FF9異聞/シーン7
次の幕が開くまで、後少し。
今ごろ役者達は、幕間演奏で時間をはかりながら、舞台に上がる準備をしているはずだ。ただし、舞台裏手の控え室ではなく、大道具置場で。
何しろ今の控え室は一人の『猛獣』に占領されていて、着替えなんぞ出来るような状況じゃないものだから。
舞台の控え室を一室独り占めなんて、まるで降る様に出演依頼のある一流役者のような、俳優を志す若者達が一度は夢見るほど贅沢な状況だ。しかし『猛獣』はかなりご不満のようだった。
それも無理ない話ではあるのだが。俳優志望達だって、いくら憧れた舞台の控え室を独り占め出来るとしても、肝心の舞台に上がれないなどと言うのは願い下げだろう。『猛獣』にも、自分の役割というものがあるのだ。なのに、目の前にそれを意地悪くはばむ、鉄の格子が立ちはだかっている。
ままならなさに憤り、その勢いに任せて『猛獣』は今一度、その格子へ向けて突進を試みた。
「ふぬぁ〜!!」
がん!と言う重い金属同士のぶつかり合う音と、それに遅れて衝撃を弾力で受け流す音が響いた。
その音に破壊音が混じらなかったのを知りながら、一縷の望みを抱いて振動が納まるのを待つ。しかし、鉄の格子は相変わらずろくにゆがみもせずに目の前を阻んでいた。
がっくりと肩を落としながら床に座り込み、
「こうしている間にも姫さまは〜…っ」
と、もう十何回言ったのか分からない台詞を繰り返すスタイナー。
――ああっ、このまま姫さまを救うことも出来ずにここで朽ち果てるのだろうか…。
真っ当なとは言いがたくともヒトの乗った船の中の檻なのだから、朽ち果てると言うこともあるまいが。彼にしてみれば、使命が果たせないなら、そこが酔狂な貴族が金に飽かせて設えた居心地最高の別荘だろうと、打ち捨てられた城の地下牢に閉じ込められたも同然。後はもう、このまま忘れ去られて一人散って行くものだとばかり思っている。
――しかしこのまま果てては、先王にあわす顔がないのでござる〜!かくなる上は化けて出てでも姫さまをお助けに…。
そんな悲壮なことを思って、ふと首をひねる。
さてその場合、どうやれば化けて出られるのであろう?
頭を抱えて唸りながら、スタイナーがそんなことを考え出した時。
静かになった控え室の開きっぱなしの扉から、幕間演奏の曲に混じって何やら雑談する声が聞こえてきた。
――むむ、この船の盗人共か。
「ねえ、それって幽霊でも見たんじゃないの?」
――む!?幽霊!?
その単語に、スタイナーは耳をそばだてる。
――それは是非化けて出る方法を伝授していただかねば。してその幽霊の居場所は!?
「いや本当ですって、ちゃんとこの目でこの船に乗り込んでいくところを見たんですから」
近づいてくる声に、スタイナーはますます耳を澄ませた。
――おお、この船に乗り込んでいるとは、それは好都合…。
「とんがり帽子とネズミ族の子供2人組ねえ…どうせなら、可愛い女の子だったら良かったのになあ。ちぇ、ほんとなら今ごろシンディちゃんとデートだったのに…」
不満そうに言う声に、スタイナーの眉がぎゅっとつりあがる。
――む、どこにでも軟派な奴と言うのはいるものである。
彼の率いるプルート隊にも、似たようなのがいること思い出しながら、スタイナーは首を振った。
「駄目ですよ、ちゃんとお仕事しないと」
――うむ!婦女子にうつつを抜かして仕事を怠けようなどと言語道断!
大きく頷きながら思っていると。
「またスタイナー隊長に拳骨食らっちゃいますよ」
「ふぬっ!!?」
突如出てきた自分の名に、スタイナーはぎょっと目をむいた。
その時ちょうど、スタイナーのいる部屋の開け放たれた扉の前を、声の主達が通りかかる。その声の主達の正体とは。
「おぬしら、ワイマールとハーゲンではないか!!」
本日の劇場艇船首側接舷口の警備担当の、プルート隊員達であった。ついさっきスタイナーが拳骨で追い返した連中のうちの二人である。
ちなみに声からすると、『シンディちゃんとデート云々』がワイマール、『拳骨云々』がハーゲンの発言だったらしい。
思わず叫んだ声に、プルート隊員達が二人そろってぎくっとこちらを向いた。
「た、隊長!?なんでこんなところに!?」
「この有様を見て分からんか!」
鳥かごのような檻の中でがしゃがしゃ鉄格子を揺さぶっているスタイナーを見て、ハーゲンが答える。
「は、はあ、見世物小屋の猛獣ごっこですか?」
「貴様ふざけとるのか!?」
「いえ、ハーゲンくんのことだから本気で言ってると思いますよ」
ワイマールの余計な注釈に、スタイナーの脳の血管が、ぶつりと切れる音がした。
「そんなことはどうでもいい!姫さまの一大事なのだ、早く自分をここから出すのである〜!!」
「は、はいぃっ!」
皮膚がびりびりするような大声に、プルート隊員達は一も二も無く御意を合唱した。
そしてスタイナーが檻に閉じ込められた『猛獣』から開放され、姫を守る『騎士』の役割を無事取り戻した頃。
全く耳を傾けることの無い3人の元にも、一応ながら、幕間演奏が終わり次の一幕の始まりを告げるメロディが、確かに届いていた。
それは、2人の役者が舞台に上がった合図でもあった。
――あれ…?
「いないわ、どこにいるの!?」
――おっと、ぼうっとしてる場合じゃねえや。
一瞬それた思考を、『コーネリア』の声に引き戻されて、ジタンははっと自分の役を思い出して、劇に意識を戻そうとする。
「マーカスなら、ついさっき出発した」
『コーネリア』にそう答える『ジタン』。
勇気を振り絞り、従者達の目をかいくぐって逃げ、コーネリアは自力でヴィジランツのアジトにたどり着いた。しかしそこで、マーカスが王を暗殺するために出発した仲間達を追ったことを知る。
「私はあの人の元へ、行かなければならないの!」
コーネリアは、ジタンの導きの元、マーカスを追う。
そんなストーリーを食い入るように見つめている観客達にとって、コーネリア役が変わったことは大した問題ではないようだった。劇中のコーネリアが人目を忍ぶために被ったショールで、役者の顔が見えないためということもあるが、何より即席の代役ヒロインのガーネットが、予想以上に好演してくれているためだろう。
頼んだ時は、棒立ちで棒読みだろうと台詞さえ言えればいいと言うくらいに思っていたのに、このコーネリアときたら熱烈にマーカスに抱き着いて再会の歓びを表し、よどみない口ぶりで観客に自分の心情を納得させる。
「だから今度は、私があなたと言う樹に帰り着くために羽ばたいたのです!」
プロのルビィにはかなうべくもないが、ぶっつけの代役とは思えない堂々とした演技だ。
「マーカス、お願い、父を殺さないで!父を殺しても、この国の民は救われないわ」
マーカスに訴えるコーネリア。
大抵の素人は、舞台を見つめる数百対の目を意識しただけで、歯の根も合わなくなってしまうことさえあると言うのに。
ましてや、この舞台はガーネット姫自身の母親である、ブラネ女王も見ているのである。
『母はお芝居が大好きですから夢中になっていますし、部屋で休んでいるはずの私が舞台に上がっているなどとは、思いもしないでしょう。堂々としていた方がかえって疑われずに済みますわ』
そんな彼女の言葉通り、今のところブラネ女王がコーネリアの代役が誰か気付いた様子は無い。ブラネ女王も他の観客同様完全に芝居にのめりこんで、身を乗り出して扇子を握り締めているようだ。
しかし、『堂々としていた方が』などと頭で分かっていても、そうそう体は言うことを聞くものではないはずなのだが。
――この度胸、さすが、というべきなのかね。
ジタンは舌を巻いていた。
何しろ、一人で城から逃げる算段をして、あのベランダの高さから飛び降りた彼女だ、ただのおしとやかな姫ではあるまいと思っていたが、まさかここまでとは。
これなら修理が終わるまで、充分ごまかしきれそうだ。船が出発しさえすればこっちのもの。
「私の迷いは晴れた!やはり倒すべきは王ではない。仲間達を止めに行かなくては!コーネリア、ついてきてくれるか?」
「ええ、あなたと共にいられるなら、どこまでも」
しっかりと抱き合い、誓いを交わす2人に、『ジタン』は声をかける。
「止めるなら早くしろ!先行した連中の刃がレア王の元へ届くまで、もう間がないぞ」
その声にマーカスと見詰め合って頷き、コーネリアが心に定めたように言う。
「もう誰かが血を流すのは見たくありません。行きましょう、マーカス」
そして3人そろって一度左そでへ退場。同時に、この幕の半ばを越したことになる。
そでに下がるなり、ジタンは様子を見に来ていたシナに声をかけられた。
「えらい熱演ずらね、お姫さまは」
舞台をじっと見つめているガーネット姫を見て、シナが小さく口笛を吹いた。
「ああ、たまげたもんだぜ。で、修理の方は?」
「予定通り、この幕が終わるころに完了するずら。準備が完了したら劇の途中だろうが即出発ずらから、足元に気をつけるずらよ」
脚本としてはこの幕の後にもう2幕ほどあるのだが、この公演に限り、この幕の終わりがこの劇の終わりと言うことになる。この幕も残り半分、出発の時間は迫っている。
「了解」
頷いてから、ジタンは舞台へ視線を向けた。
舞台の上では、冒頭に語り部を演じた王が、城へ向かおうとしているところだ。ヴィジランツは、王が城へ戻る途中を襲撃するつもりなのである。
コーネリア達が間に合うか否か、緊張の場面。
王族席ではブラネ女王は、その巨体をそわそわと揺らして舞台へ緊張の視線を向けている。そのちょっと人間離れした姿とあいまって、一国の主とは思えぬほど無邪気な様子にすら見えた。
――全く、これだけ夢中になってくれりゃ、こっちもやりがいがあるっつーもんなんだけどね。
それも、盗賊業がからまない興行の時に限るが。
ともあれ、ブラネ女王に異変が無いことを確認してから、ジタンは客席にも視線を走らせた。
もう一人、見せがいのある観客の居場所を探して。
――…やっぱり、いない…?
さっきも見つけられずに、心の中で首を捻ったのだ。
一体どこへ行ったんだろう。
さっきまでいた、貴族席にいない。
移動したにしても、一般席にもいない。
さすがに屋根の上までは遠すぎて、人の判別がつかないところもあるが、少なくとも見えるところにはいない。
あの、子供が。
どうしてか、ひどく物足りない思いがした。
――ま、姿を見れたからって、何かあるわけじゃねえんだけどな…。
ぎゅっと肩をすくめてから、奇妙な落胆をため息で押し出していると、後からぽんと肩を叩かれた。
「どうしたんすか、ジタンさん。もうすぐ出るっスよ」
そんなマーカスの言葉に、ジタンははっと我に返った。
「あ、ああ、分かってる」
ショールを巻きなおしているガーネット姫を見ながら、ジタンはぴしゃりと自分の頬をはたいた。
――いけねいけね、順調に行きそうだからって、気散らしてる場合じゃないな。
例え脇役だって、事が上手く運びそうになってるとしたって、詰で手を抜くのはカッコワルイ。そんなところをお姫さまに見せるわけには行かない。それに。
――こっちから見えてなくたって、向こうからは見えてるかもしれないしな。
そう思ったところで、舞台にヴィジランツの暗殺隊が登場し、物陰から王に向けて毒矢を構えた。
出番だ。
「やめて!」
叫びながらコーネリアが飛び出す。
それを追って続いてマーカスが、そして『ジタン』が舞台へ上がる。
「よせ、射るな!」
暗殺隊を制止しようとするも、マーカスが現れたことに驚き、暗殺隊の弓手の指が緩む。
その拍子に、放たれる毒矢。
一方コーネリアは、暗殺隊の方ではなく、王に向かって走っていた。父に、危険を報せるために。だが、警告ももう間に合わない。王は完全に不意をつかれて立ち尽くしている。
そしてコーネリアがとった行動は。
「コーネリア!」
マーカスの叫びと共に、客席から細い悲鳴が上がる。
毒矢は、王の前に立ちはだかったコーネリアの肩を射ぬいていた。
崩れ落ちるコーネリアに、駆け寄るマーカス。
『ジタン』は、王の護衛がマーカス達に近寄らないよう牽制する。
一瞬の出来事に、立ち尽くす王。
「コーネリア…何故…」
呆然とした王の呟きに、マーカスの腕に抱き起こされながら、息も絶え絶えにコーネリアが答える。
「こ、れ以上、無駄に誰かの血が流れるのは…嫌だったのです…コーネリアは、お父さまを信じ・て、おります…これ以上奸臣の言葉、に、惑わされないで…」
マーカスが、まるで遺言のような言葉に懸命に首を振る。
「コーネリア、目を閉じるな!どこまでも私と共に行くと言ったろう!?」
コーネリアは、マーカスの頬に手を当てて、囁く。
「ごめんなさい、マーカス…約束、守れなくて…でも、あなたの大切にしていたものを、守りたかったの…だから、どうか…この国の民の、幸福を…現実に…」
がくりと、コーネリアの頭が傾ぐ。
観客席から落胆の声が上がると同時に、高く細く鳴いた音楽が、ふっと止む。恋人の死を呆然と見つめるマーカスの周囲に、血が吹き出す寸前の傷の、不気味な静寂が降り立つ。
そんな悲壮な緊張感の裏に、役者達は別の緊張感を押し隠していた。
後は、マーカスの慟哭の長台詞と王の退場で、この幕は終わりだからだ。
ジタンも、瞳の動きだけで王族席を見遣る。王族席のブラネ女王は、丸々とした顔をくしゃくしゃにして、しきりに絹のハンカチを噛み締めていた。
――もうすぐ、この城ともおさらばだな。
貴族席の階段の辺りへ向けて浮かびかけた未練の方は押し込めた。
あの面白い子供と、すれ違った程度にしか話せなかったことは惜しかったとは思うけど。そんなことは後で好きなだけ残念がればいい。これから、お姫さまのエスコートなんて役得が控えているのだから。もう会うこともない子供のことなど、いつまでも考えてはいられないのだ。
振り切るように視線を客席から引き剥がし、ジタンは注意を自分の足元へ傾けた。
舞台の上が、2重の緊張を帯びる。
静けさの中で、マーカスが恋人の名を叫ぶべく息を吸い込んだその瞬間。
「わあああぁ〜!!!?」
「くおら盗人、どこにおる〜っ!姫さまを返せ〜」
「きみたちぃ、勝手に劇場艇に乗り込んじゃいけないんだぞぉ〜」
聞こえてきた場違いなわめき声に、客席も舞台も、次の音を構えていた楽団員達も、一人残らず棒を飲み込んだような顔になった。
「成敗してくれる〜っ」
「たいちょお、待ってくださーい!」
「こ、来ないでぇ〜!」
――この声は…!?
舞台の上の人々が、それぞれの聞き覚えのある声にさらにぎょっとした顔になる。その間も、その声はどたばたとした足音を伴って、舞台へと近づいてくる。
人がいないはずの、右側のそで。
役者達の目が、無意識にその方向を向いた瞬間。
「うわあん、ごめんなさーい!」
「だぁっ、来るなあっ」
そんな子供の悲鳴二つがそでの出入り口にかかったカーテンを跳ね除け、
「どこだああぁっ!」
馬鹿でかい怒声が、
「こぉらー!」
「隊長も待ってくださいってば!」
そんな声を二つ引き連れて、翻るカーテンを切り裂く。
そして、5人の人物が、舞台の上に『登場』した。
現れた人物達に真っ先に反応したのは、たった今まで死んでいたはずのコーネリア姫だった。
「スタイナー!?」
閉じ込められていたはずのスタイナーの登場に驚いて、劇用小道具の仕掛矢を肩に生やしたまま、ショールを跳ね飛ばして飛び起きるガーネット姫。
露になった黒髪に、観客席がどよめき、
「姫さま!?」
スタイナーは捜し求めていた人物を発見して、急停止する。
「な、なんスかこの連中…うおっ!?」
マーカスは驚いている間に、闇雲に走っていた子供2人の体当たりを受けて転倒する。
手早く最も建設的な行動に出たのは、王役の男だった。
「ちいっ」
鋭い舌打ちと共に、その重そうな体型からは想像できない素早さで王の衣装をその身から引き剥がす。
「うわっ!」
「どわっ?」
その衣装を顔面にぶつけられ、視界を塞がれたプルート隊員達が、こんがらがって倒れこむ。
「シナァ!準備はまだか!?」
王の役柄を早々に放棄したバクーが、怒鳴りながらそでへと駈け込む。
それと同時に、ガーネット姫が舞台に登場したことに対する観客席のどよめきが、ざわめきへと変わっていく。
そして、一番反応が遅かったのはジタンだった。
めまぐるしく動き回る人々の中で、彼の動きだけが錆びついたように遅かった。人一倍判断の早いはずの彼が、まだ信じられないと言った様子でゆっくりと振りかえり、あたふたと起きあがる子供の内の一人を、まじまじと見つめる。
これは、何だ。
「あてててっ、何事っス!?」
「いってー、ビビ、早く退けっ」
困惑したマーカス、小うるさいネズミ族の子。
「ご、ごめんねパック」
その子供が、帽子を押さえながら顔を上げた瞬間にジタンを見つけて、その金色の瞳を真ん丸くした。
「あ…っ」
その声。その瞳。その仕草。
間違いようも無い。
幻ではない。夢でもない。よく似た別人でもありえない。
もう会うこともないと思っていた人物が。
何故か今、自分と同じ、舞台の上にいる。
ジタンは、唾と一緒にようやくそのことを飲み込んだ。
「……ビ」
まさしく、その瞬間。
舞台が、揺れた。
「うおっ!?」
不意をつかれて、衝撃に備えていた者は膝を付き、そうでなかった者は全員転げた。
その大きな一揺れの後に、ぐらぐらとした振動が続く。
「皆立ちあがるな、揺れるぞ!」
よろめきながら立ちあがろうとしたガーネット姫が、ジタンの言葉にぱっと床の上に座りなおす。
しかし。
「盗人!貴様何をした!?」
「…っぶねえっ」
警告を無視してスタイナーが立ちあがり、ジタンに向かって切りつけてきたのだ。
寸でのところで飛びのきながら、単純明快に答えてやる。
「舞台は終わりだ。離陸するのさ。あんたもあんまり喋ってると舌噛むぜ」
その言葉に応じるように、劇場艇がさっき以上の大きさでがくんと縦に揺れた。立ちあがろうとしていたパックやビビは、またもやそろって転がり、ようやく視界をふさぐ衣装から逃れかけていたプルート隊員達は、再びその衣装に向けてべしゃんとつぶれる。
「ふぐぅっ!?」
がちんという音がして、スタイナーは口を押さえてしゃがみ込んだ。
「ほれ見ろ、言わんこっちゃない」
そんなことをしている間に、劇場艇はゆっくりとその巨体を持ち上げ始める。
観客席や王族席のざわめきが、一際大きくなる。大きくはなったが、まだ状況が飲み込めていない様子で、戸惑っているだけのようだった。
――よしよし、そのままぼうっとしてろよ。
舞台が客席から離れて行く。花道と舞台の間にかけられたはしごが、がらんと音を立てて落ちた。そのまま、だんだんとスピードが上がっていく。
「このまま困惑しててくれれば振りきれるっスね」
マーカスがそんなことを呟いた瞬間。
「そうはしゃしぇるかっ!」
スタイナーが立ちあがり、王族席に向かって叫んだ。
「ブリャネ女王!この船の者ろもは、姫さまを連れ去るつもりれすぞ!!」
ややろれつが回っていないが、観客席中どころか城中に響き渡るような怒鳴り声が、困惑した人々を一人残らず揺り起こした。
ようやく今起こっていることを把握して、観客席ははっきりと驚愕の色を示し、各所に配置されたアレクサンドリア兵達が走り出す。ブラネ女王が玉座から立ちあがり、素早く兵達に命令を飛ばすのが見えた。
「おいおい、ちょっとやばいぞこれ…」
命令が下ると、アレクサンドリア兵達の行動は素早かった。城の各所に設置された大砲が、次々と劇場艇へ向けて構えられ始めたのだ。
「お、お母様、まさか砲撃するつもりですの…!?」
ガーネット姫が真っ青な顔で呟く。
ここは城の中庭、観客席にはもちろん、程近い民家や城壁の上にも、人々が集っているのだ。巨大とさえ言える劇場艇、下手なところに落ちれば死人が出る可能性さえある。
しかし王族席を見れば、ブラネ女王は威嚇するように歯をむき出し、迷いもなく劇場艇に向かって拳を突き出そうとしている。
「やめて、おかあ…!」
ガーネット姫の悲鳴は、3連発で響いた爆発音にかき消された。
次の瞬間、劇場艇を着弾音と衝撃が襲い、舞台に彫刻の施された木片が降り注ぐ。
ぐらりと傾いだ床を、降り注いだ木片や舞台装置の柱が滑り、観客席めがけて落ちていく。降ってくるものに、観客達が逃げ惑った。
舞台の上の人々も、柱と同じように床を滑り落ちる。
「うわあぁあ〜!?」
「パックぅ!」
「ああっ」
「姫さま!」
ビビは舞台そでのカーテンに両手両足でしがみついてぶら下がり、ガーネット姫は剣を床に突き立てて掴まっているスタイナーに抱きとめられ、マーカスとジタンは床のわずかな凹凸に足を踏ん張って舞台の上にとどまった。
しかし、ビビに掴まり損ねたパックや、足元に注意を払う余裕が全くなかったプルート隊員達が、空中に放り出されて退場を余儀なくされた。
劇場艇が体勢を持ちなおしてスピードを上げた隙に、ジタンはそでに駈け寄って宙吊りになっていたビビを引き上げながら叫ぶ。
「マーカス、ガーネット姫、そでに入れ、また砲撃が来るぞ!」
今の砲撃ではまだ船の機関部はやられなかった。
しかし、船は城の城壁を越え、市街地の上空へ指しかかるところ、まだ大砲の射程距離内だ。劇場艇のスピードはまだ充分に上がっていない。少なくとも後もう一撃は来るだろう。
その考え通り、大砲が玉を込め終えて再度照準を劇場艇へと合わせ始める。
しかし、ガーネット姫は舞台の真中で座り込んだまま動こうとしなかった。
「ガーネット姫!?」
「姫さま、どうなさいました!?」
立ちあがろうとしないガーネット姫を、スタイナーが揺さぶっている。
ジタンは、ビビを舞台の上に引き戻してからガーネット姫に駆け寄りかけて、はっと立ち止まった。
ガーネット姫は、じっと王族席を睨んでいた。
いくら巨体だろうと、もうこの夜空の下ではブラネ女王の表情など読むことも出来ないくらい遠ざかっている。
それでも、彼女の目は確実に実の母を見つめていた。
あの強い目で。
「ど、どうしたの、あのおねえちゃん…」
傍らでビビが小さく呟いたが、ジタンは答えを持っていない。
その時、2度目の着弾の衝撃に続いて、轟音と共にかあっと辺りが明るくなった。
「ああっ!機関部やられたっスよ!」
マーカス指差した先で、劇場艇の一部が民家の屋根に落下して、ごおっと火の手が上がった。
とうとう劇場艇が、バランスを崩し始める。
左右に揺さぶられながら、首都アレクサンドリアの上空を何とか渡りきりはしたものの、それが限界だったようだ。急に高度が下がり始める。
街の門を越えると、広がる草原を真っ二つに割る川が伸びる。その流れを辿るようにして水面へと近づいていく劇場艇。しかし、劇場艇が着水するより先に、川は真っ逆さまに落ちこむ滝に変わった。切り立ったがけの下には、夜空のもとで暗い影を作る霧の中、なお黒々と広がる森。
前進しようとするエンジンの余力と、空中から轢きずり降ろそうとする重力の力に従って、斜めの軌道を描き、劇場艇はその森の中へと墜落していった。
「ないでおじゃる!」
「ないでごじゃる!」
「どこでおじゃる!?」
「ここでごじゃる!?」
アレクサンドリア城、宝物庫で、2人の道化師が騒いでいた。
宝物庫の一番奥、厳重に鍵の掛けられたケースの中が、空っぽになっている。
矮小な姿形、甲高くもしわがれた声、原色使いの派手な衣装で、ころころと転げまわるがごとき勢いで、宝物庫中をひっくり返して回る2人。
見目に騒がしい姿、耳に騒がしい声、動きまで騒がしい2人は、鏡で写し取ったようにそっくりな姿で向き合い、困り果てた様子で同時に首を傾げた。
青を基調にした衣装の道化師が言う。
「ソーン、お前がちゃんと見張ってないから!」
赤を基調にした衣装の道化師が答える。
「ゾーン、おまえが鍵が無くなったのに気が付かないから!」
「お前のせいでおじゃる!」
「お前のせいでごじゃる!」
しばしの不毛なにらみ合いの後、はっと我に返る道化師達。
「こ、こんなことをしている場合ではないでおじゃる!」
「は、早くブラネ女王にお報せするでごじゃる〜!」
「国宝のペンダントが!」
「なくなったでごじゃる〜!」
そして道化師達は、2人そろって転げるように宝物庫から飛び出していった。
ややあって。
捕り逃した劇場艇の消えていった先を、いまいましげに睨んでいたブラネ女王の元に、ベアトリクスが事態を報せにやってきた。
道化師達は、怯えて物陰からブラネ女王の様子を伺っている。
そんな道化師達を、女王は脂肪を溜め込んだ頬の肉の隙間から、じろりと睨む。
「あのペンダントが?」
ひいっと細い悲鳴を上げて隠れる道化師達。
ブラネ女王は、そんな道化師達の様子にふんと鼻を鳴らして、扇を苛立たしげに仰いだ。
ベアトリクスは、じっとブラネ女王の言葉を待っている。
「近頃様子が変だと思っていたら、あの小娘、よもやこんなことを企んでいたとはな」
その言葉に、ベアトリクスが怪訝そうに尋ねる。
「盗んだ犯人にお心当たりが?」
ブラネ女王は、そんなベアトリクスをちらりと見遣って、事も無げに答えた。
「ガーネットに決まっている」
「!?」
ベアトリクスが、2重の意味で眉をしかめた。
一つは、ガーネット姫が国宝を盗み出したという事実に対する驚きと、何故ガーネット姫がそんなことをしなくてはならないのかという疑問から。
もう一つは、ブラネ女王が、実の娘であり、この国の王女でもあるガーネット姫を、『小娘』呼ばわりしたことに対する戸惑いから。
しかし、ベアトリクスはすぐにその感情を押し殺して、普段の表情を取り戻し、ブラネ女王に問う。
「…では船が落ちた魔の森へ、姫の救助隊を出しますか?」
そう言い終えた途端、冷静を繕ったはずのベアトリクスの眉間に、再びしわが刻まれた。
ブラネ女王は、丸々とした頬に薄く笑みを刻んだからだ。一体、ガーネット姫がさらわれたと言うこの非常事態に、何がおかしいというのだろう。
戸惑うベアトリクスの様子を気遣うことも無く、ブラネ女王は扇をもてあそぶ。
「さて、どうするか」
その表情に、先ほどまで芝居を楽しんでいた時の無邪気とさえ言えるような雰囲気はもう無かった。
ただ、分厚いまぶたの隙間から、酷薄そうな冷たい光が覗くばかりであった。
こめんと
やっと再会しやがりました。やっとって言うのは、山月の自業自得です。いやいや、ドタバタした、感慨も何もあるかいなの、色気の無い再会シーンでしたね。でも、ゲーム中の出会いだって、頭の中で鐘が鳴るような暇はありませんでしたからね。
さあて。魔の森に突っ込みました。後はもうジタンとビビほとんど別行動しないし。
あー嬉しい。