FF9異聞/シーン6
何やら先ほど中庭を抜ける直前に、大量の金属片を叩きつけたような音がした気がするが、今は構っていられなかった。
今はとにかく、ガーネット姫を追うことにのみ、集中する。
「しっかし…とんだお転婆だ」
全く、何て逃げ足だろう。
風のように走り続けて、一向に足を緩める気配が無い。ここまで数分間、一度もジタンを振り返らずに走っていく。
いくら身軽でも、そんな体力があるとは思えない。証拠に、さっきから息が上がっているようだ。そろそろ疲れてきているのだ。
それなのに、けして逃げ足は落ちない。追いかけられて、振り返る事すら出来ないほどに無我夢中になっているのだろうか?それにしては、逃げ方がおかしい。さっきから闇雲に城内を走り回っているようにも思えるが、違う。
いくら歩きなれた城の中とは言え、考え無しに逃げ回っているにしては、道の選択に迷いが無さ過ぎる。
しかも行くところ行くところ警備兵がいない。
ジタンの頭の中の城内地図には、今日の警備配置も書き込まれていたのだが、それと照らすと彼女は明らかに警備の薄いところを選んで走っている。
どうやら、あらかじめ決めた行き先へ向けて、兵に見つからずに最短で行ける通路を選んであったらしい。
その行き先がどこなのか、ジタンは既に心当たりがあった。
その心当たりが正解だとすると、一体何を考えているのだろう、ガーネット姫は。
一度も振り返らない彼女。
多分彼女は、ジタンに追いかけられているから逃げているわけではない。ベランダから飛び降りる寸前、彼女は微笑んだのだから。しかも、ひどく強気な笑顔で。捕まえられるものなら捕まえてみなさいと、言わんばかりに。
その笑顔を見た瞬間、彼女を捕まえなくてはと、ジタンは思った。
別に、からかうような笑みに腹が立ったと言う訳ではない。
けして足を緩めようとしない彼女。
多分彼女は、振りかえっても目には見えないものに追いかけられているのだ。ベランダで見た、あの強い眼差しと、それが宿した固い意思。あなたに捕まっている暇はないのだと、言われたような気がした。
あれは、危ない。あんな眼差しを、ジタンはよく知っている。
今はまだいい。ここは彼女のよく知っている城の中。
けれど、多分。この調子のまま、走り続けるのなら。
――この子、いつか必ず壁にぶつかって大怪我するぞ。
ジタンは確信していた。それは、身に覚えのありすぎることだったから。
だからこそ、走り続ける彼女を絶対捕まえなくてはならない。
そう思った時、何やら背後に、ブランク以外の何か異様な気配が近づいて来るのを感じた。
ガッシャガッシャと、金属が触れ合う音がする。
「姫さま〜!今お助けいたしますぞ〜!」
その声に、姫が初めて一度、ちらりとこちらを振り返った。
彼女の視線につられて振り返って見て、ジタンはギョッと目をむいた。
後を走っていたブランクのさらに40歩分ほど後方を、がちがちの鎧を着込み、全身に土くれと芝の切れ端を付けた男が、ものすごい形相とものすごいスピードで追いかけてくるのだ。
「な、何だありゃ!?」
驚くジタンに、数歩距離を置いてついてきていたブランクが、ささやき声で答える。ほぼ全力疾走の最中だが、ぎりぎり聞こえる声だ。
「プルート隊隊長のスタイナーだな。このままだと面倒なことになりそうだ」
舌打ちする様子からすると、ブランクも姫の行き先の見当がついているらしかった。
その見当が当たっているかどうかは、もうすぐ分かる。
今走っている通路の突き当たり。ガーネット姫が右に曲がれば当たり、左に曲がれば外れだ。
ガーネット姫が、突き当たりにさしかかる。
ジタンは姫の動きを注視した。
右か、左か。
――右だ!
当たりの方向。
ジタンも間もなく右に折れた。その通路の果て、開け放たれた扉から見えるのは、劇場艇プリマビスタの船首側接舷口。
最も人目に立たないプリマビスタへの乗船口だ。王族席まで遠すぎるからと言う理由で、城への侵入経路からは外された場所である。
疑問に思う暇もなかったが、何故かその乗船口に配置されているはずの警備兵が見当たらない。警備体勢を知っているはずのガーネットがこの道を選んだのは、兵がいなくなっていることを知っていたからなのか。
ともかくガーネット姫が、プリマビスタに乗り込むつもりだと言うことは、既に間違いが無かった。
「くぉら、賊!待つのである〜!」
はるか後方で、あの騎士の喚く声がする。
やはりまずい。このままだとあのスタイナーとか言う鬱陶しい男まで、船に乗り込んでくることになる。
ジタンはガーネット姫がプリマビスタに走りこむ前に、背後を振り返った。
「ブランク!」
「ああ、分かってる」
返事と共に走るスピードをさりげなく緩め始めたブランクを見届けて、ジタンは前に向き直った。
ガーネット姫は、渡し板を渡って船に乗り込み、左の方へと曲がっていく。
それに習って劇場艇へと駆け込み、同じく左に折れる瞬間、ジタンはとんかちを持った小柄な人影とすれ違った。
「姫さまと賊はどこへいったのである〜!!?」
姫を賊の魔の手から救うために疾走していたスタイナーは、船に乗り込むなりそこでもたついていたプルート隊員に掴みかかった。
ちなみに落下による衝撃は、使命感と根性のみで克服したらしい。
「す、すいませぇん、船に乗り込んだ瞬間に見失いましたぁ」
情けない声でプルート隊員が謝る。
「見失いましたで済む話かっ、姫さまに万が一のことがあったら取り返しがつかないのだぞ!」
ぶんぶん揺さぶり回されて、プルート隊員は目を回しながら、接舷口より入って右手の方を指差す。
「も、申し訳ありませぇん、じ、じ、自分が見失った際、賊はあっちの方へ逃げていったようであります〜」
「なんだとー!それを早く言わんか!」
たった今まで振り回していたプルート隊員を放り出して、その方向へ走るスタイナー。
――一刻も早くあの賊を捕らえ、姫さまを救って差し上げねば!
あんな風に賊に追いかけられ、姫はさぞかし恐ろしい思いをしているのに違いない。それに姫は具合が悪いのだ。そんな体であんな風に走りまわったら、どう言うことになることか分からない。
そう思う彼の脳裏に、具合の悪い人間がああ言う風に走れるのかという疑問は、思い浮かびもしなかった。
――ご幼少の折より姫さまを御守り申し上げてきたこのスタイナー、どんな賊であろうと姫には指一本触れさせん!!
しかし、さっきからプルート隊員が指し示した方向へ走り続けているのに、一向に姫の姿が見つからないのはどう言うことであろう?
いくらも枝道があったというのに猪突猛進一直線に走り続けて、既に行き止まりにぶち当たろうかと言う今ごろになって、やっとスタイナーは立ち止まった。
そこへ、後についてきていたプルート隊員が声をかける。
「た、たいちょお〜、さっき分かれ道であの賊らしき人影を見つけたんですが」
「ばっかもん!そう言うことは早く言えと言っただろうが!!」
即座に転進スタイナー、プルート隊員の証言に従って走り出す。
「隊長っ、今そっちの方へ姫さまが通りすぎましたよ!」
と言われればその通路に飛び込み、
「あ、上の方で賊らしき足音が!」
と言われれば階段を登ってあたりを見回す。
――姫さまをお助けせねば!
しばらくはその滾る情熱のあまり、プルート隊員が見たと言うばかりで自分自身は賊も姫も服の裾一つ見かけていないことに何ら疑問を抱かなかったものの、散々船の中を走り回らせられた挙句に彼はようやく首を傾げた。
しかし、『何かおかしい』と思う以上のことを考える前に、プルート隊員が次の目撃情報を報告する。
「隊長、今この部屋から姫さまの声が!」
振り返ると、プルート隊員がある船室の一つを示して呼んでいる。
「何い、姫さま〜!!」
それに応じて駈け戻り、
「突入である〜っ!!」
と叫んでプルート隊員が押し開けた扉に2人で飛び込む。
と。
「きゃああ〜!何やのんっ!?」
と言う女の悲鳴が、スタイナーの耳を劈いた。
面食らいながらよくよく見なおすと、姫は姫でもそこにいたのは『ガーネット』姫ではなく。
「ちょっとブランク!レディの着替え中に何すんねん!」
と目を吊り上げて怒り狂う、さっきまで舞台にいた『コーネリア』姫であった。
「げっ、ルビィっ!!?何でここにいるんだよっ」
と、『プルート隊員』が役柄を忘れてうろたえると、
「役者の控え室に役者がいて当たり前やろ、ブランク!」
と猛々しくルビィが怒鳴った。ついさっき、嘆きの演技で観客を魅了していた『コーネリア』だったとは、全く思えない怒鳴り様である。
しかし口喧嘩に至る暇も無く、一瞬呆気にとられていたスタイナーが、その様子を見て息を吹き返す。
「き、貴様〜っ」
その唸り声に、『プルート隊員』役だったブランクがはっと我に返る。
とっさに身構えようとするが、一瞬遅かった。
次の瞬間には金属的重量感に満ちた物体がぐいっとブランクに迫り、輝く大剣でその体を壁に縫い付ける。
勢い、『プルート隊員』のヘルメットががらんと落ちて、その下の赤毛が露になる。
『プルート隊員』に赤毛はいない。不審人物第2号を確認して、スタイナーは怒鳴った。
「やはりプルート隊員ではないな、この曲者め!姫さまをどこにやった!!」
磨き上げられた刃をぴたりとおのれの首筋に当てられて、ブランクが思わず呟いた。
「…たいしたもんだ、あのプルート隊員の隊長とは思えねえな」
そんな台詞に、スタイナーはますます激昂する。
「無駄口を叩くな!首と胴とが泣き別れになっても良いのか!?」
しかし、そんなスタイナーの真っ赤に滾った怒りの形相を間近に見ながらも、うろたえもせずにブランクは答える。
「いや、それは御断りだ」
言いながらブランクは、さっと胸当ての下に右手を突っ込んだ。
「!?」
目にもとまらぬ動きに、今度はスタイナーの反応が一瞬遅れる。
次の瞬間。
「ぶり?」
そんな鳴き声をあげて、ブランクの胸当ての下から、手の平大の虫がぞろぞろぞろと沸いて出た。
下手に人間に似ている分気味の悪い顔と、妙に肉感的な腹、脂ぎった羽と足を持つ虫。それが十数匹ばかり、革を擦り合わせるような、何かを踏み潰したような、鼓膜に嫌な刺激を与える鳴き声を盛んに発して、異様な素早さで壁や床を這い回る。
剣を伝わり腕を這って顔面に近づいてくる1匹とばっちり目が合って、反射的な嫌悪感がスタイナーを襲った。
「ぎやあああ、ブリ虫〜っ!!」
怒号と同音量の悲鳴を発し、思わず飛び下がるスタイナー。
いかに使命に燃える勇敢な騎士と言えど、剣技の通じない虫には弱いらしい。思わず頭が真っ白になる。そしてそんな状態では、大抵の人間が判断を狂わせるものだ。
「はいっそこでもう一歩下がるずら!」
タイミング良くかけられた声に、思わず従ってもう一歩後退するスタイナー。
と同時に、がしゃんと言う金属音が降った。
一方、その数分前。
ジタンとガーネット姫の鬼ごっこは、唐突に終わりを告げていた。
船に乗り込んで間もなく、ガーネット姫が自ら立ち止まったためである。
劇場艇への侵入と言うガーネット姫の当面の目的らしきものが判明したところで、そろそろ本腰入れて捕まえてやろうかと、ジタンが身構えたその瞬間であった。
何の前触れも無くぴたりと立ち止まったガーネット姫に、ジタンは思わず同時に立ち止まった。
必然的に、今まで追いつけなかった数歩分の距離が、2人の間に空く。
正直、ジタンは勢いの出鼻をくじかれて拍子抜けした。『お姫さまには紳士的に』と言うからには、手荒な捕まえ方をせずに済んだことに感謝するべきなのかもしれないが、何だか、全く捕まえた気がしない。
ガーネット姫はまだ振り返ろうとはしないまま、乱れた呼吸を整えている。けれど振り返っても、彼女はやはりあの眼をしているのだろう。
そのことも、それを確信している自分も、ちょっと気に入らなかった。
彼女の呼吸が整うのを待って、声をかける。
「ようやく観念してくれたみたいだな、ガーネット姫?」
すると、ガーネット姫は辺りを見回しながらゆっくりひとつ息を吐いて、振り返った。
ようやくジタンに向けられたその目は、やはり、強い。顔の造作が、線の細い柔らかい美しさをしている分、その強い眼差しはなおさら際立つ。
その顔が、出会って初めて、言葉を発した。
「あなたは、この劇場艇の乗組員の方ですね?」
「ああ」
肯定の返事を返しながら、ジタンは思う。
ああ、やはり声も固い。可憐に澄んだ、美しい声なのに、さっきベランダで見た時の目と同じ。固い意志を込めた、固い声をしている。
美しいけれど固い声が、次の言葉を語り出す。
「既にご存知とは思いますが、私の名はガーネット=ティル=アレクサンドロス。この国の王女です」
その目と声に既視感を覚えながら、ジタンはゆっくりと尋ねた。
「そのお姫さまが、何でこの劇場艇に乗り込んだんだい?」
その問いに、ガーネット姫の眼が一度戸惑うように泳いだ。
「…実は」
ガーネット姫は、心を決めるように一度ゆっくり瞬きする。
そして、まっすぐにジタンを見つめて、言った。
「…あなたを見込んで頼みがあります。私をこの城から、さらっていただきたいのです」
その真剣な口調に、ジタンは軽く目を見開いた。
「この城から出るために、この劇場艇に?」
聞き返すとガーネット姫は、目をそらさず、ゆっくりと頷いた。
その目は、ただ城を出てみたいとか、そんな簡単そうな理由じゃなさそうだ。
思わず、次の質問が口をついで出る。
「何故だい?」
すると、ガーネット姫の顔がわずかに曇る。しっかり合わせていたその目を、横にそらしながら言う。
「…それは言えません。ただ、事情があるとだけお察しください」
その『事情』の大きさを察するには、その返事だけで充分だった。
――こりゃあ、本格的に放っとけないな。
強すぎる目、固い声、表情まで固い彼女。
やはり自分は、彼女を全然止められていない。彼女はその『事情』とやらを一人で抱えたまま、走り続けるつもりだ。
このままでは本当に危ない。何とかしてやらなくてはならない。
ならば。
「了解。引き受けた」
努めて軽い口調で、ジタンは言った。
ガーネット姫の顔が初めて、ややほっとしたように緩んだ。
「感謝します!」
――そうそう、その調子。
ガーネット姫の白い頬にわずかに血が上ったのを見て、ジタンはにっと笑いかけた。がちがちしていると、簡単にがちゃんといくものだ。少しくらい緩んだ方がいい。
「それでは姫さま。これから私めがあなたを誘拐させていただきます」
ジタンのそんなおどけた口調と、芝居がかった一礼に、ガーネット姫が微笑んだ。
やはり、笑った方が可愛いものだ。そんなことを思いながら、ジタンはふと、ガーネットをさらいに行く前に思い浮かべていた、盗賊とお姫さまのラブストーリーを思い出していた。
――やれやれ。ベランダで会った時には全部吹っ飛んだけど、もしかしたら案外…。
しかしその思考は、がしゃん!と響いてきた金属音に阻まれた。
しかも数秒遅れて、何やら怒号が響いてくる。
「ぬお〜!?だ、出すのである〜!!」
その重量感で耳どころか頭ごと劈くような声を聞き取って、ジタンは姫に言った。
「どうやら成功したらしいな。行こうぜ、お姫さま」
「シナ、おまえまたねずみ捕り増やしたのか?」
そんなジタンの言葉に、とんかちをもった小柄な男が得意げに答えた。
「備えあれば憂い無しずら。今回のはなかなかヒットの出来映えずらよ」
彼らが眺めているのは、折りたたみ式の鉄檻。
さっきまで天井の隠しに格納されていたそれは、今は砲弾型に展開されて床に据えられている。その大きさは、チョコボの1・2匹は優に入りそうな位あった。
ただし、今その檻の中に入っているのは、チョコボではなく。
「貴様らぁ〜、出せ、ここから出すのだ〜!!」
真っ赤になって怒鳴り散らす、スタイナーであった。
上手くおびき寄せられて、罠にかけられたと言うわけだ。
策略にまんまと嵌ったことが悔しくて仕方ないらしく、しきりに歯噛みしては鉄檻の柵を掴まえて、ガシャガシャと揺さぶっている。
しかし、重い鎧を担いで大剣を降り回せるスタイナーの腕力でも、檻は接続部分がぐらぐらするばかりで開きそうな気配はない。
「頑丈なもんだなあ」
「当然ずら。ザクナルが体当たりしても壊れない様に作ってあるずらよ。このレバーを引き上げなきゃ逃げられないずら」
シナは廊下の壁に隠してあるレバーをとんかちで指し示して、髭面をにんまりとほころばせた。余程の自信作だったらしい。
ともあれ、ガーネット姫誘拐のための御邪魔虫は、封じる事に成功したわけだ。
しかし。
「問題が、あるずらね」
ついさっきまでの自慢げな表情から、急に難しい顔になるシナに、ジタンも困ったように首を傾げた。
「ああ。ここの猛獣は放っといていいんだけどさ」
「ひ、人を猛獣呼ばわりとは何事だ、この無礼者〜!!」
檻の中の猛獣の吼え声は無視して、ジタンとシナは難しい顔のまま、廊下へ出る。
障害の一つは無事に取り除いた。
しかし、ガーネット姫誘拐を完遂するためには、もう一つ、問題があったのだ。
「運が悪かったよなあ、こんな時に限ってエンジンが故障なんてよ」
ジタンは歩きながら、腕組みしてため息をつく。
これからガーネット姫を連れて、このアレクサンドリア城から逃げ出さなくてはならないと言う時に、である。
「まあ、故障自体は小さいもんなんずら。ただ、修理にべネロとゼネロがかかってるずらが、どうしてももうしばらくかかるんずらよ」
「修理する間は、ごまかしきらなきゃならねーよなあ」
ジタンとシナは、舞台の方から聞こえてくる音楽に耳を澄ませた。この辺は舞台の近くだから、そのメロディまで良く聞こえる。
その曲からすると、劇は既に終盤に差し掛かっている。多分今ごろマーカスが舞台の上で熱演していることだろう。
このシーンが終わった後、この「君の小鳥になりたい」では通例になっている数分間の幕間演奏が入り、そしてクライマックスへと入るのだ。
シナが言うには、修理が済んで出発準備を終えるには、幕間演奏の次の一幕が終わる頃までかかるらしい。
その間は、劇を続けなくてはならないと言うことなのだ。
「どうしたもんずらかねえ」
シナが首を振る。
実際のところ、修理が済むまで劇を続けていればいいだけの話。
だがその、劇を続けなくてはならないと言うところに問題がある。
「あの『猛獣』が言うこときいてくれないと、どうしようもないよなあ」
その『猛獣』とは、スタイナーのことではない。
目的の部屋の前にたどり着いて、ドア越しに様子を伺うと、部屋の中はしいんと静かだった。その静けさに思わずジタンとシナは顔を見合わせ、げんなりした顔をする。いかにも、「開けたくないなあ」と言う顔で。
しかし、開けないわけにもいかない。
仕方なくジタンは、そぉっとドアノブをひねった。
そこには、椅子に腰掛け、机に頬杖をつき、むす〜っとむくれて壁を見つめている『猛獣』が一人。
それを見て、ジタンはがっくりうなだれた。
――やっぱり、機嫌直ってねえし…。
部屋の空気を己の不機嫌で支配する『猛獣』。それは、コーネリア姫役のルビィだった。
不機嫌極まりない顔で、その厚めの唇をぎりっと結び、じっと沈黙している。
そんなルビィから少し離れたところで、困ったように首をかしげて椅子に腰掛けているガーネット姫。戻ってきたジタン達に気付いてこちらを見る彼女を、ジタンは手招いてドアの外へ呼び寄せた。
ガーネット姫もやはり居心地が悪かったらしく、やけにゆっくり立ちあがると、ルビィを刺激しないようにそっと部屋から出てくる。
「あの人…大丈夫なんですか?」
なんともあいまいな質問だが、訊きたい事はよく分かる。
分かるだけにどう答えたものか、ジタンとシナは顔を見合わせた。
「何しろ『猛獣』だからなあ、ああなると…」
苦い笑いと共に、ジタンは部屋の中を覗きこむ。
この部屋の中にいる『猛獣』。これが大問題だった。
ルビィがヒステリーを起こしてしまって、コーネリア役どころでは無くなってしまったのだ。
「次のシーンじゃコーネリア出ずっぱりなんだけどなあ…」
どうにか機嫌を直して舞台に上がってもらいたいのだが、ぴりぴりと殺気を放っているルビィをみると、ジタンもシナも恐ろしくて側によることが出来ない。いや、たった一人を除いて、タンタラス中の誰も近寄れないだろう。
「後はもう、『猛獣使い』に望みを託すしかねえんだけど…」
呟きながらジタンは、こうなったルビィに唯一近寄れる、赤い髪の『猛獣使い』を見遣った。
その『猛獣使い』は、何とも居心地悪げな顔をしつつも、この張り詰めた空気の発生源の側に立っていた。実際、それだけでもう尊敬ものなのだが、場合によってはこの『猛獣』を制御するという奇跡のような離れ業まで見せてくれる。
ただし、成功率は、あまり高く無いのだが。
しかしそれでも今は、この『猛獣使い』が奇跡を起こしてくれることを、祈るばかりだ。
ジタンは、両手を組み合わせて『猛獣使い』を拝んだ。
――頼むぜ、ブランク〜っ。
それを見て、『猛獣使い』ことブランクが、眉間にしわを寄せて額当ての辺りを掻く。
すがるような気持ちでブランクに視線を送るジタンとシナ。そして、それにつられて同じく視線を送るガーネット姫。
そんな視線を受け止めて、ブランクが観念したように首を振る。
そして苛立たしげに髪をかき回すと、ブランクはさっきからぴくりともせず壁を睨んでいるルビィに話しかけた。
「だからさっきから俺が悪かったって言ってるだろ?」
瞬間、かっとルビィが目を見開いた。
ブランクに掴みかかって、かぁっと気炎を吐く。
「その態度が謝ってる態度や無いって言うてるんや!人の着替え中に乱入するわ、変なおっさんは暴れるわ、ブリ虫は撒き散らすは、散々騒ぎ立てておいて一体何様やのん!?」
掴みかかられてブランクはそっぽを向きながら言う。
「しょーがねーだろ、とっさだったんだから」
「シナのトラップなんて船中いくらもあるやろ!?せっかく次のシーンに向けて気合入れとったの台無しにやわ!!」
「気合入れすぎてブチ切れてたら世話ねーぜ」
「何やて!?もちっと他に言うことあるやろ!?」
一際甲高い叫び声に、ドアの側で中の様子を伺っていた3人は思わずびくりと竦んだ。
ルビィの口が、高速回転を始める。
「大体あんたいっつもそうや!無神経で態度でかくてそういうとこいっちゃんムカつくって、何遍言うたら…」
そこまで聞いたところで、シナはぱたりとドアを閉めた。
ドア越しでも聞こえてくるルビィのヒステリックな声に、絶望のため息を漏らす。
「…無理みたいずらね。いつもの痴話喧嘩コースに入っちまったずら」
火に油を注いでしまっただけのようだ。不思議なことにあんな言葉でも、たまには上手くルビィを動かしてしまうこともあるのだが。どうやら今回は駄目だったらしい。
「これが公演中じゃなかったらあんな風にブチ切れる事も無かったんだろうけどなあ…」
嘆息してジタンが呟く。尻尾がへなりと地を指した。
どうも公演中のルビィは、気が立っているためかこういうことになりやすい。タンタラス1の役者ではあるのだけれど、扱い辛いことこの上ない。
その度に宥め役に駆り出されるブランクも気の毒と言うか、でも実は半ば彼が自ら選んだ道でもあるために、助けようも無いわけで。
――全く、強い女なんか選ぶもんじゃないねえ…。
ドアの向こうでは今ごろブランクが、高速回転するルビィの言葉を、黙って受け止め続けていることだろう。宥める事に失敗すると、ブランクはいつもそうやってルビィの気が済むまで待つのである。
ジタンには到底出来ない。そんなこと考えるだけで身震いがする。
――さてどうするか…。
ふとジタンは、ガーネット姫が不安そうにこちらを見ているのを見付けて、慌ててにっと笑って見せた。
「いや、すぐごまかす方法考えるから、大丈夫。ちょっと待っててくれ」
頷く彼女に一度背を向け、シナと2人でその場にしゃがみ込む。
「で。…いっそのこと、幕間演奏引き伸ばさせるか?」
「それも5分が限界ずらよ。それ以上やったら客が焦れて怒り出すずら」
膝を抱えてしゃがみ込んだシナが、容赦無く突っ込む。
「次のシーンでコーネリア役の部分を削るなんて事は」
「出来るわけ無いずら。ヒロイン無しのクライマックスなんて」
小声で話し合いながら、ジタンは頭をかきむしった。
ちらりと様子を伺うと、ガーネット姫は何やら真剣に考え込んでしまっている。
――しまったな…引き受けるなんて言っておいて、ちょっとこれはカッコワルイぜ…。
せっかくお姫さまと盗賊、誘拐劇の配役が決まって上手く行きそうな雰囲気だったのに。肝心なところで役者不足に泣くことになろうとは。
――さてどうするか…。
頭を抱え込んでしまったジタンとシナ。
そこへ、後から声がかかった。
「代役を立てれば良いのではありませんか?」
「その代役がいればこんな苦労は…」
シナが答えかけて、ぎょっと後ろを振り向く。
声をかけたのは、ガーネット姫だった。いつのまにか2人の背後で、2人と同じようにしゃがみ込んでいる。
「コーネリア姫の役でしょう?次のシーンはコーネリアとマーカスの再会ですわね」
強気な笑みを浮かべて畳み掛けるように言うガーネット姫に、シナがうろたえる。
「そ、そうずらが…」
「なら、私が演じますわ」
「ええ!?」
二人そろって目をむくと、ガーネット姫は滑らかに喋り出した。
「『愛してるわ、マーカス!小鳥がその宿るべき樹へと幾度でも帰り着くように、あなたは幾度も私の元へ羽ばたいてくれた。だから今度は、私があなたと言う樹に帰り着くために羽ばたいたのです!』、でしょう?台詞なら全部覚えてますわ」
次のシーンのコーネリアの長台詞である。
「へえ〜…」
「完璧ずらね…」
ジタンとシナは感心したように呟いて、ガーネット姫を見た。
首を傾げて様子を伺うガーネット姫。
「よし、じゃあ…」
言いながらジタンがにんまりと笑うと、ガーネット姫もにっこりと微笑む。
「頼んだぜ、コーネリア姫!」
さて、ヒロインの代役が決まった頃。
「パ、パック〜、止めようよ、怒られちゃうよ」
「だぁ〜いじょうぶだって!こっちは子供なんだからさ。見つかったら『ごめんなさい』って逃げちまえばいいんだよ」
貴族席で芝居を見ていたはずのビビとパックが、物陰に隠れて劇場艇の船首側接舷口を伺っていた。
いや、正確には様子を伺っているのはパックで、ビビはパックの手を掴んでしきりに貴族席に帰ろうとせがんでいる。
しかし、ビビの提案はこの暴君には採用されそうも無い。
「一度、舞台そでから劇を見てみたかったんだよなあ。…おっ、見張りがいないぞ」
きししと笑いながら、パックはビビに掴まれた手を逆に掴み返して、ぐいっと引っ張った。
「ほら来いって。どうせ貴族席に戻ったって、とっくに俺ら侵入者なんだから。早くしないと幕間演奏が終わっちまうぞ」
遠くから聞こえてくる幕間演奏の音楽に、耳を澄ましてパックが言う。
通例、この幕間演奏では、各シーンの挿入曲を順不同にメドレーで演奏して、観客にこれまでのあらすじを振り返らせる。
今流れている物静かなバイオリンのソロの音は、コーネリアの元へ行くかどうかで悩むマーカス、もしくは港でコーネリアを待ちわびるマーカスのシーンの挿入曲と同じものだ。
そのシーンを観客席で見ているうちは、登場人物の一進一退に焦れていたビビも、自分のことになるとてんで逃げ腰である。
「で、でも、劇場艇の人達に迷惑かけちゃうよ」
行くのは当然躊躇われる。
けれど、パックを引っ張る手に、いまいち力がこもっていない。
実は戻るのにも戸惑いがあるらしい。
パックはちらりと横目でビビを見て、その理由を指摘する。
「なんだよ、お前だってプリマビスタに乗ってみたいんだろ?知り合いもいるんだし」
ぎくっとビビの体が強張った。
バイオリンが、一瞬一際高く響いて、トランペットとドラムが加わる。城への潜入計画を立てるヴィジランツのシーンだ。
「え…でも…だって…」
途端にもじもじとうつむいてしまうビビに、パックは内心ちょっぴり面白くない。
バイオリンとトランペットの陰に隠れて、クラリネットがさりげなく演奏しているのは、裏切り者ブランクのテーマ。
――ちぇ、あのジタン役が出てきてから、芝居見ててもどっか上の空なんだよなあ、こいつ。
そでから舞台を見たいなんて、半分口実だ。
劇場艇に忍び込めば、あのジタン役とビビとがどう言う関係なのかわかるかもしれない。
パックはそんな考えを押し隠して、ぐいぐいとビビを接舷口へ連れていく。
力無くも、やっぱりどこか抵抗を示すビビに、パックはとうとう伝家の宝刀を持ち出すことにした。
曲が、脱獄してコーネリアの元へ向かうマーカスのシーンのテーマへ移る。
「ビビ!」
その声に、ビビがびくっと身を竦める。
帽子の下から覗き込むビビを、じろりと睨んで言う。
「おまえは、俺の家来だろ?芝居見せてやっただろうが」
その台詞に、ビビは『う〜っ』と唸りながらも、こくりと頷いた。
それと共に、引き戻そうとする手から力が抜ける。
「よし」
満足げに言うと、パックはビビを連れて、接舷口にかけられた渡し板を渡った。
その時、幕間演奏の曲調が、ぱっと明るく色を変えた。
マーカスを迎え入れるコーネリアのシーンの曲である。
ただし今はそれが、この船に乗り込むべき最後の役者へ向けた歓迎の歌声であることに、誰も気付きはしなかったけれど。
こめんと
むう。前回から今回までの鬼ごっこは、ものすごく難航した。もう、どう構成したらいいのか分かんなくて。ゲームの通りにしようとすると、途中で間違い無く詰まるんだもん。かと言って、お姫とブランク×ルビィを書きたかったからすっ飛ばせなかったのだ。
パックとビビのシーンの演奏についてですが、山月専門的な知識は一切ございません。入れ知恵は歓迎します。
さあって、次は再会で、しかも多分魔の森に突っ込むぞ。