蒼きバンダナのアレス Last Episode
〜Cross Fates〜【DUG/RUTZ】
凄 戦 - cross fate U ダグ×シグオス (前編)
玄関を出たダグは、周囲を取り巻く聖騎士団を威圧するように睥睨した。
表は数段の階段を下りればすぐ石畳の通りになっていて、左右には同じ形のレンガ造りの三階建て集合住宅風の建物がずらりと並んでいる。ちょうどダグは集合住宅風のレンガ壁から出てきたような格好だった。
聖騎士団が玄関口の階段下を取り巻いている。ざっと数えて二十人。それが二重の列を作ってダグが路上に降りてくるのを待ち構えている。
前列はとさか飾りのついた兜をかぶる甲冑姿の重装長槍兵。後列は胴鎧に盾を携えた軽装の剣士。盾は鉄板で補強した大きなもので、体が隠れるほどのサイズがある。その表面には『輝く十字星』聖騎士団の紋章がレリーフされている。
シグオスはさらにその後ろ。案の定、横にマリアというあの女使用人をはべらせ、兜を脱いだ甲冑姿のまま馬に跨っている。その手には、前列の槍兵より長く太い槍。
浅黒い肌のシグオスは、満月の光があるとはいえ、夜闇の中では眼と頭髪だけがやけにぎらついて見える。ダグの眼でなければ、銀色の鎧の上に眼と白い頭髪だけが浮いているように見えるかもしれない。
ダグが不敵な笑みをたたえて階段を下り、路上へ降り立つと、前列の甲冑聖騎士は一斉に面頬を下ろして槍を水平に構えた。槍の長さは人の背丈を越えている。
頭上から吹き下ろしてくる風にはためく黒いマント。ぽつねんと立ち尽くすダグ。
いきなりシグオスは馬上から勝利の大哄笑を挙げた。
「ふははははは! 黒衣のダグよ、ようやく観念したか。俺をおびき出すためにわざわざ教団幹部を殺して回るなど、手の込んだ策を弄しおったわりに、最期は呆気ないものだな」
ダグは答えない。ただその頬に余裕の笑みを刻み、じっと立ち尽くしている。
「ダグ=カークス! 貴様のために死んだ数多くの団員、そして咎無くして殺されし教団幹部の弔い、今ここに果たさん! 見よ、貴様を囲む十二本の槍の穂先を。いかに貴様が剣技に長けていようと、十二本の長槍に突かれてはどうしようもあるまい! ぐふふふふふ、ふはははははは」
「……お前は一つ、勘違いをしている」
昏く、しかしよく通る声が風に乗って届いた途端、シグオスの嗤いが凍りついた。
―――――――― * * * ――――――――
お前は一つ、勘違いをしている――
半年ぶりに聞かされるそのフレーズに、シグオスは全身が総毛立つのを感じた。
それは、悪夢の始まりを告げる一言。
部隊同士の衝突であれ、乱戦の中の一騎打ちであれ、この言葉があの黒づくめの若僧の口から放たれるとき、聖騎士団の敗北が確定する。
いかな絶対的優位を築いていようとも、勘違いが何であるか聞こうと聞くまいと、結果は同じ。ただただなすすべもなく奴の策にはまり、もがきながら一人相撲を取り、最後には屈辱の敗走を重ねることになる。
なぜそんなことになるのか、いまだにシグオスにはわからない。まるで魔法か何かのように、あっという間に戦況がひっくり返る。
その魔法は巧妙な伏兵であったり、地形を利用した罠であったり、思いもしない裏切りであったり、背後を守る味方の壊走であったり、ときにヘイズ=タッカードのがむしゃらな突進であったり――
戦とは力と力のぶつかり合い、戦術はそれを補ういわゆる添え物程度に考えていたかつてのシグオスからしてみれば、奇策妙策を次々に繰り出してくるダグ=カークスという若僧は、まともに勝負をしてこないくせに勝利だけを掠め取ってゆく山賊まがいの卑怯者だった。
そんな卑怯者に勝てない――いや、相手が卑怯者ならば、こちらもそれ相応の対処をすべきだ。
そう考えたのが、停戦協定が結ばれる寸前。
そして、その結果が今、この状況。
脳裏をよぎる敗北の数々を振り払い、シグオスは部下の陣形を見直し、対ダグ=カークス戦の戦術を反芻した。
奴は一人。こちらは槍兵十二名、剣士八名。
奴の剣が届かぬ位置から槍で突く。それが基本だ。
よしんばその包囲を突破しようとも、盾を構えた剣士が奴を押し包む。盾で押さえつけられ、盾と盾の隙間から八本の剣で刺されては、いかな黒衣のダグとて絶命必至。
また、何か策を立てているとしても、二十倍の戦力差をひっくり返せる策などありはしない。もう力任せに包囲をぶった切るヘイズ=タッカードはいない。部下は遥か樹海の彼方。協力者がいるとしても、クラスタとかいう子供が一人。
勝ち目なしと見て再びカンデール邸に戻り、そのまま屋敷の中を突っ切って裏口から逃走を図ったとしても、そこにはゼラニスを伴ったアクソールの一隊がいる。まして、立てこもれば、こちらのもの。戦力はこれ以降続々と増強されるのだから。
大丈夫。何も見落としはない。完璧だ。隙はない。絶対に逃げられない。
自分に落ち度がないことを確認し、シグオスは再び頬を歪めて嗤った。
「……ふふん。はったりだな。俺がどう勘違いをしているというのだ?」
「俺がここへ何をしに来たと思っている」
「俺に対する復讐だろうが」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。ダグの口調にはなぜか全く焦りの色がない。それがシグオスを苛つかせる。
……これも奴の策の一つなのだろうか。
「そう。その通りだ。俺はこの旅を始める前からそれだけを考えていた。どうやって貴様を斃すか、いかにして貴様に報いを受けさせるかだけをな」
「だから、何を勘違いしているというのだ」
「俺は旅を始める以前から、聖騎士団の総団長に狙いを定めていたのだ。アスラル大樹海全土に部下総勢千数百人を抱えるお偉い総団長様にな。さらに、おそらくは厚い警護の壁に囲まれているであろう教団幹部もだ」
「………………?」
シグオスは首を傾げた。なにを言おうとしているのか、理解できない。聞いている限り、当たり前の話だ。
すると、ダグはにぃと唇の両端を持ち上げた。悪魔が浮かべるような、陰湿で、見る者に嫌悪感を抱かせずにはおかない蔑笑。
「ふふん、相変わらず頭の巡りが悪いなシグオス。この程度のことは予定の内だと言っている」
シグオスは頭の奥で何かが切れそうになるのを感じた。頬が引き攣る。体中の血管の圧力が上がってゆく。
この若僧は変わっていない。半年前と何も。あの人を小馬鹿にした笑みは、ヘイズ=タッカードという片腕を失ってさえ、消えないのか。
「はっ、馬鹿なことを! たとえ予見してようとも、この重装備の聖騎士の壁を乗り越えるのは不可能!」
「壁か」
ダグはもう一度、周囲で槍を構える十二人の長槍兵を見渡した。
「厚ければその上を飛び越え、高ければ低くするだけの話だ。――おい、そこの女、マリアとか言ったな。巻き添えを食って死にたくなければ離れていろ」
「やらせるな! 殺れ!」
号令一下、満月の光を弾いて十二本の槍が一斉に突き出された。
―――――――― * * * ――――――――
「待て、迂闊に近づくなっ!」
ルッツに近づこうとしていた聖騎士の背後から上がった一喝に、聖騎士だけでなくルッツ自身も驚いて思わず身をすくませた。
ルッツが目の前で壁になっている聖騎士の脇から声のした方を覗くと、十数人の中でただ一人聖騎士らしからぬ姿をした男と目が合った。年の頃は四十代ぐらい。革のジャケットにジーンズのズボン、丈の高い革のブーツ。髪の色は夜なのでよくわからないが、荒っぽく刈り込んでいる。騎士というより、ダグの仲間か町のチンピラ風だ。
その男は、ルッツを鋭い眼差しで睨みつけながら続けた。
「そいつが今の『不死身のアレス』かも知れねえ。油断するな」
ルッツは顔をしかめた。
不死身のアレス? その話を知っているということは……ひょっとしたらあの男がリアラの後釜なのか。
次の奴はお前を殺してでもバンダナを奪いに来るぞ、というダグの注意が脳裏に甦り、緊張に足が震え始めた。
ここだ。ここが勝負どころだ。がんばれ、僕。
そんなことを念じながら、ルッツは両手を広げてみせた。見据える先は目の前の聖騎士ではなく、あの男。
「――僕はもうバンダナを持っていません。なんなら、ここで調べてもらっても結構です。どこにあるかは、言えません。教皇様に会わせてくれたら、教皇様にお話します。お願いします、僕をスラスに連れてってください」
言いながら、ルッツはダグがバンダナを見せびらかすことのないように、と祈っていた。ダグがそんなことをするとは思えないが、万一ダグが持っている事がバレたら自分は用なしだ。せっかく考えたスラス行きの計画が全部パァになってしまう。
ルッツを囲んだ聖騎士は、振り返って指示を求めていた。
あの柄の悪そうな男と、ひげ面の聖騎士隊長が何事か話している。
やがて、男は自ら近づいてきた。聖騎士たちを数歩退がらせ、ルッツの前に立つ。
しばらく何も言わず、じっとルッツを見下ろす男。
やがて、その沈黙に耐え切れず、ルッツは口を開いた。
「……あの」
「レンディル=ゼラニス。アスラル西部戦線、義勇軍『森の守護者』エキセキル方面部隊指揮官。『将軍』と呼ぶ奴もいるが、俺は気に入っていない」
「ゼラニス……将軍って……あ!!」
西部戦線の英雄の名前だと思い至り、顔を輝かせた刹那。視界がブレた。
気がつけば、芝生の上に這いつくばっていた。左の頬に痺れがある。鼻の奥につんと嫌な感じが広がる。
殴られたのだ、と気づいたときには襟首をつかまれて引きずり起こされていた。
「ゼラニス殿!」
男の背後から、ひげ面の騎士隊長の声が響く。だが、ゼラニスはルッツの胸倉をつかんだまま、離さなかった。両の瞳に、激しい怒りの炎が燃えている。
「あ……ぐ……」
「おい、クソガキ。お前、自分が何をしたかわかっているのか」
「え……」
痺れていた左頬が、熱を放ち始める。痛みが生まれ、頬の肉が腫れてゆくのがわかる。
「貴様が余計なことをしたおかげで、死ななくていい人間が死んだ。彼らに救われるはずの人間もたくさんいたのに、貴様の考え無しの行動のおかげで……なのに、バンダナはない? 教皇にだけ教えるからスラスに連れて行け? 大人を甘く見んなよ、クソガキ。てめーみてーな大人をなめたガキは、躾け直してやる。ここでなっ!!」
そのまま、もう一度左頬に拳が炸裂し、再びルッツは芝生の上に這いつくばった。
その横腹に、続けて容赦ない蹴りが入る。
「え、げぇ……っ!」
蛙の鳴き声のような声を上げて息を吐いたルッツは、その場を転がりまわり、吐いた空気を求めて何度も息を吸い込む。
「よせ、ゼラニス殿!! ……お前らも止めろ!」
這いつくばったルッツが荒い息を繰り返しながら見上げる先で、ゼラニスは騎士団数名に押し止められながら、叫んでいた。
「教えてもらう必要なんざねーよ、しょせんガキだ! こいつの足取りをもういっぺん洗い直せば、どっかで出てくる! そんなことより、アスラルの平穏を乱そうとすればどうなるか、骨身に叩き込んでやるのが大人の務めってもんだろうがっ!! ガキの頭でひねり出した程度の小賢しい知恵なんぞ、大人に通用しねえってことを教えてやらなきゃならねーんだよっ!!」
「気持ちはわかるが抑えられよ、ゼラニス殿っ!」
暴れるゼラニスを押しとどめるため、アクソールまで加わった。
―――――――― * * * ――――――――
十二本の槍の穂先が閃いた瞬間、ダグは背後の階段上へ飛び退がりながら、夜目にも白い粉をばらまいた。それは建物を越えて吹き下ろす風に乗って、たちまち槍兵達の間に広がった。
唐突に視界を塞いだ怪しげな粉塵の煙幕に、逃げられる者は慌てて距離を取った。
「くそ、ただのこけおどしだ! 恐れるな、奴を串刺しにしろ!」
だが、シグオスの声に反応した槍兵はいなかった。それどころか次々に槍を取り落としてゆく。
「な、何をしている! 貴様ら……」
槍兵達は痙攣し、悲鳴に近い呻き声をあげながら分厚い甲冑の胸をかきむしり、あるいは転がり回って、必死にバイザーの下りた兜を外そうと躍起になっている。
兜の中でそのまま嘔吐している者、口許のスリットから泡らしきものを吐いている者……。一瞬で辺りは地獄の惨劇の様相を呈していた。
「お、おい!? なんだ? ……いったい何が起きている!」
突然壊滅した槍兵部隊。ありえない光景。混乱しきったシグオスの声はうわずっていた。
マリアはもうその隣にいない。いつの間にか遥か彼方まで避難していた。
「……槍兵というのは、密集してこそその能力を最大限に生かすことができる。しかし、密集するがゆえにこういう攻撃には滅法弱い」
苦しみ悶える十二体の甲冑の向こう――風に吹き散らされてゆく白い粉塵の彼方から響く、笑みを含んだダグの声にシグオスの表情が凍りつく。
「な……な……な…………何をした、貴様ぁぁっ!?」
「クルスレードには面白い蛾がいる。蛹の間だけ猛烈な毒を体に含むクルスレードの紫という種類の蛾だ」
玄関ポーチの階段上から、ダグは手にしていた巾着袋を投げ捨てた。その中に白い粉が入っていたのか、地面に落ちた巾着袋の口から、小さく粉塵が舞った。
「その蛹を煎り上げ、潰し、ちょっとした薬を混ぜた毒粉を撒いた。少量を吸い込めば、多少の幻覚作用が現れる程度の代物でな。ガルウィンやウルクス辺りのギルドでは、かなり高額の取引対象にすらなっている。だが、この近さでこの量を食らえば、急性中毒で即死に至る……だから言っただろう? この程度の危機は予定のうちだと」
ダグは再び階段を下りて路上に足をつけた。その表情は飄々として、いささかの陰りもなければ、陽気さも見当たらない。ただまっすぐにシグオスだけを見据えている。
「ど…………毒を撒くだと……! き、貴様それでも人間か……っ!!」
頬を攣らせ、ようやく絞り出した悪態を、ダグは鼻で笑い飛ばした。
「何をいまさら。貴様とて女子供を人質にとった挙句、その人質さえ殺してみせただろう。ああいう手を使っていいのなら、俺がこの程度の禁じ手を使ったところで、責められるいわれはない」
ダグはシグオスに向かって歩き始めた。足元に転がる甲冑騎士どもなど、初めから眼中にない。
「それとこれとは話が……」
そのとき、いきなり甲冑の一つが剣を抜き放ち、倒れたままダグの足に向かって切りつけた。
だが、ダグはそれを容易く躱してその肘を踏みつけるや、そのままなんの躊躇もなく肘関節を踏み折った。
たちまち上がる絶望的な悲鳴が、シグオスとその周囲を固める八人の騎士の恐怖を煽る。
「違いはしない。お前と俺の戦いにはもはや何の障害も拘束事項もない。それを確認しあっただけの話。後は……お互いの武芸と知略だけが頼りだ。もっとも、それでは貴様の勝ち目はないだろうがな」
馬上で言葉を失うシグオス。
狂気じみた昂りに満ちた笑みを頬に刻むダグ。
「さあ、決着をつけようか」
漆黒のマントを跳ね上げ、剣を抜き放つ。
「アクソォォォルッ!!」
いきなりシグオスは、夜闇が震えるほどの大音声を上げた。
たちまち、周囲の家で家人が起き出す気配がする。
「アクスォォォォルッ!! アクスォォォォォルッ!! 応援をよこせぇぇぇっ!!!」
続々と周囲の住宅から飛び出して集まってくる野次馬群衆の気配を一切無視し、シグオスは叫び続けた。
―――――――― * * * ――――――――
「………………くせに……」
腕を伸ばして上体を支え、立ち上がろうとするルッツの漏らした呟きに、ゼラニスはふと動きを止めた。
「なんだ? おいガキ、今なんつった? 言いたいことははっきり言え!」
「……うるさいバカっ!!」
ゼラニスだけでなく、その場にいる大人全てがきょとんとした。
ルッツはつかんだ芝をぶちぶちむしりながら、立ち上がった。その目からあふれ出る涙は、殴られたからか、それとも悔しさの涙なのか、自分でもわからなかった。
「なんにも知らないくせにっ! あんたの言ってることなんか、とっくにわかってる! 僕だって、クアズラー様やリアラが殺されて悲しいんだ、辛いんだっ! あの人たちが殺される理由なんてないなんてこと、よくわかってるよ! だけど……だけど、僕はあの家を出るしかなかったんだ! 家を出たら、ダグに会って、こうなっちゃったんだ! 仕方ないだろっ!」
呆然と聞いていたゼラニスの顔が、たちまち引き攣った。
「仕方ないってのはどういう意味だっ!! それこそ、自分の責任を自覚してないガキの証拠――」
「今は僕がしゃべってるんだ、黙れバカっ!!」
足元に転がっていた石ころをつかみ上げ、ゼラニスに投げつける。
石は狙いを逸れて、ゼラニスを押さえていた聖騎士の鎧にぶつかり、明後日の方向へ消えた。
慌てて他の聖騎士が、ルッツを押さえようとする。ルッツは叫び続けた。
「偉そうなこと言ってるけど、あんたはどうなんだよ! 僕があの家でどうにもならないときに、あんたは僕に何をしてくれた!? 戦争して、人を殺して、殺されて――そうさ、僕はあんたの活躍を聞いて、読んで、知って、心が躍っていたんだ! いつかあんたやシグオス総団長みたいな凄い英雄になりたいって! 両親からでさえ邪魔者扱いされてる今の境遇を打ち消して、余りある栄光をつかんで見せるんだって! そうだよ、僕がここにいるのはあんたやシグオス総団長のせいじゃないか! あんたがあんな活躍しなければ、僕はここにはいなかったかもしれないんだっ! だったら、みんなが死んだのはあんたのせいでもあるんじゃないのかよっ!!」
「な……」
ゼラニスは絶句した。
「理不尽か? そんな理不尽な理由があるかって思う!? でも、あんたは今そう言ったんだよっ!? 僕のことを考えなしの行動だって! 僕は考えたんだよっ! 確かに僕はガキだけど、ガキなりに考えて考えて、考えた末に、こうしたんだっ!! 僕のことを知りもせず、僕がどんな思いであの家にいたかも知らないあんたなんかに、考えが足りないなんて言われる筋合いは、これっぽっちもないっ!!」
「こ、の……!!」
聖騎士を掻き分けてなおルッツに迫ろうとするゼラニス。
言いたいことを言ったルッツはもう抵抗せず、自分を抱きかかえるようにして動きを封じている聖騎士のなすがまま、後退ってゆく。
「離せっ!! あのガキだけはっ、あのガキだけはっ!」
「ゼラニス殿っ!!」
「うるせえっ、離せっ!! 俺が、俺たちが二十年も戦ってきたのはあんなガキに夢を見せるためじゃねえっ!! 自由をつかむ戦いがどんなものか知らんくせに、いっちょ前の口利きやがって……あいつの勝手な夢の責任を、何で俺たちの人生を懸けた命懸けの戦いに!! 許せねえっ!! 俺たちの戦いを、その戦いで死んでいった連中を侮辱しやがったんだ、あのガキはっ!! 絶対にぶっ殺す!!」
「落ち着きなさいっ!!」
夜闇に甲高く、平手打ちの音が鳴り響いた。
叩かれたゼラニスは、叩いたアクソールを呆然と見やる。
アクソールもやや高ぶった面持ちで、息を荒げていた。
「傍(はた)から見れば、あなたの行動も充分短絡的でガキ臭い。これ以上幻滅されぬうちに頭を冷やし、元のゼラニス殿に戻ってください」
ゼラニスは何か言いたげに口を開いたものの、何も言わぬままがっくり首を折った。
「……すまん、アクソール。見苦しい姿を見せた」
「なに、気持ちはわかります。お気になさらず」
元気付けるように荒い息に上下するゼラニスの肩を軽く叩いたアクソールは、ルッツの方に足を向けた。
近づいてきた騎士団長に、ルッツは身を固くした。
「ルートヴィッヒ=クラスタ君、だったな」
足を止めて、静かに口を開く。
「……ルッツ、でいいです」
そう言って、ルッツは頭を下げた。
「僕はどうしてもスラスに行きたいんです。どうか――」
そのとき、どこからともなく大音声が聞こえてきた。
『アクソォォォルッ!!』
呼ばれた本人が顔をしかめて、声のする方角を見やる。
「……シグオス総団長?」
寝静まっているはずの周囲の家の窓に次々と灯がともってゆく。
『アクスォォォォルッ!! アクスォォォォォルッ!! 応援をよこせぇぇぇっ!!!』
たちまち、聖騎士団が浮き足立った。
アクソールは間髪入れずに命じた。
「……全員、表へ回り込めっ!!」
「バカ野郎、向こうの辻までどれだけあると思ってやがる! 家ん中突っ切った方が――」
ゼラニスのもっともな叫びに、アクソールは叫び返した。
「相手はあの黒衣のダグですぞ!」
「はぁ!? ……何の関係があるんだよ!!」
「家の中に何か仕掛けられていないとも限らない。戦うための空間も玄関までの道筋も限られる家の中では、甲冑騎士の利点は全て奪われる。緊急事態だからこそ、危ない橋を渡るわけにはいかんのです! 大丈夫、表には総団長がおられる! このくらいの時間は必ずもつ!! ――お前とお前はこの少年に縄をかけてから、ゼラニス殿と一緒に来い!」
それぞれを押さえていた部下達に命じ、アクソールは甲冑をがちゃつかせながら走り出した。
―――――――― * * * ――――――――
人目もはばからずアクソール団長に助けを求めたシグオス総団長の意を察したか、八人の軽装騎士は応援を待たずにダグへと殺到した。
「時間稼ぎか」
それだけではないことは、八人の瞳に燃える怒りの炎を見ればわかる。十二人の槍兵の仇を討つ気満々だ。
ダグは足を止め、迎撃の態勢を取った。
騎士たちは左右へ分かれ、即座にダグを取り囲む。盾を構えている。押し包んで、文字通り四方八方から刺し貫くつもりらしい。
「ほう? 奴の部下にしては動きがいいな」
飄々と呟くダグのこめかみに、じっとりと汗がにじむ。
眼前の敵もさることながら、今ダグは内なる敵に呻吟していた。
なにが契機だったのか。剣を抜いたことか、それともその際に放った殺気か――いずれにせよ、抑えがたいほどの昂ぶりが心の中に湧き上がってくる。まるで燎原の野火だ。平静を保とうとする心の動きを嘲笑うかのように、理性も、心も、感情も、そして意識までも飲み込んでゆく勢いのこの衝動は……破壊衝動か。
狼のごとくに咆哮をあげたい衝動。抑えるのに苦労するほどの好戦的な感覚。全身を隅々まで走り回る、多すぎるほどの稲妻にも似た力。
その全ての源泉は、額に巻いたアレスのバンダナだった。
(なる、ほど……? これが、『破壊の巫女』ルージュの力の真骨頂……そして、『蒼きバンダナのアレス』の真実か……!)
自分はかなり抑制的な人間だという自負がある。その訓練もしてきた。にもかかわらず、これだけ抑制に苦労するとなると、そういう訓練を積んでいない者などあっという間にこの衝動に飲み込まれ、破壊の権化と化すだろう。
たとえばルッツがこれをつけ、前後の見境なしに戦ったとしても、シグオスを含めて九人を殺すことなど造作もないに違いない。
もちろん、自分が使えばどうなることか。
だが。
今回はそれではいけない。
この力を使うこと自体にためらいはない。だが、現状でこの力に身を委ねれば、意識ごと持っていかれる。
それではいけない。シグオスの最期は、この眼にしっかりと焼き付けねばならないのだ。前後の見境を失って、勢いで倒してしまってよい相手ではない。それでは意味がない。
(……落ち着け。今はまだ、貴様の出番ではない。退け!!)
ふぅ、とため息を一つ吐いたダグは両手で剣の柄を握り、真っ直ぐ正面に構えるとごく自然に目を閉じた。
突然の奇行に、周囲を囲む聖騎士達の間に動揺が走る。しかしそれも一瞬のことだった。ダグが動かないと見るや、お互いに頷き合って盾で押し包みにかかった。
その途端、ダグはかっと眼を開いた。構えた剣を振り上げ、左右背後の聖騎士には一切構わず、真正面の騎士に打ちかかった。
騎士はとっさに盾を頭上に掲げた。
自分の役目は相手の剣を受け止めること。動きを止めてしまえば、とどめは他の騎士がする。よく訓練されたいい動き、判断だった。しかし――鉄板に岩をぶつけたような音が轟いて、盾は真っ二つに砕けた。盾を構えていた騎士ごと。
顔面を縦に割られてのけぞり倒れる騎士。その身体の上を転がって、囲いから逃れるダグ。
立ちすくむ七人の騎士と、言葉を失ったシグオス。
ただの盾ではない。鉄で補強した頑丈極まりない盾だ。貫くには、充分な助走をつけた突撃槍(ランス)が必要になるほどの。剣ごときで、しかも貫くのではなく叩き割るなど、不可能だ。人間業ではない。
「……ば……馬鹿な……!? ヘイズ=タッカードじゃあるまいし、なぜ貴様が……!?」
呻くシグオス。
ダグは剣士としては非力な部類に入る。したがってどうしても技巧に走り、鎧の隙間を狙うことが多くなる。だからこそシグオスはその剣技を封じるために、隙間の極端に少ない甲冑の槍部隊と、盾を携えた軽装部隊を用意したのだ。
剣技さえ封じてしまえば、一人のダグに勝ち目はない。そういう計算のはずだった。その思惑を木端微塵に打ち砕く一撃。
「技も極めれば力となる。……それが秘剣『剣断ち』だ」
包囲を破ったダグは、少しばかり余裕をもって剣の切っ先を七人の騎士達に向けた。
「ひっ、ひけん……つるぎだち?」
理解不能の体で呟く騎士達に、ダグは得意気に講釈をたれた。
「刃が“斬る”という最大の効果を発揮するために必要なのは、筋力ではない。刃が対象に当たった際に生じる反動や逃げる力などの無駄を一切省き、全ての力がそこへ集まるようにコントロールしてやれば――俺程度の筋力でも、受け止めようとした相手の剣を断ち割ることも出来る。もっとも、盾を割ったのはこれが初めてだがな」
おそらくは、抑えても湧き出しているルージュの力のせいもあるだろうが、ここで言う必要はない。
「相手の動きを見切る眼、読みの早さ、おのがイメージを寸分の狂いもなく実現する肢体(からだ)……一分の乱れも許さない正確な剣のコントロールが実現できてこそ可能な技の極み。それが、『剣断ち重ね斬り』。……ま、ヘイズやシグオスのような筋肉バカには、逆立ちしても無理な芸当だ」
総団長をこけにされ、屈辱に頬を攣らせた騎士の何人かが踏み出そうとした――が、一歩たりとも進めずにその場で凍りついた。
わかったのだ。今飛び込めば間違いなく殺られると。
彼らの動きを止めたものは、一切の表情を消したダグの一瞥。侮りも蔑みも、余裕も緊張もなく、ただじろりと七人の騎士を見ただけ。
しかし、その瞬間に騎士達は彼我の隔たりを嫌というほど感じ取らされた。生まれて以来幾多の戦場で死線をくぐり抜けてきた傭兵と、町の治安を守るために配属され、さほどの実戦を経験していない若い騎士との隔たりを。
「ふむ、見知った顔はいないな……。雑魚に用はない。命だけは助けてやる。動くな」
格の違いで七人の騎士を金縛りにしたダグは、踵を返す。
その肩から、冷たく青白い炎が一筋、ゆらりと立った。