蒼きバンダナのアレス Last Episode
〜Cross Fates〜【DUG/RUTZ】

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深緑の戦場 - cross fate V ゼラニス×ダグ -(後編)

 急に森がひらけた。
 こじんまりとした広場に、丸太組みのきこり小屋が一軒、ぽつんと建っている。
 その煙突から煙が立ち昇っているのを確認したダグは、剣を鞘から引き抜いた。
 周囲に人の気配はない。
 鋭い視線を辺りに走らせつつ歩み寄り、小屋の戸を引き開ける。
 男が一人いた。暖炉の前で中腰になり、手をかざしている。
 少々柄の悪そうな中年男。四十を超えていそうな年齢はともかく、その風体からは少なくとも熟練の狩人には見えない。どちらかというと町のチンピラとか、そういう世界の男に見える。
「おう、来たな」
 男は剣を抜いたままのダグを見ても全く慌てる風もなく、似合わぬ笑顔で迎えた。
「いやはや、ひどい雨だな。お前さんもずぶ濡れじゃないか。ほら、こっちに来てあたっていきな」
 警戒している気配もなく手招きして、暖炉に手をかざし続ける。彼の背後の椅子の背もたれには、彼の物らしい濡れた革のジャケットがかけられている。
 ダグは天井を見上げて、溜め息をついた。そのまま後ろ手に戸を閉め、背を戸板に預ける。
「……お前が、この網の投げ手か」
「さあ、どうかな?」
 不適に笑う男に、ダグは剣先を向ける。
「やめとけやめとけ。事ここに至って、そんなものは何の役にも立たんぜ」
 ダグは剣先を正面に構えたまま、ゆっくりと男に向かって近づいてゆく。全身から滴り落ちる雫がパタパタと土間の床を叩き、ナメクジが這ったような濡れ跡を作ってゆく。
 男はまったく怖れる様子も慌てる風もなく続けた。
「この小屋の裏に火薬を詰めたエール酒の樽を6つ、積んである。周囲の森の中にもいくつか。俺は満遍なく置け、と言っただけだからどこにどれだけ隠してあるかは知らん。俺に何かありゃあ、その全てが吹っ飛ぶ」
 ダグは顔をしかめた。火薬の臭いはしなかった。いや、この雨と疲労で嗅ぎ取れなかったのか。
 男は立ち上がると、ズボンについた灰を軽くはたいて叩き落とした。
「東部戦線でも名うての傭兵隊長"黒衣の死神"なら、今の説明だけでここがどういう死地か理解できるだろう?」
 ダグは足を止めた。ちらりと窓の外を見やる。雨は一時の激しさこそ失っているものの、いまだ降り続いていた。
「外は雨だ。導火線に引火するとは限らん。点火できても本体が湿気っている可能性もある」
「俺がそんなへまをするって? お前さんをここまで追い詰め、ここへおびき寄せたこの俺が? それは見くびりすぎってもんだろう、いくらなんでもよ。へへっ」
 へらへらっと笑って、男はジャケットをかけている椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「俺達義勇軍の戦いは何でもありなんでな。火薬とか点火とかの一通りでない扱い方は色々心得てる――おっと、自己紹介がまだだったな。俺はゼラニス。西部戦線義勇軍『森の守護者』エキセキル方面隊指揮官、ゼラニス=レンディル」
 記憶の隅に引っかかるその名前に、ダグは眼を細めた。
「……西部の"将軍"か」
「御名答だよ、"黒衣の死神"殿」
 男――ゼラニスは再び悪戯っぽく笑った。
 ダグは皮肉っぽい笑みで返す。
「では、将軍。……火薬は無事として、誰が点火する? 人の気配はなかったようだが?」
「人の気配がなけりゃ、誰もいないって? お前さん、もう少し世の中にゃあ上には上がいるってことを思い知った方がいいな。いくらお前さんが凄腕でも、しょせんは傭兵。本気になった熟練の狩人の潜伏術には及ばねえよ。連中は野生の動物を欺くんだぜ?」
「なるほど、やはり狩人か」
「まあ、いずれにせよ王手(チェックメイト)だ。とりあえず剣を下ろせよ、死神」
 その勧めに応え、ダグは剣を鞘に戻した。今の話が本当なら、確かに剣は意味を持たない。
 ゼラニスはテーブルを挟んだ向かい側の椅子を勧めた。
「ま、そこに座ってくれ。何か飲むか? つーても、お茶しかないんだがな」
「今、そこの沢でたらふく水を飲んだところだ。……早く本題に入れ」
 椅子にどっかり腰を落とすなり吐き捨ててやった。
 ゼラニスはぷぅ、と一息ついた。
「そんじゃあ、ま、一つ話し合いといこうか」

 ―――――――― * * * ――――――――

(さて、とりあえず席には着かせた)
 ゼラニスは、顔を引き締めて一つ咳を払った。
 そのまま、じっとダグの顔を覗き込むように見つめる。オービッドの月夜の下で見たときは、あまりしかと顔をうかがえなかった。第一印象は――
「……若いな。いくつだ?」
「無駄話をする気はない。本題を言え」
 疲労に澱んだ眼差しが、殺意の鈍い光を放つ。
 ゼラニスは椅子の背もたれに背を預け、再び大きくため息をついた。
「やれやれ、物言いも若いな。……ここまでの戦いぶりを見てきたが、お前さん、俺と似たようなタイプだな。求めるのは『最小限の力で最大限の効果』か。なるほど、シグオスが手玉に取られるわけだ。だが――俺とお前さんでは決定的に違うところがある」
「………………」
 無言ではあるが、ダグが苛ついているのは手に取るようにわかる。
 ダグを巻き込んでの自爆殲滅の罠は既に成立している。後は点火するのみ。この状況でこちらが時間稼ぎをする意味はない。それはダグもわかっているはずだ。だからこそ、こちらの意図を読みかねている。……思う壺だ。
「年齢、立場、経験、戦う意義……それよりも何よりも、お前さんは基本的に凄腕の剣士で、俺は基本的に腕っ節はからっきしの現場指揮官だってことだ」
 ゼラニスがダグのマントの合間から覗く剣の柄をちらっと見やる。ダグは微動だにしない。
「戦域全体を俯瞰して見ているような戦略的なものの考え方も、その立ち回りも、そういう素養のない他の連中にしてみれば驚きだろうさ。だが、俺もお前も、それぐらい当たり前だとわかってる。問題はその先……俺が見る限り、お前さん……最終的には自分の剣腕任せの選択をする癖が随所に見られる」
「………………」
「誇りと面子ゆえに、接近戦にこだわる聖騎士だけが相手なら、お前さんの計画も最終的には成功しただろうよ。お前さんの命がその後永らえるかどうかは別にしてな。だが、この展開は予想してなかっただろう?」
「………………」
 返事なし。虚勢を張っているのか、それとも心理状態を読ませないためか。もっとも、その程度の反応は織り込み済みだし、向こうもこちらがそう考えることぐらい承知していよう。
「お前さんの敗因は、アスラルの住民を敵に回したことだ。ろくに地理も知らない土地で好き勝手できると本気で思ったのなら、それは思い上がり――いや、傲慢というものだと思わないか、死神?」
「どうとなりと」
 漏れ出てきた言葉は、冥界から響いてくるかのように陰鬱だった。
 慣れていない者なら、恫喝の類に聞こえるかもしれない。これだけの殺気を発していればなおさらだ。この若者は、まだこの死地を脱する術を模索している。
(それは無理だよ、死神)
 ゼラニスは胸の内で呟く。
 作戦全体を決めたのは自分だが、細部は手足となる者たちの判断に任せた。この状況から脱する術など、ゼラニス自身でもわからないのだから。
 それに、陰鬱な声もゼラニスにとってはダグの疲労を図る格好の指標だった。
(……限界は近いな)
 作戦通りだった。
 作戦の第一段階は、地理のわからぬ山野を駆けずり回らせ、時間と体力を搾るだけ搾り取る。しとめられればそれに越したことはなかったが、アレスのバンダナを持っているとわかった以上は、無理な追い込みは出来ない。
 そこで作戦の第二段階。どれほど体を鍛え、心を鍛えた達人でも、心が緩む瞬間というものがある。
 絶体絶命の刹那、敵の指揮官が目前に立っていたら。罠だとわかっていても、それを人質に包囲を突破するという誘惑に、わずかでも揺らぐ。そうでなくとも、この状況で指揮官が登場するという不可思議な行為の真意を知りたくなる。それが人間というものだ。
 ダグは不自然に現われた山小屋に不審を抱いただろう。しかも内部に人気(ひとけ)がある。頭の良い彼は、この状況で出てくるのは指揮官以外にない、と判断する。作戦上、それ以外の者をここに配置する意味はなく、そんな無意味なことをする相手にここまで包囲追跡されるはずなどないからだ。狩人達の見事な追跡がなければ、そしてもしここに人気がなかったら、かなりの確率でダグはここを無視し、通り過ぎて行ったはずだ。
 ここでダグの思考は二つに狭まった。疲労がなければ別の選択肢もあっただろうが。
 その指揮官がただの詰めの甘い愚か者で、獲物の最後を確認しにやってきたのだとしたら、即座に斬り捨てればよい。そういう指揮官に率いられた部隊というものは、たいてい指揮官を失うと統率を失う。混乱の状況を見極め、その隙に逃げる。
 もう一つの可能性は、その指揮官が切れ者で、何らかの意図を持ってこの状況を作り上げた場合。何らかの意図、とはいっても今の状況で指揮官が出てくる理由として考えられるのは、直接交渉以外にないだろうが。
 ダグはこの作戦の指揮官がゼラニスだとは知らなかった。相手の裏をかいて包囲を突破しようにも、作戦を指揮する者の意図や思考が読めず、裏がどこにあるのかわからない状態だった。そこへ本人が登場したのだ。十中八九罠だろうが、直接面会し、意図や思考の癖を探れば、この厄介な包囲を突破できる隙を見つけられる可能性が生まれる。
 まして、久々に追っ手がいない状態だ。疲労回復のための休息を兼ねて敵指揮官の顔を見てやろう、と思うのも無理からぬこと。……聖騎士の包囲を切り抜けるほどの剣腕と、それを後押しするアレスのバンダナを持っているという優越感があれば、なおさら。
 そうそう、こうも考えたかもしれない。小屋の中なら、矢は届かない。外が雨なら火矢の効果も知れている。追っ手が追いついたところで、こちらの首をとるために接近してくれば一気にバンダナの力を解放し、皆殺しに出来る、と。
 結果、ダグは小屋の戸を開けた。
 そして第三段階。ダグの戦闘力を削ぐ。
 暖かい山小屋で椅子に腰を下ろさせて冷えた体を温め、敵意を感じさせずに退屈な話を続ける。相手の集中力を削ぎ、緊張を緩和させ、隠れていた疲労を表面にあぶりださせる。
 現場で戦い続けることが第一で、ろくな折衝や交渉ごとに携わることのない傭兵には、こういう駆け引きは出来まい。漠然とした危機感はあっても、苛つくばかりで何も出来ない。そしてその苛つきさえも、持ち前の強力すぎるほどの抑制力で押さえ込んでしまう。
 そうして抗いがたき睡魔に襲われ、意識を失ったところでゼラニスは小屋を抜け出し、後は――どかん。
 既にダグには、一切の選択肢はなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 意識が揺らぐ。
 傭兵だった頃――泥まみれで芯まで冷える雨に打たれ、森の中で潜んでいた頃は、染み込んでくる寒さこそが死の感覚だと思っていた。温もりこそは生の証しだと。
 だが今、徐々に温まってゆく衣服や肌から染み渡り広がってゆくこの温もりは、生の証しではない。心身の緊張を解きほぐし、一度(ひとたび)落ちればおのが生命を眼前の敵に握らせる眠りへと誘う、恐るべき死の感覚。甘い死の感覚というものが存在するのなら、これこそがそうなのだろう。
 たっぷり水気を吸ったマントの重みが邪魔だ。それがなければこの不快な感覚からは、少し解放されそうな気がする――だが、その余計な一枚を取り払った途端、緊張はもう一つ解きほぐされ、睡魔は遠慮なくさらに意識の奥へと踏み込んでくるだろう。今は動いてはいけない。
 これが目の前にいるゼラニスという男の巧妙な罠であることは想像に難くない。だとしても、今の自分には対応する術がない。
 ゼラニスを殺しても状況は変わらない。バンダナの力を解放してこの小屋を一息に潰してしまっても、火薬に点火されてしまえば終わる。
 手がない。
 ダグは浅く早い呼吸を繰り返しながら、ともすればぼやけそうになる頭で状況の整理を続けた。
 とにかく、相手の目的を知ることだ。相手が自分を巻き込んで自爆する覚悟があるのはわかっている。人となりこそ知らないが、仮にも遠く離れた戦場にすらその名が届くほどの男だ。そしてなにより、自分をここまで追い詰めた男だ。はったりではありえない。
 だが、それをせずにだらだらと話を続けているのは、自分を抹殺する以外の何か目的があるからだ。その目的さえつかめば、まだ――
 一瞬、意識が墜ちそうになった。
 まずい、と思うより早く極限まで本能に近い意識の部分で、なにかのスイッチが入った。
 ダグはマントを翻した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 性に合わない自慢話をしていたゼラニスが、眠りに落ちかけたダグに勝利を確信した刹那。
 ダグのマントが翻った。
 飛び散った水滴が部屋のあちこちに叩きつけられ、そのうち暖炉に飛んだものが激しい蒸発音を立てた。
 ダグが腰から短剣を引き抜き、おのれの左肩に突き刺していた。
「……な……」
 眠気を飛ばすにしては意外な場所に唖然としていると、ダグはさらに濁った瞳をじろりとゼラニスに向けた。
(まるで……水死体の眼だ)
 人外の存在に出会ったかのような悪寒が、ぞくりと背筋を走る。
「……次は、貴様の肩だ」
 傷口から血を噴きながらの意味不明の脅し。ゼラニスは駆け引きを忘れて思わず顔をしかめていた。
「なに?」
「本題を言え。これ以上貴様の無駄話を聞くつもりはない。……俺を殺したくない理由があるのだろう? 言え。言わぬなら、言わせるまでだ」
 まるで狂犬か、追い詰められたチンピラだ。
 そろそろ頃合いか。
 次は感情的な反応で、奴の感情を引き出す。それが終わった時、奴に精神的な力はもう残っていないはず。難しいことではない。これまで思ってきたところをそのままぶつければいいだけの話だ。
 ゼラニスは一息ついた。テーブルに身を乗り出して、真顔で答えた。
「それは思い上がりってもんだぜ、死神。お前を殺したくないだ? ふざけろよ。てめえをこの手でくびり殺したい気持ちを必死で抑えてるんだよ、こちとら。俺が殺したくないのは、俺自身であってお前なんぞでは絶対にねえ」
「……要するに、死にたくないから渋っているということか」
「たりめーだ」
 吐き捨てて、ゼラニスはテーブルの上に両足をどっかと乗せた。
「俺は義勇兵だぞ。戦場に出ちゃいるが、元はただの鍛冶屋の息子だ。てめえやシグオスみたいに、好きこのんで命の取り合いに臨んでる糞野郎なんかと一緒にするんじゃねえよ。こちとら、死ぬことにアホくせえ浪漫や幻想はこれっぽっちも持っちゃいねえんだ。死にたくねえ、死なせたくねえからいやいや戦ってんだよ」
 溢れ出る言葉の波をとどめることなく吐き出し続ける。
「だいたいてめえ、傭兵だろうが。てめえの命も他人の命もまとめて二束三文で売っ払う、下衆の下衆じゃねえか。それがなんだ? 相棒が卑劣なやり方で殺されたから復讐だ? 笑わせんな。てめえにそんな資格があるかバカヤロウ」
 知っているのか、といいたげな表情がダグの顔を一瞬よぎった。
 ゼラニスは足をテーブルに乗せたまま腕を組み、鷹揚に大きく頷いた。
「おうよ。オービッドでてめえに殺られたアクソールに聞いた。いいか。復讐なんてのはな、普通に平穏で幸せな生活を営んでいた人間が、不条理な理由でその幸せと平穏を奪われた場合のみ、口にすることが許されるんだ。てめえみてえな人殺しが生業(なりわい)の、畜生にも劣る下衆野郎が口にしていいことじゃねえ。シレニアスの復興なんぞを旗印に、アスラルの権益を掠め取ろうってな押し込み強盗の親玉・王国連合の犬の分際で、何が復讐だ。盗人猛々しいとはまさにこのことだな、ええ? この恥知らずの殺人狂が。なんか反論はあるか、若造」
 真正面からの罵声の津波を受けたダグの反応は――鼻で笑った。鼻を鳴らすかのような笑いとともに、膨れ上がる殺気。額のバンダナが蒼い光を放つ。
 ゼラニスは思わずテーブルに乗せた踵でテーブルの天板を蹴っ飛ばしていた。当然、てこの原理で身体がそっくり返る。そのまま椅子ごとひっくり返ってゆくゼラニスの鼻先を、ダグの手を離れた短剣が蒼い光の尾を引いてかすめていった。
 鼻の皮一枚が焼けた感覚。その後に追い討ちのように顎といい、服といい、飛んできた無数の水滴によって濡らされる。
 そして、短剣が突き刺さったにしては重い音。
 床に転がったゼラニスは素早く体を翻して起き上がった。ひりつく鼻の頭を思わず手で押さえる。
 ちらりと短剣を見やる。信じがたいことに、レンガ造りの暖炉に柄までずっぷり突き刺さっていた。見ている間に蒼白い炎のような何かが、ゆらりと揺れて消えた。
 バンダナの力を解放して投げやがった。
「て、てめえ――」
 目を戻せば、ダグは投げた姿勢のまま、あの死んだ眼で睨みつけていた。短剣の柄で揺れていたのと同じ光が、額のバンダナからゆらゆら立ち昇っている。
「……言ったはずだ。次は貴様の肩だと」
「嘘つけっ! 今のは間違いなく俺の眉間を狙ってただろうがっ!」
「大して違わん」
「頭に刺さったら死ぬわっ! つうか、今のは頭が消し飛ぶわっ!」
「狙いがぶれるほど俺を追い詰めたのはお前だ。自業自得だ」
「だったら投げる……なに? 自業自得だ?」
 ゼラニスはたちまち立ち上がってテーブルに両手を叩きつけた。憎々しげに目を細め、歯を剥いて唸る。
「てめえがそれを口にするかよ。だったら、てめえの相棒だって自業自得だろうが。強盗の親玉に手ぇ貸して、勝ちすぎた挙句に謀殺された。俺からすればざまあみろだ。だいたい、戦場(いくさば)に立ってる以上、どんな死に様晒しても、そいつは戦場を選んだ奴の自業自得ってもんだ。復讐の理由になんぞなりはしねえ。その覚悟もねえくせに、散々人殺ししてきたってのか!? 死神ってのはその程度の道理もわからねえガキかっ!?」
「戦場が道理だけで動くなら、俺は今頃こんなところにはいない」
「んだと?」
 さらに前のめりに身を乗り出すゼラニスに、ダグも両手をテーブルについて立ち上がった。
 手の平一つ分ほどの距離を置いて、二人の歪んだ顔面が向かい合う。
「ゼラニス。お前はさっき、俺とお前が似ていると言ったな。確かに。物事を理屈詰めで理解しようとする姿勢は似ている。ならば、わかっているはずだろう。戦場を作るのは人、そこでもがくのも人。……つまるところ、感情も含めて『道理』――『理』だ」
「……だから、お前のやってることは正しいってのか。戦に関係ない人間まで巻き込んで、壊す必要のない平穏までぶっ壊して。ふざけるな。そんなもんが正しい訳ねえだろう!」
「正しいかどうかは、人それぞれだ。お前が決めることじゃない」
「いいや、世の中には絶対的に正しい事がある。少なくともこの二十年、俺はそれを信じて戦ってきた。お前のような人殺しを仕事にするような下衆野郎には一生わかるまいがな」
「だろうな。……では、どうする? このままでは埒が明かんぞ。さっさと本題に入れ」
 腰を落とすような勢いで、ダグは再びイスに座った。マントの下で腕組みをして、ゼラニスの動きを待つ。
 その目は、一時の死に体を既に脱していた。気配からも生気を取り戻しつつあるのがわかる。
 どこで踏み間違えたのか。完全に追い込んでいたはずなのだが……それとも、生気を取り戻すために、わざと……。
「俺より一回りは若い分際で、しかもこの状況で、上からものを言うんじゃねえよっ! ……ったく」
 舌打ちをして忌々しげにテーブルを一叩きしたゼラニスも、イスに腰を落とした。

 ―――――――― * * * ――――――――

 外。
 森の中に開けた小さな広場の真ん中に建つ古いきこり小屋を見下ろす斜面の茂みに、狩人の一団が陣取っていた。人の頭ほどの小さな石かまどを作り、その中で小さな炭火を守っている。
 篠突く雨は間断なく降り続いていた。
 そこへ、別の狩人がやってきた。白ひげの老人。
「……どうじゃ、様子は?」
 じっと小屋の様子をうかがっていた無精ヒゲだらけの班長が、ちらっと老人を見た。
「エンジ爺か。見ての通り、全く動きがない。ま、今頃わしらにはわからぬ話で丁々発止しているんだろう。そっちは?」
「疲れの出ておる者は帰らせた。ゼラニス殿の案内役だったキノコやら山菜採りもな。後はお主らの助けになるように待機させておる。必要なら交代するぞい」
「助かる、と言いたい所だが、小屋の火薬はともかく、森の火薬は置いた者しか知らん。迂闊に歩き回られて、いざというときに爆発に巻き込まれても困るんでな」
「そうか。ほんで、いつ爆発させるんじゃ?」
 エンジ爺の問いに、班長は口元を引き結んだ。
「……明確な点火の条件は三つだ。奴が一人で小屋を出たとき。ゼラニスが武器を突きつけられて外へ出されたとき。そして、暖炉の煙が完全に消えたとき。それ以外の状況では、各自の判断だ。こちらの判断違いでも、奴の命が取れればそれでいいとゼラニスは言っておった」
「なら、今すぐ点火させても問題はあるまい?」
 何気なさげに放ったその一言に、班長は振り返って白ひげの老人を睨んだ。
「本気か、爺さん」
 エンジ爺は濡れた白ひげをしごいて、水をしぼりながら答えた。
「この作戦の目的は、あやつをこれ以上西へ進ませぬこと、とゼラニス殿も言うておったろうが。その意を汲むなら、今が好機じゃのう。本人に覚悟もあったようじゃし。何か、問題があるかの?」
 班長はじっと目を凝らして、小屋を見据える。それは、睨んでいるかのような形相だった。
 傍で聞き耳を立てていた三人の班員も、固唾を呑んで班長の続く言葉を待っている。
「……一つだけ、問題がある」
 班長の絞り出すような声に、エンジ爺はほう、と感心したような声を上げた。
「何があるかのう」
「俺達は狩人だ。兵隊じゃない。獲物を殺すのではなく、しとめるのが仕事だ。そして狩人は狩りの仲間を決して見捨てない。……それはエンジ爺、あんたら先人から耳にタコが出来るほど聞かされた、決して犯すべからざる狩人の道義で、信義のはずだ」
 班員達も、一斉にこっくり頷く。
 するとエンジ爺は班長の肩に手を置き、孫に会ったかのような晴れ晴れとした微笑みを浮かべながら頷いた。
「それでよい。なら、この班が間違うことはあるまい。……くれぐれも、ゼラニス殿を頼むぞ」
「ああ」
 一斉に頷く班員に満足げな頷きを何度も何度も返し、再びエンジ爺は茂みの中に消えていった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 頭に血が昇ったせいか、ついさっきより意識が明瞭になっている。
 ダグはゼラニスの答えを待っている風を装いながら、落ち着いて小屋の中を見回した。
 扉、壁にかかった錆びた斧、炎揺らぐ暖炉、湯気を噴き上げているやかん、大小二つの小物入れ、小道具入れの箱、シーツの汚れたベッド、つっかえ棒で開けている板窓、調理道具の散乱した台所、井戸、甕(かめ)、四段式の引き出し棚、勝手口、藁床、椅子、テーブル、天井からぶら下がるランプ……。
 普通のきこり小屋だ。
 ゼラニスが話していた通りの爆発が起きれば、爆風だけでなく、この全てが破片となって肉体をぐずぐずに切り刻むだろう。万が一にも生き残る道はない。あるとすれば、アレスのバンダナの力を全て解放することだが……森の中を走っていて生傷ができる程度の防御力に何を期待するというのか。
(完全な罠などない。どこかに穴があるはずだ。……どこだ? どこならこの窮地を脱する事が出来る?)
 意識が明瞭なうちに、見つけなければ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ゼラニスは頭を掻きながら、昂ぶった心を静めにかかっていた。
 少なくとも、これ以上の時間稼ぎは出来そうにない。
 さっきの短剣投げでよくわかった。この男、恫喝交渉のやり方を心得ている。そして多分、相手を殺さず生かさずなぶり者にして情報を得る術も。もし、この危険な男が本気になったら……何を口走るか自分でも自信がない。この窮地を抜け出す方策などありはしないが、火薬への点火条件などを教えてしまえば、何を考えつくかわからぬ相手だ。そもそも、そんな無様だけは晒したくない。
 こうなればしょうがない。次善の策ではあるが、本気で交渉するしかあるまい。
「……とりあえず、お互いのスタンスは確認できたようだな。じゃあ、こっちの条件を言う。これ以上関係ない者を巻き込むな。それを守ると誓ってくれるなら、この包囲を解いてやってもいい」
「わからんな」
 ダグはぶっきらぼうに漏らした。
「俺の言葉を信用するのか? 俺は嘘をつくかも知れんぞ。包囲を解かせ、爆破範囲を抜けた直後にお前と狩人どもを皆殺しにするかもしれん。それぐらい想定の範囲内だろう」
「……………………」
 ゼラニスは下唇を突き出すようにして、しばらく黙り込んだ。
 やがて、一つのため息とともに言葉を吐き出す。
「……お前に、こっちの条件を飲む以外に道がないように、こっちにもお前の言葉を信用する以外に道はない。それに、お前は俺に似ている。こちらが約束を守る限り、吐いた言葉は命を懸けて守るタイプだ。そんな奴でなければ、ここまでこだわった復讐劇など考えつかん。っと」
 不意にゼラニスは、おどけた表情になってダグの額を指差した。
「あと、そのバンダナもこっちへよこせ。それは、この世にあってはならんものだ」
「そっちは交渉の余地なく拒否だ。これはルッツからの預かり物だ。あいつに返す約束をしている。……お前が今言ったように、俺が吐いた言葉を命を懸けて守るタイプなら、これは絶対に渡さないことはわかるだろう」
「人からの預かり物を勝手に使うな。あまつさえ、それに適応してんじゃねーよ」
「ルッツから使うな、とは言われてない」
 苦笑いしていたゼラニスは、ふと視線を暖炉の方に――北の方角に向けた。
「……そのルッツ少年は今、スラスにいるぞ。シグオスも一緒だ」
 怪訝そうにダグが眉根を寄せる。
「なぜ、それを?」
 問われて、ゼラニスは渋面を作り、押し黙った。
 両肘をテーブルの上につき、手を組んで額をその上に乗せる。懺悔をするような姿だ。
「この先…………手を掛けるならシグオスと半年前の一件に絡む連中だけにしておけ。それなら、目をつぶる。……さっきは自業自得だのなんだの言ったが、正直、相棒やら戦友が殺された者の気持ちはわからんでもない。てめえの復讐を認めるわけじゃないが、やったことの後始末を当事者同士でやる分には、俺は関知せん。だがな」
 伏せていた顔を上げた。
「関係のない人間を巻き込むな。平穏に生きている人々を、平穏に生きようとしている人々を、平穏を保とうと努力している人々を殺す資格なんぞ、誰にもないんだ」
「……俺は、半身と思えるほどの相棒を奪われた」
 こちらを見つめ返すダグの漆黒の瞳に揺るぎはない。
「大切な物を奪われれば、それと同じ物を奪い返す。それが復讐のセオリーだ。俺にとっての半身を奪った購(あがな)いは、奴にとっての半身を奪ってこそ成立する。つまりその生涯をかけて守ってきた『教団』だ」
「奴には嫁さん、息子がいる。そっちではいかんのか」
 思わず漏らした言葉に、ダグの唇が歪んだ。薄く、残酷な笑みに。
「くくく……平穏な生活を営んでいる母と息子を殺せと? 矛盾しているぞ、ゼラニス」
「『教団』が倒れればアスラルに混乱が生じ、その機に乗じて王国連合が攻め寄せる。その際に生まれる犠牲を思えば、まだそっちがましだ。……俺は聖人じゃねえし、そもそもてめえの妻子を守るのはシグオス自身の役目だ。俺の妻子とあいつの妻子、天秤にかかれば俺は迷わず自分の妻子を取る。俺はそういう男だ。それだけのことだ」
「なるほど。……それがお前の『理』か」
 ふむ、と唸って考え込むダグに、ゼラニスは身を乗り出した。
「何を悩む、ダグ=カークス。こちらがこれだけ譲歩したんだ、決断しろ! お前はもうこの戦、負けてるんだぞ! それとも、お前も死ななきゃ負けじゃないとか考える狂戦士か!?」
 ゼラニスの叫びから耳を塞ぐかのように、ダグは目を閉じた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 状況が動いた。
 しかし、降り続く雨の中で待ち続けていた狩人達にとって、それは想定外の事態だった。
 小屋から出てきた人影。ゼラニスだ。変装したダグ=カークスではない。ゼラニスがたった一人で小屋を出て、真っ直ぐ茂みに向かってゆく。
 お互い小屋に死角はあるが、全体として死角はないように班を配置してある。いまだ誰も動かないということは、死角から見てもダグ=カークスは脱出していないということなのだろう。
 やがてゼラニスは茂みの中に踏み込み……爆破範囲から脱した。

 ―――――――― * * * ――――――――

「どういうことなんでぇ!?」
 開口一番聞いてきた狩人の班長に、合流したゼラニスは苦々しげに顔を歪めた。
「わからん。俺は一緒に爆殺される覚悟をしていたんだが……あの野郎、『死にたくないのなら、さっさと出て行け』ときやがった。さすがに何を考えているのか、わからん」
「脱出の糸口をつかんだということじゃあ……?」
「そんなものがあるか? あったとしても……今射てば、全て消し飛ぶ」
「いいのかね?」
 班長の念押しに、ゼラニスははっきりと頷いた。
「奴が選んだ道だ。こっちが遠慮してやる筋合いじゃない。譲歩は出来るだけした。それでも、奴は頷かなかった。望みどおり、殺してやれ」
「わかった。おい、全員――爆破だ」
 矢じりの先に油をまぶし、炭火に炙って火を点す。
 その矢を弓に番え、弦を引き絞り――放した。
 小屋へ、森の中へ飛ぶ数本の火矢。それを合図に森のあちらこちらから火矢が飛んだ。
 数秒ほどの間を置いて、小屋が大音響とともに火柱を噴き上げて消し飛んだ。続け様に森の中のあちらこちらでも爆破音が轟く。
 わずか十秒ほどの間に、小屋のあった広場とその周辺は何もない地面剥き出しの爆破孔と化した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 広場とその周辺にうずたかく積み重なった黒焦げの建材や、倒れた樹木。小屋を構成していた丸太や木材の破片の端っこに、ちろちろと揺らめく火。建物は跡形もなく破壊されていた。その上に周囲での爆発でへし折られた樹木が折り重なり、まるで何かの災害現場のようだ。
 降り止まぬ雨に、焼け焦げた炭だらけの地面がしゅうしゅうと音を立て、蒸気だか煙だかわからぬものを立ち昇らせている。
 瓦礫を構成する木材の山を見つめながら、ゼラニスは小さくため息をついた。


「……俺が望むものは、シグオスの慙愧と絶望の呻き。それだけだ。お前が守りたいものも、守られるべきものとやらも、俺にとっては寸毫の価値もない」
 なんの昂ぶりもなく、淡々と漏らすダグ。それがかえって不気味だった。
 その顔がふっと上がる――微笑、とでも言えばいいのか。どこか、何かを諦めたかのような表情が浮かんでいた。
「それに、俺はお前の言う平穏とやらを理解できん。俺にとって平穏とは、戦の合間の傷を癒す時期に過ぎない」
「お前……」
 ゼラニスはふと思い出した。
 そういえば、"死神"は戦場で生まれたという噂があった。死んだ女の腹から取り上げられ、傭兵団で育てられたと。その話を聞いたときは、ただ単に"死神"の通り名に箔をつけるための与太話だと思っていたが、もしそれが本当なら、この男に本当の意味で平穏な日々が続くことの喜びは理解できないかもしれない。
(正真正銘……人殺しをするためだけに生まれてきた男だというのか、こいつは。――いや)
 頭の隅で閃きが走った。
「そうか。それで、復讐か。お前の半身とも言える相棒が、お前の知らぬ平穏な生活を手に入れようとしていた……それを知らぬがゆえに、お前はそちらへ向かう半身を憎みながらも憧れ……祝福しようとしていた。なのに、シグオスのバカが――」
 ゼラニスは慌てて口を押さえた。こんなことは本人の前で口走ることではない。
 ダグは――緩やかな表情が、厳しいものに変わっていた。図星を突かれて怒ったか。
「お前に覚悟があるように、俺にも覚悟がある」
 その口をついて出た言葉に、怒りの感情はなかった。
 ゼラニスを見据える眼差しにも。……いや、怒りの炎は確かに揺れている。だが、ゼラニスを見てはいない。
「この広大な版図を支配する教団を相手に回し、一人で戦うのだ。その途上で命を落とす可能性など、想定済みだ。確かに、復讐の完遂が出来ないのは残念ではあるが……それもまた、予定通りといえば予定通りだ」
「……本気か」
「いわずもがな」
 揺るがぬダグの視線、表情、姿勢。
 ゼラニスは考え続けた。点火の指示を出す行動を待っているのか。それとも、脱出の手を考えたのか。
 聞いても答えまい。聞くことでもない。
 ダグの手を読みかねて凍りついたようになっていると、ダグの方から目を逸らした。
「爆殺されるのは構わんが、一つ頼みがある」
「……一緒に死ぬ相手になに言ってんだ」
「誰が一緒に死んでくれと言った。死にたくないのだろう? さっさと出てゆけばいい。どうせ俺がお前を人質にとって出て行こうとしても、爆破されるのだろう?」
 ありがたいといえばありがたい申し出だが、その意図がわからない。理解不能の態で顔をしかめていると、ダグは皮肉めいた笑みに頬を歪めた。
「ここでお前と死ぬ意味も理由もない。それで状況を変えられるならともかくな。それに、お前には俺に復讐をする理由があるのだろう? 俺にはない」
「……本気か?」
 我ながら間抜けな問いだとは思ったが、そう聞くしかなかった。
「いわずもがな」
 再び繰り返される返答。
 ゼラニスは頷いた。このままがんばっても話は進まないし、がんばることに意味があるとも思えない。そうだ。自分で言ったのだ。お前の言葉を信じると。
「わかった。なら、聞こう。頼みってのはなんだ?」
「いつか、ルッツに伝えてやってくれ。……女に気をつけろ、と」
「……なんだそりゃ。それが今わの際に言うことか?」
 腐りかけの食べ物を口に入れた瞬間のような顔をするゼラニスに、ダグも心底疲れたようなため息を返した。
「あいつは女に甘すぎる。いや、惚れっぽすぎる。今わの際の言葉ぐらいでなければ、心に焼きつくまい」
「……本当に、それだけでいいのか?」
「ああ。それだけでいい」
「わかった」
 腰を上げる。
 背中の神経を総動員して、ダグの気配を探りつつ小屋の戸へ向かう。
 戸を開けようとした時――
「……ゼラニス=レンディル。見事だった。確かにこの戦、俺の負けだ。願わくば……一度、戦場で手合わせしてみたかった」
 ゼラニスは戸の引き手に手をかけたまま足を止め、口を真一文字に引き結んだ。
「…………バカを言え、ダグ=カークス。俺もお前も、進んだそこが戦場だろう。これがお前の望む手合わせで、その結果だ。戦はゲームじゃあないんだ。仕事にするものでもない。特に、俺にとってはな。必要のない戦ならしたくもないし、相手が誰であろうと大事な仲間を預かる身で、命の取り合いなんぞ望む気にはならん」
 そのまま、ちらりとダグの方をうかがう。
「結局……お前は戦の申し子ってことだな。多分、俺たちは永久にわかりあえん」
 少し待ったが、ダグからの答えはなく――ゼラニスはそのまま戸を引き開けて外へと出た。


 周囲に飛び散った丸太ん棒の破片。
 足元に転がる人の頭ほどの直径のそれを、ゼラニスは踏み転がした。焦げた部分にまだ埋み火が残っていたのか、濡れた下草に触れてしゅうしゅうと音を立てた。
 一筋立ち昇った白煙が、鼻腔と目頭を刺激する。
「……これで生きていたら、まさに化けもんだ。つか、遺体の一部すら残っていそうにねーな。丸太がこのざまじゃあ……全部木っ端微塵の消し炭、か。……だが、一応油断はするな。相手はあの"死神"だ。火が消えるまで……そうだな、一晩ほどは小屋のあった辺りには近づくんじゃねぇぞ」
「火が消えたら?」
 傍にいた班長の問いに、ゼラニスは鼻で笑った。
「帰るだけだ。それぞれが元いた場所に――っと、俺は再びエキセキルの最前線か。いい加減戻らんとヤバイな。戦場も、家庭もよ。おい、悪いが、頼まれてくれるか?」
「なんなりと」
「火の始末が終わって奴の死が確定的になったら、ユーノンの聖騎士団を通じて、スラスのシグオスにこの件を伝えてやるつもりなんだが」
「はあ」
「多分、聖騎士団が視察に来る。その頃にゃあ、俺はもう西に帰ってるんでな。そいつらここに案内して、事の次第を教えてやってくれるか。ダグ=カークスがどこでどんな風に死んだかを、な」
「わかった。……ありのままを伝えればいいんだな?」
「ああ。余計な脚色も、讃美もいらん。ただ、あったことだけを、な。――じゃ、後は頼むぜ。待機してくれてる連中のところへ行ってくらぁ」
 軽く手を挙げて、ゼラニスは戦場の跡に背を向けた。


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