FF9異聞/シーン5
――あいつ、オレを見てた。
どうして、数百人単位でいる観客の中、あの子供を見分けられたのか見当もつかない。
あの子供を探すつもりはなかった。
ただ、客席に目の保養になるようなカワイイ女の子でもいないかと、視界の端で何となく客席を見ていただけだ。スポットを浴びて見る客席は、薄暗くてろくに人の判別などつかないが、それが癖だったものだから。
そう、ただの癖。そんなのは。
なのに何故か、そでに入る寸前に見つけてしまった。
華やかな貴族席にはそぐわない、あるいはどんなところでも見慣れないような、黒魔道士の姿が目立ったためだろうか。それとも、あの薄闇でも淡く光る金の瞳のせいだろうか。
あんなところにいるなんて思わなかった。てっきり一般席にいるだろうと思っていたのに、貴族席の、しかも階段のところにいた。同じく階段にいた隣のネズミ族の子供は連れだったのかもしれない。
自分の目配せに、あの金の瞳がぱっと見開かれた。
気が付いたら、ウインクしていた。
その瞬間、とんがり帽子がぴくんと揺れた。
立ち回りの間に舞台は次のシーンの準備を終えて、自分達がそでに入る時には大半の客が舞台へと視線を移していたのだ。なのにあの子供は、自分がそでに消えるその瞬間まで、自分を見つめていた。
じっと、見つめていた。
そのことが、無性に楽しくて仕方ない。
どうしようもなく、顔が緩んだ。
「何ニヤけてんだよ、ジタン」
こつんという後頭部の衝撃と、かけられたブランクの声にはっと我に返る。
ここはアレクサンドリア城の警護室。あの花道は、王宮へ入るものだったのである。芝居の演出に乗じてまんまと侵入したと言うわけだ。
ブランク以外に自分を見るものはいないと言えど、考え事をしていられる場所ではなかったと言うことに気が付いて、慌てて首を振る。
「い、いや何でもない」
そう、何でもない。ただ、ちょっと見たことある顔を、客席に見つけたと言うだけ。ちょっと目が合ったというだけ。
それが少し嬉しかっただけだ。
――だって、あいつとは、もう会うことはないんだから。
あの子供は普通の観劇客。
こっちはちょっと堅気じゃない人種。しかもこれからあまり真っ当じゃない仕事を控えてる。
多分、今交わした視線が最後の接点。
今日が過ぎれば、すぐ忘れられるような小さな事。
何でもない。
何でもない。
唱えるように呟きながら、後頭部にぶつけられたヘルメットを受け取って、何とか顔を引き締めた。
ジタンの前を走っていたブランクは、さっきのジタンの行動に気が付いていなかったようだ。何やらぶつぶつ言っているジタンの様子に、不可解そうに肩を竦める。
「これからとびっきりの美少女とご対面なんだからよ、あんまりユルんでんじゃねーぞ」
「わーってるって」
答えながら、ジタンはぶるんと首を振って、無理やり気分を入れ替える。
そう、これから絶世の美少女に会える。
ガーネット姫の誘拐という大仕事にとりかかろうとしているのだ。
余計なことは考えていられない。
「……」
例えそれが、あの子供をがっかりさせるかもしれなくても。
わだかまったものを心の奥底に無理やり押し込んで、ヘルメットを頭に載せる。と、その瞬間、ジタンの顔が盛大にゆがんだ。
「何だこのメット…ニオウな」
すると、既に鎧もブーツもメットも身につけ終わったブランクが、さらに盛大に顔をゆがめた。
「我慢しろよ、俺のだってくさいんだから。その上グローブはヌルヌルするし、ブーツは湿ってるし、背中の辺りが何だかカユいし、ポケットの底にはビスケットのカスが溜まってるし…」
以下、グチグチ。ジタンはブランクの愚痴を、自分の身につけたものでいちいち確かめながらため息をついた。
「兵隊のくせにだらしねえなあ…」
いくら見た目に影響ないからって、もうちょっとこぎれいにしておいたら良かろうに。
ぼやきながら2人が見遣る先には、下着一枚で縛り上げられた2人の男が、気絶して転がっている。2人とも、アレクサンドリア兵だ。
ジタンとブランクによって当身で気絶させられて、鎧をはがれ、今この体たらくと言うわけだ。
しかし、何なのだろう。鎧を着ている時ならともかく、そんな格好だといまいち筋肉つき方の悪い体と気の抜けた顔が丸出しだ。ちょっと兵隊だとは思い辛いものがある。
「手応えがなくて拍子抜けだぜ」
ジタンが漏らした感想に、ブランクが同意する。
奪った鎧で変装を終えると、ジタンはブランクに確認した。
「例のものはちゃんと持ったか?」
「ああ。オレはヘマはしない」
ブランクはそう応えて、鎧の胸当ての下に隠した布袋を鎧の隙間から示す。
その袋は、もぞもぞとひっきりなしに動いて、時折『ブリ』と、何かがつぶれるような音を立てている。
胸の辺りで這い回る感触と音にブランクは嫌そうに顔をゆがめたが、『必要だから仕方ない』と言う風に肩を竦めた。
とにかく準備が完了したことを確認して、ジタンはテーブルの上のトレイを手に取る。その上に乗ったカップからは、微かに苦味のある香りの湯気が立ち上っていた。
今裸で転がされている兵隊達が、運んできた薬湯だ。
襲う前に兵士達から立ち聞きした話によると、ガーネット姫は気分がすぐれないとかで、芝居も見ずに部屋へ引っ込んでいるらしい。
道理でさっき舞台からちらりと見た時、王族席にいなかったわけだ。
一応席まで出てきていたのだから、それほど重い病気と言うこともあるまいが。標的が病気だからと言って、誘拐を中止するわけにもいかない。
「ま、くれぐれも手荒に扱うなよ」
ふとジタンは何かを思いついたように、さっきのとはまた違うニヤニヤ笑いをブランクに向けた。
「当然。お姫様はやさーしく扱って差し上げないとね」
すると、ブランクが眼をじとっと眇めて言う。
「はりきってやがんな、ジタン」
しかしジタンは睨まれても悪びれもしない。
「へへっ、あのお姫様、すっげーオレ好みだったんだよなあ」
劇が始まる直前に、楽団席から見たガーネット姫。
町で絵姿を見た時は、どうせ美化してんだろなと大して期待もしなかったのだが、どうしてどうして『絵にも描けない美しさ』とはあのことだ。
噂ですら追いつかないような美少女が、赤い唇を小さく結んで、軽く眼を伏せ、白い顔をしてうつむいている姿は何とも繊細そうで、たおやかに見えた。 ただ弱々しいだけの女というのは流石にあまり受け付けないが、あの『守ってあげたくなるような』姿というのはなかなかポイントが高い。
滅多に城の外にも出ないとのことだから、風に吹かれることすらろくに経験がないだろう。
浚われたお姫様はきっと、おびえおののき、自分がどう言う扱いを受けるのかを恐れるのだ。
しかしそこへ、予想外に紳士的な盗賊が一人。恐怖の最中に優しくされれば、自然と愛情も芽生えようというものではないか。
どこかの三文芝居から拾ってきた筋立てに、ジタンは一人で吹き出した。
そんなジタンを、ブランクが白い眼で見ている。
「また何か、ろくでもねえ事考えてやがるな」
「さてね。何だと思う?」
大体察しがついているのだろうという事を承知で、ジタンはにっと笑いかけて見せる。
すると、ふんと呆れたように鼻を鳴らし、ブランクは答える事を放棄した。
「行くぞ」
予想通りと言う気持ちが半分、かわされて残念な気持ち半分で、ジタンはブランクについて、警護室を後にする。
警護室は当然、最も守るべき王族の私室の近くに設けられている。警護室の目の前にある階段を上れば、右方向は王族席への扉、左方向にはアレクサンドリア王族の私室のある一角へ入る扉が見えた。
その扉の前には、今まさにその扉から出てきたらしい隻眼の女騎士と、扉を警護しているらしい女兵士がいた。何か会話しているらしい。
いずれも毅然として、その動きに無駄も隙もうかがえない辺りは、さっきの哀れな男兵士達とは大違いである。
特に女騎士に関しては、ジタンは思わずブランクにしか聞こえない程度の小声で、こんな感想を漏らしたくらいだ。
「ひゅ〜…たっくましい。すげー別嬪なのになあ」
右目の眼帯が惜しいような美しい女騎士の、男装とも女装ともつかない衣装は、美しさと機能性の折衷の結果らしいかった。ぱっと見は、匂い立つように麗しいとでも表現したくなるような姿をしている。けれど見る者が見れば、その美しい皮の一枚下に、鋭利な敏捷さを忍ばせている事が分かってしまう。胸当てと腰当、こてとすね当てという、必要最小限の鎧しか身に着けていないのは、衣装のデザイン上の問題もあるだろうが、むしろ動きの阻害を防ぐためと、敵の刃を食らわない自信からきているものなのだろう。
「ベアトリクス将軍だな。アレクサンドリアでは男より女の方が強いって話は、本当らしい」
前調べした情報を思い出して、ブランクが呟いた。
「可愛げがあるなら、強い女もいいんだがな」
ジタンはしばし言葉に詰まる。
ブランクの口から言われると、頷いてしまうには真実味があり過ぎる。
――現在進行形で強い女に悩まされてやがるからなあ。
ブランクのプライベートな部分の話なのだが、知っているだけにちょっと同情を禁じえない。
返事に困って、ジタンはさりげなく話題をそらした。
「ま、取り敢えず今求愛をしかける相手は、おしとやかな方だけどな」
「…それは、強い女の求愛をかわしてからだ」
流石にさっき男兵士達にやったように、あの女騎士に当身を食らわす自信はちょっとない。
何とか気付かれないように、ごまかしきらなくては。
注意を傾けると、女騎士は女兵士に姫の具合がどうのと話しているようであった。時々様子を見て差し上げるようにと言い聞かせているらしい。
間違い無く、姫はあの扉の向こうにある一角の、私室にいるようだ。
2人は努めて体の力を抜き、先ほど聴いた男兵士達の声色を頭の中で反芻してから、女騎士と女兵士の前に立ち止まり、敬礼した。
女達は会話を止めて敬礼を返しながらも、女兵士は明らかに見下したような一瞥を、女騎士は恐らく恒常的にそうなのだろう鋭い視線を、それぞれジタン達に向けた。
思わず身構えたくなるのをぐっと堪え、ちょっと鼻が詰まったような間抜けた声色で、ジタンが言う。
「姫様に、薬湯を御持ちしました」
「御勤め、ご苦労」
女騎士は、きびきびした口調で答え、扉への道を譲る。
しかし、女兵士はそのだらしないしゃべり方に、ふんと鼻を鳴らした。
「念のため、毒見をします」
言われるままに、ジタンはトレイを渡しながらも、思う。
――男兵士はとことんアテにされてねえなあ…。
女兵士にも男兵士にも態度が変わらない女騎士に対し、女兵士の方はあからさまなものだ。さっきの男兵士達の有様を見れば気持ちは分かるが、同じ男としては何とも居心地の悪い気がするものだ。
勿論そんなことを考えていることはヘルメットの下に隠し、おくびにも出さない。
女兵士はカップを取り、匂いを嗅いでからわずかに舐めた。
味にも匂いにも異常が無いことを確認してから、トレイをジタンに返す。
「結構です。どうぞ」
事務的な言葉と共に、女兵士は扉を押し開けた。
その向こうに続くのは、王族の部屋へと続く廊下だ。
ここさえ抜ければ、ガーネット姫まで後一歩だ。
2人は敬礼して、扉をくぐりぬけようとする。
まずトレイを持ったジタンが、次にブランクが。
そこで、それまでその様子を扉の脇でじっと見ていた、女騎士から静止が飛んだ。
「待ちなさい」
ぎくりと2人は立ち止まる。
「薬湯を運ぶのに、2人も人は要らないのでは?」
警戒を含んだ声。女騎士の眼帯に覆われていない方の左目が強く光り、それに応じて女兵士の右手が武器に向かって伸びかける。
――気付かれたか?
しかしジタンは、固くなりそうな体を叱り付けて、隙だらけの様子を装い振り返った。
すると、同じく演技に徹していたブランクが、女騎士に向かって、これまた間延びした声で言う。
「ええ〜、だってぇ、隊長が2人以上で行動しろって言ったんですよぉ」
途端に、女兵士がヘルメットの下で鼻白むのが見えた。
それは、見回りとか非常事態に備えるべき時だろうが。こんな使い走りの時まできかなくてもいいと言うことくらい、自力で気が付け。
おそらくそんな考えと共に、女兵士は右手を元の位置に戻す。
女騎士の方はどんな感想を持ったのか分からないが、取り敢えずこちらも警戒は解いてくれたようであった。
「…そうですか。なら、通りなさい」
「はぁい」
しまりの無い返事をすると、2人は扉をくぐる。
その背後で、扉がばたりとしまった。
扉の向こうで、女兵士の敬礼を受け、女騎士が去っていく足音がする。
2人はその扉を振り返り、いつのまにか猫背気味になっていた背筋を軽く伸ばした。
「半分実話って辺りが、情けねえこった」
ブランクがそうもらす。『2人も行かなくていいんじゃない?』『でも隊長が2人以上で云々』と言う台詞は、あの男兵士達が実際にやっていたやり取りなのだ。
ともあれ、おしとやかなお姫様に求愛を開始するための障害は、くぐりきったわけだ。
姫の部屋の前にたどり着き、薬湯に眠り薬を混ぜる。
「では、ご対面と行きますか」
そんなジタンの言葉に応えて、ブランクが部屋の扉をノックする。
しかし、返事が無い。
ジタンとブランクは、顔を見合わせた。
もう一度ノック。しかし、やはり反応はない。
ここは間違い無く姫の部屋。
ジタンの目配せに、ブランクはぐいっと扉を引き開けた。
踏みこんだ部屋は、王族の部屋にふさわしく、広い。
ちゃんと灯っている明かりが、たっぷり装飾の施された調度品や赤い絨毯を照らす。しかし、更紗の天蓋のついたベッドにも、曲げ木細工の椅子にも、部屋の主がいなかった。
「ひめ…」
声をかけようとした瞬間に、気がつく。
空気が、動いている。
ベランダへ続く扉が開け放たれ、ずっしりとした緞子のカーテンがわずかに揺れている。
ジタンはトレイをテーブルに置くと、そのカーテンの動きに誘われるように、ベランダへと歩み寄った。
カーテンを引くと、そこには。
ベランダの手すりの上に立って、墨染めの空とかがり火の灯りに浮かぶ、少女の姿。
背後に近寄った人の気配に、ぱっと振り向いたその人物は、一瞬でジタンの目を奪った。
長い黒髪、白磁の肌。絵にも描けない美しさ。
着ている衣装は、王族席にいた時の白いナイトドレスでは無く、旅装に近い軽装だが。
人物は、紛れも無く、ガーネット姫。
互いの目がかちりと出会う。
思わず、ついさっき劇の冒頭で繰り広げられた世界を思い出した。
舞台は夜の、姫の部屋。見詰め合う、盗賊と、姫。けれど。
窓辺ならぬベランダに立つのは、盗賊ではなく姫の方。
盗賊の自分は、兵隊の格好をして、扉から登場。
あの一場面と似た要素。なのに位置関係はちぐはぐに交錯する。
ジタンが目を奪われたのは、その美しさでも、ガーネット姫がベランダの手すりの上にいたと言う予想外の事実でもない。
その、ワイン色の大きな瞳だ。
――…似てる。
何と似ていると思ったのか、自覚は無かった。
守られ、慈しまれることが仕事の『姫』が持つべき、慈愛と清純さを浮かべて潤んだ眼とは、全く違う。
誰とは言わない、無邪気で純粋な驚きを露にして、まっすぐ向けられたあの眼とも違う。
――なんて、強い眼だ。
思い描いたしとやかな姫のイメージは、全て吹き飛んだ。
かと言って、高いところから振り返った体勢で向けられた眼が持つ力は、あの女騎士のような鋭く人を縫いとめる強さでもない。何か強い緊張感を秘めた、かたい意思とかたい拒絶の力だった。
森の中で出会ったことのある、若い鹿の目に似ている気がした。
この姫と同じ。じっとこちらを見る、濡れた大きな眼は、ぴたりと世界を映して光る。その眼に見つめられた瞬間、体が止まった。まるで、通りぬけることの出来ない壁を建てられたように。ごつごつした岩の上に置いた、陶器の花瓶を前にしているように。身動きが取れなくなる。
そうやって凍り付いていると、鹿はやがて不意に目線を外し、地を蹴って駆け出すのだ。はっと我に返った時にはもう逃げられて…。
姫の眼が、うっすらとした笑みをたたえた。
――しまった!
と思った時にはもう遅い。
次の瞬間には何の未練も無くぷつんとその視線は途切れ、姫の足が手すりを蹴った。黒髪が翻り、手すりの向こうにするりと消える。
ざっと体が冷えて、ジタンは手すりに駆け寄る。
そこから見えるのは、今舞台が行われているのとは反対側の、城の中庭。華やかにかがり火の焚かれた舞台側とは違い、庭木達が暗く沈んでいる。
真下を覗き込めば、ベランダは姫の身長にして3倍以上の高さがあった。ジタン達のような人種ならともかく、常識的にはちょっと無事に降りられると思いがたい高低差だ。
にも関わらず、覗きこんだジタンの目に映ったのは、きれいに刈り込まれた芝の上に、身軽に着地した姫の姿だった。
「こりゃあ…深窓のお姫様の動きとは思えねえなあ」
ジタンの隣にやってきたブランクが、信じられないと言った様子で言う。
当の姫は、そんな盗賊達の困惑などお構いなしで、立ち上がって一目散に駈けていく。
それを見た瞬間、ジタンはヘルメットをがつんとベランダの床に叩きつけた。硬い石造りの床で、留め金が弾ける。
「お、おいジタン?」
次に瞬間にはジタンも手すりを飛び越えた。
そして着地するなり、鎧を脱ぎ捨てながら姫の後を追い始める。
走りながら、ジタンは鋭く舌打ちした。
あの目に見つめられた瞬間、『逃げられる』と思った。
そのことに、ひどく腹が立った。
――絶対、捕まえてやる!
背後にブランクの着地する気配がしたが、ジタンは振り返りもしない。
最後に腕のこてを投げ捨てて盗賊の姿に戻り、ジタンは姫の姿を追って走る速度を上げた。
――全く、嘆かわしい!
「いくら町中が浮かれる日であろうとも、いや町中の人間が楽しみにしていた日であるからこそ、日ごろ以上に気を引き締めて警備にあたるべきものであろう!それをあの連中は何と心得る!」
鼻息も荒く城のホールの階段を上るのは、先ほど劇場艇へ開幕の合図を送った騎士であった。
その騎士が歩くたび、ひっきりなしに響く鎧の金属同士がぶつかり合う音に、見張りの女兵士が笑いながらささやき合う。
「あら、どこのちんどん屋かと思ったら、プルート隊のスタイナー将軍だわ」
「相変わらず騒々しいこと。ベアトリクス将軍の洗練された身のこなしとは、比べ物になりませんわね」
そのスタイナーと呼ばれた騎士、確かに先ほどジタン達の出会ったベアトリクス将軍と比べると、騒々しい上何とも見劣りがする。
当年とって33歳、見るからに質実剛健を旨としてきた男に、彼女のような華を期待しようというのがそもそもの間違いではある。しかし彼の身につけた、実用一点張りの無骨な鎧は、あまりにも暑苦しくていまいち見目がよろしくない。
だが、兜から鎖帷子・肩当・膝当まで完全装備の鎧は、総計したら人一人分の重さは優にありそうだ。背中に背負った大剣も、日陰で本を読んで育ったような男では持ちあがりもしなさそうな代物。動くたびにガッシャガッシャと金属音がうるさいことこの上ないが、そんな重そうな装備で、雄牛のごとく猛然と階段を上っていく。恐らくその鎧の下には、ちょっとやそっとの攻撃では蚊に刺されたほどにも感じない、頑健な肉体を持っているのだろう。
それに、見張り兵士の前を通りすぎる際にはいちいち立ち止まり、怒りに震えた表情を引き締めて
「御勤め、ご苦労」
としっかり敬礼を忘れない辺り、見た目以上にガチリと着こんだ騎士の心を持っているようだった。
しかし、その貴き騎士の心ゆえに、今は憤りを拭えない。
――今日と言う日が無事に過ぎたなら、プルート隊員全員即刻一から鍛えなおしである!
思いながら、スタイナーはこぶしを握り締める。
スタイナーはたった今、城と城に集まった民、そして何より尊ぶべき王族の安全に万全を帰すために、城内を警邏してきたところだったのである。
しかし、何と言うことだろう。女兵士達と同様、城内に配置されていたはずの男兵士達、すなわちプルート隊員達は、ただの一人も持ち場にいなかった。
これはどうしたことかと城中走り回って探してみれば、プルート隊員一人残らず城内に散り散りになって、女兵士をナンパしておるわ、図書室の隅で小説に涙ぐんでおるわ、迎賓室で芝居の後に貴族達に饗応するための料理をつまみ食いしておるわ、人目につかぬ階段で眠りこけておるわ。
全員怒鳴りつけて持ち場へ追い返しはしたものの、情けなさに涙が出そうだ。
――あいつらを一流の戦士に育て上げんとする自分のやり方は、どこか間違っているのだろうか…?
などと思うスタイナー。しかし、さっきジタンに襲われた部下達の体たらくを見るに、彼の情熱が間違っていると言うより、彼の情熱が上手く部下達に伝わっていないと言うのが現状らしい。その情熱に目を奪われるあまり、空回りに気付けないことこそが、その空回りを促進する原因となっているのだろう。
「これではプルート隊の名を大陸に轟かせた3勇士達と、姫を御守り申し上げると言う貴き役目を下さった、先王に申し訳が立たないのである〜!!」
情けなさにこぶしを振り上げてスタイナーは吼え、その後がくりとうなだれた。
――それにこんな有様では…。
ふと1人の人物の存在を思い起こした瞬間、スタイナーはぎくりと緊張した。今まさに思い起した人物が、廊下の向こうからやってきたのを見つけたためである。
それは美しき隻眼の女騎士、ベアトリクス将軍であった。
そう、今のプルート隊の有様をあの女騎士に知られたら。
――あの女に馬鹿にされるのだけは絶対に我慢がならんのであるっ。
颯爽と肩で風を切って歩くベアトリクスの姿に、スタイナーは怒りを胸の底に押し込み、胸を張って何事も無かったように歩き出す。
何食わぬ顔でいつもどおりの距離まで近づいてから、互いに立ち止まり、敬礼を交わす。
「御勤め、ご苦労」
「あなたも、スタイナー」
凛とした美しい声で名を呼ばれて、スタイナーはますます背筋に力を込めた。その鋭い眼に負けぬよう、精一杯顔を引き締める。
しかし当の彼女の方は、そんなスタイナーの努力に気付いた様子はない。
「城内の様子は、異常ありませんでしたか?」
「な、無かったのである」
警備兵達の怠慢を異常とみなさなければ、だが。
冷や汗を背中に隠しながら答えると、ベアトリクスはゆっくりと頷いた。
「そうですか。芝居が終わるまでもう少しです。気を抜かぬよう、互いに努めましょう」
スタイナーの背がびきっと引きつった。男兵士達の有様を指摘されているような気がする。
――い、いやいや、ベアトリクスはそんな嫌味な言い方をする女ではない!
この女の鋭い眼は、軽蔑や敵意を包み隠すことはしない。だからこそ、この眼が軽蔑の思いに冷たく光るのがこの上なく恐ろしいのだ。自発的な居心地の悪さを感じても、みっともない嘘や言い訳で見栄を張ることは出来ない。そんな誇りのない言動は、スタイナー自身の主義に最も反するものであり、同時に彼女が最も嫌うものだ。
せめてふがいない姿をさらすまいとして、スタイナーは話題をそらす。
「ブラネ様の警備はどうしたのだ、ベアトリクス」
ベアトリクスは事も無げに答えた。
「それは兵士達に任せて、ガーネット様の御部屋に具合を伺いにあがってきたところです」
言いながら、女兵士の警備する、王族の私室への扉を指差した。
その台詞に、一瞬女騎士への対抗心を忘れ、目の色を変えるスタイナー。
「姫さまの?それで、ご様子はどうなのだ!?」
ベアトリクスは、そんなスタイナーの勢いをやんわりたしなめるように言った。
「少々御疲れのご様子ですが、たった今、プルート隊の方が薬湯を御持ちしていましたし、少しお休みになれば回復なさるでしょう」
その言葉に、ほっと息をつく。
しかし、それがベアトリクスの前であることを思いだし、はっと姿勢を正した。
「そ、それでは自分も姫さまのご様子を伺いに参るのである」
「そうですか。では」
敬礼するスタイナーに、ベアトリクスも敬礼を返すと、さっと衣装のすそを翻し、廊下を去っていった。
その姿を見送ると、スタイナーはほっと肩の力を抜いた。
何とか情けない姿をさらさずに済んだらしい。
――いやいや、ほっとしている場合ではない!
彼女は、王族席へと戻っていった。自分の本来の任務、ブラネ女王の護衛を務めるために。
――自分も、あの女に負けぬよう、務めをしっかり果たさねば!
ぱんと顔をはたいて、スタイナーは己の最も守るべき人物の元へ向かう。
女兵士に扉を通してもらい、ガーネット姫の部屋の前へたどり着いてすぐ、使命感に満ち溢れたスタイナーは、その異変に気がついた。
ガーネット姫の部屋の扉が、開け放たれている。
その上部屋の中から、夜風が吹き出してくる。
窓かベランダへ扉も開いていると言うことだ。
ガーネット姫がいるなら、こんな無用心なことはしないはずだ。
――姫さまの身に何か!?
異常を感じて部屋に駆け込むと、なんと部屋はもぬけの殻。
テーブルの上には、まだ微かに湯気を立てている薬湯が、手付かずで乗っている。
風の気配を追うと、ベランダへの扉が開け放たれていた。
慌てて駈け寄って、そこから見える中庭を見下ろすと、ベランダの真下から走っていくプルート隊員が見えた。何かを追いかけているらしい。その視線の先を追うと、不審人物が走っている。
――何たる事だ!この城に侵入者を許してしまうとは!
思いながらも、その不審人物も誰かを追いかけているらしいことに気が付いて、さらにその視線の先を追う。
そこには。
「姫さま!」
この暗い中庭の、かなり遠い人影をガーネット姫であることを看破したのは、彼の情熱の賜物である。
姫が何者かに追いかけられているとなれば、黙っておれようはずもない。プルート隊員が追跡している模様と言えど、人に任せておくわけには行かない。今こそガーネット姫のため、己の力を発揮すべき時である。
「姫さま!このスタイナーが今お助けいたしますぞ〜!」
そう叫ぶなり、スタイナーはベランダの手すりに飛び乗った。
迷うことなく飛び降りる。
しかし。彼の欠点は、その情熱ゆえに周りが見えなくなるところなのである。
手すりから下までの高さは、彼の身長にしてぴったり3倍。
動きの素早さよりも防護力を重視したその重装備。
無事に着地するには、ちょっと無理がありすぎた。
結果、落下の途中でバランスを崩し、しまったと思った瞬間には眼前に芝の地面が迫っていた。
がっしゃあん!と、金属音の大音響に交じり、どごっと地面を叩く鈍い音がして。
スタイナーは、その重量感でもって芝の中へ人型をつけてめり込んだのであった。
こめんと
始めっから言ってますけど、この話はゲーム本編からゆがんでますからね〜。山月の目には、キャラクターやイベントがこんな風にゆがんで映ってるんです。人によっちゃ「こういう二次創作の態度は好かん!」と仰る方もいるでしょう。でもこれはあくまで「異聞」です。
ええと、お姫とスタイナーの登場。
山月はガーネットのことを「お姫」と呼びます。山月にとって彼女は「ミスキャストコーネリア」です。だって彼女頑丈なんだもん。というか、どんどん頑丈になっていきますよね。強い女って大好きです。どうも彼女には恋愛とは別の形で、ジタンといい関係を築いてもらいたいです。
スタイナー、…ごめん。あなたのそういうとこ、好きなんです。後、どうしてもベアトリクスとセットです、彼は。
それにしても…。
ちっ。今回ビビが出て来なかったぜ…。正直、書きたく無いシーンは書いてないって言っても、ビビのいないシーンはいまいち気合が入りません。冒頭のジタンのモノローグも、迷いが無いから一瞬で書き終わっちゃうし(笑)。しかもシーン6も、終わり近くまでビビが出てきません。しくしく。うざかったらすっ飛ばして読むのが正しいかも。