蒼きバンダナのアレス Last Episode
〜Cross Fates〜【DUG/RUTZ】
解 呪 - cross fate W ダグ×シグオス2/ルッツ×ルスター -(後編)
追いすがる教皇の手を避けて、ルッツは玉座の回りをぐるぐると回っていた。
バンダナは万が一を考えて、小剣を握った右手にぐるぐる巻きにしてある。
「ルッツ、いい加減にしたまえ! お主はもう少し頭のいい少年だと思っておったぞ!」
「僕だって、教皇様はもっと物分かりのいい人だと思っていましたよ!」
牽制に小剣を閃かせながら、玉座の後ろへ回り込む。
「物事には譲れることと、譲れぬことがある! お主がどんな無理難題を吹っかけてこようと、わしには応えるつもりがある。たとえ教皇の座が欲しいと言われてもだ! しかし、彼女だけは譲れぬのだ! どうして事の重大さをわかってくれぬ!」
「僕にとっては、ルージュとの約束が一番大切だからです!」
「しょせんは何も知らぬ者同士の口約束ではないか! 寂しがる彼女と意思を通じた者としてのその気持ちは、わからぬでもない。その優しさは大事なものだ。だが、それは叶わぬ望み――いや、叶えてはならぬ望みなのだ! 大人になれ、ルッツ!」
ああ、この人はだめだ、とルッツは諦めた。何もわかろうとはしてくれない。僕の気持ちも、彼女の気持ちも。
玉座の背もたれをつかんで左右に身体を振りながら、ちらりと背後を振り返る。幾重にも垂れ下がったサテン地のカーテンの向こうに扉が見えた。そこにルージュがいる。
(……一か八かだっ!)
その場で回れ右をして駆け出した。ルスターが玉座に刺さったままの槍をかいくぐって回り込んで来る間に、カーテンを掻き分けてその扉の取っ手に取りついた。
「よせ! やめるんだ!」
慌てふためく声を無視して腕に力を込める。
その瞬間、いきなり背後からのしかかられた。たちまち腋の下から手を差し入れられ、首の後ろで固定される。ルスターとの身長差のせいで、ルッツは両手を挙げてバンザイしかかったような格好になった。
だが、羽交い締めにされた拍子に、少しだけ両開きの扉の間に隙間ができた。その隙間から黄金色(こがねいろ)の光があふれ出す。
「この光……! やっぱりルージュはこの中に……! ――ええい、放してよっ!」
「ぬ、く、暴れるなっ! ……おうっ!」
闇雲に暴れていると、不意にルスターは悲鳴をあげた。腕の力が緩む。
振り向いている暇などなかった。急いで取手をつかみ、思いっ切り引き開く。
たちまち世界はあふれ出した黄金色の光に染まった。
ルッツはその光景に息を呑んだ。
夢で見たあの金色の繭が、眩い光を放っていた。しかし、それは夢の中のそれとは比較にならないほど、ぎらぎらと光り輝いている。
その繭の中で青く長い髪を揺らめかせながら、膝を抱えた姿勢で静かに眠る少女の美しさ、神々しさは、まさに『女神』の形容こそが相応しい。
黄金の繭に目を奪われたまま、夢遊病患者のようにふらふらとおぼつかない足取りで部屋に入れるルッツ。
そのすぐ後ろを、血のにじむ首筋を押さえたルスターが続いた。
―――――――― * * * ――――――――
「ほう……ルッツめ」
玉座の裏からあふれだした眩い黄金光に、ダグは眼を細めた。
「さて……新米冒険家はどうするのかな」
期待の中に一抹の緊張を漂わせた面持ちで呟き、当面の自分の敵に視線を戻す――
「うおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!!!」
「懲りん奴だな」
もはや剣術もクソもなく、ただ剣を振り回して突進してくるシグオスを、ダグは軽い体捌きで躱し、いなす。
喚き、叫ぶシグオスと対照的に、その表情には汗一つ浮いていない。
「――無駄だ。あのバンダナを使い続け、その力についてはいくらか理解している。どの程度筋力、速度が上がるのかもな。その状態をどれほど続けられるものかも、把握した。バンダナとその力、多少の違いはあっても、それほど結果に差はあるまい」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえええええっっっっ!!!」
シグオスの振るう剣が壁を裂き、石床を割り、石柱を斬る。飛び散る破片が身体を包む青い炎に触れてさらに砕け、砂となって舞い落ちる。その姿はまさに破壊の竜巻。破壊の化身。
だが、ダグに当たらない。絶望的なまでに。
ダグの独白は続く。
「――貴様はその力も速さも使いこなせていない。ただ振り回されているだけだ。恵まれた腕力すら使いこなせなかった貴様が、その程度の上乗せを得たぐらいで俺を斬れる道理はない。諦めろ、そして……絶望しろ」
「ぬがああああああああああっっっっ!!!」
突然、シグオスの剣筋が変わった。
一度斬り倒した石柱に剣の腹を叩きつけ、斬るのではなく砕いた。
砕け散った石柱の欠片――無数の石つぶてがダグに襲い掛かる。
だが。それさえもダグは知っていたかのように全て躱してみせた。それまでとは違い、かなり大きく横っ飛びはしたが。
「ふぬううううううううっっっっ!!」
続けてシグオスの蹴りが床の石材を剥がし飛ばす。
「ちっ……数撃てば、の理屈かっ!!」
着地したばかりではそうそう大きく跳べず、いくつか小さい石つぶてをその身に受けながらも、大きい物だけを選んで折れた剣で弾く。
そこへ、シグオスの突きが放たれた。蒼い光の尾を引いて、一直線にダグの胸を狙う。
鉄棒で鉄棒を殴ったかのような硬質の音が響き渡る。その残響の中、少し距離を置いて背中を向け合った二人は、お互いに眼前の虚空に剣を突き出した姿勢で動きを止めていた。
「……さすがに、突きは鋭いな」
ダグの右頬に、地面でこすったかのような擦過傷が走っていた。じんわり血が滲んでくる。
「くく……見えたぞ。この先も躱しきれるか?」
うそぶくシグオス――と、その額で血が弾けた。さっきと同じ場所から、今度は勢いよく血が溢れ出す。
「ぬうっ!?」
思わず片膝を着き、剣を支えにした。
振り返ったダグの頬に、冷笑が貼りついている。
「それより先に貴様の頭が割れそうだな」
言いながら折れた剣を手の中で返す。折れた刀身から柄まで、一際深い亀裂が走っていた。
わざと床へ落としてみると、ガラス細工のように派手な音を立ててバラバラに砕け散った。
「やれやれ、今時は剣一本も高いというのに」
一つ溜め息を漏らして、左腰の剣を抜き放つ。
「さあ、がんばれ、シグオス。貴様のその炎が尽きるまで、その不様なダンスに付き合ってやるぞ。それとも、剣術の講義の方がいいか?」
「ぬぐううう……っ!! 俺を……嬲(なぶ)るかああああああっっっ!!!!」
空気を灼いて走った剣閃は、少し身体を傾げただけで躱された。
「合格するには、やや時間がかかりそうだな?」
食いしばった歯をみしみし軋らせ、シグオスは剣を振り切った姿勢で硬直し続けた。
―――――――― * * * ――――――――
なぜこうなったのだ。
剣を振り続けながら、シグオスは考えていた。
無駄だとわかっていながら、そう自問するしかなかった。
息子と妻に別れを告げ、覚悟を決めたはずではなかったのか。
(……奴流に言うなら、覚悟ごときで強くなれるなら世話はない、ということか)
自嘲の苦味が胸を満たす。
(だが……このままでは、この不様をさらしたままでは終われぬ。せめて一太刀、奴に入れば――)
奥歯が軋む。剣を振るう腕に力がこもる。力みがわかるのか、ダグはなんなく上体をのけぞらせて躱した。
(あの余裕綽々の躱し方――口惜しいが、認める他あるまい。こちらの動きは全て見切られている……まるで蜃気楼だ。追えば逃げ……逃げれば…………逃げる? ふん、なにをバカな。こちらから間合いを置く理由がないし、奴が追ってくる理由も――いや)
ぴたりとシグオスは動きを止めた。
(――ある。一つだけ、奴を間合いに呼び込むすべが……いや、奴が間合いに踏み込んでくる刹那が。問題は、それを奴に読まれぬためにはどうすればよいか……)
呼吸を整えながら、シグオスは周囲に鋭い眼光を飛ばした。
石材を砕いて石つぶてを飛ばす方法はもう使えまい。距離を置かれれば躱すのは容易くなる。
我が身一つで為すしかない。
(問題は奴の間合い。これを詰める方法を編み出さなければ意味がない……奴の癖……こちらを紙一重で躱すあれを逆手にとって、なにか……)
シグオスはこれまでの攻防を思い返してみた。
ダグはこちらの動きを見てから躱している。そこに凄まじいまでの勘と、修練によって得た絶対的な身体能力への信頼があるにせよ、基本はそこだ。
(向こうがこちらを見て躱すなら、こちらも向こうを見て動けば……いや、見ずともよい。九分通り勘で動いても、例え背中がガラ空きになっても、奴から手を出してくる可能性は低いのだ。ならば……今一度)
隻眼をぎらつかせ、シグオスは立ち上がった。
―――――――― * * * ――――――――
不意に足を止めて呼吸を整え始めたシグオスの顔色が変わっていることに、ダグはすぐ気づいた。
ほう、と唸ったきり口をつぐんで剣を構える。
シグオスが再び突進をかけてきた。
ダグはあっさりと躱す――その動きにシグオスが追いついてきた。
躱された瞬間、石板のめくれた床をさらに踏み抜く勢いで足を踏みしめ、動きの方向を力づくで捻じ曲げるという方法で。
ダグの表情に苦笑が広がった。
「――あくまで力づくかっ!!」
「貴様に勝てさえすれば、なんでもよいわっ!!」
シグオスの剣閃で吹き飛ばされたかのように、ダグが大きく後ろに跳び退る――そこへ、シグオスが突き込んできた。
「我が足が折れるのが先かっ!!」
「ぬうっ!?」
ダグはシグオスの剣の横腹に、咄嗟につかみあげた空の剣の鞘を当て、そこを支点に体(たい)を翻した。既に納めるべき剣を失っていた鞘は、その中ほどから、枯葉を握り潰したかのようにボロボロと素材を撒き散らして、崩れ折れる。
行き過ぎたシグオスは、目の前の石柱に真っ直ぐ張り手をかまして勢いを殺し、振り返りながら剣を振るった。
「我が神の力が消えるのが先かっ!!」
横薙ぎの一閃を崩れかけた鞘で再び受けるわけにもいかず、さらに大きく跳び退るダグ。
「――俺を斬るのが先か、か?」
「逃げるなっ、ダグ=カークス!!」
床を踏み割ってダグの跳躍を追う。
一旦開いた間合いは、一瞬にして詰まった。
「ふん……多少は使いこなしてきたかっ!!」
「俺とてかつては英雄と讃えられたのだ――なめるなっ!!」
「英雄では死神に勝てんぞ」
「ぬうううあああああああああっっっっ!!!!!」
一際大きく、強力な一振りが空を裂き、風を巻いてダグを襲う。
当たればダグの左肩から右脇へと抜ける袈裟掛けの一振り――しかし、ダグは逆巻く暴風を受けてなびく草木のような動きでその一撃を避けた。
「う……!!」
「――無駄だと言っている」
力余ってつんのめり、頭から石柱の残骸へ突っ込んでゆくシグオスを、ダグの冷たい一言が追いかける。
凄まじい破砕音が轟き渡り、辺りは爆発したかのように広がった白い砂塵に包まれ、見えなくなった。
「ぬ、ぐぅ……おのれっ」
がらがらと石くれ瓦礫を突き崩す音とともに、シグオスが身を起こす気配がした。
ダグは身じろぎもせず、その場に立ち尽くしていた。
「……この動き、この速さをものにするため、俺がどれほどの鍛錬を、どれほどの傷を、どれほどの敵を乗り越えてきたと思う……。貴様が大した苦労もせずに手に入れたその力、速さ……それらを操りたければ――俺の十倍は鍛錬を積んでこいっ!!」
その刹那、風が吹いた。シグオスを包む白い砂塵のベールが吹き巻く風に押しやられて行く。
時ならぬ突風に、ダグは怪訝そうに眉をひそめ、風上をちらりと見やった。
玉座の奥――かつてルッツが言っていたルージュを封じた隠し部屋から漏れてくるとおぼしき白い輝き。それに、何かが爆発したかのような突風。
ダグの目がわずかに細まった。
―――――――― * * * ――――――――
「……ルージュ……」
呆然と結界内の少女を見上げるルッツ。
その後ろから、ルスターはぬめる首筋を押さえながら入ってきた。その傷をつけた得物は、まだルッツが右手に持っている。
「見よ…………ルージュは眠っている」
ルスターは顔を歪めながらも、静かに告げた。幼子の眠る寝室で話をする時のように。
「その眠りを妨げてはならん。よいか、眠れる獅子をわざわざ起こす者がどこにおる。人に仇為す者が眠っているのならば、それをそのままにしておくのは至極当然。お主がそうしたいというのなら、この部屋への出入りも自由にさせてやる。だから……」
振り向いたルッツは、覚悟を決めた固い面持ちで拳のバンダナを外し始めていた。
「教皇様は何にもわかってない。……僕は確かめたいんだ。彼女が本当は破壊の巫女なんかじゃないってことを……」
「お主の自分勝手な思い込みで世界を滅ぼす気か! お主にそんな資格があるのか! もし、それが間違いだったとき、どう責任をとるつもりだ! いや、誰にも責任なぞとれはしない! それほどに重大なことなのだ!」
苛ついた少年は叫んだ。
「責任なんか知ったことじゃない! 僕は間違ってない!」
「馬鹿者っっ!!」
シグオスさえも圧倒した教皇の一喝は、雷となってルッツを打った。
ルスターは首筋を濡らす血を忘れたかのように、ルッツの両肩をつかんで激しく揺さぶった。
「それが仮にも剣を振りかざし、一人前の男扱いを求める者の言う台詞かっ!! 自分のつけるべきけじめと責任を自覚できないなら、子供じゃないなんて言うんじゃないっ! なにより、その手に人を傷つける物など持つ資格はないっ!!」
「う……あ……」
一喝が頭の中で何度も反響する。
確かに、自分の言葉が男らしくないことは薄々わかっていた。駄々をこねているようだというのも。教皇のあまりに必死なその態度から見ても、よほど重大なことなのだ、とわかっている。
けれど。
ルージュが。
『あたしをここから解放して。こんなところに独りでいるなんて、もういやなの……あたしを自由にして。お願い』
水幕の向こうで揺らぐようなルージュの美しい声。青い瞳からこぼれ落ちる大粒の涙。
『……お願い……』
夢で会ったルージュは助けを求めたのだ。僕に。
自由になることを何より熱望し、機会を得て家を飛び出し、自由を得たこの僕に。自由にしてほしいと。
そのために僕はここまで来た。ダグと別れ、ダグにバンダナを託し、ゼラニスに殴られ、ヘリオスに叩きのめされ……全ては、彼女を助けるために。僕を頼り、僕を信じてくれている彼女に応えるために。彼女のあの涙に応えるために。
もういまさら退けなかった。手を伸ばせば、バンダナは金色の繭に届くのだ。
それに、教皇様の言葉が必ずしも正しいとは限らない。ひょっとしたらこの二十年の間にルージュは力を失っているかもしれないし、そうでなくても話せばわかってくれるはずだ。
彼女は涙ながらに言っていたじゃないか。普通の女の子になりたいと。
そうだ、ルージュが本当に普通の少女になれたら、教皇様だって喜ぶはずだ。
ルッツは再び決意を固めた。その表情を見て、ルスターはおののいた。
「よせ……よせ、ルッツ!」
「僕は……僕は、ルージュを信じる!」
両肩をつかむ教皇の手を振り払い、振り返り様にバンダナを結界に突っ込んだ。
その瞬間、いきなり繭が膨れ上がった。
悲鳴をあげる間もなく、視界は白い光の闇に閉ざされ、何が何だかわからなくなった。
―――――――― * * * ――――――――
見た目にも肩をがっくり落としたシグオスは、異様に細かく砕けた瓦礫の中にいた。
ひざまずいたまま顔も上げず、その口からは唸りのようなうめき声だけが漏れている。
「…………貴様は……どうして…………常に俺の上を行くのだ……。行けるのだ……わしより……二回りも若い分際で……。わしの……人生は……一体……」
いまや炎は失われ、青い光の膜に辛うじて覆われた状態だった。それはおそらく時間が来るか、命が潰えなければ完全には消えないのだろう。
「無様だな」
ダグはゆっくりと近づく。
「生まれて以来、俺は常に戦場に在って、必ず生き残ってきた。十にもならぬ歳で、大人を殺す術を磨いていた。貴様が戦場に出て何年であろうと、人生のほぼ全てにおいて、いかにして人を殺すかを考えてきた俺と比ぶるべくもあるまい」
「……化け物……め……」
「だが、それを産んだのは貴様らだろう。……聞いた話では、俺を産んだ母は戦場の道端で無惨に殺されていたそうだ。俺を産んだ直後に殺されたのか、殺されてから産んだのか……産み落とされた場所こそ違え、俺は貴様ら戦を生業(なりわい)にする者どもの影だ。振り払おうとも決して離れぬ、影だ」
「……影……」
「人は死という影に捕らわれた時、生を終える。今度こそ……終わりだ」
片手大上段に振り上げた瞬間だった。いきなりシグオスの青い炎が噴き上がった。それまで以上に、凄まじい勢いで猛り狂う炎の竜巻が巻き上がる。
「むぅ……っ!」
頬を炙る蒼炎から顔を背け、咄嗟の判断で飛び退る――より早く、シグオスの熊のような身体が立ち上がり、ダグに覆い被さってきた。
「かかったな、馬鹿め!」
「――!!」
避けるにはシグオスの動きが速すぎた。両肩をつかまれたダグは、たちまちその分厚い胸に抱きしめられ、噴き出す炎に全身を包まれた。人の肉が焼け焦げる嫌な臭いが立ちこめ、直接炎に触れている部分から、派手に焼けつく音が立つ。
「ふははははは、こうなってはまさに手も足も出まい! この瞬間を待っていたのだ! どれほど躱し続けようと、我が間合いから逃れようと、貴様が最後の最後、俺にとどめを刺すべく必ず近づく! この瞬間を! ふはははははは、死ね、死神!! 塵となって消え失せろ!!」
勝ち誇ったシグオスの哄笑にも取り合わず、さりとて苦鳴を漏らすわけでもなく、ダグはただゆっくりと、シグオスの腹に突き刺さった剣を柄元まで押し込んだ。
―――――――― * * * ――――――――
「ふふふふ、ふははははははははは、………は、は?」
長細い物が腹の中を通り抜けて行く異様な感覚に、シグオスは凍りついた。
そしてその時になってようやく気づいた。腹に剣が突き刺さっていることを。その剣の柄元から噴き出した血が、足下で音を立てて跳ね、血の池を作りつつあることを。
「うおおおおおおおおおっっっっ!? な、なんだこれはあぁぁあぁっっっ!?」
ダグを突き飛ばした拍子に、剣はあっさりと抜け、さらに大量の血が漏れ出した。
これ以上はないという驚愕の表情を浮かべながら腹を抱え、片膝をつくシグオス。
突き飛ばされ、床に倒れたダグはさほど慌てた様子もなく、ゆっくりと立ち上がり、自分の受けた被害の状況を冷静に見下ろした。
抱きすくめられた両腕の筋肉が少しばかりこそぎ取られ、炭化していた。黒い厚手の綿ズボンも破れ、両大腿の表面の皮膚はずる剥けている。ただ、革鎧で守られていた胴体部分は、胸当てのほとんどこそ分解され消失していたが、肉体そのものにはほとんど影響がなかった。間に剣を握った腕が挟まれていたおかげか。
「ど、どうして……こうもや、易々と……信じ……信じられん……」
頬を攣らせ、畏怖の眼差しでそんなダグを見上ていたシグオスは、口から血の泡を吐きながら聞いた。大量に血の噴き出す腹部を左手で押さえてはいるが、甲冑の上から押さえたところで意味はない。流れ出す血潮はとどまる様子を見せなかった。
痛みがないかのように振る舞うダグ。その表情には苦痛を耐える歪みすら現れていない。
ダグは、バンダナで止めていないために落ちかかってきた黒い前髪を空いた手で掻きあげて、面白くもなさそうに答えた。
「……秘剣『盾貫き』」
「ひ、ひけん……『たてぬき』……?」
講釈を聞くまでもなかった。シグオスの頭でもわかる。要は秘剣『剣断ち』の理屈を突きで実行したのだ。
盾の向こうに隠れた敵を、盾ごと貫いて殺すために編み出された技なのだろう。
「実際、俺の力だけでは、その蒼い炎をぶち貫いて肌一枚切り裂くのが精一杯だった。だが、それに貴様の突進力と俺を逃すまいと懐に引き寄せる馬鹿力が加わった。……増強した筋力が仇になったな」
「……馬鹿、な……。納得、できん……あの一瞬に、どうしてそこまで……」
納得できないのは、あの状況でその技を冷静に繰り出せたこと。完全な不意討ちだったはず。
炎の噴出を抑え、戦う気力を失ったように見せかけ、ダグがとどめを刺しに来るのを待った。
もし、その時点で策を見破られていたのなら、そもそもシグオスがダグをその胸に捕らえることはできなかったはずだ。一度は成功したということは、この逆襲を予想していなかったということのはず。
にもかかわらず。
一体なぜ。
心中の問いを察したのか、黒衣の死神の眼がぎらりと光った。
「言ったはずだ。物心ついたときから死の覚悟はできていると。あの瞬間、俺に見えたのは死ではなく、がら空きになった貴様の腹だった……。それとも……あの剣がヘイズの物だったから勝手に刺さった、と言った方が納得できるか」
嘲るようなその物言いに、堪えていたもう片膝が砕ける。
「お、おの……おの、れ……。……俺は、とうとう……、貴様には……貴様を……貴様だけを……」
「最後の策も裏目、か。……無様だな。実に無様だ。貴様にはその死に様こそが相応しい」
死に逝く者にも一切容赦しない。その冷たい眼差し、冷たい口調は死神そのものだった。
「ぬぅぐぐぐっ……!」
シグオスは奥歯をみしみしと軋ませた。そのまま砕けよとばかりに歯を食いしばり、渾身の力を振り絞る。
「まだ……まだだ! まだ……終わらぬ! ぬぅうおおおおおっっっ!!!!」
腹部から大量の血を滴らせながら、褐色の老騎士は立ち上がった。再び青い炎が勢いよく燃え上がり始める。ごうごうと音を立てて揺れ踊る、それはまさに命の最期の輝き。
「どうせあと五日もたぬ命……最後まで、最後まで諦めはせん! 今の俺には貴様の息の根を止めること以外、この汚れし生き様にけじめをつけられぬのだ!」
鬼神の如き形相で立ち塞がるその圧倒的な気迫に、ダグはほう、と感心の声をあげた。わずかに眉を開き、両手大上段に構える。
「けじめとはよく言った。ならば俺もけじめをつけよう……ヘイズの剣でとどめを刺してやる」
シグオスは剣を捨て、両拳を固めた。
「当たりもせぬ剣など、もはや頼らぬ。俺が頼むは、この拳、この身体のみ! 何度刺されようと、どこを斬られようと、必ず貴様を捕らえ、この歯を以ってしてでも、その喉笛噛み裂いてくれようっ!!」
「いい覚悟だ」
軽口とは裏腹に、その表情には緊張が走る。
「……来い」
声と同時にシグオスは野獣のように駆けた。
後ろへ飛び退るダグ。飛び退りながら迎え撃ち、放つは――秘剣『剣断ち』。
シグオスは左腕を掲げた。
「腕一本、くれてやるっ!」
鉄の棒を殴った音がして、言葉通り左下腕が手首の辺りから斬り飛ばされた。
だが、そのとき既にシグオスの振りかぶった右腕が、ダグの顔面を狙って伸びていた。
「見え見えだ」
一旦振り下ろされた剣の切っ先が即座に反転し、シグオスの右腕を下から迎え撃つ。それは、天地逆さの秘剣『剣断ち』。
しかし。
青く輝く軌跡を引いて走る右腕は不意に軌道を下方に変えた。拳を開き、跳ね上がるってくる刃の鍔元を押さえつける。
「!?」
強力な力で押さえつけられたダグの体が前のめりに沈む。
今この瞬間、シグオスはダグの懐深くに潜り込んでいた。
秘剣『剣断ち』最大の特徴――その凄まじい切れ味は、斬る物と斬られる物のお互いの位置、相対速度、お互いの状態などの精密な関係に拠る。裏を返せば、その関係さえダグの想定範囲外に崩してしまえば、秘剣は秘剣でなくなる。
簡単に言えば、剣の刃が当たる瞬間を早めてしまえば、ただの剣撃になる――のではないか、とシグオスは読んだのだった。ダグの指摘した通り、『神降ろしの秘儀』で速度を得たために可能になった調子の外し方だった。
珍しく舌打ちを漏らしたダグが、間合いを取るべくさらに飛び退った瞬間。
シグオスの左腕が青い炎の尾を曳いて、彗星のごとくに走った。切られた腕の先で真っ直ぐに。渾身の力を込めた一撃がダグの胸を突く。
「…………っ!!」
革鎧の残っていた胸当て部分の残骸が弾け飛び、のけぞるダグ。口許に咲く血華。その手からこぼれる剣。
シグオスは、勝利を確信した。痛みは感じなかった。ダグの胸の骨が何本か折れる感触だけが、腕の骨の髄を通して直接脳に響いた。
(――勝った!!)
奴は体勢を崩している。もう一撃叩き込めば、奴は完全に動けなくなる。倒せる。殺せる。勝てる。
シグオスは堰を切った怒濤のごとき勢いで、着地して踏ん張るダグへ殺到した。拳を硬く硬く握り締めた右腕を、大きく振りかぶる。この拳が奴の頭を砕き潰せば――
「――終わりだ! ダグ=カークスっ!!」
叫んだ瞬間――仰け反っていたダグの上半身が、バネ仕掛けのおもちゃのような勢いで戻ってきた。闇の双瞳から青い光の尾を曳いて。
その態勢から左拳を振りかぶっている。
無駄だ。こちらに合わせるつもりだろうが、最悪のカウンターになるだけだ。
シグオスは避けようともしなかった。避ける必要すら感じなかった。
腕の長さはこちらが長い。動作の開始もこちらが早い。それに、腕を突き出す速度だけなら絶対にこちらの方が速い。なおかつ、この青き炎の守りがある。剣ならともかく、ダグごときの貧弱な拳では肌に触れることすらできない。こんなものは苦し紛れのカウンターだ。
墜ちたり、ダグ=カークス。さらばだ。
一度は振り払った驕りが、そこにあった。
隻眼の視界に、ダグの拳が迫り――なぜか一筋の銀光が弾けた。
(!?)
次の瞬間、シグオスの視界は闇に落ちた。
必殺の右拳が空を切る。万が一に備えて振りかぶっていた左腕さえも、何の手応えもないまま。
(なん……)
右眼に走る激痛。
「ぐ……ぬうぅうっ! な、なんだこれは……眼が、見えんっ!!」
その場に膝を突き、激しい痛みを訴える右眼に恐る恐る手をやる。……指先に固い物体が触れた。
それをつかんだ瞬間に理解した。それは短剣の柄だった。
「お、おおお!? うお……うぅおおおおおおおおおおっっっっっっっ!!!」
―――――――― * * * ――――――――
他者には窺い知ることのできぬ暗闇の中で吠え猛るシグオス。
胸を押さえ、片膝を着き、荒い息を吐きながらも、ダグは落ち着き払った静かな声で言った。
「……俺は秘剣『盾貫き』で貴様の炎を破れると、先ほど見せたばかりだろうが。秘剣『剣断ち』を封じたまでは褒めてやるが、その後はいつも通りだったな。最後の最後まで進歩のない奴だ」
「うぬぅぅぅっっ! おのれぇぇぇ!」
力任せに短剣を引き抜き、放り投げるシグオス。
「どこだ……どこにおる、ダグ=カークス!!」
敵を求めて、見えぬ眼で四方を探るシグオスに背を向け、ダグはヘイズの剣を拾い上げた。その口許には血が溢れている。先ほどの一撃で肋骨が五、六本まとめてやられ、内部にも相当の衝撃を与えられていた。
「……く……」
足元がふらついた。視界が傾ぐ。
「そう、だな……俺に……ここまでの重傷を負わせたのは貴様が初めてだ。それも……褒めてやる」
しかし、シグオスはもうその呟きを聞いていなかった。ただひたすら腕を振り回し、ダグを捜している。それはほとんど狂人の態だった。
「どこだ……どこだああああああっっっ!! もう少し、今少し、あと少しで貴様を……貴様をおおおおっっっ!!! もう一度だ、もう一度……次は、次こそは俺が、俺の拳がああああああっっっ!!」
足元も不確かな状態でこけつまろびつ、ひたすらに暴れ回る。支えにつかまる石柱の残骸、倒れた身体の下敷きになった瓦礫や装飾品が青い炎に触れて破壊され、塵を放って消滅してゆく。その度にシグオスはダグの名を呼び、悪態を吐き、また立ち上がって腕を振り回す。
剣を握ったまま、その様子をしばらく見ていたダグは、疲れた溜め息をそっと漏らした。
「……この姿こそ……俺の望むものだったはずだが……こうして見ると、実に目障りだな」
闇の双瞳が揺れ、剣の柄を握る手に力が込もる。
「このまま放置して、絶望と暗闇の中で死なせるつもりだったが……もういい。今、終わりにしてやる」
ダグは“死神”の二つ名に相応しく、シグオスの背後へ静かに忍び寄り――秘剣『盾貫き』で首の後ろ、盆の窪を深々と貫き通した。