月下蒼影
いつしか満月は西に傾きつつあった。
狼がしきりに吠えている。
それ以外に聞こえるのは、時折廃墟を吹き抜ける哀しげな風の葬送曲だけ。
ぶるるるる、と馬が鼻を鳴らす。
丘の上から廃墟と化した集落の痕跡を望む、四つの騎影があった。
「夜の闇ってのは、実に普遍的な神の啓示だと思わないか? 諸君」
馬を止め、辺りの様子を見渡していたスティーブが、不意に口を開いた。彼に着き従う三人の部下の間に、困惑した空気が流れた。
「神が光を生み、夜を創って以来、見たくないもの、見ない方がいいもの、あるいは露わにしてはならないものを覆い隠し続けている。夜の闇とは神の意思であり、愛だ。世の中の半分は人が見てはならぬものでできている、だから見るな、というな」
「スティーブさん……どうかしちまったんですかい?」
一人が不安そうに声をかける。
スティーブは皮肉げな笑みを頬に刻んだ。
「人は時に、己が背負う罪業の重さに怯え、神の慈悲にすがろうとするものだ。特に、こんな夜はな」
「はあ……」
「要するに……この凄惨な屠殺現場を直視せずに済んでいることを神に感謝――」
「スティーブさん、誰かいるようですぜ」
スティーブの声を遮って、ダミ声の男が丘の麓の窪地を指差す。
スティーブは目をすがめた。確かに、部下の言う通り何者かが座り込んでいるように見える。距離は百m足らずといったところか。もっとも、この月明かりの下で、この距離ではまだ原形をとどめている遺骸か、ティピーの残骸かもはっきりとしないが。
「ふふん、だから言っただろう?」
得意気にカウボーイハットの縁を少し持ち上げた。
「女は自分の親族の遺体を埋めに戻るとな。そいつが奴らユート族の習慣だ。……にしても、動きがないな。それに、一人か?」
「……一人みたいですね。火も灯さずに、何をしてるんだろう」
若いのがためつすがめつしながら言った。
「ふん、死人の霊魂とお別れでもしてるんだろう。ということは、あれは“ANNA”か。ジェラードが一人でここにいるわけがないからな」
「何でです?」
「白人である奴がこんなところで一人、何をする?」
若いのは納得して黙り込んだ。
(……とはいえ、どこかに潜んでいる可能性も否めないか……?)
スティーブは周囲に目を走らせた。森までは距離がある。人が身を隠せそうなのはティピーや納屋の残骸ぐらいだが――ざっと見た限りでは人の気配はない。
よく考えれば、そもそもジェラードだけが隠れるということはありえないはずだ。こちらの接近をいち早く感じられるとしたら、おそらく“ANNA”だ。その“ANNA”があんなところでのんびりしているのに、ジェラードだけが身を潜めているなどということがあるだろうか。
そうだ。あの偽善者はあの小娘を囮にするぐらいなら、二人とも身を潜めてやり過ごすか、自分から接近してこちらの注意を引こうとするはずだ。
それに、そもそも復讐に燃えるインディアンの娘がジェラードだけを潜ませて、こちらを迎え撃つなどという戦術を取るわけがない。やるなら自分の手でやりたがる。
総合的に考えて、どうやらジェラードは――なぜかはわからないが――あのインディアン娘と別れたのだ。ここにはいない、と考えていい。
「で? 結局、殺っちまっていいんですかい、保安官?」
一番年かさの男が、鞍のホルスターからスペンサーカービンを抜きながら聞いた。
スティーブは薄く笑った。
「ああ。俺は賞金に興味はない。好きにしろ。何なら殺す前にとっつかまえて、犯っちまってもいい。インディアンにしては、結構上玉だったからな」
しかし、年かさの男は首を横に振って、スペンサーカービンを肩づけに構えた。。
「へへ、俺はあんな泥臭いのは好みじゃねえんで、的にさせてもらいますよ」
「それじゃ私は、向こうへ回ろう。お前が外したら、いただくことにする」
「じゃ、あっしはこっちへ」
他の二人もそれぞれにライフルを抜きながら馬首を巡らせ、左右から回り込む。
スティーブは黙って好きにさせた。この有様ではインディアンの生き残りも潜んではいないだろうし、あの影が“ANNA”なら、武器はトマホークが関の山だ。銃の扱いさえ間違えなければ、いくらこいつらでも敵ではないはず。
「へっ、お前らまで回すかよ。二百ドルは俺がいただきだ」
男の指がトリガーにかかり……引いた。
乾いた銃声が夜闇を震わす。
だが、当たらなかったらしい。座り込んでいた人影は即座に姿を消した。残骸の陰に隠れたか。
「ちぃ、陰に隠れやがったか。逃がすか」
吐き捨てて、馬を窪地へと向ける。
遠ざかる部下の背中を見ながら、スティーブは薄く笑った。
(……やれやれ、インディアンの小娘一匹に……。もっとスマートな――)
何度かの銃声が交錯した。そして、重いものが落ちる音が三度。
「なに?」
気づけば満月の蒼光の下、乗り手を失った馬が三頭、所在なげに走り回っていた。
部下らしい影の塊がそことここと、あそこにうずくまっている。
「な……しまった!!」
スティーブは自らの迂闊を悟った。
(一瞬で三人を……くそ、あれは“ANNA”じゃないのか! それとも、罠にかけられたか!?)
慌てて自らも鞍のホルスターに差し込んだスペンサーカービンを引き抜き、馬を飛び降りた。
ティピーの残骸に身を隠しているらしい相手に対し、身を隠すもののない丘の上の馬上はあまりに不利だ。ここは一旦丘の後ろに退き、窪地に潜む相手からの射線を防がねばならない。
馬を盾にしながら、ゆっくりと後退る。
(くぅ、俺としたことが……。一瞬で三人を撃ち落したあの手並み……ナノ・ユートの生き残りやあの小娘とはとても思えん)
一旦丘の後ろまで下がってきたスティーブは、馬を放しておいて地面にうつ伏した。そのまま、腕を使って今度は前進する。
(となると、やはりジェラード・マクスウェルか。陰に潜んでいたか、それともあの影が本人だったか……だが、なぜだ? なぜ奴がここにいる? 何のためにここへ戻ってきた? “ANNA”に導かれてきたのか? それとも遺骸を埋めるのを手伝うためにか?)
ギリギリ窪地にうずくまる廃墟の影が見える位置までにじり進み、様子をうかがう。
部下の乗っていた馬が三頭、所在なげにうろついている。
ティピーの残骸が風にはためいている。
あとは、満月の光に照らし出された大地が見えるだけだ。
(……奴は……どこだ? 次の手はどう打つ?)
遠くで狼が吠えている。
スティーブはこれまでにない焦りを感じながら、スペンサーカービンを抱きかかえた。
「ではミーカーさん、そういうことでくれぐれもお願いしますよ」
深夜にも関わらず押しかけてきた住民代表の男は、くどいほどに念押しした。
眼鏡をかけた痩せっぽちの中年男だ。外見通り神経質そうに両手を擦り合わせている。
「ええ、もちろんですとも」
差し向かいのソファに座るミ―カーは、顔の右半分だけでにっこり笑った。左半分は包帯で隠されている。
「軍隊には用件が終わればすぐに帰っていただきます。彼らに関する苦情は、全て私のところへどうぞ。例え軍人といえども、私の町で好き勝手されては困りますからね。どうかそのあたりはご安心を」
中年男はようやく安心した様子で、大きく安堵の吐息をついた。
「いやぁ、よかった。わしらには、ミーカーさんだけが頼りですから。軍人達に我が物顔で町の中を歩かれたらどうしようかと、皆、不安がっておりましてな。これで少しは安心しますです。ところで」
不意に一旦安堵に緩んだ男の表情が、緊張を孕んだ。指先でずり上げた眼鏡が、きらりと光る。
「話は変わりますが……インディアンの集落を襲撃したって、ほんとですか?」
ミーカーは眉をひそめた。心の動揺を隠すように腕を組む。
「どこでそんな与太話を?」
「いえ、その……今日、怪我した軍人を見たとか、部下の方が何人かいらっしゃらないようだとか、町の者達が……。それにそのぉ……ミーカーさんの……」
男は言葉を濁し、視線を逸らしたが、皆まで言われずともわかった。この包帯は目立ちすぎる。
だが、これを外して無様な青タンを見せるのはプライドが許さない。
(くそ、こんな夜中に来る方も来る方だが、屋敷へ入れる奴も入れる奴だ。スティーブなら追い返してくれただろうに。奴以外は気の利かんのばかりで困る)
心の中で苦虫を噛み潰しながら、ミーカーはその場を取り繕う笑みを浮かべた。
「あー、これはね。目に木の枝が当たりましてね。幸い失明ということはなかったんですが、目蓋を切ってしまいまして」
「何かあったんですか?」
「東の森に身の丈五mはあろうかというグリズリーが出た、との報告がありましてね。自警団と保安官だけでは手が足りそうにないので、たまたま近くまで演習に来ていたソンダーク大佐の軍隊の手を借りることにしたんですよ。いや、さすがに軍隊でもかなりてこずったようですな」
とっさに作った嘘をすらすらと話す。
今はまだナノ・ユートの集落襲撃の話を知らせるべきではない。住民の多くはインディアン排斥派だが、同時に彼らの襲撃を異常なほど恐れている。いらぬ不安に駆られて妙な動きをされると、今後の計画が狂いかねない。全てが片付いてからの方がいい。
「それじゃあ、そのお顔の包帯はグリズリーと戦って……?」
感心しきりの男に、ミーカーは手を振って否定した。
「ああ、いえいえ。実は私、その大物グリズリーとは直接会っておらんのです。そいつと会う前に、前を行く馬が跳ねあげた枝が当たってこの様ですわ。皆より先に帰らざるをえず……いや、みっともない。ははは」
陽気に笑うミーカーに安心して、男は胸をなでおろした。
「なるほど、そうでしたか。私はまたインディアンとやりあって殴られたのかと……」
一瞬、ミーカーの笑みが強張った。
住民代表の男はそれに気づかず、声の調子を落として続けた。
「しかし、ここだけの話、奴らには早く消えてほしいものですな。奴らがすぐ傍にいるかと思うと、恐ろしくて夜もおちおち寝られませんよ。三年前のカスター将軍のこともありますし……ミーカーさん、あなたのお力で何とか――」
「ふあぁぁぁあぁあぁ……」
話を遮って、不意にミーカーが大きく欠伸をした。
「……ぁぁあああ、失敬」
右手で遮ったものの、たっぷり十秒は大口の中をさらしたあと、ミーカーは頭を下げた。
「今日はそういうことがあったので、非常に疲れていまして。失礼ながら、そろそろ休ませていただきたいのですが……」
にっこり微笑んで、少し首を傾げる。
男は壁の振り子時計を見て、わざとらしく声を上げた。
「おう、これはこれは……もう夜半を過ぎていましたか。こんな夜分遅くにどうもすみませんでした」
言いながら男が腰を浮かせるのに合わせて、ミーカーも立ち上がる。
「玄関までお送りしますよ。軍隊の狼藉が心配でしたら、家まで部下に送らせましょうか?」
「それはありがたい。実はここからですと、軍隊のキャンプの傍を通った方が近道なんでね」
ミーカーは執務室のドアを開けて廊下へ案内しながら、相手の背中をポンポンと軽く叩いた。
「知ってますよ。だからお付けすると言ったんです。徒歩ですね?」
男は驚いたようにミーカーの笑顔を見つめた。
「ええ。私、実は馬に乗れないものですから……」
「おい、チャベス! チャベスは起きてるか?」
すぐさま隣の部屋から部下の一人がかけつけた。少し酒臭いのは数時間前までの酒宴に参加していたからだろう。
「なんですか?」
少し眠たげなチャベスに不安を抱きながら、ミーカーは痩せ男の肩を叩いた。
「この方を家までお送りしてくれ。それからそのあと、酒が入って盛り上がっている連中が何か厄介事を起してないか、町の中を一通り巡回してくるんだ。それが済んだら寝床に戻っていい。緊急でなければ、報告は朝聞く」
「はっ! わかりました」
チャベスは威勢良く応え、馬を用意すべく先に駆け出した。
ミーカーは男を玄関まで案内した。
「では、軍隊のこと、くれぐれもよろしくお願いします」
玄関ポーチへ出た男は、振り返って握手を求めた。ミーカーは黙って差し出された手を握り返した。
「お休みなさい、ミーカーさん」
「お休みなさい。いい夢を」
不安の消えた男の笑みに、ミーカーも微笑み返した。
じりじりと時間が過ぎて行く。
スティーブは動きの見えない相手に、焦りを覚えていた。
(……どういうつもりだ? このまま動かないつもりか? それに何の意味がある? いや……それとももう、奴はあそこにいないのか? そんなはずはない。俺一人が残っていることはわかっているはずだ。二対一ならなぜ攻めて来ない? 警戒するということは……ジェラード一人なのか?)
丘の上でうつぶせたまま、じっと考え込む。敵の意図するところが読めない。
このまま睨み合いをしていても、まったくお互いに利するところはないはずだ。
(埒があかんな……いっそ、一旦退くか? 帰って、自警団の連中を引き連れて……ダメだ。その間に奴は姿をくらますだろうし、あの腕前……ゴロツキの寄せ集めにすぎない自警団など、ものの役には立つまい。もし自警団全滅などということになったら、目も当てられん。ここは……やはり、俺が何とかしなければならんか……)
ふと、左胸に圧迫感を感じて見下ろせば、星型の保安官バッジが土に汚れていた。
今さらながらそれに気づいた自分に、舌打ちを漏らす。
(……臨時ではあるが、保安官としちゃ、逃げるわけにはいかんな。さりとて、死ぬわけにもいかん。ミーカーさんの顔に泥を塗っちまう。生きて、なおかつ保安官の職務を全うするか……厄介なことだ。となると……方法は一つか)
不意に、スティーブは立ち上がった。右手でスペンサーカービンの銃身を、左手で銃床を握り、頭上に差し上げる。
「そこに隠れているのは、ジェラード・マクスウェルだな! 俺はスティーブだ。昼間、会ったな。保安官として、お前と話がしたい! 今からそっちへ行くぞ! 撃つなよ! いいな!」
スペンサーカービンを差し上げたまま、前進する。一歩、二歩……。
はためくティピーの影から、人影が現れた。
(ジェラード・マクスウェル……か?)
ぐびり、と喉が鳴る。予想が外れていたら、問答無用で殺されかねない。
だが、銃弾は飛んでこなかった。もちろんトマホークも。
丘を降り切り、窪地に進む。何度かかつて人の身体だったものに足をとられつつ、一人ぽつねんと立つ人影に近づく。
距離五mまで近づいたところで、スティーブは足を止めた。
ジェラードは両手をぶらりと下げて、ごく自然に立っていた。ただ、その表情はカウボーイハットの鍔に隠れてうかがえない。
「ライフルを……下ろすぞ」
答えはない。沈黙を肯定と受け取り、ゆっくりとスペンサーカービンを下ろす。どうも、本当にジェラード一人らしい。昼間に見たときのまま、右手に包帯が巻きついている。あの腕で三人を、と思うと少し背筋が冷えた。
「俺の部下をまた三人、殺ってくれたな」
辺りに転がる三つの遺体を目で追いながら、スティーブは漏らした。
「先に撃ったのは――」
「ああ、わかっている。皆まで言うな。今回の件について、お前を罪に問うつもりはない……こいつらが暴走しただけだしな」
自分で許可を出しておきながら、しれっと言ってのけるスティーブ。もちろん良心の呵責などない。
「――ま、このざまを見る限り、おそらくは前任の保安官殺害の件も、お前の言うとおり正当防衛なんだろう。もう、それでいい。お互い、目撃者もいないわけだしな」
ジェラードは小首を傾げた。だったらなぜ、目の前に保安官が立っているのか、と言いたげに。
スティーブは大袈裟に溜め息を漏らした。
「お前に用はない。用があったのはあの小娘の方だ」
「アンナか。あいつはここにはいない」
「そのようだな。なら――……」
スティーブはどこへ、と聞こうとしてやめた。あの娘がここにいないのなら、好都合だ。白人同士、突っ込んだ話が出来る。
「――なら、お前にも聞いておこうか。昼とは状況が変わったのはわかっているだろう。お前さんが守ろうとしていた連中は皆殺し、お前とあの小娘にはそれぞれ千ドルと二百ドルの懸賞金がかけられた。それでも、まだお前はミーカーさんに逆らうのか?」
返ってきたのは、沈黙だった。
「お前さんがどうしてもミーカーさんの下で働きたくないってんなら、しょうがない。このままこの州を出て行け。もちろん、ここで見たことに関しては、一切口をつぐんでもらうがな。それを誓うなら、口止め料も出す。百ドル……いや、千ドル出そう。もちろん指名手配も取り消す。どうだ?」
無言。迷っている気配も感じられない。そもそも、聞いているのか?
「……おい、聞こえているんだろう。YESかNOか、答えろよ」
声に少し苛つきが混じったそのとき、再びジェラードが口を開いた。
「俺もお前達に聞きたいことがある」
スティーブは顔をしかめた。逆に問われるとは思っていなかった。
「フロンティア・スピリットを知ってるか?」
「……………………は?」
まったく脈絡のない問いに、スティーブは混乱した。ついその裏にある意図を読もうとして、さらに判断が遅れた。
「フロンティア・スピリット? 開拓者魂のことか? 西部に生きる者の……いや、アメリカに生きる者、アメリカに夢を抱いてやって来る者全てが持つ、崇高な誇りのことだな。それがどうかしたか」
「これが、そのフロンティア・スピリットか」
「これ……? ああ、これか」
周囲を見回したスティーブは得心したように頷き、小さく首を横に振った。
「やれやれ、何を言い出すかと思えば……。そうとも、これがフロンティア・スピリットだ。いかな困難をも乗り越えて、いかな敵をも打ち倒し、神の与えたもうたこの地を征服する、それこそフロンティア・スピリットだ」
「レッドフォックスは自分達が培ってきた文化や伝統を捨てて、農業をはじめ、白人的な生活すら受け入れようとしていた。それは、フロンティア・スピリットじゃないのか」
「違うな。それは敗残者の――」
「連中はお前達が来る前から、既に農業を始めていたはずだ。戦いに負けて、強制されたわけじゃない。それまでの狩猟生活から、農業へ……自発的にこれを行うことが、どれだけの覚悟と決意と犠牲が必要だったことか。俺は、こいつらを尊敬する。お前達などより、よほどフロンティア・スピリットに溢れていた」
スティーブは口をつぐみ、じっとジェラードを見つめた。ハットの陰に隠れた表情が読み取れない。
「……………………結局、お前は何が言いたいんだ。ジェラード。奴らの恨み言の代弁か? それとも、復讐の宣言か? どちらにしろ、お前の戯れ言につきあっていられるほど、俺は暇ではないんだ。何がしたいのかをいえ! 要求があるんじゃないのか!」
しかし、ジェラードは首を傾げたまま、ぼそりと漏らした。
「さて……俺は何をすればいいんだろうな。……何かをさせたくて呼んだんだろうに、こいつは肝心なことを教えてくれない」
「呼ばれた? こいつ?」
ジェラードは傍らを指差した。そちらに視線を移したスティーブは顔をしかめる。
首だけの遺骸があった。見覚えがある。あの顔は……。
「ジェントル・ブル……こいつが呼んだというのか? お前を? 馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てて、ライフルの銃床を地面に叩きつける。
死者が呼ぶなど、信じない。第一、なんでインディアンが白人のジェラードを呼ぶのか。
スティーブは皮肉たっぷりに鼻で笑った。
「ははん、それで? 奴はお前に、何をさせるつもりだ? 俺と対決させたかったのか?」
「復讐か……違うだろうな。こいつは、それを俺に望むような奴じゃなかった――争いを嫌っていた」
すっと身を屈めたジェラードは、風に乱れるジェントル・ブルの髪を撫でつけた。
「それに、俺に恨み言の代弁者や、復讐者の資格があるとは思えない。だから、何のために呼ばれたのか……それがわからず、ここで途方に暮れていた。自分でもこの先どうするべきなのか、迷っていたしな。そしたら、いきなり撃たれた」
「悪かったな」
口で言うほどに悪びれもせず、スティーブはスペンサーカービンを肩に担いだ。
ジェラードに戦意がないのは雰囲気でわかる。それに連中の仇を討つことにも消極的なようだ。男としては二流……いや、口では正論を吐きながら、いざとなれば命を惜しむ三流以下の臆病者で卑怯者、つまりはアウトロー上がりの自分でさえ唾棄せずにはおれない偽善者だ。だが、それは今言うべきことでもない。
こうなると、もうここに用はなさそうだ。それより、姿の見えない“ANNA”の方が気になる。
「まあいい、お前に俺達とやりあう気がない、とわかっただけでも収穫だ。こちらも、もうお前と関わりあいになるつもりはない。指名手配の件はこっちで手を回しておくが、お前ももう二度とこの辺りへ近づくなよ」
捨て台詞を残して、踵を返す。
「どこへ行く?」
ジェラードの問いに、丘を登りながらスティーブは鼻を鳴らした。
「ふン。“ANNA”を探し出し、始末する。あの小娘だけは生かしておけん」
「……………………なぜそこまで」
スティーブの足が止まった。ゆっくり振り返ったその両眼に、爛々と殺意が光る。
「ただの小娘なら、生きていようと死んでいようと構わん。俺の知ったことじゃあない。だが、あの小娘はミーカーさんを足蹴にした。ゆくゆくは大統領になられるお方を。困るんだよ。インディアンに踏まれて膝をついた、なんてエピソードのある大統領は誰も望まないからな。だから、それが今後の禍根とならぬよう、今のうちに始末する」
「……なるほど。そういうことか」
天を仰いでジェラードが漏らす。大きな溜め息とともに。声に張りが戻ったように聞こえたのは、気のせいだろう。
「スティーブ」
「なんだ、まだ何か用か。あの女の助命嘆願ならきかんぞ」
踵を返そうとしていたスティーブは足を止め、苛ついた声で言いながら上半身をねじった。ジェラードを睨みつける。
「礼を言う」
「はあ?」
予想外の言葉に、思わず頓狂な声が口をついて出た。
ジェラードは顔を上げ、まったく場違いににっこり笑っていた。
「お前のおかげで、俺のなすべきことがわかった。なぜジェントル・ブルが俺をここへ呼んだのかも」
「なにを……言っている?」
妙な違和感を感じた。殺気は感じない。だが、何か空気が張り詰めたような気配。
つい今しがたまで迷いの中にあったジェラードが、何かを決意したということか。だが、何を?
ライフルを肩に担いだ手の指が、トリガーをまさぐる。
ジェラードはニコニコ微笑みながら、言った。
「いろいろ教えてくれて、しかも見逃してくれるお礼といっては何だが、一つ教えておこう。アンナはミーカーを殺しに行ったぞ。別れたのは夕刻。俺はミーカーのいる町がどこにあるのか知らないんだが、ここから徒歩でどれくらいかかるんだ? そろそろ、着いている頃か?」
がぁん、と後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
「な……なんだと!? なぜそれを早く――」
危惧したとおり、あの小娘は手負いの狼と化したか。しかも、ミーカーを狙っている? 冗談ではない。
「屋敷には警護の連中もいるんだろうが……夜も立ち番をしてるのか?」
しているわけがない。連中は元々ごろつきだ。命令でもしない限りはそんな面倒なことは真っ先に放り出す。そのうえ、今夜は――
背筋が凍り、血の気が引く。
「くそったれ!」
スティーブは駆け出した。丘を一気に駆け上り、自分の馬を呼んで跨る。すかさずその腹を蹴る。
もうジェラードのことなど、頭の隅にもなかった。
「やれやれ、せっかちなことだ」
リズムを刻む馬蹄の遠ざかる響きを聞きながら、一人残ったジェラードは呟いた。その頬に笑みが浮かんでいる。
「ま、それぐらい頭に血が上ってくれた方が、俺も動きやすい。さて、行くか」
もはや動かぬ主を鼻面でつついていた馬を捕まえ、跨る。
鞍上から、ジョセフの首を見下ろした。
「ジョセフ、悪いな。本当なら、お前を埋めてやりたいんだが……今は生きてるやつの方が大事だ。それに、そのために俺をここへ呼んだのだろう?」
無言の首は、月の明かりのいたずらだろうか、心なし微笑んでいるように見えた。
「生きて戻れたら、あいつと一緒に埋めに戻ってきてやるよ。じゃあな」
腹を一蹴り。馬は走り出す。
丘の上に登れば、丁度スティーブの騎影が森の小道へ消えてゆくところだった。