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崩壊


「……う………………」
 アンナは意識を取り戻した途端、喉の奥に灼けるような痛みを感じた。呻きが声にならず、風となってひゅうひゅうと鳴る。
 身体も動かない。鈍く重たい痛みが身体のあちこちで脈打ち、全身が泥沼に沈んだかのように重く、動かない。あまりの重みに動く気力さえも失われそうだった。
(……動けない……動きたくない…………いったい……どうなったんだ……)
 不意に前にもこんなことがあったような気がして、不明瞭な意識の中で記憶をまさぐる。
(ああ……そうだ…………あの……崖から落ちた時……冷めたくて……肩が痛んで…………うっ)
 回想を邪魔するように、右脇腹の痛みが強く疼き始めた。
 小さく呻いて腰をもじつかせながら、腰だけ横様にした楽な姿勢をとろうとする。その動きさえ今の彼女にはひどく疲れる作業だった。
 回想に浸るには邪魔が多すぎる。全身あちこちで脈動する痛みしかり、どこかから聞こえる口論しかり。
(うる……さいな…………いったい、誰が……そうだ、ミーカーは……)
 痛みの中からその声に意識を集中させる。


「ミーカー。お前は知事の器じゃない。まして、大統領など」
 ジェラードの声はあくまでも静かに、落ち着いていた。
 ミーカーの周囲にいる自警団員の誰もが動きを止め、息を呑んでいた。迂闊に動けば、たちまち射殺されそうな気がして、一歩たりとも動けなかった。
「お前を見ていると奴を思い出すよ。醜く膨れ上がった傲慢さゆえに、多くの者を道連れに死にやがった『奴』を」
「奴……?」
「ジョージ・アームストロング・カスター」
「な…………」
 たっぷり五秒は沈黙したミーカーは、激高した。いまだ痺れたままの右手首を握る左手が、怒りのあまりブルブルと震える。
「ふざけるなっ!! あんな……あんな馬鹿で間抜けで愚図で能無しの愚か者と私を一緒にするなっ!! 取り消せっ! 貴様、今の発言を取り消せっ!!」
 ジェラードは銃を構えたまま、ただ肩をすくめてみせた。
「貴様……」
「お前の言うその馬鹿は、言ったそうだ。『我らは神の軍隊、邪教の輩に負けようはずもない。敵が幾千騎であろうとも、神の御加護の下に全てを粉砕する』――そして、笑わせてくれる。粉砕されたのは自分の方だった。俺の弟を道連れにな」


(おと……うと……?)
 聞き耳を立てていたアンナはその時、ショックを受けていた。
 ジョージ・アームストロング・カスターといえば、北米に生きる者でおよそ知らぬ者のいない第七騎兵隊の隊長だった男。当然、アンナも知っている。大好きな宣教師と別れ、親と反目する端緒となった『リトル・ビッグホーンの戦い』の一方の主役なのだから。
 まさか、ジェラードの弟がその部下だったとは……。
(そう……だったのか……。だからジェラードは私達を……仕方、ないか。それじゃ……)
 静かな池の水面に落とした小石が波紋を広げるように、悲しみが心にさざ波を広げてゆく。


「今から三年前……第七騎兵隊がシッティング・ブルに殲滅される寸前、弟から届いた手紙に書いてあった。おのれと違う者への無理解と不寛容、肥大した思い上がりと異常なまでの敵意、そして地に落ちたモラル……西部(ここ)には親父がくどいほど言っていたフロンティア・スピリットはない、とな。俺が嘱望された東部での未来を放り出して、この西部に来たのはそれを探すためだったのかもしれん。……お前に殺されたユートの連中の中にこそ感じたのは皮肉だが」
 噛み締めるように吐き出す言葉。ふと、ミーカーは表情を曇らせた。
「嘱望された東部での未来……? 貴様……何者だ。私を知っていたことといい、それなりの肩書を――」
「……俺の親父はヘンリー・マクスウェル。インディアン文化学者だった」
「ヘンリー……マクスウェル? ――待てよ。その名前、知っているぞ……確か、十年ほど前に西部で学術調査中に行方不明になったインディアン学者だったか……。そうか、思い出したぞ!」
 叫んだミーカーは、ジェラードを指差した。
「ジェラード・マクスウェル! ヘンリー・マクスウェル失踪後に出た『西部インディアンと白人の文化比較に関する論文』の共著者名にその名があった。あれは、貴様だったのか!」
 ジェラードはハットのつばの陰から覗く口元だけで、うっすら笑った。
「さすが東部でも名うてのインテリ。親父だけでなく、俺の名まで覚えていてくれたとは光栄だ」
「はン、あまりに出来の悪い論文で嫌でも頭に残っていただけだ! 貴様らのあの論文は、明らかにインディアンどもに好意的だったからな! 読むに堪えなかったよ!」
 ミーカーは少し口をつぐみ、興奮を冷ますと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ふん、因果なもんだな、ジェラード・マクスウェル? 父親に続いて弟までその好意を寄せたインディアンに殺されたか。そのうえ、おまえ自身もここで果てることになるとは。つくづく運のない家系よな」
 くっくっく、と含み笑う。
「もっとも、致し方ないことか。無知蒙昧な土人と我々文明の徒たる白人の文化比較、などという意味のない論文を垂れ流す愚か者の家系だからな。愚か者には相応しい最期じゃないか。ああ?」
「……………………」
「いい機会だ! 貴様には言ってやりたかったのだ! 比べる意味などないのだとな! 見ればわかることだろう! 我々の方が生活のレベルも、文化精神の面でも優れていることなど! 奴らに大西洋が渡れるか!? 奴らに鉄道が敷けるか!? 銃はどうだ!? 奴らの中にレオナルド・ダ・ヴィンチがいるか!? ベートーベンは!? そして、見ろ! この娘を!」
 ミーカーは倒れ伏したままのアンナを指し示した。
「私の足元に這いつくばるこの姿、これが奴らと我々の違いだ! 論文など必要ない! 優れた者が劣る者を支配する! この現実だけで充分だ!」
 ジェラードはため息をついた。
「……そうだな。少なくともインディアンは俺達を這いつくばらせたりはしない」
「勘違いするな! しないのではない! できないのだ! 我々が優れているからこそ、奴らは負けるのだ! これは神が決めたもうた必然なのだ! 神の必然に逆らえはしない!」
 神の意はここにあるといわんばかりに両手を広げ、夜空を仰いで笑う。
 ジェラードはうんざりしたようにもう一つ、小さくため息をついた。
「……やっぱり、カスターと同じじゃねえか」
 その静かな声に、ミーカーの哄笑は途切れた。
「貴様……まだ言うか」
 まなじりを吊り上げ、歯を剥き出して凄むミーカー。
 ジェラードは全く意に介さず、左手の親指でカウボーイハットのつばを持ち上げた。
「何度でも言ってやるさ。お前とカスターは同じだ」
 二人の視線が火花を散らす。
 明け方近くの冷風が、吹きすぎる。
 しばらく睨み合っていたミーカーは、首を振った。
「……もういい。それで? どうするつもりだ? 私を射殺して終わりにするか? ……いや、出来まいな。そのつもりなら、すでに引き金を引いている」
 周囲で動くこともままならず、呆然と二人のやり取りを聞いていた自警団員が一斉にミーカーを見た。
 ミーカーの顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
 ジェラードは銃を突きつけた姿勢を崩さないまま、ミーカーの言葉を――肯定した。
「そうだな。俺にはその資格はない。あるとしたら――」


 耳をそば立てていたアンナはぎくりとした。
 濁されたはずの言葉の最後が、確かに聞こえた気がした。お前だけだ、と。
 そして、唐突に理解した。なぜジェラードが自らの命を賭けてまで自分を救おうとしてくれたのか――いや、そもそもどうしてジェラードと出会ったのかを。
(……ああ、そうか……そうだったんだ。全ては……定められていたんだ…………寝ている場合じゃない)
 気を抜けばそのまま暗闇に落ちてゆきそうな、危うく、朦朧とした意識からアンナは這い上がった。
 一度萎えかけていた気力が、膨らんで行く。失われていた四肢の感覚も徐々に戻りつつあった。
 まず右手の折れた人差し指以外の指を握りしめた。
(動ける……いや、動く。動かなくても、動く! 立たなきゃ!)
 決意を秘めて握りしめた両の拳を、力を振り絞って引き寄せる。ともかく、立ち上がらないことには話にならない。
 歯を食いしばって顔を持ち上げ、まぶたを開けた途端、眩しいきらめきが目を射た。
 見れば、大地に突き立ったトマホークが、アンナを呼ぶように月光を弾いている。その向こうにはミーカーの姿が見えた。
(あそこまで……3m!)
 一足飛びの距離だ。ゆっくりと、確実に身体を起こしてゆく。
(ジェラード……同胞があなたの家族を奪ってしまったあがないは……私がこの命をもって必ず返す)


「あるとしたら、なんだ?」
 不意に話を打ち切られたミーカーが、怪訝そうに顔をしかめる。
 しかし、返事は返らない。
「……………………どうもわからんな。貴様は、一体何をしたいんだ? 何をしに来たんだ? スティーブをその手にかけてまで。この娘を助けに来たにしては悠長な――……うん?」
 視界の端で何かが動いた気がして、ついそちらへ注意が向いた。そして、ジェラードの台詞の意味を理解した。
 トマホークを振りかざしたアンナが、風を巻いて迫っていた。
「いっ……やあぁぁぁぁぁっっっ!」
「ななっ、うおおおぉぉっっっ!」
 渾身の力を込められた一撃を、ミーカーは必死で躱した。
 しかし避け切れず、白いカッターシャツの胸元がすっぱりと切り裂かれた。たちまち血がにじみ出てくる。
 間髪入れず、月光の反射を撒き散らし、刃が跳ね上がる。
 これも無様に尻もちをつきながら躱すと、今度は前髪が幾本か宙に舞った。
 全身から血の気が引き、冷や汗がどっとふき出す。
 尻もちをついたミーカーは、そのまま後方へ倒れ込みながら、ピースメイカーを抜いた。
 しかし、撃つ暇はなかった。振り下ろされたトマホークの刃を受け止めるのが、ぎりぎり精一杯だった。
 今まで力なく倒れ伏し、身動き一つしていなかった娘の動きとは思えない。しなやかで素早く、しかも力強い。それはまさに怒り狂うピューマだった。
 状況は再び寝室で襲われた時と同じになった。噛み合ったピースメイカーとトマホークを挟んで、青い瞳と黒い瞳が火花を散らす。
「ぬ、ぬうぅぅ、おのれ小娘がっ!」
「ジェラードは精霊の使いなんだ! 貴様などに絶対に殺らせない! それに貴様は私に、私は彼に対してあがなわなければならない!」
「何をわけのわからんことを……! おい、誰かこのガキを……ううおっ!」
 男と女、大人と娘。しかも彼女は全身に重大な怪我をいくつも負っている。決して力で劣るはずはないのだが、態勢が悪い。全体重を乗せてさらに押し込まれたミーカーは、再び言葉を放つ余裕を封じられた。
 自分の血糊滴る刃がじりじりと下がってくる。たった今刻まれた胸の切り傷がじわじわ痛む。
(ぐぐうぅぅっ! こ、こいつ、本当にさっきまでくたばっていた小娘か? なんだこの力は!)
 自警団員は突然の事態に浮き足立った。
「ミーカーさん!」
「ミーカーさん! ……うっ!」
 慌てて主人に駆け寄ろうとする部下の足元に、乾いた銃声とともに土埃が立つ。ぎょっとして振り返れば、ジェラードがこれ見よがしに銃口を左右に振っていた。
「動くな。この神聖なる仇討ちに横槍を入れることは、俺が許さん」
「き、貴様…………白人の面汚しが!」
 吠えてジェラードに銃口を向けた男は、撃鉄をあげた瞬間、真正面から額を撃ち抜かれ、無様にひっくり返った。
 自警団員の間に一瞬膨れ上がったミーカーを救おうという気運は、どよめきとともに霧消した。
「……言い忘れていたが、俺に銃口を向けるな。死ぬぞ」
 硝煙の揺れる銃口を向けたまま、いたずらっぽく片目をつむり、大学で講義でもしているような淡々とした口調で告げる。
 男達はようやく理解した。ジェラードがここに現われた理由を。娘を助けに来たのではなく、娘の仇討ちを助けに来たのだ、と。
 インディアンの娘に押さえ込まれたミーカー、銃を突きつけるジェラード、そして町の方へと続く道。
 自警団員はそのそれぞれをちらちらとうかがい、駆け出す機を待っていた。
 無論、この場から逃げ出すために。

 
 ミーカーとアンナの力比べは続いていた。
 アンナの切り裂かれた左頬、折られた両人差し指、鉛弾を撃ち込まれた右脇腹と左大腿では間断なく激痛が炸裂し続いている。並みの男でも意識を失っていてもおかしくない痛みだ。  しかし、今のアンナにはその痛みこそが力の源だった。傷口が一つ脈打つごとに、刃が銃身に食い込んでゆく気がする。
 一方のミーカーは、必死に押し戻しながら、逆転の糸口を探っていた。
 そしてそれは来た。大地をえぐる轍の音が微かに。
(! この音は……馬車ではない。蹄鉄の音がない……。――そうか! 何者か知らんが、スティーブ以外にも気の利く者がいたというわけか! ……くくく、勝った!)
 ちらりと窺えば、賞金稼ぎも轍を刻む重々しい音に気付いたらしく意識をそらしていた。
 絶好のチャンスだった。いきなり左膝で思い切りアンナの右脇腹を突き上げた。
「うぁうっ!」
 アンナは右脇腹を炸薬で吹き飛ばされたような錯覚を覚えた。それまでそこで脈打っていた痛みとは比べ物にならない。もはや痛みすら超えた、激烈な衝撃だった。一瞬、視界が真っ白に染まり、全身から力が抜ける。
 ミーカーは前のめりに崩れ落ちるアンナを受け止めると、素早く身体を入れ替えた。そのままピースメイカーを自分のベルトにねじ込み、アンナの右腕を後ろにひねり上げる。
 取り上げたトマホークを足元に投げ捨て、よろめきながら立ち上がった。ざんばらに振り乱した金髪と、激しく上下する両肩が戦いの激しさを物語っている。
「……くくくっ、野蛮人の抵抗などしょせんはこんなものだ」
 軟体動物のように脱力しきって、足元もおぼつかないアンナを右腕を極めたまま無理やり立たせ、うつむく顎を左手でつかみ上げる。それはジェラードに対する盾だった。
 そこへ待っていた助けが到着した。
「――お待たせしました、ミーカーさん!」
「その声、チャベスか! よく来た! ……ふははは、ジェラード! これで状況は完全に逆転したな」
 高笑いを上げるミーカーの脇に、チャベスが押してきた物体が並んだ。
 冷たく不気味に黒光りする六つの砲身、無骨で機械的なクランク、上部の弾薬箱に詰められた多くの薬莢、射手を守るための分厚い防弾板、そしてそれらを支える鉄ごしらえの砲架と両輪。
「こいつは……」
 ジェラードだけでなく、その場にいるミーカーの部下達までもが息を呑んだ。
 ガトリング機関砲。一分間に千発を超える弾丸を雨あられとばらまくことすらできる陸軍最強の兵器。
「どうだ。いかに貴様といえどもこいつには勝てまい? それとも無謀な戦いを挑むか?」
「……ジェラード…………ごめん」
 弱々しくかぶりを振るアンナの顎をつかんで顔を固定したミーカーは、意地悪くジェラードに問いかけた。
「さて、ジェラード。ここから先はどうするのかな。この娘を救いたいんじゃないのか?」
 ジェラードはしかし、首を横に振った。
「そんなこと、そいつは望んじゃいないだろう。殺るなら殺れ」
「ジェラード……」
 アンナの瞳が潤む。その瞳の奥で消えかけていた炎が再び燃え上がる。
(この状況でもなお、私を信じてくれるのか……私が最後の一撃をミーカーに叩き込むと……。ありがとう、ジェラード)
 胸に広がる熱い想いが身体の痛みを癒し、和らげてゆくような気がした。
 その耳元で、ミーカーが嘲う。
「何だ何だ、冷たいじゃないか? 折角助けに来ておきながら。はっはっは、今さら取り繕ったところで、お前の魂胆は知れてるんだ! この娘がここにある限り、お前は手が出せまい!? ――おい、全員銃を抜け!」
 ミーカーの命令に自警団員は戸惑った。
「ま、待って下さい。奴の射撃の腕は神業だ。俺達じゃあかなわない」
「ガタガタ抜かすな。私にここまで逆らった者を、これ以上生かしておけるものか! 抹殺しろ!」
「し、しかし……」
「ええい、馬鹿どもがっ!! 今がチャンスだとなぜわからん!!」
 吠え猛るミーカーは、再び独裁者の顔を出し始めていた。その顔に部下は逆らえない。
「いいか、死体の数を見ろ。全部で十人。奴の銃は腰の両側に二丁、弾は一丁六発として計十二発。あと二発あればいいところだ。こちらは一、二、三……私も入れて八人。ガトリング砲もある! 全員で一斉に撃てば、二人死んだとしても必ず倒せるだろうが。簡単な計算だ。覚えておけ、頭というのはこうして使うんだ!」
 ミーカーの非情な計算に自警団員は震え上がった。
 確かに計算上はそうかもしれない。だが、死ぬと計算された二人の中に入るのは、誰でもごめんだった。ミーカーに対して、そこまでの義理はない。当然、ガトリングを構えているチャベスを除いた六人は、しり込みしてなかなか動こうとはしない。
「何をしている! さっさと抜け!」
 苛立つ声でせっつかれ、六人は渋々ながら銃口を上げた。
 途端に低く威嚇するような声がジェラードの口から漏れた。
「ミーカー、お前は一つ勘違いしているぞ」
「ほざくな。……撃て!」
 六人の撃鉄が落ちる瞬間、ジェラードは咄嗟に前方に身体を投げ出した。同時に弾倉に残っていた最後の一発を撃つ。
 たちまち聴き慣れた火薬の炸裂音が響き、弾丸の雨が降りそそぐ。ジェラードは弾丸の跳ね上げる土煙に追われながら、横ざまに転がって木立ちの陰に飛び込んだ。
 完全に姿が見えなくなっても、しつこく何発かがその幹に叩き込まれる。しかし暴力的なまでの連射音とクランクの回る機械音は聞こえなかった。
「チャベス! ガトリングは何をして……う!」
 振り返ったミーカーは、ガトリング機関砲の後ろに倒れているチャベスを見た。額に小さな孔が空き、そこからぬめりのある液があふれている。
「ば、馬鹿な……防弾板のわずかな隙間を……。ええいっ、おい貴様!」
 力が戻ってきたのか、もぞもぞ動こうとするアンナの右腕をさらにきつくねじ上げながら、ミーカーはすぐ傍らの男を指名した。
「貴様がガトリングを使え。他の者は二手に分かれて木を両側から挟み撃ちにしろ」
「し、しかし……」
 指名された男は真っ青になった。
 ジェラードはガトリングの恐ろしさを知っているから、真っ先にチャベスを殺したのだ。
 もう弾がないという予想が外れていた場合、ガトリングのクランクを握ることは真っ先に狙われることを意味する。
「つべこべ言うな! もはや奴に残った弾はないんだ。時間をやれば奴に弾の装填時間を与えることになるぞ! さっさとやれ!」
「は、はい……」
 恐る恐るガトリングに近づく。他の五名もおっかなびっくり二手に分かれ、黒い陰を落とす木立ちを左右から回り込み始めた。


 ミーカーの声を聞きながら、ジェラードは弾のなくなった銃の照星でハットのつばを突き上げ、にんまりと笑っていた。
「……ミーカー、その自信と思い込みが命取りだ」
 銃のグリップに刻まれた『S』の文字。それを無造作に放り出した。いかにも重たげな音を立てて地面に落ちるスティーブのレミントンM1875。
 左手で左側のホルスターから自らのDAサンダラーを抜く。右のホルスターのDAサンダラーの弾倉は既に空だった。スティーブの死体を馬に乗せて突っ込ませた際の銃撃戦で撃ち尽くしていた。
「相手は七人……弾丸は六発。ちょうどだな」
 一発たりとも無駄にはできない状況だが、焦りは感じない。むしろ心は妙に落ち着いていた。
 いきなり振り返り、右手から回り込んできた二人を照尺と照星の向こうに捉える。銃口を向けられ、驚愕する二人の表情を冷徹な視線で睨みつける。驚きながらも二人の親指は撃鉄にかかり……引き起こした。
 ジェラードの人差し指は、今や条件反射と化した動きを二度、繰り返した。そこにはもはや感傷や感情、そしてためらいの入り込む余地はない。
 二人はほぼ同時に胸に銃弾を受けて、のけ反り倒れた。
 狙ったのは心臓で、手応えはあった。生きているはずはない。どちらにしろ確認している暇はない。すぐさま振り返って、背後から回り込んでくる三名に銃口を向ける。
 しかしジェラードの反撃に驚いたその三人にも同じことだった。
 反対側の二人が射殺されるのを見た三人は、恐慌に陥った。情けない悲鳴を上げて、一斉に銃を投げ捨ててしまった。
 両手を挙げて後退るその姿に、ジェラードは引き金から指を離し、銃口を下ろした。戦意のない者を殺すつもりはない。それが矜持だ。
 慌てたのはミーカーだった。残弾のないはずの銃で二人が射殺されたばかりか、残る三人が戦意を喪失したのだ。そしてガトリング砲の操手は――防弾板の陰で頭を抱え、震えていた。
「き、貴様ら、この――」
 ミーカーが激高の声をあげようとしたそのとき、新たな闖入者がその場に現れた。


 馬に跨ったその男は、母屋と離れの間の小径から現れると、ぎょっとして馬を止めた。
 無理もない。敵の勢力が見えないにもかかわらず、ミーカーはインディアンの娘を羽交い締めにし、ガトリングのクランクを握った男は、恐怖に頬を攣らせて防弾板の陰に身体を隠している。牧場の方ではアウトローが三人、かたまって震えている。そして辺りには十数人に及ぶ死体が累々と転がっているのだ。
「これはいったい、何が……」
「何だ、貴様は!」
 言葉を失う馬上の影に、ミーカーが苛立った声を上げた。
 その声で正気を取り戻した闖入者は、馬をミーカーの傍に近づけた。
「はっ、自分は――」
 いかにも若い青年の声を遮って、母屋の向こう側、遥か南の方で連続的な銃声が轟いた。何事かと首をねじ曲げたミーカーの眼に、信じがたい光景が映った。
「ま――町が……町が燃えているっ!?」
 かなり南の方だが、悪魔の尖った舌を思わせる真っ赤な炎が、明け方前の濃紺の空を舐めている。思わず一緒に振り返ったアンナも、その動きに思わず見惚れていた。
「いったい……これは……どういうことだ」
 自分の見ている光景が信じられず、呆然と呟く。
「自分は、ソンダーク大佐から伝言を伝えにまいりました」
 青年は合衆国陸軍の軍服を着ていた。
「ビッグオークとおぼしきインディアンの一団の急襲を受けるも、応戦出来る状況ではないので一時撤退する、とのことです」
 知った名前にアンナは息を呑んだ。木の向こう側へ身を隠し、聞き耳を立てていたジェラードも目を細める。
 両目を限界まで見開くミーカー。四人の字形団員も不安げに顔を見合わせた。
「なんだと! ば……馬鹿な! では私はどうなる? この町は? 私が作り上げたこの町を見捨てろというのか!」
「自分には何とも……とにかく自分はそう伝えるように言われただけですから。しかし、ミーカー殿も早く逃げられたほうがよろしいかと思います。連中は手当り次第に建物に火を放ち、住民を誰彼構わず殺し回っています」
 ミーカーは歯ぎしりした。心配した通りになった。応戦できる状況ではないというのはつまり、兵の多くが酔っていて組織的な行動ができないからに違いない。
「だから……だから言ったのだ! 戦いが終わったわけではないと……! 馬鹿め間抜けめ愚図め能無しめ愚か者め! どうして軍人というのはどいつもこいつもこう頭が悪いのだ!」
「で、では自分は復命せねばなりませんので、これにて」
 青年は馬上から軽く頭を下げると、馬首を巡らせてそのまま来た道を引き返そうとした。その背を追って鳴り響く一発の銃声。
 後頭部から額を撃ち抜かれた青年は馬から落ち、驚いた馬は一声いなないて主人を置き去りに走り去る。
「な……なんだ……と」
 振り返ると木陰にジェラードの姿があった。黒々とした陰の中にあってその表情は窺えない。しかし今までにない威圧感があった。
「貴様……何を……」
 異様なその雰囲気に、思わずミーカーも声が上ずる。
「殺しただけでは飽き足らず、その身体の一部を切り取って身に着ける……野蛮にもほどがある」
 言われて青年兵士を見やれば、確かに人の指を連ねたグロテスクなネックレスを首にぶら下げている。御守りのつもりだろうか。さすがにミーカーもその趣味の悪さに眉をひそめざるをえない。
「ミーカー、お前もそいつと同じだ。虐殺の汚名を、むしろ誇らしげにおのが功績として語る、見下げ果てた文明人……フロンティア・スピリットを忘れ果てた、欲望まみれの罪人。お前らが神の御名を持ち出すなんぞ、悪いジョークもいいところだ」
「貴様も愚か者か……! わかっているのか! 奴ら、特にビッグオークには白人の見分けはつかん! このままでは貴様も殺されるんだぞ!」
「構わんさ。死ぬのが怖くて、賞金稼ぎができるか。……死んだところで悲しむ奴はいないしな」
 それにそれが俺の運命なのかもしれない、と胸の内で自嘲気味に呟く。
「……本気か」
 一声唸り、顔中を引き攣らせながらミーカーは後退った。


 しっかりと極められていたはずの右腕が、いつの間にか緩んでいる。
 そして、足元では彼女を待つように、トマホークが月光を弾いている。
(これが……最後!)
 それを拾い上げた後の動きを何度も何度も脳裏に思い浮かべ――
 不意をついて、アンナはしゃがみ込む素振りを見せた。つられてミーカーも前屈みになる。
「おい、動く……ぉうぐっ!」
 いきなり肘打ちをみぞおちに叩き込まれ、ミーカーは身体を海老のように丸めた。その拍子にアンナの右腕がするりと抜けた。
 アンナは檻から解き放たれた猛獣のようにトマホークに飛びついた。そのまま、振り向き様に一閃する。
 刃は空を切った。ミーカーは既に二、三歩下がりながら、ベルトに差し込んだピースメイカーのグリップを握っていた。
 アンナの脳裏に火花が散る。タイミングはわずかにミーカーが早そうだ。選択肢は二つ。避けるか、それとも相討ち覚悟で突っ込むか――もとい、選択肢は一つしかない。今さら命を惜しんでどうする。
 いかなる衝撃を受けても、振りかぶったトマホークを放さぬよう、全ての力を左手に集める。


 ミーカーはほくそ笑んだ。
 絶妙な距離だ。トマホークには距離がある。だが、銃には狙いをつけずに撃っても当たる距離だ――にもかかわらず、赤い肌の娘は恐れる様子もなく飛び込んでくる。
(いい的だ。相討ち覚悟でいるようだが、頭を吹き飛ばされてはそれもできまい)
 ベルトからピースメイカーを引き抜き――
「ミーカー!」
 不意にあがる鋭い叫びが耳を打つ。そこに含まれた殺気にぎくりとして、思わず声のした方向へ視線を飛ばした。
 ジェラードがアンナの背後で照準をつけている。その姿に思わずミーカーは、迷った――その瞬間、何かが狂った。手荒に引き抜こうとしたピースメイカーの照星がズボンに引っかかった。
「な……!」
 ミーカーは生まれて初めて、血の気が引いてゆく感覚を味わった。
(馬鹿な……! こんな馬鹿な……!)
 驚愕に頬を攣らせ、銃を引き抜こうとうつむく。その視界に、目尻を吊り上げ、歯を食いしばったアンナが飛び込んできた。
(……! しまった、懐に飛び込まれ……)
 慌てて後方へ飛びすさるミーカーを追って、トマホークが銀光を撒き散らし、横薙ぎに払われる。躱し切れなかったか、グリップを握る右の手首に鋭い痛みが走った。
 しかし今はそれどころではない。痛みを噛み殺して自ら後方へ二転三転と転がる。
 アンナからかなりの距離を置いて両膝立ちに構えたミーカーの目が、彼女の傍に落ちているピースメイカーを捉えた。皮肉なことに今の一撃でズボンから引っこ抜けたらしい。 だが、それより何より、先ほどからこんな小娘一人に傷つけられていることが許せない。
「くそがぁっ! 土人のくせに俺に傷を…………お、おぉおっっっ?」
 手首の傷を確かめたその眼が、これ以上はないというほどに見開かれた。
 右の手首から先がなくなっていた。
「…………! ……ぁあああああっ! うわあぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」
 凄まじい勢いで手首から噴き出す血飛沫を浴びながら、左手で右手首を締め上げる。彼の頭からアンナの存在は消えた。
「と、ととっ、止まれっ、止まれっ、止まれええぇぇぇっっっ!!」
 半狂乱になって叫びながら、渾身の力で傷口を絞り上げる。
 噴き出す血の勢いが少し治まったとき、ふと気配を感じて顔を上げた。ちょうど彼の前に立ちはだかったアンナが、トマホークを振り下ろすところだった。
 血の糸を引いて一直線に落ちてくる刃。
 よけようにも身体が硬張り、動かなかった。視界を二つに寸断して迫り来る死の影から、眼をそらすこともできない。
「……か、神よっ! なぜ私が……っ!」
 喉から絞り出したかすれた絶叫に、鈍い破砕音が重なった。



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