祭は身元がはっきりせぬ者が多いからな。加えて、ボラスディアの活動を伝えた密告者もいた……今ではもう連絡も取れぬが。そして、奴らの活動の証だが――」
その時、司祭室扉がノックされた。
夢から覚めたように、濃密な空気が霧散する。バイドはその空気を逃すまいとするかのように、扉から目をそむけ、窓の外に視線を飛ばした。
「失礼。ちょっと出てきます」
ルスターが司祭室の扉を開くと、旅装束の小汚い男が一人の娘を連れて立っていた。
「……なにか?」
「へへ、実はここが孤児院だとお聞きしまして。この娘を預かっていただけませんでしょうか」
へつらいの笑みを浮かべ、揉み手をする男。
勝手にここまで入ってきた男の無作法さにむっとしながらも、ルスターは男の脇に立つ娘を見やった。
年の頃は10歳ぐらいか。長く真っ直ぐ、背中の中ほどにまで伸びた黒髪が印象的だ。不安そうな表情ではあるが、怯えてはいない。何日も洗っていないのだろう。服は汚れきっていた。
ルスターは身を屈め、微笑みながらその娘の頭を優しく撫でてやった。
「どういう子なのかな?」
「エルミタール村の出身でして、家族は流行り病で皆死に絶えまして」
「あたしはルージュ。10歳です」
ぺこっと頭を下げて、はにかむ。
聡明そうな子だ。しかも、かなりの美形。数年後にはその容姿だけで、買い手数多となるだろう。
人買いなら放っては置かない逸材だろうが、それでも買い取られずに孤児院まで回ってきたのは、家族の死因となった流行り病とやらが相当危ないものだったからだろう。
「そうか。ルージュか。大変だったね。ここは君みたいな子供たちが一緒に暮らしてゆく家なんだけど、今日からここが君の家になる。それでいいかな?」
例え形式上のものであれ、最後の決断は子ども自身にさせなければいけない。
果たして、ルージュはしっかりと頷き、礼儀正しく両手を前に揃えて深々とお辞儀をした。
「しっかり働きます。がんばりますから、どうか末永く置いてください、ご主人様」
ルスターの目が、男に走る。
男は下卑た笑いを浮かべた。
「へへ、見ての通り賢い子でして。司祭様のお手を煩わせぬよう、ちょいと教育しておきましたので」
「余計なお世話ですね」
ルスターは冷ややかに吐き捨てた。
「誰彼かまわずご主人様と呼べばいいというものではありません。貴族社会には、様々な階級があり、そのそれぞれに応じた礼儀作法というものがあります。この程度の口上など、下手に知っている方が邪魔。これからもうちに孤児を預けに来るのなら、余計な真似はなさらずにお願いしますよ」
「へ、へえ」
怒られるとは思ってもいなかったのだろう。目を白黒させた男は、何度も何度も頭を下げた。
「そ、それで、その……」
「ルージュは確かに、うちで預かりましょう」
「ありがとうございます。それじゃあ、数年後に引き取りに参りますので――」
いかにも下世話な、いやらしい笑みを満面に浮かべて何度も頭を下げる男。
今の一言で、この男のたくらみとルージュとの関係が透けて見えた。この男は人買いではない。おそらく親族か、同じ村の者だろう。
安全な場所に預けて、厄介な流行り病が発病しないかどうかを見極め、ルージュが美しく育ってから自分のものにするつもりなのだ。
そのたくらみを知っているのだろう。ルージュの顔色が沈んでいる。
「何をおっしゃっているんです?」
厳しく、冷たくルスターは言った。
「預かったからには、ルージュはここの娘です。どなたであれ、ただで引き取る資格はありませんよ?」
「え……えええ!?」
案の定。男の驚きっぷりは、思わず失笑を漏らしそうになるほどだった。
「そ、そんな司祭様! それはねえです!」
「なにがないんです。じゃあ、あなたが引き取って暮らせばいいじゃないですか」
「い、いや、それは……」
目に見えて嫌がっている。
ルージュも男を嫌っているのか、いつの間にかルスターの手を握っていた。そして少しずつ、ルスターの脇へ、後ろへとにじり動いてゆく。
「い、今はその、うちも流行り病で死んだ者がおりまして、その子を育てる余裕はないというか、その、ただちょっと預かってほしいだけで――」
嘘だ。目が泳ぎまくっている。
「ルージュはどうかな? このおじさんちへ戻りたいのかな?」
ルージュは激しく首を振った。
「嫌です。……あたし、このおじさん嫌い」
ルスターは苦笑した。思ったとおりルージュは聡明な子だ。ルスターが自分の味方であることを認識している。
「ル、ルージュ! てめえ、ここまで連れてきてやった恩人のこの俺に向かって――」
「本人にその気がない以上、あなたにお返しするわけにはいきませんねぇ」
「し、司祭まで! てめえ、俺のルージュを横取りする気かっ!」
喚く男に怯えて、ルージュがルスターの後ろに隠れる。
男はついに、懐から短剣を取り出した。
「クソったれ、やっぱこんなとこに預けられるかっ! ルージュ、来い! 帰んぞ!!」
「いやっ!」
「何だとコラ! ぬぅぅ……こうなったら司祭、てめえを刺してでも――」
脅しだけで済ますつもりはなさそうだ。男の目は完全に常軌を逸した光を宿している。
しかし、ルスターは慌てなかった。ルージュを背中に隠したまま、背後を振り返る。
「――先生、出番です」
ああん? と怪訝な声を上げて、窓の外を見たりハーブティを飲んだりしていたバイドがのっそり立ち上がった。そのまま近寄ってくる。
「先生とは何のことだ、ルスター司祭。――ん?」
バイドの鋭い眼が、短剣を構えた男を睨む。その途端、男の目から光が消えた。
「ほほう。何だ貴様。強盗か? ……面白い。この紅光騎士団(カーマインナイツ)のバイド様が居合わせた不運を、牢の中で嘆くがよい」
騎士というより山賊の親玉のような凶悪な表情で目を剥き、すらりと剣を抜く。
「ひゃぁ」
その途端、男の手から短剣が落ちた。その膝が見た目にもがたがたと震える。
「あ、い、や、あ、その、あの……あっしは、その、あの、別に、そんな…………失礼しました〜〜〜〜っっっ!!!」
泣き声混じりの声で、男は走り去った。
「騎士を用心棒代わりに気安く使ってもらっては、困るのだがな」
そう言いながらも、まんざらではない笑みを浮かべ、剣を鞘に収める。
ルスターはバイドの胸板を軽く小突いて笑った。
「助かりましたよ、先生」
「ふん。茶とクッキーの礼を返したまでだ。俺はまだ、ここがボラ――」
ふと視線が下に落ち、ルージュと目を合わせた途端、バイドは口をつぐんだ。
「んん――子供の前でする話ではないな。また後日、改めて話をしに来よう」
「そうですか。ご配慮、いたみいります」
ルスターは頭を下げた。すると、ルージュも同じようにぺこっと頭を下げた。
「お、なかなか行儀のよい娘だな。よく学び、まっすぐ育てよ」
「はい」
目を細めたバイドはルージュの頭を軽く撫でて、司祭室から出て行った。
―――――――― * * * ――――――――
その日の夕方、新しい家族が増えたことに、子供たちは喜んだ。
ルージュもこういう境遇にある子供には珍しく、人見知りをすることもなく子供たちの間にすぐ溶け込んだ。
一番喜んでいるのはケイトだった。女の子の中では一番年上の8歳だった彼女は、お姉さんが出来たことを喜び、妹たちがむくれるぐらいルージュに甘えていた。
「――兄弟姉妹がいたのかもしれませんね」
夕食の後片付け中、台布巾でテーブル掛けをしながら、ぺルナーがポツリと漏らした。
皿を重ねて子供に渡していたルスターは聞き返した。
「なぜわかる?」
「子供たちの相手をするのに慣れています。ひょっとしたら、子供たちに亡くなった兄弟を重ねて見ているのかもしれません」
「なるほど」
テーブルを拭くふきんを投げ合う男の子たちとは別に、お皿を抱えて奥の台所へ向かう女の子たち。それを統率するルージュの笑顔は実に楽しそうだ。あの汚れた服も、孤児院に寄付されたものに着替えている。昼間に彼女を連れてきたあの男にどんな扱いを受けていたのか知らないが、少なくとも彼女はここでの暮らしを楽しんでくれそうだ。
「ま、なんでもいいさ。ここで彼女なりの生き方を見つけてくれれば」
「そうですね。……ところで、ルスター様」
「アル、メッケナー。そろそろいい加減にしておけよ?」
いつまでもふきんを投げ合う8歳と6歳の男の子を軽く牽制して大人しくさせ、ぺルナーに向き直る。
「――それで、なんだぺルナー?」
「今日、村長(むらおさ)が祭りの件でそろそろ話を詰めたいと」
収穫が終われば、収穫を神に感謝する秋祭りが催される。村人だけでなく、子供たちも楽しみにしているだろう。
「ああ、そうか。じゃあ、シュタインベルク司祭に――」
「今回はルスター様にお任せになるそうです。この間シュタインベルク司祭を訪ねました折りに訊きましたら、こちらでやれるのならやってもらって構わない、と」
「………………。あの人のことだから、そういう面倒なことはルスターにやらせとけ、私はそれほど暇ではない、とでも言ったんじゃないか?」
「ご賢察、恐れ入ります」
顔を見合わせて肩をすくめた時だった。子供の泣き声が急に沸きあがった。
何事かと見やれば、泣いているメッケナーを年上のアルが必死でなだめているところだった。
「どうしたんだ、アル?」
「あの……あのね……ボクじゃなくて」
「アルがボクの服やぶったぁぁぁぁ」
見れば、メッケナーのシャツのみぞおちあたりにルスターの手のひらの幅ほどの裂き痕が出来ていた。
「ありゃりゃ。ひどいなこりゃ」
「ちがうもん。さきに手を出したのはメッケナーだもん」
ふくれっ面でそっぽを向くアルに、ルスターは苦笑しながら片膝をついてメッケナーの頭を優しく撫でてやった。
「よしよし、泣くな。メッケナー。代わりのシャツをもらってきてやるから。な?」
「やだぁ」
涙をいっぱいに溜めた目で首を勢いよく左右に振りたくる。
「どうしてだ? こんなになったらもう、後は雑巾にするしか――」
メッケナーはさらに火が点いたように泣き喚いた。
「やだやだやだやだやだぁっ、ぜったいにやだっ! あたらしい服なんかいらない! ボク、これがいいっ!」
「これ、メッケナー。そんなわがままを――」
見かねて口を挟んだペルナーを、ルスターは手を上げて制した。
「そうか。……大事なものなんだな?」
目をこすりながら頷くメッケナーの頭を軽く撫でて、ルスターは立ち上がった。
「ペルナー、裁縫箱を。あと、なにか端切れを」
「はい」
ペルナーが裁縫箱を取りに行った間に、ルスターはメッケナーのシャツを脱がせ、テーブルに広げた。食後の片づけが終わった子供たちも何事かと集まってくる。
「そういえば、お裁縫の授業はまだしてなかったな」
「ルスター様、お持ちしました。これを」
「ありがとう」
ペルナーが持ってきた裁縫箱と端切れを受け取ったルスターは、布バサミを使って端切れを切り始めた。
すぐさま布切れはハートの形になった。
子供たちが興味津々で手元を覗いているのを嬉しそうに見返しながら、そのハートをメッケナーのシャツの裂き痕にあてて、その周囲を糸で縫い始めた。
「……アル?」
うつむき、指先を器用に動かしながら、ルスターは呼びかけた。
「何はともあれ、まずはメッケナーに謝っておきなさい」
「えー……でもぉ」
「どっちが先に手を出したかで言ってるんじゃないんだよ、アル。君はメッケナーの大事な物を傷つけてしまったんだ。そのことについて謝りなさいと言っているんだ。わかるかい?」
アルは唇を突き出したまま、膨れている。
「メッケナー? この服は、どうしてそんなに大事なんだ?」
子供たちの目が、アルからメッケナーに向かう。メッケナーはまだ目の回りに泣き跡を残したまま、鼻をすすり上げていた。
「……お母さんの服だから……」
「そうか。お母さんに作ってもらったのか。……それは確かに、大事だな」
手を止めたルスターは顔を上げ、メッケナーを見て――頭を下げた。
「雑巾にするなんて言って、悪かった。ごめんな」
「あ、うん……」
頷くメッケナーを確認して、再び繕いに戻る。
しばらく黙って作業に没頭していると、アルがメッケナーに謝っている声が聞こえた。
それからややあって、ハート型のつぎあての入ったシャツが完成した。
返してもらったシャツを嬉しそうに着るメッケナーを、他の子供たちがうらやましそうに囲む。
「――器用なものですな。それもハイデロアで?」
裁縫箱を片付けていると、ペルナーがハーブティを淹れて持ってきてくれた。
礼を言って口をつける。
「まあね。時間にあかしていろんな科目を履修したものでね。貴族子女向けの授業なんかも全部取ってたから、裁縫、料理、掃除、何でもござれさ。自分で言うのもなんだけど、いい嫁さんになれるよ」
「……お婿さんの間違いでは?」
「そういうジョークだってば」
「ああ」
ワンテンポ遅れの苦笑い。
そのとき、メッケナーの周囲にいた子供たちが一斉にルスターの回りに戻ってきた。
「せんせー、ぼくもつくってー!」
「司祭様、あたしもほしい」
「わたしもー」
「あたしもー」
「ボクのがさきー」
「ずるいぞ、ボクの方が年上なんだからな」
鳥の巣で餌を求めて騒ぐ雛鳥のように、口々に騒ぐ生徒に、ルスターは苦笑いを浮かべた。
「わかったわかった。だが、私の手は見ての通り、二本しかないんだ。順番にやってあげるから」
その後、どういう順番でやってもらうかでまた一悶着があり、結局生徒たちが就寝したのはいつもよりかなり遅めの時間だった。