FF9異聞/シーン9
夜明けは遠い。森は、まだ暗がりに閉ざされている。
照明は、携行用のカンテラがたった一つ。バクーは、ガラスが砕け散りただの枠と化した窓から、外の景色を眺めていた。
船全体がやや傾いではいるが、高いところに設置されている劇場艇プリマビスタの操縦室なら、この鬱蒼とした森の背の高い木々をぎりぎりで見下ろすことが出来る。星も月も覆い隠す霧の下ではあるが、わずかな明暗を頼りに、薄気味悪く空中を掴むように伸びた、樹木達のシルエットが伺えた。
そのシルエットの狭間で、時折ちらちらと蠢く一際濃い影がある。霧や木々に隠れ、この船を狙っているモンスター達だ。
じっとこの船の様子を伺う視線に、首筋の辺りがちりちりとした。
「相変わらず薄っ気味悪い森だぜ…」
そう呟いた時、ここへ上がる階段を上がってくる2人分の足音に気がついて、バクーは振り向いた。
目に入った人物が何か言い出すより先に、声をかける。
「おう、ゼネロ、シナ、人数は揃ってたか?」
すると、シナと一緒に上がってきた幅広の鼻面を持つ亜人が、妙な訛り言葉で答える。
「街に落ちたのが確かな奴以外は、全員揃ってるでよ」
バクーはそうか、と一つ頷いた。
運がよかった、と言うべきだろう、この場合は。
「揃ってる」と言うことは、生きていると言うことだ。街に落ちたという連中も、低空飛行だった時だから、余程落ち方が悪くなければ死なない。劇場艇の船員だとアレクサンドリア兵にばれたら捕まる可能性もあるが、タンタラス団員ならそんなドジは踏まない。後は自分達で何とかしてアジトに戻ってくるだろう。
「怪我人は?」
この質問も、怪我人の有無を尋ねるものではなかった。怪我人がいないわけはない。「重症の奴は誰だ」と言う意味だ。
質問を向けられたゼネロの方も、それは了解している。
「楽団の連中が何人か、動けるようになるまで時間がかかりそうでよ」
その答えに、バクーは微かに表情を険しくした。
砲撃が楽団席を直撃したためである。指揮者がとっさに避難の号令をかけたようだが、最後に避難しようとした指揮者と何人かが、降ってくる木材の下敷きになったのだ。
「全く、自分の娘の乗った船を砲撃するとは思わなかったずら」
姫が直撃を食らう可能性を考えなかったのだろうか?
信じられない、と言った表情でシナが言った。
「最近のブラネ女王は様子がおかしいという噂があったずらが、あながちただのゴシップでもなさそうずらね」
その言葉に、バクーはしばし何かを考える表情になったが、返事はしないままに話題を変える。
「それより、あのアレクサンドリア兵はどうした?」
スタイナーのことである。
するとシナが、すっかり忘れていたと言う表情で答える。
「ああ、あのおっさんなら、倉庫に放り込んどいたずら」
「怪我は?」
「鎖骨と膝折ってただけずら。あんまり言うこと聞かないから、気絶させて口にポーション突っ込んどいたずらよ。半日で治るずら」
そうか、と頷くバクーに、シナがやや不満そうな顔をして言う。
「ここから脱出する時、あのおっさんも連れて行くずらか?」
いかにも、「邪魔だ」と言いたげな言葉。
そんな問いに、バクーはシナから目をそらし、窓へと向き直って答える。
「…見殺しにしろってか?」
重く押し殺した低い声。その肩に、わずかに力がこもっている。
しばしの沈黙。カンテラの灯りが、怯えたように一瞬暗くなった。ゼネロが傍で冷や汗を掻いている。
しかし、むしろシナの方は平然としたものだった。ふうとため息をつくと、諦めたように肩を竦めて言う。
「いんや、あのおっさんなら放っといても死なないような気がしただけずら」
その返事に、バクーが肩から力を抜く。
「それももっともな話なんだがな」
シナがとんかちでぽりぽりと頭を掻きながら、話題を変えた。
「じゃ、後は今あるアイテムの確認ずらね」
「おう、頼むぜ」
窓を向いたまま手を振ると、シナがゼネロを連れて階段を降りていく気配がした。
「へ、言いてえことを我慢しねえ奴だぜ」
その足音を聞きながら、バクーは呟く。
実際、助けてやる義理のない人間の心配まで、していられるような状況ではない。連れていこうとしても、あの石頭の騎士は言うことを聞かないだろう。下手をすると足手まといになりかねない。その点では、素直に言うことを聞いてくれそうなあの子供の方がはるかにマシだ。
だが、見捨てていくと言うのは、始めからバクーの選択肢の中には入っていなかった。そんなバクーの性質を、シナが分かっていないわけはない。別に意見のつもりはなかったのだろう。連れていくとしたら、あの騎士を上手く動かすのが面倒くさそうなので、愚痴っているだけだ。
「この森から脱出できるかどうか」について、シナは一度も触れなかった。脱出できることを、欠片も疑っていないからだ。
それは、タンタラス団全員同じだ。だからこの状況においても、誰一人パニックを起こさず、船の中で静かに待機している。
バクーの命令を、待っているのだ。
そしてバクーは命令を出すべき時を踏み間違わぬよう、状況が整うのをじっと待っていた。
シナとゼネロの足音が、聞こえなくなった時だった。
入れ替わりに猛然と階段を駆け上がってくる足音が聞こえて、バクーは顔をしかめた。
「…何も走ってくることもねえだろうに」
ぼやきながら振り返った瞬間、その足音の主が、噛みつくような勢いで、バクーに怒鳴りかかった。
「おいバクー!姫を助けに行く面子が、ブランクとマーカスってのは、一体どう言うわけだよ」
柳眉を釣り上げ、尻尾の毛を逆立てたジタンをうるさげに見遣りながら、片耳を押さえてバクーは言った。
「騒ぐんじゃねえよジタン。モンスターが襲ってくるじゃねえか」
途端、ジタンがぐっと口を押さえる。
「さっき言っただろうが、ここのモンスターは大声を出す奴ほど弱いと判断して、襲って来るんだ」
窓の外を示しながら、バクーは言う。
この大陸の低地を覆う霧の下は、人間の住む高地よりモンスターの数も種類も多いが、その中でもこの森は特に多くのモンスターが生息している。そしてその大半が、森の影や霧の中に紛れて獲物に忍び寄り、襲ってくるタイプだ。
以前、何が目的だったのかは知らないが、大勢の軍隊が武装を固め、威嚇の声を上げて踏み込んだことがあるそうだ。しかし、霧の上のモンスターになら通用する威嚇も、この森では己の位置を敵に知らせるものでしかなかった。いつの間にか一人、また一人と人数が減っていった。気がついた時には既にモンスターの罠にかかって皆散り散りになっており、命からがら脱出できたのは、元の人数の一割ほどだったという話なのである。結局今まで、この森を踏破した人間はいない。だから、「魔の森」と言うわけだ。
この森では、どんな大群の軍隊よりも、自分の気配を殺すのが上手い生き物が強いのである。
「今は回りに焚いてる火を警戒して襲ってこねえがな。あんまり騒ぐとそれも無視して襲ってくるぜ」
ジタンはしぶしぶ怒鳴り声を飲み込んだ。
しかし、言いたいことまで我慢する気はないらしい。
「けどボス。質問には答えてもらうぜ」
不満をありありと表して言うジタンに、バクーは軽く肩を竦めた。
一枚の羊皮紙をジタンに投げ渡して言う。
「見ろ。この大陸の地図だ」
言われたとおり、ジタンは地図を広げて覗き込んだ。
その大陸図の中、アレクサンドリア王国は、山に囲まれた広大な低地を持っている。その片隅に黒々と広がっているのが、この魔の森だ。
その低地と魔の森を丸ごと切り裂いて走る、崖がある。
「今おれ達がいるのは、高い方の崖際だ。姫を連れ去ったモンスターは、その崖を降りて逃げてったんだ」
「…降りられねえ崖じゃねえぜ」
だからどうした、という具合にジタンが睨む。バクーはそんなジタンの視線を無視して、明後日の方向を向いた。
「だが、戻ってくるのは難しい崖だ。降りるんなら、戻ってこないでそのまんま森から出ちまった方が早い位置だしな」
さっき、バクー自ら試しに降りてみようとした結果である。足場の悪い崖だった。しかも、かなりの高さがある。降りるのはともかく、登ってくる際にもたつけば、その間にモンスターが襲ってくる危険も大きい。
「だったら、皆で降りちまって脱出すればいい」
「怪我人降ろせる崖でもねえぜ。楽団の連中はどうする?」
ジタンがぐっと返事に詰まる。
楽団員も勿論盗賊団タンタラスのメンバーだ。しかし、どちらかと言うと盗賊業より音楽家が本職に近い面子である。無傷ならともかく、怪我を押してまであの崖を降れる能力はない。
つまり、姫を助けたければ、二手に分かれる必要があると言うことだ。
「怪我人守って森を脱出することを考えると、姫を助けにやる人数は出来るだけ少ない方がいい。その点、ブランクとマーカスなら、2人でも充分姫を助けて、森から脱出するだけのことは出来るからな」
その言葉に、ジタンがぐっと手を握り締めて、低く唸った。
「……オレにそれが出来ないって言うのかよ」
ぎりぎりと奥歯を噛み締める音が、聞こえるような気がした。怒気をはらんでじっと自分を睨みつけるジタンを、バクーはちらりと横目で見遣る。
へ、とバクーがついた呆れたようなため息を聞きとって、ジタンがだんと一歩バクーの方へ踏み出す。
その瞬間、さっとバクーの右手が伸びて、ジタンの左手首を掴み上げた。
「いてっ!いてててっ、離せバクー!!」
軽く捻られただけなのに、途端に痛みでジタンが顔をゆがめる。
その様子に、バクーはふんと鼻を鳴らした。
「…ほれ見ろ。このイカレた肩で何が出来るって?ブランクのポーションでも半日じゃ治りそうもねえじゃねえか。下手についてっても足手まといなだけだ。あんまり無理すると、腕が肩よりあがらねえ体になっちまうぜ」
さっきモンスターに跳ね飛ばされた時に、脱臼したのだ。
「姫を連れ去った奴はな、植物系のモンスターの幼生…球根だ。その場で餌を食わなかったのは、繁殖の直前の奴だからだ。姫は種の苗床にするつもりなのさ。今ごろ安全な巣穴に根を張って、花を咲かせようとしてるだろう。植え付けられた種が芽を出せば、姫は御陀仏だ。繁殖が終わるまで一日はかからねえ。その様子じゃ間に合わねえなあ?」
ジタンは悔しげに唸ったが、返す言葉もない。
バクーは腕を離すと、窓に向き直った。未練がましく睨みつけるジタンに見向きもしないまま、犬でも追い払うように手を振った。
「話は終わりだ。オメエにゃ怪我人守るって言う立派な仕事がある、しっかりやれよ」
ジタンは肩を押さえながらしばらく何か言いたげにしていた。しかし、結局どんな言葉も出てこないまま、苛立たしげに足元の木材を蹴りつけて階段を降っていく。
階段に八つ当たるような足音に、バクーは小さく呟いた。
「らしくねえなあ…」
一方ジタンは、階段を下りながら、苛立ちに任せて金の髪を掻き回していた。
分かっている、バクーの判断は正しい。姫を救出すること、タンタラス団全員を無事魔の森から脱出させること、両方を考えるなら、多分それが一番いい。
しかし、あの姫は、自分が助けなくてはならないのだ。姫の、あの強い目と向き合った時に、そう思った。
ブラネ女王を睨みつけている彼女を見た時、そのまま舞台から飛び降りてしまうんじゃないかと、ひやりとした。飛び降りて、自分の母を問いただしに行ってしまうのではないかと。
あの瞬間彼女の目には、自分とブラネ女王の間に存在する距離が全く映っていなかった。気持ちだけならもう飛び降りて、観客席へと落下していたのかもしれない。いや、もしかすると、ブラネ女王が砲撃した時点で、彼女の中で屋根と一緒に何かが砕けていたのかもしれない。
それだけは駄目だと思った。このまま彼女が潰れてしまうのだけは、駄目だ。助けなければ。そう思った。
しかし。
目の前で、さらわれた。助けてやることが出来なかった。
ジタンは、階段を降り終わったところで、がつんと足元の辺りの壁を蹴りつけた。
その衝撃が、ズキンと左肩に響く。
肩を押さえながら、ジタンは鋭く舌打ちした。
「苛ついてんな」
そんな声がかかって、ジタンはふと顔を上げた。
見れば、ジタンを待ち構えていたかのように、階段のそばの壁によりかかって立っている人物がいる。
その人物を見止めた瞬間、ジタンの中で言いたいことがぐっと膨れ上がった。しかし、膨れすぎた言葉は全て胃の中につっかえた。
「…ブランク」
口から出たのは、その名だけだった。
立ち尽くしているジタンを、ブランクがちらりと横目で見る。
「熱くなり過ぎんのは、みっともねえんじゃねえのか?」
そんなことを言われて、ジタンの眉間に、微かにしわが寄った。
左肩を押さえながら、視線が斜め下の方へと逃げる。
「…分かってる」
今の状態では、彼女を助けるどころか、心中する結果になりかねない。
それに。
「少し頭を冷やせ。おまえのやるべきことは何だ?」
それも、分かっている。
『オメエにゃ怪我人守るって言う立派な仕事がある、しっかりやれよ』
それは、一人でも犠牲者を出さないために、バクーが下した決断だ。自分一人のわがままで、それを台無しにすることは出来ない。
――オレにはオレの、やるべきことがある…。
うつむいた視界に、ブランクの足元が映っていた。
姫救出を命じられたブランクに対しても、言いたいことはある。しかし、それは言っても詮無いことだ。
苛立ちを吐き出してから大きく息を吸い込むと、ジタンは顔を上げた。
ジタンが顔を上げるのを確かめて、ブランクはついと壁から離れた。
そこでふと、ブランクの表情がどこか暗いことに気がつく。取り澄ました顔に見えるが、何気なく自分の手元に視線を落としている。普段から、落ち込むのはガラじゃないと言っている奴なのに。ジタンはその理由にすぐ思い当たった。
「そういや…ルビィが、落ちたって?」
砲撃の際落ちた面子を、さっきシナから聞いたのだ。
流石のブランクでも心穏やかではないのだろう。しかし、落ちた先が町なら、あのルビィのことだ。『心配することない、ある意味タンタラス最強の奴だからな』とでも言ってやるつもりで、そう話題を持ち出す。
しかし。
「…ああ。民家の屋根に着地してたから、大した怪我はしてないはずだがな」
そんな返事に、ジタンは一度かけようと思った言葉を飲み込んだ。
答えた声は、平静を保っているようには聞こえた。だが、それくらいでだまされてやれるほど、付き合いは短くない。
今の言葉からするに、ルビィはブランクの目の前で落ちたのだ。
その時この男は、反射的に手を伸ばしたはずだ。そういう奴だ。しかし。
――掴まえて、やれなかったのか。
そんな時に、『心配するな』なんて言葉はあまり意味がない。それは今の自分が一番よく分かっている。
ジタンはもう一度深く深呼吸すると、にっとブランクに笑いかけた。
「ま、そんならオレらもとっととこの森を抜けて、あいつと合流すること考えねーとな」
無事を確認するにしろ、言いたいことがあるにしろ、全てはそれからだ。
ブランクはふんと鼻を鳴らした。
「手前に言われるまでもねえよ」
確かに、今諌められていたのは、ジタンの方のはずだった。
ジタンはそのことを思い出して、軽く舌を出した。
ブランクはそんな様子に呆れたように肩を竦めて、ジタンに向かって『こっちへ来い』と合図した。
「どうしたんだ?」
ブランクの後について歩きながら尋ねると、ブランクがすぐ近くの船室のドアを指し示して答えた。
「あのガキがよ。おまえに礼を言いたいんだとよ」
「…ビビが?」
ジタンはうろたえたように立ち止まる。
「…何やってんだよ」
わたわたと髪やら服装やらをいじり回しているジタンに、ブランクが訝しげに顔をしかめた。
「あ、いや別に…ちょっと…」
ちょっと、心の準備が。
何だか変な気分だ。芝居の間中、あの子供のことを気にしていた自分に自覚はある。しかし、いざ会えるとなると、どう言う顔をして会えば良いのか分からない。
会いたくないわけじゃないし、会いたいと言われて嬉しいと思う。でも、妙なことに巻き込んでしまったし、それに。
――…分かってるって、言ったのにな。
『おねえちゃん』を、助けられなかった。
「…あいつ、怪我とかは?」
挙動不審をぴたりと止めて問うジタンに、ブランクは首を傾げた。
「怪我は大したことない。薬も飲ませたから、すぐよくなる。ただ…」
「ただ?」
妙な含みに聞き返すジタンを、扉のそばへ招き寄せる。そしてブランクは、ゆがんで外れかかった扉の隙間から、中へと目配せした。
中を覗き込んでみると、丁度寝台にいるビビの様子が伺えた。
どこかから隙間風でも吹き込んでいるのだろうか、部屋を照らす蝋燭が、不安定に揺れる。緩く明滅する灯りの中、ビビは寝台の上で、膝を抱えてうずくまっていた。
ビビがいるのは、大人が寝る寝台だ。ジタンの胸ほどまでしかないビビの身長で、寝台が狭いわけがない。なのにビビは、枕を置くべき辺りにじっと縮こまって、少しでも場所をとらないように、自分を押し込めているかのように見えた。
ぎゅっと肩を竦め、あごを膝の間にうずめ、竦んだように身動き一つせず、じっと手元を見つめている。劇場艇のカードと今日の芝居のチケットを見ているんだろうと、ブランクが答えた。ほんの時々、金の瞳が震えるように瞬くのが分かった。
泣いているわけではなさそうだが、確かに『元気』とも言い辛い様子だ。
「時々様子を見に来てるが、さっきからずっとあの調子だ」
部屋の中を気にしてか低く押さえた声で、どこかむっつりとしながらブランクが言う。ジタンは扉の隙間から目を離し、ブランクをまじまじと見た。
「…何だよ」
無遠慮なジタンの視線に、ブランクが不快そうに顔をしかめた。
そんなブランクに、ジタンは実に怪訝そうに尋ねる。
「…おまえ。子供は苦手だったんじゃなかったっけ?」
途端にブランクは目を吊り上げて、ジタンの膝の辺りを蹴る真似をした。
「んなことはどうでもいいんだ。おまえあのガキの知り合いなんだろ、何とかしやがれ」
ジタンはジタンで避ける真似をしながら、へへっと笑う。
――照れてるよ。ったく、素直じゃないっての。
けれど。
もう一度ちらりと部屋の様子を覗き見て呟く。
「ま、あんな様子のままで放っとけないと言うのは、…賛成」
ジタンはブランクを廊下に残して、傾いた扉を叩いた。
ややの間があって、ちょっと慌てたような返事が、やっと聞こえるくらいの大きさで返ってきた。
扉からひょいと顔を覗かせると、ビビはジタンを見て「あっ」と小さく声を上げた。「よっ」と声をかけると、ビビはうずくまっていた膝を崩し、ジタンの方へと向き直った。
「ジタンさん…」
他人行儀な呼びかけに、ジタンは思わず苦笑する。今日会ったばかりなのだからおかしくはないはずだが、もともと堅苦しいのは苦手なジタンだ。そうでなくても、この相手に『さん』付けで呼ばれるのは、何だかむず痒い気がした。
「昼に会った時も言ったろ、呼び捨てでいいって」
戸惑うビビに、扉を閉めながら言い聞かせる。
「ほれ、呼んでみな、『ジタン』って」
すると、ビビは戸惑いつつも頷いて、小さく言いなおした。
「ジ、ジタン…」
昼間会った時に興味を引かれた、耳障りのよい声。それが、恥ずかしげに自分の名を辿るのを聞き届けて、ジタンは満足げに笑いかけた。
その笑顔に、ぎこちなく固くなっていたビビの肩から、ふっと力が抜けるのが分かった。その反応が嬉しくて、知らずと気分が明るくなる。
「怪我、痛んだりしてないか?」
歩み寄りながらかけた言葉に、ビビはふるふると首を振った。
「大丈夫、さっきお薬もらったから…」
「そりゃよかった。ちゃんと寝て、早く怪我治せよ?」
「ありがとう…」
とんがり帽子が、こくりと頷いた。
大したやりとりではないけれど、やっと交わしたまともな会話。それはたかだか半日ぶりのことなのに、柔らかい子供の声と真っ直ぐに見上げる金の瞳が、どういうわけかやたらと懐かしい。
ジタンは自然と顔がほころんだ。尻尾の先端が、無意識にうちにくるりと揺れる。
そんなジタンの顔を不思議そうに見上げていたビビだったが、はっと何かを思い出し、慌ててきちんと正座し直して、ぺこりと頭を下げた。
「さっきは助けてくれてどうもありがとう…」
丁寧に頭を下げるビビに、ジタンは慌てて首を振る。
「礼には及ばないって!オレだっておまえの魔法がなきゃ危ないとこだったんだからな」
微妙に目を泳がせながら頭を掻くジタン。素直な礼など縁のない仲間に囲まれている彼からすると、何の衒いもない丁寧な台詞が、やや照れくさいらしい。
妙に浮き立っている自分を押さえようと、ジタンは手近な椅子を引き寄せて、腰を降ろした。
「びっくりしたんだぜ、おまえいきなり黒魔法使うんだもん。小さいのに呪文が使えるなんてすごいな」
照れながら首を振る反応を期待して、そんなことを話しかける。
しかし、返事は返ってこなかった。
見れば、ビビの視線が迷ったように泳いでいた。照れているのか、返答に困っているのか、それとも、何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。
「小さいの、気にしてるのか?男の価値は見かけじゃねえんだぜ?」
冗談のつもりで言ってみても、返答は「うん」とも「ううん」ともつかない声。
膝の上にきちんと並んだ拳が、手袋の皮がぴんと張り詰めるほどに握り締められた。泳いだ視線は、ゆっくり沈むように床へと落ちていく。
一瞬緩んだように見えたのだが。あっという間に再び固くなってしまったビビの様子につられるようにして、浮き上がりかけたジタンの気持ちも、すうと冷たくなっていく。
帽子のつばの、金の瞳が隠れてしまった辺りを見つめながら、脅かさないよう静かに声をかける。
「…怖いのか?」
するとビビが、少しだけ顔を上げた。
「変なことに巻き込んじまったもんな。でも安心しろよ、ちゃんと家へ帰してやるから。な?」
しかしビビは、小さくだがはっきりと首を振った。
単に怯えているわけではないだろうとは思っていた。ならば。
「…あのおねえちゃんのこと、心配してるのか?」
ビビがびくりと震えた。
その反応に、ジタンはズキンと胸が痛んだが、顔の表面ににじむ前にその痛みを喉の奥へと押し込む。
「ごめんな、まだあのおねえちゃん助けられてないんだ」
しかし、ビビは大きく首を振った。この薄暗い中でも淡く灯っていた金の瞳が、急に煙ったように暗くなって、ジタンはぎくりと背が冷えた。
慌ててビビへと手を伸ばしかけたその時、俯いた帽子の影から、ビビがぽつりと呟いた。
「あのおねえちゃんが、昼間に話してくれたガーネット姫なんだってね…」
悄然とした、蚊の鳴くような声だったが、震えてはいなかった。
一瞬泣き出すかとさえ思ったのに。ジタンはちょっと驚いて目を見張った。
ビビは、そんなジタンに気付かない様子で、躊躇いながらも、ゆっくりと次の言葉を口に出した。
「お姫さま、ね…ボクを庇って、捕まっちゃったんだ…」
その言葉にジタンは内心はっとしたが、顔には出さない。ビビが何をどう話そうか、言葉を選んでいるのを見て取って、続く言葉を待つ。
「助けなきゃって思ったんだけど、ボク怖くて…どうしたらいいのかわかんなくって…」
蝋燭の炎の震えに連れて、壁に伸びた影が頼りなく揺らめく。
「魔法、ちゃんと使えたら、助けてあげられたかなあ…お姫さま、今ごろ怖い思いしてないかなあ…」
懐の辺りをぎゅっと握り締めて、ビビは呟いた。
「船やお芝居なら代わりはあるのかもしれないけど、お姫さまが死んじゃったら、どうしよう…」
きゅうっと小さくなってしまうビビの姿に、ジタンはそっと目を細めた。
――責任を、感じてるのか…。
ジタンは小さな驚きを感じていた。
実は、この子供のことを気にしているのは、もう会えないが故の感傷なんじゃないかと、心のどこかで思っていた。実際に会ってみたら、「なんだ、普通の子供じゃないか」と思ってしまうのではないかと。
現にこうして会ってみると、ひどく変わった言動をするわけでもない。服装や帽子の影で淡く光る瞳といった外見は、やはり変わっているとは思うが。しかし、内心の不安を隠すという事を知らず、ひねくれた言葉で自分を誤魔化す術も持たない。ただ、思ったとおりをありていに口にする。その素直さは、ごく普通の子供の持ち物だ。
そう、ごく普通の、子供。
――でも、…優しい、子供だ。
十歳になるかならないかと言う年齢。こんな状況では、ただ何が起こったのかも分からずに怯えて泣いているか、もしくは自分の身の危険も飲み込めずにきょとんとしているか、どちらかという歳だろう。せいぜい、周囲の人間の反応から事態の不穏さを感じとって、漠然と自分を責めるくらいが関の山だ。
ところがこの子供は、きちんと状況を理解し、何を恐れるべきなのかを分かって、あの姫の身を案じている。そして、自分がどうしたらいいのか真剣に悩んでいるのだ。
その気持ちは、例えばブランクやジタン自身のそれと、そう違わない。
重く肩を落とし、じっと視線を落としているビビ。固くなった体の中で、ずしりとした荷物を抱えて、うろうろと出口を探しているのだろう。小さな体にとってその重みは、ジタン達が感じているよりも厳しくのしかかっているのだろうことは、想像に難くなかった。
それを思うと、肩の辺りが、ひどく冷たくて重たい。
出口を指し示してやることが出来れば、またあの時みたいに、楽しそうに喋ってくれるだろうか。明るい柔らかい声や、細めた瞳の優しい光で、語りかけてくれるだろうか。
「……」
しばし何か考えていた様子のジタンの尻尾が、不意にくるんと大きく揺れた。そして、ジタンの両手が、堅苦しい姿勢で座っていたビビに向かって伸びる。
「ひあっ?」
体を掬い上げられて、ビビが驚きの声を上げる。
ジタンはそれに構わず、持ち上げた体を寝台に横たわらせて毛布をかけると、ぽんと軽く胸の辺りを叩いた。
そして、唐突な行動にぽかんとして見つめてくるビビに、ジタンは自信満万に笑いかけた。
「大丈夫、ガーネット姫は必ず助けるから。とりあえず今は大人しく寝てな。そうしないと怪我がなかなか治らないだろ?」
「…本当?お姫さまを助けてくれるの?」
驚いたように問い返してくるビビに、大きく頷いて見せる。
「ああ。約束する。だからちゃんと寝て、怪我、早く治せよ?」
すると、曇ったように翳っていたビビの瞳が、わずかに光を取り戻し、ジタンを見つめてこくりと頷いた。
けれど、緊張が完全に解けたわけではないことも、ジタンは感じていた。金の瞳が、微かに震えながら、ジタンを見つめている。
ジタンは椅子にかけたまま、ビビの手を軽く握った。すると手袋越しの小さな手が、遠慮がちに握り返してきた。
微笑みかけて、気を紛らわせるべく別の話題を振る。
「しっかし、おまえが舞台に出てきた時には驚いたぜ。忍び込んできたんだろ?」
「ごめんなさい…」
「謝ることないさ。オレはまた会えて嬉しかったぜ?」
「え…」
さらりと言われた言葉に、ビビは戸惑うように瞳を揺らした。しかし、それでも視線はジタンの方へと戻ってくる。
他愛のない話題をポツリ、ポツリと交わす間も、その瞳はじっとジタンを見つめている。
この薄暗い蝋燭の明かりの中、さらに暗いはずの帽子の影の下でも、やはりその瞳は淡く光を放っていた。
不思議な瞳だ。戸惑うことはあっても、人を見つめることに怯えが無い。しかし、刺す様に入り込む瞳でもない。そっと道を照らして、誰かがたずねてくるのを待っているような。
そんな視線を受け止めながら、ジタンは考え事をしていた。
優しい眼差し。優しい子供。
――オレは、どうだったっけ…?
ふと、自分の身を振り返ってみる。自分がこの位の歳の時は、どんな子供だったろう?
この子供とは、全く逆の意味で、子供らしい子供だったと思う。
既に子役で舞台に上がり、盗賊としての仕事にも関わっていた自分。その頃から大抵のことは人並み以上に出来たから、鼻っ柱はかなり強かったはずだ。負けず嫌いで、自分に出来ないことなんかないと思っていた。何かを自分のせいかもしれないなんて、ろくに思ったこともなかった。人がすっ転ぶのを見ても、ドジな奴だとしか思わなかった。挫折を知らないが故の、無神経な優越感と、自尊心。それもまた、子供の持ち物だ。
それらが崩れ始めたのは、どのくらい経ってからだったか。世の中は思い通りにいかないことが大半なのだと言うことを、段々と知り始めた。何をどんなに鍛えてもそれは変わらない事実だった。自分の力のやり場を見失って、むしゃくしゃして妙な暴れ方をしたり、無関係の相手に当り散らしたりした覚えもある。
しかしやがて、思い通りに行かなくて苦しんでいるのは、自分だけではないのだと言うことに気がついた。だったら思い通りに行かない奴に手を貸してやればいいじゃないかと思い至ったのは、つい最近の話だ。
――「思い通りに行かない奴に、手を貸してやればいい」か。
それ以来、それがジタンの行動原理となった。迷った時はそれに従う。助けてやりたいと思ったら、何がなんでもやりとおす。
ついこの前、決めたことだったような気がするのに、それはいつの間にか骨身に染みついて、ジタンの行動を左右する体質となってしまった。
そして、それは今この瞬間も変わらない。
「……」
話す内に、段々と口数が少なくなり、ビビはとうとう寝入ってしまった。
細く鳴る寝息に乱れが無いことを確認して、ジタンはそっとつないだ手を解いた。
ここにも、助けられるかもしれない相手がいる。
帽子の影に指を差し入れ、柔らかい頬をそっと撫でる。
そしてジタンは、その眠りを邪魔しないように、静かに船室から出ていった。
こめんと
やりたい放題です。本当に。「狙いすぎると嫌がられるぞ」と言われましたが、あいにくこちとら狙ってやれる性質じゃござんせん。どーせ妄想をカタチにすることしか出来ないのだから、好きなようにやる(笑)
えーと、ゲーム中でのジタン×ビビの始まりはここですね。その前は会話らしい会話もなかったし。ま、山月が何を考えたのかはご覧の通りって事で(笑)子供扱いしとれるのも今のウチやで〜、覚悟しとき、ジタン。ちなみに、山月的ジタン像は、「人のことは余計なくらいに分かるけど、自分のことはさっぱり分からない人」です。
あ、それから余談ですが…ブランク×ルビィ、好きなんだってば。