FF9異聞/シーン2


 一方、時刻はやや戻って、アレクサンドリア城下街。
 ビビは、大通りを歩いていた。
 向かうは街の中央、城へ渡る船着き場のそばの広場。そこにあるチケットブースでチケットにスタンプをもらえば、城に入れると聞いたのだ。
 浮き浮きと歩くビビの前を、先導するように茶虎の猫が歩いている。さっき、街に入ったときに会った猫だ。
 街に入ってまずビビは、その人の多さに思わず呆然としてしまった。
 通りには様々な露店が並び、舞台の開演を待つ人々でごった返している。ぼんやり立っていると、後ろから来た人にぶつかられてしまうのだ。さっきから、一体何人にぶつかられたものやら。それは、はしゃいで走る街の子供であったり、足早に城へ向かう貴族であったり、旅装に身を包んだ商人であったりした。
 流れにうまく乗れずに、道端で一息ついていたところに、この猫が擦り寄って来たのである。
 ほっそりした猫は人懐っこかった。赤いリボンのついた首の辺りを、何度もビビの足元に擦り付けて来た。思わずビビがその頭をなでてやっていると、猫は一声鳴いてくいとしっぽを振り、雑踏を歩き始めたのである。
 まるで『ついて来いよ』とでも言うようなその仕草に思わず後を追うと、猫はするすると人の足元を擦り抜けて進んで行った。
 ビビもそれに習って人込みを擦り抜けて行くうちに、だんだんと人の波を歩くことに慣れて、街の様子を眺める余裕ができて来たところだったのである。
 大通りには、敷き詰められた白い砂の上に敷物を敷いて地方のアクセサリーを売っている露天商や、ちょっとした飲み物などの屋台があった。ただでさえ人が多いのに、それらの店にいちいち人が引っ掛かるからますます道が混雑する。
 ビビ自身も、さっきから太陽の光にキラキラ輝くガラス細工や、焼き菓子が火にかけられてむくむく膨らんでいく様子に心を奪われて、一向に足が進まない。
 そんなビビを猫は振りかえり振りかえり、ついてくるのを待っている。
 それに気がつくとビビは、すぐにまた猫を追って歩き出した。
 こうして歩いていても、今度はそこかしこのお喋りが耳に飛び込んでくる。
 広場になった所に日傘とテーブルを出して席をしつらえた喫茶店では、平民向けの露店には見向きもしないような貴婦人達が、上品にお茶とお喋りを楽しんでいた。
 上等の生地を流行の型に仕立てたとっておきのドレスに身を包んだ彼女らの話題は、当然今日の芝居についてである。
 今日の演目は「君の小鳥になりたい」。今アレクサンドリアで大流行している恋物語である。その内容は、身分の違いに引き裂かれる恋人達の、切ない悲恋。原作が書かれたのはかれこれ数百年前の話であるが、人々が求める恋物語というものはいつの時代も変わらないらしい。
「誰でも一度は、燃えるような恋に身を焦がしてみたいと思うものですわ」
 年若い女性のため息に、回りの婦人たちがころころと笑いながら頷いた。
 ビビにとって、まだ恋に恋する気持ちというものは今ひとつ分からないものである。しかし、それでもビビは、これから見られる劇がまるで夢のような世界に違いない事を信じて胸を躍らせた。
 そのビビの足が、再びその歩みを止めた。
 今度は、二人組の大道芸人がジャグリングをしているところに引っ掛かったのだ。
 二人の芸人の間を、銀色の輪が飛び交う。
 その光の軌跡を描く輪の動きが、徐々に早まるに従って、二人の周りに人だかりができてくる。それと同時に、単調だったその動きがだんだんとリズムを持つ、複雑な踊りへと変化し始めた。
 くるくる回って落ちてくるそれらが、きれいに列をなして右の芸人の腕を滑り落ち、その膝の下をくぐって再び宙へと舞い上がる。その輪を左の芸人がしゃらんとつま先にからめて受け止め、足首の動きでもってまとめて相手に投げ返す。
 ぴったりと息の合った、どんな魔法を究めた魔道士でも実現できない妙技に、ビビはすっかり夢中になっていた。人だかりの最前列にしゃがみこみ、かぶりつきで見ている。先行していたはずの猫は、いつの間にかビビの隣に戻ってきてきちんと脚をそろえて座り、背をなでるビビの手にその長いしっぽをからめていた。
 演技をしながら少しずつ互いの距離を広げていた二人の芸人は、ふいにくるりと互いに背を向けた。これでは互いの姿どころか銀の輪の飛んでくる様子すら全く見えない。
 ビビはハラハラしながら、空中に飛んだ銀の輪の行方を追った。
 しかし、すべて打ち合わせ済みの演技は、一部の狂いもない。まるでデタラメのような規則性で光の軌跡を描かれていくのにもかかわらず、まるで背中に目があるかのような動きは、お互いに相手の技量を完全に信頼していないとできない技だ。
 とうとう、最後に左の芸人が一度に放り投げた10あまりもの輪を、右の芸人が見事に受け止めるまで、芸人たちがそれらの銀色の輪を取り落とすことはただの一度もなかったのである。
 息ひとつ乱さない様子で二人の芸人が帽子を取ってお辞儀した時、辺りからはわっと拍手と歓声が上がった。人々が次々に懐から小銭や紙幣を取り出し、芸人たちが手にした帽子へ投げ込んで行く。
 その様子を目にして、ビビも慌てて自分のポケットを探り、ほんの少しの小銭を取り出すと、背伸びしてその帽子に入れる。
 それを見て芸人は、
「ありがとう、ぼうや」
と、にっこり笑った。
 その笑顔にすっかりビビは嬉しくなって、芸人に何か話しかけようとした。しかし、何を言おうか逡巡するうちに芸人は、後方で見ていた客からもチップを集めるために去っていってしまった。
 ビビはわずかに落胆しながらも、二人の芸人の様子を眼で追っていた。
 チップを集めながらも、時々二人はふと視線を交わして笑う。多分その視線の間では、その二人にしか通じない会話が成立しているのだろう。
 そんな二人の様子を見つめて、ビビは一つため息をついた。
 そしてふと、ビビの視線が少し右斜め上の空中へ向けられた。
 あんなふうに顔を見合わせて笑う相手は、ビビにはいない。いや、つい2週間前までは、今見上げた位置にいつもその相手の顔があったのだ。
 しかし今は、いない。
「……」
 何かをつぶやきかけると、ビビはぶんっと頭を一つ振り、足元に視線を落とした。
「あれっ?」
 そこに求めた猫の姿が、なくなっている。慌ててビビは視線を巡らした。
「ミャウ!やっと見つけたよ」
 そんな言葉と共ににゃおん、と言う声が聞こえて、はっとしたビビは雑踏の隙間を縫うようにして声の方へ視線を向けた。
 すると、さっきまでビビのそばにいたあの茶虎猫が、一人の男の子の足元へ擦り寄っている。
「ミャウ、もういなくなっちゃ駄目だよ?」
 そう猫に言い聞かせている男の子は、ちょうどビビと同じ位の年齢に見えた。なれた手つきで猫を抱き上げ、頬擦りしてやっている。
 そんな男の子を、優しい女性の声が呼んだ。
「トム!そろそろおうちに帰りましょう」
「はあい、お母さん」
 その声に答えて、トムと呼ばれた男の子は、雑踏の中に駆け込んでいく。
 ビビには見えなかったが、そちらにトムの母親がいるに違いなかった。
 さっきまで道連れだったはずの猫が、男の子と共に雑踏の中へ消えていくのを、ビビは追いかける事も出来ずに見送っていた。
 その背中が見えなくなってしばらく。
 どん、と誰かに肘で突かれて、ビビは我に返った。
 ぶつかって来た羽飾りのついた帽子の貴族は、ちらりとビビを見ただけで、謝りもせずに歩いて行く。
「どうしたんですの?」
「いや、何でもない。それより……」
 その貴族が、隣を歩く妻らしき女性と話しているのだけが聞こえて、その姿は人込みに紛れて行った。
 その背中を見送ってふと気付けば、ジャグリングの芸人達はいつの間にかいなくなって、人だかりも既に散ってしまっていた。
 辺りを見渡せば道行く人は皆、家族や、友人や、恋人らしき人と連れ立ち、微笑み合いながら歩いている。
 流れていく人ごみの中、ビビは一人、立ち尽くしていた。
 足の痛みを感じる。そう言えば、今日は朝から歩き通しだった。大きなお芝居が見られるという興奮で今まで感じもしなかったのだが、意識し始めるとその小さな体に疲労がずっしりとのしかかって来る。
 店と店の間に小さな段差を見つけると、ビビはそこに座り込んでしまった。
 日陰になった石段は冷たい。座っていると、その冷たさが染み込んできて、自分の足まで石段の一部になってしまった気がしてくる。
 こうして、店の隙間に隠れるようにして見ていると、この町は賑やかで、華やかで、本当に楽しいのだけれど。人々は、そうして座り込んでいるビビに気づきもせずに歩いて行く。入り込む隙間もないような人の流れを見ているうちに、その流れの中に戻って行こうと気持ちを奮い起こす事が出来なくなってしまっていた。この町の中にいる自分が、何かの間違いのように思えてきてしまう。
「……おじいちゃん…」
 ぼんやりと呟きながら、ビビは見るともなしに、真向かいの露店を眺めていた。
 そこには、白いドレスをきた美少女の姿絵や、何だかよく分からないけれどちょっと化け物じみた人物の姿絵が並んでいる。売り手の口上によれば、美少女の方は、アレクサンドリア王女ガーネットらしかった。今日、芝居を見に行けば実物を拝めるというのにどうしてこんなものが売れるのかと言うと、地方から芝居を見にやって来た庶民が、来られなかった人々への土産話の種にと買って帰るからである。特に、音に聞こえた評判の美少女であるガーネットの絵姿は、飛ぶように売れているようだった。
 見れば、黒い髪に縁取られたほっそりした頬の線も、その中に行儀よく収まった小さな目鼻立ちも、評判どおりのすばらしい美少女だ。
──あの人の言った通りだ……。
 絵姿を見ながらビビは、ガーネット王女のことを教えてくれた人のことを思い出していた。この町に来る時に出会ったその人は、ジタンと名乗った。
『アレクサンドリア王国に住んでるのに、ガーネット王女を知らない!?』
 驚いたように言っていたが、その後ジタンは実に楽しそうにガーネット王女の事について話してくれた。きらきらした髪の色そっくりに、明るくて、楽しくて。チョコボの背の上で無理な体勢で振り返るビビの目を、しっかり見つめて笑ってくれた。
 しかし彼とは、町に入った所で別れてしまった。
──あの人がここにいればなあ……。
 しかし、ジタンは『用がある』と言っていたのだから、仕方あるまい。
──何の用でこの町に来たんだろう?
 どうも、芝居を見るために来た訳では無さそうだったが。
「?」
 物思いにふけろうとしたところで、ビビは我に返った。
──何の音?
 奇妙な既視感を感じて振り返る。何だか、ばたばたと地面を蹴る音が、だんだん近づいて来たのだ。
──え?
 ビビが座っていたところは、本当に狭い店と店の隙間としか言いようのないところだったのだが、何とその隙間を通って一目散に駆けて来る者がいるのである。
「ふぇっ!?」
 見れば、それはビビくらいの背をした、ネズミ族の子供だった。さらにその後ろには、重戦士のような体型をした男が、顔を真っ赤にして怒声をあげながらフライパンを構えて走ってくる。
「こぉら待ちおれ、このがきゃ〜!」
「しつこいってんだよ、この熊男!」
 ネズミの子が辟易したように舌打ちする。
 はしっこく走ってくる小柄なネズミの子に比べて、フライパン男はどう見てもこの隙間を通るには向かない。時々引っかかって、壁の間に詰まりそうになりながら、ネズミの子を追ってくる。
 遠くにいる人物の方が大きく見えると言う遠近感の狂った構図を、ビビはしばし呆気に取られて眺めていたのだが。
 実はこのままだと、ビビは彼らの進行方向ドまん前にいるのである。
 今まで後ろを気にしていたネズミの子が、ビビを見つけてぎょっと目を剥いた。
「わああ〜お前、どけ〜!!」
 そう叫ばれたものの、既に手遅れ。
 思わずビビは目をつぶったが、ネズミの子の勢いは止まらず、二人は激突して大通りへと団子になって転がり出した。
「いててて…邪魔なんだよ、おまえっ!」
 ネズミの子に怒鳴られて、ビビはびくっと身をすくめたが、すぐにそれより大きい怒鳴り声が二人に迫って来た。
「こぉら〜!!貴様もそいつの仲間かぁぁ!!」
「あっ、やべっ!!」
 フライパン男が追って来ていることを思い出し、ネズミの子がとっさにビビの腕を掴んで走りだした。
「え?え?え?」
 慌てているネズミの子につられて、ビビも引っ張られるままに走り出した。
 人込みを擦り抜け、路地に滑り込んで水路を飛び越える。腕を引っ張るネズミの子に訳も分からない内に走らされ、物陰に身を潜めてようやくフライパン男をやり過ごした時には、ビビはすっかり息を切らせて目を回していた。
「な、何が起こったの…?」
「ったくトロくさい奴だなあ、おまえのせいで危なく取っ捕まるとこだったじゃないか」
 そんなこと言われても、状況が飲み込めないビビには何が何だかさっぱり分からない。
「ど、どうして、追いかけ、られてたの?」
 肩で息をしながらぺたんとへたり込んで途切れ途切れに問うビビに、ネズミの子はけろりとした様子で答えた。
「いやー、ただ飯ねらいでやった賭けのイカサマがバレちゃってさ。にしてもあれくらいであんなに怒るなんて、あいつも冗談の通じない奴だ」
 いや、それは怒るのが当たり前の態度と言うものである。
 しかしビビは、「イカサマ」の意味が分からなくて首を傾げていた。
「それで、なんでボクまで逃げなくちゃならなかったの?」
「おまえなあ。おれが連れて逃げなかったら、おれの仲間と間違われてひどい目に遭ってたんだぞ。少しは感謝しろよ」
 いやそれもそもそも、このネズミの子の自業自得だから、感謝しろと言うのはちょっと筋が違う。
 今度はさすがに、何となく釈然としないものを感じたが、ビビはとりあえず礼を言うことにした。
「ありがとう…」
 その素直な様子に、ネズミの子は気を良くしたように頷いた。
「さぁて、今度こそ飯の食えそうなとこ、探さなけりゃ」
 またイカサマでもするつもりだろうか、懲りた様子もなくそう言って、ネズミの子はスタスタと歩き出してしまった。
 置いてけぼりにされそうになって、ビビははたと気がついて、慌ててネズミの子の服のすそをつかんだ。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
「ん?何だよ?」
 振りかえったネズミの子に、座り込んだまま首を傾げてもじもじとビビは言う。
「あのう…ここ、どこ?」
 引きずられるままに随分走り回ったから、ビビはすっかり現在地が分からなくなってしまっていたのである。
「なんだ。おまえ、この町の奴じゃないのか」
「う、うん」
 見渡せば辺りは完全な裏路地で、隙間なく立ち並んだ住居のために視界も悪く、アレクサンドリア城の巨大な剣さえも見当たらない。
 これでは、自力でチケットブースにたどり着く事など出来そうに無い。
 地面の上にちょんと正座して、おろおろと周りを見回す様子に、ネズミの子ははぁと溜め息をついた。
「世話のかかる奴だなあ。大通りまでは連れてってやるから、とっとと立て。そうすれば後は何とかできるだろ?」
 ビビはほっとして、ほれ、と差し出された手を借り、礼を言って立ち上がった。
 ネズミの子は、ビビがズボンの埃を払い、帽子を被り直すのを待って歩き出した。
 そうして二人は大通りへ向かい、並んで歩き出してからしばらく。
「へえ、おまえビビって言うのか。ちょっと変わった名前だな」
「そうかなあ。ねえ、パックもお芝居を観にアレクサンドリアへ来たの?」
 パックと名乗ったネズミの子は、ビビの問いに頷いた。
「そうさ。俺なんか毎年観に来てるからアレクサンドリアなんか庭みたいなもんさ」
 話を聞いてみると、パックもアレクサンドリアの住人ではないらしい。ビビと同じく、子供ながら一人でここへ来たと聞いて、ビビは何となく親しみを持った。
「へえ、すごいねえ」
 思い起こしても、さっきのパックの逃げ方は堂に入っていた。ちょうど体の小さい自分達には通れて、あのフライパン男には通り辛い進路を上手く選んであっという間にあの男をまいてしまった。確かに、アレクサンドリアの裏道の裏道まで知っていそうである。
 素直に感心するビビの様子に、パックはすっかり機嫌がよくなって、今日の芝居の事について話し出した。
「去年の芝居も『君の小鳥になりたい』だったんだ。あの芝居は何度観ても泣けるねえ」
「へえ、楽しみだなぁ」
 パックの話に、嬉しそうに相槌を打ちながら、ビビは懐からチケットを取り出してまじまじと眺めた。カードゲームの賞品になっているこれを見て、どうしても芝居を観てみたくて、一生懸命頑張って手に入れたチケットだ。最後の一戦を勝てた時には、自分が夢を見ているのではないかと思った。
 その時の気分を思い出しながらチケットを見つめていると、パックが
「へえ。それが今年のチケットか」
と、ビビの手元を覗き込んだ。その台詞に、ビビは不思議そうに尋ねる。
「パックもお芝居を見に来たんでしょ?ならチケット持ってるんじゃないの?」
 パックはビビの手の中からチケットを抜き取って、日に透かしてまじまじと観察しながら答える。
「まともに買ったらこの町で1ヶ月は暮らせる金額だぞ。そんな金なんか持ってない。こんな安っぽい紙切れなのになあ」
 そうぼやくパックに、ビビはそれではどうやって芝居を見るつもりだったのか聞こうとした時、短い銀色の毛の生えたパックの眉間に、ぎゅっとしわが寄った。
「!?…おい、このチケットおかしいぞ」
 その不穏な声に、ビビはお腹の当たりがぐっと縮まるような気がした。
「え…ど、どういうこと…?」
 恐る恐る聞いてみると、パックが眉間にしわを寄せたまま、チケットをビビに差し出して言う。
「これ、ニセモノだ」
「ニセモノ!?」
 さぁっと血の気が引く感触がして、ビビはパックの手の中にあるチケットにかじりついた。
 そんなビビに、パックはチケットを指し示しながら言う。
「間違いない。だって見てみろよ、ここ」
 ネズミの子が指さした所は、チケットの真ん中辺り。芝居演目のロゴが印刷されているところだ。
「ほら、今日の芝居のタイトルは『君の小鳥になりたい』だろ。このチケット、『君の子猫になりたい』になってるぞ」
 言われてみるとその通り。
「そんなぁ……」
 ビビは悲壮な声で呟いてパックを見ても、気の毒そうに肩を竦めるばかり。
 何かの間違いじゃないかと、ビビは何度も何度もチケットの文字を辿った。しかし、何度見ても『小鳥』ではなく『子猫』のままだ。頑固に居座っている『子猫』の文字が、じわぁっとにじんでくる。
 あんなに頑張ってカードゲームで勝って手に入れて、はるばるアレクサンドリアまでやって来たのに、肝心のチケットが偽物だったなんて。夢がぱちんと覚めてしまったような気分だった。
 さっき石段に座り込んでいた間に見ていた、人々の流れを思い出す。幸せそうに、城へ向かう人々をながめていると、しぼんだ気持ちでその中に戻っていくのは何となく気が引けたのだ。
――やっぱりボクがここにいるのは何かの間違いだったのかなあ…。
 俯いてしまったビビの足元に、ポツンと一つ滴が落ちた。
 ぎょっとしてネズミの子がのぞき込むと、目深に被った帽子のせいで表情は分からないのだが、ビビの金の瞳に涙が溜まって揺れているのが見て取れた。声もあげずに肩を震わせている。
 ぽと、ぽと、と涙が落ちて、ビビのつま先の間の砂に暗い染みが出来ていく。
 それを見て、パックも何だか気の毒になってきた。何しろ、アレクサンドリア1の大舞台だ。さっきの話に嬉しそうに相槌を打つ様を見ていても、どんなに楽しみにしていたのかは容易に想像が付いた。それを打ち砕いてしまったのが自分のせいのような気がしてくる。
 足もとの染みが増えていくのを見て、パックは一つため息をつくと、ぽんとビビの肩をたたいて言った。
「おまえ、俺の家来になれよ!」
「え?」
 唐突な申し出に、ビビが困惑したように首を傾げた。そのビビに、ネズミの子は得意そうになって言う。
「家来になれば、俺が今日の芝居を見せてやる!」
「え……でもボク、もうチケット持ってないのに…」
 しゃくりあげながら言うビビに、ネズミの子はにやっと笑った。
「なーに、チケットなんかなくたって芝居を見る方法はあるんだ。ここさえ使えばな」
 つんつんと自分の頭をつつきながらに言うネズミの子に、ビビが少し希望を取り戻す。
「ほんと?」
「ほんとさ!どうだ、俺の家来になるか?」
──お芝居を見られる!
 そう思ったら一も二もない。のぞき込むネズミの子に、ビビはひくっとひとつしゃっくりをすると、こくんと頷いた。
「よし、じゃあ最初の命令だ!」
 その言葉に、ビビはぐっと顔を上げた。お芝居を見るためなら、どんな命令だって。そう思いながら次の言葉を待つビビに、ネズミの子は偉そうに腕組みをすると、こう命令した。
「もう泣くな!いいな?」
「……うん!」
 ビビは嬉しそうに頷くと、ぐいぐいっと袖で顔をこすった。

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山月のはんこ


   こめんと
 ………パクビビ。
 の、つもり。夢見る乙女の歪んだ目には、ゲームの中の俺様なパックも、こんな風に歪んで見えるって話(笑)。
 こんなゲーム本編では2分で終わらせられるようなところにこんなに字数を費やしてしまいました。書くのもとろいクセに。…読んでくださる方にとってはうっとおしいかもしれませんが、書きたいように書くと決めてしまいましたので、御付き合いくださる事を祈るばかりです。