空の欠片/3


   断片12:ケンカの、続き
 そして。次の日192号さんの様子を見に行くと、お店の中からものすごい口論をする声が聞こえてきて、ボクはびっくりして慌ててお店の中に駆け込んだ。
 でも。
「だから言ったでしょ!?柄の細工は火炎型の方が魔力の許容量が大きくなるから…」
「バカヤロ、そんなに許容量上げたって込められる魔法の数はたかが知れてる、それなら水竜型にして技の威力が上げる方が先決だろ!」
「それは宝石使えばいいでしょ?水竜型なんて重くなって使い辛いじゃないか!もともと刃の方はパワーファイター用じゃないんだからっ」
「それはそうだが、そんな小細工の多い剣、前衛が扱えるもんか。もともと刃の方に備わってる技の威力を上げるべきだろ?」
「その為の火炎型じゃない。威力と精度、両方魔法で上昇させればいい。だいたい、許容量上げなかったらその技の威力だってダウンするでしょ」
「…けどこの扱いの複雑さは何とかしなきゃならねえだろ、赤魔法の杖じゃねえんだから。せめて宝石は止めて恒星の象嵌にしねえと剣として使えねえよ」
「あ、そうか、その手があったっけ」
「そうかじゃねえだろっだから鍔は八光恒星にしようって言ってたんだ」
 これ以上の会話はもう専門用語が多くて、もう何が何だか…。
 2人はボクの存在にも気づかずに言い争いを続けてる。
 その早口さに目を回してるボクを、トーレスさんが店の奥へ呼んでくれた。
「昨日な。2人で協力して、とある名刀の刃から合成して、剣を一振り作ってみろと宿題を出したのじゃよ。ケンカの発端もそれじゃろう」
 トーレスさんはボクにお茶を出してくれながら、楽しそうに笑った。
「昨夜、帰ってきてからもまたせがれと大喧嘩しとったよ。だがまあ、お互い言いたい放題言っておるようだから一晩放っておいたら、ご覧の通りじゃ」
 …まさかと思うけど…トーレスさん、この結果が分かっててそんな宿題を?
 そう尋ねると、トーレスさんはけろりとして頷いた。
「思ったより派手にやらかしたようじゃがの。ただの喧嘩別れで終わると思ったら、やらんかったよ」
 どうして、と言いかけて、ボクの言葉は止まった。「どうして」の続きを、「こんなことしたの?」と「結果がわかったの?」とどちらにしたらいいか、迷ってしまって。
 でも、トーレスさんはボクの質問を察してくれた。
「…せがれは怒っておったのは、直接的にはお前さんらへ向けてじゃない。多分、わしを助けられなかった自分自身に対してじゃよ」
 ウェインさんが?
 その言葉にふと昨日の、ウェインさんの切れそうなくらいにかみ締めた唇と、トーレスさんの言葉を思い出した。
『誰を責めても済んでしまった事は戻らないんじゃ』
「自分を責めるなと、言って分かるような奴ではないからのう。じゃが敵意のない相手をいつまでも恨んでおれるほど、阿呆でもない。…192号を知れば、いずれ己の恨みの筋違いさに気付くだろうと思ったんじゃ。実際には、想像以上に192号が頑張ってくれたようじゃのう」
『あいつとは、もっとちゃんとケンカしなくちゃ』
 そう言った彼は、どんな風に頑張ったんだろう?それは、昨夜あの後彼らが繰り広げただろう大喧嘩を、見ていなかったボクには分からないけれど。
 トーレスさんは、嬉しそうだった。
 そこで、ボクはカップを持つトーレスさんの手に目が止まって、ずっと疑問に感じていた事を思い出した。
 皮の手袋がはめられた手。その手袋の下には、黒魔道士に焼かれた皮膚があるはずだ。
 なのに。トーレスさんは、ボクがフードを被ってこの店にきていた時から、ボクが黒魔道士である事を知っていたはずなのに、何も言わなかった。それどころか、突然弟子入りのお願いに来た時も、ボクらにはっきりと憎しみを向けたりしなかった。それどころか、きちんと話を聞いて、願いを聞き入れてくれた。
 息子さんのウェインさんはあんな風だったのに、トーレスさん自身は、ボクらを恨んだりしなかったの?
「ふむ。隠しとるつもりじゃったろうが、お前さんが黒魔道士である事は、わしだけじゃなく、武器屋のとこの夫婦も気付いとったんじゃよ」
 気付かなかった…。
 武器屋さんの御夫婦って言うのは、ドラグースさんと元道具屋のアリスさんのご夫婦の事だ。…言われてみれば、アリスさんはボクにクポの実をくれたことのある人だし、ドラグースさんはジタンの顔見知りだし、気付いてても不思議はないんだけど…でも、やっぱりトーレスさんと同じ。アリスさん達からも、何も言われた事はなかったんだもの。
「姿を隠しとる事情は想像が付いたから、事を荒立てる必要もあるまいと、皆黙っとったのさ。お前さんが礼儀正しい良い子じゃと言う事は、見ておれば判ったからのう。恨む理由がないさな」
 その言葉に、ボクは嬉しいんだか照れくさいんだかもごもごしながら、ぐいっと帽子のつばを引き下げた。
 トーレスさんは、にこにこしながらその様子眺めていたみたいだったけど、ふと、組んでいた両手に視線を落とした。
「192号を弟子に取る気になった理由は、…そうじゃのう。お礼みたいなもんかのう」
 お礼?
 予想もしなかった言葉に、ボクが驚いて顔を上げると、トーレスさんは、こう話してくれた。
「合成の仕事を失った時は、そりゃあ悲しかった。急に老け込んだ思いがしてな。じゃが、気落ちしておったわしに、せがれがこう言いおったんじゃよ」
『親父、俺に一から合成を教えてくれ。俺が親父の両手になるから』
「それまでは、教えてやろうとしても、『うるさい、引っ込んでろ』としか言わんかったのにのう」
 正直、慢心したままのウェインさんでは、これ以上の上達は望めないだろう、ご先祖さまから引き継いだ技も、この代で失われてしまうかもしれないと嘆いていた矢先だったんだって。
「人間万事塞翁が馬。この技を墓場まで持っていかずに済んで、わしはほっとしたよ。ウェインがやる気を起こしたのは、お前さんらのおかげとも言えるから、礼くらいしても良いじゃろうと思ったのさ」
 …お礼。そんな風に思う人もいたんだ…。何だか、ラグタイムマウスに初めて遭った時みたいな変な気分で、ボクは一つ息をついた。
 その後トーレスさんは、ふと思い出したように、こう付け足した。
「そうそう、もう一つ、せがれがまた慢心しないように予防線と言う事もあったんじゃ」
 予防線…って、192号さんが?
「そう、その点あやつは適任じゃったのう、多少独学で変なくせはついとるが、ひたすら好きでやっとる事じゃから、考え方にてらいがない。素直にまっすぐ伸びる。あんな奴がそばにいて、あのせがれが対抗心を掻きたてられんわけが無い。そのせいで、あやつは余計192号が気に食わんようじゃがのう」
 その時、一際大きいウェインさんの怒鳴り声が聞こえた。…何か、言い負かされて怒ってるみたいな…。
 それを聞いて、トーレスさんは、何だか悪戯の成功した子供みたいに笑った。
「今の話を聞いたら、ウェインの奴は火ぃ吹いて怒るじゃろうのう」
 …確かに。全部トーレスさんの手の平の上だなんて知ったら、ウェインさんは黙ってられそうもない…。
 血管が切れそうなくらい怒ってるウェインさんを想像したら、何だか、悪いと思いつつも笑ってしまった。
 そしてボクは、トーレスさんにお礼と、改めて192号さんをよろしくと頼むと、合成屋さんを出た。結局、192号さんとは一言も言葉を交わさないままだったけど。
 あのケンカを邪魔する気には、ならなかったから。

   断片13:「デート」
 今日で3週間目。留学期間が終わるまで、あと1週間。
 講義の内容は、もう基礎を終え、応用編に入ってる。霧の特性とか霧機関の原理は覚えたから、講義の後旧兵舎に戻ってから、村に帰った後どういう指針で研究を行えば良いかを話し合ってるところだ。
 皆に、夕食後にまた集まろうと声をかけようとして、ふと気がついた。
 123号さんがいない。
 そう言えば最近、123号さんがよく留守にしてる。どこに行ったの?って聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「ああ、そうか、ビビは芝居の時、見終わる前に帰ったから知らないのか」
「彼ならデートだよ、デート」
「女の学者さんと会ってるんだ」
 ええっ!?
 驚くボクに、皆が口々に説明を始めた。
 お芝居が終わった後の事。
 皆すっかりお芝居のことで頭が一杯で、劇場の喫茶室でしばらくお喋りしてたんだって。何だかその中で、123号さんだけ、ちょっと渋い顔で考え込んでたらしいんだけど。
 そしたらボーイさんに、追い出されそうになった。
 …何か、喫茶室にいた他のお客さんが、黒魔道士の姿は見たくないから追い出してくれって頼んだみたい…。
 勿論ブランクさん達も庇ってくれたんだけど、ボーイさん自身もあまり好意的じゃなかったみたいで。
 出て行かないと警備兵を呼ぶとまで言われ掛けた時、ボーイさんに、抗議してくれる人が現れた。
『彼らは礼儀に反する事をしたわけでもないのに、その言い方はどう考えても不当でしょう。この喫茶室の責任者を呼びなさい』
 それが、ボクらに講義をしてくれているあのネズミ族の女の学者さんだった。
 彼女、あの大劇場の常連さんだったみたい。劇場側も大事なお客さんとして扱ってたらしくて、やってきた責任者は、学者さんの言い分を聞いて、文句をつけたお客さんに断りを入れてくれた。ただ、そのお客さんも結局納得してくれなくて、
『あっちが出て行かないなら、こっちが出て行く』
って、いなくなっちゃったみたいだけど。
 皆もそのままその喫茶室にいる気になれなくて、学者さんにお礼を言って出て行こうとした時。
 それまで、学者さんに怯えて皆の後ろに隠れていた123号さんが、思いきったように彼女にこう尋ねた。
『先生は、僕らのことあまり好きじゃないみたいなのに、どうして庇ってくれたんですか』
 すると彼女はこう答えた。
『「自分の目で確かめた事を信じるのが、私の信条だ」…自分の目で見て、あなた達が無礼な事をする人達じゃない事を知っていたからです。道理の通らないことが、許せなかっただけよ』
 その彼女の言葉を聞いた瞬間、123号さんはの目の色が変わった。
『その「自分の目で…」っての、皮肉屋ベルヌの台詞ですよね』
 すると彼女は、驚いたように123号さんを見つめた。
『よくご存知ですね。さっきの芝居でも皮肉屋ベルヌは削られていたのに』
『あ、やっぱりそうなんだ。おかしいと思ったんです、どうして皮肉屋ベルヌのシーン、無くなってるんです?』
『元々一幕目しか出てこない役だし、最近の解釈じゃ、わざわざあんな夢を真っ向から否定するようなリアリストを出す必要ないと言うのが流行なのよ』
『ちょっとそれって変じゃありません?そりゃいなくても話は通じちゃいますけど…最初にベルヌが主人公の空想癖を引き立ててるから、後で主人公が目の前の障害をどう乗り越えるか具体的に考えるシーンで、成長が感じられるんじゃないんですか』
『そうなのよ、ベルヌがいないといまいちあのシーンの鮮烈さがなくなって…詳しいのね、随分』
『だって、「星に願いを」は台詞をそらで言えるくらい読んだんです。芝居を見たのは初めてですけど』
 そのまんま2人は、議論に熱中し始めてしまった。はたで聞いてる皆には、何を話してるんだかさっぱり分かんなかったけど、要するに、今日のお芝居の話らしいって事は分かった。
 その時の123号さんと来たら、それまで彼女と学院の廊下ですれ違うのすら嫌がっていたとは思えないような話振りだったらしい。しかも学者さんの方も、やっぱり講義でのようなきびきびした口調なのに、妙に熱を込めて喋るものだから、みんなすっかり呆気にとられてしまった。
 そして2人は散々話し込んだ挙句、最後には彼女が、
「ああ、ここで話すだけじゃ埒が開かないから、ちょっと図書館まで付き合いなさい、あそこなら芝居の原作も殆どそろってるから」
と、123号さんを連れ去ってしまったんだって。
 で、残された皆は戸惑ったけど、いくらなんでも捕って食われる事も無いだろうからって、そのまんま旧兵舎へ帰ってきて。
 …そう言えばあの日、ボクが旧兵舎に戻ってきた時、123号さんがいなかった。もしかして、次の日の朝に帰ってきたのかな。
 それ以来、123号さんはちょくちょく彼女と個人的に会って、小説の話をしたり、お芝居を見に行ったりしてるらしい。
 それを、皆でからかって「デート」って言ってるんだって。
 そう言えば最近123号さん、相変わらずの人見知りではあるんだけど、楽しそうにしてるんだよね。
 …それにしても、予想外の話にボクはすっかり呆気にとられた。「世の中何が起こるか分からない」って、本当にその通りだ。知らないうちに、すごいことになってたんだ。
 123号さん、会議にちょっと遅れて帰ってきた時にからかわれてたけど、まんざらでもない風だった。
「最初は怖かったけど…、ああして話すようになって分かったよ。彼女、すごく弟さん思いで、お芝居好きの可愛い人なんだ」
なんて言ってた。…個人的に話した事のないボクには、あのカチカチの口調できびきび講義するあの人が、『可愛い』って言うのがよく分からないけど。
 …それにしても、彼女の弟さんって…。
「命には別状無かったんだって、傷跡は残ってたけど」
 会ったの!?
「…昨日ね。彼女は迷ってたみたいだけど、弟さんが僕に会ってみたいって」
 弟さんの方から?
「うん。気弱そうな、物静かな人だったよ。握手した時は震えてたけど、会って良かったって、言ってくれた」
 123号さんはそう言って、嬉しそうに笑った。
 にしても、講義中のあの先生の態度からじゃ、全然分かんなかったよ。言われてみれば、ちょっと角がとれた気もするけど劇的な変化じゃなし、別に講義中に123号さんを特別扱いするわけでなし。あのカチカチッとした態度は半分地だったのかなぁ?あそこまで公私をきっちり分けてる人って、始めて見た。
「うん。だから『理性的』って言っただろう?」
 おじさんの学者さんの言葉だ。

   断片14:修了
 そして、1ヶ月目。講義も、操船の修行も、今日で終わり。
 明日には192号さんの合成屋修行も終わって、皆で帰途につく。
 3人の学者さんの最後の講義は、3者3様だった。
 おじさんの学者さんは、いつも以上に熱心に講義をして、授業の終わりには、「分からない事があったらいつでも訊きに来なさい」と言ってくれた。彼はボクらへの応対での責任者だったから、随分お世話になった。皆でお礼を言うと、「君らが熱心に受けてくれるから、楽しかったよ」と答えていた。
 …若い学者さんは、主に実験の仕方を教えてくれてたんだけど、もう予定の範囲は終了してしまっているから少し遊ぼうと言って、今日は霧を動力に動くオルゴールを、霧の代替物質で動かす実験をしてくれた。いつものぼさぼさの髪とちょっと汚れた白衣の姿で、いつも眠そうに喋る学者さんが、その玩具を見せる時だけちょっと得意そうだった。講義が済むと、彼は黙って手を差し出して、ボクら一人一人に握手を求めてきた。そして、握手が済むと、「いずれまた会いましょう」と言って、さっさと自分の研究室に戻っていった。何故か講義以外では殆ど喋る機会が無くて、結局彼がどう言う人なのかはよく分からなかったけど、彼を怖いと思ったことは一度も無いんだよね、不思議な事に。…もっと時間があったなら、彼ともちゃんとお話したかった。
 女の学者さんは、最後の最後まで相変わらず。いつものきびきびした口調で、きっちり予定通りのところまで進んで、必要最小限の挨拶をして去った。123号さんにすら、特別声をかけると言う事もしなかった。123号さんに、「何かあいさつしなくていいの?」って訊いたら、
「うん、いいんだ。後でまた会う約束してるから」
だって。
 操船組は操船組で、ゼボルトさん達へお礼と挨拶をしてきたようだ。
 それから皆で、近所のお世話になった人達に挨拶に行っている間、ボクはリンドブルム城へ行って、シド大公に宛てて「明日の朝出港前に挨拶に行きます」と言う伝言を兵士さんに預けてきた。
 その後、宿舎として使っていた旧兵舎を、きれいに片付けて掃除をして、荷物をまとめていたんだけど。
 そうして明日の出発の準備をしてるうちに、何だか段々沈黙が多くなってきた。皆上の空で、何事か考え事してるみたい。
 この1ヶ月間の事を思い出してるのかな。それとも…。
 そうして明日の出発に備えている最中に、突然皆がざわっとした。
 旧兵舎の表の通りの方から、皆にとっては聞き覚えのある程度だけど、ボクにとってはものすごく耳慣れたわめき声が、風に乗って聞こえて来たからだ。
「こぉらぁ〜!ビビ〜っ」
 この声は…しまった…。
 ずばん!と玄関の扉が開く音がして、すぐ後に部屋へ向かってくる足音が続いた。そして、開け放たれた扉から部屋へ飛びこんできたのは。
「馬鹿ビビ〜っ、留学中手紙しか寄越さないってのはどう言う了見よぉ〜!?」
 ワンピースのすそを絡げて髪を振り乱し、すごい形相で怒っているエーコ。彼女はそのまんまボクの襟首に飛びついて、ぎゅうぎゅう締め始めた。
「たくもぉ〜、明日帰るってのも今知ったわよ、薄情者ーっ」
 声の主に気付いた時点で覚悟はしてたボクは、ぶんぶん振りまわされても大人しくされるがままになってた。
「きぃ〜、エーコだって、エーコだって、ビビが忙しかったのは分かってるわよう、こっちから押しかけてやろうって思ったりもしたわよう、でもしょうがないじゃない、エーコだって忙しかったんだからぁ〜!!」
 耳をつんざく声は、半分何に怒ってるんだか分からない代物だったけど、会いに行けなかったのは悪いことしちゃったなあ。
 ひとしきり暴れたおして落ち着くと、エーコは周りで呆気にとられてる皆に気がついて、いきなり掃除を仕切り始めた。
「ほら、さっさと終わらせて、夕ご飯作るわよ!それからビビ、今日泊まってくからねっ」
 エ、エーコ、そんな事して大丈夫?シド大公には言ったの?
 するとエーコはうにゅっと口を尖らせて目をそらすと、ぼそぼそ言った。
「…シド大公がそうしなさいって。ここに来る小型艇手配してくれたのもおじさんなの」
 この様子だと、授業とか習い事とかをほっぽり出せずにうずうずしてるエーコを見かねて、そうしてくれたんだろう。
 エーコは戸惑う皆を従えてあっという間に掃除を終わらせて、お城から持ってきた材料で夕ご飯の準備まで仕切って済ませてしまった。
 皆エーコの押しの強さにすっかり呆れてたけど、来る前よりぴかぴかになった旧兵舎と、おいしそうに出来あがった夕ご飯を見たら、文句も出なくなっちゃった。
 夕ご飯が済んでから、ボクはエーコに誘われて、旧兵舎の小さな庭に出た。
「皆、何だかボーっとしちゃってるわね」
 この一ヶ月、いろいろとあった思うから。
「何よ、他人事みたいに言うわね」
 そう言うわけじゃないけど。この1ヶ月間何があったか、全部知ってるわけじゃないもの。
「例えば、192号のこととか?」
 うん。黒魔道士やジェノムの皆だけじゃなくて、ネズミ族の学者さんや、ウェインさんの事もね。皆、結局自分で何とかしてた。嫌な事もたくさんあったんだろうけど、ボク、何にも出来なかったなあ。
「そう?少なくとも、このエーコ様をほっぽり出す程度には、勉強は頑張ってたみたいじゃない」
 ちょっと口を尖らせて言うエーコに、ボクはちょっとヒヤッとした。
 …ごめんね、皆で研究についての話し合いとかもしてたから、ホントに時間が無かったんだ。
「もう、いいわよ」
 思ったよりあっさりそう答えたエーコは、ボクから目をそらして言った。
「それで…研究は、うまく行きそうなの?」
 黒魔道士の子供達を作り出す方法と、延命の方法の?
「…うん」
 …思ったより、何とかなりそうだよ。リンドブルムは、“霧”の研究が進んでるから。
「必要なものとかは?」
 それはもうここで買い揃えてたから、とりあえずは大丈夫。
「…そう」
 呟くように頷いて、エーコはボクの袖を掴んだ。
 どうしたの、って訊いたら、エーコは目を泳がせながら言った。
「…また、リンドブルムへ来る…?」
 うん。きっとまた、調べなきゃならない事とか、必要なものとか出てくるしね。
「その時は、ちゃんと会いに来てよ?」
 …うん。
「だってさ、イーファの樹で別れてから、皆とほとんど会えないし…でも、皆とは『またいつか』って思えるけど…」
 ためらいながらも、ポツリ、ポツリとエーコは言った。
「あんた相手だと、『またいつか』じゃ…会えるとは限らないじゃない」
 ボクは、いつまで生きられるか、分からない。次に会えるまで、生きていられるかどうか、分からないから。
 でも、ボクは「会えるよ」と答えた。
 エーコが、驚いたようにボクを見た。
 そのために、留学してきたんだから。
 そう言ったら、こくんと頷いて、笑った。
「そうだね。そのために頑張ってたんだもんね」
 うん。頷いて、ボクは話題を変えた。
 そう言えばエーコも、ずっと忙しくしてたみたいじゃない。
「そうなのよっ、もー大変!」
 手紙以外でも、エーコの近況は知れた。だって、リンドブルム大公家に入ったばかりのお姫さまの事を、町の人達が取り沙汰しないわけない。地方への訪問とか、大公家の行事とか、随分いろいろあるんだねえ。
「ほんっとうにねっ。そのうちダガー以上の人気者になってやろうと思ってるけど、ちょっと位わがまま言わなきゃやってられない!」
 わがまま?一体何言ったの?
 留学前に会った時のシド大公との話を思い出して、ボクは思わず聞き返した。エーコからもらった手紙の中じゃ、シド大公やヒルダ大公妃のことなんか殆ど書いてなくて、不思議に思ってたんだ。
 するとエーコは、ちょっと赤くなってこう答えた。
「…ヒルダ大公妃に、絵本…読んでもらったの。…シンデレラ」
 シンデレラって、あの、童話の?
「そうよっ、あのシンデレラ!いいじゃないちょっと位!モリスンに読んでもらうと語尾にいちいち『クポ』がつくから気分が出ないんだもん!!」
 別に何も悪くないよ。笑いながらボクは言った。
 そんな風に照れて怒るくせに、エーコはしばらくシド大公やヒルダ大公妃の事を話しつづけた。
 嬉しそうな顔を見ているうちに、それらの話を手紙に書かなかった理由が、直接会った時に話したかったからだと分かった。
 彼女も、ボクの知らないところで色んな出来事に出会って、ちょっとずつ前へ進んでいってるんだなあって、思った。

   断片15:出港
 そして、次の日。
 エーコが城へ帰った後、ボクはまず合成屋さんに192号さんを迎えに行った。
 192号さんを連れての帰り際、トーレスさんは、店の前まで見送りに来てくれた。
「192号、お前にはまだ教え足りん事もある。またおいで」
 けれど、ウェインさんは、工房に閉じこもったまま出てこなかった。
 いいの?192号さん。そう訊いたら、
「いいんだよ。彼、作業中だから」
って答えるから、ボクらは、トーレスさんにお礼をして帰る事にした。
 でも。いざ帰ろうと思った時。
 工房から、こんな怒鳴り声がした。
「おい!こないだ言ってた剣、ちゃんと作って持って来いよ!!」
 すかさず192号さんが叫び返す。
「分かってるよ!君の杖が出来あがる前に、持って来てやる!」
「トロくさい奴が馬鹿言うな!てめえが一本作る間に、こっちは3本作ってやる!」
 そのやり取りを、トーレスさんはニコニコと聞いていた。
 通りすがりの人達も、「またやってるよ」と、くすくす笑った。
「やれるもんならやってみろ、さーとっとと帰ってとりかかろうっと」
 192号さんが、そう言って声にくるりと背を向けた。
「けっ、早く行っちまえ!」
 そんな声が、追いかけてきた。
 次に、シド大公に挨拶に。お礼を言うとシド大公は、
「いやいや、礼をされるほどの事はしとらんよ」
と言って、必要なものがあったら連絡をよこすように言ってくれた。
 シド大公は、話してる間中機嫌良さげにしていたけど、ボクが帰ろうとした時、思い出したようにこう付け加えた。
「そうそう…あんまりうちの娘を悲しませるようなことはせんでおくれよ」
 その顔はちょっと、怖かった。
 そして、ボクは水竜の門にいる皆と合流した。
 見送りに来てくれたのは、エーコやゼボルトさん達。
 とっくに来てた操船組は、出港の準備を完了していた。ボクらが買った船は、中古の帆船。この水竜の門に停泊してる軍艦に比べれば小さくて飾りもないけれど、丈夫で作りがいい事は、ゼボルトさんのお墨付きだ。
 これから、ボクらはアレクサンドリアへ寄ってから、村へ帰る。
「ダガーによろしくね」
 エーコの言葉に頷いて、ボクは船に乗り込んだ。
 他の皆も別れの挨拶は意外とあっさりしたもので、皆早々に船に乗り込む。
「ふむふむ、風も良好バイ。しっかりやりんしゃい!」
 そう言ったゼボルトさんに、
「まかせんしゃい、研修の成果を見せちゃるバイ」
 って、誰かがゼボルトさんの口真似で答えた。黒魔道士かジェノムかも分からないけれど、皆どっと笑った。
 ゼボルトさんが、研修の終わりにはもうこの船を指導する人なしで何度も外海まで行かせてたんだって。皆すっかり慣れちゃってるみたい。快晴の空に白い帆が風をはらんで、船が港を離れていく。
「ビビ、またね!!」
 エーコが叫ぶのが聞こえて、ボクは「またね」と叫び返した。
 水竜の門が小さくなっていくに連れて、皆段々口数が少なくなって来た。
 静まってしまった船の上で、123号さんがボクの隣に来てこう言った。
「あのね。昨夜、彼女と彼女の弟さんと、3人でお芝居を観に行ったんだ。その時に、弟さんが話してくれた事なんだけど」
 彼女って言うのは、ネズミ族の女の学者さんの事だ。
 123号さんが言うには、彼女の弟さんは、襲撃以来、ずっと毎晩黒魔道士が襲ってくる夢にうなされてたんだって。
 …無理もない。ブルメシアで襲撃を受けて、リンドブルムに逃げてきたのに、今度はそのリンドブルムでも黒魔道士に襲われたのでは、どれほど心に傷を負ったものだろう?
 それを思うと、123号さんは謝りたくなった。例えその時の事を覚えてなくても、それは確かに黒魔道士達がやった事だから。
 でも、弟さんは謝らないでくれって言った。123号さんに会って話をしてから、あの悪夢を見なくなったんだよって。
「彼女もね。最初はやっぱり何でこんな奴らに講義なんか、って思ってたそうなんだけど。でも、今じゃそんな事思ってないからって。だから」
 123号さんは、すん、と鼻をすすって言った。
「またリンドブルムへ来て欲しいって、一緒にお芝居を観ましょうって」
 そっか。じゃ、また来なきゃね。
「うん。あの人に、会いたいから」
 それを聞いて、192号さんも言った。
「僕も、また来たい。合成の修行もっとしたいんだ。最初は、32号君との約束にこだわってたけど…最後には、僕自身のために修行してたよ」
 192号さんは、ちょっと申し訳なさそうに言ったけど。ボクは、きっと32号さんは喜んでいるだろうと思った。
 やがて、しぃんとしていた皆が、ぽつりぽつりと喋り出した。
「わたしも、来るつもりだ。エリンに会いに」
「ぼくも、読み残した本があるんだ」
「外の世界が、こんな楽しいと思わなかった」
「皆に、教えてやらなくてはな」
「皆も連れて、また来たいね」
「また、来れるかなあ」
 その言葉に、皆一瞬沈黙したけれど。
 ボクは誰かが何かを言い出すのを、じっと待った。
 すると、ジェノムの誰かが言った。
「また、来れるようにすればいい」
「そうだ。何度でも来れるようにすればいい。私達も、手伝う」
 黒魔道士達が、頷いた。
「そうだね」
「もっと大勢で来れたらいいね。子供達も連れて来たいし」
「子供達が生まれたら、楽しいことをいっぱい、教えてあげなきゃね」
 そう話しているうちに、水竜の門は見えなくなっていく。
 でも、この別れでは誰も泣かなかった。
 また来るから。また来たいから。永遠の別れにする気はないから。

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山月のはんこ