蒼きバンダナのアレス First Episode
〜Engage Destiny〜【LUSTER/ROUGE】

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シレキス潜入

 アスラル大樹海西部を占めるマンタール公国は南北に長い国土を持つため、森林の植生も実にバリエーション豊かである。※地図
 シェルロード山脈に近い北側へ行くほど針葉樹の割合が増え、南へ行くほど落葉広葉樹林が密度を増す。見える範囲の松や杉を数えればどれほど北寄りにいるかがわかる、という迷信が囁かれるほどだ。
 マンタール公国南部のシレキス地方はと言えば――まさに樹海。うねり広がる広葉樹の枝が絡まり、温暖な気候のもとで順調に成長した下生えの草や蔓、蔦の類が人の行く手を頑強に阻む。順調すぎる成長のゆえに、開拓の手が追いつかない。そのほとんどは、人の管理の手を拒む奥深く昼なお暗い森である。
 この地に住む者は、ようやく面倒を見られるだけの小麦畑や果樹園などを守り、森で獣を獲り、川で魚を釣り、山菜、キノコを採り、時に木を伐り出して家を建てていた。
 このシレキス地方を治めるのはジェラルディン子爵家。家柄だけは古いものの、その長い歴史の中で公国にもシレニアス王朝にもさしたる貢献をすることもなく、ただ初期に与えられた土地を細々と守ってきた、典型的地方貴族。
 子爵家自身があまりに深く、植生の濃い森の開拓を諦めてもう長く経つ。そのため、いまだに領内の村落といえば、領主の館があるシュルツを除けば3つしかない。また、それほど住民の少ない領地に人の交流や物流があるはずもない。一言で言えば、つまりここは 『ド田舎』 だった。
 そのような土地にルスターが入り込むのは、造作もないことだった。何しろ人目がない。
 領地の境などあってなきが如しだし、子爵配下の衛兵隊も主要街道の関所とその周辺を見張るのが精一杯で、そもそもやる気もない。こんな開発困難な田舎領地をよこせとばかりに攻め寄せる勢力など、今のアスラルにあろうはずもないのだから。
 この地にあっての脅威は三つ。自然現象と、不自然現象と、山賊はじめとする犯罪者集団だった。
 そんなわけで、ルスターは易々とシレキスに侵入した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 左右からのしかかるように広がった木々の枝や、ともすれば足元さえ隠してしまいかねないほどに伸びた下生えの侵略をかろうじて防いでいる街道だか林道だかを進み、たどり着いたのはホルマール村という村落だった。
 村の入り口に建てられている、乾ききっていて薪にしたら良く燃えそうな古い門柱にそう彫られている。
 隣の領地から続く道が消えてなくなっていなかったのは、かろうじてそれぐらいの人の行き来はあるということなのだろう――落ち葉まみれで地面が見えなくなってはいたが。
 村の名前を記した門をくぐったところで、ルスターは途方にくれていた。
 そこから見える風景は、アスラル西部では比較的よく見られる小さな村落の風景だった。
 鬱蒼と茂った視界を塞ぐ森の風景から、突如として広がる田園風景。切り拓かれた空間に緑色の畑が広がり、その間を道が縫い、ぽつんぽつんと土壁に木の板張り屋根の粗末な小屋が建っている。やや小さめの建物は家畜小屋か納屋で、村の外れに見えるやや立派な造りの丸太小屋は水車小屋だろう。車が回る軋みや、石臼を挽く低い摩擦音が微かに聞こえている。
 穏やかな春風が頬を撫でてゆく。新緑一色、さわさわと波打つ若小麦の海から放たれる、青臭い草いきれが鼻腔に心地よい。どこかで鶏が鳴いている。尾の長いその声が、一層村の平穏を強調しているかのようだ。
 人が必死で守る、小さな箱庭世界。それが、アスラルの村落に共通する風景だ。
 この程度の集落なら、一巡りするのに半時間もかかるまい。
 何も考えず道沿いに歩いていたらこの閑村に着いたわけだが、この先どうしたものか。
 一息つくルスターの頭上で、悩みのなさげな雲雀の甲高い泣き声が響いた。
 ともかく、このいかにも平和そうな風景の中で、ボラスディアとかいう危なっかしい(らしい)集団を探さなければならない。しかし、まさかその辺の村人に聞いて、教えてくれるわけでもあるまい。
 改めてバルロル教授の狡猾さにため息が漏れる。確かにこれは、短期間でどうにか出来る問題ではなさそうだ。
「とりあえず、拠点の確保だな」
 来る道すがらに学院で習った古詩を朗誦するなど、吟遊詩人の真似事を披露していくらかの路銀は得てきたが、それもそろそろ尽きつつあった。
 拠点の確保といえば格好いいが、要はともかく雨露をしのぎ食事を得られる場所ということだ。まあ、こういう場合は普通、教会を頼りにするべきだろう――この、宿屋すらなさそうな小さな村にそんなものがあればだが。
 ともあれ、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。汚れたマント風ロングローブにフードを目深に下ろし、肩にズダ袋を担いだこの姿は不審人物と疑われても仕方がない。
 村落の中へ入ってゆくと、井戸の回りに数人の中年女性がたむろしていた。幼子を連れ、洗濯をしているようだ。何を話しているのか、けらけらと明るい笑い声が絶えない。男たちは農作業か、猟に出ているのだろう。
 フードを下ろして無精ひげだらけの顔をさらし、教会があるかどうかを聞いてみた。女たちは少し驚きはしたようだが、さほど警戒の色を浮かべることもなく教えてくれた。このあたりの素朴さはいかにも田舎臭く、好ましい。
 女たちによると、道なりに村の反対側へ出て、再び森の中へ入っていった先にあるという。
 ルスターは少し困惑した。普通、教会は村の中に建てるものだ。いざというときの集会所・避難所として機能させるために。
 聞けば、最近シュルツに来た司祭が半年ほど前に建てたとのことだった。実際は教会というより流行り病で親を失った子供を集めた孤児院らしい。それも、ある程度育った子供を人買いに売って経営資金にするつもりとか。
 まあ、よくある話だ。我が子ですら口減らしのために人買いに売る世の中だ。それに、人買いに買われたからといって、皆が皆酷い扱いを受けるわけではない。確かに、中には歪んだ欲望のはけ口にされる子供もいるだろうが、ルスター自身のように貴族にその才能を見出され、自力で道を切り開く機会を与えられる者も多い。アスラルでは人の売買は別段罪ではない。
 流行り病で親が死ぬことが多いということは、その逆もありうるということだ。伝えるべき技を持った職人が我が子を失い、代わりにこれはと思う子を引き取って育てるなど普通にある。技術や職の伝達に血は関係ない。血縁にこだわるのは貴族だけだ。
 ルスターは女たちに礼を言って深々とお辞儀をすると、言われたとおりに道を進み始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 村を通り抜け、森の中へ続く道をしばらくたどっていると、何か言い争う声が聞こえてきた。
 嫌な予感に気持ちを曇らせつつ近づいてゆくと――
 人の切り拓いた空間を今にも埋め尽くさんと繁茂する木々や下草の中、白い建物が建っていた。緑の天蓋の中にぽつんと立ち尽くす様は、想像力のたくましい者ならば、緑の混沌に立ち向かう白き城塞、とでも表現するだろうか。二階建てで壁面は目にも眩しいほどの新しい白漆喰。孤児院どころか、教会にしてもかなり上等な部類だ。村人に失礼を承知で言えば、こんな僻地の村外れに似つかわしくない。
 騒ぎはその建物の玄関前で、起きていた。
 地を赤に塗り、突起物やら浮き彫り装飾などで仰々しく飾り立てたいかにも貴族趣味な板金鎧の男の足元に、貧相な初老の男がすがり付いている。鎧武者は騎士か。初老の男は……深い緑のフード付ローブを身にまとっている。教会の司祭だろうか。
 ルスターはざっと周囲を見回した。
 周囲には十人足らずほどの若い衆。腰に得物をおびていることからして、おそらくは赤の騎士の従者か軽装の騎士。そして、馬が3頭。その内の一頭、ごてごて装飾した鞍を据えた馬が騎士らしき男のものだろう。
 白い建物の二階の窓から子供が数人、不安げに下を覗き見ている。
「どうかご勘弁ください! ここはただの孤児院で――」
 初老の司祭らしき男が叫ぶ。
「やかましい、どけ!」
 鎧武者は男を突き飛ばし、玄関扉に向かった。しかし、初老の男はすぐに跳ね起き、落ち葉まみれなのも構わずその足にかじりついた。
「中には子供がいるのです! どうか、子供たちだけは!」
「ぬぅう、やかましいと言っておる! 疑いが晴れれば子供に危害を加える気はないと言っておろう! そうまでして中へ通さぬとなれば、余計にボラスディアの疑いが深まるばかりなのだぞ!」
「……こりゃまたすげえタイミングだな」
 思わず漏らした一言に、えらそうに喚いていた騎士らしき男が振り返った。若い衆も一斉に振り返る。
「おい、なんだ貴様」
 一番近くにいた若者が、警戒感を剥きだしに落ち葉を蹴散らす勢いで近づいてくる。そのまま拳骨を振るう気満々だ。
 玄関前で繰り広げられていた騒ぎは、ルスターの登場で新しい幕開けを迎えたらしかった。
「私はフェ……シェルロード=ルスター。この教会兼孤児院に、本日付けで派遣されてきた見習い司祭ですよ」
「なに……?」
 司祭と聞いて、若者の動きが止まる。
 領主の信を得て教会を開く司祭には、たとえ騎士といえども迂闊に手出しは出来ない。
 疑わしげな目つきの若者の目の前に、ルスターは襟元からペンダントを取り出して突き出してみせた。なるべく柔和な口調と表情を取り繕って。
「ハイデロア樹帝教学院のものです。疑うなら、間近でお確かめください」
 そのままペンダントを、目を白黒させているその若者の前で揺らしながら、おそらくはこの集団のリーダーらしき鎧武者に近づく。
 年齢は30代半ば。口の周りに黒ひげを生やした、まるきり山賊じみた容姿の男。赤を基調にした鎧の派手さと対照的に粗野な印象を与える。
 ペンダントを見たリーダーは、いまだ半信半疑の目つきながらも、とりあえずという風に頷いた。
「なるほど……確かに、本物のようだ。これは失礼した、ルスター司祭殿」
「いえいえ。で、あなた方は?」
「我が名はバイド。ニクラス=リデルク=バイド。マンタール公国麾下の紅光騎士団(カーマインナイツ)が一翼である」
「ああ、あの」
 表面上はなんでもないように取り繕ったが、アスラルにその名轟く騎士団の名に、ルスターは内心で軽く驚いていた。
 マンタールの紅光騎士団(カーマイン・ナイツ)。
 フェルミタの黒杖騎士団(ブラック・ワンズ)。
 サムシェーラの緑衣騎士団(グリーン・ローブス)。
 ヘケロの銀帽騎士団(シルバー・ハッツ)。
 そして、その上位に位置するシレニアスの旭陽騎士団(グロリアス・ナイツ)。
 各公国とシレニアスの保持する精鋭5大騎士団の一角が、ただ一人とはいえここに派遣されているということは、事態の深刻さを物語っているのかもしれない。だが、今それを顔色に出すわけにはいかない。
「なるほど、紅光騎士バイド殿か。では、バイド殿。このままでは血を見るのは明らかだが、それはお互い望むことではないでしょう? 私だって、着任早々そんな騒ぎを起こされたくはない」
「……着任早々にこの騒ぎに巻き込まれた貴公の不運には同情するが、事情を知らぬ者に口を挟む余地はない。そこで見ておれ」
「まあ、そういわず」
 突き飛ばそうとバイドが伸ばしてきた手を、左手でやんわりと押さえ、ルスターは微笑んだ。
「その男が中へ入れないのは、あなた方が殺気立っているからですよ。聞けば、ここは孤児院だとか。確かに、こうも殺気だった大人を中に入れたくない気持ちはわかります。子供がどんな粗相をして、あなた方を怒らせるかわかったものじゃないからねぇ」
 ちらりと目線を上にやる。それを追ってバイドが振り返ると、二階の窓から覗いていた子供たちはさっと頭を引っ込めた。
 ルスターに視線を戻したバイドの表情は硬張っていた。
「我が子供のいたずらごときで、乱暴狼藉を行うと? それは侮辱だぞ、司祭」
「失礼、お気を悪くなさらず。あなたが忍耐強くとも、血気に盛る若者たちはどうです? だから、こうしませんか。彼が子供たちを裏口から外へ出し、村へ連れて行っている間に私の立会いのもとに家捜しをする。もしくは、この中で我慢強い二人だけを選抜して私とともに中へ入るか」
「……お前は……我々が何を探しているのか、判っているのか?」
 バイドは突き出していた手を戻した。しかし、警戒感丸出しの眼差しでルスターを睨み続けている。
「いや、まったく知りません」
 きっぱりと言い切った。さっきの会話からしておおよその推察はしているが。
「知るわけないでしょう。ここへ着いたばかりなのに。何を探してるんです?」
「ここがボラスディアの集会所になっているという疑いがある。ゆえに我ら騎士団がマンタール公王陛下の命の下、派遣されたのだ」
「ボラ……なに?」
「ボラスディアだ、ボラスディア。邪神ボラスドーを信仰する邪教徒どもだ」
「ははぁ……それで、ここにその集会所があるって? そりゃ大変だ」
 ルスターは大げさな仕草で驚いてみせると、落ち葉まみれのままバイドの足にしがみついて成り行きを見上げていた初老の男に目を落とした。
「そうなのか? えーと……」
「ペ、ペルナー。エリウス=ペルナーと申します。お、お待ちしておりました。ゲーリック=シュタインベルク司祭よりお聞きはしておりましたが、今日おいでになるとは存じませんで……」
 ぺルナーと名乗った男はしどろもどろになりながら、バイドの足を離してルスターの足元にひれ伏した。
 ルスターはわずかに目を細めた。頭の隅で警戒を報せるベルが鳴っている。
 この男、見た目は頼りなさげだが、なかなかにしたたかだ。ルスターの口からでまかせの真偽を確かめる一言もなく、むしろここの監督司祭の名前を明かして、口裏を合わせようとしている。おそらく……自分がどう見えているかも、承知しているタイプの男だ。
「本当に、ここがボラスディアの集会所などと、とんでもない言いがかりでございます。ここは樹帝様をお祀(まつ)りしている教会で、親を失った子供たちの最後の寄る辺。疑われるようなものなど……」
「なるほど。それじゃ、中を見せても問題はないわけだ?」
「は、はい。子供にさえ、危害が及ばねば……」
 すがるような眼差しで見上げるその表情は、とても演技とは思えない。
「そういうことだそうですが、どうします? バイド殿。子供を出すか、二人選抜で入るか。いや、無論我らを斬り捨てて中に踏み込んでも構わないが」
「いちいち癪に障る言い方をする奴だ。――だが、よかろう」
 皮肉げに頬を歪めたバイドはその場で踵を返した。若者の中で比較的無表情な二人を指で招く。
「ルース、マニング。貴様ら、俺と来い。あとは待機だ。怪しい人影が出入りせんよう、周囲を警戒しておけ」
 若者たちの低い応声が深緑の樹間に響いた。
「ありがとう、バイド殿。――じゃ、ペルナーさんは先に中へ入って、子供たちを言い含めて? できれば居間とか広間に集めておいた方がいいかな」
「は、はい」
 そそくさと立ち上がったペルナーは、体中についた落ち葉を払い落とし、ばたばたと慌しく駆けて行った。
 それを見送っていると、バイドが横に並んでぼそっと漏らした。
「……新任司祭殿、気をつけられよ。我らとて、何の確信もなしに来たわけではないぞ」
「そうなんですか? ……わかりました。肝に銘じておきましょう。何か見つけたら、お知らせしますよ」

 ―――――――― * * * ――――――――

 建物の中に入ると、すぐに大広間になっていた。
 建てたばかりという言葉どおり、目新しい白い木材の清々しい香りが満ちている。壁の腰板から上も白い漆喰で塗り固められている。この建築様式は、ハイデロアでもちょっとした高級住宅レベルだ。
 ホルマール村で何かあったときの避難所も兼ねているのか、2〜30人ほどが集まれる板敷きの広間は奥が一段高くなっていた。その高壇の両脇に奥へ続く扉がある。
 それ以外で目に付くのはテーブルが3つと椅子が10脚ほど。他には何もない。
「……何もないな」
 そう口走ったのは、ルスターの背後にいたバイド。
「建てたばっかりだからじゃないのかな?」
「建てたばかりだろうと、教会だぞ。ここは。御神像の一つもないのはどういうことだ」
「ああ、確かに」
 正面の一段高くなった場所に神像を安置するのが、アスラルにおける教会の本来の形式であるはずだ。樹帝教ならば(地方にもよるが)おしなべて人の背丈ほどの大きさの、『樹木の幹に浮き彫りになった人』の像を安置している。(女性の時もあれば、長いヒゲを生やした老人のこともある)
「我らが来るので、慌てて隠したのではないか? 邪神の像を」
 バイドがぎょろりとペルナーを睨みやる。
 ペルナーは慌てて首を振った。
「とんでもございません。初めから置いていませんので……」
「置いてない? 教会だろうが、ここは」
 バイドの声に荒っぽさが混じる。ペルナーはその場で両膝をついて、両手を胸の前で組み合わせた。
「それが……その、はじめは大地神グワルガ様の御神像を置く予定だったのです」
「大地神?」
「グワルガ?」
 バイドとともに入ってきた二人の若者が続けざまに不審の声を上げた。
「やはり貴様ら、邪教の――」
 色めくバイドをルスターは手で制した。
「大地神グワルガは樹帝教の傍流宗派として認められています。……地方によって色々ありますが、樹帝シュレイドの親とも兄弟とも言われている神様ですよ。その神像は大きな器に盛られた土と聞いていますが――といいますか、つまりシュタインベルク司祭は」
「グワルガ様の司祭でございます」
 絶妙のタイミングで深々と頭を下げるペルナー。
 奇妙な沈黙が広間に漂った。
「……となると、別の問題があるな。傍流であるところのグワルガの司祭ごときが、なぜ正統派たる樹帝教の司祭を招聘(しょうへい)出来たのだ? それも、ハイデロア出の司祭などを」
「ここは孤児院ですから」
 理由とも思えぬ理由に、聞いたバイドだけでなくルスターも思わず顔をしかめる。
「孤児を優秀な人材に育て、売る。そのためには傍流宗派である大地神グワルガの司祭よりも樹帝シュレイドの司祭、それも高学歴の司祭がよいだろうということになりまして」
「身も蓋もないな」
 むっすりぼやくバイド。
 ルスターはため息をついた。
「……平民の生活はさほどに困窮しているのですよ、バイド殿。子供を売り買いするだけでは足りず、学力や特殊な技能などを与えて売らなければならないほどにね。まして、まとまった寄付金の期待できないこんな辺境の地の孤児院となればねぇ」
「人の売り買いなど……愚かしい限りだ。唾棄すべき恥知らずな行為だとは思わんのか」
 バイドの吐き捨てた言葉に、ルスターは思わず失笑していた。
「おやおや、バイド殿はご存じないようですね」
「なに? なにをだ?」
「人買いを介して最も子供を買っているのは、貴族なのですよ? いかがわしい目的で買い漁るのもね。買い手がいなければ、商売は成立しないでしょうにね」
 冷ややかな笑みを浮かべて振り返ってやると、バイドは頬を引き攣らせ、そっぽを向いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 結局、バイド達は建物の中を一通り探索してみたが、ボラスディアの存在を裏付けるような怪しい証拠は見つからず、不承不承帰って行った。
 何度も振り返りつつ、茂みの向こうに消えてゆく一団を院長室の窓から見やりながら、ルスターはため息を吐く。
「やれやれ。未練たらたらだな。こりゃまた来るぞ」
「何度来られても、ないものはないのですから」
 陶器の触れ合う音がして振り返ると、応接テーブルにソーサーに載ったティーカップが置かれていた。
 傍らに立つペルナーがにっこり笑ってカップを勧める。
「どうぞ。くつろいでください」
「……私が何者か、聞かないんですか?」
「シェルロード=ルスター殿でしょう?」
「いや、そうじゃなくて」
「聞かなければならないことは、あなたが話さなければならないことだけです。ルスター殿は何か御用があってここを訪れたのでしょう?」
 好々爺の笑み。ルスターは肩をすくめてみせた。
「用というか……旅をしているもので、泊めてもらいたくて立ち寄っただけなんですが。村で教会はここだと聞いたもので」
「では、明日早々にでも旅立つおつもりで?」
「ええ。そのつもりです。ジェラルディン子爵様が御住まいという、シュルツを訪ねてみようかと」
 言いながらソファに腰を下ろし、カップに手を伸ばす。口元へ寄せると、馥郁たる香りが鼻腔をくすぐった。
「しばらく、ここに逗留なさいませんか?」
 思わぬ申し出に、ルスターはカップの縁に口をつけたまま、無言で上目遣いにペルナーを見やった。
 ペルナーは恐縮しきりに頭を下げた。
「その、お急ぎでなければ、ですが。先ほどのバイド殿もおそらくはシュルツに御逗留でしょうし、また日を改めてここを探りに来るやもしれません。ここへ着任したはずのあなたが数日で消えたり、シュルツで所在無げにしているお姿を見かけたりすれば、むしろ疑いは深まりましょう?」
「それはそうですが……」
 カップを置きながら、言葉を濁す。
 本音を言えば、あまり関わり合いになりたくなかった。確かに、新任早々姿が見えなくなれば怪しまれるだろうが……さっきのやり取りで自分がハイデロア樹帝教学院の出身だとばらしている。問い合わせられれば、いずれ破門の身であることがばれる。
 ペルナーに気取られぬように、右手に一瞬目を走らせる。カップを持つその手は、指先を出した革製の手袋に包まれている。無論、忌まわしき破門の烙印を隠すためだ。こいつのせいで、学院を出て以来、人と握手をすることさえ難儀してきたものだ。
 ボラスディアの集会所の疑いがあるところに、樹帝教を破門された男がやってきたとなれば、想像力がさほどたくましくなくともその関わりに疑問を抱くだろう。間違いなく自分もボラスディアだと判断される。邪教根絶のたくらみどころの話ではない。
 答えを渋っていると、ペルナーは続けた。
「それに、もう一つお願いがあります。この子たちに学問を教えてやって欲しいのです」
 言いながら後ろ手に扉を開くと、その向こうで聞き耳を立てていたのか数人の子供が雪崩れ込んできた。
 さっき窓から外を窺っていた子供たちだった。
 子供たちはバツ悪そうに照れ笑いを浮かべると、さっさと姿を消した。
「いい子達ですよ。いたずら好きではありますが」
 ルスターは顔をしかめて扉を閉めるペルナーを見やった。
 今の口ぶりでは、それなりの愛情もしくは愛着を持っているように感じられた。だが、大事な収入源にして、そんな可愛い子供たちを素性の知れない風来坊に任せようなどと、この男は――読めない。懐が深いのか、虫がいいのか、それとも何か企んでいるのか……。
「さっきも言ったとおり、ハイデロア樹帝教学院で学ばれた最新の学問を子供たちに授けていただければ、彼らの将来にも助けになります。いずれ人買いに買われる身の上とはいえ――」
 ペルナーの言葉が切れる。ルスターが手で制したせいだ。
「ペルナーさん。買われるんじゃない。売られるんだ、彼らは」
「ルスター殿……?」
「人買いに買われたい子供なんていない。みんな、売られるんだ。大人に、大人の都合で。そして、売られても彼らは何も手にはできない。……酷いことをしているんだよ。それを忘れちゃいけない。人買いのせいにして、自分の罪悪感を……『売る』という言葉に感じる後ろめたさを忘れてはいけない。絶対に」
「……失礼しました」
 ペルナーは深く頷いて、頭を下げた。
「では……いずれ我々に売られる身の上とはいえ、それなりの技や知識を身につけておれば、その先で待遇の良いところへ売られることになるでしょう。彼らのためにも、どうかしばらくここに留まり、学問を教えてやっていただけませんか」
「しかし、シュタインベルク司祭がなんとおっしゃるかね。こんな風来坊に」
「その件はお任せください。おそらく快く受け入れてくださることでしょう」
「……………………」
「なにか?」
 ルスターがじっと見つめていると、ペルナーは怪訝そうに小首を傾げた。
「いえ。ちょっと気になって。ペルナーさんって、なんで私に敬語使うんです? どう見たって、私の方が若造なのに」
「なんでって……ルスターさんは司祭でしょう?」
「え? いや、まあ……」
 さすがに破門者だとは言えず、はにかんでごまかす。
「わたくし、司祭補佐にすぎませんから。どうぞわたくしのことは呼び捨ててくださいまし」
「司祭……補佐? なんですか? てっきり司祭かと……」
 司祭補佐は、司祭が雑事の手伝いとして雇う雑役夫のことだ。
 身の回りの世話から交渉ごとやある程度の金銭の管理、人の手配や指示の伝達など、およそ考えられる雑務は全て行う。だが、学校は出ていないから絶対に司祭にはなれないし、司祭不在の折でも司祭の代わりを務めることはできない。
「しかし、この孤児院は教会を兼ねているんでしょう? この村で司祭が必要になった時はどうしているんです?」
「わたくしが急ぎシュタインベルク司祭にお伝えして、おいで願っておりました」
「それじゃあ、必要なときに間に合わないのでは?」
「まあ、それが田舎の宿命というものでして……ですから、余計にルスター様がおいでになると助かるのです。村の者も喜びましょう」
「いやいやいや、冗談じゃない!」
 ルスターは立ち上がった。
「そんなことできません。完全な越権行為だ。ご自分の立場で考えればわかるでしょう? 後援貴族から任された土地に、勝手に入ってきた風来坊がたまたま司祭だったからといって、これ幸いと自分の責務を任せるなんて。一種の職務放棄であると同時に、後援貴族への裏切りにも等しい。それであなた方が処罰されるのは勝手だが、私まで巻き込まれたくはない」

 ―――――――― * * * ――――――――

「私は別に構わんし、ジェラルディン子爵も別に文句は言うまいよ。能力のある子供を育てられるなら」
 シュタインベルク司祭は、にこりともせずにそう言った。
「ほら、司祭もこうおっしゃっていることですし」
 ペルナーが我が意を得たりとばかりに朗らかに笑っている。
 バイドたちを追い返した翌日。
 無精ひげを剃り落としたルスターは、ペルナーに連れられてシュルツの街のグワルガ教会に、ゲーリック=シュタインベルク司祭を訪ねた。
 シュルツはさすがに領主の住まう町だけあって、それなりの活気に満ちている。立ち並ぶ数十軒の家々は無論板作りの粗末なものだが、町の周囲は先を尖らせた木柵でぐるりと囲まれているし、物見やぐらもある。町へ入るには衛兵が見張る門をくぐらなければならないし、中は中で賑やかな市が立ち、宿屋を兼ねた酒場があり、職人達が腕を競う商店街らしき通りもある。
 そして、領主たるジェラルディン子爵家の大きな石造りの屋敷と、白い漆喰壁も眩しいグワルガ教会が町の中心部で向かい合っている。
 グワルガ教会の司祭室で面談した司祭は、事務仕事に追われていた。ハイデロア学院でも見たことがないほどの書類の束が、さほど狭いわけでもないはずの室内を埋め尽くしていた。室内の広さは、ざっと目で測っただけでもシレニアスで標準的な宿屋の部屋二つ分ぐらいはある。ベッドとテーブル、椅子二脚のセットが置かれた部屋の二つ分というと、かなりの広さだ。
 シュタインベルク司祭はペルナー以外にも司祭補佐を数人抱えているらしく、始終書類を抱えた人が忙しく出入りしている。扉は開けっ放しだ。
 驚いたことがいくつかあった。
 まず、ゲーリック=シュタインベルク司祭がルスターより一回りほど年上なだけの30代半ばの男だったこと。
 それから、ペルナーがまだ42歳だったこと。
 そして、最前のぶっきらぼうなやり取り。
 どこから突っ込んでよいものか迷っている間に、シュタインベルク司祭は書類を一枚書き上げていた。
 黒い髪をオールバックに撫で付け、司祭とは思えぬ鋭い眼光。体格は細身だが、痩せ型ではなく、しなやかというべき。精悍な印象を与える面差しは、どことなくバルロル教授を思い出させる。
 そういえば、ペルナーはウィグガルド学院長に雰囲気が似ている気がする。一見気弱そうだが、つかみ所のない人物だ。
「新任の司祭殿はハイデロアの出だと聞いたが?」
 ペンを置き、机の上に両肘をついて、顔の前で指を組む。
 飾り気のない深い緑のロングローブに身を包むペルナー達司祭補佐とは対照的に、シュタインベルク司祭の着衣は結構派手なものだった。白を基調にした裾の長いロングローブだが、胸から腹にかけては赤。そこに金のモールが数本、胸板の左右をつなぐように飾られている。
「ええ。ま、出ただけですが」
 ルスターは頷いてペンダントを渡した。渋々ではあったが、それを気取られないよう表情を作る。
「ふむ……確かに。よいところで学ばれたな」
 手の上でペンダントの紋章を見たシュタインベルクは、何度か頷いてそれをルスターに返した。
「樹帝教の中でも最高の学府を出た司祭が孤児院にいるとなれば、私としても何かと都合が良い。子爵の目に止まるほどの傑物を輩出できれば、いうことはない。せいぜい子供たちの商品価値を上げてやれ」
 もうルスターへの興味を失ったかのように、再びペンを取り、新しい書類に何かを書き込み始めた。そのため、ルスターが少し眉をひそめたところは見られなかった。
「高く売れれば、それだけ孤児院の経営も潤う。自前で全て賄えるなら、それに越したことはない。私も暇ではないのでな」
「と、おっしゃいますと?」
 ペンが止まった。じろりとルスターを見やる眼は鋭い。
「山賊、野盗の類はシレニアス建国の頃からうろついている。最近では反体制勢力の動きも激しい。この辺りでは、ボラスディアの活動が目立つ」
「ボラスディアですか……私、よく存じ上げないのですが。どういう連中なんです?」
 昨日から抱いていた疑念が、首をもたげる。
 騎士バイドは確信もなく来たわけではない、と言っていた。もし、あの言葉が本当だとしたら……あの立派すぎる孤児院を建てたシュタインベルク、管理人ペルナーは、どちらかもしくはいずれもがボラスディアである疑いが濃厚になる。この会話は、ひょっとすると大変なものを引き出すかもしれない。
 ルスターはシュタインベルクの表情の変化を見逃すまいと、その顔をじっと見つめた。
「簡単に言えば、破壊神ボラスドーを信仰し、その教えの通りに破壊活動を行う連中だ」
 シュタインベルクはルスターの疑いには気づかぬげに肩をすくめ、また書面に視線を落とした。そのまま話を続ける。
「ここ数年で活動が派手になってきている。この間などはジェラルディン子爵の館を襲い、食料庫を焼き払った。連中はよく火を使う。実は火の神の信仰でカムフラージュしているのではないかと睨んでいる」
「要求とかはないんですか?」
「ない。まぁ、奴らは結局、抑圧されている不満を破壊と言う形で吐き出しているだけの、低脳な連中に過ぎんのさ。その低脳どもを背後で煽っている存在がいると私は睨んでいるが……さて、一体誰なのか。とんと見当もついていない状態だ。加えて、昨日の騒ぎのように我々を疑う馬鹿者まで絡んできて、状況をさらにややこしくしてくれる。君も気をつけた方がいい」
「はぁ」
 気のない返事を返した途端、シュタインベルクの瞳が上がった。
「気が乗らんかね? 反体制勢力の活動なんぞ、最近ではさほど珍しくもないと思うが……」
「そうなんですか?」
 どうやらハイデロアに15年いた間に世の中は結構物騒なことになっているらしい。
 シュタインベルクはちょっと肩をすくめて再びペンを走らせ始める。
「まあ、怖気づいたなら別に構わんさ。ともあれ、残るか行くかは早々に決めてくれたまえ。君の決断に応じて、こちらもそれなりの手を打たねばならんのでな」
「はぁ。……あの……」
「なんだね」
 もう顔も上げない。
「……シュタインベルク司祭、ひょっとして私のこと嫌ってます?」
「なぜそう思うのかね?」
 言いながら、何かの報告書をめくり、文章に目を走らせる。
 こんな光景、どこかで見たな、と思ってすぐに思い出した。こういう教授がいた。ハイデロア樹帝教学院に。人と話すのに目を合わさずにぼそぼそしゃべる。もっとも、シュタインベルク司祭の声量はしっかりしていて、ぼそぼそというレベルではないが。
「いやその……少なくとも、私に興味はなさそうなので」
「ない」
 清々しいくらいにきっぱりと。
「確かにペルナーと孤児たちを救ってくれた機転には感謝するが、初対面の人間にあれこれ興味を持つほど、私は暇でも好奇心旺盛でもない。私の興味を惹きたければ、役に立つ人間だということを証明したまえ。学歴や肩書きでなく、結果で。それまでは名前を覚えるつもりもない。判ったら出て行きたまえ。私は見てのとおり忙しい」
 それこそ初対面なのに、なんでそこまで言われにゃならんのだ、と一瞬、ルスターは鼻白んだ。
 科目履修という利害関係にあった教授ならばまだ我慢もしようが、ここまでこき下ろされて、とどまる理由はない。

 ――いや。
 あった。

 別れにどんな痛烈な悪罵を叩きつけてやろうか、などと思っていたルスターはふと思い出した。今は指先を出した革の手袋に包まれた、自らの右手の甲に刻まれた屈辱の印紋を。
 ここでボラスディアの陰謀を暴いてその活動を止めねばハイデロアには戻れず、右手の破門印も消してはもらえない。風来坊としてこのままシレキス地方をあてもなくさすらうより、あの孤児院を拠点にして活動し、地元の人間の信頼を得た方が長い目で見れば得になるはずだ。まして、バイドの言葉もある。この二人の傍にいることは決して不利益にはなるまい。
「――では、一つだけ確認しておきますが」
「なんだね」
 書き終えた書類の束をまとめてひとくくりにし、大きな朱印を押して傍らの木箱に放り込む。その木箱はペルナーが抱えて部屋の端に持っていった。別の司祭補佐がそれを受け取り、部屋の外へと運んでゆく。その間にシュタインベルクはまた新たな書類に取り掛かっている。
「ホルマールの孤児院に関しては、全て私の思うようにしていいということでよろしいのですね? 教育方針は無論のこと、孤児院の維持管理費用……そして、孤児たちの売却先、その金額なども」
「ああ。ただし報告は怠るな。時間が出来たら見にゆく――ああ、そうだ」
 ふとシュタインベルクが顔を上げた。
「時々、こちらで子供を一人二人、引きとることがある。こちらにもこちらの付き合いや取引ルートがあるのでな。その件についての異論は許さない。いいな?」
「わかりました。憶えておきます。では、とりあえず当分はお世話になることにします」
 深々とお辞儀をすると、シュタインベルクは顔を上げることもなく、うむとだけ応えて書きものに没頭し始めた。


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