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変わりゆくもの


 風が踊っている。
 透明なほど澄んだ大空に、刷毛で掃いたような高い雲が一筋、西から東へとゆっくり流れて行く。
 青空の中でゆっくりと大きな輪を描いているのは鷹か、鷲か。
 その大空と大地が一つになる地平の彼方は、白っぽく霞んで境界がはっきりしない。
 遠く針葉樹の森がわずかに揺らめいている。
 切り拓かれた空き地で、さざなみのように揺らめいている黄色い絨毯は麦の畑だろうか。
 地形に沿って引かれた灌漑用水の輝きが、九月の太陽の光を反射してきらめいている。
 ジェラードは緩やかな風に頬をなでられながら、一人風景に見入っていた。
 レッドフォックスの集落が拓いた共同農場を一目で見渡せる小高い丘の上。
 見る者を圧倒する渓谷、侵入者を頑なに拒む連峰、原初のたたずまいで文明を退ける大密林……背後にそびえるロッキー連峰。その人間を歯牙にもかけない荘厳さに対し、コロラド高原の広がりは全てを受け入れ、抱きとめる母のようだ。
 自然と人の共存の証のように広がる共同農場の平穏な風景は、妙に安心を与えてくれる。そこにあるのはただ、穏やかな時間の流れ。おそらくは千年を経ても変わっていない、もっとも基本的な人間社会の営みの姿。
(……親父…………これは、あんたの引き合わせなのか……? だが、俺は……)
 この風景の中に身を置いていると、不思議と右腕の痛みも引いてゆくような気がする。
 折れたと言われた右腕は、どうやらひびが入った程度らしかった。あれから六日。既に痛みは鈍いものに変わっている。銃を持って振り回すのはまだ少し無理があるが、日常生活ではもう無視できる程度だ。
「……十年だ」
 不意に背後からの声に振り返ると、ライフルを肩に担いだジョセフが立っていた。
「ここまで来るのに十年かかった」
「そうか。十年か……長いな」
 顔を戻し、ぼんやり呟く。
「我々はミーカー監督官が来る前から、定住の生活に取り組んでいた。少しずつ、少しずつ……ようやくその実が結びつつある。おそらく今年からは飢えによる死者を出さずにすむだろう」
 ジョセフの言葉に含まれる深い思い――喜びと悲しみが半々で混じっているようだった。
「アンナは……この冬、姉妹のように共に育った娘を見送ってな」
 唐突な話題にも、ジェラードは聞かぬげに黙っていた。
「その娘は……食料が底をついたときに、自分の分を弟や妹に回してやっていたのだ。そして……凍死した。元々身体の弱い娘だったが、きちんと食べられていれば、命を落とすことはなかったかもしれん」
 ひときわ強い風が丘の斜面を駈け上がった。
 ジェラードのブラウンの髪と、ジョセフの黒い髪が風になぶられてはためく。ジェラードは無言のまま、風上に向けた眼をわずかに細めた。
「白人に恨み言を言うつもりはない。この生活を選んだのはレッドフォックスであり、それに従うことを選んだのは我々だ。だが……親しい者を失うというのは、そう割り切れるものじゃない。あいつの中ではまだ、その悲しみと怒りが渦巻いているようだ」
 平穏な、ただ平穏な世界を、無言のまま見つめ続ける二人。その間を九月の風が吹き抜けて行く。


「奴の集落はこの辺りだと思ったが……」
 ミーカーは馬上から眩しげに目を細めて辺りを見回した。
 目前には鬱蒼とした森。背後は風渡る草原が広がっている。
「もう少し西ですね。この森の向こう側です」
 コートの胸に星型バッジをつけたスティーブが、開拓のために前もって作っておいたこの辺りの地図を見ながら、カウボーイハットの縁を少し押し上げた。
 彼の後ろには、紳士と呼ぶには程遠い容貌と雰囲気の部下が十余名、馬に跨ってつき従っている。
「……大佐の部隊はどうなっている?」
「昨夜のうちに出発して、バンドの四方を固めているはずです。今頃は待ち疲れてじりじりしているでしょうな。合図があれば、すぐにでも突げ……いえ、ダンスパーティーを始めます」
「昨日のうちにか……合図の前に発見される可能性は?」
「ありません。私自身が嫌というほど連中の警戒網を下調べし、潜伏場所を選定しましたから。安全と思われる区域からさらに後退させて、距離を空けてあります。唯一の不安材料である大佐にはくどいほど念を押しておきましたし……それに、ナノ・ユートの連中は、我々の方に目を向けているでしょうから、あちらには気づかないでしょう」
「そうか」
 ミーカーは尊大な笑みを浮かべて、再び辺りを見回した。
「スティーブ、我々は見られているかな?」
「ちくちくと視線を感じますね」
 スティーブも唇を歪める。元はアウトローである。こういう緊張感はむしろ好むところであった。
「よし、では諸君、ダンスパーティーの前の茶番劇を始めるとしよう」
 ミーカーが片手を挙げるや、荒くれ者の間から力強い鬨の声が上がった。


「なんでそんなことを、俺に?」
 ジョセフは自分の方を見ようとしないジェラードの隣に腰を下ろした。
「アンナは今のところ、命の恩人であるお前に感謝している。表向きはな。だが、それが本当かどうかわからん。白人に対する当てつけとして、感謝する姿勢を見せているのかもしれん。つまり、いつ内に溜めている感情が迸るか、わからんのだ。もし、そうなった時――」
「大人の対応をしてくれってことか」
「すまんな。世話をかける」
 ふぅ、とジェラードは一息ついた。
「いいさ。……あいつの気持ちは、よくわかる」
 ふとガンベルトからDAサンダラーを取り出して弄り始めたジェラードに、ジョセフは小首を傾げた。
「わかる?」
「俺も、理不尽な事件で家族を亡くしたからな。……誰かに当たりたい気持ちも、それが良くないことだと押さえつけようとする気持ちも、よくわかる。なに、あいつが出て行けと言えば、すぐ出て行くさ。インディアンの傍にいるのは苦手だしな」
 はは、と乾いた笑いを漏らす。
 ジョセフは『ジェントルブル』の名にたがわぬ優しげな目を、表情の消えた白い優男に向けた。
 再び沈黙が二人を包んだ。


「何? ミーカー殿がこのバンドへ?」
 レッドフォックスはジャガイモ畑を掘り返していた手を休め、斥候から戻ってきた若者を振り返った。
「ミーカーと、保安官が一人。後は部下が十数名。皆、銃を持っていました」
「ふうむ……目当てはジェラード殿か、それともアンナか? ……このことは集落の他の連中は?」
「いえ、まだ」
「よし、今すぐ戻って皆を広場に集めよ。ああ、武器は持たせるな。――そうだ、ジェラード殿を南の抜け道へ案内しろ。森の入口にも誰か配置しておけ。アンナを近づけないようにな。わしは畑に出ている者を呼び集めてから行く」
「はい」
 真剣な表情で頷いた若者は、踵を返して再び駈け出していった。


「そういえば、アンナを見かけないな。まだビッグ何とかの集落へ行ったきりか」
「あぁ、ビッグオークの集落へ行ったきりだ。……多分もめているのだろう」
「もめる? ……そういえば、ビッグオークはお前とアンナの親父だそうだな。なのに、なぜお前達兄妹は離れてる?」
 ジョセフ苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「考え方の違いだ。ビッグオークは白人に徹底抗戦すると言ってる。アンナは絶対勝てないから、今は力を貯めて白人の強いところを吸収してから戦うべきだと言ってる。レッドフォックスは、戦う事なくアメリカ人になるべきだと言っている。アメリカ人として白人と対等になれば、不都合が生じても対等に渡り合えるとな。アンナがこのバンドにとどまっているのは、ビッグオークと意見が完全に対立し、レッドフォックスが寛容だったからだ。だが、アンナは考え方としてはビッグオークに近い。あたら戦力を失うわけには行かない、と機会を捉えては説得しようとして、もめる」
 ジェラードは笑った。
「実に複雑な家庭環境だな。道理であいつ、芯が強そうなわけだ。お前は?」
「私はレッドフォックスの考え方に賛同した。だから、ここにいる。軍隊と戦っても勝ち目はない。それ以上に白人にもいい奴はいる。私には全ての白人を憎むことは出来んし、無理して戦うこともない。……見ろ」
 ジョセフの指差す彼方に、なにかがきらめいていた。
 森の中を流れている川に、太陽光が反射しているらしい。
「あの川のように、世界もまた流れて行く。抗えば大怪我をする急流も、流れに身を任せれば助かることもある。人の生き方もまた然り。どれが正しいというのではない。川が途中で枝分かれするように、どこへ流れて行っても川の水は川の水なのだ。だから、私も、アンナも、ビッグオークも、レッドフォックスも自分の信じた道を進む。それだけだ」
 指をおさめたジョセフは、頭上に広がる無限の蒼天を見上げた。
「そう……信じて進めば、偉大なる精霊もきっと助けて下さるだろう」
 どこまでも青く輝く空を眩しげに見つめるジョセフにつられ、ジェラードも透き通ったその空を見上げた。


 ミーカーの一行が森の小径を抜けて集落の広場へやってきたとき、そこには数十人ほどの人だかりができていた。
「どうやら我々の接近は知られていたようだな。スティーブ」
 ミーカーは聞こえないほどの小声で囁いた。スティーブもそれとわからないほどの含み笑いを返す。
「言ったでしょう? 視線をちくちく感じると……私とて、ガンマンの端くれですよ」
 二人を先頭に、二列縦隊で広場の中央にまで進んだ一行は、そこで下馬した。数人が馬上に残って警戒にあたる。
 だが、今まで数十人ものインディアンに囲まれたことのない男達は、竦み上がってひっきりなしに首を巡らせている。怖がっていない者にしても、表向き平静な者はわずかで、後は神経質に手にした銃をいじったり、うろうろ歩き回っている。
 スティーブは彼らが暴発しないよう、あちこちに首を巡らせていた。ここで暴発されては、こちらが危ない。
 ミーカーは鋭い眼光を人だかりの中央に向けたまま、ぴくりとも動かない。
 やがて人だかりが割れて、痩身の老人が飄然と現れた。
 その優しげな表情にインディアンだけでなく、荒くれ共も安心を覚えたらしく、少し空気が軽くなった。
「遠路はるばるようこそ、ミーカー監督官殿」
 差し出した手をミーカーは無視した。
「貴様と握手するつもりはないことは、引き連れてきた部下を見ればわかると思うが? 聡明なレッドフォックス殿」
 刺々しい物言いに、レッドフォックスは肩をすくめて手を引っ込める。
「で、何のご用ですかな」
「スティーブ」
 スティーブが持参した麻袋から取り出したそれは、太陽の光を反射してキラリと輝いた。
 アンナのトマホーク。だが、それを見てもレッドフォックスは表情を変えなかった。
「それがなにか……?」
「言わせたいのか? なら言ってやる。このトマホークの持ち主、アンナという女を引き渡してもらおう」
 インディアン達のざわめきが、草原を渡る風のように波打った。


 ジョセフとジェラードはまたしばらく黙っていた。
 ただ静かに時が流れ、小鳥のさえずりと、時折吹いてくる涼風にそよぐ草のざわめきだけが彼らを包んでいる。
 のどかな日の光が眠気を運んでくる。
 耐え切れずにジェラードが大きく欠伸をしたとき、再びジョセフが口を開いた。
「……私が十七、アンナが五つの時だった。その頃まだ我々は居留地にはおらず、ビッグオークも共に暮らしていたんだが、ある日、集落に巡回宣教師がやって来てな」
 巡回宣教師とは、教会のない地域に出向き、布教や説教、洗礼などを執り行う宣教師のことである。
 開拓地である西部には、教会などまだ存在しない地域が多い。また、昔のユート族のような遊牧民は集落ごとその所在を転々とする。だから、一所に人を集めるよりも、一定地域を担当して巡回する方が効率的に布教できるのである。
 実は、歴史的に見て、宣教師とインディアンはそれほど対立していない。
 もちろん入植初期には彼らの生活、文化、生き方に深く根ざしてた精霊信仰を異教、邪教扱いして無理矢理自分たちの宗教を押しつける宣教師もいた。だが、そうした連中は集落から追い出されたり、殺された。
 そこで教会側、あるいは初めから寛容な宣教師達は、インディアン達の言うところの『偉大なる父祖』グレートスピリッツこそ、彼らの信じるところの『主』と同一のものであると解釈することにした。
 グレートスピリッツに従う様々な精霊は、いわゆる天の御使い。
 グレートスピリッツに打ち払われる悪霊は、悪魔。サタンの化身。
 これらの解釈はインディアンにもさほど違和感なく受け入れられることが多かった。
 しかし時が経つにつれ、宣教師も変わる。西部征服という国策の尖兵として、インディアンの中へ潜り込むことを目的とする宣教師も出てきた。
 そんな情勢の中でも、レッドフォックスの集落へやってきた巡回宣教師は、布教とボランティアのために来た、人の好い男だったらしい。
「……師の名はリチャード・バートン。眼鏡をかけた優男でな、よく天のグレートスピリット、『主』の話をしていたので、我々は彼を【スピリット・オン・スカイ】と呼んでいた」
 ふと言葉を切ってジェラードの顔を見たジョセフは、にっこり微笑んだ。
「ふむ。そういえば、何となくお前に雰囲気が似ていたな。アンナもそこに惹かれたのかも知れん」
「ふぅん……そいつがお前たちの教師か」
 いつの間にか眠気も消えた様子で、ジェラードはジョセフの話に耳を傾けていた。
「それだけじゃない。白人について知っていることは何でも教えてくれた。火薬のこと、銃のこと、白人風の服の作り方、手に入れ方、白人の習慣、歴史、文化――あぁ、世界地図とか言うのも見せてもらった」
 ジェラードの表情が、少し緩んだ。意識を失っている間に見た、父とのやり取りがふと頭の隅をよぎった。
「この世界は海という大きな塩水の湖の上に浮いているんだと初めて知った。そして、そこに浮かんでいる集落の広場より大きな舟の話。それから、この国の地図も見せてもらった。自分達の住んでいる大地が、あんな形をしているとは知らなかった。……私は半信半疑だったがね」
 照れ臭そうに、頭を掻く。
「だが、アンナは彼の話を熱心に聞き、その全てを信じていた。あれほど熱心に話を聞いてくれた相手は、師も初めてだったらしい。結局、師は九年間、アンナが十四になる年まで彼女の教師だった。我々がここへ移動した後も、たびたび訪れてくれた。……ところが三年前、ロングヘアーの部隊が全滅したとき、それまでに決定的に対立していたビッグオークが師を追い出してしまった」
「ロングヘアー?」
 聞き慣れない言葉にジェラードは眉をひそめた。
「あぁ、合衆国陸軍のカスターだ。知らないか? 白人なら皆知っているものと思っていたが」
 ジョセフは気づかなかったが、ジェラードの表情が一瞬硬張った。
「……そいつ……と、その宣教師に……」
「何の関係もない。だが、ビッグオークはいよいよ白人を倒す時が来たと思ったのだ。意気揚がる若い連中を引き連れ、出て行かねば殺すと師に迫った。本当は問答無用で殺すつもりだったのかもしれん。しかし、アンナが師になついていたからな。ビッグオークも親だ。娘の前で、理不尽な殺戮だけはしたくなかったのだろう……そして、師も自分の死でアンナが悲しむことは望まなかったのだろう。結局、独りで出て行った。そのすぐ後、ビッグオークも袂を分かち、集落を出て行った。もはや白人の言いなりになる時期は終わったと言ってな」
 ふぅん、と何の気なく相槌を打つジェラードの頭をふと、疑問がかすめた。
「ところで、なぜ俺にそんな話をする?」
 ジョセフは黙っていた。何かを考えているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。
 その意図が読めないジェラードも、再び黙り込んで頬を撫でる風に意識を飛ばした。
「……ジェラード」
「なんだ」
「ユート族の男になる気はないか」
 たっぷり五秒は沈黙が流れた。
「……なに? 今、なんつった、ジョセフ」
「ユート族の男になれ、ジェラード。アンナを嫁にやる」
「えー……と」
 再び沈黙が流れる。その間中、ジェラードは目をしばたかせていた。この場合は、馬鹿言うな、と即答すべきなのか、アンナを慮って濁すべきなのか。
 迷っている間に、ジョセフは続けた。
「確かにユートには、ビッグオークのような者もいる。だがほとんどの者は肌の色になどこだわらない。ユートの魂を理解し、持つ者は誰でもユートだ」
「ユートの魂を理解し、持つ者はって……俺がユートの魂とやらを持ってるって? よせやい、俺は白人でアメリカ人だぜ?」
「関係ない。ユートの魂とは、高潔なる魂のことだ。誇りを持ち、困難に立ち向かい、自然を愛し、万物に優しく、悪意と闘う。その心があれば、肌の色にかかわらず、またどこの国に住んでいようとユートなのだ。命を懸けてまでアンナを助け、我らとの暮らしでも嫌な顔一つ見せないお前の中には、間違いなくユートの魂がある」
 ジェラードはじっとジョセフを見た。今の言葉、まるで父親の言っていたことと同じだ。
「それは……俺達の間ではフロンティア・スピリットと呼ぶ。そして、俺は親父にアメリカ人として、そう生きろと教えられた」
「フロンティア……開拓者魂、か。なるほど、その呼び方もいいな。実に、お前に相応しい」
 何度も頷いたジョセフは、心底愉快そうにジェラードの肩を叩いた。
「お前の父親は素晴らしい男だな。一度会ってみたいものだ」
 父親を褒められ、悪い気はしない。
 こいつもいい奴だ、とジェラードは思った。一緒に暮らせば、多分心底信じられる親友になれるだろう。アンナにしたって、いくらか年下だが嫌いではない。嫁の話は置いとくにしても、退屈はすまい。
 だが……自分の背負っているものを、まだ整理できてない。
「親父を褒めてもらって悪いが……ジョセフ、いくら言っても無駄だ。俺はインディアンが嫌いだと――」
「レッドフォックスから聞いたぞ」
 笑みを含んだ物言いに、ジェラードは眉をひそめた。
「お前、それを言うときに口ごもったそうだな。本当に嫌いなら、言うべきか否か迷うはずがない、と言っていた。私もそう思う」
(……あのクソジジィ、とんだ食わせものか)
 ジェラードは呟いて、手元の草を数本引きちぎった。
 自分の心の内を読まれていたことに驚いたが、それ以上に恥ずかしさに顔から火を噴きそうだ。
「ジェラード、お前がなぜ我々から離れようとするのか、私にはわからん。何かわけがあるのだろうな?」
「別にねーよ」
 ぶっきらぼうに言い放ちながら、ぶちぶちぶち、と草をむしる。
「お前達がどう思おうと、俺は結局薄汚い賞金稼ぎなのさ。インディアンとの暮らしじゃ金にならねー。俺は今、ニューメキシコのビリー・ザ・キッドを狙ってるんだ。ここへ来たのはあくまで通りがかりだ。傷が癒えたら、すぐに出て行く」
「……そうか」
 残念そうにジョセフはため息をついた。
「まあ、いいさ。落ち着きたくなったら、ここに戻ってくるがいい。昔と違い、我らももう集落ごと移動したりはしないしな。我々はお前も、お前の子孫も全て歓迎する」
「ああ、そうか。ありがとうよ」
 むしった草を風に流す。
 そうしながら、ジェラードはもう二度とこの土地に来るまい、と考えていた。
 二人の間にまた沈黙が落ちかけたその時、丘の上から呼ぶ声が聞こえた。
 振り返れば、若い男が一人、泡を食って丘を走り下りてくる。二人の名を交互に呼びながら疾走してきたその男は、二人の前で急停止した。
 ぜいぜいと弾む息も整わぬまま、慌てて告げる。
「ジョッ、ジョ、ジョセフ! こ、こここ、こんなところにいるから、はっ、はっ走り回ったぞ! ミ、ミーカーだ、ミーカーが来た! レ、レ、レッドフォックスが広場に集まれと――」
「ミーカーだと? ……まずい!」
 ジョセフはたちまち顔色を変えて立ち上がり、ライフルを引っつかんだ。
「私はレッドフォックスの元へゆく。お前は、ジェラードを森の秘密の抜け道へ!」
 答えを聞く前に、ジョセフは全力で丘の斜面を駈け上り始めていた。
 残された若者はしばらく前屈みで息を整えていたが、少し落ち着いたところで呆然としているジェラードの腕をつかんだ。
「さ、案内しよう。こっちだ」
 その手をジェラードは払った。
「待て。ミーカーとか言ったな。何者だ? ひょっとして東部から来た奴で、金髪のキザな奴じゃないか? いつも人を見下したような態度の……フルネームがネーサン・C・ミーカー?」
 若者はきょとんとした。
「どうして……。あ、知り合いか?」
「よせやい。反吐が出るぜ。……そうか、やはり奴か……あいつは話合いでどうにかできる相手じゃないぞ。まずいな。くそ」
 いきなりジェラードはジョセフの後を追って走り出した。背後で若者の声が聞こえる。
「おい、ジェラード! 戻ったら捕まるぞ!」
(馬鹿野郎。捕まりに行くんだ、俺は)
 自分が出頭すれば、ここの連中は助かるはず。ミーカーの真の狙いなど知るはずもないジェラードは、そう考えていた。


「理由を、聞かせてくれるんでしょうな」
 監督官を前に、しつこく食い下がるレッドフォックス。
 ミーカーが口を開こうとした時、突然彼の背後がざわめき、騒がしくなった。何か叫んでいる者がいる。
「――どけ、どいてくれ! レッドフォックスは無事か! 道を開けてくれ!」
 やがて人だかりからずんぐりした身体を引き抜いてジョセフが現れた。全速力で走ってきたらしく、激しく肩で息をしている。
 彼の手に握られているライフルを見たミーカーの部下達が反応した。一斉に照準をつけて構える。  インディアン達の間に緊張した空気が走った。
「ジェントルブルか」
 ミーカーは軽く右手を挙げ、部下達に銃を下ろさせた。
「一週間ほど前に保安官とその助手、合わせて三人がドグラス・クリークの崖の上で殺された。その現場にこいつがあった」
 スティーブの手に握られたトマホークを見たジョセフは、危うく声を出すところだった。
(アンナのトマホーク! ……落としたと言っていたが、現場に忘れていたのか)
「このバンドにアンナなる女がいることは確認済みだ。そしてこのトマホークには、その名が刻まれている。重要参考人として、取調べを行う。引き渡してもらおうか。もし引き渡さなければ、この集落には反乱の疑いありとして軍隊を呼ぶ」
 人だかりから唸りのような声が漏れた。次いで起こったざわめきが収まらない。
 それを代弁したのはジョセフだった。
「ミーカー監督官、わかっているのか? そんなことをすればユート族が総決起……」
「ジョセフ」
 不意に遮られ、驚いてレッドフォックスを見るジョセフ。だが、酋長の顔には決意が深く刻まれていた。
「……わかりました、監督官殿。しかし、アンナは現在出かけております。戻るまでお待ち下さい」
 ジョセフが細い目を最大限見開いた。
「レッドフォックス、本気ですか! アンナを渡せば、我々は……」
「――そいつは俺のだぜ」
 唐突によく通る声が、人だかりの後ろから聞こえた。
「わりぃ。道、開けてくれ」
 ユダヤ人のエジプト脱出のとき、モーゼの祈りによって海が真っ二つに割れたように、その声に人だかりが真っ二つに分かれた。そしてその向こうには、笑みを浮かべたジェラードが立っていた。
 ジョセフは呻いた。
「ジェラード……逃げなかったのか……」
 にこやかに笑いながら近づく愛想のいい男に、ミーカーは警戒も露わな視線を送った。
「何だ貴様は……。ここで何をしている。ここは白人の来るところではないぞ」
「いやぁ、俺もそうは思うんだがね。……つーか、だから潜り込んだんだがな」
 ジェラードは照れ臭そうに頭を掻いた。
「実は、保安官を殺っちまってよ」
 ミーカーは何度か目を瞬かせた。
「…………なに? なんだと?」
「そのうえ、馬ごと崖から落ちるし――ほれ、腕がこの通り」
 副木を当てて、包帯を巻いた右手を突き出す。
「だもんで、こいつらだまくらかして、手当てを受けてたんだ。ここなら、追手も来ないかと思ってたんだが」
 ミーカーは振り返った。スティーブも成り行きについてゆけぬ態で、呆気にとられている。
「では、マイクとボブ、チャーリーを殺ったのは……」
「おいおい、殺したくて殺したわけじゃないぜ。いきなり因縁つけてきたのは向こうだし、先に抜いたのも向こうだ。撃鉄も上がってた。こっちも殺すつもりはなかったんだが、三対一で旗色が悪かったもんで、つい……これ、一応正当防衛だよな、新しい保安官さん?」
 目ざとくスティーブの左胸に輝く金の星型バッジを見つけたジェラードは、にっこり笑った。
 次いで、レッドフォックスに視線を移した。
「そういうわけでさ、だまして悪かったな、酋長」
 ジェラードの苦笑いにも、レッドフォックスは頷いただけだった。すかさずジョセフが耳打ちする。
(本気ですかレッドフォックス! アンナの命の恩人をみすみす奴らに……!)
(案ずるな。正当防衛が成立すればジェラードは助かる。アンナもな。ここは彼に任せてみよう)
 一方、スティーブもミーカーに耳打ちをしていた。
(どうします? 計画が……。捕まえたアンナはビッグオークに対する人質にする手はずじゃ……)
(大まかな計画に変更はない。ソンダーク大佐の部隊なら、ビッグオークの軍がどれほどでも敵ではない)
 ようやく立ち直ったミーカーは、薄く笑った。
「それで貴様、名前は?」
「ジェラード・マクスウェル。賞金稼ぎだ」
 スティーブは眼を剥き、ミーカーも思わず息を呑んだ。後ろの荒くれ達も一様に驚き、動揺している。
「――ジェラードって、あのカンザスの『サンダーボルト……」
「――去年だけで賞金首二十人……」
「――ビリーより早く抜けるとか……」
 ひそひそ囁く声を止めるために、ミーカーは十秒ほど右手を挙げたままだった。
「ジェラードと言うと、あの『サンダーボルト・ジェラード』か」
 ようやく騒ぎが治まってから、ミーカーは口を開いた。その仕種が妙にジェラードの神経に障る。
(いちいち芝居がかった奴だな。予定外の事態だろうに、妙に落ち着き払っているのも気にくわねぇ)
「あの『サンダーボルト・ジェラード』が、どの『サンダーボルト・ジェラード』か知らないが、カンザスで賞金稼ぎをやって、そこそこ名前が通ってるのは俺だ――と思ってるよ。他に『サンダーボルト・ジェラード』なんてのは知らねーし」
 ミーカーはスティーブと顔を見合わせた。スティーブは肩をすくめてみせた。
「ああ、それからそのトマホークも、俺のだぜ。拾ったんだ」
「なに?」
 ミーカーはスティーブの右手に握られているトマホークにちらりと目をやった。それから疑わしげな視線をジェラードに向けた。
「……本当だろうな」
「保安官と撃ち合う前に森ん中で拾った。なんでそこにあったかは知らんが、珍しいもんだし、つい、な」
 ジェラードが罰の悪そうな笑みを浮かべたためか、ミーカーはふっと表情を緩めた。
 何か言いたげに前へ出ようとするスティーブを押しとどめる。
「よし、わかった。ジェラード・マクスウェル、お前をとりあえず保安官殺害の容疑者として、身柄を拘束する。スティーブ、手錠を」
「了解です」
 スティーブはトマホークを放り込んだ麻袋を部下に預け、手錠を取り出した。
 一瞬、左胸の星型バッジが太陽を反射した。
「優しくしてくれよな」
 ジェラードは手錠を持ったスティーブに愛想よく笑いかけ、左手と包帯を巻いた右手を揃えて差し出した。その手に機械的な音を立てて手錠が掛けられる。
(こいつが……このへらへらした男が、あの三人を……?)
 スティーブはジェラードの手を見た。ソンダークの岩のような手に比べれば、華奢な感じさえする。右手の指にはペンだこの痕らしきものが残っていた。
(こんな手で……カンザスでは一年で二十人以上の犯罪者を挙げたと聞いているが……。疑わしいものだ)
「スティーブ。行くぞ」
 あまり長い間ジェラードの両手をじっと見つめていたので、ミーカーは痺れを切らせて先に馬に跨った。
「あ、はい」
 慌ててジェラードの両腰からDAサンダラーを引き抜き、部下の差し出す麻袋の中に放り込んだ。それを自分の馬の鞍に引っかける。次いで、長めのロープを手錠の鎖にしっかり巻きつけた。
 そうして馬に跨ったスティーブが見下ろすと、視線に気づいたジェラードがまたにんまりと笑った。
「そんなに早くは進まない。ついてこいよ」
 ぶっきら棒に言って馬の腹を蹴る。ジェラードは慌てた。
「お、おい、このままかよ!?」
 スティーブは無視した。ミーカーも無視して出発を命令する。
 途端に荒くれ男達の間にわだかまっていた空気が軽くなった。次々と鞍に跨る顔には、明らかな安堵が現れている。笑顔で皓い歯を見せている者もいた。
「レッドフォックス、邪魔をした。元気でな」
 ミーカーの不敵な笑みに不吉なものを感じて、レッドフォックスは少し顔をしかめた。
「……ミーカー殿。彼をあまり手荒く扱わぬようにな」
「それはもう、言われるまでもない。彼はコロラド州の英雄になる男だからな」
 含み笑いを残し、ミーカーは馬首を巡らせて先行するスティーブの後を追った。
 ミーカーの後ろ姿が森の小道の向こうに消えると、レッドフォックスは肩を落とした。
「やれやれ、どうやら血は見ずに済んだようじゃな」
「酋長! 私は納得できません! 彼はアンナを二度も助けてくれた……!」
 激しい勢いで迫るジョセフに、老酋長は深いため息を漏らした。
「我々の誇りと命も、じゃな。今、アンナを引き渡しておれば、いずれビッグオークの耳に入ったじゃろう。そうなれば、あやつはアンナを奪い返すべく白人と一戦を交えるはず。法に則りアンナを捕らえに来たミーカー殿を、トマホークで報いるという最悪の結末を招くところじゃった」
「ならなぜ、最初にアンナを引き渡すなどと」
「アンナに危険を知らせる手はずは整えておいた。いつまでも帰って来ぬとなれば、ミーカーも諦めて引き上げざるをえまい? それに……理由と状況はどうあれ、アンナは保安官殺しにかかわってしまったのじゃ。匿うことは法を破ることになる。それは、できぬ」
「ですが……」
「ジェラード殿にしてもそうじゃ。あの男は、わしらを救うためにわざわざ出てきた。その好意を無にすることはできん」
「そうです! そんな男を引き渡すなど! 彼を守ることこそがユートの誇りを守ることに――」
「馬鹿なことを言うでないわ!!」
 いつもは柔和なレッドフォックスの一喝に、ジョセフは驚いた。
「彼を引き渡さねば流血沙汰になっておった。……我々が十年も頑張ってきたのは何のためだ? 食うものも食えずに死んでゆく仲間を見ながら、歯を食いしばってきたのは何のためじゃ?」
 レッドフォックスの炯々たる眼光は、ジョセフだけではなく、その場にいる者全てに向けられていた。
「我々は死ぬわけにも戦うわけにもいかんのじゃ。たとえその場は勝つとわかっていてもな。ジェラード殿はそれが判っていたから、自ら姿を現してくれたのではないのか? アンナを渡さずに済むように、この集落が平和に暮らしてゆけるように」
 集まっていた人だかりは粛として声もない。
 全員がジョセフの思いを痛いほどわかっていたし、レッドフォックスの言葉もまた彼らの気持ちをしっかりと代弁していた。
「わしには彼の本心がとうとうわからずじまいじゃった。なぜ我らを嫌いなどと言ったのか……じゃが、これだけは判るぞ、ジョセフ。ジェラードは……あの方は、我々にとってのジーザスなのじゃ。バートン先生の説教を聞いていたお前なら、わかるじゃろう」
 ジョセフは目を閉じ、歯を食いしばったまま天を仰いだ。
「くそ…………我々は……もはや昔のユートではないということか……」
 無念に満ちたジョセフの呟きが、その場に集まっている全員の心を深くえぐる。
 広場は沈黙に包まれた。



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