蒼きバンダナのアレス Last Episode
〜Cross Fates〜【DUG/RUTZ】

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復讐の系譜

 夜中、ルッツは寝込みかかったところを、いきなり激しく扉を叩く音に起こされた。
 扉の隙間から覗いてみると、そこには若い娘の姿が。つい二日前の夜を思い出した。
 しかし、今度はリアラほどきれいでもなければ、思わずのぼせ上がるほどの色香もない。
 くすんだ金髪をひっつめにして、ピンク色のセーターに厚手の長いスカート。鼻の辺りにはそばかすが散らばっている。年はルッツより少し上……二十歳にはなってないだろう。まあ、いわゆるどこにでもいる町娘風だ。
 何か差し迫った事情でもあるかのように、娘は妙に落ちつかなげな様子だった。
「あの、何か――」
 ずいぶん新しいやり方で攻めてきたな、と思いつつ、用心深く扉の間から応対しようとすると、その女性はいきなり靴の爪先を突っ込み、一息に扉をこじ開けてきた。
「うわ」
「あなたがルッツ君ね!? 栗色の髪の十四、五歳の男の子! 君、ダグっていう人、知ってるわよね!? 黒づくめの、ほら、額にまで黒いバンダナを巻いた……」
 あまりに一生懸命ダグを説明する彼女のその気迫に、ルッツは思わず頷いていた。
「あ……ああ。知ってるけど。で、ダグさんがどうしたのさ? 言っとくけど、僕は寂しくなんかないからね」
「はぁ? 何言ってんの? あの、あたし、東三番街のカンデール様の家で使用人やってるマリアっていうんだけど、そのダグさんが屋根から落ちてきて、君を呼んでんのよ」
 あまりにもあけすけな言い方に、ルッツは戸惑った。怪しすぎる。まるで子供を誘拐する手口だ。そんなに自分は騙され易そうに見えるのだろうか。だいたいあの『黒衣の死神』が屋根から落ちるようなへまをやらかすはずがない。
 ルッツは大きくため息をついて、大人ぶった仕種で戸口に寄りかかった。
「はぁ〜あ……あのね、僕をそんなに子供だと思ってんの? そんな見え見えの手に引っかかるほど――」
「ああん、もう。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ、何わけのわかんないこと言ってんのよぉ!!」
 マリアは急に涙目になって、駄々っ児のようにその場でばたばたと足踏みをした。
「あんた、彼の知り合いなんでしょ!? だったら何とかしてよぉ。御主人様達は巡礼旅行で居ないし、外じゃやたらと聖騎士がうろついてるし、こんな夜中にあんな怪我人まで抱えさせられてさぁ……お願い! とにかくうちまで来てよ!」
「う、うわっ」
 とうとうマリアはルッツの腕をつかむと、強引に引っ張り始めた。物凄い力だ。ここで必死に踏んばるのも格好悪いし、こんな夜中に宿屋で騒ぎ立てるのもさらに悪い事態を招く、と判断したルッツはとうとう折れた。
「わかった、わかったよ。行くからちょっと待って。僕にも用意ってものが……」
「早くしてよぉ。聖騎士の目を盗んできたんだからさ」
「聖騎士がどうしたのさ」
 聞きながら部屋の中に戻り、もうどうにでもなれ、と半分やけっぱちの気分で、買ってきたばかりの革製の胸当てを身に着ける。
「んー……。よくわかんないんだけど、何か変にものものしい気配なのよ。……ねえ、念のために聞いとくけど、あんた達と関係無いわよねぇ」
 答えず、ルッツは武装した自分の姿を見下ろして一人悦に浸った。思ったより格好いい。だが、今は見とれている場合ではない。
 後ろ腰に布で包んだ小剣を差し、隣の寝台に放置されていたダグのザックを引っつかんで、不安そうに腕を抱いているマリアの元に戻った。
 ルッツの姿を見たマリアは目を丸くした。
「なに、その格好……やっぱりあんた達危ない人なんじゃ……」
「なに言ってんの。僕は冒険家なんだから、これぐらいは当然だよ。世の中危ない事だらけなんだから。さ、行こうか」
「冒険家ねぇ……」
 マリアは得意気に胸を張るルッツを、疑わしげな眼差しでじろじろと見ていたが、とりあえずダグを何とかしたいという思いが強いのだろう、首をかしげただけで特に何も言わず、先に立って駆け出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 大司教セリアスが暗殺され、荒れに荒れているオービッド聖騎士団本部に、徒歩で三日かかる距離を丸一昼夜、馬で駆け抜けて来たシグオス総団長が到着した。
 ハイデロアで乗り換えた馬は既に疲労困憊で、即座に馬屋の方へ連れていかれた。
「早く次の馬を用意しろ! この後からも聖騎士が続々とやって来るからな、そいつらの休憩場所を確保しておけ! ――アクソール、アクソール! アクソールはいないか! ……なんだ?」
 鎧を打ち鳴らしながら二階建てのレンガ造りの建物内へ足を運んだシグオスは、その内部の慌ただしさに、汗だらけの浅黒い顔をきょとんとさせた。
 見知った顔の若い部下達が、オービッドの地図を囲んで何やら書き込んでいる。そこへ胴鎧だけを身に着けた団員が外から戻ってきては何事かを報告し、再び出て行く。報告された者は、さらに何事かを地図に書き込む。その慌ただしさは、まるで戦場の本陣だった。
「……何だ? 何が起こっておるのだ?」
「こ、これはシグオス閣下!」
 戸口に立っている総団長に気づいた近くの騎士が、慌てて踵を打ち鳴らして敬礼した。その敬礼が室内中に伝播してゆく。
「よい。仕事を続けよ。アクソールはどうした? オービッドの責任者は奴であろう」
「閣下、よくおいでくださいました」
 不意に背後で大きな声が轟いた。振り向くと、黒髪黒鬚の鎧騎士が敬礼をとって直立している。
 シグオスには及ばないががっしりした体格で、並ぶと肌と髪の色の違いを除けば兄弟のようにも見える。
 自分と同じ完全武装の五歳年下の部下の姿に、シグオスは安堵して相好を崩した。
「おお、アクソール。この慌ただしさはどうしたことだ?」
「はっ、実は今夜、大司教セリアス卿が殺害されまして、その犯人追跡のための――」
 汗にまみれたシグオスの浅黒い顔が、たちまち怒りの朱に染まった。
「ダグ=カークスだな」
 先を越された、という思いとともに、ダグの動きの早さに翻弄されている自分と聖騎士団の不甲斐なさが無性に悔しく、腹立たしい。
 即座に犯人を看破されたアクソールは、驚きの眼差しをもって上司を見た。
「なぜ、奴だと……いや、実は目撃証言から奴だとは思ったのですが、確信が得られずにいました――ひとまずこちらへ」
 応接室の扉を開けて、上司を案内する。
 シグオスは応接室の二人がけのソファに、どっかり腰を下ろした。鎧を着た騎士の荷重に、古びたソファは悲鳴をあげた。
「貴様も聞いているだろう。一昨日、ウルクスでクアズラー卿と女官長リアラ=ベイルが殺害された。その前はメルガモの聖騎士団七名が犠牲になっておる。これだけのことができる奴に、奴以外の心当たりはないし、こちらにはされるだけの心当たりがある」
 アクソールは汚物でも見たかのように顔をしかめた。
「やはり半年前の……あれですか」
「恐らくな。宣戦布告のつもりなのか、当てつけのつもりなのかはわからぬが……」
「しかし、メルガモの一件の後、相当数の団員をウルクスから現地に派遣しているのに、いまだにまったく足取りが捉えられておりません」
 アクソールは言いながら水差しからグラスに水を注ぎ、総団長に渡した。
「そればかりか、唐突にウルクスであの事件。さらには今夜の事件。正直、奴の仕業と聞いても、いささか信じられないのが本音です。奴は、どうやって我々の捜索網をかいくぐっているのでしょうか? この森は奴にとっては未踏の敵地であるはずなのに」
「……しかも、子供連れでな」
 グラスの水面に映る自らの顔を睨んで、シグオスは呻いた。
「メルガモからウルクスへの足取りはわからんが、事件の狙いはわかる。騒動を起こせば、それに応じて周辺諸都市――特にオービッドのような人員集積地から増派される。そうして手薄になった次の都市へ隙を縫って侵入してゆく。恐らく次の目的地は、ハイデロアだろう。最終的にはスラスか? ふん、奴の考えそうな姑息な手だ。混乱して右往左往しておる聖騎士団を見て、ほくそえんでおるのだろうよ」
 ぶるぶる震える右手に気づき、一息でグラスをあおる。空のグラスをアクソールに突っ返す。その頬には不敵な笑みが刻まれていた。
「だが、ここへ来て奴は失敗した。よもや聖騎士団が今晩、ここに大挙して来るなどとは思ってもいまい。……城壁の門は?」
「つい今しがた、全て閉じたと連絡が。御存知のように、それぞれの扉は一人や二人では開けることはできません。また、城壁をよじ登って飛び降りるのも、常人には不可能です」
「ふむ。まさに袋のネズミだな。……それで、奴を追い詰めたとして何人動員できそうだ?」
「時間にもよりますが、今すぐならこの場に居る二十人がいいところでしょう。閣下が引き連れてこられた部下は、何人ほどで?」
「教皇猊下に怒鳴られて飛び出してきたのでな。今は我が身一つだ。一応スラスとハイデロアの全団員に来るよう伝令は飛ばしておいたが、誰がこちらに来ているのか、皆目見当もつかん」
「わかりました。では、閣下が来られたハイデロアからの街道への門だけ、警備を増員したうえで開かせておきましょう」
「頼む」
 アクソールは応接室を出て、手近にいた部下に指示を伝えると、すぐにシグオスの元に戻ってきた。
 シグオスは全身をソファに預け、天井に向かって大きな吐息をついていた。
「しかし、問題ですな。シグオス様からして、そのお疲れよう。他の者はここに辿りつけても戦力に数えられますまい。それに、市内の巡回を減らせぬ以上……明け方まで純然たる待機状態にしておけるのは十名ほど、ですか」
 腕を組んでううむ、と深刻な唸りをあげるアクソール。
「まずいな。夜が明ければ門を開かざるをえん。そうすれば取り逃がす可能性も出てくる」
 指で顎をなでながら、視線を虚空にさまよわせているシグオス。
「……逃げるでしょうか?」
「なに?」
 シグオスは眼だけをアクソールに向けた。
「閣下がここに居ると知ってもなお、奴は逃げ出すでしょうか?」
 たちまち言いたいことは伝わった。敵が復讐を求めてさまよう狼ならば、その求める餌を与えてやれば、思うところへ誘い込めるというものだ。
 シグオスの顔に、笑みが広がる。
「なるほど、俺が餌か。奴がどういう計画で動いていようと、最後の狙いは俺……俺がここにいるとなれば、奴も腹案を変えざるを得まい。その綻びが奴の命取りになる。……よし、夜明けと同時に俺の到着を町中に知らせろ。それから今のうちにウルクス、メルガモにも伝令を飛ばして、応援を呼んでおけ。総勢で百五十ほどは集められるだろう。奴の退路を断つのだ」
「全く、戦でもするかのような騒ぎですな。住民が不安がらねばよいのですが……」
 気弱な発言をぼそりと漏らしたオービッド聖騎士団団長に、総団長はたちまち眼を剥いて詰め寄った。
「寝ぼけるな、アクソール。これは戦だ。相手があの戦神の化身、黒衣のダグだとわかったからには、そのつもりで全身全霊を傾けねば、例によって足元をすくわれるぞ。住民にしても、教団抜きにはこの町の平穏はありえんのだ。その教団を潰しかねない死神を屠るためだ。多少の不安で済むなら安いものだろうが」
 気を取り直して表情を引き締めたアクソールは、はっ、と踵を打ちつけ敬礼した。
「わかりました。では私はなるべくここ本部に団員を集められるよう動きます。閣下にはとりあえず奥でお休みを……」
「馬鹿を言え! 部下を働かせて自分だけが――」
 再び眼を剥いて睨みかけたシグオスは、アクソールが思い詰めた表情で見返してきたのに少々驚いた。
「ダグ=カークスを打ち破るためには、閣下が万全でなければなりません。言わば閣下は我が聖騎士団の最後の砦。その砦が疲れた様子を見せては、それこそ団員の士気にも影響が出ます。何とぞ閣下、今はご静養下さい」
「…………わかった。オービッドはお前の任地だ。お前に任せよう」
 心を落ち着けて鷹揚に頷くと、アクソールは深々と頭を下げた。
「ありがたき幸せ」

 ―――――――― * * * ――――――――

 しかし、シグオスに休息らしき休息は許されなかった。
 応接室を出た途端、彼の名を呼ばれた。
「シグオス!! 見つけたぞっ!!」
 怒りの混じったその声の主は、部屋に入るのを聖騎士団員に止められている男だった。
 その顔を確認したシグオスは、顔をしかめた。
「……ゼラニス? 奴といい、お前といい、珍しい顔と思わぬ場所で出会うな。今宵は」
「ゼラニス? というと……あの?」
 アクソールが驚いた顔つきで、シグオスとゼラニスを交互に見やる。
「うるさいっ! とにかく、お前に話があるっ!! ――その前にこれを何とかしろ!」
 これ呼ばわりされた聖騎士団員が、シグオスを見やる。シグオスが頷くと、戒めは解かれ、ゼラニスはシグオスの元へ駆け寄った。
「西部戦線の英雄が、なぜここオービッドにいる?」
 面倒くさそうに問い質すシグオスに、ゼラニスは苛立たしげに喚いた。
「色々こっちにも事情があんだよ! とにかく詳しい話をきちんと聞かせろ!」
「まあまあ、ゼラニス殿。何をいきり立っておられるのだ。少し落ち着いて……」
 割って入ったアクソールを、ゼラニスは睨みつけた。
「落ち着けだ!? 付き添いで来たリアラは殺される、聖騎士団は振り回されて右往左往、挙句がここ聖騎士団本部への道を聞けば不審者扱いで勘繰られ、埒があかんので巡回の聖騎士の後をつけてみれば延々町中を歩かされ……この一刻の猶予もないって時に、散々無駄足踏まされた俺に、落ち着けだ!? てめえか!? てめえがここの頭か!? 部下に何を教育してやがるっ!!」
 八つ当たりの感も否めない喚きではあったが、アクソールは苦笑して頭を下げた。
「申し訳ない。御存知のように、状況が状況。ゼラニス殿の怒りもわかるが、なにとぞ御理解をいただきたい」
「そんなことより、ゼラニス。その様子では、セリアス卿のことも知っているようだな?」
 腰の低いアクソールとは対照的に、じろりとゼラニスを見下ろすシグオス。
 ゼラニスも負けじと斜に構えて、睨み上げた。
「ああ。クアズラー卿のこともメルガモの件もな。あと、奴がどうやってメルガモから捜索網を抜けたかもだ」
「なんですと!? それは本当か、ゼラニス殿」
 ゼラニスはうるさげに眉根を寄せて、アクソールを見やった。
「うるせえな。ウルクスで仕入れた話によれば、メルガモには寄らず、サラムナ経由で来たらしいぜ――って、そんなことはどうでもいいんだよ。俺が聞きたいのは――」
「詳しい話とは、この状況のことか?」
「それもあるが、一番聞きたいのは『半年前の話』ってやつだ」
 たちまち、シグオスとアクソールの顔色が変わった。一瞬顔を見合わせると、引きずり込むようにしてゼラニスを応接室に連れ込んだ。
 投げ飛ばすような勢いで、さっきまでシグオスが座っていたソファに座らせる――いや、押し倒す。
「貴様、その話をどこで!?」
「ゼラニス殿、何を知っておられる!?」
 つい今しがたとは打って変わって、二人の方が必死の形相になっている。
 ゼラニスはその気勢に呑まれて、目をぱちくりさせた。
「お、おう。ギルド経由の情報で聞かされた。半年前にシグオスが何かをしでかした。ダグ=カークスはそのことに対して動いている、とな。詳しい話は聞いてない。――で、何をしたんだ?」
 シグオスとアクソールは顔を見合わせ、大きく安堵の吐息を漏らした。
「……それは、言えん」
「申し訳ないが、ゼラニス殿は知らぬ方が良い話だ」
「ふざけんなっ!!」
 ゼラニスの拳が、シグオスの横っ面に入った。巨体が、ぐらりと傾ぐ。
 アクソールが青ざめる。
「リアラが死に、地域の精神的支柱たる司教や大司教が殺されているんだぞっ!? もうお前ら聖騎士団だけで収まる話じゃなくなってるんだ! いい加減、事の大きさに気づけっ!!」
 殴られたシグオスは怒りも露わにゼラニスを睨みつける。ゼラニスもしっかと睨み返した。
「なんだ、その面(つら)は。西部戦線の一部隊指揮官ごときが口を挟むな、とでも言いたいのか。言っておくが、俺はアスラルを守るために戦ってるんだ。西とか東とか教団に関係あるないは、それこそ関係ない。ここで奴を止められなければ西部のユーノンだって、どうなるかわからねえんだ。目先の責任論だけで片付けるつもりは毛頭ないからなっ!! さあ言え! 何があった!?」
「………………」
 シグオスは黙ったまま怒りに燃える表情で、ただ頬だけを引き攣らせていた。
「聖騎士団総団長ともあろう男が、だんまりかっ!? それでよく聖騎士団の星、鑑(かがみ)、英雄などと――」
「そこまでにしていただこう、ゼラニス殿」
 シグオスの前に立ちはだかるように、アクソールが割って入った。
「シグオス総団長はスラスより休みなく馬上にあったゆえ、疲れておられる。この先、ダグ=カークスとの決戦を考えれば、ここは休んでいただくのが上策。申し訳ないが――」
「そうやって、何もかも闇に葬れると思っているのか。ギルドの連中は何か感づいているぞ。確実にな」
「わかっている。あなたには、私から説明しよう。……総団長。ここは私に任せて、お休みください」
「アクソール……わかった。すまんな、頼むぞ」
 頷くアクソールに背を向け、心なしか肩を落として応接室を出てゆくシグオス。
 扉が閉じられると、アクソールはゼラニスにソファを勧めた。自らも向かいのソファに腰を下ろす。
「……少々、お聞き苦しい話となると思います。どうか、それを覚悟の上でお聞きください」
 両肘を膝の上に乗せ、目の前で手を組んだアクソールの姿は、何かに許しを請うているようにも見える。
 対するゼラニスはソファの背もたれに腕を回し、ふいっと横を向いた。
「心配するな。だいたいの予想はついている。いいから話せ。アクソール殿だって、暇ではないだろうに」
 ゼラニスのその物言いに、アクソールは苦笑を浮かべて話し始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 マリアの働く邸宅で、ダグはマントからバンダナに至るまで、装備の一切合切を外した姿で、居間の長椅子に横たわっていた。
 マリアは慌てて駆け寄ろうとする少年の襟首を捕まえ、ひっつきそうなほど額を寄せて冷徹に言い放った。
「いい? ただでさえこの家はあたしの家じゃないんだからね。用が済んだらさっさとあの宿屋に戻ってちょうだい。明日の昼には御主人様達も戻ってくるんだから。あと、怪しげなことはぜっっっっっっっ……たいにやめてちょうだいよ」
 その異様な迫力に押されて思わず、はい、と口走ると、途端にマリアはにっこりと笑ってルッツの背をぽん、と軽く叩いた。
「さ、早く行って。お湯ぐらいなら沸かしておいてあげるから」
「……ありがとう」
 長椅子に駆けつけたルッツに、薄く目を開けたダグはよぉ、と力の無い声で迎えた。初めて見る弱々しい姿だった。
「……何でお前がここに居る? 何かあったときは逃げろと言っておいたはずだ」
 顔をしかめながら起こした身体を背もたれに預け、深い吐息をついた。かなり疲れているようだ。顔色もすぐれず、眼の下には隈(くま)さえできかけている。
「外は聖騎士でいっぱいだよ。僕もマリアも何とかやり過ごしてきたけど……いったい何をしたのさ。……なんかやったんでしょ?」
「そうだな……」
 干渉するな、と言われるかと思いきや、ダグは珍しく思案顔で逡巡した。そしてかなり汚れた黒いシャツの上から左の脇腹をゆっくり撫でながら、ルッツのいでたちを見た。
「俺の言った通り、胸当てを買ってきたか。……ならいいだろう。今晩、オービッド大司教セリアスを殺してきた」
「…………え…………?」
 ダグの言葉の意味を飲み込むのに、たっぷり数秒はかかっただろうか。それほど信じがたい台詞だった。
「ど、どうしてさ!? オービッドのセリアス大司教様っていったらすごく優しくて、人望があって、憎まれるような人じゃないのに……どうして殺したりなんか……!!」
「そうか。だが、『創世の光』の大司教だったのは運が悪かったな」
「そんなんじゃごまかされないよ!! リアラの件だって納得してないのに……!」
「そういきりたつな。説明はしてやる……どうせ、この傷では……」
 再び疲れたように重いため息を吐く。かなり苦しそうだ。
 ルッツは顔をしかめた。
「傷? どこか怪我してるの?」
「それはいい。話を聞け……多分、あまり時間がない」
 何を感じたのか聞いたのか、ダグの視線が一瞬脇に逸れた。
「時間がないって……」
「いいから聞け」
 その威圧的な眼差しに、ルッツはたちまち口を封じられた。
「半年前まで俺は、クルスレードで『獅子の牙』という傭兵部隊の部隊長をしていた。俺が参謀にして第二部隊隊長、そしてヘイズ=タッカードが第一部隊の隊長だった。団長を除けば、まあ部隊の最高幹部だ」
 ルッツはようやく聞けたダグの身の上話に、目を輝かせて頷いた。
「ヘイズ=タッカードさんて……あの、タックの村の?」
「そうだ。十数年前にあの家を出て、色々あった挙句、うちの部隊に入隊したのだそうだ。あいつは――」
 ダグの目が遠くなる。
「――見た目そのままの豪放磊落な戦士だった。俺の立案したかなり無茶な作戦や、部隊の危険を奴の活躍で切り抜けたことも何度かあった。あいつは俺の片腕……いや、身体で、俺はあいつの頭脳だった。だが……森の外へ、その版図を広げたい教団――特に聖騎士団にとっては、俺とヘイズは無視できない眼の上のたんこぶだった」

 ―――――――― * * * ――――――――

「彼らは強すぎたのです。智のダグ=カークス、武勇のヘイズ=タッカード。彼らがいる限り、クルスレードは攻め落とせない、と団内で囁かれるほどに。実際、我らは公式には一度も"獅子の牙"に勝てなかった」
 アクソールはぼそぼそと漏らすように言った。
「そして…………事件は半年前に起こりました。そう、停戦協定が結ばれた翌日のことです」
 再び顔がうつむく。ゼラニスに隠したその表情は歪んでいた。
「ヘイズ=タッカードがノースティレイド近郊の町に住む、とある未亡人宅を頻繁に訪れている事がわかったのです」

 ―――――――― * * * ――――――――

「俺はやめておけと言った。七歳になる娘つきの未亡人だったしな。だが、あの馬鹿はこの戦が終わり次第結婚して、タックに帰るとまで言い出しやがった。その情報を得て、目を付けたのが聖騎士団総団長シグオスだ」
「シグオス様が?」
 疑問の声には答えず、ダグは一息ついて先を続けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「我々はその娘をその……かどわかし、人質として未亡人を脅し、人気の無い林にヘイズ=タッカードを呼び出させたのです。口が堅く、シグオス総団長に絶対の忠誠を誓う聖騎士団の精鋭五十人の待ち構える林へ……」
 その後は察してくれ、と言わんばかりに黙り込むアクソールに、ゼラニスは大きなため息をついた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ちょっと待って。ヘイズさんは一人で行ったんじゃないの? どうしてダグさんがその話を……」
 話を途中で遮られて顔をしかめたダグは、しかしそれでも仕方なさそうに答えた。
「それまでは普通に会いに来ていた女が、人気の無い場所に男を呼び出すときは、必ず何か裏があるものだ。ヘイズはその女を信じ切っていたが、俺は少なくとも信用していなかった」
「どうして?」
「ガキがいたからだ。女は強い。子供のためなら男など平気で踏み台にする。だが、逆に弱いとも言える。子供を盾に取られては、いかなる要求も拒否できない」
「娘さんという弱みがあったから、その人は信じられなかった……」
 違う。ルッツは気づいた。そういう考え方じゃない。強いとか弱いとかじゃなくて――
「そうか、"理"だ。その未亡人の"理"は娘さんを守ることにあったんだ。ダグさんはそれを知っていたから、疑って――」
「あのバカによく引き合わされたからな。それなりには話もしていた……正直、嫌な女ではなかった」
 ダグは唇に笑みを浮かべた。力ない微笑。思い出に向けられたその笑みは、いったいどんな思いを含んでいるのか。
「少しは頭を使えるようになってきたな。ルッツ」
 今度は紛れもなく、ルッツに向けられた笑み。
「え? あ。……うん。ありがとう」
 褒められた嬉しさに頬がほころぶ。
 ダグは一息ついて、話を続けた。
「続けよう。――現場に到着したとき、既に戦いは始まり、ヘイズはかなりの手傷を負っていた。部隊の精鋭四人を連れていた俺は、即座に聖騎士団に襲いかかった。部下の個々の実力と状況の有利さから、一人あたま十人を相手にするのもさほど無理な注文ではなかった」
「五十対五で……状況が有利って……」
 ルッツは眩暈がした。居並ぶ甲冑の騎士に、たった五人で挑む傭兵。まるで英雄譚の主人公だ。
 そんなルッツの高揚を感じ取ってか、ダグは鼻先で笑った。
「こちらの目的は人質とヘイズの救出だ。敵の殲滅ではない。ある一定の期間だけ敵の戦闘能力を抑えればいいのだから、その戦力比較はあまり意味がないぞ」
「そうなの?」
「相手はヘイズの怪力を警戒して甲冑装備だった。つまり、動きが鈍い。その上、障害物の多い林の中に五十人もの部隊をひしめかせていた。あれでは、外からの攻撃に即座に対応できない。襲われているのに身動きが取れなければ、人は焦りから正常な思考や判断力を失う。まして、自分達が後ろめたいことをしていればな。実際、不意打ちを受けた聖騎士団は混乱に陥った」
 その当時の混乱ぶりを思い出しているのか、ダグの唇は笑みに歪んでいた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「酷い戦いでした。次々討たれてゆく部下。恐慌をきたし、同士討ちをする者達。その隙間を、嘲笑うかのようにするするとすり抜けてゆく黒い影。誰かが叫びました。『死神だ、死神が来やがった』。ひょっとしたら、それも奴か奴の部下があげた声だったのかもしれません。いずれにせよ、部隊に動揺が走ったかと思うと……騎士と呼ぶにはあまりに不甲斐ないわめきを残して、戦線を離脱する者が相次ぎました」
 重いため息が口許の黒いひげを揺らす。ゼラニスは腕組みをして、ただ聞いていた。
「その中で、奴以外にもう一人冷静に戦況を見つめていた者がいました。総団長の腕の中にとらわれていた未亡人です。混乱の中で彼女は、総団長に何かを言いました。何を言ったのか、周囲の喧騒の中で傍にいた私にも聞こえませんでしたが、何か勝ち誇ったような表情だったのを憶えています。たちまち、総団長は顔色を変え――」

 ―――――――― * * * ――――――――

「――シグオスは未亡人の喉を掻っ切った。続けて、泣き喚いて母に取りすがる娘も」
「ええっ!? 嘘だ! シグオス様がそんな……」
 『創世の光』聖騎士団総団長シグオスといえば、その草創期以来、幾度の戦に大勝して今の教団の礎を強固堅牢なものにした立役者。アスラルの男の子なら一度は憧れる英雄だ。それが――
 ダグの言葉が胃の直前辺りで引っかかっているかのような違和感を覚え、ルッツの視線は見るとはなしに虚空をうろつく。
「信じる信じないはお前の勝手だが、これは厳然たる事実だ」
 顔を歪ませてうつむくルッツ。ダグは続けた。
「惚れた女とその娘を目の前で殺されたヘイズは、キレた。たちまち聖騎士団の連中はその怒りの餌食となり、シグオスさえ右脚に深い傷を負った。そのうち聖騎士団の人数が半分以下になるに至り、奴らはほうほうのていで逃げ出した。……だが、ヘイズはその無茶がたたって死んだ」
「それでダグさんはタックに……」
「話はまだ終わらん。シグオスはその暗殺計画と同時に、俺の部隊に対しても攻勢をかけていた。俺とヘイズ、二人の指揮者を見失っていた部隊は、数倍する敵に善戦しながらも、結局壊滅した」

 ―――――――― * * * ――――――――

「あれが……我々が……奴らから奪った、唯一の勝利だったのです」
「……勝利?」
 は、とゼラニスは鼻で笑った。
「聖騎士団の総団長が、停戦協定締結後に、女子供を人質を取って、だまし討ち――……の上に、人質にまで手をかけて?」
 指を折り折り皮肉げに吐き捨てる。
「さらに、停戦協定で油断している部隊、しかも頭を失った部隊を襲って壊滅させて、それで勝利だ? 本気か? いや、正気か? それは俺たち義勇軍の戦い方だぞ。聖騎士団はいつから俺たちや山賊の真似事を良しとするようになった?」
 組んだ両手に額を押し付けて頷くアクソール。
「――勝ちは勝ち、です。どれほど穢れていようとも」
「………………」
「シグオス総団長は虚より実を取ったのです」
「実? どういう意味だ? ……穢れを許されぬからこその『聖騎士団』だろう。その聖騎士団の、たった一度だけの穢れた勝利にどんな実があるってんだ」
「停戦協定など、いずれ破棄される。そうなれば、再び我らアスラルは奴らの脅威にさらされる。その前に、あわよくば奴を排除、それが出来ずとも弱らせておくぐらいはしておきたかったのです。そして、いかなる形であれ、我らは奴の手足をもぎ取った――我らは勝ったのです」
 両手を解き、開いた掌を拳に握り締める。
 ゼラニスは渋い表情で、そのポーズの割りに陰鬱なアクソールの顔を見つめていた。
「後に……奴自身もあの戦いで重傷を負い、生死の境をさまよっていると伝え聞きました」
「だが、奴は戻ってきた」
 その一言に、アクソールの頬が引き攣った。
「メルガモの聖騎士隊、ベイル女官長、クアズラー卿、セリアス卿……教団関係者を次々殺害しながら、この中枢都市群にまでたどり着いた。奴の目的が教団の壊滅か、シグオスへのあてつけなのかは未だにわからんが、これは明らかにお前達が呼び込んだ厄災だ。当分、アスラル東方教区は混乱するだろう。住民も不安を抱く。治安への不安をな。それでも、勝利か」
「………………」
「この件をアスラルの民が知ったら、シグオスの、聖騎士団の威信は地に落ちる。それでも、勝利か」
「………………」
「アクソール聖騎士団長」
 ゼラニスは足を組み替えた。
「俺は教団関係者でも信者でもない。まして、聖人君子でもない。聖騎士団の不始末を教団ぐるみで隠そうと、それをどうこう言うつもりはないし、お前らのやり口自体をこれ以上咎めるつもりもない。……義勇軍てのは、下手をすると山賊と同義語ってなくらい、手段を選ばず戦うこともあるからな。お前らがやったことも、これまではやったこたぁないが、この先もしないとは言い切れん」
 両手を広げて肩をすくめてみせる。すぐに目尻を吊り上げた。
「だがな、アスラルの平和――アスラルで日々を生きている罪無き人達にまで、何らかの累が及ぶのだけは見過ごすわけにはいかねえ。だから、これだけは言わせてもらうぞ。この始末、きっちりつけろ。これ以上、奴を野放しにしてしまうようなら俺は――」
 ふとゼラニスの声が途絶えた。
 アクソールが顔を上げると、ゼラニスは虚空を睨み上げていた。しまった、とでも言いたげに。
「……ゼラニス殿?」
「あ。……いや」
 正気を取り戻すように首を振って、ゼラニスは続けた。
「俺はもう、聖騎士団は当てにはしねえ。西へ帰って、独自に動く」
「………………」
 ソファの背もたれに背中を預けて天井を仰いだアクソールは、開いた掌の汗を塗りつけるように両手で顔を覆い、拭った。
「それは……重いですな……」
「………………」
 深い水底のような重い重い沈黙が漂う。
 そのとき、応接室の扉がノックされた。
「入れ――なんだ?」
 入ってきた部下は、ゼラニスに軽く会釈してアクソールに報告した。
「アクソール団長。今、有力な情報提供者が」
 ゼラニスとアクソールは顔を見合わせ、同時に腰を上げた。
「全身黒づくめのダグという男が、東三番街のカンデール邸にいると」
「その情報提供者は?」
「ここに――さ、入って」
 部下が一歩引いて、扉の脇に立っていた人物を応接室に招き入れる。
 くすんだ金髪をひっつめにして、ピンク色のセーターに厚手の長いスカート。鼻の辺りにはそばかすが散らばる町娘。
 娘は深々と頭を下げると、切羽詰った顔で訴えた。
「こ、こんばんは、聖騎士隊長様。あの、あたし、カンデール様の家で使用人として働かせてもらっているマリアっていいます。今夜、屋根の上から落ちてきた黒づくめの男が、栗色の髪の男の子にセリアス様を殺したとか言ってるのを、あたし、聞いたんです。ご主人様たちは巡礼旅行中で、あたし一人だけだし、怖くて……お願いします、何とかしてください」
 胸の前で手を組み、潤んだ瞳で何度も頭を下げる。
 アクソールとゼラニスの視線が交錯した。
「……来られますか?」
 オービッド駐屯聖騎士団団長の問いに、ゼラニスが当然とばかりに頷く――のに、マリアが割って入った。
「当然です! あたし、ご主人様たちから留守を任されてるんです! お屋敷に何かあったら大変だもの、絶対行きます!!」


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