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ネーサン・C・ミーカー

 1

 1878年、コロラドは非常に危うい状況にあった。
 合衆国政府から派遣された新しいユート・インディアン監督官と、ユート族の対立が顕在化していたためである。
 ニューヨーク出身で、詩人、小説家、新聞寄稿家として知られた文化人ネーサン・C・ミーカー。
 そんな彼がわざわざコロラドのような片田舎へやってきたのは、彼が考え出したコロニー農法が白人開拓者だけでなく、インディアンにも充分通用するものだと証明するためであった。
 コロニー農法とは、それまで家単位で行われていた農作業を、コロニー(集落)単位で行うことにより、作業の効率性と収穫量の増加を飛躍的に高める方法である。
 彼は前任の監督官とは違い、インディアンへの配給食料を横流しするようなことはしなかった。
 しかし、自らの能力を証明することにはことさら激しいこだわりを見せ、ユート族の農民化を急速に推し進めようとした。
 本来遊牧・狩猟民であるユート族からは、たちまち不満の声があがった。
『合衆国政府と取り決めたのはお互いの生活圏の境界についてであり、伝統的な生活まで口出しされるいわれはない』
 そう主張し、多くの者は命令に従わず、ミーカーを無視した。
 ミーカーは自らの意に沿わぬインディアンに怒り、矢継ぎ早に方策を施した。
 まずは居留地以外への移動を厳格に禁じた。次いで、移動手段を封じるため子馬を殺して馬の数を減らしにかかった。
 また、牧草地は掘り起こして耕地に改造、灌漑用の溝を開削した。そうして出来た農地へユート族を強制的に住まわせ、コロニー農法の定着を図った。同時に白人社会の優位性を声高に唱え、日々の生活を白人的なものに変えさせようとした。
 この性急で高圧的なやり方に、ユートはあちこちで氏族ごとに集会を開き、怒りの声をあげた。本来ユート族は、家族単位で放牧生活を営んでいるため、一族全てが集まることなどそうそう無い。
 氏族の集会に危機感を抱いたミーカーは、以下のような警告を出した。
『諸君の住む居留地は、合衆国が諸君に貸し与えているものである。はき違えるな。諸君は合衆国内に一エーカーとて法的に正当な土地を所有していないのだ。もし、こちらが指示する農業の仕事に就かず、敢えて敵対するというのなら、こちらも合衆国市民の利益を守るために、居留地に軍隊を呼び入れるしかあるまい。そうなれば諸君は生きていく土地をも完全に失うことになる』
 この見解は即座にコロラドの新聞に掲載され、たちまちミーカーはコロラドの英雄に祭り上げられた。
 ユートの居留地に眠る資源や土地の価値に目をつけていた政治家や企業家が、我先に彼の見解に賛意を示し支持したのである。
 “ユート族は出ていけ”という標語が、コロラド中に広がった。
 一方でその警告は、ユート族の怒りの火にさらなる油を注ぐ結果となった。
 ユートとミーカー――いや、ユートとアメリカ。
 その対立は、もはや抜き差しならない状況へと進みつつあった。


 2

 コロラド河の支流の一つ、ホワイト川。その河畔に広がる緩やかな丘陵地に、共同農業コロニー・ミーカータウンはある。
 町の北の外れに建つ大きな邸宅が、ユート・インディアン監督官ネーサン・C・ミーカー邸だった。
 その母屋の二階、書斎の黒い机の前では、若い男がミーカーに報告していた。
「ソンダーク大佐は、明日か明後日あたりに到着するそうです。……大丈夫でしょうかね。連中が知ったら大騒ぎになりますよ」
 その若い男の表情は、言葉ほども緊迫していない。ニヤニヤ笑っている。
 不敵な気配のにじむ男だった。室内なのに赤いスカーフとロングコートを脱ごうともしない。
「スティーブ」
 切れ長の鋭い目を手元の紙片に落としていたミーカーが、呟くように呼びかけた。
「私の秘書をしているわりには、案外心配症だな、お前は」
「は」
 スティーブは少し頭を下げた。
「大丈夫だよ。大佐には策を授けてある。あの未開人どもが呪術のようなものでも使わない限り、彼らの接近を知ることなどできんさ。もし何らかの方法で知ったとしても、その時には既に遅い」
 くすんだ金髪を撫でつけながら顔を上げる。その満面に自信ありげな微笑が浮かんでいた。かつて東部で幾多の上流階級婦人を虜にし、『女殺し』と呼ばれた微笑だ。
 ミーカーは多彩な才能と高い教養を持つ文化人であるが、決して頭でっかちの虚弱な学者ではない。むしろ、アウトローに近い雰囲気を持っている。
 肩幅が広く胸板も厚く、糊の効いた背広の上からでも体格の良さがわかる。年は今年で三十二のはずだが、まだ二十五、六といっても充分通じる若さを保っているのは、満ち溢れている精気のせいだろうか。ここド田舎コロラドへ赴任して約一年、その容姿容貌は東部の社交パーティで常に御婦人方の注目を浴びていた頃と全く変わっていない。
 ミーカーは不意に手にしていた紙片を、スティーブに投げてよこした。
「何です?」
 スティーブは二つ折の紙片を開いて、そこに書いてある文字を目で追い始めた。
「……州知事だ。ユートを追い払おうと言ってきた。奴らはコロラドに必要ないそうだ。農業コロニーをやらせるなら、気心の知れた白人同士の方がいいはずだ、と言っている」
「しかし、それでは……」
 眉をひそめるスティーブに、監督官は頷いた。
「そうだ。それではわざわざこんな辺鄙なド田舎まで来た意味がない。私は、私のコロニー農法があの野蛮な未開人どもにすら実行可能な、世紀の発明であることを示しておきたいのだ。そうすれば中央政界へ打って出る時に、インディアン擁護派も取り込めるからな」
 口許がさらに歪み、女殺しの優しい微笑みは、野望に燃える男の薄笑みになっていた。
 スティーブも同意の頷きを返し、再び手紙に目を落とした。
「……おや、これは……?」
 手紙には続きがあった。素早く文字の列を流し読んだスティーブは、困惑げに主人を見やった。
「……次期州知事候補への推薦ですか。ミーカーさんを? この時期に?」
「ふふん」
 ミーカーは鼻を鳴らして立ち上がり、窓の外へ視線を移した。
「あの狸爺ぃ、私の人気を利用して政界での影響力を保ちたいのだろうな。物書き風情に政治は出来ないと思っているのだろうさ。私を祀り上げておいて、影で実権は握っておきたい――そのために推薦人の筆頭に名を乗せようというのだろう」
「やれやれ、ですね。その侮りが後で自分の首を締めることになるというのに。……で、受けるんですか?」
 スティーブは州知事の手紙を机の上に戻した。
「そうだなぁ、どうしたものかね」
 困った風な言葉とは裏腹に、その唇は愉快そうな笑みに歪んでいる。
 その時、窓の外を蹄鉄の音も荒々しく馬が駆け抜けて行った。
「――何かあったらしいですね」
 スティーブの表情にわずかな緊張が兆す。
 やがて扉の向こうから廊下を走るブーツの大きな音が響いてきた。ミーカー邸の廊下には絨毯が敷いてある。それでもあれだけの音が出るということは、余程慌てる事態が発生したのだろう。
 程なく書斎の扉が勢いよく開けられ、男が飛び込んできた。カウボーイハットにスカーフ、半袖ジャケットの典型的なアウトローだ。
「ミーカーさん! マイクが、この間保安官になったばかりのマイクが!」
「マイク? ……誰だそれは」
 ミーカーが怪訝そうに顔をしかめた。
 飛び込んできた男は虚を突かれた顔つきで、言葉を失った。
 スティーブも糸の切れた人形のように、がっくり首を折った。
「ミーカーさん……自分の部下の名前ぐらい把握しておいてください。ほら、この前選挙で当選させた若いのですよ。ボブを監視につけた。元はデンバーのごろつきなのに、今から経験を積ませるんだとか言って。あいつを当選させるためにどれだけ苦労したと……」
「…………ああ、あいつか。あいつがどうした」
 思い出した口ぶりながら、やや心許なくスティーブには感じられ、わずかに首をひねる。
「殺られました! ローン台地のドグラス・クリークの崖の上で! ボブとチャーリーも一緒です!」
 ミーカーとスティーブは同時に眼をわずかに細めた。
 黒革張りの椅子に腰を沈めたミーカーは、話を続けるよう顎をしゃくった。スティーブも頷いて視線をウィリアムに戻した。
「で、犯人の足取りは?」
「目下捜索中です。……ただ、現場にこんなものが……」
 ウィリアムが差し出した麻袋をスティーブが受け取り、そのままデスクに置いた。ごとり、と重い音がした。
 何の気なしにその薄汚れた袋を取り寄せ、中を覗いたミーカーは眉を寄せ、すぐに汚らわしそうに口を閉じてしまった。
「スティーブ、見てみろ」
 怪訝そうに袋を覗き込んだスティーブは、少し驚いて袋の中に手を突っ込んだ。
 中身は鋭利な刃の凶器だった。金属の光沢を鈍らせるまだら模様は血痕だろうか。
「ほう、こいつは……トマホークですね。どこにあった?」
 トマホークをデスクの上に置き、ウィリアムを振り返った。
「チャーリーの頭に、こういう感じで刺さっていました」
 手刀で自分の額を叩いてみせる。
「それから三人とも額に一発づつ、正面から食らっています。もしあれが本当に致命傷なら、相手はとんでもねぇ腕の持ち主ですよ。あ、チャーリーだけは左胸にもう一発食らってました。ちなみに推定死亡日時は昨日、場所はホワイト川の……」
「それはさっき聞いた」
 すかさずミーカーの鋭い声が飛んだ。
「はっ……えっと、発見者は猟師のマクロスキー爺さんです。それと現場から逃走した痕跡は今のところ見つかっていませんが、馬が崖から落ちたらしい跡はありました。従って犯人は崖から下の川へ飛んだか、落ちたかした可能性も……いずれにせよ、今も引き続き他の連中が現場で捜索を行っています」
 ミーカーはトマホークを取り上げた。ここへ持ってくる前に洗ったのか、血そのものは付着していない。
「ふぅむ。銃とトマホーク、か。ユートの連中だとしても、普通、銃を持ってればトマホークを使うことはあるまいと……思う……が……」
 不意に黙り込み、トマホークを凝視する。
 スティーブも怪訝そうにミーカーの表情を覗き込む。
「どうしました?」
「スティーブ、『ANNA』に心当たりは?」
 トマホークを見つめたまま、呟くように尋ねる主人の真意を計れず、スティーブはさらに怪訝そうに眉をひそめる。
「アンナ? デンバーの娼館にでも行けば、一人ぐらいいたかもしれませんが……」
「馬鹿者。ユート族関連でだ。ここに……もう消えかかってるが……薄く『ANNA』と彫られている」
 スティーブは乗り出すようにしてトマホークを覗き込んだ。
 確かに、注意深く見ないとわからない程度にかすれてしまっているが、四つの文字が刻まれている。
「ははぁ……確かに」
 身体を戻したスティーブは、しかし小首を傾げた。
「しかし、名前が彫ってあるからといって、そいつが犯人とは……。それに、拳銃の方が相当の腕の持ち主ですから、ユートの者だとは思えませんがね」
 しかし、ミーカーはトマホークをデスクの上に置いて不敵に頬笑んだ。指を左右に振る。
「ちっちっち……スティーブ、そいつが犯人かどうかは問題じゃない。そいつが犯人なんだ。……わかるな?」
 一瞬顔をしかめたスティーブは、その言葉の意味を理解するや表情を強張らせた。
「……なるほど。そういうことですか」
「今はユートの動きを牽制し、押さえる必要がある。丁度いいじゃないか。これで大手を振って大佐を招ける」
 炯々と目を輝かせるミーカーに、スティーブは眉をひそめた。ユートとの全面衝突を避けたいミーカーにとっては、むしろ厄介な時期での厄介な事件だと思っていたのだが。
「スティーブ、保安官と助手を総動員してユートの『アンナ』を捜し出せ。捕まえる必要はない。どこの集落の者かだけを突き止めて、連絡しろ」
「は」
 ミーカーの狙いがわからず、スティーブは思案投げ首に頷いた。
「あと、ユタ準州にも連絡しておけよ。ユートの居留地はあそこにもまたがっているからな。……いいか」
 スティーブの戸惑いを断ち切るように、ミーカーは机を叩いた。
「普通のユートが『アンナ』なんて名前のわけがない。おそらくは洗礼名だ。つまり私の言うことに従って、教会で洗礼を受けている従順な氏族の中の誰かである可能性が高い。その線から洗え」
「はっ! ……と、マイクの後釜はどうしましょう」
「時間がない。スティーブ、お前がやっておけ。他の奴ならともかく、私の秘書でもあるお前に文句を言う者はおらんだろう。なぁに、後で選挙をやるときには、誰か別の奴を立ててやる。それまでのつなぎだ」
「わかりました。――行くぞ、ウィリアム」
 頷いたスティーブはウィリアムとともに書斎から出ていった。
 書斎に静寂が落ちた。
 ただ一人、残ったミーカー。その目はトマホークを睨んでいた。
(ユートめ……)
 面持ちが憎々しげに歪む。
(汚らしい野蛮人のくせに、白人の保安官に手をかけるとはいい度胸じゃないか……すぐにその報いを受けさせてやる)


 3

 遠くで風が唸っている。
 唸りは全く収まる気配もなく、荒々しく、全てを吹き飛ばすように轟々と叫び、猛り狂い続けている。
(こんな……激しい唸りは……嵐の時以来だ……。嵐が近づいているのか?)
 目をうっすらと開けてゆくと、真っ黒な闇を裂いて抜けるような青――空が映る。
(嵐じゃ……ない?)
「う――あっっつ……!」
 身体を起こそうと身悶えた途端、右肩に激痛が走り、一気に覚醒した。
(そうだ、右肩を脱臼して……)
 冷えた身体が重い。気力も萎えそうだ。
 右腕をかばいつつ、左腕で上体を支え、何とか身体を起こしたアンナは、水を吸って視界を覆う前髪をすき上げた。額に巻いていたヘアバンドがなくなっていたが、気づかなかった。
 目の前を急流が轟音を立て、白い波濤を逆巻きながら流れてゆく。アンナはその川べりの大きな平たい岩の上にいた。
「風の……音じゃなかったのか……」
 しばらく何も考えられず、ぼうっとしていたアンナは、顔を撫でてゆく緩やかな風にふと正気を取り戻した。
「…………! そういえば、私……生きてる……。あの高さから落ちたのに……」
 不意に崖の上から落ちたときの恐怖が甦り、悪寒が背筋を走り抜けた。思わず震えの走った身体を抱きしめる。
「よかった…………。――うぶっ!」
 安堵したせいか、急に吐き気をもよおした。慌てて口許を押さえ、這いつくばる。
 出てくるものをそのまま全部川へと流す。ほとんど透明だった。川に落ちた際に飲んだ水が逆流してきたらしい。
 しばらく吐き続けると、胃の中が空になり、何も出なくなった。
 水をすくって口に含み、ゆすぐ。さらに何度かうがいをして、ようやく落ち着きが戻ってきた。口の周りの水気を、無意識にずぶ濡れのセーターの袖で拭いながら、あらためて轟々と流れる激流を眺める。
 向こう岸や、河の真ん中に突き出た岩にぶつかって上がる飛沫が、傾きかけた太陽の光を乱反射して虹をつくっている。その激しく荒々しい白い波濤は、半端な大きさの岩などあっという間に流し去るだろう。こんな急流の中では人も木の葉も大した変わりはない。
「本当に……よく生きてたものだ……。これも精霊の御加護が――」
 ふと背後から聞こえた微かな呻き声。人の気配を感じて、怪訝そうに振り返る。
 ずぶ濡れの白人がうつ伏せに倒れていた。
「……こいつは」
 その横顔には見覚えがあった。崖の上で窮地を救ってくれたお人好し。自分を助けようとして一緒に飛び込んでしまった馬鹿。
「確かジェラードとか……。でも、なぜここに……? あ――まさか、こいつが!?」
 アンナは振り返り、急流の流速を確かめた。泳いで渡れるような流れではない。気絶した人間を運ぶとなれば、なおさらだ。
(偶然、二人ともここに流れ着いた……というのは、やっぱり無理がある、か。となると、やはりこの男が……)
 岩の上には先ほどまでアンナが横になっていた証しが、水に濡れてくっきりと残っている。ジェラードの左腕はちょうどアンナの首の辺りにある。
 状況から考えると――
『彼は水中で気絶したアンナを抱えた後、どういう幸運と偶然でかここへ流れ着いたが、アンナを引きずり上げたところで力尽きた』
 ――というのが正解に思える。
 思わず溜め息が漏れた。
「白人に二度も命を助けられるとは、ね」
 ふっと自嘲の笑いを漏らしたとき、またジェラードが苦しげに呻いた。
 緊張が走る――だが、男の意識は戻らなかった。
 ほんの少し、安堵する。今、どんな顔をするべきか、思いつかなかった。
(さて……どうしようか。命の恩人をこのまま見捨てるわけにもいかないし……とはいえ、今の私に連れて行くだけの体力はないし……。右肩も外れたままだし、ここがどこなのかわからないし……多分、ドグラス・クリークか、ホワイト川だとは思うけど……)
 冷えたせいか、右肩はジンジン響くように痛みを増していた。
 左手で右肩を押さえ、顔をしかめつつ思考に没入していたアンナは、不意に聞こえてきた微かな人の声に身体を緊張させた。
 咄嗟に腰に手を回す。しかし、そこには愛用のトマホークはなかった。
(ちぃ、落としたか)
 仕方なく手頃な石を拾って左手に握りしめる。心細いが、何もないよりはましだ。
 身を隠せるほどの大きさの岩の陰まで移動し、息を潜めて聞き耳を立てた。
 声は下流から聞こえてくる。何かを叫んでいるようだが、すぐ傍で轟く早瀬の流音にかき消されてよく聞き取れない。
(追っ手か……? まずいな……私も、彼も見つかるわけにはいかないのに……)
 やがて声は複数に増えた。少なくとも二人はいる。アンナは心の中で舌打ちをした。一人なら不意討ちで何とかできるが、複数となると……。
 そうして対策を練っている間にも、声はだんだん迫ってくる。
「……ナ! ……〜ンナ! どこだぁ! アンナ! いないのか!」
 呼ばれているのが自分の名前と知って、アンナは驚いた。しかもあの声は……。
「ジョセフ兄さん!」
 叫んで岩の陰から顔を出したアンナの目の前に、牛を連想させる大男がライフルを手に立っていた。
 優に六フィートを超える背丈に見合う、屈強な体格、四角くがっちりした顔の輪郭、開けているのか閉じているのかわからないほど細い、優しげな眼。額にはアンナがしていたものと同じ、民族的なだんだら文様の入ったヘアバンドを巻いていた。
「おおっ! アンナ! なんだ、そこにいたのか……。無事だったか」
 彼は突然岩陰から現われた妹に少し驚いたが、すぐに下がった目元をさらに緩ませて、近づいてきた。
「ええ、まあね。命は。ただ、右肩が外れちゃってて……」
「何をやったんだ」
「後で説明する」
 ジョセフはライフルを置き、妹の右腕を取った。肩を押さえられると痛みが走り、アンナは顔をしかめた。
「左手は私のズボンでもつかんでおけ。身体が逃げないように」
 頷いて無言で兄のズボンをつかむ。
「ゆくぞ」
 ジョセフの全身の筋肉が一気に張り詰め、同時に関節が本来あるべき位置に戻る鈍い音がした。アンナの食いしばった歯の間から、くぐもった呻きが漏れる。
「――終わったぞ。本格的な処置は帰ってからだな。あっちでまだお前を捜している奴がいるから、呼んでくる。それまでここで待ってろ」
 下流の方ではまだ声が聞こえている。落ち着いて聞けば、確かにアンナの名前を連呼しているようだ。
「あ、ジョセフ兄さん、ちょっと」
 岩の上に置いたライフルを手に、来た道を戻りかけた兄は、呼び止められて振り返った。
「何だ?」
「どうして私がここにいるって?」
 まだ痛みが完全に引いていないのか、彼女のこめかみには、少し汗が浮いている。
 ジョセフは踵を返してアンナに向き直った。
「喉を撃たれたお前の馬が下流に流れてきた。ちょうどみんなで狩りに来ていたところでな。……何があったかは後で聞く」
「あ、それと」
 踵を返しかけた兄を、再び呼び止める。彼は訝しげに眉根を寄せて足を止めた。
「何だ、まだあるのか?」
「うん。その……上流であったことに関係するんだけど……」
 言い澱みながら妹が視線を向けた先へ、つられてジョセフも顔を向けた。そこに倒れ伏している白人を見て、彼は細い目を見開いた。
「何だ……? …………おい、アンナ、こいつは一体……」
「それが……その……命の恩人なの」
 アンナはうつむいて、上目使いに兄を見た。まるで何か欲しい物をねだる子供のような仕種だ。
「全然意識が戻らないし……集落へ連れて帰って介抱したほうがいいと思う」
 ジョセフは渋い顔で腕を組んだ。
「ふぅむ。事情はわからんが、お前の命の恩人だというなら捨て置けんな。ただ、今は時期が時期だけに、レッドフォックスが何と言うか……」
 脳裏を老酋長の穏やかな笑顔がかすめ、彼は即答をためらった。
「やっぱりだめかな……」
 アンナが不安げに兄を見上げている。滅多に見せることのない妹のそんな表情に、兄は肩をすくめて苦笑した。
「お前にそんな目をされては断れんな。とにかく、連れて行こう。後のことはレッドフォックスに指示を仰ぐしかない」
「ありがとう、兄さん!」
 曇っていたアンナの顔が、たちまち喜びに輝いた。


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