6.蘭ちゃんの話



 最初、その胸に飛び込んだ時、おとうさんみたいだと思ったの。
 それから、朝ご飯。おかあさんみたいだと思ったの。
 父も母も、記憶の片隅にも残っていないけれど。


 別に、真野さんもたくさんいるお客さんのひとりだし、
 別にわるいひとじゃないし、そういう関係になることもたまにはあった。
 けれどもあのときなぜか、急に、恥ずかしくなったのだ。
 あたし、なにをしているんだろう。
 真野さんは恥をかかされたと言っていたけれど、きっと一番恥ずかしいのはあたしの方だ。
 あたし、なにをしているんだろう。
 急にそんな想いにとらわれたら、もう片時もあの場所にいたくなかったのだ。


 泊めてもらったマト聖さんの部屋はきれいに片づいていた。キッチンと、それにつづく一部屋にちゃぶ台。そしてそこに続く部屋の襖は閉じられていた。別に見るなと言われてはいないから、自然と開けてしまった。
「……」
 絵だ。
 女の人の絵。
 たくさんの女の人の絵だ、同じ人の絵だ。
「……」
 確か真野さんも美大生と言っていたから、この管理人さんもそういう仕事か趣味があるんだろう。ふうん、と一枚一枚見て回った。
「……」
 きれいな人だった。
「……」
 もう聞かなくてもわかった。
 奥さんかどうかはわからないけれど、
 これを描いた人はここに描かれた人をとてもとても愛している。

 ……ひどくひどく、愛している。


「あたしを描いて」
 断じて言う。それは別に彩音さんへの嫉妬ではない。ただ、あたしはあたしをあんな風にマト聖さんに描いてほしいのだ。あんな風に愛してほしい。
 愛してほしい、だって。
 自分で自分がおかしくなった。
 そんなこと今の今まで思ったことないのに。
 愛して欲しいだなんて、思わない。愛されなかったら苦しいから。
 愛して欲しいだなんて思わない。最初から愛してくれる人なんていなかったのだから。
 けれども、彩音さんの絵を見てたまらなくなった。
 そして、こんな風になら、こんなあたしも愛してもらえるんじゃないかと思ったのだ。

 だから断じて言う。それは別に彩音さんへの嫉妬ではない。
 あたしの中の、願い。


 マト聖さん。今日こそ応えてくれるだろうか?
 それはきっと物心ついたときからのあたしの願いだったのかもしれないけれど。それに気づくのはあまりにも惨めだから、気づかないふりであたしは今日も「さくらの荘」への向かった。



5.カズホ氏の話 7.ふたたび、真野の話