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勇敢


 中身の詰まった西瓜を打ち砕いたような鈍い音が、静まり返った夜明けの大気に響いた。
 西の稜線に沈みかかった月を染めて、血飛沫が舞う。
 脳天から間欠泉のように噴き出す血飛沫の勢いに負け、両膝立ちの姿勢のまま、ゆっくりと後方へ倒れるミーカー。
 しかしアンナは手を緩めなかった。すぐさまその上にのしかかり、死の痙攣に打ち震える仇敵に何度も追い討ちをかける。獣のような咆哮をあげながら。
 相手が死んでもなお、狂ったようにトマホークの刃を振るい続けるインディアンの娘。
 ミーカーの頭部は、もはや原形をとどめていない。
 その正視に堪えない凄惨な光景に、自警団員達はうろたえ、怯え、一斉に逃亡を計った。
 南からはビッグオークが迫っている。北の丘陵地帯に向かえば、まだ生き残れるかもしれない。
 だが、その目論見は、一発の銃弾によって潰された。
 足元で弾けた土煙にぎょっとして振り向いた四人は、銃口を向けているジェラードを見た。
「……どこへ行く?」
 四人は慌てて、両手を頭上に差し上げた。
「まままま待ってくれ! 俺達はミーカーさんに命令されただけで……」
「そそそそそうだ、嫌々、嫌々だったんだよ!」
「もうこんなことは二度としない、頼む、許してくれ!」
「あんた達のことも誰にも言わない! 約束するよ! だから、見逃してくれ!!」
「だとよ。アンナ、どうする?」
「………………あ?」
 息絶えたミーカーに対し、執拗に何度も何度も斧を振るい続けていたアンナは、ようやくその声で正気に戻り、振り返った。
 四人は震え上がった。
 乱れた髪が血と泥にまみれた顔中に貼りつき、凄まじい形相になっている。荒い息を吐きながら袖でその汚れを拭うと、汚れはさらにひどくなった。
「………………ジェラードは?」
 敵の首魁であるミーカーを討ったことでおおむね満足したのか、今のアンナの目には血を求める狂気の光は宿っていない。ジェラードが見逃してやれ、と言えば黙って行かせるだろう。
 怯えきった四対の瞳は、アンナから再びジェラードに戻った。
 ジェラードは、ふ、と一息ついた。
「俺が決めることか? ……まあいい。戦意のない奴を殺りたくはない。行け」
 四人の顔がほころんだ。
「――ただし、南側からな」
 ジェラードは、悪魔の舌のように蠢く炎を濃紺の空へ噴き上げている町を指し示した。かなりの火勢だ。銃撃戦はまだ続いている。
「南の邸門を抜けて、町中へ出るんだ。そこから先はどこへなりと行け」
「ち、ちょっと待ってくれ! あっちからはビッグオークの奴らが――」
 慌てふためいて抗議の声を上げる男に、銃口をぐいと突きつける。
「自分の職務には責任を持つものだぜ、自警団? 町の様子を見てからでも遅くはあるまい?」
「しししししかし……」
 慌てふためき、北の丘陵地帯へ向かう道を見やる――アンナが立ち塞がった。
 思い詰めた顔つきで血の滴るトマホークを握り締め、左足を引きずり歩くユートの娘に大の男四人は震え上がった。その姿は、まるで死者の魂を刈り取るべく彷徨う死神か幽鬼だ。
 死神に唯一の安全な逃走経路を遮られた男達は、絶望に蒼白となってジェラードを振り返った。
 ジェラードは肩をすくめた。
「北へは行かさないそうだ。さあ、早くしないと本当にビッグオークと鉢合わせするぞ」
「じ、冗談じゃねえ……!」
 四人は攣った顔を見合わせた。だが、お互いにせっつき合うものの、誰も自分から動こうとしない。
「な、なぁ。さっき戦意のない奴を殺りたくないって言ったじゃないか。頼むよ、勘弁してくれよ」
 恥も外聞もなく両手を合わせ、哀願する。
 だが、ジェラードの答えはにべもなかった。
「こいつは運試しだ。神の御加護が失われていなければ、生き残れるだろうぜ。さあ、行けよ」
 銃口でもう一度、行くべき道を指し示す。
「ち、ちくしょおおっ!」
 ジェラードが助けてくれない、と悟った男達は一声叫んで駆け出した。離れと母屋の間を抜けて邸門の向こうへと消える。
 その向こうの銃撃戦はまだ続いていた。


「……やれやれ……」
 ジェラードはDAサンダラーをホルスターに戻すと、大きな吐息をつきながら木の根元に座り込んだ。
 その衝撃が胸の傷に響き、思わず顔をしかめる。
「つっつ……相当ガタが来てんな…………」
「ジェラード……大丈夫か?」
「よお、アンナ。あちこち派手にやられたな。お前こそ大丈夫か?」
 左足を引きずり引きずり、心配げに近寄ってきたアンナに、のんびりした声をかける。
「ああ。脇腹と大腿の銃創は貫通したみたいだし、人差し指もさほどひどくない」
 気丈にも笑みさえ浮かべている娘の額には、汗の珠が光っている。それが痩せ我慢による脂汗なのか、戦いの中で噴き出した汗なのか、判別はつかない。ただ、その傷口から広がる血糊の量を見た限りでは、さほど出血はひどくなさそうだった。見映えで言えば、一番ひどいのはざっくり切り裂かれた左頬だった。
「ジェラード…………奴ら、あれで……逃がしてしまってよかったのか?」
「ん? ああ。運が良ければ、生き残るかも知れんな。……甘いと思うか?」
 アンナは首を振ってはにかんだ。
「いや、ジェラードらしいと思う。それはそうと……ありがとう」
「何が?」
 わかってはいたが、わざと素知らぬふりをした。
「何がって……あ?」
 ふとジェラードの胸を覗き込んだアンナは、驚きの声を上げた。
 傍に駆け寄って座り込む。
「その胸……! かなりひどいじゃないか。いったいどうしたんだ!」
 革ジャケットの陰に隠れていた巨大な染み。それは、木陰の深く濃い暗がりの中でもはっきりわかるほど広がっていた。
「ここへ来る前にちょっと一悶着あってな。大丈夫。見た目ほどひどくない」
「でも…………うわぁ……ほんとに大丈夫なのか……?」
 不安げに覗き込んでくる仕種が妙に愛らしい。大の男を圧倒するほどの気迫を放つとはいえ、まだ年頃の娘にすぎないと改めて実感する。
 ジェラードは指先でジャケットを掻き合せて傷を隠した。
「で、何が『ありがとう』だって?」
「え? ……ああ、その……ジェラードが来てくれなかったら、私は私の誓いを果たせなかった。本当に、心から礼を言うよ。まさしく……ジェラードは偉大なる精霊の使いだったのだな」
「よせやい、神様の使いなんて一番俺から遠い存在だぜ」
 ジェラードは苦笑した。一連の事件が神の采配なら、神様というのはよほど皮肉屋らしい。インディアンと関わりあいになりたくないと思い続けてきた自分を、そんなものに仕立てるとは。
「それにしたって、俺が来なけりゃどうするつもりだったんだ?」
「それはその……」
 返事に窮してうつむくアンナ。暗くてよくはわからないが、多分頬を染めているのだろう。
 ジェラードは唇を歪めて笑った。手を伸ばし、アンナの頭をくしゃくしゃと掻き乱すと、アンナは娘らしい可愛い悲鳴をあげてその手を払った。
「もう、やめろよ。……でも、本当に感謝している。ありがとう。何度言っても言い足りない。それと……私は謝らなければならない……」
「謝る? ……ああ、俺の制止を聞かずに出ていったことか? それとも、この辺の地理に疎い俺を置き去りにしたことか? まー気にすんな、どっちにしろ結果オーライだよ」
 その時、ぞくり、と悪寒が体内を駆け抜けた。妙な寒気が背筋を這い登ってくる。
(ち……やべえな……。血を流しすぎたか……?)
 そういえば、さっきから眠気が断続的に襲ってきている。疲労からだと思っていたが……。
 ジェラードの焦燥を知らず、傍らの少女は首を横に振っていた。
「違う。私が謝りたいのは、その……ジェラードのお父さんと弟さんのことだ」
「なに?」
 意外な方向に話が飛んで少し驚いたものの、何を言いたいのかはすぐに察しがついた。
「なんだ。聞いてたのか」
 アンナは深く頷いた。
「私達に置き換えれば白人に家族を殺された、というのと同じだ。ユートの者が手を下したわけではないにしろ、私は謝る……謝って取り返しのつくことではないと、充分承知しているけど……それしか思いつかないから」
「アンナ……」
 頭を深々と下げる娘の頭に再び手を載せ、今度は優しく撫でてやる。
 改めてこの優しすぎる娘に好感を持たずにはいられない。それが己れの望む想いではないと知りつつも。
「本当にお前は優しい、いい娘だな……。けど、気にするな」
 深く息を吸い込み、背後の木の幹に背をもたせかける。自然と声のトーンが落ちた。
「……アンナ、お前よぉ……インディアン嫌いの理由、今でも聞きたいか?」
「聞きたい!」
 アンナはうつむけていた顔を跳ね上げ、何度も頷いた。身を乗り出すようにして迫ってくる。
「私にはどうしてもジェラードが私達を本心から嫌いだとは思えない。だって、もしそうなら、どうしてこんな大怪我をしてまで私を助けてくれるんだ? レッドフォックスの集落にいた時だって、本当に嫌そうな素振りは見せなかったじゃないか。……時々寂しそうではあったけど……」
 ジェラードは面食らった。そして、危うく笑いそうになった。さすがはレッドフォックスの孫。
 目を閉じ、大きく息を吐き出してから、ジェラードは口を開いた。
「俺の親父は学者でな……」
 アンナは黙って頷いた。
「親父は研究に打ち込むあまり、巡回宣教師も通わない西部の奥地まで踏み込んで、二度と帰らなかった。もう十年も前のことだ。母さんは俺と弟を学校へ通わせ続けるために身を粉にして働いた挙句、流行病でころっと死んじまった。そして弟はさっき言った通りだ。あいつは……インディアンが許せなかったんだ。俺達から父を奪い、母を死なせる原因になったインディアンが……」
 ジェラードはふっと鼻で笑った。
「笑えるだろ? みんなインディアン絡みで命を落とす……。一人残った俺も、このざまだ……これは、何かの呪いなのかな……ふ……ふふ……ふふふふふふ…………」
 力無く乾いた自嘲の笑いが空しく響く。
「ジェラード……」
 アンナは首を振った。ジェラードの手を取り、胸に抱きしめる。
「本当に……何て言ったらいいか……。でも、私だって……。気持ちは……一緒だ」
 潤んだ瞳から、月の光を弾きながら一筋の雫が伝わり落ちる。
 ジェラードの胸に、苦い後悔が広がった。言うべきではなかったかもしれない。
 この娘は同胞が他者に味合わせた苦渋と悲しみに涙している。おのが痛みを抱きながら。
 胸に刺さっていた何かが、抜けてゆく気がした。この娘を――アンナを救いたいと思った。そっと抱きしめて慰めてやりたかったが、もはや身体を動かすことさえ億劫だった。
 ふと、冷えた地面から微かな振動を感じた。
「何言ってる。お前にはまだ父と母がいるだろうが……。泣くなよ。そら、お迎えが来てくれたようだぜ」
 四人の自警団員が逃げ去った方角から、蹄鉄が大地を穿つ轟きが響いてきていた。


 やがて凄まじい勢いで走り込んできた十数頭の騎影は、すぐに辺りの惨状に気づいて馬を止めた。
 聞き慣れない言語が気ぜわしく飛び交うのをぼんやりと聞いていたジェラードは、その声が自分達に向けられたのを感じてわずかに身じろいだ。アンナが優しく押しとどめる。
「任せろ……あれはユートの言葉だ」
 蹄鉄の轟きはすぐに二人のいる木を取り囲んで止まった。
「そこにいるのは誰だ? これはお前がやったのか? 白人の……自警団のようだが」
 ライフル銃を構え、威嚇を込めた声で尋ねる人影に、アンナは敢然と立ち上がった。
「私はナノ・ユートのアンナ。彼は――」
「アンナ? アンナだと? ナノ・ユートのか?」
 後方にいたがっちりした体格の男が、喜びの声を上げて下馬した。満月の光に照らし出されたその顔には、ジョセフの面影がある。しかし見ようによってはその厳しい表情はアンナにも似ている。
 男――アンナの父ビッグオークは仲間を押しのけ、娘の前に現れた。
「おお、確かにアンナ! アンナではないか! 生きていたのか、お前!」
 父は顔中を喜びにほころばせ、娘をきつく抱きしめた。アンナの顔が喜び半分、苦渋半分に歪む。
「レッドフォックスのバンドの唯一の生き残りから急を聞いて報復に来たのだが、まさかお前が生きていようとは。こんな嬉しいことはないぞ。いやぁ、よくぞ生きていた。そうか、お前がこの白人どもを――」
「違う。私がやったのはミーカーだけだ。他のは……彼が」
 力無く首を振って背後を振り向く。
「彼?」
 アンナの背後を覗き込んだビッグオークは、そこに長々と寝そべる男を見つけた。暗がりでも、胸に広がる大きな染みが見えた。
 焦点の合わない視線がかろうじて合った途端、その男は軽く右手を上げてみせた。
「なんだこいつは……? む――白人ではないかっ!」
 ビッグオークの声に呼応して、取り囲んでいたユート族の戦士達が一斉に武器を構えた。一気に空気が緊迫する。
「やめてっ! 彼は私の命の恩人なんだ!」
 アンナはジェラードを守って両手を広げ、立ち塞がった。
「だが、白人だ」
 重く厳かな口調とその絶対の事実に、アンナは息を呑んだ。
「……それは、そう……だけど……」
 反論できず、アンナは唇を噛んだ。どれだけ言葉を尽くしても、ジェラードが白人であるという事実だけは打ち消すことができない。そしてビッグオークは、父は、白人の殲滅を生きがいにしているといってもいいほど白人を憎んでいる。
 だが……。
 きっと表情を引き締め、父を睨み返す。
「――そんなのは関係ない。ジェラードは、私の命の恩人。彼は、私が守る!」
 アンナの気迫に周囲を囲む戦士達は気圧された。得物を下ろし、お互いに顔を見合わせる。
 だが、ビッグオークは引かなかった。娘を仇でも見るかのような物凄い目つきで睨みつけている。父と娘の間で音を立てて火花が飛び散った。
「……アンナ…………どけ」
 父娘の睨み合いを分けたのは、弱々しいジェラードの声だった。
 アンナはその生気の無さに驚いて振り返った。ビッグオークも眉間に皺を寄せる。
「よお、アンナの親父……俺はもう引き金を引く力もねえ。やるんなら一発でやってくれ」
 自分の心臓を親指で指し示す動作もひどく緩慢だった。
「ジェラード……!」
 駆け寄ろうとする娘の肩を、父のごつい手がつかんだ。その手を振りほどくより早く、アンナは引っこ抜かれるように背後へ押しのけられていた。
 ビッグオークはジェラードの傍らに膝をついた。脅しをかけるように低い声で尋ねる。
「ぬかしたな、白人。死ぬのが怖くないというのか?」
「ああ。今なら、思い残すことはない。あんたの娘のおかげで、いい気持ちなんだ……」
 ビッグオークは血に濡れた革ジャケットの襟を指先で少し開いて、覗き込んだ。その血の量に思わず顔をしかめる。
 その時アンナが、父の背にのしかかるようにして抱きついてきた。
「お願いだ、ビッグオーク! ジェラードを殺さないで!」
「ええい、邪魔だ! どいて――」
「お父さん!!」
「む」
 愛娘を邪険に振りほどこうとした父は、ふとその動きを止めた。血と汗と泥と涙にまみれぐしゃぐしゃになった娘の顔を、じっと見つめる。厳しい眼差しの中に、ほんのり優しさが光っていた。
「お願い、おと――」
「うるさいっ!!」
 再び勢い込んで直訴しようとしたアンナの先をとって突き飛ばし、大きな声で吠えた。
「おい、アンナを押さえておけ! 邪魔をさせるな!」
 すぐさま下馬した二人の若者が、暴れるアンナを両脇からしっかり抱き抱えた。それでも彼女の抵抗はやまない。振りほどこうと力の限りに暴れる。
「お父さん! 彼は私の命の恩人だ! 命の恩人を殺してしまうほどユートは、あなたは落ちぶれたのか! それがあなたの目指すユートのあるべき姿なのか! それでは……それでは白人と一緒じゃないかっ! それに私がミーカーに復讐するという誓いを遂げられたのは彼のおかげなんだ! 彼は、ジェラードは――偉大なる精霊の使いなんだぞ!」
 叫びがかすれ声になるまでじっと耳を傾けていた父は、叫び疲れた娘にたった一言返した。
「……どうせこの男はほっといても死ぬ」
「…………え?」
 アンナは言葉を失って、ただ唇を震わせた。
 一瞬の静寂の間隙を縫って、ジェラードの声が流れた。
「とどめを……くれないのか」
「死ぬまでの苦しみの中で、お前達がしてきたことを悔いるがいい」
 憎悪の炎が燃える厳しい眼差しで睨む酋長に、ジェラードはむくれたようにちぇ、と舌打ちを漏らした。
「お父さんっ!」
 かすれきった悲痛な叫び。両脇から屈強な若者に抱えられながらも捕まった川魚のように跳ね回り、暴れ回る娘に父は目を細めた。鼻先でふふん、と笑い、立ち上がる。
「――と、言いたいところだが、我々は貴様ら白人とは違う。恨みには刃をもって報いるが、恩には恩をもって報いる。……アンナに『お父さん』などと呼ばれたのは実に久しぶりのことだしな。ふん、娘が命を懸けても助けようとする相手を、何で殺せるものか」
「お父さん……」
 アンナの表情がたちまち輝いた。
 ビッグオークは照れ臭げに鼻の頭を指先で掻いて、周囲の戦士に指示を下した。
「おい、こいつの手当をしてやれ。今にも死にそうだ。それとアンナもだ。見る限りでも相当な傷を負っている」
 娘の左頬をぱっくり裂いた深い傷はさっきから気づいていたが、よく見れば右の脇腹は腹から背中まで、左脚も大腿から膝まで表も裏もなく生々しいぬめりが生地を通して滲み出している。
(この怪我で、なおあれだけ暴れるか。やれやれ、じゃじゃ馬娘め)
 ビッグオークは感嘆した。この白人に対する想いの深さが分かろうというものだ。
「他の者は屋敷に火を放て。生き残りがいたら、殺せ」
 一斉に馬から降りたユートの男達は、酋長の指示に従って各々の仕事を果たすべく四方に散った。
 解放されたアンナはジェラードの傍に駆け寄った。
 ジェラードは既に意識を失っていた。
 その頭をしっかと掻き抱き、傍らに立つ父親を涙に濡れた瞳で見上げる。
「お父さん……ありがとう」
 父は照れくさそうにそっぽを向いて、鼻を鳴らした。
「ふん。我々が我々であるためにも、この男を殺すわけにはいかんからな。まして、死を恐れぬ勇者。ならば白人であろうと、それなりの礼儀をもって迎えねば……おい、大丈夫か?」
 話半ばでビッグオークは、昏睡する白人の頭を抱き締めてうなずく娘が、意識朦朧としてうつらうつらと舟を漕ぎ始めていることに気づいた。
「いかん、人の世話をするどころの問題ではない。まずお前が」
 肩をつかんだ父の手を、娘は優しく振りほどいた。
「大丈夫。こんなの……この人の負ってきた傷に比べたら……全然痛くない。辛くない。……辛くないもの……ほんとに…………」
 うわ言のように繰り返し、意識を失った男の額に頬擦りする娘。
 父は一声唸ったきり、ただ黙って立ち尽くすしかなかった。



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