2017
12.31"遠雷"
 バタフライカヤックスさんより艇完成の知らせ。早々に受け取りツアーに。

12.28
"Moon Phases 2018"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere

12.24
"Tonight's Sky January 2018"

12.22 1:27:50 "Winter Solstice"
「織と彦」2/4 #7
 保護から61日目。体重1.0/1.3kg、体調良好。150/180gの頃を思えばずっしりと重い。長い間「成長」に接することがなかったため、日々大きくなっていく様子はとても新鮮。大胆で身体能力の高い織は、昨日キャットタワーの最上段170cmから飛び降りて驚かせる。いたずらばかりするので気が抜けないが、2匹のかけ合いの面白さが勝る。
 本日4種混合ワクチン接種。2匹で10,000円は仕方ないが、初回はもう1ヵ月後にもう一度受ける必要があるそう。感染症にはかえられないか。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

12.14
 ふたご座流星群。3:00に目が覚めると天頂から西の空が25%ほど開けていて、三つほど流れたのを見て再入眠。

12.13 "Long Since Dark"
Warrel Dane 1961.3.7~2017.12.13

12.8 "Breathing New Life"

12.2
"What's Up for December 2017"
「織と彦」2/4 #6
 保護から40日目。子ねこ用キャットフードをお湯でふやかし、やる直前にドライフード混ぜて与えている。2匹とも700gを越え、少しずつ食べる量が増えている。水も器から飲めており、排泄も良好。先週虫下し内服。
 3段ケージと183cmのタワーを買い部屋は狭くなる一方。ケージの1段はかなりの高さがあるが、バスタオルを垂らして引っかかりを作ってやると、いとも簡単に登り、4段目最上段のベッドで団子になって丸くなっている。在宅中は開放観察。1ヶ月前では考えられない身体能力で走り回り、まるで大ゲンカのようなじゃれ合い。性格の違いもわかり始め、1匹と人間では絶対得ることのできない社会性を身に付けている。
 FBでお父さんというコメントをもらったが、まったく自覚がないことに気が付いた。正直世話をしているという感覚も皆無。4つの瞳に見つめられ考えた。
「拾い上げなければ死んでいた命・・・」
 これまで旅してきて、「田舎に泊ろう」よろしくたくさんのお宅に泊めていただいた。最近でこそ減ったが、お世話になった方に恩返しできない代わりに旅先で知り合った友人を家に招いた。たぶん今回も、人生の旅の途中で出会った2匹。
「どうする?ごはん食べてく?15年くらいいていいいよ」
 今日久しぶりに珈琲屋「木小屋」にいくと、オスメスのメインクーンがいるというお客さんと意気投合。マスターと3人で1時間以上ねこトークで盛り上がった。もともと犬派で、近所の野良は糞害で天敵だったのに。
「もし4匹全部拾い上げていたら・・・」
 あのときに戻れたとしても絶対しないが、4匹が走り回る光景を見てみたい気がした。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

 バタフライカヤックスのブログに発注したのと同じターコイズがアップ。それもラージバウハッチ。もしかして自分の艇か?!パドル選定ほか必要物品そろえなくては。姫路に行く日程調整も。

12.1
"Tonight's Sky December 2017"

11.24
「織と彦」2/4 #5
 保護から29日目、5週目に突入。離乳食摂取良好。あれ以降ほど良い硬さの便が続いており、軟便うんちボムは炸裂していない。離乳食に混ぜて使おうと思っていたけっこう値段のするプレミアムミルクが余っている。球啜反射が残っているかの確認も含めて与えてみた。
 最後の授乳が70cc溶いてほぼ半分ずつ。残っている粉を全部溶かすと90ccになった。身体も大きくなったので飲めるかも。
 彦。最初躊躇するがすぐに吸い始め止まらない。織のも残しておかないといけないので無理やり引き離すと、すでに40cc飲んでいた。はち切れそうなくらいお腹はパンパン。乳首をもう一度口に持っていくがどうやら満腹のよう。次に織。乳首を何度口に近づけても吸おうとしない。
「乳離れ!」
 片付けて戻ってくると、なんと吐物まみれ。観察していると彦がまだえずいているので慌てて頭をトイレに。乳白色の離乳食を吐き出している。
「爆弾の次はリバースですか。彦さん、しんどいとこ申し訳ないが自業自得。面白すぎる」
 抑制が効かず、計画性のなさに同性として共感しつつ、しっかりと乳離れして呆れて見ている織姉さんにこちらまで恐縮。
「吐くまで飲むなよ。ヒトもネコも野郎はダメダメですね」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

11.23
 1999年11月23日に開設したマイサイト"AiR:"が、18年満了し19年目に突入。もはや写真はほとんどなく、完全タグ打ちの記録的エッセイサイトに。相互リンクしていたサイトはほとんどがリンク切れ。実年齢と同じく、続いていることに意味があるはず。
 これを読んでいる中で当時を知っているのはえみりーくらい。2000年代初期、ネットがまだダイヤルアップ接続の頃のトップロゴ。背景写真が懐かしい。

11.17
「織と彦」2/4 #4
 保護から26日目、離乳2日目順調。もうドライフードのみでもいけそうだが、こちらが離乳期間を楽しませてもらってる。何も教えてないのに器から飲水。すごい。
 排便回数も激増。普段便秘の人間が相手、小さな肛門から絞り出される程よい硬さのうんちに、思わず頬が緩んでしまう。織、彦とも400gを超えたが、径10mm×50~70mmのうんちがどこに入っているんだろうという快便。
 それに伴い問題も発生。昨日部屋に開放中やわらかめのうんちをした彦。トイレにはしたが、後ろ足でブツを踏んづけた。当然のごとく後足を蹴り上げ、ちぎれたうんちBB弾はクラスターボムがごとく周囲に飛散。物理的破壊力抜群。さらに「あっ」と思った瞬間、肉球スタンプぺたぺた。心まで破壊された。
 それでもごはんを置いておけば勝手に食べるので、長時間家をあけることができるようになった。帰ったとき狂ったように鳴きわめく姿はもうなく、我関せずとじゃれ合っているドライなやつら。
 身体能力の向上も目を見張る。爪とぎ登りなど序の口。ジャンプ、ダッシュ、トップスピードからの静止、左右へのスイッチは好調セルティックス、カイリー・アービングなみ。行動範囲は2Dから3Dへと拡がり、上へ。
「おまいら〜!本は階段じゃない!メッシュジャケット登るな〜」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

11.15
「織と彦」2/4 #3
 保護から24日目のお昼12時。哺乳瓶授乳も最後かと感慨深い。離乳食に混ぜるため粉ミルクを少し残しておく。
 午後から離乳食を買いに。ゼリータイプのと、離乳後のドライフードをお試し小袋で購入。柔らかい「まぐろ・たい」子ネコ用に、残しておいた粉ミルクを少し混ぜる。ケージから彦を取り出し、スプーンで口に近づけた。一瞬戸惑う素振りを見せたが、次の瞬間にはスプーンごとほおばる豪快な食べっぷり。すぐにスプーンをやめると、警戒しながらも器から直接。その後の織も同様。
「授乳終了!」
 初めて食べるご飯ってどうだったんだろう。半世紀昔、何もできない自分を世話してくれた母。できなくなっていくことが日に日に増えていく今、お返しをしていく義務がある。
 残った粉ミルクがもったいないので、球啜反射があるうちに使い切ろう。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

11.9
「織と彦」2/4 #2
 「寝る子は育つ」生後18日目発育良好。本日の体重測定で2匹とも保護したときの倍。ひとまわり大きな「彦」は、眼の色がキトゥン・ブルーから成猫の色に変化しつつある。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

11.2
"What's Up for November 2017"

11.1
"Tonight's Sky November 2017"

10.31 "Sailing"
 いつからだろう。休み前、グーグルマップをドラッグしながらどことなく喪失感を感じていた。
「行ったことがある・・・」
 もちろん短い一生の中ですべての道を走破できるわけもなく、知らないところもたくさんある。ただ、好きな場所、興味がある所は絞られ、行ったことがない場所探しが大変になっていた。そんなとき、定期船のない瀬戸の島々にオンマウスする。
「無人島に神社が。こんな小さな島に建物の跡が・・・」
 8月初め、久留米美術館の「星野道夫展」で、彼が使っていたカナディアンカヌーに何かを感じた。
 9月、種子島でリバーカヤック、地元に帰って宮島シーカヤック。以降空いた時間のすべてを情報収集に費やしてきた。バイクと同じく、用途によって艇が違い、価格もいろいろ。川、海、湖、いきなり複数の艇は購入できない。目的を絞る。
「空撮でみた瀬戸の島々へ。星空無人島キャンプ」
 いちばんの問題は輸送。シーカヤックはスピードが求められるため細く長い形状。4〜5メートルあり、うちのSpaciaに積むことは難しい。短いものや、分割できるものもあるが、それぞれにメリットデメリットあり。足し算引き算しながら考え、最終候補を導き出した。
「バタフライカヤックス、クルーソーハイブリッド460」
 10月初め、姫路にビルダーを訪ねた。個人でやっている小さなお店。細かいところまで考えて作られ、今も進化を続けている。
 本日発注、納期2ヶ月、年内予定。カヤック本体に加え、季節に合わせた装備が不可欠。天気や海の知識、セルフレスキューのテクニック等やることは山積み。ビギナーがいきなり冬の海に繰り出すのは危険なので、準備期間としてはちょうどいい。
 節目の歳。車やバイクを初めて手に入れたときの高揚感。残りの人生、いくつの島をめぐることができるだろう。アスファルトからウォーターフィールドへ。広大な海を手に入れ、喪失感を感じる前にわが命尽きるはず。

10.29 "CATHOUSE"
「織と彦」2/4 #1
 10月22日。夜半から台風の強風が吹き荒れた。翌23日早朝、物が飛んでないか確認に出ると、13年間納屋を覆い、バイクを雨風から守った養生シートが引き裂かれていた。
 裏手へ回る隣家との間で子ネコの鳴き声がする。立てかけられた板をめくってみると、すき間に4匹のネコ団子。母親の姿はない。
「持たんな。これも自然の摂理」
 自宅周辺ではもう何年もネコの糞害に困っており、助ける筋合いはない。そもそもうちは犬派。30年以上前に子ネコを拾ってきたことがあるが、放し飼いにしていると3ヶ月くらいで帰ってこなくなった。
 23日夕方仕事を終えて帰宅。時折鳴き声が聞こえてくる。何度か見に行くが、やはり母ネコが戻ってきている形跡はない。
 24日夜勤。仕事中ネコの話になった。よく言う災害時生存のタイムリミットは72時間。体温維持すらままならない生後2日目の小さな命は、この夜を越えられるだろうか。
 25日深夜3時帰宅。4匹は身体寄せ合って命をつないでいた。茶/白2匹と三毛、グレーがかった1匹。おそらく生まれてから飲まず食わず。
「明日までは無理か・・・」
 衝動的母性を感じつつ冷静にアセスメント。認知低下のすすむ母の介護で消耗性疲労進行中。これ以上の手間などありえないのに。
・介護と仕事で忙しい
・遠出がしにくくなる
・野良化するネコをある意味削減
・成長が見てみたい
・平均寿命15年とすると自分と一緒に衰える
・ほっとけば自然死は時間の問題
 家に戻ってダンボールを組み、外に出た。三毛を拾い上げる。深夜、1匹と3匹の鳴き声が近所に響き渡った。
 家に戻ってダンボールに入れたが・・・。
「社会性が必要・・・」
 4匹すべては無理。3匹も無理だし残った1匹が不憫。もう一度外に出て、2匹の茶/白を見比べる。少しでも元気な方を。命のトリアージ。残った2匹には確実な死が待っている。
 とりあえずペットボトル湯たんぽで保温。ショップが開くのを待って哺乳瓶とネコ用ミルク購入。ミルクを溶きながら、残りの人生でもっとも必要ないと思われた小児・母性が役に立つことに苦笑。自分にあきれる。
 状態のアセスメント。当然栄養摂取必要量以下。茶/白オス180g、三毛メス150g。抱き上げたときの鳴き声と抵抗は問題なし。三毛は元気な吸啜反射をみせ、飲みっぷりがいい。一方、オスの茶/白は今ひとつ。摂取できないと確実な死が訪れるため無理して飲ますが誤嚥しているよう。コースクラックル著明。ぐったりし、生あくびを連発。酸素化阻害されてる。
「ほっといても死んでいた。肺炎になればそこまでの命」
 逆さドレナージしてタッピング。戻して排気。嘔吐なし。熱を測ってみたいが直腸がどこで曲がっているか知らない。体長15cmの肛門にヒト用体温計を15mmも突っ込むと腸穿孔確実。生きる力を信じる。
 感染リスク状態。初乳を飲んだかは神のみぞ知る。最初に買った小さな粉ミルクはすぐなくなったため、気休めにグロブリン入りのプレミアムミルクというのを買ってみた。人間と一緒で3時間ごとの授乳が必要。もちろん仕事中できるはずもなく、約12時間飲まず食わず。そこは頑張ってもらうしか手がない。
 授乳の前後で陰部を刺激して排泄の援助。
「外でも家でも下の世話・・・」
 ただ、拭いても拭いても出てくる金色のしずくは愛おしくさえある。甘噛みとパンチの抵抗あり。大きなストレスから開放され、すぐには適応できないはず。歯がないので痛くはないが、乳歯が生えると恐ろしい。
 残った2匹を見に行ってみると、隣の家の玄関先で鳴いていた。自分の介入と、2匹になったことでネコ団子の保温効果が低下したのは確実で、後ろめたさを感じる。
 夜、もう一度見に行ってみると、拾わなかったもう1匹の茶/白が、立てかけた板の中ではなく何もない地面の上で、瀕死の状態で横たわっていた。つつくと断末魔の声。
「ブラックタグ・・・」
 単純に衰弱したのではなく、何らかの外傷を受けた様子。見たわけではないが、お隣さんはそんなお宅。さすがに生き埋めにするのは抵抗があり、明日朝冷たくなっていたら庭に埋めてやろう。もう1匹のグレーは見当たらない。
 オス、ネコ手一杯排便あり。下痢なし。5mmほどの棒が絞り出てきて面白い。
 26日朝。死にかけていた茶/白の骸はなかった。お隣さんに「処分」されたのかもしれない。
 名前検討。ヴェガとアルタイルを真っ先に思いついたが、2017年10月23日広島生まれ純国産。やっぱり漢字ということで織姫と彦星から「織(おり)」と「彦(ひこ)」と名付ける。もちろん呼んでも無反応。
 本日29日。飲みっぷりがよく、150gだったメスの織が210g。誤嚥はおさまったが、摂取量の劣るオスの彦が215gとほぼ一緒。見た目は織の方が大きい。たった3日で2Lペットボトルの上面は狭くなり、最初おとなしかった織が場所取りで彦を蹴落としている。湯たんぽ2つに。
 もうこの世にはいなかったはずのじゃれ合う2匹を眺めながら、2匹にしたことを納得。同時に、まだしっかりとは見えていないだろうキトゥン・ブルーの4つの瞳に見つめられ困る。
「大きくなったどうしよう」
 バルーンは?生後2週間で佐賀大遠征?

10.1 "Islands"
 御手洗の「ばこ」が「たばこ」に。中を覗くと品物がない。心配になり扉を開くと、やっぱり売り物は少なくなっていて、買えそうなのは明治の板チョコだけ。奥でおばあさんがテレビをつけたままうたた寝している。大声で5回くらい呼ぶが起きる気配がない。まあいい、店は健在ということで店をあとにする。
 大崎下島の未踏ピーク一峰寺展望台はなかなかの景色。目の前に岡村島、すぐ右手には今治の北端が手の届きそうな距離。
 野呂山への登りで「オハマナ」遠望。やはり「ゆうとぴあ」はいない。ずっと気になっていた野呂山の洋館へ。玄関は開放されており、バカンスハウスというらしい。1976年竣工?最後のカレンダーは1985年。2階にはビリヤード台。
 カヤックで出航できる場所を探しているためいつもの景色が新鮮。

9.29 "What's Up for October 2017"

9.26 "Tonight's Sky October 2017"

9.22 "in the rain"
 宮島半日カヤックツアー。初めてのシーカヤックは、種子島で乗ったシットオントップの艇とはまったく違っていた。約3時間のショートツアーで大鳥居の下をくぐる。自分の船へと夢は膨らむ。

9.18 "Maybe Someday"
 種子島の帰り鹿児島市内ですれ違ったむっちゃんが、高野山詣での帰りに来広。午前中は彼女一人で宮島へ。午後から西広島駅で待ち合わせして市内へ。原爆ドームと平和公園をまわったあと、気になっていたおりづるタワーの「ひろしまの丘」。1700円と映画1本観るほど高いが、また誰か着たら連れて行きたくなる場所。次回は種子島で会いましょう。

9.1~5 "5 Centimeters Per Second"
"HOPE3"
Day 1 : Sep.1 Fri
 8月最終週、前回の連休と同様、軽井沢と種子島の天気を注視していた。台風15号の影響で東日本は無理そう。台風16号は中国大陸へ。最終決定は前日出勤前の午前中に。
 8月31日朝。休み期間中の種子島地方はすべて晴れ。渡ったはいいが帰れないと大変なことになるため、もう一度台風の動きを確認。奄美・種子島地方は大丈夫そう。まず往復のフェリーを確保。往路は9月2日8:40鹿児島南埠頭発「プリンセスわかさ」。復路も「わかさ」で9月4日14:00種子島西之表港発。次にこの春から3年間の予定で種子島に赴任しているK先生に連絡。2日土曜の夜相手してもらうことになった。最後に「島宿HOPE」。4年ぶりに聞く奥さんの声は元気いっぱい。2日は朝食のみ、3日は「地産地消・究極堪能〜薩摩黒牛×安納黒豚×インギー地どり」プランを予約した。2日土曜の夜、「HOPE」でアフリカの太鼓、ジャンベのライブがあるという。
 夜勤のため1日2:00に帰宅し、翌昼ごろ目が覚める。家のルーティーンワークを済ませて準備開始。といっても普段日帰りに出る装備に着替えワンセットを加えるのみ。2泊5日ながらタンクバッグ一つに集約する。さあ、準備は整った。
 20:14廿日市ICイン。22:07美東SA。気温は暑くもなく寒くもなく順調に距離を伸ばす。山間部走行中の夜空はとてもきれい。この日わし座の東に見えるというフローレンス・ナイチンゲールの名を冠した小惑星「フローレンス」を探すが、走行中はさすがに危険。しかしパーキングに入ると光害で月しか見えないというジレンマ。結局特定することができなかった。

Day 2 : Sep.2 Sat
 0:14広川SA給油。1:45山江SAで再ルーティング。この日は肥薩線秘境駅、大畑(おこば)、矢岳(やたけ)、真幸(まさき)駅のどれかで駅寝しようと考えていたが、三駅すべて高速からのアクセスが悪い。船は8:40だが乗船手続きは1時間前。となるとそれほど余裕はない。秘境駅探訪は見送り、そのまま山江で仮眠することに。
 4:28鹿児島北ICアウト。5:02天文館近くのモスで早めの朝食。鹿児島市内の繁華街「天文館」。今考えればすでに宇宙への一歩踏み出していたことになる。
 5:30鹿児島南埠頭着。桜島は山頂を雲に隠し、日の出前の東の空に大きなシルエット映し出している。自宅から600km離れたこの場所だが見慣れた心の風景。沖縄、三島村、十島村、そして種子島・屋久島。何度ここから旅立っただろう。離島航路が勢ぞろい。「フェリーみしま」。これから種子島で再会する先生、鹿児島のむっちゃんやゆりかさん、そして今回もう一つのプランだった軽井沢の光子さんと知り合ったのが、2006年この船で訪ねた三島村・薩摩硫黄島。活火山とオレンジの海、俊寛、アフリカのジャンベを知ったのもこの島だった。「フェリーとしま」は2007年、20日間で14回乗り降りした忘れられない船。7つある有人島6つを訪ね、いつかの旅のためあえて一つだけ残してある。埠頭にはたくさんのコンテナと各島宛ての貼紙。このまま乗ってしまいたくなる。「フェリー屋久島2」は唯一乗ったことがない船。2000年の屋久島へは高速船トッピーを利用した。乗船待ちの列に「北見」ナンバーのDN-01が1台。はるか北海道からどんな旅をしているのだろう。そして種子島行き「プリンセスわかさ」。定期航路には珍しく接客が良い船会社。この往路で4度目の乗船。心が躍る。
 トッピーの待ち合いで仮眠、7:15乗船手続き完了し、定刻の8:40種子島へ向け出航した。すぐに横になる。夜勤明けからの夜移動は必然だが、乗船後すぐに寝てしまうことに意味があった。台風15号の影響で外海での時化は必至。寝不足では間違いなく船酔いする。あっという間に夢の中へ。
 11:00過ぎ、激しい揺れに目が覚めた。とても気持ちの悪い浮遊感。「はてるま」「よなぐに」「だいとう」、沖縄の名だたるゲロ船を思い出す。あれに比べたらまだまだ。出航後すぐに寝たため船酔いもない。とても普通には歩けない船内を壁伝いにトイレに、男子トイレの個室二つは案の定使用中。中からは嗚咽と酸っぱい臭いが漂ってくる。お気の毒。自分のスペースに戻って今日の大雑把なプランを練る。まず鉄砲館であの超メカニカルな人形劇観覧。15:30枠が取れればやはり行っておきたい宇宙センターバスツアー。あとはジャンベライブと先生との夕食を成り行きで調整。その主旨を先生にメールする。
 12:10「西之表港」着。その名の通り種子島北西部、島の玄関口に4年ぶりに降り立った。地図の必要なくすぐに鉄砲館へ。ところどころに現れるマネキンに驚きながら奥へ。ギヤとモーターとワイヤーで動く「鉄砲伝来物語」ジオラマが目的。
「素晴らしい!」
 展開に見入っていると、脇から動く人形が現れびっくり。ここでK先生と1年半ぶりの再会。おかげで最後の大事なところを観そびれた。バスツアーの予約が取れたため余裕ができ近くの月窓亭へ。見た目は和風古民家だが庭がすごい。南の植物が生い茂るトロピカルな庭園は一見の価値あり。
 一度先生と別れ、種子島宇宙センターへ。最短の島中央を抜けるつもりだったが、ルートミスし東海岸の現和(げんな)に出てしまった。せっかくなので海を眺めながら南下。増田のしゃべる自販機、「HOPE」の前を通り過ぎ、14:30宇宙センター着。3度目のバスツアーだが、今回は管制室のPCが起動し、点検作業していたのが新鮮だった。
 17:00「島宿HOPE」にチェックイン。奥さんの笑顔に島に来たことを実感する。前回まだお腹にいた長女さんが水着を着て走り回っている。1回目の部屋は「なみ」、前回は「うみ」、そして今回は「そら」。息つく暇もなくシャワーを浴びると、先生が迎えに来てくれていた。彼女は新婚さん。ご主人は歳も近く遠慮なく話せそう。車で中種子(なかたね)まで出て、さぶちゃんというお店に入った。ここで先生と同じくこの春赴任してきた栄養士さんと合流。海の幸に楽しい時間を過ごす。
 全員であわただしく「HOPE」にとんぼ返りすると、すでにジャンベライブは始まっており、中庭はたくさんの人であふれかえっていた。
「なに?この空間」
 珍しいアフリカのリズムと聞きなれない言語。近くにいるお姉さんのグループは素人とは思えないリズムで踊っている。観客と思っていた人たちが入れかわり立ちかわり飛び出し、トランス状態で踊り狂う。記憶は2006年の硫黄島につながり、一昨年亡くなった千野さんを思い出した。そばにはその時出会った先生。暗がりにHOPEのオーナー風間さんを見つけ、固い握手とハグ。世界遺産の屋久島は1度しか訪ねていないが、種子島を3度訪れた意味が今わかった。空には十二夜の月が輝いている。

Day 3 : Sep.3 Sun
 7:00のアラームで起床。夢うつつ、遠くから町内放送が聞こえてくる。デジャビュではなく、実際に経験したことのあるマングローブの朝。
 今日は先生たちとカヤックの予定。朝食をゆったりといただいたあと奥さんにツアーの手配を依頼。午後から予約が取れた。台風の影響で海には出られないため、マングローブの入江内を散策するとのこと。
 朝食後洗濯。日曜の朝のため、子どもたちが思い思いのペースで遊んでいる。この島で慌てて見に行かなければならない場所はもうない。昨日本棚で見つけた「この世界の片隅に」を開いた。コミックを読むのは初めて。はるか南の島で思いがけないすずさんとの再会。自分が広島人であることを強く感じる。それにしても、旅先でなんと言う贅沢な時間の使い方だろう。連泊ならでは。風間さんに映画を観たかと聞くと。
「観てないです。映画館ないですから」
 確かDVD発売間近だったはず。帰って調べてみよう。
 昼を食べようと上中まで出たが思ったより時間がない。ファミリーマートで予想外に美味しいパンを発見。それにしても、5年前初めてこの島に訪れたとき西之表に島最初のコンビニができたばかりだった。こんなところにも時の流れを感じる。
 12:40、宿近くのマングローブパークでインストラクターと待ち合わせ。関西出身のお姉さんの簡単なレクチャーを受けてツアー開始。二人乗りシットオントップのカヤックで、先生夫婦、インストラクターの自分で二艇に分乗した。満ち潮で緩やかな逆流、穏やかな水面。実はこの旅に出る前からカヤックを物色していた。元々土壌はあって、中学の頃、友だちのレジャー用ゴムボートで地元太田川の河口で遊んだり、宮島を岸伝いにツーリングしたこともあった。90年代後半にはダム湖で朝食材を積み込み、一日中浮かんでいるボートキャンプ。カヤックの体験としては17年前の西表・浦内川で。ヒロやケンジたちとマングローブの川をさかのぼった。アウトドア遊び人の椎名誠や野田知佑の「カヌー犬ガク」は愛読書で、冒険心に拍車をかける。そして先月、久留米美術館で星野道夫のカナディアンカヌーを見たとき何かを感じた。瀬戸内にはたくさん無人島があり、内海で穏やかな海は、人生下り坂の自分にも比較的安全。空撮ですべての島を見尽くした。メインはシーカヤックになりそうだがスペーシアに5mの艇は積めない。ルーフキャリアや安全のための付属品も含めると20万前後になるためゆっくり時間をかけ検討中。
 これまで道路から眺めたことしかなかったマングローブの入り江は素晴らしかった。ただ護岸が整備されすぎているのが残念。次は海へ出たい。
 先生たちと河内温泉センターで潮を落としたあと茎永の交差点にある流木家具「KEEP」に立ち寄ってTシャツ購入。地元の日常に種子島の風を持って帰る。そのままカフェを探すがやってない。結局南種をウロウロして断念し、宿まで送ってもらった。ここで今回の旅ではお別れ。次回は海で。途中道を間違えたせいで、バイクトラブルで立ち往生した下中のT字路を通過。もはや自分だけの観光地となっている。
 夕食は「地産地消・究極堪能〜薩摩黒牛×安納黒豚×インギー地どり」を堪能。風間さんと宇宙談義。まだウミガメの産卵が見られるかもしれないという情報を貰い、ビールを我慢して前之浜に向かった。
 以前昼間に来たドラメルタン号漂着の碑。トイレの灯りだけが光っている誰もいない浜辺。あいにく雲が多く、天体観望には不向き。雲の切れ目からヴェガが見え隠れしている。昨夜より明るさを増した月は、黒々とした海に月の道を作り、三角波の白い頂点が、激しい音を立てながら移動していく。美しさと同時に、本能で感じる畏怖の念。得体の知れない何かが海から上がってきそうな恐さを感じる。
「ウミガメは」
 真夜中のビーチコーミング。もしいたら驚かせないよう天体観望用のレッドライトで歩く。月明かりに照らされた白い浜辺に、漂着物が黒い影を作る。ほとんどがゴミで、ハングルのものが少なくない。カニの穴やイカの骨。波打ち際と砂浜を注意深く観察しながら歩くが、それらしき痕跡は見当たらない。結局1.3kmある浜を往復してあきらめた。次回への宿題。食後のいい運動になった。
 帰りはあらためて5年前のバイクオルタネータートラブルに見舞われた下中へ。電話を借りた花峰小学校前の商店自販機で缶コーヒーを買う。実は旅に出る前、3回目の種子島でひと区切りと考えていた。ところが先生の種子島赴任といううれしいハプニング。恐らくあのトラブルがなければ再訪することなく、単なる旅の通過点だった種子島と「HOPE」。それが今はアフリカの夜とカヤックの足がかり。
「HOPE4、セカンドステージへ」

 宿に帰ると、テレビは宮家の婚約のニュースで持ちきりだった。「太陽と月」。そういえば・・・、前之浜で鹿児島のむっちゃんとメールしたとき、「月がきれい」と送ってしまった。どうやら知らない間に愛の告白をしてしまったようだ。

Day 4 : Sep.4 Mon
 9月4日、やはり7:00のアラームで起床。雨。4日先の天気が崩れるのは仕方がない。帰りの「プリンセスわかさ」は14:00発。手続きで13:00前に港に着けばいいため、時間に余裕がある。朝食を食べながら、本棚に「秒速5センチメートル」のDVDがあったのを思い出した。
 「君の名は」でブレイクした新海誠監督の07年度作品。第2話「コスモナウト」では種子島が舞台、なかでも田舎の商店のシーンは忘れられない。二人はカブ通学だし、カブを「単車」と呼ぶし、犬の名前はカブだし、極めつけは右の縦型ウインカー。今どきの高校生は絶対乗ってないと思う。店の位置を風間さんに聞くと、中種子を過ぎたあたりの県75号沿いのこと。だらだらと北上しよう。DVDを早送りで観て、切ない気持ちを盛り上げる。それにしてもヒグラシの鳴き声ってなんであんなに切ないのだろう。もわっとする夕暮れの空気感。過ぎ去っていく夏の思い出。
 予報は熊本まで雨。タンクバッグの中身もすべてビニールに入れ、さらにザックカバーで覆う。奥さんに挨拶、風間さんと握手を交わす。今回も聞けなかった「HOPE」の由来はまた次回。
 「コスモナウト」に出てくる店、アイショップ石堂大平店はすぐに見つかった。外観、壊れかけたベンチ、店内の様子も映画そのまま。おばちゃんはどちらかというとおばあさんだった。奥に進み冷蔵庫を開ける。
「あった!」
 デイリーヨーグルッペ。外に出てあのベンチに座り、ストローを差す。空きパックを捨てるのがなんとなく寂しくなり、しっかりと飲み干してつぶし、バイクのシングルシートカウルの中に入れた。
 ベンチの横には映画に登場するシーンのマップが紹介してある。カブで通り過ぎる通学路が近くにあるというので足を延ばしてみるが、さっき通ったばかりの県75号、新光糖業の交差点に出てしまった。引き返してすぐ。
「あー!!!」
 4年前の最終日、やはり港に向かう途中見つけた印象的な道。八重山・小浜島のサトウキビ畑を思わせる一直線の道だった。
「なるほど」
 映画とは逆向きだったことに気付く。坂を下り転回、そこには映画と同じ通学路があった。道のど真ん中にバイクを止め、エンジンを切る。
「ざわわ、ざわわ。」
 まず森山良子が聴こえてきた。ミラーを覗く。後ろから車が来る気配はない。遠くのサトウキビ畑から、シカゴホワイトソックスの"シューレス"ジョー・ジャクソン(レイ・リオッタ)が出てくる。最後は「秒速5センチメートル」の主題歌、山崎まさよしの「One more time,One more chance」。

♪ いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
交差点でも 夢の中でも
こんなとこにいるはずもないのに ♪

 人生50年にもなれば、当てはまる人の一人や二人はいる。センチメンタルな一本道。
「雨の中、誰もいない田舎道におっさん一人。帰ろ」
 フェリー待ちは前回と同じく埠頭近くのラーメン濱商。たばこ3人と相席になりえらい目にあう。
 外海はまだまだ怪しい雰囲気。島への別れもそこそこに出航と同時に寝る。
 目が覚めたのは佐多岬に入る手前だった。その時点でかなり揺れが残っていたが、岬を過ぎるころから急に穏やかに。やはり内海は違う。岬の展望台に大きなタワークレーンが建ち、工事をしているようだった。
 立目崎の巨大涅槃像は相変わらず異様な存在感を示していた。前回帰って調べてみたところ、平等大慧会の施設であることが判明。この宗教団体、広島・大野にある旧「王舎城美術館」、現「海の見える杜美術館」と同じ。巨大な偶像の建設資金に思うところあるが、ここでは控えよう。
 桜島が見えてきた。頂上付近は雨雲に覆われ、小爆発している。雲にぶち当たって流れていく火山灰が、運ばれていく先で雨のように降り注いでいるのがわかる。フェリーから降りてからも、圧倒的な自然に心を奪われ、しばらく眺めていた。
 さて、明日は日勤。ぼやぼやして入られないが、無駄な渋滞に突っ込んでいく。
「海道・国道58号」
 基幹国道最後のナンバーを冠する58号は、以前詳しく調べて書いたことがある。西郷隆盛が見下ろす中央公民館前交差点から600m東に走り、一度錦江湾に消える。種子島・西之表の農協前に突如現れ、島間に消える。その後奄美を縦断したあと、再び海に消え、沖縄本島やんばるに再上陸し、那覇の明治橋で終点となる壮大な道。途中「黒かつ亭」というとんかつ屋を見つけ、エネルギー充填。ここで昨夜、「月がきれい」と知らないうちに宮家風愛の告白をしてしまったむっちゃんにメール。もう逆方向に帰ってるということで、見事にふられてしまった。彼女も06年硫黄島で出会った一人。次回は種子島で先生たちと再会しましょう。
 西郷どんのある国道10号を左折、180m先にある照国神社前交差点の存在感もすごい。九州の主要道国道3号と、大分〜宮崎を駆け抜ける国道10号の交わるところ。この短い区間が、九州の陰陽道と、はるか沖縄への海道の起点となる。
 19:05鹿児島北ICイン。福岡に入って一度雨があがったが、関門橋を渡った辺りからまた強く降り始めた。なかなかの修行。日が変わって9月5日0:48廿日市ICアウト。ほぼ予定通り帰宅し、タンクを2度叩いた。

 帰宅後、映画館のない種子島へ「この世界〜」のDVD手配。自分も買った「カヌー・カヤック入門」を先生宅に直送。「KEEP」のTシャツを着て茎永の風を感じ、ヨーグルッペの空パックを眺めて切なくなる。前回書いた記録の最後を読み返してみた。

『去年は場所を訪ねる旅。今回はやり残した続き。そして、次回は人を訪ねる旅。4人+2匹になった風間ファミリーを目指し、"HOPE 3"へ、続く・・・。』

 次回はむっちゃんと合流し、風間ファミリーと先生夫婦を目指す。そしてカヤックツアーのインストラクターに答える。
「カヤックに乗ったことありますか?」
「持ってます」と。

"HOPE 4"
201x Day1~

8.31 "What's Up for September 2017"

8.29 "Tonight's Sky September 2017"

8.24 "A Heart As Black As Coal"
 そういえば、昨夜近所で踏み切り待ちをしていると「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が通過。

 恐らく・・・。気温35度以上はもう雨と同じ。走っていて楽しさを感じない。それでも走り出してからの雨はまだ愛嬌があるが、溶鉱炉に抱きついて走る10Rは地獄以外の何者でもない。そうなると夜走りだが・・・。
 軽井沢の光子さんは八ヶ岳登山だそうでまたの機会に。そうなると肥薩線か土讃線秘境駅。窓を開け外気に手をさらしてみると、生暖かい。昨日深夜明けから今日明日連休であさって準夜。今22:00。夜移動には最高のシフトだが、さてどうする。

8.22 "Eclipse"
"SOLAR ECLIPSE"
 仕事のシフトがぴったりはまって2:30帰宅。軽い食事してパソコンつけたらサウスカロライナのダイヤモンドリングに間に合う。お気に入りの映像は欠け始めの太陽面を横切るISS(国際宇宙ステーション)。
 近々宇宙から見た地球の表面に映る月の影の写真も公開してくれるはず。人類でたった6人だけが見られる光景。
 パソコン画面とはいえ、今この瞬間、昼が夜になっていると思えば、今抱えている問題など小さい小さい。宇宙の時間の中では瞬きより短い一生。残りの人生楽しんでこ。

8.21 "Doctor Doctor"
「町医者の黄昏」
 最近、古くからある近所の耳鼻科が閉まった。子どものころ通った近医は軒並み閉院し、看板は取り外され、ただの鉄筋の建物となっている。中には夜電気がついてるところもあり、残った家族が住んでいることが推測できる。
 子どものころ、医者はずっと歳をとらないものだと思っていた。書きかけ・・・。



8.19 "in the rain"
 恐らく通り過ぎていたとは思うが、もし遠征していたら中央道の土砂崩れに遭遇していた可能性も。

8.16 "Take Me To Heaven"
 11日から弟家族帰広中。14日の勤務はハードで帰宅23:00。明けて15日は予報どおりすっきりしない天気。疲労もあり休養にあてる。午前中に16日以降の天気を最終確認。ほぼ全行程雨の山梨・軽井沢は見送り、甑島、肥薩線3駅で再検討。午後から甑のフェリーリサーチ。盆時期バイクも混雑しており、電話応対女子の感じ悪さ含め肥薩線に絞る。夕食後天気予報注視。玄界灘と熊本に降水帯あり。熊本は手前でSA待機としても、玄界灘のが下関に移動し雨に突っ込む可能性大。経過観察中横になったら入眠。
 16日午前中、地元、九州とも微妙な天気変わらず長距離遠征は中止。5年ぶりの周防大島花火大会でUさんの海辺の新居を訪ねる。移動中も小雨ぱらぱら。
 北九州でパン屋さんしてる娘さん家族も帰省中。竜崎温泉側から観覧は初めて。空いてて良し。Uさん宅を出た後飯の山へ。山頂展望台は全天球さえぎるものなし。やや薄雲だが地表まで横切る天の川銀河、ペルセウス座流星群の名残りが二つ。天頂には夏の大三角形。2年前リハビリ病院の屋上から眺めたあの配置。恒星の川面を白鳥が羽ばたいている。下山中大物の猪を図らずも逃げ道のない曲がり角に追い込んでしまいこちら側があせる。突然ヘッドライトに照らされどことなく恥ずかしそうにしていた。
 地図を見るのが面倒で、188から「錦帯橋」の案内標識に従うと川西の交差点に出た。ジャスト欽明館。

8.15 "玉音放送"

8.14 "The Journey~It's Easy"
 「柳沢峠」(山梨県甲州市塩山)
 20年ぶりくらいに国土地理院、二万五千分の一地図を購入。一枚339円。
「懐かしい」
 まっさらな一枚ものの地図を買ってきて最初にする仕事はきれいに折ること。90年代前半、地元のピースを揃え、破線アタックに明け暮れた。
 なんて表現すればいいんだろう。PC画面やスマートフォンでは表示不可能な立体感。脳内3D。等高線が浮き上がり、自分が立った場所の周囲360度の地形が想像できる。遥かなるR411、青梅街道・大菩薩ラインは、かつて初代ジムニーやKDXで駆け巡った場所。青梅線古里(こり)駅のトイレに駆け込んだ記憶がよみがえる。おりしも御巣鷹32年目の夏。
 合わせてツーリングマップル「関東甲信越」を更新。やはり17年ぶり。これまでずっと00版でしのいできた。「中国・四国」とほぼ地元の「九州」版を除けば、05年版「中部・北陸」を買ったのが最後。パラパラとめくってみる。
「よく走ってる」
 当時は行った場所と走った道を地図上にマーキングしており、かなりのページに通過跡が。使えないかとも考えたが、今回あげているターゲットは白沢峠と軽井沢のみ。気分しだいで南東北まで射程にするなら高速道路網がまったく役に立たない。
「が・・・」
 期間中、東進はほぼ雨。現状晴れが見込めるのは南九州のみ。笛吹市のHさんと軽井沢の光子さんには前フリしたのだが・・・。東京まで足を延ばす。いや、都内を10Rで走りたくない。15日、阿波おどり最終日も雨。
 種子島は盆とH-IIAロケットの延期で船の状況が読めないうえ、HOPEさんは満室。そもそも4日あるのに南九州ではもったいない。10年来のプラン甑島は。そう考えながら、新しい「関東甲信越」マップルをめくっている。
「フッ」
 アナログ地図と二輪移動しか手段を持たないことに一人笑い。青空を探し、めくって、走るだけ。

8.9 "The Journey~It's Easy"
 シフトを組んでいた上司。
「ちょっと話しかけていい?今月もう2日くらい休まん?」
「いいんですか?」
 天気で動いているため先のまとまった休みには興味なく、普段から「単発でいいのでマンパワーの薄い繰りやすい日に入れてください」と任せている。
「じゃあここは?」
 15日。元々16~18日が休み。
「4連休になりますよ。いいんですか?」
 で、ここで働いて初めての4連休が成立。
 まず種子島。ちょうど15~17日がいっぱい。盆がらみで仕方がない。次に浮かんだのが白沢峠のトラック(オフ車必須)。そうなると軽井沢の光子さんにも会いたい。海外にいる可能性も高いのでLINE打診中。
 長野・山梨までCRFはきつい。移動はリッターバイク。現地ではオフ車のジレンマ。4日あれば東北にも到達できるが・・・。とりあえず長距離整備開始しとく。

8.8 "Welcome To The Show"
 1:30帰宅後シャワーから軽食、珈琲入れて双眼鏡片手にベランダにデッキチェアー。そこで欠け始め。これ以上ないタイミング。
 3:20、月食最大侵食終わり。明けの明星がオリオンと一緒に昇ってきた。立秋すぎて暑くもなく寒くもなく秋の予感。

8.7 "通り道"
 今日も面白い偶然が発生。
 今読んでいるのが宮脇俊三の「鉄道廃線跡の旅」(平成15年初刷)。母は配食のため一人分の夕食を作るのが面倒になり、近所の「来来亭」で本の続きを開いた。栞を挟んでいた南大東島の砂糖鉄道は、実際に廃線跡を探したことがあり遠くに感じられない。南の島の余韻に浸りながら、次の路線へ。
「第6章 上山田線・漆生線・油須原線」
 北九州、昨日通ったばかり。帰宅してすぐにGoogleを開いて確認すると、気になった県立山田高校跡、嘉麻赤十字病院の交差点あたりで廃線跡を横切っていたらしい。旧上山田駅以東は空撮でもかなり線路が残っていて、熊ヶ畑トンネルはいつかぜひ寄ってみたい。

8.5 "渚のダンスパーティー"
 始業整備するだけでダウン。先月の「ファラオ展」ではラジエーターの熱で両膝頭が水ぶくれになり、やっと直ったばかり。なら冷房の効いた室内で過ごしますか。
「否」
 8月8日は星野道夫が亡くなって21年。その足跡が久留米にあるとすれば行かざるを得ない。15:00にはアラスカでクールダウン。
 この一ヶ月で三度目の福岡。台風がもたもたしているなら、熊本、長崎へも。次の行き先は久留米市美術館の駐輪場でリルート。虫除け武装して十三夜の月を見上げよう。

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 12:46廿日市ICイン、気温35度。スタートしてすぐ冷却ファン作動。熱風がじかに膝にあたり、先月は水疱ができた。かわすためには足を開くことになり、当然ニーグリップできない。これがとても辛い。減速のたびに前乗りになるため腕を突っ張るしかなく、腕・肩の疲労が大きい。さらに、300km先の久留米にまるで地元の美術館に行くような時間にスタート。ゆっくりはしてはいられない。王司PA給油ワンストップで直行。
 15:38久留米ICアウト。久留米市美術館を探すが地図に見当たらない。ガリガリ君一本買ってコンビニで情報収集。石橋美術館がそうだと言う。
「石橋・・・」
 現地に着き納得。「ブリジストン」。おもいっきりお世話になっている。辺り一帯が関連施設となっていて、財を成した民間らしいゴージャスなつくり。さっそく美術館へ。
「星野道夫の旅」
 アラスカが中心の写真とエッセイ。ちょうど21年前の96年8月8日、「どうぶつ奇想天外」の取材で訪ねたカムチャッカでヒグマに襲われて亡くなった。その死も含めた自然そのものがある種ストーリーの一部とさえ感じられ、残念でならない。存命なら64歳。どれだけの本が出ていただろう。代わりがきかない人。
 ミュージアムショップで持っていない文庫本三冊購入。日かげを求めて園内に出た。
「素晴らしい空間」
 さざ波にただよう睡蓮。
「クロード・モネの世界・・・」
 向こう岸の蓮は仏教をイメージさせる。か細い茎の先には水銀のような水を溜めた傘、蜂の巣のガトリングガン、極楽浄土の花がそれぞれ風に揺れている。池の中島には白鷺が二羽。時折、鯉が水面を波立たせ、アメンボが波紋をつくる。何もかもが絶妙なバランスでつり合い、動く絵画を作り出している。星野には申し訳ないが、文庫本は必要ない。
「さて」
 17:30。ここからなら熊本、長崎どちらでもアクセスできるが、気持ちの良い風の中にどこかしら易怒性を感じる。スマホユーザーではないので台風がどこにいるか見当もつかないが・・・。
「もう充分。逃げる」
 地図を開きリルート。すぐ高速では味気ないので秋月から行橋へのルートを選択。
 太刀洗のある交差点で久しぶりの感覚に襲われた。目の前の横断歩道を渡る地元の人たちの日常と、そこに迷い込んだ非日常の自分を、さらに違う自分が第三者としてみている感覚。この辺りは広大な平地に水田や畑が続き、走っても走っても山へ近づかない広島にはない地形。新鮮な景色が作り出した不思議観かもしれない。途中、嘉麻赤十字病院のとなりにある山田高校跡が気になった。夕食は香春のリンガーハット。待ち合わせをしたことはあっても店の中に入るのは初めて。
 行橋で金比羅神社の地蔵様と再会。もはや神でも仏でもなく、古老を訪ねる感覚。空を見上げた。
「白い・・・」
 左がわずかに欠けた真っ白な十三夜の月。バイクのフェアリングが月明かりを受け輝いている。時折薄雲がかかり、月暈(ハロ)が。少し右には土星とアンタレス。木星は沈みかけている。それにしても空が広い。地蔵の後ろには北極星。山の端ぎりぎりに北斗七星とカシオペヤ。二つを同じ空に見るのは久しぶり。母の状態が徐々に変化し、消耗性疲労で減る一方。フル充電とまではいかないが、少しだけ回復。月明かりで影を帯びた地蔵の表情は、なんとなく険しく見えた。
 動きの早い雲が風雲急を告げる。月が隠れた。
「今日中に帰ろう」
 22:12門司ICイン。白い月が右後方から行く先を照らしてくれる。0:26廿日市ICアウト。日付は72年目の原爆の日に変わっていた。

8.2 "What's Up for August 2017?"

7.30 "Without You"
 週初めは産休の同僚が連れてきた百日の女の子。今日は同級生~同期の生後5日目の女の子。理由なくパワーくれるわ。
 消える建物あれば生まれる命あり。8耐終わって夏ひと区切り。

7.28 "Tonight's Sky August 2017"

7.23 "漂う感情"
"MOTEL" 「最終章」
 3年ぶりの中国モーテル。シャンテ本郷の入口に乗りつけた瞬間。
「あ!」
 昼でもうっそうとしていた空間がやけに明るい。近づくまでもなく建物がなくなっていることに気付く。コンクリートの基礎に積み上げられた廃材は黒焦げに炭化しており、火事があったことが容易に想像できる。放火、もしくはその後の住人による火の不始末はある程度予想できたが、なんともいえない喪失感を感じた。
 在りし日の間取りを思い出しながら、当時1階の床だった基礎の上を歩く。あの死臭、じいさんの後ろ姿が懐かしくさえある。「不夜城」の文庫本はどこにいったのだろう。コンビニのゴミに埋もれた不潔な床は、ジリジリと照りつける真夏の太陽に殺菌消毒されていた。
 日没にはまだ余裕があるため近所の別荘地へ。この場所には40年前、サンパーク日名内というレジャー施設があり、母と弟と一緒に訪れた初めてのフィールドアスレチック。そのとき買ったロボットハンドが今でも家にある。こちらもかつての面影はなく、メガソーラーのあいだに点々と別荘が。恐らく当時からあったと思われる小さな池も、記憶とはつながらず。
 もう一つ。野呂山山頂にあった野呂山スピードパーク。50年ほど前サーキットがあり、レースが開催されていた。後にオートキャンプ場に変わったが、それも閉園になって久しい。左右までがっちりと固められたゲートが来るものを拒絶する。
 星降る展望台から川尻遠望。「セウォル」姉妹船「オハマナ」は変わらず係留。「ゆうとぴあ」と「えとぴりか」がいなくなっていた。
 「ゆうとぴあ」を検索すると、なんとシンガポールでドッグ入りしている。「えとぴりか」は現行船しか検索できず、国後島沖にいた。

7.16~17 "Light In The Dark"
 災害関連の本を読みあさっている。御巣鷹は85年、高3の夏休み。90年代初頭、意識せず周辺をうろうろしたことがあった。今思えば事故からわずか5年しかたっていない。一つ忘れられないエピソードが。御荷鉾林道へのアプローチで神流(かんな)湖の下久保ダムに立ち寄ったときのこと。堰堤の歩道にきれいにそろえてある靴一足を見つけた。すぐにダム湖を見下ろすが、何も浮いていなかった。90年9月7日の真夜中の出来事。
 新田次郎の「八甲田山死の彷徨」。00年、荷物を捨てバイクを捨てたどり着いた田代元湯が目的地だと思っていたが、実は田代新湯らしい。平和な現代では理解しかねる過酷な訓練。今でも真冬の天気予報で必ず出る豪雪地帯が舞台。
 最も驚いたのが吉村昭「三陸海岸大津波」。いまだ恐怖覚めやらぬ黒い波が、歴史上何度も繰り返されており、たくさんの教訓が客観的に記録されている。3.11を吉村が知ったらどう評価するだろう。
 あいだに「がむしゃら1500キロ」の再読をはさんで「ルポ精神病棟」。今後仕事に影響する内容をどうとらえるか。「新ルポ精神病棟」も購入済み。

7.16~17 "言ノ葉"
 先週に引き続き福岡、太宰府へ。東京展から半年待った「ラスコー展」。今にもまばたきしそうな4人と、自分が生まれる前に閉ざされた洞窟。太古から変わらない、「描く」という欲求を想う。
 痛みの目立つ財布を探しに博多阪急に立ち寄る。最後に博多駅に来たのは15年以上も前の五島か屋久島あたり。今使っているアニエスも天神の福岡三越で買ったもの。にぎわう雑踏には大陸の言語があふれていた。残念ながら探し物見つからず。

7.8 "Time Travel"
「すべて国民は、健康で文化的な『最高』の生活を営む権利を有する。」日本国憲法第25条改
 事前プラン。泊れる図書館「暁」~福岡市博物館~「赤崎水曜日郵便局」トークショー。鹿児島のむっちゃんにシェア提案も先約あり。気象状況考慮して日帰りミュージアムのみに縮小。4500年前のエジプトへ。
 11:24廿日市ICイン〜14:00過ぎ福岡市博物館着。そういえば広島には博物館がない。雨必至で家からレインウェアを着て出たが、一度ぱらっとした以外降られることはなかった。古賀SAでレインウェアオフ。
 着いてすぐ喫茶へ。会期限定のエジプトカレーと温野菜。デザートはザクロジュースとミルクプリン。全部エジプトにちなんだものだそう。お昼を我慢して引っ張ったかいあり。
 展示物についてはここに書くまでもなし。4500年前のエジプトの副葬品を博多で見られること自体奇跡に近い。やはり黄金のマスクと木棺は時を越えたオーラを放っていた。昔から思うところあり葛藤の中で先へ進んでいく。
 「発掘」と「盗掘」は何が違うのか。研究・公的所有=「発掘」、転売・個人所有=「盗掘」だとしても、墓あばきであることには変わりがない。莫大な費用がかかるのはわかるが、掘り出されたものが利益を生み、自分もそれをお金で買っているというパラドックス。面白いのは埋葬された時代にすでに盗掘にあっていること。王であり神であったファラオも恐れない古代のトレジャーハンター。彼らにとっては、大ピラミッドも単なる金銀財宝の山だったに違いない。ある意味人間らしい。
 忘れてはいけないのが常設展の「金印」。日本史で習う「漢委奴国王印」を知らない人はいないだろう。実物を目の当たりにし、その小ささに肩透かしをくらう。そしてすぐに修正。印鑑だもの。志賀島の金印公園には行ったことがあり、やっとつながった。印より上のつまみが何か気になって調べてみると、同じ疑問を持ってる人がいて笑う。蛇らしい。
 2時間半堪能して建物を出ると、外はサウナ状態。せっかく来たので寄る所はないかと路肩に寄せるが、西から嫌な雲が流れてくる。
「逃げる」
 17:23百道東ICイン。走り出してすぐ津和野ディナーを思い浮かび、空を見上げる。晴れ間あるが怪しさ持続。山口JCT、山陽道か中国道か。
「もたもたしてると追いつかれる」
 山陽道へ。次のプランを思いつく。
「今日始まった『LIFE』のレイトショー」
 20:00過ぎ廿日市ICアウト。23:45~広島バルト11。突っ込みどころ満載もISS舞台と真田広之が○。ハリウッドのディザスタームービーらしいエンディング。心筋梗塞になりそう。
 さて、次の時間旅行は11日以降で太宰府。2万年前のフランスへ。

 "Time Travel" Cover by GILLE
 これはすごい。驚いた。オリジナルの歌詞もすごいが、英語にしたことでメロディの素晴らしさが際立つ。鳥肌が立った。スピッツのもいい。

7.1 "What's Up for July 2017"

6.30 "Tonight's Sky July 2017"

6.21 13:23:42 "Summer Solstice"

6.20 "Clayman"
 夕方から雨予報のため近場のダートを視察。近くを通ったため憩の森に寄ってみると、これ以上ないくらい枯れていた。雨の日しか行かないので当然かも。今頃は流れが戻っているはず。
 6年ぶりの西平次は一部雨溝が深いところはあったが変わらず。阿弥陀山周辺は土砂崩れ通行止めの表示があったが、どこにもその形跡は見当たらず。助藤から玖島に抜け、最後はグラマーで遅い昼食をとって帰宅。すぐに雨が降り出した。
 昨夜もブックオフで3000円ほど古本購入。最近ハードカバーの呪縛に侵されている。108円で揃っている三部作より、200円で間が抜けているハードカバーを買ってしまった。持ち歩き、その後を含め、かさばるのはわかっているのに。春にオープンしたLECTの蔦屋書店に行ってみた。なるほど期待外れ。
 現在昭和45年初版本の「汚れた白球」を読んでいるが、違和感を感じずにはいられない。かたわ、ちんば、びっこが普通に使われているのは可。決定的に受付けないのが一人称が「わし」。性格もやんちゃ。映画化はかなり先になるが、ロバート・レッドフォードに「わし」は似あわない。アイリスの設定も映画の方がいい。解説が55頁もある。基本、原作に勝る映画はないと考えているが、これは例外。

6.15 "Rain"
 佐賀の「暁」に行ったあと地元でも泊れる図書館を探したところ、志和の「ほたる荘」(宿泊はない)がヒット。当時オープンに向け準備中。4月29日開館となり、足を運んでみた。
 「暁」に負けず劣らずの古民家。喫茶のみでレモネードと米ぬかクッキーを注文。クッキーはかなり微妙。正直なところ蔵書はかなり少ない。ただ入って真っ先に目に飛び込んできたのがムンクの画集で、一気に印象度アップ。読んでみたい本も何冊が見つけたので、雨の日プランとしてあり。
 帰りは宝積工場の自販機で休憩後、志和周辺を路上観察。府中のK's Burgerで昼御飯。そのまま船越周辺をうろうろ。ここ数年は目的地ありきだったので、意味のない徘徊は新鮮。見覚えのある風景だったり、入ったことない道だったり、これも小回りのきくCRF効果か。

6.12 "Whenever I'm Dreaming"
 倒木との再会で知った中ノ甲集落が心に残り、近年あまり立ち入ってない恐羅漢周辺を含めて再訪。
 戸河内のルフランで昼食。集落のメインストリートから県292で内黒峠越え。90年代中盤よく訪れたが、00年代に入って以降本当にごぶさた。標高が高いだけあって、気温14度と肌寒い。スキー場やキャンプ場周辺はまったくの無人ではなく、作業をしている人もちらほら。かつての記憶と現状を一致させたあと、横川(よこごう)に向かった。
 「陽のあたらない所」はすごいサイトだった。地元のマイナースポットを資料をまじえてレポートしており、なんともいえない説得力と臨場感があった。いつも更新を楽しみにしていたが、サイト主は12年秋、病気のため亡くなってしまった。ところが、4年後の昨年秋、自身の命日に新たな記事をアップして関係者を驚かせた。恐らく同世代、目の向けどころが一致していて、今年に入ってあらためてすべての記事を読み返した。死してなお強力な存在感を示す記事の数々。消えてしまう前にアーカイブしておく必要がある。それで今回、中ノ甲の検索ワードで記事がトップにヒット。近くの旧横川小を目的地に追加した。
 学校跡は新しい道沿いにすぐに発見。空き地の脇に草木に覆われた石碑が残っていた。あたりには木々に覆われた廃材が積み上げられている。言葉にできない切なさを感じつつも、すでに単なる自然と化した空間に人の営みを探し出し、勝手に増幅させているだけなのかもしれない。
 新道をトンネルで引き返し、旧道に入った。神様がいなくなって倒壊を待つばかりの神社、その少し上には明らかに建物があったと思われる石垣。神社の中で最後に時を示していたのは平成五年だった。ある廃屋の浴室には入浴剤の空き箱。家でも使っているバスロマンを調べてみると、14年に50周年を迎えたそう。意外に古い。襖には緊急連絡先を書いた紙が貼ってある。最後は高齢者が独居していたことが想像できる。母屋の屋根が落ちていて、大雪でも降れば倒壊するだろう。
 聖湖に出て中ノ甲林道へ。つい3日前に会ったばかりの「森の巨人」に挨拶し、中ノ甲橋に到着。クマ避けのため手を叩きながら周囲を探索する。明らかに人の手が入った地形と排水溝。木造家屋が自然に帰っていくとき、最後に残るのは台所と風呂場。昔の家屋は普通の石を礎石にして柱を立てていくので、建屋がなくなってしまうと普通の石と見分けがつかない。ここでも風呂場だけがかつての生活の痕跡を残していた。それにしても。
「恐ろしく不便な場所」
 ここに200人が住み、分校があったとはとても信じられない。ただ、比較的新しい伐採のあとが見受けられ、人の手がまったく入っていないわけではなさそうだった。「切なさを楽しむ」とは語弊があるが、遺構を求めて旅する理由にこの感覚を求めていることは間違いない。昭和30年代前半には廃村。「森の巨人」がまだ根を張っていたころ、行き来する村人を見守っていたのだろう。帰り道、林道脇に乗り捨てられた廃車が、切なさに追い討ちをかける。

6.9 "言ノ葉"
"Tree of Life"〜木の牧人〜
 1995年10月17日、中国山地の奥深くで巨大な倒木と出会った。当時はまだモノクロームフィルムの時代。コンタクト(135mmフィルム36枚を当倍に焼き付けたもの)を取り出してみると、22年前の「森」が記録されていた。フィルムはTri-X(トライ-X。コダックのモノクロームフィルム)。裏には使用した印画紙と露光データが殴り書きしてある。その5コマ目に、「森の巨人」が写っていた。急斜面から真っ逆さまに倒れ、あたかも両足を踏ん張っているかのような姿。最上部には、ちぎれた根っこが、まるでメドゥーサの髪の毛のような頭部を形どっており、人格を感じずにはいられなかった。数年後、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てきた「エント(木の牧人)」を見たとき、瞬時に思い出したのがこの倒木。22年後の今が気になり、新緑の森を目指した。
 6月9日14:00前スタート。旧松原小学校小板分校の玄関階段で昼食。90年代前半に閉校した校庭には、穏やかな時間が流れていた。久しぶりの樽床ダム/聖湖畔から中ノ甲林道へ。すぐにダートが始まる。誰も出会うことのない未舗装路を進むこと数キロ。
「いた!」
 22年後の森の巨人は、朽ち果てることなく立ち、苔むした両足の上には新たな木々が芽吹いていた。ただ、それもまだ親指程度の太さ。20年後は自分も70になる。新しい木は手首くらいの太さにはなっているだろうが、もうバイクに乗って見に来ることはできないだろう。けっして短くはない20年という歳月なのに、人と木の時間の概念がまったく違うことを見せつけられた。この小さな木の成長とともに「彼」の両足も腐り、いつか共倒れする日がくるだろうが、その頃には自分もこの世にはいないだろう。
 地図上行き止まりの台所原平の奥にも道が続いていたので先へ。途中展望が広がる場所があり、まだまだ新緑のきれいな山なみを望む。ヤブこぎの廃道になったあともしばらく前進するが、しだいに深くなる草木が「もう帰れ」とささやく。アクセルターンの半円を残し、引き返した。
 千代田の彫刻村の現状が気になり、県北を東へ横断。途中、旧雄鹿原小学校空城分校で休憩。集会所として使用されているらしく、きれいに整備されている。
 彫刻村は駐車場を造成中で、グランドゴルフがどうとか。それで人を呼べるのだろうか。もう10年以上閉園していたが、開園準備中との札も立っている。自然と一体化した彫刻たちがもったいない。この園の時間は悠久の木のサイクルと似ているので、期待せず待ってみよう。
 帰りは深くえぐれた雨溝や川渡り、フープスまである彫刻村林道、さらに南原林道をつないで帰宅。ちょっと出のつもりがダート3本と廃校3校というハード行程。ほどよい脱力感。
 帰宅し、中ノ甲林道で検索すると、「陽のあたらない所」がトップでヒット。なんと、あの奥深い山の中に集落や学校があったとの記事ありけり。驚くと同時に、もう更新されないことが残念でならない。他の資料で、昭和16~17年頃の最盛期には70世帯、210名が住んでいたとある。山また山の現状を目の当たりにし、にわかに信じがたい。再訪しなくては。
 ついに1ヶ月後に迫った九州国立博物館「ラスコー展」。テーマ曲が秦基博の「言の葉」と。「なんで?」って感じは否めないが、新海誠の水の描写にあらためて感動。「言の葉の庭」、切ない映画だった。

6.6 "ISLE OF MAN"
 古本の世界にどっぷりとつかっている最近。特に印象に残ったのは「シューレス・ジョー」(映画「フィールド・オブ・ドリームス」原作本。既読)1985年初版と、「汚れた白球・自然の大器」(映画「ナチュラル」原作本。未読)1970年初版。小口の日焼けやしみが誇らしくさえある。「シューレス・ジョー」の小口にはスタンプの形跡が残っていて、研磨され判読できない。出所の怪しさを疑いつつ、訳ありの古傷のような懐かしさも。出版から32"歳"。いろいろあっても不思議ではない。「汚れた白球」にいたっては弟と"同い年"。価格280円。ISBN(国際標準図書番号)の記載もない。
 おりしもマン島TT開催中。ふと思い出し、「マン島に死す」購入。こちらも1987年文庫本初版。実はこの本を買うのは2度目。ほろ苦い思い出を呼び覚ます忘れられない一冊。
 去年NHKで、「旅をする本」のドキュメンタリーを見た。星野道夫の「旅をする木」の"木"に横棒を一本入れ、「旅をする本」となって世界を旅しているという。番組では研究者の手に渡り、南極・昭和基地到達。北極を目指すところで締めくくられていた。星野道夫の人生ともリンクし、冒険家の域に達した一冊。
 2008年頃、浮谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」に旅をさせた。渡ったのは当時の同僚二人と北九州の友人一人。裏表紙に二人のサインが残っている。もう交流のない3人だが、記憶に断片にはそれぞれの笑顔。今は手元に戻り、既読本の山に埋もれている。
 昨日買った「マディソン郡の橋」の後日談「マディソン郡の橋・終楽章」には、何も書かれていないホテル大阪ベイタワーのメモ用紙がはさまっていた。
「栞?」
 家でも同じ頃に行った美術館の半券を栞に。自分が読んだ時期が、印象に残った絵とともに記憶される。ページをめくれば、無意識にこれまでの所有者の痕跡を探している。作者への還元を考えれば新刊を買うべきだが、この楽しみは捨てがたい。出会い、そしてこれから。すべての本は、「旅する本」なのかもしれない。

6.4 "Follow Me Under"
 九州のライダーたちが、宮島から鹿野に抜けるというので観音茶屋で待ち伏せ。最後尾スタンディング、高い目線から、まるで蛇のおもちゃのように流れていくヘルメットを追いかける。4年近くのブランクを感じさせない元気な面々。そもそもこちらがこの世からいなくなりかけたという。さて、次回はいつになることやら。

6.3 "What's Up for June 2017"

5.28 "Tonight's Sky June 2017"
 10Rになかなか火が入ってないのでいまだやったことがない1区間ツアーを実行してみた。五日市ICに入ってすぐ路肩に寄せ、反時計回りを選択。めったに走ることのない中国道吉和IC以西。眼下に望む一般道を走ることが多い。なじみのないSAやPAも新鮮。
 走行距離300km強、所要時間ジャスト4時間。一つ行き過ぎた広島ICで降りると、当然のごとく270円。気が向けば500kmある岡山まわりも検討してみよう。

5.23 "Ride On Kentucky Kid"
Nicholas "Nicky" Patrick Hayden
1981.7.30~2017.5.22

5.22 "The Book of Love"
 去年SLに熱中してからごぶさたのピノ・ロッソ。シェフの向上心にはいつもながら刺激を受ける。ウェイトレスさんが、大学時代過ごした街に関わりあり盛り上がる。
 ベスト20冊にあげた本のうち、唯一持っていなかった安野光雅「天動説の絵本」を安野美術館で購入。
 行き帰りの風景が美しすぎる。やわらかな日差し、ヴィヴィッドな新緑は、まるでベルビアの世界。走っているだけで気持ちいい。気になっていた脇道を数本探索。
 帰宅し、夕暮れベランダ文庫で「天動説の絵本」を開く。昨日望遠鏡で覗いた土星を思い出した。視野の端にとらえても、わずか十数秒でフレームアウトしていく。
「やっぱり天が回っている」

5.21 "yama"
 今日も夕暮れベランダ文庫。尾道「紙片」で買ったピアノをBGMに、同じく「紙片」で買った一冊「夜旅」。
 「旅の夜」ではなく「夜の旅」へ。共感するフレーズが随所に。さて、このあと「夜の旅」に出発しますか。
 土星が見ごろ。

5.20 "Etre Ensemble"
 これまで意識せず訪れた旧可部線の駅を確認してみると、意外にたくさん回っている。今日はまだ訪ねたことのない殿賀と木坂。
 旧殿賀駅の目の前にはグリュックスシュバインというドイツのハム・ソーセージ屋さんがあって、夜勤でずれた昼食を期待したが、露天販売はお休み。仕方なくパックのハムをつまむ。殿賀駅はよく整備されていて、レールも残っている。高台で景色も良い。ノスタルジック。
 旧木坂駅はR191から見えるためいつでも来れると今日まで。ここも高台で景色がいいが、この間の今井田と同じく待ち合いにはバリケード。レールはなく軌道は草ぼうぼう。センチメンタル。
 珈琲屋「木小屋」に寄ろうとR433に曲がる。R71走行中、そういえばまだCRFでダートを走ってないことに気付き、恵下谷林道へ。ここも15年は来ていないのでは。新道建設中。30年位前、恵下に一軒の廃屋があったが、この歳月では倒壊確実。分岐もわからなかった。新道のルートなのかも。
 「木小屋」はスルーして観音モスから出島へ。前回来た時、隣りの屋根付き駐車場解体中。今日はもう更地になっていた。

5.18
 GPライダーは公道で死ぬべきじゃない。

 「蜂蜜と遠雷」読了。尾道の「紙片」で出会ったCDがこれ以上ないBGMに。

5.17 "The End"
 2年越しの定期受診がついに終診。
 今日も「蜂蜜と遠雷」。読みたくてしょうがないという気持ちと、読むのがもったいないという気持ちに揺れる。心地よい葛藤。

5.16 "Goldberg Variations"
「ベランダ文庫・・・」
 中休みの午後、気になっていたメルシィというカフェへ。
「こんな近くにこんなお店が」
 頻繁に通る道で、元々果物屋さんだった。リニューアルして1年半という。自分の観察力のなさに落胆する。果物屋さんのパフェがおいしくないわけがない。そして壁にはたくさんの本。とりあえず背表紙にご挨拶だけ。開かないといても立ってもいられない一冊を持参していた。
「蜂蜜と遠雷」
 今年の本屋大賞、および直木賞受賞作。ダブル受賞に納得の冒頭、厚めのハードカバーにもかかわらず持ち歩いている。
 17:30が閉店、深夜から仕事のため帰宅するが、先を読みたくて仕方ない。キャンプ用リクライニングチェアーと珈琲、窓を開けてバッハを流し、再びページを開いた。家のベランダは比較的広く、東を除く三方が望める。
「青空文庫」
「目からウロコ。ベランダがこんな素晴らしい場所だったなんて」
 徐々に暗くなり、物干しの洗濯ばさみにヘッドランプを吊るす。部屋からはレオンハルトのゴールドベルグ・バリエーション。
「星空文庫」
 次の演奏は亜夜だが、そろそろゆめマートが半額になる時間。
 「メルシィ」、「蜂蜜と遠雷」、「ベランダ文庫」。世紀の大発見だ。

5.14 "home"
 読書、映画、美術館と、ここのところ文化的活動が先行。そこへ距離を加えて自分らしい旅に仕立てる。
 14:18志和ICイン、尾道古本屋めぐりへ。半分をブルーシートに覆われ崩れかかったガウディハウスから「ホホホ座」。1階で卓球をしていた女子に聞くと、残念ながらお休みとのこと。とても細い道の奥にありアドベンチャー気分。いくつか店舗が入った雑居アパートという感じ。機会みてリトライ。
 歩けば大汗、アーケード街にある「CAFE COYOTE」のアフォガードでクールダウン。次に寄ったのは「あなごのねどこ」奥にある「紙片」。古本だけでなくCDも置いてある。2013年瀬戸内国際芸術祭の空間音楽として使われたという自主制作っぽい音源を購入。瀬戸内の小さな島の小学校に眠っていたアップライトピアノを使って録音した24の小品集。ピアノの音色はそれなりだが窓から聞こえてくる周囲の音がすごい。「夜旅」という本を購入。
 もう一軒立ち寄った弐拾dbという古本屋さんも臨時休業。これも次回へ。
 志和の古いバスがなくなっていた。最後に2000年初頭仕事をしていた会社に寄って終了。行きは高速、帰りは一般道で無給油ワンタンク。

 たった今、シネマ尾道のツイッターで、尾道駅舎が取り壊されることを知る。

5.13 "Man Of The 80's"
 今日観た2本は両方とも理解できず。久々の舞台挨拶は最前列中央。本編の濡れ場を観てすぐ現れた本人に不思議な気分。近所の中高出身ですれ違っていたかも。

5.12 "Thunderstorm and Rain"
 半期にあるかないかの3連休も行程の半分以上が雨予報では遠出回避。今夜はずっと放置していた憩大改修と久しぶりの自販機など。

 22:30スタート。塩ビからの流れは途切れ、すべての貯水槽に土砂が溜まっていた。手順は確率。まず下の貯水槽の栓を抜いて塩ビを外しておく。上に上がり、最上部の砂防ダムを二つ建設。上部貯水槽の水を抜いて土砂を取り除き、元通りに作り直す。下に下りて底のヘドロを流し、塩ビをセット。しっかりした雨が降っているため、貯まりも早い。
 下の滝つぼの上に溜まった枯葉を除去。滝つぼの底をさらい、深さを確保。以上で作業終了。上に戻って下部貯水槽を確認。濁った水は入れ替わり、清流が復活していた。煙る霧の粒子、オレンジに輝く路面、至福。

5.11 "The Journey/It's Easy"
 鹿児島、佐賀、軽井沢の天気をモニタリング中。土曜はどうあがいても雨っぽい。

5.7 "風のとおり道"
 珈琲屋「木小屋」に入り浸り。代掻き前の田んぼは泥島の多島美。その島伝いにセキレイが遊んでいる。そこへトラクターが。あっという間にウユニ泥湖が出来上がる。行き場を失ったセキレイはどこかに消えてしまった。
 不明峠(あけずだお)から吹き降ろしてきた強風が水面を撫で、激しいさざ波をたてながら奥の竹やぶに抜けていく。
「風のとおり道」
 次に来たときには田植えが終わっているはず。窓枠は額縁。まるで展覧会の絵のような午後。

5.6 "One of Life's Mysteries"
 4/10、公開3日目で観に行った"LION"。原作を読むのは必然の流れに思えた。同じ思いの人は多いらしく、ずっと在庫切れのまま。毎日チェックして、今週やっと手に入れた。届いた本には、元々のカバーに加え、映画PRに2重のカバーが付いていてうれしい。ニコール・キッドマンは同い年でずっと好きな女優。
 読み始めはおとといの通勤電車。昨日帰りに旅が動き始め、止まらなくなった。夕食も忘れて一気に読了。今も余韻が消えない。
 映画は感情をメインにとらえていたが、原作ではルーツ探しの旅がスリリング。当然映画にはないエピソード満載で、思い出しただけでドキドキする。
「Google Mapで旅する"ジネストレイ"」
 原作を読んだ人の多くがやってしまうはず。給水塔やダム、舞台となった駅を見つけ、その周辺を散策した。
 物語はここ10年以内がメインの実話で、鉄道がキーなのがタイムリー。インドの闇からも目を背けられない。自分がそのころ何をしていたか考えてしまう。今から40年以上前、まだ小学校に上がる前、父と弟と一緒に宮島に行き、迷子になったことがあった。子ども心に「ここは島なので必ず港にくるはず」と考え待っていると、父と弟が現れ安堵した記憶が残っている。ストーリーと同じく、一人で電車に乗ってしまったことも。市内路面電車だが・・・。思えば迷子になったこと数知れず。視野が狭く、気になったものに突き進む性格は今も変わらない。
 原題が"A LONG WAY HOME"。00年代の10年間、自分のサイトのタイトルと同じ。また一冊、素晴らしい本と出会った。

"LION" 25年目のただいま

25年目の「ただいま」
5歳で迷子になった僕と家族の物語 静山社

5.3 "青いスタスィオン"
 三江線つながりで、家からいちばん近い廃止駅(1時間かからない)、旧可部線「今井田駅」に行ってみた。
 03年可部〜三段峡間が廃止。この3月、廃止された2区間が復活したというニュースが記憶に新しい。駅名を整理しておくと。
旧駅名(03年廃止)可部〜河戸〜今井田〜安芸亀山
新駅名(17年延伸)可部〜河戸帆待川〜あき亀山
 新終着駅のあき亀山駅は、旧今井田駅と旧河戸駅の間に新設され、その中間に河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅が作られたとのこと。
 最初にあき亀山駅に寄ってみた。当然新しくて、終着駅のためエンドレールが印象的。人はまばらだが、今後、安佐市民病院が開業すれば乗降客も増えるはず。
 今井田駅は、おニャン子クラブ・河合その子の「青いスタスィオン」のPVに登場していることで有名。(3:23に駅名あり)弟がファンだったのでよく覚えてる。この曲は、おニャン子で売り上げ1位らしい。
(31年前ですか・・・)
 バリケードで封鎖された待ち合いには、もう河合その子とは判別できない色あせた写真が貼ってある。ついさっき見た新しくてきれいなあき亀山駅が浮かび、あまりの違いに胸が苦しくなる。
(三江線の秘境駅もいずれ・・・)
 ウグイスの鳴き声が、やけに寂しい。

5.2 "おはようおやすみ"
 90年代初頭にはすでに廃線に興味を持っていて、「消えた鉄道」、「失われた鉄道を求めて」(初版)を読み、いにしえの路線に思いをはせた。
「2018年4月1日、三江線全線廃止」
 08~09年頃、毎週水曜日のトイレ休憩は式敷(しきじき)駅。秘境駅も多く、宇都井駅(うづい)や長谷(ながたに)駅はお気に入りの場所だった。わずか108kmを片道4時間かけ旅する。のぞみなら東京まで行ける距離。モコモコの新緑と、車窓から見た江の川の流れをを目に焼き付ける。
 来年桜が咲くころ、当たり前の風景は思い出に変わる。

5.1
"What's Up for May 2017"
"Tonight's Sky May 2017"

4.21 "コーヒーハウスにて"
 2年前NHKのドラマで知った池永陽「珈琲屋の人々」の原作読了。まったく別件、FBコメントから思い立ち、数年前から気になっていた戸山の「木小屋」を訪ねた。
 看板は一切なし、木でできたシンプルな店内。メニューはなく、ローストの浅炒り、中炒り、深炒りだけ聞かれる。注文を受けて豆を挽き、ドリップポットで注がれるお湯。「珈琲屋の人々」のシーンがよみがえる。小さめの真っ白なカップ。
「ケニアの珈琲です」
 カウンターの少し離れたところで年配の女性が本を読んでいる。流れているのは心地よいバロックの調べ。
 帰り際にマスター。
「初めてですね」
「以前から知ってたんですがやっと来れました。素晴らしいお店です。常連になります」
(もっと早く来ていればよかった)
「本と珈琲とクラシック」
 これ以上ない相性。旅履歴、通し番号付きのお店がまた一つ増えた。

 珈琲ですぐ浮かんだのは高校時代に聴いていた相曽晴日。いつだったか今日の一曲に挙げたことも。探せばカセットあるはず。懐かしい。

 久しぶりの憩の森は変わらず。メインテナンスはまた次回。

4.15~16 "夜桜~yozakura~"
「雨 のち ひらり」
Day1
 4月唯一の連休。ずっと雨だった週間予報が晴れに変わった。
 12:53青空の広島ICイン。14:00八幡PAで昼食後、走り出す直前に雨が降り始める。白バイがあわてて入ってきて雨支度。走行中出会うと敵だが、個で接すると丁寧な敬語を使う感じのいい警官だった。レインウェアや装備について面白い話が聞けた。
 空には激しい稲妻、松山へ向かうという安佐南区のCB1300と、雨があがるのを待つ。ゆったりと波紋を数える贅沢な旅。目的地はいくらでも変更可能、急ぐことはない。
「今ですね」
 1時間後、CBと意見が一致。念のためレインウェアの上だけ着てリスタート。
 因島・大浜PAでレインウェアオフ。順調に距離を伸ばしていたが、大島南ICを過ぎたあたりで来島海峡大橋の向こうに稲妻が多発しているのが見える。雲は東に流れ、今治はグレーの雨に包まれている。たまらず馬島バス停に退避。
 雨は一時弱まったが、しばらくして激しさを増し、気持ちの良いくらいの暴風雨になった。バス停のアクリルの壁にもたれかかっている背中が、風を受け強く押されるのを感じる。すかさずバイクの向きを確認。17年前、稚内森林公園キャンプ場を出来事を思い出した。スタンド側、左から風を受けたバイクが何台も倒れていた光景。初めて遠出に出たCRFは、いきなり自然の洗礼を受けているが、思い切りのいい悪天候はワクワクさえ感じる。
(新生児の予防接種みたいなもの)
 酷使するパートナーと出会い、ストレス耐性の高いマシンになるはず。このバス停は5階建て構造になっており、馬島に上陸することができた。1階には仮設トイレが並んでいて、近くに民家は見えない。高速道路は駐停車禁止なので、雷雨にあわなければ来ることはなかっただろう。こういう出会いが本当に楽しい。
 さて、今回の第一ターゲットは高知、香我美の「長平の碑」。鹿児島の友人むっちゃんがFBで「いいね」していた泊まれる図書館「暁」。そこで出会った吉村昭の「漂流」。帰宅してすぐに新品購入し、あっという間に読了。江戸時代、高知の船乗り長平が海で嵐に遭い、鳥島に漂着して生き抜いていく物語。その生命力を感じたくなるのは必然。どこかの東屋で野宿を考えていたが。
(今日はこちらが漂流しそうだ・・・)
 マップルを開いてリルート。ここのところ仕事が大変で体力を消耗しており、撤退する勇気を発動。19:25今治ICアウト、19:52今治湯ノ浦ICイン、22:12三島川之江ICアウト。ICを出てすぐの「スーパーホテル四国中央」にチェックイン。ロフト付き8000円台の部屋を5000円台で提供してもらうが、使うベッドは一つ。ロフトがあることでむしろ狭く感じた。濡れた装備を引っ掛ける場所がたくさんあるというメリットがあったが。
 第二ターゲットは剣山山中。久しぶりのヨサク(R439:日本屈指の酷道。)はCRF処女航海としては申し分ない。明日は晴れ予報、良いスタートが切れそう。

Day 2
 快晴。R11~R192~R32~県45~県32、そしてR439。ヨサクは3月に横切りはしたが、剣山へ向かうのは何年ぶりだろう。前半は中速コーナーで4速5速、峠越えは低速~中速のくねくね2速3速で慣らしにもってこい。高速道路6速ホールドで距離を延ばしても慣らし運転にはならない。すべてのギヤをまんべんなく使ってこそ意味がある。そういえばCRFを購入したドリームの店長が面白いことを言っていた。
「500kmまで5000回転以下、以降100kmごとに1000回転ずつ開けて、1000kmの初回点検では全開で来てください」
 思わず吹き出した。
「タコ付いてないのにそんなシビアなコントロールできませんから(笑)」
 それでも今治の最終給油で積算距離580kmだったので、気持ち開け始める。これまで早めのギヤチェンジで燃費30km/L台前半。峠越えの燃費が少し気になったが・・・。
 この旅のメイン。
「奥祖谷観光周遊モノレール」
 去年秋にその存在を知って、待ち焦がれた場所。
「一度乗ったら65分止まらない」
 モノレールとは名ばかりで、広島ではみかん山によく見かける運搬用のモノレールに毛が生えたようなレベル。ところがそのスケールが半端じゃない。最頂標高1,380m、スタートからの標高差590m、最大傾斜角40度、全長4,600mで、所要時間約65分。最高所は広島県最高峰の恐羅漢(1,346m)を越え、標高差は黄金山(広島市内)の3倍近くを一気にかけ上がる。
(これですか)
 予想通りルーズなつくり。現物を目の当たりにし、思わず笑みがこぼれる。事前のレクチャーが想像を超えた。
「故障した場合は復旧に2〜3時間かかりますが大丈夫ですか」
「ここまで来たんでもちろん。いちばん最近のトラブルはいつですか」
「去年かな」
「降りて歩いて戻れないんですか」
「はい」
 とかく規制が厳しいこの世の中で、この運営は素晴らしい!実際今稼働中の先頭車が不調で、戻ってくるのに時間がかかっているらしい。待つこと30分、ついに順番が回ってきた。不調だったマシンはそのままドッグ入り。乗るのは二人乗りのカブトムシ。動力はマシン個々で調子の良し悪しがあると。不具合があった際の連絡のため、トランシーバーの使い方から始まる。
「動かなくなったらこれで連絡してください。
「止まるときはこの赤いボタンを押してください」
 ちょっとした機械に付いているよく見かける非常停止ボタン。
「もし前のゴンドラが止まっていたら5m手前で止まってください」
「レールに番号があるんで場所を教えてください」
「止まらないことありますか」
「そのときは追突して修理に2~3時間かかります。」
(最高!)
 スタートしてすぐにかなりの斜度に。下りのレールと並列になっていて、時折帰ってくる人とすれ違うが。
(止まってる)
(次、来てる)
 しばらくして、トランシーバーが鳴る。
「○○番止まりました」
 さっきすれ違ったお客さんのよう。
「場所は何番ですか」
「○○○○です」
「了解です、行きます」
(行きますって、登山ですか)
 ニヤつきを我慢できない。再びトランシーバーが。
「○○番、前のゴンドラの5m手前で止まってください」
「了解です」
 あの後すれ違った数台が足止めのよう。下りのトラブルをよそに、自分のカブトムシはたんたんと上っていく。展望が良いわけでもなく、山の中をゴトゴトと。傾斜に合わせて自動的にいすが3段階にリクライニングする。いつしか下りのレールと別れ、本当に山の中に独りになる。前後に他のゴンドラの姿は見えない。
(楽し過ぎる)
 最高所ではわずかに展望が開け、剣山を望むことができる。どのくらい時間が経っただろう。またトランシーバーの声が聞こえてきた。
「○○番、非常停止ボタンを回してスタートしてください」
(今ですか)
 すれ違った何台もがこれだけの時間復旧待ち。
(65分以上楽しめたのでは)
 女子もいたがトイレの心配などしてみる。下りの急傾斜ではリクライニングしてもつんのめるほど。頬をなでる風に気持ちよくなり、ついうとうとしてしまった。
 上りで対向車止まっていた場所は何事もなく通過。トラブルなく戻れた。65分という時間は、長くもなく短くもなく、ほどよい森林浴。
(期待以上の楽しさ、近日リトライ)
 剣山を越え、春の阿波おどりイベント「はな・はるフェスタ」へ。

「ガソリンスタンドは2軒ありますが日曜は休みです」
 とはモノレールに隣接する「いやしの温泉郷」のスタッフの話。燃料計のバーはあと一つ。今から25年前、KDXで剣山スーパー林道を走破したとき、予備の携行缶を持っていたのを忘れてはいない。池田での給油も考えたが、CRFの航続距離を信頼。今回は林道に入るわけでもなく、徳島市内に抜けるだけ。ただ、登りのワインディングではまだ納得のいく燃費データを持っていない。
(行けるのか?)
 F TRIPから50~60kmは走るはず。峠を過ぎれば下るだけ。最悪エンジンを切って、タイヤと路面がつむぎだす音に耳を傾ける。
(GO!)
 納車後CRFに施したカスタムは。
・左ミラーは取り外して右ミラーを可倒式に
・急所が当たるクロスバーにバーパッド
・ハンドガード装着のためオープンエンドグリップ
・ハンドガード。冬は風よけもかねてハンドプロテクター
・転倒時の折れを防ぐため可倒式シフトペダル
・リヤキャリヤ
・昔ZZ-Rに使っていた手作りのETC配線を移植
 見た目のドレスアップは興味なく実用的な変更のみ。4スト23psという出力は正直パワーを感じない。ただ、2スト40psパワーバンドの圧倒的なピークパワーは、時を経て美化され、おそらく一生忘れることはないだろう。受け入れていくしかない。空冷でとてもスリムだったTrickerと比べ、シュラウドの張り出しが大きくスタンディングで足のおさまりが悪い。250オフ車にデジタルパネルと燃料計は違和感をぬぐえない。便利なんだろうけど。不満はそのくらい。あとはHONDAらしく可もなく不可もなく、オン寄りの設定も今の乗り方にあっている。実際ダートに入るにしても、ほとんどの行程を舗装路をつないだ上でのこと、未舗装路だけを走り続けられる場所は、クローズドコースを除いて今の日本にはない。
 そのデジタル燃料計がいつEMPTYになるのかハラハラ。積算距離はすでに700kmを越えているが、ドリーム店長の言うプラス1000回転開けは忘れ、燃量節約に徹する。峠には意外に早くたどり着いた。
(ひと安心)
 ガス欠の心配から解き放たれ、意識はまわりの絶景に向けられる。
(山深い・・・) 
 剣山山頂付近の山ひだには雪渓。頭の中に「あはがり」が流れてくる。
「深い山に分け入る」
 ジムニー、バイクに乗り始めた原点。路肩に寄せしばし見とれる。工具を取り出し、クラッチを少し握っただけで切れるよう調整。
 ふもとに降りてきた。もうガソリンの心配はなく、可能な限り引っ張ってデータを取る。遠くには見慣れた眉山(びざん)山頂のパゴダが見えてきた。いつしか「あはがり」はフェードアウトし、「阿波よしこの」に変わる。結局給油は徳島市内。TRIP238.6km、給油7.16L、燃費33.32km/Lでまだ500cc以上残っていたことになる。
 いつものあわぎんの駐輪場にバイクをとめ藍場浜へ。最終組水玉連の演舞が終わろうとしていたが。
(トリハダ)
 女踊りの繊細な指先とアンプを通さない鳴り物、ぞめきのリズム。何度来ても変わらない感動。演舞はすぐに終了したがこれで充分、次は夏の本番だ。軽い離脱症状を感じながらイベントステージへ移動する。
(なに?!)
 今度は激しいピアノとパーカッション。どでかいキーボードがダンパーで縦にそそり立っている。→Pia-no-jaC←(ピアノジャック)というユニットらしい。パーカッションのMCが絶妙、間髪いれず客を煽り立てる。素晴らしい!アンコールの余韻に浸りながら今回の旅の目的を達成した。
 夕食はお約束のコインスナック御所24。レトロ麺類自販機と仁鶴のボンカレー自販機で空腹を満たす。
 帰りに出会ったのがこの桜。夕日にはらはらと散っていく光景に、誘い込まれるようにバイクを乗り入れた。今年生まれて半世紀。見物客でごった返す満開の有名桜もいいが、道端の桜が人知れず散りゆく儚さに心奪われる。
(バイクで見に行く桜はあと10回?20回?)
 そう考えるとすでにカウントダウン。
「よろしくCRF!」
 慣らし運転終了、タンクを2度叩く。

「雨 のち ひらり」

 次の旅が待っている・・・。

"ひらり"

4.15 "Starved Of Guidance"
 仕事上危害を加えられる恐れがあるためここに記す。

4.4 "本当の音"
 NEWマシンのシェイクダウンで島へ。お彼岸に行ってなかったことを思い出し、手ぶらのついで参りで近況報告。11基ある墓石を撫でるだけだが、理由はどうあれ、子孫がやってきて喜ばない先祖はいないだろう。
 そのまま陀峯山へ登る。一年で今だけ、「ここにいるよ!」と主張するはぐれ桜たち。
 ほどなく山頂に到着。マジックアワーをゆっくり楽しむのは久しぶり。大竹あたりに日が沈み、大黒神の海が赤く染まる。一等星が、ひとつ、またひとつと現れ、瞬き始める大好きな時間。薄雲の天頂には七夜の半月。プロキオンとポルックスの中間に位置してる。時折岩国を離発着する航空機の爆音が聞こえる。地面に寝転がった。
(月暈・・・。)※つきがさ
 けっしてクリアじゃない空が代わりにくれたプレゼント。円の中を次から次へと飛行機が通過し、直線が引かれていく。
(φファイ?)
 まるで数学の世界。
「あっ!」
 飛行機が月を通過し、ジェットの航跡が浮かび上がった。
(すごい!こんなの見たことない。)
 写真を撮ろうとしたが、使い慣れてないカメラと三脚に手間取っているうちに、指がシャッター触れた。写っていたのはボケボケの一枚だけ。写真はこれで十分。肉眼で見る空に勝るものなし。
(何時だろ?)
 時計を見るともう20:00過ぎ。1時間半も転がって夜空を見ていたことになる。明日仕事なのに。
 CRF250Lのスタートは最高のナイトライド。これからどんな景色を見せてくれるだろう。よろしく。

4.3 "COSMIC SURFIN'"
 大昔、テレビでよく懐メロ番組をやっていた。演歌とか、古賀政男とか、子供心に「自分が歳をとったら演歌を聴くようになるんだろうか、いや、絶対ならない」と思っていた。
 時は流れ、先日、YMOの『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』を買った。小6から中1あたりで熱狂したサウンド。中でもこの曲、特にアルファレコード45回転ドーナツ盤シングル「ライディーン」のB面に入っていたこのバージョンがもっとも好きだった。40年たってあらためて聴き込んでみると、真っ先に感じるのが細野のグルーブ。ほぼ主役の高橋のハイハットは精密機械のよう。その宇宙を波乗りする坂本のメロディ。面白いことに近年宇宙に傾倒し、通勤帰りですら夜空を見上げ、「コズミック サーフィン」している。
 生まれて半世紀目前、自分にとっての懐メロはこれだと気付いた。ただ、この映像を見過ぎると飛び跳ねている矢野顕子の姿しか思い出せなくなる。
 「キャスタリア」と「ビハインド・ザ・マスク」が聴きたい。レコード持ってるけど、CDの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を手に入れよう。もちろんスタジオバージョンの「ライディーン」と「テクノポリス」は必須。

※「ビハインド・ザ・マスク」
 「キャスタリア」と「ビハインド・ザ・マスク」が聴きたい。レコード持ってるけど、CDの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を手に入れよう。もちろんスタジオバージョンの「ライディーン」と「テクノポリス」は必須。
 後にエリック・クラプトン、マイケル・ジャクソンもカバー。スリラーに入る可能性もあったらしい。
 クラプトンとMJ。この事実に鳥肌が立つ。

"Behind the Mask"
YMO
Eric Clapton
Michael Jackson

 偶然ヒットしたこれに驚いた。
ファミコン3台でBEHIND THE MASKを演奏してみた
ピコ太郎「PPAP」×YMO「Solid State Survivor」
野々村RYDEEN太郎

4.2 "COSMIC SURFIN'"
"What's Up for April 2017"
"Tonight's Sky April 2017"

 目先に上がっている今年度ターゲット。
三江線全線乗車
肥薩線秘境駅
奥祖谷観光周遊モノレール
HOPE3
白沢峠トラック~軽井沢~小串硫黄鉱山跡
九州国立博物館「ラスコー展」
京都鉄道博物館
「暁」再訪

 はな・はるフェスタはちょうど休日がはまった。今車では「ぞめき」のリズムがヘヴィローテーション。

3.28 "Never Look Back"
 '05 YAMAHA TRICKER。製造から12年、乗り出して7年。ODO34,597km、実走21,745km。少し前から弱っているなと感じていた。昨日初めて今のオフロードマシンをあたってみて、あらためて選択肢のなさに驚く。
 バブル〜90年代中盤、レースにそのまま流用できる250cc2スト。4ストツアラー。トレッキング車。200ccクラス。トライアル車、FTRやTWなどマニアックなものを含めて個性あるマシンがあふれていた。カラーリングも贅沢で、スーパーシェルパなどはタンクの左側が日の出、右側が夕日のアンシンメトリー。停まっているのを見つけると、その美しさに必ず目を留めた。
 先日のモンキー(同い年)の製造中止などは、あのヤクルトのボトル程度の小さなシリンダーから、日本全国すべての登録車合わせてどれほどの環境破壊が起こるのか調べてほしいくらい。いや、排ガス規制は口実であって、売れないのが本音だろう。
 TRICKERは面白いマシンだったが、致命的なのがタンク容量の少なさ、タイヤの選択肢のなさ、最低地上高の低さ。山中アタックでは常にフルサイズ250への欲求を感じていた。
 年間走行距離の半分近くをリッターバイクで走っていても、自分の中ではセカンド。ファーストはもちろん250トレイル車。
「ダートを走れない乗り物に興味はない。」
 リッターバイクに乗り出す前に豪語していた言葉。自分のルーツはジムニー〜林道〜オフロードバイク。心はいつも奥深い山の中にある。出会いを感じるマシンを見つけた。決めてはいないが、念のため印鑑を持参で見に行ってみよう。

 印鑑を持って行ったのでその気はあったが、あれよあれよと契約。最初は車で行ったので、一度帰宅してTrickerに乗り換えて査定。かなり程度悪いのに下取り3万に。今月中に納車扱いにするとキャンペーンで3万引き。そうなるとTrickerを今月中に廃車にしないと自動車税が2台分かかる。ろくな別れもせず置いて帰ることになった。7年と3ヶ月。制約が多く、ジャンル分けできない特殊なバイクだった。記憶に残る遠出は長崎の生月、隠岐西ノ島あたり。崖から落ちたり、重大な事故に遭ったりもしたが、それを補ってあまりある風景を共有した。
 さて、CRF250L。乗り出し419,000円。候補だったKLXが600,000円を越えることを考えると破格。1年型落ちとはいえバイクでは実に23年ぶりの新車となる。フルサイズ250としては初めてのHONDA車。「こんなに大きかったっけ?」はっきり行って10Rよりでかい。まだ公道を走っていないが、セスナからハリアーに乗り換える感覚。タンク容量、燃費アップ、高速巡航も可能らしいので、翼が広がることに期待。

3.24 "Hyperventilate"
 3.23~24、二日かけ一気に読了。わからない、ほんとによくわからない。登場人物の主観、時間と空間が入れ替わり、誰に感情移入しているのか、どこにいるのかわからなくなる。読み終わった瞬間、ちょっとした見当識障害を感じるほどに。
 ただ、夜の描写がスーッと入ってくる。思えば自分の旅の半分は夜を走っている。闇に奪われた視覚を補おうと、研ぎ澄まされる五感。シックスセンスの覚醒。走ったことのある道でも、どこか違う異次元空間につながっているのではという高揚感。
「夜はどこにでも通じているの」(夜行より)
 夜が待ち遠しい。

3.23 "Night Train"
 ここ数ヶ月、広島のどこの本屋に行ってもイチ押しの「夜行」。この月曜、3/20に買って二日ほど積ん読。今朝初めてページを開いた。冒頭の舞台が尾道ということで親近感あり。面白いというより、「どう展開していくんだろう」と心配しながら行が進んでいく。1/5ほど読んだところで遅い朝食に。
 パンをほおばりながら地方紙「中国新聞」を開くと、32面に「森見」の活字が飛び込んできた。広島本大賞を受賞したという。
「すごい!」
 時間差1時間以内のシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)。10面にはインタビューも含めた特集記事が。今日のはとりわけてタイムリー。さてさて、どう展開して、どうまとめるんでしょう。わくわく。

夜行」特設サイト
夜行」TVCM15秒
夜行」著者インタビュー

3.19 "アルビノの木"
 今日見た映画「アルビノの木」。いきなり懐かしい小串硫黄鉱山が出てきてびっくりしたが、全体としてはイマイチよくわからない内容。ただ、色々なシーンを連想させた。「もののけ姫」のシシ神、臼杵の白鹿権現、ついこの間読んだ熊谷達也のマタギ三部作など。上映後監督の舞台挨拶があった。
 面白い出会いも。帰りに通った細い路地に怪しい古本屋が。入ってみるとかなりマニアックな蔵書。古い木造家屋は街中のアナザーワールド。珈琲も飲める。客の出入りが多いのにも驚いた。メタル関係の本を一冊購入。これからは横川シネマとセットかも。
 先日の「暁」といい、古本屋めぐりという新たな世界に踏み出した気がする。

本と自由

3.14~15 "Book Of Days"
佐賀・古湯温泉 泊まれる図書館「」~佐賀県美 池田学展「The Pen」~パフェ屋「そらり」

 ここのところごぶさただったドキドキの遠足前夜。数日前から「♪もういくつ寝ると〜」の状態が続いていた。
「本にひたり、本と眠る」
 10:30予約完了、14:00エンジンスタート。今日の荷物に文庫本は必要ない。

 結局家を出たのは14:30、14:51廿日市ICイン。宿の名前とは正反対の黄昏時、18:00ジャストに到着。空はまだ明るいが、すでに日は沈んでいる。夜御膳を取りに行っていたオーナーさんにご挨拶。築110年の古民家に足を踏み入れた。
 正直古い建物に驚きはない。現在も住んでいる生家は戦前の建物で原爆で傾いているし、小さいころ頻繁に訪れた母の実家は藁葺きの母屋、十間長屋に土蔵もあった。そもそも30年も旅をしてきて、たいていのものには驚かなくなっているのに。
(本の楽園・・・?)
 木製の小さなボックスの中には10冊程度の本が入っており、それが部屋一杯に置かれている。縁側にもたくさん配置され、一部は積み上げられ立体感もある。それらが良い意味で普通の電気スタンドで照らされ、空間全体が温かいタングステン光に満たされている。一目見て期待を超える空間だと直感した。極めつけはカチカチと時を刻む古い時計。オーナーさんからは「気になるなら止められますよ。」と言われるが、家にはもっと古いのがあり、気にならないどころか家にいる感覚。台所やトイレも普通の宿やホテルのそれではなくまったくの民家。夜御膳は注文したが、持ち込みは自由。
(言葉に表せない素晴らしい空間)
 ひととおり説明を受け、オーナーさんは退室。明日朝11:00まで完全な貸し切り空間となる。すぐに本棚を物色し始めるが、優先順位を考える必要も発生。時間はすでに19:00前。古湯温泉は古くからある湯治場で、提携している英龍温泉は21:00まで。宿の前にあるA-COOPは到着した18:00で閉店。買出し行くならとなりの熊の川温泉にあるファミリーマートまで戻らないといけない。第一選択は、すぐに買出しに行ってお風呂入ってゆっくり本をむさぼる。お風呂でゆっくりことを優先するなら、21:00以降寒い中買出しに出なければいけなくなる。せっかくきれいになったのに、また排気ガス臭いライディングウェアを着るのは嫌。
 とりあえず夜御膳の蓋を開いた。三段の重箱に入った和洋折衷のお弁当に満足。ただ、やはり何か買っておきたい。
(買出し優先)
 再び装備を整え、気温一桁台の山道へ飛び出した。併走するのは嘉瀬川。佐賀バルーンフェスティバルはこの川の下流で開催されるため、はじめて来た気がしない。
 部屋に戻るとすでに20:30。急いで支度し、英龍温泉に向かった。宿を出れば、ほぼ真っ暗な住宅街の先に、ほのかに明るく浮かび上がっている古き良き湯治場の共同浴場という感じ。客はおそらく地元の4〜5人。ぬるめのお湯が気持ちいい。時間一杯までゆっくりして出ようとすると、入口にキラキラ光る「さがほのか」1パック300円。現金を持ってきていなかったためすぐに部屋に戻り、小銭入れを握り締めて再び温泉へ。
(さあ、本だけに集中する環境は整った)

「本の海」
 60人が20冊、蔵書1200冊。DIYの四角い木のボックスに立ててあり、色んなレイアウトで部屋中に配置されている。背表紙の海に泳ぎだした。
(そうでしょ)
 自分が持っていたり、読んだことがある本を散見。やっぱり面白い本はみな読んでいる。気になる本はパラパラと試し読み。裏表紙の中には選者が選んだ理由とランキングが記されており、タイトルを見ただけでその人の人となりが想像できる。出版、アート関係の人もいれば、一般の人もいる。共通しているのはみな本好きということ。
(面白い)
 とても面白いコンセプト。チェックインのときオーナーさんに尋ねると、週末に古本屋を営んでいたという。
 先日思い出した「智恵子抄」があった。
「智恵子は東京に空がないといふ」
 「あどけない空」を抜き出して読み、その背景に納得。引き続きはまっている原田マハの作品も数点。角田光代の「この本が、世界に存在することに」(文庫本では『さがしもの』に改題)は、実に4人の選者が選んでいた短編集。パラパラとめくっただけで共感するフレーズが多数。
(やっぱり)
 学年違いの同い年だった。
 八つ墓村のモチーフとなった「津山三十人殺し」があったのには驚いた。(戦前、2時間に30人が殺された大量殺人事件。同じ本を持っており、現場の村を訪ねたこともある。)絵本「りんごかもしれない」の発想には舌を巻いた。思ったより早くタイトルチェック終了。角田光代と吉村昭を手に取り、背表紙の海からあがった。ぬくぬくのこたつで水滴キラキラの「さがほのか」をつまむ。
(読書する場所じゃない)
 出会いの場所だと思った。本を選んだ選者に思いをはせ、知らない本と出会う。オレンジ色に染まった温かい空間に、一瞬時間が止まるが・・・。
「カチ、カチ、カチ、カチ・・・」
 溶け込んでいた古時計の音が浮かび上がり、時が進んでいることを感じずにはいられない。
(もっと堪能しなくては)
 再び背表紙の海に繰り出す。何度この作業を繰り返しただろう。心の隅ではわかっていた。不必要な焦燥感も、この場所の楽しみのひとつであると。外では予報にない強い雨が降っているが、明日にはあがっているという根拠のない自信。背表紙の波に揺られ、意識が遠のいていった・・・。

 朝、古民家の縁側に差し込む光と影のコントラスト。電気節約のためすべての電球を消していた自分に苦笑しながら朝のブックサーフィンへ。帰宅して読みたい本を何冊かピックアップ。地元の本屋でできる限り新品を買い作者に還元。次の作品への糧にしてほしいと思った。
 宿近くで朝食を提供してくれた旬彩「みみ」さんで佐賀新聞を読んでいると、県立美術館で開催されている池田学展 『The Pen』が7万人を突破したという記事。
「7万人?!」
 広島で開催の特別展ではちょっと考えられない数字。行ってみよう。
 びしょ濡れのバイクを拭き、オーナーさんに再訪を約束してエンジンスタート。何度も訪れた佐賀だが市内中心部へ入ることは少ない。官庁街にある県美に到着し、満車の駐車場で来場7万人がブラフではないことに納得。とてつもなく緻密な作品のため入口でルーペを貸し出しており、どの作品にも人だかり。詳細に観るなら夕方までかかりそう。遠目で雰囲気だけ。お約束のバンダナ購入。モノトーンが素晴らしい。
 次回特別展の「ホキ美術館名品展」の写実作品に惹かれるが、3月29日から。つい最近観た告知に記憶をたどると、先週まで福山美術館で開催していた。行っておくべきだった。また「暁」と合わせて来る?
 佐賀大和IC近くにあるパフェ屋「そらり」。親子連れで混み合っている。服装がカジュアルなので卒業式ではなさそう。焼きカレーとフォンダンショコラパフェでお昼ごはん。
 14:00佐賀大和ICイン~17:21廿日市ICアウト。明るいうちに出て、明るいうちに帰るのはとても珍しい。そういえば、最近周囲に佐賀に行くと言うと、「バルーン?」と聞かれるようになった。

 後日新品古本合わせて20冊近く購入。もちろん「暁」で出会った本も。広島にも泊れる図書館ができるという話も小耳にはさんだ。本の海は自宅にもつながっていた。古本屋めぐりにも目覚め、当分溺れる日々が続きそう。

3.5 "セピア"

「あどけない空の話」

 13:18広島ICイン~13:58福山西アウト。
 14:07 向島本線イン~14:45今治ICアウト。
 15:06今治湯ノ浦ICイン~16:35高知ICアウト。
 今日の目的は映画「カノン」。少し前におとなり岡山でもやっていたがタイミングを逃していた。映画を観るために往復600km。DVDじゃダメ。効率では語れない、久しぶりの高知と未踏のレトロ自販機込み。
 17:00前、高知駅近くのコインスナックプラザ到着。西日本で唯一、トーストサンドの自販機が現役稼働中のお店。麺類自販機も合わせてすべてのメニューを食し、極上の達成感を得る。機械はすべて屋内に設置されており、往来を見渡せるカウンターも充実。お客さんも多い。
 満足したところでプラザから数分のあたご劇場に移動。その外観に度肝を抜かれた。
(ニューシネマパラダイスから飛び出てきたよう。)
 掲示板の上には色あせた往年のスターの写真が掲げられ、松方弘樹もいる。ストリートビューで見ると、その写真にまでぼかし処理されてるのに爆笑。土曜日にもかかわらず、一般1,500円。
「やられた!」
 なんと入れ替えなし。中学高校時代まで、ほとんどの映画館が二本立てで何度見ても一律だった。古き良き時代、途中から入って観てないところまで観て帰ったり。残るは18:30からの最終のみ。知っていればもう一本早く来て2回観たのに。とりあえず中に入ると。
(苦笑)
 中の音声がすべて筒抜け。そういえば着いてすぐ建物となりの駐輪場(ほぼゴミ置場)にバイクを止めたとき、すでにセリフがわかるほど漏れてきていた。中の売店には最近のものに混ざって訳のわからないグッズが秩序なく置かれている。
 おかげで外に出て写真を撮る時間ができた。チケット売り場にはずっと咳き込んでいるおじいさんが一人。もぎりはなく売りっぱなし。中をのぞくと、クリップにはさんだメモのような紙が、中待ち合いと同じく雑多につるされている。
(アルフレードの映写室だ!)
 トトが見逃したエレナのメモがあるのではと探したくなる。とにかく、何もかもが良い意味で汚くて、古くて、無秩序。ひととおり写真におさめ、パイプ椅子に座った。アヴァンティ。道路を歩く人々の会話に聞き耳をたてる。土佐弁が右へ左へと流れていく。となりに大きな病院があり、休日日勤を終えた看護師たちが道路を渡りながら大声で話をしている。個人情報は・・・、言ってなかった。そうこうしているうち最終回の上映が始まる18:30に。
(まだやってる・・・。笑)
 再び外に出てベンチに。ほどなくして前の回の客が出てきた。ついに中に入れ、ドアを開けた瞬間場内暗転。もはや心地よいルーズさ。このくらいでちょうどいい。
 「カノン」。テーマといい、キャスティングといい、これほどの作品が広島で上映されないのが不思議でしょうがない。元々は「どんど晴れ」から追いかけている比嘉愛美目当てだったが、けっして意図したわけではなく進行中の母の介護や今の仕事と深く関係していた。これを書きながらもストーリーを反芻し、色々考えてしまう。高速代とガソリン代を合わせると1万を越えるが、これっぽっちも惜しいと思わない素晴らしい映画だった。ただ、バイクに戻ると駐輪場は暗がり。もちろんヘッドランプを取り出したが電気ぐらいつけといて。
 さて、21:00過ぎ。明日も休みだが天気は良くなさそう。照明の明るい高知駅に出て地図を開いた。正面に路面電車が乗り入れていて広島駅と似た雰囲気。初めてきた気がしない。考えられるプランを挙げてみる。
 訪ねたことのない四国の自販機はあと二つ。伊予寒川の一軒は帰りに寄るとして、問題は徳島阿南の横田自販機コーナー。まったく逆方向で100km超。昔よさこいからやはり野宿して徳島に抜けた、コーナーの多い距離の稼げない道。却下。次に壮大なプランが浮かんだ。高速で八幡浜まで出て国東に渡り、目下行きたいナンバーワンの佐賀三瀬「古湯温泉」の泊れる図書館「暁」。ただ、これも明日雨に降られる可能性大。あとはブックマークしてる怪しいシマントミュージアムなどが浮かぶが、気分は家を向いていた。愛媛の自販機2つに寄って帰ることに決定。
 大豊まで夜間高速状態のR32。以北は国内屈指の酷道439に勝るとも劣らない県5。ありえない。高知道に上がる。
 21:57大豊ICイン~22:30三島川之江ICアウト。
 一つ目の大久保自販店三島店は、去年阿波おどりの帰りに立ち寄ったことがある。付近は大王製紙の積み出しが行われる港で、人の姿こそないが、何かが動いている気配あり。
 二つ目は未踏の目的地、大久保自販店寒川(さんがわ)店。ストリートビューに載っている雨ざらしの状態から大きく改善していて、しっかりとした屋根にテーブル、チェアーが完備。とても過ごしやすい空間で長居してしまった。星空を見上げているうち、だいぶ厚くなった三日月が倉庫の屋根に沈んでいった。今日のミッションコンプリート。四国で残るは阿南のみ。4月のはな・はるフェスタか8月の阿波おどりで。
 県13からR196、しまなみへ。それにしても空が広い。この時間目立つのはギラギラと輝く木星と、その伴星のようなおとめ座のスピカ。赤く光るモノアイ、アークトゥルス。星座の主役はしし座。オリオンは沈んだが、プロキオンとふたご座はかろうじて西の空に留まっている。高速に乗ると、さらに世界が広がる。星空と、自分が走っている2次元路面に加え、眼下に見える地上の星。球の中心にいるような感覚。もちろん車は一台もいない。エアレースのパイロットのごとく可動域いっぱいに首を回し、あらゆる方向を楽しみながら、夜の宇宙空間を駆け抜けていく。そんな時いつも思い出すのが大昔に習った智恵子抄の一節。
「智恵子は東京に空が無いといふ。」
 この一文と、智恵子が精神に異常をきたしていたという古い記憶が、映画の中の鈴木保奈美と重なった。
 2:15今治ICイン~2:56向島本線アウト。尾道から広島へはバイパスが整っていて、この時間高速に乗る必要がないが、路肩温度計が氷点下。怖いのは寒さではなく路面凍結。本郷〜西条間を路面を確認しながら慎重に走り、4:50無事帰宅。大腿骨抜釘後初の遠出は、今までと何も変わらない夜走り、朝帰り。

 帰って智恵子抄を調べてみた。

高村光太郎 智恵子抄
あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

昭和三・五

 智恵子は統合失調症だったという。福島に戻りたいという智恵子の不安の表出だったのかもしれない。見ている空は同じなのに、光太郎が見ている空と、智恵子が見ている空は明らかに違っている。ほんとうに「あどけない話」だったのか。大事なことに気付けない男目線に共感する。
 自分に当てはめれば、家から見上げる空も、旅の空もみんなほんとの空だと思うが、仕事の帰り、空を見上げる余裕がなくなったとき、違う空を探しに行く必要がある。

カノン」オフィシャル
カノン」予告編

3.4 "Intention To Deceive"
10:30
「昨日なんで夜帰ったんや。」
「仕事じゃけ。」
「何時に帰ったか聞きよるのに仕事じゃいうてどういうことや。(怒)」
「何で夜帰ったかいうて聞いてきたで。」
「朝出たのにそうようなこと聞くわけなかろうが、夜帰るのは当たり前じゃろ。勝手に電気毛布消してから。寝ようか思うたら冷かったで。(怒)」
「おらんけ・・・。(怒+悲)」

3.2 "What's Up for March 2017"

3.1 "EVERGREEN"
 オハマナ、ゆうとぴあ、えとぴりかとも変わらず浮かんでいた。17:00近くに家を出たため、すでに船には明かりが灯っていた。薄目を開けたような月と、最大光度を過ぎてもまだまだ輝くヴィーナスを追いかけた。
 倉橋のcafe"SLOW"。はっきり言って接客は良くないが、雰囲気だけでリピート。23:00には仕事に出るため温泉はスルー。

2.28 "Tonight's Sky March 2017"

2.19 "T'en vas pas"
「トリコロールの夢」
 夜勤明け、いつも立ち寄るシャレオのヴィ・ド・フランス。バタークロワッサン、フォンダンショコラ、焼きそばパンをチョイス。おだやかな日曜の朝、今日初めて持ち出した原田マハの「翔ぶ少女」を開く。その1ページ目・・・。

 ええにおいや。あまくて、やさしいやわらかぁなにおいや。バターとクリーム。おさとうに、バニラ。あまい、あまい、きゅーっとなるほどのあまぁい、すごーくええにおい。
 これはあたしのだいすきな、チョココルネのにおい。チョコレートのあまにがいんと、ふんわりやけるパンのきつねいろ。ふわふわ、ふわあっ。ああ、はなが、くすぐったい。
 じゅうじゅう、おとがしとぉよ。やきそばを、やくおとや。ふうーっと、ながれてくるんは、ソースと、あおのりのにおい。できあがったやきそばは、やきそばパンのなかみになるねん。原田マハ「翔ぶ少女」より

 目の前の状況にあまりにも酷似していて思わず吹き出した。ふわふわのクロワッサンを頬張る。セレンディピティ=素敵な偶然。蓄えを切り崩し始めたグリコーゲンに待ったをかけ、新たなブドウ糖を補給する。
 スタートして1週間経過したひろ美「ランス美術館展」に向かって歩き始めた。適度な運動で、さっき摂った糖が脳を養い、街が色彩を放ち始める。
 ひろしま美術館のすごさは、特別展を上回るほどの常設作品。マルク・シャガールが増えていた。お気に入りのモーリス・ド・ヴラマンクと1ヵ月半ぶりの再会。
 帰りの路面電車はとても古い車両。シートのワインレッドがいつもより赤くてアーティスティック。
 家の近くで踏み切り待ちをしているとき、頭の中にフランスのナショナルアンセム「ラ・マルセイエーズ」が流れてきた。
「あれ?」
 つい最近聴いた気が。
 すぐに思い出した。先週金曜に見た映画、ブラッド・ピットの「マリアンヌ」。ヒロインはマリオン・コティヤール。
「フランス週間だったのね。」
 青、白、赤の夢が見られるだろうか・・・。

ひろしま美術館 「ランス美術館展

2.18 "Show Me The Love"
 昼御飯のモスで原田マハの「太陽の棘」読了。先ほど見始めた「こころ旅」録画が沖縄一日目。いつもながらあきれるほどのタイミング。

2.16 "Marianne"
 この映画もかなり苦しい。

2.14 "Totalitarian Terror"
 恐ろしい世の中になってきた。どこでつるし上げられるかわからない。

2.12 "Nanook"
 Google Map世界旅行。これまで極地から孤島までありとあらゆる場所をめぐり、行ってもないのに世界は狭いななどと感じていた最近。このバンドからグリーンランドが抜けていたことに気が付いた。
「すごい・・・。」
 入江や小島にたくさんの町があり、特に西海岸に多い。大きな町ではストリートビューでの散歩もでき、店舗内に入れるお店も。派手なパステルカラーの家が立ち並び、日本車も止まっている。驚いたのがやたら人が歩いていること。自転車で撮影しているグーグルスタッフをガン見しているのが笑える。バルコニーには洗濯物が干してあったり、玄関先には子供用の自転車が乗り捨ててあったりで、家の近所と何ら変わらない風景なのに、海に目を向けると氷山が浮かんでいる。寒い地域だろうに人間ってほんとすごい。カナダ北部も合わせてしばらく楽しめそう。

2.9 "ブルー"
 どんなに気に入っても必ず調べ、本当に必要なものか考えた末買うのに、思わず衝動買いしてしまったのがこれ。

Coleman × Monro IL レイチェア(デニム)

 二十歳からリーバイスを履き続け、見た瞬間一目ぼれ。おととしの事故の際両サイドを切り裂かれた501(Rタブ)は、手を加え、壁のマルチ収納タペストリーになっているほどの執着。生地はプリントだがメーカーを限定するバックステッチが入っていないのが素晴らしい。エドウィンだったら絶対買ってない。
 遠出もいいが、玄関開ければオリオン。庭にチェアーを持ち出すだけの、お金もガソリンも使わない強力なストレスコーピング。

Coleman × Monro INDIGO LABEL
 サイトも美しい。

2.5 "THE MAGNIFICENT SEVEN"
 久々に映画らしい映画。ストーリーはすべて知っているのに痛快。最後に懐かしいメロディが流れてきたときには鳥肌が立った。エンドロールがかっこいい。
 終了後モス〜出島からカノープスを見にコンテナターミナルへ。澄み切った夜空にオリオン、シリウス、明るい半月が輝いているが、地平線付近は厚い雲に覆われ、目的のカノープスは顔出さず。
 モーターの音に振り返ると、監視カメラが動いている。自分の車に向いて止まったあと、さらに内部で音がしており、明らかにマニュアルでズームしているよう。おそらく死角になるだろうすぐ下から観察していたが、広角だったら間抜け面をモニターされていたかも。面白い出来事はどこにでも転がっている。

2.3 "What's Up for February 2017"

2.1 "ユメオイビト"
原田マハ「生きるぼくら」
原田マハ「太陽の棘」
原田マハ「翔ぶ少女」
原田マハ「リーチ先生」
海堂尊「ポーラースター ゲバラ覚醒」
帚木蓬生「安楽病棟」

1.31 "Tonight's Sky February 2017"

1.29 "沈黙 -サイレンス-"
 28日夜、玄関でポストから落ちたチラシを拾おうとして頭から転倒。それを報告してきたのが29日昼前。普段から短期記憶は低下しており詳細な時間は不明。その時点で瞳孔不同、麻痺・しびれ等神経学的所見なし。明日仕事で病院には連れて行けないので念のための脳外休日診療に。
 CT異常所見なし。3年前の髄膜腫拡大なし。脳萎縮それなり。3ヶ月は慢性硬膜下血腫の経過観察。昨年秋より認知機能低下著明。火の管理も難しいため、グループホームの情報収集開始。
 「沈黙 -サイレンス-」は全編絶望感に支配されたストーリー。今の気分では選択を間違えた。ただし遠藤周作の原作は必読。近日購入予定。

1.25 "Release From Agony"
 抜糸完了。まさにAgony(苦痛)からの解放。糸がなくなったあとの軽いことといったら。細いナイロン糸なのに、抜いた途端、それまで感じていた引っ張り感が完全に消失。人体は本当にセンシティブ。事故のときは、膝・股関節の可動域が制限されていて気付かなかったし、右半身は痛みに支配されていた。
 面白いのは縫合。11cmと一番大きく切開した大腿外側の7針に対し、5cmの転子部も7針。中足骨にいたってはわずか2cmなのに4針。薄かったり緊張が強くなる部位はたくさん縫うんだろう。
 次のセレモニーは明日夜、1/16以来のシャワー浴。これまでずっと清拭だけだったので脱皮しそう。発汗減少と感染リスクの軽減が、抜釘に冬を選んだ理由。
 それにしてもこのアルバムジャケット。気管切開してるのにはじめて気付いた。留置針も血流に逆行して刺入しているのがすごい。固定してないし。29年前に買ったDestructionの最高傑作。

1.23 "Never Walk Away"
 大晦日以降スヌーピー号からツイートが発信されないため心配していたが、運行終了とのこと。11月の空振りが悔やまれる。夢をありがとう。

1.22 "Left Alone"
 先々週、古いフォルダを開いていて、廃屋となった温泉旅館の写真に目が留まった。
「どこだったっけ。」
 Google Mapを開く。10年以上前、大学の友人カワダと行った東北旅であることは覚えている。サイトを開くとすぐに見つかった。
「2001年6月23~28日。」
 断片化された記憶をたどり、地図をドラッグしていく。あの時は確か、福島は二本松のデニーズからスタート。順番は忘れたが、鎌先温泉に泊まり、飯豊(いいで)、肘折温泉。おそらくそのあとに写真の旅館廃屋。帰りに広河原温泉に寄ったはず。
 二日後の先週末、全国的に大雪のニュース。定番の青森酸ヶ湯に続いて出たのが肘折温泉の積雪2メートル超え報道。
「またきましたか。」
 広島に住んでいて全国ニュースで肘折の名を聞くことは皆無。レアな共時性がもうひとつたたみかける。手術後の19日、ベッドで開いた熊谷達也の「邂逅の森」では重要な場所として肘折が登場する。もちろんそんなことは知らずに持ち出した。
 昨日退院後ネット環境を得て、本題の廃屋旅館はどこか探したが結局見つからず。夜になってカワダに電話してみる。やはりわからなかったが、1年ぶりの話に盛り上がる。
「そういえば。」
 ふと思い出し、今はアップしていない2000年代初頭の記録を開く。
あった。」
 記憶はかなり不確かで、弟の結婚式からの流れでけっこうたくさんの温泉をめぐっていた。もちろん廃屋旅館の位置も判明。「邂逅の森」「氷結の森」の舞台も含めて東北からロシアまで旅をした気分になった。
 写真を載せていたのはまだダイヤルアップ接続のころ。表示に時間がかかるため写真1枚50キロバイト以下に抑えていた懐かしい時代。

1.17 "Eye Of The Tiger"
 564日、1年6ヶ月と14日。骨髄から支えてくれたチタンが体外へ。

1.16 "Gabriel's Oboe"

1.10 "A World Of Fools"
 早川さんと再会した際に話が出たのが、山梨市と甲州市の境、白沢峠の稜線に佇む一台のダッジ。荷台で成長した木は時の流れを感じさせ、車体の至るところに残る弾痕は答えの出ない想像を膨らませる。
 行った人それぞれが様々な印象を残しているが、自分が思い浮かべるのは鮮やかな緑の中、肩に小鳥を乗せ悠々と散歩するロボット兵。天空の城「ラピュタ」の世界。

「夏草や兵どもが夢のあと」

 遺構を探して20数年。求めるものは、寂しさや止まった時間ではなく、負を経過したあとの穏やかで平穏な今。ロボット兵だったり、弾痕の残る軍用車であることが、今の静けさをより強調する。行ってみたい場所のひとつ。

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1.9 "Photograph"
 新しいカメラ、FUJIFILM X70が面白い。レンズが戻らなくなりサポートに憤慨したキヤノンから買い替え。くしくも98年初めて買ったデジタルカメラ、FinePix600Z(150万画素、当時¥94,800)以来19年ぶりのFUJI。
 35mm換算28mm単焦点。もともとズームでもほとんどワイド側しか使用せず違和感なし。ふとあることに気が付いた。
「単焦点って・・・。」
 生まれて初めて触れたカメラは、当時家にあったオリンパス「Pen D」。(なんと今手元に説明書あり。オリンパス広島出張所が鉄砲"屋"町5。電話(2)5782。局番一桁。)レンズはズイコーF1.9/32mm単焦点で昭和39年製。(前回東京オリンピックの年。)ハーフで135mmフィルム1コマに2枚撮影できる。カメラに内蔵されている簡易露出計に合わせて絞りとシャッタースピードを設定。つまり、このカメラを使い始めたときから意識せず適正露出で撮ることを覚えたらしい。その後何の疑問もなく高校くらいまで使っていた。懐かしくなり、このカメラで撮られた生まれた頃のアルバムを開いてみた。
「母のフレーミングがいい。」
 他の写真も総じてまとまりがある。無意識でやっていたとしたらなかなかのセンス。1枚ピックアップしてX70で複写。撮影日は昭和43年8月22日で約1歳と2ヶ月。面白い気付きあり。
 まずやはり親子。きれいにアルバムに整理し、半世紀も前の日付がわかることがすごい。ちょっとしたコメントも残してあり、今の自分と同じく日々記録していることの大切さを再認識する。説明書の保管もしかり。
「なるべくしてライダーとなったか。」
 向かって左側に、後ろから支えている父の右腕が写っている。颯爽と風を切って走っているような寝ぐせが素晴らしい。車種はヤマハのメイト70。9月までの自賠責のステッカーが前に貼ってある。生前父が乗っていたのを乗り継ぎ、去年事故で大破したのが同系のスーパーカブ。さらに面白いのがミラーが右しか付いていないこと。今持っている排気量250cc以下の3台は、すり抜けを考慮してすべて左ミラーを取り付けていない。
「父も?」
 そういえば父とバイクの話をしたことがなかった。こけて割っただけかもしれないし、今となっては確かめるすべがない。
(※その後の検索で販売時から右しか付いていないらしい。逆ネジ切ってあるのだろうか。2ストと知ってさらに驚く。)
 カメラ買い替えから知る50年前と、何もかも複雑すぎる現代。レンズが戻らなくなることのない単焦点、最高になめらかなシフトチェンジを追及する3速ロータリー。シンプルは美しく、そして楽しい。

1.8 "星に願いを"
 原田マハ/夜明けまで/夜明駅。村上たかし/星守る犬/孤独死。連休/道後温泉/星がひとつほしいのとの祈り。せと荘/25年前/マッチ。早川さん/ダッジ/白沢峠

1.7 "旅人"
 2000年石垣〜西表の早川さんと17年ぶりの再会。

1.3 "三江線 SHIMANE DEEP"

1.2 "Rain"

1.1 "New Horizons"
 火星のすぐ上にいる海王星を初めて確認。ほぼ点だが青く見えるような気が。
 SAで除夜の鐘を聴き、観音茶屋で汎用機にある300円のあれを買ってみた。なるほど損した気はせず。
 一夜明け15:00の船で三高。遠回りして84年夏のキャンプ以来32年ぶりのがんねムーンビーチで砲台跡散策。当時沖の大奈佐美島にも渡ったことあり。半島の裏に空撮でも確認できるプール付きの豪華な建物。途中の道はかなり荒れているが、現地は管理されてるよう。ポストもあった。ナンバー付き軽トラあり引き返す。
 島墓参後18:00に再び三高まで戻るが、正月ダイヤで船終了。呉まわりで帰宅。三日月、金星、火星が並んでいる。見えないが海王星も火星と重なっているはず。