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ダンス・パーティ


 集落から森の小径を二十分ほど東へ戻ったところで、ミーカーの一行は唐突に止まった。
 歩みを止めたジェラードは、訝しげに辺りを見回した。特に立ち止まる理由は見当たらない。左右は下生えも少ない針葉樹の林、前後は森を抜ける小径が続いているだけだ。
(なんだ……?)
 嫌な予感がした。
 ミーカーは鞍から降りると、振り返って荒くれどもに命じた。
「――よし、散開しろ。各自所定の位置へ行け」
 スティーブも鞍から降り、馬首を巡らせる部下達に注意する。
「前に出すぎて後ろから撃たれるな。お前達の仕事は網目から逃げた奴だけだからな」
「りょーかい、りょーかい」
 笑い声すら上げながら森の中へと散開してゆく一行。
 ジェラードの不審感は頂点に達した。
「おい、ミーカー! どうしてこんなところに……何を始めるつもりだ!」
 手近なピノン松の幹に、馬の手綱をくくりつけていたミーカーの動きが止まった。
「スティーブ」
「はい」
 背を向けたままのミーカーの意を受け、スティーブは鞍のホルスターからライフルを抜き出した。
 ジェラードの目が、ついその銃を見極める。
(お、スペンサーカービンM1865か。レバーアクション式で、南北戦争のときの――)
 職業的な性が裏目に出た。
 スティーブが振り向きざまに振るったスペンサーカービンの銃床を躱しきれず、まともに食らった。
「がっ!」
 硬い銃床で思い切りぶん殴られ、まぶたの裏に火花が散った。
 鼻につんと血の臭いが漂い、口の中に鮮血が溢れてくるのが感じられた。
「貴様ごときアウトローが、私を気安く呼び捨てることは許さん」
「…………なぁるほど」
 ジェラードは上半身を起こし、傍らに血を吐き捨てた。
 傲岸不遜な自信にあふれたミーカーの眼を睨み返しながら、口許に滲んだ血を右腕の包帯で拭う。その左頬には、青いあざが浮き出していた。
「詩人で小説家のお偉いミーカーさんは、人を殴るのさえ人任せ、か。……自分のことしか考えられない偏狭な頭は、東部にいた頃と変わんねーみたいだな」
 途端にミーカーの顔色が変わった。
「貴様、私を知っているのか……?」
「ああ、あんたの小説は読んだことがある。新聞への寄稿文もな」
 気遣うように窺うスティーブに、ミーカーは首を横に振った。気にしなくていいということだ。
 座り込んでいるジェラードのこめかみに、スペンサーカービンの冷たい筒先が押し当てられた。
「う?」
 ジェラードの身体が硬直した。顔色がさっと変わる。
「おいおい、裁判も無しか? いくら無法の西部といっても……」
 軽口を叩いても、全身が緊張する。ミーカーにもそれはわかるのだろう。優越の表情を浮かべた彼は、腕組みを解いてズボンのポケットに両手を突っ込んだ。
「保安官殺しは重罪だ。知ってるな……?」
「お、おい、冗談じゃないぞ! 弁護士も無しか! これじゃリンチじゃねーか!」
 薄く笑っているミーカーに、ジェラードは背筋を凍らせた。
 法廷に出れば、まだ勝ち目は多少なりともある。東部には知り合いの腕利き弁護士もいる。しかし、こんな展開は全く予想していなかった。
「てめえ、インディアンでもやらんようなことを! 一体何様の――」
「スティーブ」
 ミーカーの命を受け、邪悪な笑みを浮かべたスティーブは、引き金を引いた。


「ミーカー殿はまだ、奴らの巣の中なのか?」
 陸軍の青い軍服に身を包んだソンダーク大佐は、干し肉を頬張りながら傍らの部下に話しかけた。
「もう引き揚げた頃だと思いますが……合図がないうちは動けませんよ」
「そんなことはわかっている!」
 思わず声を荒げたソンダーク大佐を、部下は慌てて人差し指を唇に当てて制した。
「む……悪かった。……しかし、この状態はな……我々はインディアンではないのだぞ」
 ソンダークの部隊は四隊に分かれ、レッドフォックスの集落の四方を囲む森の中に隠れていた。スティーブが下調べしておいた、ナノ・ユートの警戒区域の外である。少し進めば、頻繁に見回りの斥候が来る。
 集落の連中に見つからぬよう、夜明け前にこの位置へとやってきていた大佐は、以来数時間、細心の注意を払って隠れ続けていた。
「……インディアン相手の戦いだというから張り切っておったのに……これでは」
 突然、ソンダークのぼやきを引き裂いて、何かの弾ける乾いた音が響き渡った。
 ソンダーク大佐以下、その背後の様々な場所で待機している部下達の身体が硬張る。
 ソンダークは傍らの部下と顔を見合わせた。
「今のは……合図か」
「いえ、合図は二回と……」
 再び乾いた銃声が、澄んだ大空にこだました。
 たちまちソンダークのごつい顔に、残忍な笑みが浮かび上がった。
「騎乗ーーーーぉっっ!」
 傍らの馬に跨りながら叫ぶ。あちこちが急に騒がしくなった。馬のいななきや、擬装のために針葉樹の落ち葉をあしらった毛布を跳ね上げる音、あぶみのなる音が聞こえる。まるでいきなり森が動き始めたような大騒ぎだった。
「いいかぁ! 東の部隊が追い込みをかける! 我々と南、北の部隊は逃げてくる連中を掃討する! 一人たりとも生かして逃がすな! それから、間違っても仲間を撃つな! それ以外なら何をやっても構わん! 殺って殺って殺りまくれ!」
 彼の後ろに続く兵士達から下品な歓声や口笛が飛んだ。
「ラッパ兵!」
 金色のラッパをくわえた騎兵が進み出てきて、高々と進撃の合図を吹き鳴らした。
「とぉつげきぃぃぃぃ! イィヤアアアアアッホォォォォォォッッ!!!」
 ソンダークの差し上げた右手が振り降ろされ、騎兵隊は下生えのほとんどない針葉樹の森の中を、平和そのもののレッドフォックスの集落に向かって突き進み始めた。


 二発の弾丸を空へ向かって撃ったスティーブは、スペンサーカービンのレバーを上げて二発目の空薬莢を排出した。
 ジェラードは血の気の引いた顔で訝しげにミーカーを見上げた。
「…………なんだ? どういう……ことだ」
 ミーカーは片頬を持ち上げるように嗤った。
「ふふん、少しはおとなしくなったな。結構、結構。今のは単なる脅しだよ」
 ジェラードは無言のまま膝を立てようとした。その途端、再びスペンサーカービンの銃口がこめかみに押し当てられた。
「下手に動くな。その姿勢のまま話を聞け」
 スティーブの低い威圧の声に、緊張を解いて全身から力を抜く。
「OK、わかった。……話を聞こう」
「それがいい」
 ミーカーはにっこり笑って、腕を組んだ。舌先で唇を湿らせて、口を開く。
「本音を言わせてもらえば、君のように優秀な人間は、あたら無駄に失いたくない。できれば、私の下で働いて欲しい」
 ジェラードは訝しげに、傍らのガンマンを見上げた。ライフルを構えたスティーブは神妙な顔でジェラードを見下ろしている。
「…………本気か?」
「もちろんだとも」
 大げさなくらいニコニコしながら、ミーカーは頷いた。
「『サンダーボルト』――雷鳴とまで評されたその腕を、あの赤い連中を追い払うために使ってもらいたい。西部を征服するのは、法でもなければ、誇りでもない。現実の力だ。私の頭脳に君の腕。この最高の二つの力によって、無法の地コロラドに平和をもたらすことができる。手伝ってくれるな?」
「やなこった」
 鼻で笑って即答したジェラードに、ミーカーは意外そうな表情を見せた。
「保安官待遇は保証するし、そうそう、今回の件も不問に付すぞ――無論、トマホークの件の嘘もな」
「嘘? 俺がいつ――」
「スティーブ」
「……トマホークは、チャーリーの額に突き刺さっていた。お前の銃弾が当たった後だ」
 身じろぐジェラードを制しつつ、スティーブは事務的な口調で答えた。
 ジェラードは口を結んだ。
「そうなると、百歩譲って三人との銃撃戦が正当防衛だったとしても、トマホークの件は明らかに過剰な攻撃だ。判事もとどめを刺す意図での一撃だと見るだろう。そのうえ、どう転んでも遺体損壊の罪もついてくる。裁判になっても、勝てる見込みはない」
「…………………………」
 黙っているジェラードに、ミーカーは愉快そうにくっくっく、と喉を鳴らして笑った。
「まあ、そういうことだ。犯罪者に堕するか、私と一緒に栄光をつかむか。迷うまでもないことだろう」
「ああ、そうだ。迷うまでもないな」
 表情を引き締めたジェラードは再びミーカーを睨みつけた。
「断わる」
 たちまちミーカーとスティーブ、二人の表情が険しくなった。
「俺は、自分のしでかしたことから逃げるつもりはない。裁判結構、受けて立つ。さし当たっては弁護人を呼んでもらおう」
「お前はバカか……?」
 ミーカーは首をひねりながら、唸るように漏らした。
「この状況で断わるということは、どういうことかわからないのか?」
 両手を広げ、肩をすくめる。そして、スティーブの鞍にかかっている麻袋に手を突っ込み、中をまさぐった。
「なぜ、そうもあの汚らしいインディアンどもに肩入れする? 一言、私は関係ありません、と言えば誰もお前を罪に問いはしない。お前は白人で、高名な賞金稼ぎなのだからな。なのになぜ、その肩書きを放り出してまで奴らをかばう? 何がお前にそうさせるんだ? 安っぽい正義感か? エセヒューマニズムか? あるいは、偽善者の大好きな博愛主義とやらか?」
 振り返ったミーカーの右手には、アンナのトマホークが握られていた。
「……まあいい。あくまで協力しないというなら、仕方がないな」
 トマホークの刃がぎらりと輝いた。
 ただの脅しか、本気か。ミーカーの意図を読みかねて、ジェラードはただ睨みつける。静寂が支配する。
 世界が、さやさやと鳴るピノン松の葉擦れの音だけになる――そのとき、小径の彼方で微かに、聞き慣れた炸裂音がした。
 びくりと身を震わせたジェラードは、連行されてきた道に首を巡らした。
 それを契機に、激しい銃撃音が轟き始めた。
「始まったようだな」
 ミーカーの薄笑いと絶え間ない銃撃音――その関連に気づいたジェラードは、身体中の血が引いてゆく音を聞いた。絶望という名の黒雲が、胸を覆い尽くしてゆく。
「……まさか…………ミーカー、てめぇ……」
 ジェラードの顔色が見る見るうちにさらに青ざめてゆく様を、愉快そうに見下ろしながらミーカーは嗤った。
「くっくっく……さあ、楽しいダンスパーティーの始まりだ」


 ミーカーという最大の脅威が去った後だけに、集落は物理的にも精神的にもほぼ無防備状態だった。
 そこへ、ミーカーの戻って行った小径から現れた騎兵の突撃を受けた。
 最初に騎兵のサーベルによって、集落の入口付近に陣取っていた見張りの首が宙を舞った。
 騎兵はそのまま広場まで駆け抜け、散開しつつあった人だかりに突っ込んだ。
 普通、馬は人間が進路にいると避けて走ろうとする。しかし、集団の中へ突っ込まされた馬にそんな行動を求めるのは不可能だった。数人が馬の巨体に跳ね飛ばされ、二、三人が蹄にかけられて絶命した。
 突然の蹂躙に、全く戦いの備えなどしていなかった集落は大混乱に陥った。
 驚いた女子供が一斉に彼らから離れようと、南へ、北へ逃げる。西は畑と、何もないなだらかな丘が続くため、馬で追われると逃げ切れない。すぐ森が迫っている南と北の方が生き残れる可能性が高いと判断したためだった。
 男達は相手が数人の騎兵であることを知り、各自のティピーに武器を取りに走った。
 少しして――南と北で連続的な銃声が轟き、狂気の歓声と絶望の悲鳴が交錯した。


 レッドフォックスのティピー。
「馬鹿な! 軍隊だと? この辺りには軍隊は駐屯していないはずだ!」
 ジョセフと差し向かいで話をしていたレッドフォックスは眼を剥いて、珍しく大声を上げた。ジョセフの顔にも硬張りが走る。
「だが、現に青い服を着た騎兵が広場で……! 女子供は南と北へ逃げ始めている!」
 陋習長の顔が苦渋と後悔に痛々しいまでに歪んだ。興奮のあまり強く握りしめた拳が細かく震えている。
「ミーカー……あやつか……じゃが、なぜこんな真似を……! これでは……十五年前のサンド・クリークの再現ではないか! あの時の我らの怒りがリトル・ビッグホーンの悲劇を呼んだこと、あやつが知らぬはずはあるまいに!」

 1864年11月29日、それまで陸軍と戦っていたシャイアン族の一部族七百名が休戦し、サンド・クリークという川のほとりで武装解除してキャンプを張っていた。
 そこをJ・M・シビントン大佐率いるコロラド義勇兵が襲撃、無抵抗の彼らをほしいままに蹂躙し、七百名中四百五十名を虐殺したという事件があった。
 世に言うサンド・クリークの虐殺である。

「わしは……あやつを……ミーカーを甘く見ておったのか……」
 レッドフォックスがうつむいて魂を削る悲痛な声を絞り出している間に、ジョセフは自分のライフルを手にして立ち上がっていた。
「そんなことより、抗戦を! 皆を少しでも遠くへ逃がせるように! 私は先に行きます!」
 ジョセフは入口の垂れ幕をはね上げた。
「あ、うむ、わしも後から……どうした?」
 ジョセフが動きを止めていた。報せに来た男も凍りついていた。
 ジョセフの視線の先には妙な物があった。
 ライフルの銃身を数本ひとまとめにして、台車の上に載せたような形状の兵器だ。銃身の後方には四角い箱がくっつき、そこから突き出したクランクを青い軍服を来た男が握っていた。もう一人が拳銃を構え、その男を護衛している。
 ガトリング機関砲。
 南北戦争でも用いられた連発砲である。無数の弾丸であらゆるものを粉微塵に打ち砕くその威力は、凶悪の一言に尽きる。人が人に向けてよい物ではない。
 ジョセフ達の姿を認めた兵士は何事かを叫び、慌てて砲口を巡らせた。
 とっさにライフルを構えるジョセフ。
 だが、護衛の放った銃弾がジョセフをよろめかせ、非情にもクランクは回された。
 ギアの回転する機械的で硬質な音を主旋律に、炸裂する火薬の音が轟く――
 たちまち草と枝とバッファローの革で作られたティピーは穴だらけになった。
 無数の弾丸が入口にいた二人の身体を、穿ち、こそぎ、剥ぎ、貫き、吹き飛ばす。二人は声もたてずに絶命した。
 さらにその後方にいた老人にも、鉛玉のスコールは容赦なく襲いかかった。前にいた二人をすり抜けた十数発の弾丸が、事態を飲み込めない老酋長の身体を打ち砕く。
 衝撃で吹っ飛び、ティピーを支える柱の一つに背中から叩きつけられたレッドフォックスは、一瞬呼吸困難に陥った。
 空気を求めて思い切り息を吸い込んだ途端、口から大量の鮮血が噴き出した。
 痛みはない。全身が痺れたような、非常に頼りない感触。自分の吐いた鮮やかな真紅の液体が、服に染み込んでゆくのをぼんやり見下ろしながら、老酋長は呟いた。
「……バートン…………バートンよ……グレートスピリットは……我々が大地に生きることを許してはくださらんのか……。我々の十年とはいったい……何だったのだ……」
 涙が溢れているのか、目にもう見る力がなくなっているのか。ぼやけて判然としない視界に、青い服の兵士が孫の死体を踏み越えてくるのが映った。
「……ジョ……セ、フ…………私、は……間違って……いた、のか……?」
 落ちてゆく意識の中で、レッドフォックスはもう一人の孫の笑顔を思い出した。
(……おお……ア、ン……ナ…………に………………げ……………………)
 もう呟くだけの力もなかった。視界が暗転し、レッドフォックスはこときれた。


「私としては、せめて共同農業コロニーが成功してからでもよかったんだが、ちょっと事情が変わってな」
 トマホークを弄びながら、世間話でもするような感じでミーカーは喋っている。その勝ち誇った顔がジェラードをさらに苛つかせる。
「一体、何の話だ!」
 手を止め、ミーカーは真っ直ぐにジェラードの目を見た。野望に燃える目が、怒りに燃える目とかち合い、中央で火花が弾ける。
「今度、州知事選に出ることになってな。共同農業コロニーの方までは手が回らなくなる。インディアンに対する共同農業コロニーの実験場でなければ、私にとってユートなんぞ何の価値もない。いや、邪魔以外の何物でもない。さらに言えば、知事としてビッグオークに代表される好戦的なインディアンを根絶すべきだと思っている。善良な州民を守るためにな」
 ミーカーはにんまり頬を緩めて続けた。
「もっとも、それすらも表向きの理由だがな」
「…………どういう、意味だ」
 訝しげなジェラードに、ミーカーはとんとんと足元の地面を踵で踏んでみせた。
「この下に、宝が眠っている。金、石炭、銅、鉄、鉛……これを欲しがる連中は多くてな。私自身はそんなものにさほど興味はないが、そういう連中が私を州知事に、さらにその上へと押し上げてくれるのだ。無碍にはできん。……まぁ、要するにあそこにいられると、非常に具合が悪いのだ」
「反吐が出るぜ……」
 猛獣のような低い唸りが漏れる。
 ジェラードの敵意に満ちた視線を軽く受け流し、ミーカーはふふん、と鼻を鳴らした。
「これが、政治だ」
「なにが政治だ。ふざけるな!! ミーカー……貴様、ここの連中がこの十年、どんな思いでやってきたか、知っているのか!」
 脳裏をジョセフの寂しそうな笑みがよぎる。
(……少しずつ、少しずつ……ようやくその実が結びつつある。おそらく今年からは飢えによる死者を出さずにすむだろう)
 ジェラードは拘束された身をよじった。握り締めた両拳をつなぐ手錠の鎖が鳴る。こらえきれない怒りの火焔が、内側からふつふつと湧き上がり、じっとしていられない。
「知らんな」
 歯をきしらせ、睨みつける男に、ミーカーは飄々とうそぶいた。
「知る必要はないし、知りたくもない。第一、奴らはアメリカ人ではないんだ。我々の国に無断で入り込んで暮らしている不法侵入者――そんな連中がいくら飢え死にしようと、知ったことではないな」
「不法侵入者……? おい、俺がこの国の歴史も知らんほど無知だと思っているのか。ここは元々奴らの土地だろうが!」
 ミーカーは不快そうに片眉を上げた。
「狂犬だな……その目は」
 残念そうに溜め息をつき、手の中のトマホークを握り直す。
「私が知事になると聞けば、気が変わるかと思ったが……残念だ。しょうがない、お前には死んでコロラドの英雄になってもらう」
「なんだと?」
 ジェラードはスペンサーカービンに制されながらも、体当たりに有利なポジションを取ろうと身じろいだ。
「保安官とその助手三人を殺したインディアンを単身追って行ったものの、卑劣な待ち伏せにあい、命を落としたカンザスの賞金稼ぎ『サンダーボルト・ジェラード』。それがお前の役柄だ。そして我々はお前の遺志を継ぎ、奴らに正義の裁きを下す。いや、不幸な事件だな? くくく……」
 ミーカーは笑いながらトマホークを振り上げた。
「立派な墓を作って――」
 体当たりをしようとジェラードが両足に力を込めた瞬間だった。ミーカーの頭上から何かが降ってきた。
 ミーカーを叩き伏せ、その姿を覆い隠したそれは、大振りのピノン松の枝だった。
「ぐう、くぅ……な、なんだ、くそ、何が……」
 下敷きになってもがくミーカー。
 スティーブも慌てた。
「ミーカーさん!? 今、助け――」
 ジェラードを放置して、駆け寄ろうとする。その目前――もがくミーカーの上にさらにもう一つ、大きな塊が落ちてきた。
 踏み台にされたミーカーは、ぐええ、とガマガエルのような悲鳴をあげた。枝葉の中から突き出していた右手からトマホークが離れ、落ちた。
「な、何だ、こいつは!」
 叫ぶスティーブ。
 薄汚れた茶色の身体に、長く黒い尻尾を生やした大型の猿か。
 そいつが振り向いた。それは――アンナだった。尻尾に見えたのは長い髪、茶色の身体はいつもの薄汚れたケープだった。その瞳には、限り無き怒りの焔が宿っている。
 アンナはスティーブに向かって、それこそ猿のように歯を剥いた。
「ジェラードは、殺らせない!」
「ちぃぃっ、取り逃がしたインディアンか!」
 スティーブはスペンサーカービンをアンナに突きつけようとした。
 その瞬間、ジェラードは溜めに溜めていた脚力を解放して、その銃身を肩でかち上げた。天を仰いだ銃口が、虚空に向けて火を吹く。
「ぬあっ……!?」
 不意を討たれたスティーブが正気に戻る前に、ジェラードは右手で銃身をつかんだ。手前に思いきり引っぱる。つんのめったスティーブの顔面に、手錠の鎖をいっぱいに伸ばして渾身の左拳を叩き込んだ。
 スティーブは鼻血を噴きながら無様に倒れた。
「ジェラー……」
「おのれっ! どけぇ!」
 顔をほころばせかけたアンナの下から、ミーカーが渾身の力を込めて枝を跳ね上げた。身体にまとわりついていた枝が、いくつか派手な音を立てて折れ飛ぶ。
 バランスを崩したアンナが後ろ向きにたたらを踏んでよろめき、スティーブを殴り倒したジェラードの背中にぶつかる。
「おっと……」
 アンナとジェラードは合わせた背中を軸にして、前後を入れ代わった。
 スティーブからもぎ取ったスペンサーカービンを、銃身をつかんだまま横殴りに振るうジェラード。
 目の前にいた者へ、左拳を振るうアンナ。
 スペンサーカービンの銃床は狙いたがわずミーカーの横っ面を捉え、再び彼を自分の跳ね飛ばした枝の上に叩きのめした。
 アンナの左拳も、頭を振り振り立ち上がりかけていたスティーブの顔面をまともに捉えた。
 ジェラードはスペンサーカービンを構え直した。
 だが、ミーカーは起き上がるどころか、動く気配さえ見せない。
「……ふぅ……」
 一息ついて、スペンサーカービンを放り投げる。どうやら気絶したか、あるいは……死んだのか。
 生死を確認しようとしたジェラードの背に、アンナの声がかかった。
「ジェラード! ここを離れるぞ! 乗って!」
 振り返れば、彼女は既に自分のトマホークを回収し、スティーブの馬に跨っていた。
「行くって……どこへ? 集落には……」
「わかってる! みんなに迷惑はかけられない! この森を出る!」
「なに?」
 ジェラードは思わずアンナの顔をまじまじと見つめた。
(こいつ……向こうで何が起こっているのか知らないのか? どうして……)
 耳を澄ませば、もうほとんど銃声は聞こえない。戦いは一方的なまま、はや終わりを告げようとしているのだろうか。
「ジェラード! 行かないのか?」
 舌打ちをして辺りを見回す。スティーブが身じろぎをして動き出していた。
(本当のことは後で言うしかないな。このまま集落から戻ってくる奴らに逃げ道を塞がれてはまずい。ここはアンナだけでも……)
 後ろ髪どころか、全身を引き戻される思いを振り切り、アンナの後ろに飛び乗った。
「いいぞ! 出せ!」
 アンナは馬の腹を蹴った。急発走した馬の尻から落ちそうになり、ジェラードはアンナの腰にしがみついた。構わず馬は走り続ける。
 二人は鬱蒼と茂った森の木々の合間に消えていった。


「……くっ! くそ……」
 スティーブは滴る鼻血を拭いながら、二人の消えた方角を見やった。
 二人の姿はとっくに見えない。馬の蹄が大地を穿つ音さえも聞こえない。
(待機してる誰かが気を利かせて始末してくれるとありがたいが……)
 そんな気の利いた部下がいないことは、自分が一番よくわかっている。
(それにしてもあの小娘……我々に気づかれず忍び寄ったことといい、的確に状況を判断して逃げたことといい……侮れんな。手負いの狼とならなければいいが……くそ、馬鹿であることを祈るしかないか)
 舌打ちをして、ミーカーに近づく。枝に半分埋もれて倒れている主人は、身じろぎもしない。
「ミーカーさん……? ――う!?」
 そっと主人をひっくり返したスティーブの表情が凍りついた。




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