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決闘


 レッドフォックスの集落からミーカータウンまでは、馬の並脚なら四時間ほどで着く。
 焦るスティーブは、がむしゃらに馬を駆けさせた。
 鬱蒼と生い茂る密林ならともかく、草原や岩場の続くこの辺りでは満月の光で十分だ。明かりはいらない。明かりなどより、今はただひたすら時間だけが気がかりだ。
(……………………!?)
 背後の気配に気づいたのは、死に物狂いの強行軍も終りに近づいた頃だった。ミーカータウンまで、あと半時間もかかるまい。
 追手が何者か、考えるまでもない。今、追って来るような者はただ一人。ジェラードしかいない。乗騎は……おそらく部下達が乗っていた馬。
(……だが、なぜ追ってくる?)
 苦々しい舌打ちを漏らして、スティーブは馬の足を止めた。真意がわからぬうちは、迂闊に奴を町まで引き込むべきではない。
 周囲を見回す。ごつごつした岩場だ。ここならいざというとき、馬を下りて身を潜めることが出来る。それにこの足場の悪さなら、向こうもこっちを無視して全速力で町まで駆け抜けることは出来ない。もしこのまま追い越して行くようなら、背後からでも撃つ。
 やがて、追手の騎影は近づいてきた。こちらを追い越したり、そのまま町へ向かうつもりはないようだ。
 スティーブは相手の顔が判別できるほどになってから口を開いた。
「どういうつもりだ……なぜ追って来た?」
 差し向かいで馬を並べたジェラードは、少し照れ臭げにはにかんだ。
「どうもこうも。俺はそのミーカータウンとやらを知らないと言っただろう。ここらの地理はまったくわからんしな。あそこに置いてけぼりにされても、困る」
「……お前の指名手配はまだ撤回されてない。今、ミーカータウンに行けば――」
「お前の傍にいれば、部下達も迂闊に手出しは出来ないだろ?」
 スティーブは疑わしげに目を細めた。それならなぜ、もっと早くに呼びかけてこなかったのか。空に向けて銃を撃てば、否が応でも追跡に気づいた。また、道のりの何箇所かには難所があった。楽に追いつけるポイントもあったはずだ。にもかかわらず、そうしなかったのは……。
(――黙ってついて来たかったのだ。黙って町に入り込みたかった……出来るなら、俺にも知られず)
 スティーブは上目遣いにジェラードを睨んだ。
「…………何を、企んでいる?」
「別に、何も?」
 はにかんだまま、小首を傾げるジェラード。
 スティーブはゆっくりと銃を抜いた。彼の右手に収まったそのリボルバーは、銀色の銃身に満月の光を浴びて冴え輝く。
「ほう、レミントン・リボルバーM1875か」
 ジェラードは動じない。
 スティーブは確信した。やはりこの男、何かを企んでいる。
「何を企んでいるのか知らんが……手負いの狼と化した“ANNA”がミーカーさんの元へ近づいているこの時に、お前のような危険人物をミーカータウンへ案内するわけにはいかんな」
「ああ、いいさ。後は自分でわかる。この丘をいくつか越えればいいんだろう?」
 眼をすがめたスティーブは、レミントン・リボルバーM1875の銃口をジェラードに向けた。
「行かせると思うか……?」
 ジェラードの表情が少し曇った。だが、銃口を向けられてその程度しか表情を変えないこと自体がまた、スティーブの神経を逆なでする。
「あまり俺を舐めるなよ、ジェラード。お前の本音は、昼間のあれだろう? あんなことをほざく甘ちゃんが、たかだか一日、しかもあの集落の有様を見ておきながら、あっさり意見を翻すとは思えん。むしろ、ますます意志を固めたはずだ」
「……………………」
「ここから先は行かせん。町へ入れば、お前は必ずミーカーさんに仇(あだ)を――仇?」
 スティーブの頭の隅で、何かが音を立てて噛み合った。それは工業機械の歯車のように動き出した。
 仇(あだ)――"ANNA"はミーカーを殺しに――仇討ち――俺はミーカーのいる町がどこにあるのか知らない――ジェントル・ブルに呼ばれた――黙って町に入り込む――
 バラバラだったかけらが一つに合わさり、たちまち一つの結論を導き出した。
「そうか、貴様……“ANNA”を助けるつもりだな!」
 ジェラードの笑みが、一瞬硬張ったのをスティーブは見逃さなかった。
「読めたぞ、ジェラード……仇討ちがまだ完遂されていなければ、騒ぎを起こして注意をひきつけ、既に到着し、捕まっていれば救い出す! なるほど……"ANNA"の仇討ちを俺に告げたのも、ミーカータウンまで案内させるためにか」
「やれやれ、ばれたか」
 悪びれもせず、ジェラードはにんまり笑った。
 スティーブはあまりの怒りと屈辱に頬肉をぴくぴく引き攣らせた。ぎりぎりと奥歯が軋む。
 こんな侮辱は生まれて初めてだった。秘書としての責任感を逆手に取られ、この危険人物をここまで招き寄せてしまうとは。やはりこの男は、昼の間にあの場で殺しておくべきだったのだ。
「この俺を……そこまでこけにしたのは、貴様が初めてだ。ジェラード・マクスウェル」
「お前には感謝しているよ、スティーブ」
「……なんだと?」
 訝しげに顔をしかめる。
 ジェラードは一息ついて、続けた。
「お前がアンナを殺すと言った時に気がついた。ジョセフは、ただ一人生き残った妹を助けるために俺を呼んだんだ、とな。少なくとも、俺にはそう思える。そうでなくては、あいつらしくない」
「……馬鹿馬鹿しい。死者が呼ぶ? 妄想だ。その妄想のために、命を落とすか」
 吐き捨てて、撃鉄に親指をかける。奴の腹がわかった以上、もはや生かしておけない。なるべくならやりあいたくない相手だったが……。
 ジェラードの包帯を巻いた右手も、腰の辺りを泳いでいる。
 スティーブはタイミングを計りつつ、話を続けた。
「ジェラード・マクスウェル、一つ教えておいてやる。この西部では愚か者は長生きできん。白人に肩を並べられると思い込む酋長も、白人を打倒できると思い込むインディアンも、そのインディアンに肩入れする賞金稼ぎも、全て愚かな連中は真に力ある者の前にひれ伏し、その踏み台となる。それがこの地のルールだ。貴様は正当防衛にこだわっていたようだが、法律も条文もここでは何も守ってはくれないんだぜ」
「……この国の理想は、そんなものじゃないはずだがな」
「はっ、理想だ? そんなものはガキか馬鹿の妄想だ。何の力もない。いいか、この未開の地を拓き、この国の明日を拓いてきたのは、現実に生きる者の欲望と力なんだよ」
「踏みつけられた者の怒りと悲しみと恨みは、いつかその身を焼くぞ」
「やってみろ」
 スティーブは引き金を引いたまま、撃鉄を引き起こした。一旦ロックがかからぬ状態のため、そのまま撃てる。距離があると照準がぶれるため、命中精度は落ちるが、この距離なら関係ない。
 だが――スティーブは見た。自分に向けられたジェラードの右手に忽然と現れた、DAサンダラーを。
 二つの銃声と硬質な衝撃音が交錯した。
 一瞬遅れて二つの重い物が地面に落ちた。


 左胸に衝撃を受け、落馬したスティーブはしかし、すぐに身を翻した。
 二頭の馬を挟んだ向こう側で、ジェラードが起き上がっている。馬が邪魔で撃てない。
「ちぃ」
 すぐさまスティーブは背後の岩陰に隠れた。射線が取れればジェラードが有利だ。抜き撃ちの速さもさることながら、その速さで相手に命中させられる射撃技術の高さこそ、もっとも厄介なものだ。
 黒いコートの下で、全身を冷たい汗が伝い落ちる。撃たれた衝撃と緊張のあまり、息が上がっている。どちらもミーカーの秘書になってからは、初めての経験だった。
「……実際に眼にすると、何だな。噂以上だ。魔法使いか、奴は」
 こちらが親指で撃鉄を上げて放す動作と、ジェラードが腰のホルスターから銃を引き抜いて撃つ動作が同じ速さだった――否、それでもなおジェラードの方が速かったのだ。だからこそ自分は左胸を撃たれ、そのせいで照準がずれた。あの距離で、あの狙いを外されたのだ。右腕の包帯はフェイクか、それともあれが万全ならもっと凄まじい技量なのか。いずれにせよ、想像以上だった。
「俺でなければ、死んでいたな」
 撃たれた左胸がズキズキと痛む。
 右手のレミントンを左手に持ち換え、穴が空いたコートの左胸に右手を差し入れる。
 再び引き出されたその手には、もう一丁のレミントンM1875が握られていた。そのグリップ部分が砕け、ひしゃげた銃弾がめり込んでいる。
 スティーブは口笛を吹いた。
「――危ねえ危ねえ。だが、運はこっちにあるようだな。この一発でしとめ切れなかったことを、後悔させてやる」


   わき腹をかすめた銃弾のおかげでバランスを失い、馬から落ちたジェラードはうまく受け身を取り、すぐに立ち上がった。
 振り返れば、スティーブが岩場に身を潜めるところだった。
 自分も慌てて手近な岩の陰に身を隠す。
「……おかしい。手応えはあった。あの野郎、服の中に何を仕込んでる」
 何にせよ、このままでは埒があかない。何とか射線を取り――  様子をうかがおうと首を出しかけた途端、目の前で弾が跳ねた。慌てて身を引く。
 そのまま、じりじりと時間が過ぎて行く。向こうも警戒しているのか、動きがない。
(くそ、このままでは埒があかんな。……アンナの無事も気になる)
 ふと見上げた夜空に、傾いた満月が輝いていた。


「……動かんな」
 スティーブは岩陰からジェラードの様子をうかがいつつ、焦りを覚えていた。
(くそ、時間がないってのに……いつまでも待つわけにはいかん)
 手負いの狼と化したインディアンの小娘が、ミーカーの元へ忍び寄っている。たった一人ではあるが、警備の連中は酒盛りの後で皆寝てしまっている可能性が高い。状況としては、非常にまずい。たとえ殺されなくとも、手傷を負わされただけでも経歴に傷が付くのだから。
「動かないなら、こっちから動くか」
 大きく息を吐いて、両手に握ったレミントンを構える。
 タイミングを間違えれば、一瞬で殺られる。
「――シークレット・スティーブをなめるなよ」
 低く笑って、スティーブは岩陰から飛び出した。


 ジェラードは気配と靴音を感じて振り返る。
 人影が岩陰から離れ、駆けて行く。
「逃げる? 距離を離してどうするつもりだ?」
 ジェラードは身を乗り出して撃った。
 弾はわずかに逸れた。スティーブが振り返る――その両手の先が、銀色の光を弾いた。
「両手撃ち!?」
 慌てて首を引っ込める。途端に一人で撃っているとは思えない連射が周囲にばら撒かれた。
「……八、九、十!」
 レミントンM1875の装弾数は六発。両方でも十二発。先に二発撃っているから、これで全弾射撃終了。
 あのスティーブにしては、あまりに考えのない射撃だったが、ジェラードは気にせず岩陰から身を乗り出した。どんな策があろうと、次の射撃まではブランクがあるはず。
 だが、その予想は裏切られた。
 ジェラードの見ている前で、スティーブの足元にレミントンM1875が二丁、落ちた。そして自分自身を抱きしめている――否、両腕から手品師のように新たな銃を引き出すスティーブのシルエット。
 スティーブ自身で作り出す影の中に、銀のきらめきが踊った。


 新たに引き出した二丁で撃つ、撃つ、撃つ。
 ジェラードは身を投げ出し、転がりながら撃ち返してきたが、弾は当たらない。
 こちらもそうだが、動きながら撃つと精度は劇的に下がる。ましてお互いに動いていれば、よほどの至近距離でもない限り、そうそう当たらない。ジェラードに限らず、射撃の精度はしっかりと足を踏ん張り、たとえ一瞬でも照準がつけられてこそだ。
 その精度の低下を補うには、弾をバラ撒くしかない。
 逃げ回るジェラードの周辺に火花が飛ぶ。
 やがて、両手ともすぐに弾倉が空になった。
 スティーブはぽいっと銃を捨てて、身を投げ出した。狙い撃ちされぬよう動き回りつつ、新たな二丁を両足のブーツの中から引きずり出す。
 小さな岩陰に逃げ込むジェラードに向けて、撃つ、撃つ、撃つ。ひたすら弾をバラ撒く。
 当たらないが、スティーブに焦りはなかった。確実にジェラードを追い詰めている。
 撃ち尽くした銃を放り捨て、さらに後ろ腰から一丁、右胸から一丁抜いて岩陰から頭を出そうとするジェラードを牽制しつつ、回り込んでゆく。
 時折、ろくに照準もつけずに撃ち返してくるが、そんなものが当たるはずもない。
「くく……ふふふふふ、ふははははははは……貴様は予備を何丁持っているのかな?」
 ほくそえんだスティーブは、また撃ち尽くした銃を捨て、新たな銃をコートの両肩口から引きずり出した。


「あの野郎、マジシャンか何かか!? 一体何丁隠してやがる?」
 ジェラードは自分が圧倒的に不利な立場に置かれていることを自覚していた。
 リボルバーの弾を再装填するのには、やたら時間がかかる。特に、ウェブリー社などで採用されている中折れ式リボルバーならともかく、コルト社のリボルバーはまず一発ずつ空薬莢を排出して、その後チャカチャカ一発ずつ薬莢を込め直さなければならない。素人なら一分以上、慣れた者でも十秒以上はかかる。その間、完全な無防備状態に置かれるのだ。
 銃を二丁腰にぶら下げている者の多くは、両手で撃つのではない。撃ち尽くしたら次の銃を使う、全部撃ち尽くすまでに片がつかなければ逃げる、それがガンファイトの常道だ。
 だが、あのスティーブは常識を遥かに超える銃を隠し持っている。しかも、あと何丁隠しているか、判ったものではない。
 このままでは、こちらの弾切れで勝負が決着する。
(……どうする?)
 スティーブの足音と気配は、こちらが見える場所へ回り込もうとしている。余計な策を弄する必要もなく、こちらを追い詰めにかかっている。
 頻繁に移動していては、いずれあの弾幕につかまる。そうなれば腕に当たるにしろ、脚に当たるにしろ、絶対的な不利になる。
 腕の傍で弾が跳ねた。
 慌てて振り返りざまに一発撃って牽制し、次の岩場へ転がり込んで身を隠す。
 すぐに激烈な乱射が返って来た。
(くそ、どうするもこうするも、これじゃあ釘付けだ。どうにもならんぞ)
 打開策と次に身を隠す岩場を求めて、周囲を見回す。
 だが、ジェラードの目前にはその両方ともなかった。目の前に広がっているのは目立つ岩場のない、真っ平らな草原。
「……やベーな」
 ジェラードのこめかみにたらりと冷や汗が伝った。


 撃ちつくした銃を足元に投げ捨て、コートの裾から大ぶりの銃を一丁取り出す。水平二連式の、両腕で構えるタイプの散弾銃だ。広範囲に鉛弾をぶち撒けられるこの銃なら、確実にどこかに当たる。
「さて、もう逃げ場はないぞ、ジェラード」
 腰だめに構え、大きく一息つく。
「貴様、神を信じているか? たぶん、そうだろうな。なら、祈るがいい」
 ゆっくりと近づいてゆく。その頬に、勝利を確信した笑みを刻みつけて。


 不意にジェラードの隠れている岩場から、何かが飛び出した――ジャケットだ。
 スティーブは引き金をこらえた。こんな目くらましにかかるほど馬鹿ではない。
 しかしその刹那、銃声とともにスティーブの手から散弾銃が弾け飛んだ。
「うぉっ……ちぃっ!!」
 咄嗟に前へ転がり、コートのポケットから小ぶりの銃を抜き放つ。
 岩陰へ転がり込みながら、起き上がってその銃口を突きつけたとき、眼前に銃口があった。
「……ジェラード……!!」
 片膝をついた体勢で、デリンジャーを突きつけるスティーブ。対して仁王立ちでDAサンダラーを突きつけるジェラード。
「お前なら撃たないと思った」
「ジャケットごと撃つとはな。裏の裏か……つくづく俺をコケにしてくれる」
「こっちもお前の胸を狙ったつもりだったんだが……散弾銃を奪った俺と命を拾ったお前、さて、どっちに運があるのやら」
 無言の睨み合いが続く。さわやかな夜風が二人の間を吹き抜け、周囲で草むらがざわめく。
 やがて、スティーブがデリンジャーを落とした。腕をだらんと下げ、ゆっくりと立ち上がる。
 ジェラードは怪訝そうに顔をしかめた。
「俺の負けだ。こちらが撃鉄を上げる間に撃てるお前に、この距離で撃ち合って勝てるわけがない。降参する。命だけは助けてくれ」
 しおらしく頭を下げるスティーブ。ジェラードの頬が引き攣った。
「……そんな、身勝手な言い分が通ると思うのか」
「そうか……そうだな。その通りだ。では、遠慮なく撃ってくれ。さあ」
 スティーブは両手を開き、胸を突き出した。
 ジェラードは戸惑った。最前までのスティーブらしくない。何を狙っている。
 知らず、後退る。スティーブの思惑を読みかねて、ジェラードは戸惑っていた。
「どうした、撃て! インディアンどもの仇を討ちたいんじゃないのか! ほら、撃て!! ……ああ、胸は嫌か? なら頭だ、額のど真ん中を――」
 指で自らの額を指差す。ほんの一瞬、ジェラードの視線はその指先に誘導された。
 その瞬間、視界の外に消えたスティーブの左手が不自然に返って、突き出された。
 金属製のバネの跳ねる、間の抜けた音が響いてジェラードは胸を殴られたような衝撃を受けた。思わずよろめき、たたらを踏んで後退る。
「な……」
 その驚愕から立ち直る前に、スティーブの手がジェラードの手からDAサンダラーを払い落とした。そして、返す拳で殴りつけた。無様に叩きのめされ、大の字になったジェラードの左手を踏みつけ、もう一丁のDAサンダラーを左腰のホルスターから奪い取る。
 スティーブはその戦利品をためつすがめつ、手の中で弄んだ。
 その銃口をジェラードに向け、くくく、と愉快そうに笑う。
「俺の勝ちだな」
(……一体…………何が……?)
 ジェラードは顔をしかめて、首をもたげた。
 左胸に突き立ったナイフの柄が、その目に映った。黒いインクのような染みが、見る見るうちに縦ストライプのシャツの胸に広がってゆく。
「ば……かな……」
「ふふん、俺の仇名は『シークレット』・スティーブ。ミーカーさんを含め、その名を知っている連中はセクレタリィ、つまり“秘書”からきてると思っているようだが、実際はこういうことさ。ちなみにそのナイフは強力なバネで左手の袖から飛ばした。右手に気を取られて気づかなかっただろう」
 勝ち誇って解説するスティーブは、銃口の照準をジェラードの頭につけ、撃鉄を上げた。
「隠しているのが銃だけだと言った憶えはないしな?」
 ジェラードは包帯を巻いたままの右手でナイフの柄を握り、上体を起こそうとした。その腹を、スティーブは踏みつけた。
「もう足掻くな。これで、終わりだ」
 満月の照らし出す荒野に、無情の銃声が鳴り響いた。


 銃声が聞こえたように思って、アンナは足を止めた。梢の合間から見える頭上の満月を振り仰ぐ。
 しばらく辺りに気を散らしてみたが、それらしい気配は感じられない。
「気のせいか……」
 そのまましばらくその場に立ち止まり、駈け続けて乱れた呼吸を整える。
 ミーカータウンまでは、南へあと数マイルもない。南から近づけばもっと早く到着できたのだが、わざと大回りして町が背にしている北の丘側から徒歩で近づいていた。丘を覆う針葉樹林の中を進めば、ミーカーの手下や兵隊の巡回にも見つかりにくい。
 アンナはその林の中でも特に道なき道を選んで進んでいた。白人ならとても通れない場所も、生まれたときから自然の中で生きてきた彼女には全く問題にならない。ここを進んでいるうちは、巡回に見つかる危険性はほとんどなかった。
「あと半時間といったところだな」
 呟いて、さらに林の奥へと分け入った。


 DAサンダラーの撃鉄が落ちる瞬間、ジェラードの足が跳ねた。
 つんのめったスティーブは狙いを逸らされ、ジェラードの顔の傍で火花が跳ねた。
「――近づきすぎだっ!!」
 左手でDAサンダラーの銃口をつかみ、スティーブを引きずり倒しながら右手で胸のナイフを一息に引き抜く。
 体を入れ替えて馬乗りになったジェラードは、夜目にも鮮やかな血の糸を引きながら月の光を弾くその刃を、倒れたスティーブに突き立てた。
 胸の真ん中を狙ったつもりだったが、スティーブの抵抗によって狙いを逸れ、右肩に突き刺さる。
 スティーブは短い苦鳴を漏らしたが、左腕を振るって裏拳でジェラードの横っ面を殴り飛ばした。
 横様に倒れ伏したジェラードはしかし、目の前に転がる銀色の物体を左手でつかんでいた。確認するまでもない。この手の平にしっかり馴染む感触は、DAサンダラーだ。
 背後の気配へ、振り返り様に銃口を向ける。そして、躊躇なく引き金を引いた。
 今度こそ、手応えがあった。
 左手で右肩のナイフをつかみ、DAサンダラーを握った右腕を半ばまで上げかけた体勢で、スティーブは固まっていた。
「……か……ふ…………」
 パタパタと液体が地面を叩く。
「……右……腕…………さえ、上が……れば……」
 右肩を貫いたナイフの刃先が楔となり、腕が上がらなかったのだ。
「最後の最後で……運が尽きたようだな、スティーブ」
 自身も肩で息をしながら、ジェラードはやるせなげに首を横に振った。
「俺の、勝ちだ」
 どうと倒れたスティーブの右手から、DAサンダラーが転がる。
 歩み寄ったジェラードはそれを拾い上げ、腰のホルスターに収めた。
 ずきり、と痛んだ胸の傷を手で押さえる。見下ろせば、インクをこぼしたような黒い血痕が腹の辺りにまで広がっていた。傷口を押さえる右手の平にもべっとりとした感触が絡みつく。右下腕に巻かれた汚れた包帯にも点々とにじみがついていた。
 頭の隅を死の影がよぎった。
「……くそ……ここまで、か……」
 か細い呟きにスティーブを見やれば、もはや起き上がる気配もなく、ただ早い息を繰り返していた。
 自嘲の笑みに歪む唇を割って、小さな血塊があふれ出した。喉に絡まった血に咳き込む。
 ジェラードは死にゆく者に哀れみに満ちた眼差しを落とした。
「スティーブ……苦しいか」
 スティーブは口元を歪め、笑おうとして身体をわずかに震わせた。
「……なん、だ……案、外、クール……じゃね…………えか。くく……く……、お前も……しょ……せん…………お……れ…………と………………」
 溢れる粘度の高い液体がスティーブの声を塞ぐ。
「………………ミー……カ…………だ、い…………りょ……」
 ひときわ激しく咳き込んでさらに大量の血を吐いた後、力なく首が折れた。
 しばらくその死に顔を凝視していたジェラードは、やがて目を閉じ、そっと胸の前で十字を切った。
 再び目を開けば、その行為を嘲うようにスティーブのデスマスクが嗤っていた。月に雲がかかり、光の加減が変わったためなのかもしれないが、ジェラードにはそう見えた。
「笑うか、スティーブ」
 思わず、苦笑がこぼれた。
「――……そうだな、俺は決して褒められた人間じゃあない。家族を見殺しにした冷血漢で、金を稼ぐために人を撃つ悪党で、友人の仇討ちにさえ尻込みする臆病者で、人の尻馬に乗らなきゃ仇討ちもできない卑怯者だ。十字を切る資格なんざ、ないのかもな」
 ふう、と一息ついて空を見上げる。濃紺の空には、まばゆく輝く真円の月がぽっかり浮かんでいる。
 それを見つめていたジェラードは、不意に口許に力強い笑みをたたえて、拳を握りしめた。
「だが、俺の他にもその資格のない奴はいる。……どうせ血に汚れた手なら、そいつらを道連れに地獄へ落ちるのもいい」
 ジェラードは踵を返した。背を向けたまま呟く。
「一足先に待ってろ、すぐに送り込んでやる。お前のご主人様をな」
 スティーブの右肩に突き刺さったナイフの刃が、墓標のように満月の蒼光を弾いた。



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