2008
Dec.31
 なるべく遠出を避け、近距離をつなぐ。それでいてどこかに「旅」を見い出し、たとえ短時間でも、記憶に残るものにする。履歴を見返していると、断片的な静止画がよみがえってくる。目標は達成した。。。
 空、雲、風、道、生き物、そして、出会った方々に感謝。。。


Dec.30 倉敷美観地区
 終わった・・・。総出撃回数77回。一生塗りかえる事は出来ないだろう。


Dec.28 原山〜鉾取山憩の森・みはらし小屋
 ZZ-Rはリアタイヤが無いので、年明けに交換。11/25の日没サスペンデッドの続きでRMX出撃。
 今回は一貫田からアクセス。この原山山頂へは、92年9月6日に訪れている。当時はダートだったような気がするが、今日のルートはほとんどの区間舗装されていた。
 時効なので告白すると、この時すでにあった無線中継所巨大アンテナに登った。金網を乗り越え、ロープで2階外部階段に取り付き、頂上まで。さえぎるもののない最上部は強風、足元は金網ではるか下が丸見え、かなりスリリングだった事を覚えている。もちろん展望は最高。
 中継所敷地は見晴らしが良くないので、鉾取山方面に移動。しばらくはなんでもない舗装路が続いたが、ハイキングコースと書かれた道からアタック開始となった。
 最初右の登山道からアプローチしたが、途中登り左カーブの急な階段で失速、あわや1ゴケというところを何とか踏ん張る。ミラーをヒットして、取り外すのを忘れていた事に気付く。
 一度引き返して今度は左の車道から再アプローチした。1車線あるが、草に覆われた廃道で、飛ばすと「いきなり道が落ちている。」なんて事になりかねないので慎重に進む。途中から登山道に。霜でフカフカ、かなり谷へバンク、そしてちょいガレのなかなか体力を消耗する路面状況だった。ほどなく、先ほどの階段の道へ合流し、さらに少し走ると見晴らしの良い場所に出た。
 しっかりと管理された東屋のあるこの場所は、なかなかの展望で、眼下に広がるのは海田の街並み、そして夕日の道は似島へとつながっていた。残念ながら、不況の最先端を行く「マツダ」城下町でもある。
 先へは階段の下りとなっていて、うかつに進むのは危ない。時間も時間だし、またのアタックということで、「瀬戸の夕暮れ」に専念。まだ支線のあるこの地域は、再度訪れる必要がありそうだ。
 それにしても、この寒さの中汗だくになるオフアタック。久々の感覚に、終止ニヤつきながら走っていた。もうすぐ「のうが雪中アタック」の季節がやってくる。。。


Dec.23 大将軍山・霧峯神社〜銭壷山
霧峯神社…大将軍山の山頂近くにひっそりとたたずむ古い神社。鳥居と急な石段が印象的。
銭壷山…R188にでかでかと案内がある15年来気になっていた山。整備された山頂は三方を一望できる大パノラマ。かつて訪れたピークや、未到達の島々が3次元で展開している。三角点にはとても穏やかな表情の仏様が一体、人間の営みを眼下に見守っていた。首を修復してあったのが少し気になる。。。
 それにしても、この秋以降のルートは完全にオフの範疇。路面状態の悪い道は、すでに磨耗を体感できるステムベアリングを酷使する。行き帰りの高速移動を取ってZZ-Rで出るが、目的地ではRMXに乗り換えたいというのは求めすぎか?リアタイヤも、見えてはいけない部分が現れはじめた。BT021。2度のネジ踏みを乗り越え、今日現在13.6ヵ月経過、13,168km走行。今までで最も効率よく磨り減っている。。。


Dec.21
 雨のため、久々の終日休養。
 3年以上使用し疲労している「TOUGH Jeansmith」のベルトポーチ。バイクから離れる際、唯一身に付けるものであり、ライディング以外でも常時必要なものを入れ持ち歩いている。そのため、機能外観ともこだわりの最重要アイテム。08モデルに気に入ったものが無いため、ブックマークしていた07年モデルをネット発注。新年度より出撃予定。
 年内は近場をつなぎ、運命に立ち向かった今年を締める。新年はやはり別府が最有力。ジムニーとモンキーに、いつもより激しい燃費低下というトラブル発生中。ZZ-Rもいまいち万全ではない。湯船までバイクでいけるRMXで鍋山というのも一つの念願だった。真冬の隠岐も捨てがたいが、里帰りで混みあう船移動は避けたいところ。


Dec.16 Restaurant et Cafe "ef"〜湯来・小多田〜Konditrei "SIEBEN"
Restaurant et Cafe "ef"…初めての店。パスタランチはなかなか。リピートあり。
湯来…県42。暗闇の中に、まばらに浮かぶ人家の明かり。限界集落を感じざるを得ない。
Konditrei "SIEBEN"…夏よりすすめられていたズィーベンのザッハトルテ(¥300)。帰りの西広島バイパス。ケーキをタンクバッグに入れた状態でかなり激しくスロットルオンオフを繰り返したが、型崩れゼロで妙なところに感心。スペーサーがセロテープでしっかりと箱に固定されていた。もし、メットと革ジャンを見て対応を変えたならかなりの気遣い。肝心のケーキもマル。他のケーキでもリピートあり。


Dec.14 定番コースクルーズ・湯来・吉和・羅漢
 日差しがあるため、それほど寒さは感じず。県41路面ハーフウェットのためクルーズモードに。R186では、一部路肩に残雪あり。


Dec.7 弓削島・佐島・生名島

家老渡フェリー…因島(家老渡)-弓削島(上弓削)人プラス750cc超で片道490円。
弓削島(ゆげしま)…何も無い静かな島。
健康増進センター「ゆげトピア」…日帰り入浴500円。和風御膳1,260円。露天は無いが、展望浴場からの眺め良し。ここで再ルーティング。佐島港から生名島への直通航路があるが、便が少ないため却下。一度、因島へ戻ってから再アタックをかける事に。
佐島(さしま)…弓削島より弓削大橋でつながっている。最南端の行き止まりに浜があり、ここから見る海上パノラマに島影は少なく、四国の伊予西条や新居浜の街並みを遠望できる。
 先客の軽ワンボックスは、なんと富山から。先週、大三島鷲ヶ頭山頂での庄内ナンバー(山形)も思い出し再び驚く。カップルだったが、小さな島の、観光地でも無いこの場所での出会いに、どこか死に場所でも探しているのではないかと、妙な想像が頭をよぎった。
 港近くの集落で、立派なフロントカウルのハーレーに遭遇。ゆげトピアで入れ替わりに入ってきた彼ではないかと思う。よくもまあ、こんなマイナーな場所に。
 弓削に戻り、島周回路を東からアクセス。北東部快走ルートからの景色はなかなか。温暖な島しょ部であるため、まだ紅葉が見頃。
 再び家老渡に戻り、因島を南回りして土生港長崎桟橋へ。
生名公営渡船…20分間隔、乗船時間たった3分。人プラス750超で230円。到着してすぐの船は満車で出港。あの島のどこに、この往来の理由が?因島へ買出し?造船がらみ?
 余談だが、この長崎桟橋のすぐたもとにあるホテル「ナティーク城山」。7年前にランチで訪れた際、接客が悪かった記憶があるが、この帰りの道中で「Motel」の彼に出会った。
 そうそう、写真ページのトップ、錆びた鉄板の背景は、因島公園展望台の床板だったりする。。。懐かしい。
生名島(いきなじま)…満車のフェリーは見間違いではなかったか?予想通りの静かな島。岩城島との海峡で、積善山の左に沈む素晴らしい夕日に出会う。
岩城島…古い友人を介し、かつての岩城村だった頃から少なからず関わりがあったが、渡った事は無い。小さいが秀麗な積善山には山頂まで道が付いているため、またいつか渡る事になるだろう。泳いでもいけそうな距離なのに…。
 帰りのR2、道端温度計にて−2℃を記録。

11

Nov.30 多々羅温泉・ところミュージアム・大三島美術館・鷲ヶ頭山
多々羅温泉:¥300。普通。
ところミュージアム:¥300。入場料、ロケーション、展示作品とも二重丸。再訪必須。
大三島美術館:¥500。智内兄助「面妖(つらあやし)」の前で釘付けになる。
鷲ヶ頭山:10年ぶり3回目。山頂で、日没までまだ2時間以上ある夕日を待つおじさんと出会う。なんと山形から。車に寝泊りして全国を撮り歩いているそう。装備はマニアックなアサヒペンタックス(中盤一眼レフフィルムカメラ)。


Nov.18 道の駅「湖畔の里 福富」・板鍋山「山頂Cafe」 & 初雪

 月曜の仕事中、豊栄の話になり、ふと板鍋山を思い出し目的地に選んだ。前回は99年12月3日。360度の展望と、林立する電波塔群が特徴。豊栄の町を見下ろす仏様も印象深かった。
 途中の福富町竹仁でシールドに白いものが砕けた。
(雪虫?)
 それは徐々に透明になっていく。
「雪かい?!」
 ほんの少しだが小雪がちらついている。去年の今日、芸北オークガーデンの記憶がよみがえってきた。あの時も初雪。11/18という日は、来年も雪を意識する特別な日になりそうだ。
 駐車場に着くとツートンのクルマと制服警官。不審者扱いを受けないよう、こちらから話しかけた。
「何かあったんですか?」
 通信施設が多い為、定期的にパトロールしているとの事。テロという言葉が出て苦笑。すかさず答えた。
「残念ながら、今日はテロの準備はしてきてないです。」
 警官大爆笑。しばらく世間話をした後、「気を付けて」と、山を下って行った。
 バイクを降りてから気付いたがかなり寒い。全国的に冷え込むという予報だし、登ってくる途中、怪しい雲が北西の方向から向かってきているのは確認していた。山頂直下に移動したと同時に、パラパラと降り始めた雪は、あっという間に横殴りの吹雪になった。雪質は普通とあられの中間、ちょうど発泡スチロールをほぐした様な感じで、バッグの上に落ちてもなかなかとけず、どんどん積もっていく。
 そこへ、仕事途中に寄ったと思われる二人組みが登ってきた。明らかに年上の一人が、
「いい時に来たねぇ。」
 皮肉とも本気とも取れる言葉だが、自分自身が「いい時に来た。」と思っていたので、素直に受け止めた。その間にも雪は激しさを増していく。東屋にコーヒーセットを持ってきたが、今日はRMXでは無い。下山できなくなっては大変なので、しばらく様子を伺った。十数分後、北の空が青くなり始めた。
(もう大丈夫だろう。)
 今日は手抜きで、佐賀の残りのMONCAFE持参。なかなか沸騰しない上、冷たいマグへのドリップにぬるいコーヒーがはいる。今後は天気予報と相談しながら、ガソリンストーブの登板も考えなくてはいけないだろう。
 香りは落ちるが、仕方なく再加熱。道の駅で買った福富草餅をお茶請けに、ボーっとする時間を楽しんだ。

 マグを持って、山頂展望台へ。ここの展望は本当に素晴らしい。さえぎるものの無い360度の眺め。全ての方向に、幾重にも重なる山並みが続く。
 北西の空には、新たな雪雲が、砂嵐のような白いカーテンを広げながら、こちらに向かってきている。
(雪が見える。。。くるぞ、くるぞ。)
 パラパラと降り始めたかと思うとまた横殴りに。この夏、上関で出会った「ラピュタの雲」を思い出した。思わず風下に振り向くと、そこには盛りを過ぎ、茶色にくすんでいた木々が、西日を受け再び燃え上がっていた。さらに東には青空。
(すごい!天気の博物館だ・・・。)
 これが映画ならエンドロール。いつもなら幕が下りるまで席を立たないが・・・、
(寒いって!)
 指がかじかんでまったく動かない。
(帰〜ろっと♪)
 持って上がっていたマグを取ると、残ったコーヒーと雪が混じり合ってシャーベット状になっている。
(見てるだけで寒いって。。。)

 片付けを開始するが、あまりにも指が動かない。こういう時は指風呂。シェラカップに湯を沸かし指を突っ込む。炎に手をかざすより熱効率が良い。スタート前には、ファンが回るまで暖機して、右のロアフェアリングの穴に両手を突っ込む。「温風横吹き出し」。さらに手袋をFブレーキ・クラッチリザーバーの上に置き養生、その上にヘルメットをかぶせる。(トップイメージ参照)これでメット内もあったか。停止した時やっておくと、短時間ならエンジンの熱が残り暖かい。フルカウル向け?
 下界に戻ってきた広島市内。恐らく、この冬一番の冷え込みのはずだが、内陸部の標高が高い地域に比べれば、まだまだ暖かい。。。

 いま、あの光景を思い出しながら浮かんだメロディが、トリスタンとイゾルデ前奏曲。もしあの場所でこの曲が流れていたなら、あまりの美しさに、また涙を流してしまいそうだ。涙もろくなったか?


Nov.16
 佐賀の後日談二つ。
 帰宅した翌日、ポスターを無事持ち帰った事をNさんに連絡した。
「近くに行った時には連絡していいですか?」
「なんなら家の庭にテントを張ってもいいよ。(笑)」
 新しい友人が出来た。なるべく時間を空けずに再会したい。

 もう一つ。帰りの高速で面白い出会いがあった。深夜割引適用の時間調整で、下松を過ぎた辺りから80キロ走行していた。一台のBMWが抜いていく。(珍しい・・・。)もちろん追いかける気などさらさら無いが、今回行き帰りとも、高速で一度もバイクに出会うことはなかったのでうれしくなった。
 ノーストップで帰ろうと計算していたが、このまま80キロで走っていても0:00前に着いてしまう。仕方なく最終PAの玖珂に入った。たった10分止まれば十分だ。すると先ほどのBMが止まっていて、向こうから話しかけてきた。
「どこまでですか?ゆっくり走ってるから時間調整かなと思って。」とBMのライダー。
 へー、鋭い。
「そちらもやっぱり時間調整ですか?」
 福岡は古賀の自宅から単身赴任している、来年定年を迎えるという先輩。勤務先は家から自転車でいける距離だ。休憩の目的上、ETC談義となった。
 先輩も、カード3枚を駆使していたが、最近の割引の充実によって、3枚以上持っていても、あまりメリットはなくなった。こちらも使うのは最大で2枚。だが、ツワモノだったのはその後の話。
「最近機械が調子悪くてさぁ。」
 つい最近も、ゲートが開かない事があったらしい。同じく軽自動車登録の先輩、その時どう言い訳するのだろう。
「なんで開かないんだよ!」と文句を言ったらしい。
(強えぇ・・・。)
 広報サイトには現在、取り付け方法の注意喚起がなされているし、バイク用新機種も発売された。登録車以外の利用に対して、今後、罰則が設定される可能性も無いわけではない。
 出入り時間によるスピード実測も恐い。先日、芸北紅葉に行った際のノンストップ西風新都-戸河内間。150-160出していたが、メーター読みとの誤差や、詰まった時のスピードダウンを差し引いてもアベレージ120を超えていた。区間距離、出入り時間が明白なだけに、取り締まられたら問答無用。
 実際のところ、これをやってしまえば高速のメリットはなくなるし、実現される可能性も無いと思うが・・・。
「先行ってください。こっちはリザーブ入ってるんでゆっくり行きます。」
「もし街で見かけたら声掛けてよ。」
 どうでもいいが、ちょっとの休憩のつもりだったのに。。。

 さて、今年の予定していたイベントは終了した。後は単発を重ね年始へ。気になっているのは、来週23日の瀬戸内バルーンフェスタ(岡山)、同じく来週の築城航空祭。年始は恒例の鍋山キャンプ、もしくは流れていた隠岐も面白い。当然モンキー積み込み計画で。正月の隠岐にはとても興味があるが、帰りの船が欠航した場合洒落にならないので無理か。鍋山なら熊本・山幸窯や、Nさん宅を訪ねるのも面白いが、正月では迷惑な話だろう。まぁ成り行きで。

 このサイト。来週23日で、丸9年を満了し10年目に突入する。カウンターやアクセスアナライズ、掲示板等設けていない性格上、一方的垂れ流し。継続の意味は、単純な記録、忘れていく細かい気持ちのメモ、そしてサイト構築の楽しみと、あくまで自分の中にある。
 反面、周期的な浮き沈みがあり、怒涛の連続更新の一方で、現在も低迷期にあたる。発作的に「これに何の意味が?やめてしまえ!」と思うことも多い。
 ただ、これまでにも閉鎖や休止を宣言し、再びやりたくなる時期が来る事もわかっている。適当にやっていきますよ。
 定期的にチェックしていてくれる人がいたなら、いつものたわ言という事で。。。


Nov.12 衝撃!中四国フェリー廃止。
 今朝の朝刊の一面に驚くべき記事を見付け、目が点になった。

「中四国フェリー、本年度内にも廃止。」

 中四国フェリーは、四国に渡るのに絶対不可欠な航路。広島から自走50キロ。余裕があれば一般道からのアクセス可能。750cc超二輪と運転者、往復割引適用で3,800円。所要時間は70分と最短。渡ってから東、西、南、どの方向へも展開しやすい。
 代替は4ルート。
  ・広島〜松山観光港、往復割引後9,360円。
  ・阿賀〜堀江、往復9,200円。
 松山行き2航路。港へのアクセスは近いが運賃で却下。岡山県内のフェリーも調べてみる必要があるが、廃止区間に勝るものは無いだろう。
  ・しまなみ、62キロ、3,590円(往復7,180円)。休日昼間割引適用後1,900円(往復3,800円)。
  ・瀬戸大橋、37キロ、3,118円(往復6,236円)。休日昼間割引適用後1,650円(往復3,300円)。
 しまなみ。広島からだと30キロ以上遠回りして、尾道から区間62キロを自走。挙句の果てに四国への上陸地点はほぼ変わらず。
 瀬戸大橋。区間37キロながら1,650円はかなり割高。
 本四架橋二つに共通したデメリット。休日昼間の往復料金自体は一見大差ないように見えるが、本土起点まで高速道路を使用しないと時間を浪費する上、その費用も発生する。さらにオール自走による移動時間と疲労、プラス消費されるガソリン。平日や深夜の割引設定も今日現在無い。忠海〜大三島などの瀬戸内ローカル航路を使って、しまなみをショートカットする方法もあるが。。。
 どちらにしても、恐ろしいほどの痛手というのがよくわかる。今後、香川、徳島へは瀬戸大橋だが、愛媛や高知へは時間、費用、疲れ、どれをとっても厳しい。あの70分の休息(寝れる)がいかに大きかったか・・・。
 四国が遠くなった。。。


Nov.11 大峯北回り・万古渓・小瀬川紅葉

 県461、県42、県293、県295と、広島市内から最も近い1000メートル峰、大峯山の北側を回ってきた。県道区間は本来、オフで走る範疇だが、後半の「激走R186小瀬川下り」を優先してZZ-Rでスタート。
 県42中盤までは単調な針葉樹林帯が続くが、そのあと中々良い感じの色付き。日曜の芸北の様子も含め、見頃は今週末と言ったところか?
 トップイメージは県42。切り株を使った車止め。面白いオブジェと化していた。
(かっこいい!)
 まだ生きた熊笹が付いている株もあり、掘り起こされたのは最近だろう。林道の木々の香り、山村では一瞬流れてきたゆずの香りに、ホッと心が緩んだ。
 帰りの上り宮島SAで、初めての試み、スマートインターチェンジというのを使ってみた。SAやPAに設置された簡易ETCで、その周辺に住んでいないと恩恵は少ないかもしれない。さらにここ宮島SAでは、休憩に入ってしまうと、SA内を逆走しないとレーンに戻れない。この点は大きな疑問を感じた。通常のETCレーンと異なり、完全に停止した所でバーが上がる。降りてから細い側道を少し走ると、ちょうど速谷神社に出る。
 余談だが、トイレの小便器の上に、「吸殻、栗の皮、ガム等を捨てないでください。」というプレートがあり笑ってしまった。栗の皮って???
 家に帰ってから気が付いた。そういえば甘栗屋があったかも。それにしても情けない注意喚起。バカバカしい世の中になったものだ。
 NEXCO広報誌「奔放」に、高知キャンドルフェスタの告知があった。かなり興味あり。


Nov.9 ギャラリー瓢箪堂「山本幸一・器展」・芸北紅葉

 長楽寺の団地内にあるギャラリー「瓢箪堂」で、「山幸窯」の個展が開催中。この日が最終日だった。話は2年前の夏にさかのぼる。
 06年9月、熊本天草を巡る旅に出ていた。天草には多くの窯元があり、あいにくの天気に景色は楽しめず、目的は窯元巡りにシフト。何軒かの特徴ある窯元をハシゴした。
 そもそも、焼き物や陶芸に興味は無い。バイクやその他の道具と同様、その合理的な必要性から発展したこだわりだった。
 当時使っていたマグは00年旅の途中、宮古島のホームセンターで買ったもの。購入場所への想い入れから気に入って使ってはいたが、安物には違いなく、しっかりとした一生もののマグを探し求めていた。
 キャンプを考える場合、高性能のチタンやサス製がベストな選択だがこれは却下。破損や重量の欠点を差し引いてでも譲れないのがその口当たりだった。金属アレルギーではないが、あの無機質な口当たりが大嫌いだ。
 次に色。理想的には光沢うわぐすりで丈夫な厚手の白。香りたつ褐色のコーヒー、紅く輝く紅茶の色を、視覚的にも引き立たせてくれる。
 もう一つ重要なもの。それはワンアンドオンリーの個性。目的の白は、天草に限らずよく見かける。しかし、ずらりと並んだ自己主張の無い彼らに魅力は感じない。結局、天草で欲しいものは見つからなかった。。。
 ところがお土産を買うために寄った市内の物産館。地味なディスプレイの一角にそれはあった。肉厚のボディにいかつい取っ手、左右非対称の奇怪な紋様。
(JUDASだ!)
 一目見て、METAL GOD、JUDAS PRIESTの名作「PAINKILLER」のメロディが浮かんできた。
(値段は?)
 4000円。
(高すぎる・・・。落ち着いて考えよう。)
 店内の他の商品や、違うフロアの店舗を見てまわったが心ここにあらず。問題は「買うか買わないか。」ではなく、「買うけど本当に必要か。」であり、そのマグこそ、熊本は金峰山に工房を開く「山幸窯」の作品だった。以後いつでもどこでもオープンするマイカフェやキャンプには必ず持参し、コーヒー、紅茶、ワインに味噌汁までオールマイティに活躍している。
 熊本から帰ってすぐサイトを発見し、たまにチェックしていたが、今回2年ぶりに広島での個展開催、そして瓢箪堂というギャラリーそのものにも興味があり、足を運ぶ事となった。
 瓢箪堂は、普通の住宅地の一角に、良い意味で異質の空気を放っていた。木立を抜け玄関へ。外のテーブルにはギターを弾いている男。
(オーナーか?)
 中へ入る。味のある薪ストーブが炊いてあるが、冬装備なのでクソ暑い。こちらにも、いかにもオーナーっぽい感じの女性が、カウンターごしに座っている。
 ひとまわりしてみた。素人にはわかりづらいオブジェ、皿、そして持っているのとよく似たマグ。鮮やかなブルーの皿が目に留まった。常々、マグと同じくキャンプに一枚、陶器の皿が欲しいと思い続けている。コッヘルから直接食べるのは味気ない。キャンドルライトに揺らめくテントの前室に、陶器が並ぶやさしい時間。想像しただけでも頬がゆるむ。
「この個展のパンフレットか何かありますか?」
 オーナーっぽい女性に聞きながら、持っているマグの簡単な経緯について話すと、
「あの人が作家よ。」
 と、視線をギターの男の方へ向けた。山本幸一さん。あのカップを作った人だ。

 山本さんにも所有するマグの経緯を説明した。たった一つのカップを介し、2年の歳月をかけつながった人と人。こだわりを力説するこちらに、製作者としての喜びを感じているのではないだろうか?
 恐いもの知らずな暴言ものたまった。「若干の光沢がある展示品より、マット(無光沢)な自分のが好きだ。」と。山本さん苦笑。
 室内に移り、オーナー女性も含めた3人で談笑。売れ行きについて突っ込んだ質問もしてみた。今回の個展は即売となっており、減った作品を一度補充したらしい。同じものが無いという個性から、地元の結婚式の引き出物としての引合もあるという。
 そして最も印象に残ったやり取りが以下。
「納得のいくものが出来ないと、『これじゃない!』と、ぶち割ったりするんですか?」
 と、素人バリバリの質問し対し、
「そういうわけではないけど、ダメなものは壊して処分するよ。」
 なるほど、腐って無くなるものではないので、処分が大変だろう。ある意味産業廃棄物だし。さらに話が続いた。
「気に入らないものも、置いといたら良くなるかと思って取っておいた事もあるけど、ダメなものはいつまでたってもダメだね。」
(うゎー、同感。)写真において常日頃話す持論とまったく同じだった。
 昔、ファインダー(モニター)を覗いていて、(イマイチだな・・・)と思った絵もとりあえず撮っておいた。デジタルでは簡単に消去できるため、当初その傾向は強くなったが。。。
(撮る時ダメなものは、取っておいても良くなる事は無い。)
 なので近年、撮影時ピンと来ない絵はその時点で切り取らない。唯一の例外として、なんらかの失敗から出来たものが、突然変異のごとくすごいものになる場合がある。しかしこれは例外中の例外であり、やはりダメなものはダメ。
 これはアートの世界に限った事ではない。迷って買った服やCDが、いちばんのお気に入りになる事はそう多くは無いはずだ。嫌いな部分が時とともに目立ってくる。そう考えると「迷ったら買うな。」かもしれない。人間対人間も同じだったりして。笑
 さらっと見て芸北へ向かうはずが、うれしい誤算だった。再び熊本を訪ねた際、必ず工房に伺うと伝え、瓢箪堂を後にした。これぞ出会い。いや、2年前のあの物産館で、すでに出会っていたという事か。。。

 さて、芸北の紅葉。すでに落ち始めたもみじは真紅に燃え上がり、地面までも真っ赤に染めていた。山の広葉樹は今週末くらい?
 というか、ギャラリーでの出来事の印象が強く、今日メインの紅葉がおまけになってしまった。

山幸窯サイト:
http://www.yamako-gama.com/


Nov.1-3 2008 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ

Day One
 23:30スタート。その週起こった仕事上のトラブルから抜け出せずにいた。よほどの事が無い限り、旅に仕事は持ち込まないが、それは完全なる「よほどの事」であった。
 心身ともに疲れた状態にあり、さっさと到着してテント設営後仮眠というプラン。SAでの休憩は考えず、3時間ちょっとを予測し、3時過ぎ現地到着を見込んでいた。
 一つ珍しい事があった。「少し速い車に付き、あおられているという意識を与えないように車間を保ち、ペースメーカーにする。」というのはナイトランでよくやる手法だ。これにより、他の注意力を排除し、テールランプ2点だけに集中する事で、ちょっとしたオートマティックライディングの状態を作る事が出来る。ところが、この夜現れたのはこちらをペースメーカーにするクルマだった。
 速度は120キープ。疲れと無給油無休憩、到着時間を考慮した数値。こちらが低速車を抜けば同じように抜き、かといって車間を詰めてはこない。
 街中をクルマで走っていてバイクに抜かれた時、追いかけたくなる事があるが、クルマを自転車で追いかける行為に等しい。高速ではそれが可能だ。(なるほど。。。)ライダー、もしくはかつてライダーだったのかもしれない。
 順調に距離を伸ばしていたが、八幡IC以降の記憶が無い。バイクに乗らない人にはよく驚かれるが、最低気温8℃まで下がったこの夜、いくら寒くても居眠りは発生する。「ハッ」と気付き、予定外の古賀SAに短時間だけワンストップした。前後するが、グローブ以外の装備は完全真冬仕様でスタート。平均10℃強で推移していた気温に対し、かなりの余裕を持っているが、降りてこのまま行動すると汗だくになる。
 予定通り3時過ぎ会場到着。いつものように、たくさんのキャンピングカーがひしめき、ベストポイントを探すためサイトを散策。無料周回バス停留所の近くに荷物を広げた。さっそく持参の白ワインを開け御飯。二日半の食料というのは、この夜食一回分を含めている。

Day Two
 1時間ちょっと眠っただろうか?まだ暗がりの北駐車場入口には、ヘッドライトを光らせたクルマが長い列を作っていて、映画「Field of Dreams」のラストシーンを彷彿させた。
 競技が始まるかどうかは、ギリギリでないとわからない。ロールパンと昨夜の白ワインで軽い朝食を取り、場内放送を待った。
 この日の午前の競技は、パイロットデクレアドゴール、フライイン、ジャッジデクレアドゴールの三つ。メイン会場から数キロ離れたところから飛んできて、ターゲットめがけてマーカーを落とすというもの。残念ながら会場からの一斉離陸ではない。曇天だが、朝早いにもかかわらずたくさんの人でごった返している。
 今回の競技はなかなかレベルが高く、ターゲット近くに落とす気球が続出。おなじみのアナウンサー、ライオ・E・ランドリーの煽りもあって、結構な盛り上がりを見せていた。
 結局、競技終了時間までメインローンチサイトに滞在し、テントに帰ったのは11:00近くになっていただろうか?眠気は頂点に達していた。
 午後の競技の前に目が覚める。昼食を取り、斎藤純「風と旅とオートバイ」を開いた。ここのところ読んでいる本が、たまたま病気ものやら戦争もの。精神状態が良い時ならプラスに取り込めるが、トラブルを発端に、色々なマイナス要素が押し寄せてきていた。その思いを断ち切るべく持ち出したのが、昨年のバルーンにも持ってきたこの本だった。
 しかし、どうにも集中できない。どんよりした天気と気分。それを忘れさせてくれる何かが今年はない。去年おととしと一緒だったM家族は、お兄ちゃんのサッカーのため来れないとの連絡を受けていた。もちろん一人が寂しいわけではない。単に心のバイタルが低下しているだけだ・・・。
 午後の競技は同じくフライイン。十分な睡眠も取れていないので会場には行かず、ゆっくりする事に決め、再び本を開いた。
 しばらくすると、テントの外で子供が騒ぎ始めた。少し開いていたフライシートから外を覗くと、競技を終えた気球が北向きの風に流され、続々とこっちへ向かってきている。。
「頑張れー!」
 子供達の声援に答え、パイロットも手を振リ返している。手が届くほど低空を、何機もの気球が流れていく。トップイメージの絵はこの時撮ったもの。パイロット達の乗るバスケットまで50メートルあるかないか。どんなにスピードが出るバイクでも、空は飛べない。(乗りたい!)きっと誰もが思うことだろう。真上を通り過ぎた気球は、嘉瀬川対岸の田んぼで球皮をたたんでいる。
 今度は目の前に、真っ赤なハンターカブを積んだハイラックストラックが止まった。
「ここ、いいですか?」
と、降りてきた年配の夫婦。北九州から来たNさんとの再会だった。
 Nさんの張りはじめたテントは、同じ小川テントのSTACY。ところがその張り方がおぼつかない。まだ2-3回しか使った事がないらしい。「ここはこう、あそこはこう。」と教えながら意気投合。お礼にとビールをいただき、話が弾んでいく。
 初めて会ったのになぜ「再会」か?それは話の内容にさかのぼる。バルーン12年目というベテランのNさん。去年はどこに居たかという話になった。聞くと、こちらのすぐ目と鼻の先。
「ん?そういえば・・・。」
 ハイラックストラックと荷台の真っ赤なハンターカブ。
「思い出した!」
 そのアクティブな装備にそぐわない年配の夫婦の絵がよみがえってきた。記憶に残っている理由がもう一つ。それはサーキットやバルーン会場でいつも感じる事と関係があった。
 「ZZ-Rで移動し、折りたたみ自転車をバックパックしての輪行」。広い会場をうろうろするのに強力なアイテム「自転車」。ワインを飲んでいても大丈夫。真剣にネット検索した事もある。実現には至っていないが、今回も同じ思いを抱いた。タンデムでサイトを後にするNさん夫婦を見て、この思いはさらに強くなった。
 そうこうしているうちに、ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン(夜間係留)の時間が迫ってきた。Nさんの話を断ち切って場内巡回バスに乗り込む。すでにバス待ちは長蛇の列。遅れるとベストポイントを逃してしまう。これが後に残念な結果を招く事になる。。。
 ローンチサイトはすでに多くの人でごった返していた。佐賀バルーン駅からは、続々と観客が降りてくる。今回はステージをメインに見ようと思い、目の前に陣取った。わずかな風はあるが、いくつかの気球は立ち上がり始めていて、無事開催されそうだ。そして・・・。
「3、2、1、バーナーオ〜〜〜ン!」
 オリジナルテーマ曲にあわせた一斉バーナーオンと共に、「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」が幕を開けた。
 クリストファー・クロス「ニューヨークシティ・セレナーデ」、ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」、スイングアウトシスター「ブレイクアウト」。絶妙にアレンジされた往年の名曲と、点滅する60機近くの球皮を目の当たりにして、不覚にも涙目(頬を伝うまでには至っていない。笑)になってしまった。
 この疲弊した社会の中で、バラ色の毎日を送ることは難しい。普通にしていても、ニュースを見れば嫌な気分になる。犯罪、恐慌、迷走する政治。効率を最優先するあまり、機械のネジ以下の存在になりつつある個人。その一方で官僚は税金を垂れ流す。トラブルを発端とする気持ちの流れから、一時は中止も考えた。
 しかし・・・、
 生きる意味は「無駄」の中にある。家に居れば必要の無い出費をし遠出する。そこでは、大金をかけ作られた気球が、同じく大金をかけ運営されるイベントで優雅に空を飛ぶ。
 レースやスポーツにしても同じだ。人生を掛け技を磨いてきた競技者が、大きな開発費を投じて作られた装備を駆使して競う感動。税金の無駄使いとは対極に位置し、効率を考えれば必要の無い行為。
 そこに他意は存在しない。「空を飛びたい。」、「人より速く走りたい。」という「崇高な無駄」。
(ムダだなぁ・・・。)
 涙目になっていく自分をコントロールできなかった。。。
 旅する事そのものが目的ではない。もちろん、名所旧跡を訪ねることが目的でもない。最もやりたくないのは、現実逃避の手段として利用する事だ。旅は、「逃げ」ではなく、「柔らかな攻撃」でなくてはならない。
 青空に浮かぶ白い雲、シールドをつたう雨、冷たい月。いにしえびとの業に思いをはせ、今を生きる仲間の躍動に心躍らせる。恐ろしい偶然の上に成り立つ、同じ時代に存在する人々。
 求めるものは、先にあるこの「満ち足りた気持ち」。
(来てよかった・・・。)
 終わりを告げる花火と、場内を流れるライブ音源の「デスペラード」。完全にとどめをさされた祭りの後。。。

 サイトに戻ってしばらくすると、Nさんたちも帰ってきた。持ってきた赤ワインを酌み交わす。いまだ余韻を残す夜間係留の話題になり驚愕の事実が発覚した。
 Nさんには関係者の知り合いがいて、一般観客側ではなく、ローンチサイト内で盛り上がったという。さらに、こちらがバスに乗ろうと慌てていて、途中でさえぎった話がそれで、「一緒に入れたのに。」と。
(要点は先に言ってよ!)これもめぐり合わせ、来年またチャンスがあればということで。
 70の大台に乗るNさんだったが、行動はすごくアクティブ。以前はオフロードのレースに出場し、今現在もナンバー付きレーサーXRを所有しているという。最近はヨットに夢中らしく、自分の知らない海の世界の話はとても面白かった。
 銭湯に行く二人を見送り、テントに入ると瞬睡。Nさんたちが帰ってきた音と、フライに打ちつける雨音に何度か目を覚ました。
 野営での雨。うるさくもあり、イベント中止の不安もあるが、それに相反してどこかに心地よさを感じる事も否定できない。皮一枚を隔てたテントの中で、「結構降っている。」とか、「幾分小雨になった。」とか。かなりの繊細さで感じ取る事が出来る。夢うつつの中、また一つ、新たな旅の夜を刻んだ。。。

Day Three
 バチバチとフライを打つ雨音で目が覚める。結構強く降っているようだ。少しだけジッパーを開き外を覗くと、この雨にもかかわらず、昨日と同じ「Field of Dreams」のラストシーンが広がっていた。天気予報は曇り。夕方から晴れ間も出る可能性があった。まだどう転ぶかわからない。
 早朝ミサのごとく、赤ワインとパンの朝食をとり、何とか雨のあがったローンチサイトへ向かう。到着した段階では競技開催とのアナウンスがなされていたが、最終的に雲が低いという事で競技中止。すでに立ち上がり始めていた数機や、善意のパイロット達が戻ってきて球皮を膨らませている。一部の飛び立った気球は、すぐに雲に隠れて見えなくなっていく。マネージメントサイドの賢明な判断に納得。残念ながら、今年は一度も一斉離陸を見る事が出来なかった。
 巨大テント内に露店がひしめく各地の物産展。時間が空いたので、足を踏み入れた。買うに至ったのは福岡のお店の鶏釜飯と、数種類のパンを詰めたアラカルト。鶏釜飯は見た目どおりだったが、パンがおいしかったのには驚いた。「どうせ売れ残りを詰めただけだろう。」と期待していなかっただけに大きな収穫。特にクロワッサンはかなりの美味。
 戻ってきたNさんたちと再び談笑。関係者の知り合いから、市が発行するオフィシャルポスター(非売品)をゲットしてきていた。「要るならあげるよ。」というNさんに一時は断った。かなりのテンションがかかる荷物に、無傷では持ち帰れないと思ったからだ。でもすぐに思いなおして一枚いただいた。そうこうしているうちに、Nさんが撤収を開始。夫婦との出会いは、沈んでいた気持ちを吹き飛ばしてくれた。
「また来年、この場所で出会えたその時にはよろしくお願いします。」
 真っ赤なハンターカブを積んだハイラックストラックに手を振った。

 こちらも撤収開始。帰路につくわけではない。すべてパッキングして、ローンチサイトの対岸へ移動するためだ。片付けていると、小学校低学年くらいの男の子が近寄ってきた。
「どこから来たと?」
「ナンバー見てみろ。」
「ひろしま!」
 読めるのか。なかなか賢い子だ。
「速ぇーぞ。。。」
 パネルを覗き込む男の子。
「さんびゃくにじゅう?!」
「またがってみるか?」
 首を横に振って走り去って行った。
 さて、ポスターをどう持って帰るか。まず強度を増すためにギリギリまで細く巻く。これでかなりの固さに。次に、アイデアしだいで色々使える70リットルゴミ袋をグルグル巻き。これで雨に濡れても大丈夫。最後に荷物のなるべく圧のかからない場所を選び差し込んだ。家まで無事持ち帰れるだろうか?
 撤収完了し、暖機していると、再びさっきの男の子が現れた。
「ブォーンってやってみて!」
「自分でやってみろ。」
 と、促すがさわろうとしなかった。子供の頃の記憶は強い。今回は怖気づいていたが、十数年後、ライダーとなっているかもしれない。
「どこいくと?」
「家へ帰るよ。じゃあな。」
 予期しなかった見送りに、手を振り返しながらサイトを後にした。「また来年!」。

 会場の対岸になる嘉瀬川の土手を目指す。入れそうな小道の全てに警備員が立ち、進入を防いでいる。しっかりとしたセキュリティだが・・・。警備員に聞いてみた。
「これ(二輪)もダメですか?」
「行っていいよ。」
 あっさりと進入成功。道端の空き地に止め、ちょうど放送棟向かい側に当たるベストポジションを確保。コンパクトチェアーを広げた。。。

 午後は、競技というよりエキシビション的要素を含む「キーグラブレース」。メインスポンサーのホンダから提供された、賞品がかかった大きなキー(カギ)を手づかみで取るというもの。1キロ離れたどこからでもスタートでき、制限時間は2時間。失敗したら何度でもトライできるが、撤収、再チャレンジには時間がかかる。
 ほとんどの気球が同じ方向から飛んでくるため、中には接触したり、地面に当たったり、スリリングな光景が楽しめる。開始してすぐに、中国から来たパイロットが操る気球が黄色のキーをゲット。すぐ終わってしまうかと思われたが、その後会場内を吹く風がめまぐるしく変わり、制限時間は刻々と過ぎて行った。
 (最後のチャンスか?)しかし、時間ギリギリに近づいてきた気球ははるか上空を流れて行く。場内アナウンスも「お疲れ様でした。」と声を掛けたその時、急降下してきたその気球がなんと赤色のキーをゲット。あまりにも劇的な幕切れに、場内の観客から大歓声があがった・・・。
 続いてお馴染みバイクトライアルのラストショー。今年も小林直樹と小川友幸が、素晴らしいパフォーマンスを展開している(らしい)。対岸だが雰囲気は充分伝わってくる。
 空が徐々に暗くなってきた。サイトでは、夜間係留に備え、スタンバイを開始するチームが現れはじめる。辺りには、三脚と一眼レフを持った写真家達がズラリ。オフィシャルのポスターやパンフレットで定番の、嘉瀬川に映る夜間係留を捕えるためだ。そして、昨日と同じく、生バンドのテーマ曲で、「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」が幕を開けた。
 対岸で見る夜間係留は、会場側で見るそれとは違っていた。嘉瀬川の水面には、もう一つの世界が存在し、同じくもう一つの夜間係留が繰り広げられていた。
(なるほどねー。)
 どう書けばいいだろう?
「撮りたくなくても撮りたくなる絵」、とでも言おうか?結果、「撮った所で撮らされる絵」でもある。個性を持った切り取り方を成功させるのは至難の業だ。
 今思えば、この対岸の土手には4つの世界が存在していた。会場と、嘉瀬川のミラーワールド、二つの世界を、粒子やピクセルに変換する者、そして・・・、その全てを傍観する者。
 自分はというと、三つ目と四つ目の境界をウロウロしていた。またも強く感じたのが、以前MIXIにも書いた写真を撮る事の弊害。この瞬間を最も有効に過ごす方法は、ただ無心に点滅する気球を眺めること。無論、正しい見方など無いが、少なくとも自分がそうありたかった。。。どうあがこうが、この素晴らしい空間を写真に封じ込める事は出来ない。
 雑念を打ち消すように、終わりを告げる花火が上がり、デスペラードが流れはじめる。。。カメラを構えるべきではなかった。なにか損した気分だ。

「うちへ帰ろう。また新たな旅へ出るために・・・。」


Nov.1

 食料2日半分、ワイン赤白1本ずつ、水6リットル。それでは・・・。

10

October.28 2008 佐賀バルーンフェスタ ” 大気に漂う時間 “

 ついに近づいてきた。佐賀バルーンフェスタ2008。
 初めて訪れたのは04年。午後の競技を見るべく日帰りで出発したが、風のため中止。それほど大した風でもなく、「ひどいイベントだ。」と憤慨して帰った覚えがある。
 翌年以降、一斉離陸のあまりの素晴らしさに魅入られ、わずかな風でも競技にならない、その繊細さに納得し今年に至っている。
 特に感じたのは去年。わずかに風があり、モンゴルフィエノクチューンの開催が危ぶまれていた。モンゴルフィエノクチューンとは、フュージョン系の生バンドに合わせ、気球が一斉にバーナーオン。巨大ランタンと化した気球が幻想的な、競技に匹敵する素晴らしいイベントだ。
 ところが、様子を見るために膨らませた球皮が少しの風にあおられまくっていた。
(たったこれだけで風で・・・。)
 結局、バーナー点火のみの開催となったが、それはそれでキレイだった。

 青空に漂う気球と同じく、「漂う時間」を楽しむ事が出来るかがとても重要になる。原動機を持たない気球。その特性上、ほとんどの動きを風にゆだね、人間のコントロールできる要素はわずか。ゆえに少しの風で競技は中止となる。その場合どう楽しむか?

「あの広い空の下で、自分自身も漂う。」

 キャンプサイトは、会場の最もはずれ。メイン離陸サイトまで歩いて20分もある(会場内周回シャトルバス有り)。遠くにイベント会場のアナウンスを感じ、吹き抜ける風に身をまかせる。
 キャンピングカーに囲まれながら、眠くなれば眠り、お気に入りの本を、お気に入りのワインを飲みながら読むこの浮遊感。。。

 急に寒くなった今日。「装備はどうしようか?」、「持っていく本は?」と色々考えながら、妄想をめぐらせる。出発するまでの今週、天候を注視しながら、旅の半分を楽しんでいる。。。

 写真は06年のもの。これまで撮ったものを見返してみたが、いい写真が無い。青空に浮かぶ気球の雄大さと、その絵の持つ強力なパワーに、自分の絵は切り取れず撮らされる。その場にいるだけで十分なのかもしれない。。。


October.26 紅葉調査・R191-R186
 16:00過ぎ、今にも雨が落ちそうな空模様の中をスタートした。午前中まで降っていた雨で、路面はハーフウェット。どちらにしろ国道を通るため、一般車に引っかかり快走する事は出来ないだろう。
 加計をショートカットする県303、田之尻〜井仁で、「おっ」と思う区間はあったが、全体的に見るとまだ色付き始めといった所。気温の変化にもよるが、本格的な紅葉には、もう少し時間がかかりそうだ。
 先週写真を撮った自販機で休憩し、吉和、羅漢、宮内へと抜けたが、すでに暗くなり判別不可能。特にここに書く面白い出来事もなかった。
 一つ挙げるなら、羅漢で走り屋風のクルマと短い区間バトルになったが、すぐに普通の四駆に追いつき終了。頑張って逃げている四駆を2台で見守りながら下って行った。
 ほとんどブレーキを踏まずにコーナーリングしていく走り屋に少し興味を持ったが、実際のところ、街灯の無い羅漢渓谷で4輪に本気で逃げられたらすぐ諦める。暗いノーマルヘッドライトに路面ウェットでは自殺行為も同然。コーナーエッジに前車のテールライトが消えた瞬間、無重力の宇宙空間に投げ出されたような錯覚に陥り、そのまま直進したくなる。真っ暗な小瀬川にダイブという事になるだろう。久しぶりに内容の無い一日だった。
 さて、週末は佐賀。先週より原因不明の湿疹が背中じゅうにひろがり、帯状疱疹かとビビる。(現時点の症状から多分違うと自己診断。)今日になって身体のだるさも加わり、早い段階で病院で見てもらい、万全の体制でスタート。ギリギリ準備、危険爆走をしないため、余裕を持った計画を立てたい。1日、仕事を終えてのミッドナイトランになる。今季初の本格的冬装備だ。


October.19 ルーティーン爆走

「自販機がくれる幸せ。。。」

 先日クリーンアップしたフロントキャリパー。再び鳴きの症状が出ている。戻りが悪い訳だから、取りきれなかったゴミか、シールの劣化が考えられる。15年経過した車体。ゴムパーツのどれもがトラブルの火種といっても過言ではない。

(とりあえずシールがどうなっているか見てみよう。)

 実は、パッド交換や簡単な清掃は何度もしているが、ピストンを取り出したことは一度も無い。他の三つを押さえ、ブレーキをシュコシュコ。狙いをつけた一つが徐々に出てくる。ある程度出た所で引っ張った。

「ドバッ!」

 ブレーキフールドが飛び散る。当たり前の事だった。(笑)

(なるほど、こういう構造になっているのか・・・。苦笑)

 ブレーキフールドは塗装を溶かすほど強く、急いで拭き取る。ピストンは先日の掃除でキレイになっているようだった。ここである事に気付いた。一個を外したら圧がかからないため、他の物を外す事ができない。

(どうやるんだ?)

 とりあえず一個を戻し、フールドを追加。次の一個も取り外してみた。このやり方ではフールドがもったいない。さらに、色気を出してシールがどうなっているか取り外したのが命取りだった。

(はまらない。。。)

 新品を見ていないので比較できないが、シールがうまく溝にはまらず、ピストンを戻す事が出来なくなった。再びはめるのにかなりの時間を要しガックリ。”よれて“はまっている様な感じもしてイマイチすっきりしない。何しろ死に直結するパーツだけに適当には出来ない。この作業をするために、キャリパー自体を取り外したため、面倒なエア抜き作業が追加された。
 さらに追い討ちをかける事件が発生。無の境地でエア抜きをしていると、気が付いた時にはピストンが出始めている。飛び出したり、合わさってしまったら面倒な事になる。何も考えずしゃがみ込み、ピストンを押し戻した。そして、再びブレーキを握ろうと立ち上がった時、唖然とする光景が広がっていた。

「ブレーキフールドの噴水でびちゃびちゃになったコックピット。」

 これも当たり前の事。マスターシリンダーの蓋もせずピストンを戻せばこうなる事は明らか。あまりにも馬鹿げた連鎖だが、ガックリしている時間は無い。急いで拭き取らないと。しかし、大量に吹き出たフールドは、手の入らない所まで流れていて気分は限りなく黒に近いブルー。
 メンテナンスは平日、仕事から帰ってやるようにしている。せっかくの休みは、とにかく出る事に専念したいからだ。こんな休みの使い方なんて・・・。

 気を取り直して17:00スタート。自分的には普通の出来事ではあるが、絶好の季節にすれ違うバイクのほとんどが帰路のはず。我ながら苦笑せざるを得ない。
 藤の木から魚切へ、そして湯来から吉和へ。いつものコースを爆走した。ブレーキの効きは元通りだが、右側は手をつけていないため、また鳴きの症状が出る可能性は否定できない。
 今日はコミネのニーシンガード(膝・脛プロテクター)のシェイクダウン。オーバーパンツを履く冬はともかく、ジーンズだけの季節、膝は裸同然。以前からプロテクターの必要性を感じていた。色々なメーカーをチェックしたが、ほとんどの製品が膝部分がパカパカになるのに対し、これはネオプレンで固定することが出来る。なかなかのホールド性だ。今のような中間期、意外にも防寒になる事もプラスアルファ。

 気分的なブルーは、すぐに秋空のブルーに吹き飛ばされた。そして夕日の赤から薄暮の紺、さらに時間とともに濃紺に変わり、それこそ黒に近いブルーへ。一日が終わっていく時間のグラデーションは、短時間の走りを立派な「旅」に変える。
 表紙の写真は、吉和ドライブインで撮ったもの。このまま羅漢に抜けるか、折り返して同じ道を戻るか、もしくは高速でクルージングするかの分岐点。なんでもない絵だが、自分にとって深い意味を持つ「いつか見た風景」だ。
 ナイトランや、これから訪れる冬の走りで、自販機の持つ力は大きい。明かりの無い山中で現れる光は、地図を確認するのに役立つばかりでなく、どこかホッとする瞬間でもある。特に厳冬期の旅で手にしたホットコーヒーは、かじかんだ手だけでなく、心も暖めてくれる。
 同時に隠れた名所でもある。色々な場所を回ってきたが、何年も前に立ち寄った自販機をしっかりと覚えているのだ。もちろん正確な場所はわからないが、ずっと通っていなかった道を久しぶりに通った時、見覚えのある自販機に、その時の記憶がフラッシュバックする。

(あの寒い冬の夜、この場所で、凍える手を温めていた。。。)

 車一台通らない山の中の峠で、自販機の灯かりに照らされるバイク。この穏やかな空間に、今まで何度お世話になった事だろう。たった20-30分の滞在だったが、タンクバッグのビニール部分が結露していた。もうじき冬が来る。。。

 帰りは吉和から高速を選択。120程度でゆっくりとクルーズする。行き交う車のほとんど無いこの区間。筒賀PAでは止まっている車一台も無し。今回はパスしたが、寄れば貸し切りPAとなる。
 ヘッドライトに照らされる路面を見ていると、思考がより深いところへ。色々な事を考えながら、無意識にイン側の白線をトレースしていく。。。


 先週の津和野・ポンム・スフレでうれしい出来事があった。店に入ってしばらくしてテーブルに来たマスター。

「お礼を言わないといけません。」

(どういうことだろう?)

 話を聞くと、前回食事しに来た時同じ日に行った須佐の高山と関係があった。山頂でコーヒーを淹れていると、一組の夫婦が登ってきた。下松から来たというその二人と立ち話になり、話の中でポンム・スフレを勧めた。フィルムカメラにリバーサルという今時珍しい旦那さんと、写真談義で盛り上がった記憶がある。その時の夫婦が店に来たという。それも出会ってから丸2ヵ月後の8月終わり頃。「バイクの人に聞いた。」と話していたらしい。

(なるほど、そういう事か。)

 マスターも喜んでいたが、こちらもホンワカした気分になった。

(しっかり覚えていてくれたんだ。。。)

 一期一会だが、どこかつながっている・・・。「旅をしていて良かった。」と素直に感じる瞬間だった。

「そういうつもりじゃないですよ。」と断るこちらに、デザートを付けてくれたマスター。出来れば今年中にもう一度行ければいいのだが。。。


October.12 有福温泉・善太郎餅・那賀グリーンライン
 更新意欲が低レベルで安定していたが、イベントではなく、久々に走りらしい走りに出れたので、こちらも久々マップ付きで。
 まず、当初津和野でランチの予定だったが、タイヤ交換した辺りから気になっていたフロントの鳴きをチェック。「ひきずる」とまではいかないが、バンクさせたときパッドがディスクに干渉している模様。キャリパーを外してみると。。。
 汚い!考えてみれば、このマシンを譲り受けたのが19,000キロ。今現在63,000キロ。その間、リアは3度パッド交換したが、フロントはキャリパーを外した事すらない。いかにリアとエンブレだけで止まっているのかと驚いた。取り外したパッドもすべて3ミリ以上あり、交換はまだまだ先。皆どのくらいで換えているのだろうか?
 案の定、左右とも1ポッドが固着して動かなくなっていた。計8ポッド、一つ一つ出して拭き拭き。これで不具合は解消した。
 11:00近くまでかかり、津和野ランチは間に合わないと判断、代替案を検討していた所、有福温泉が引っかかった。初めて訪れる場所だ。
 13:30スタート。ETC休日割引(半額)で迷わず高速へ。近日中に深夜割引も半額となり、日中はカードチェンジ、長距離は深夜と、とても利用しやすくなる。期間限定の暫定処置だがずっと続けて欲しい。例によって走ってない県道を結ぶため、手前の瑞穂で降りた。
 かなりの長さで、四国の寒風山トンネルを思わせる日和トンネルを抜けると、日和小学校で運動会。
 24時間365日、日貫のT字路を見守るお巡りさんに、わざわざ引き返して写真。ちなみに彼、右から見る横顔は、横断歩道を渡る小学生に優しく挨拶する穏やかな表情なのに対し、左からの顔は、ネズミ捕りで草むらに隠れているレーダー担当のような顔。おまけに瞳孔が開ききっている。

 八戸ダムの湖岸線。枯葉や枝、小石が散乱していてとてもオン向きではないが、ひっそりとした奥山のダムだった。狭路の続く県道50を抜け、目的地有福温泉へ。
 3軒の公衆浴場を持つ、いい感じに鄙びた温泉。連休の中日とあって、意外にも結構な人出で賑わっている。車で来た人たちは満杯の駐車場に困っているが、どこにでも置けるバイクは有利だ。
 最初の湯に「御前湯」を選んだ。いわゆる普通の公衆浴場だが、細い路地を階段で登っていく道程には、古き良き温泉街の情緒を感じる。300円。全体的に特筆すべき施設ではないが、逆にそれが安らぎにつながる。
 御前湯に浸かっている時には、3件をハシゴしようと考えていたが、自宅から100キロ圏内の近距離にあるため、またの機会に取り置きとした。
 このまま去るには少しもったいないので、徒歩で辺りを散策。到着した時気になっていた「善太郎餅本店」へ。店主に一つから買えるか尋ねると大丈夫との事。でも、「小さいですよ。」というので2個で140円。期待していなかったがこれがうまい。一口サイズの普通のよもぎ餅だが、ポンポンと2個なくなってしまった。
 店に戻り、「善太郎さんとは誰か?」と聞くと、江戸時代末期に実在した信心深い”ただのお百姓さん“。善太郎さんも、自分の名前が100年以上経つ今日、餅として残っているなど夢にも思うまい。
 一度店を出たが、ウインドウに10個入り800円の箱を見て珍しくお土産を買おうと三たび店の中へ。バイクへ戻りながらふと気付いた。
(2個140円、10個800円?箱が100円かい?!笑)
 何気なく周回コースを取ろうと回った広域農道「那賀グリーンライン」。実はここが今日のハイライトだった。路面状態がよく、広い片側一車線。アップダウンと程よい切り返しの連続するオン向き激快走ルート。交差点や民家が少なく走りに集中でき、交通量も少なかった。
 帰りの高速では、たった一言を呪文のように繰り返していた。
「さぶ、さぶ、さぶ、さぶ・・・。」
 先週の岡山からの帰り、今期初めて寒さに震えながら走ったが、今日の帰りはそれに輪をかけて寒い。かといってオーバーパンツを履くと日中汗だくになるし、いちばん難しい季節だ。それでも、なぜか「秋」は感じない。


 ついでに先々週の神戸と先週の岡山の特記事項。
 ぜひ書いておきたいのが「オテル・ド・摩耶」。国民宿舎でありながらイタリアンのオーベルジュであり、ジャグジーバスから入浴しながら100万ドルの夜景を見下ろせるという最高のホテル。昨年暮れより気になっていた宿で、「旅の香り」でも紹介されたとの事。もちろんメインはディナーコース。かなりの期待を持って席に着いたが、予想を上回る満足度だった。
 宿泊だけでなく、ディナーのみも可能で、当日、どのくらいの割合だったかわからないが、平日月曜の夜、そこそこのテーブル数にもかかわらず、空いているのはワンテーブルだけという賑わいが、すべてを物語っていたと思う。あえてケチをつけるなら、スープとサラダがなかったのが残念だったが、それも気にならなかった。
 部屋も、恐らくいちばん良い部屋だったに違いない角部屋。この日は皮肉にも激しい雨の夜だったが、霧に煙り、見え隠れする神戸の夜景が、逆に幻想的ですらあった。
 料金は、料理、曜日、季節によって変動するが、最上級のCコースがおすすめ。16,857円(9月・平日)であのディナーなら決して高くは無いはず。ビュッフェ形式の朝食は、ディナーが良かっただけに少しショボかったが、全体評価には影響ない程度。

オテル・ド・摩耶:
http://www.hotel-de-maya.com/


岡山JSB第6戦最終戦。
 終日ウエットの天候の中、圧巻だったのがST600クラスの#10稲垣誠。オープニングラップ、1コーナーでいきなり転倒。すぐに再スタートしたが、もちろん最後尾となった。ところが、1周ごとにポジションアップする怒涛の追い上げ。4ラップ目などなんと5台抜き。最終的に6位まで上げた。破れたレインウェアをはためかせ激走する彼に拍手!
 最後の最後まで優勝争いのわからないJSB1000・Race2も最高にドラマティック。秋吉、伊藤真一の転倒、中須賀がポジションダウンした時もハラハラドキドキ。見る方もびしょ濡れの状態だが、それに余りあるスリリングな一日だった。

9

September 2008

カラスの反撃
 9/4 豊島・十文字展望台。日も傾き、帰路につこうと下り始めた時、谷側、右の木の枝に、おびただしい数のカラスがたむろしているのに気付いた。一度はそのまま通り過ぎたが、絵になる光景に写真を撮ろうと再び引き返す。
 やつらは気配を敏感に感じ取る。最初通り過ぎたときには動じなかったが、反転して止まった途端、一斉に飛び立った。Indexページに載せた写真はその時のもので、実際、この数倍のカラスが空を舞っている。
 何枚か撮ったが、散りじりになった彼らを同フレームにおさめる事は困難。諦め、しばらく眺めていたが、そのうち・・・、

「ダッ!オラッ!」

 大声を上げると「ビクッ」と反応するのが面白く、さらに手をたたいたりして遊んでいると・・・、

(!!!・・・何?)

 唖然。。。タンクバッグからメーターパネルまで、赤い何かが飛び散った。一瞬、状況がわからず茫然としたが、すぐに分析を開始。
 ブツは赤く噛み砕いたもの。内容物から判断して糞では無い。時期的に考えるとイチジクかもしれない。軌跡はヘルメットの右後方に当たり、拡散した子爆弾がタンクバッグに飛散、さらに跳ね返った残りがパネル付近に飛び散った。

(こいつら・・・。)

 憎たらしさと同時に笑いがこみ上げてきた。それは感嘆すら含む笑いだ。
 死角である後方から近づいてきた敵機は、ターゲットである人間にヒットさせた後、さらに子爆弾を飛散させ、マシンにこれでもかというダメージを与える。
 糞が投下爆弾と考えるなら、吐瀉物はまさにミサイルか機銃掃射。それも一発で複数のターゲットを破壊。恐ろしい正確さで。

(明らかに意図的だ。。。)

 ティッシュで被害を拭き取りながら、気持ちは徐々に「感嘆のみ」に移行していた。思えば、春には鳶、夏にはツバメの攻撃を受けているが、こちらは「威嚇」。それに対し今回は完全なる「反撃」だ。
 進化レベルにおいて、哺乳類は鳥類より上だと教えられてきた。しかし、それは人間が勝手に作った独断と偏見による思い込みだと認めざるを得ない。
 それどころか、数の優位性と制空権を支配されたこの場所では、むしろこちらが弱者に当たる。そもそも、先制攻撃を仕掛け、彼らの日常をかき乱したのはこちらだった。
「今日は負けだ。」また機会があるとしたら、作業皮手といがぐりで「地対空迎撃」といきたい。

(また遊んでね・・・。)


ポルシェカレラ
 9/7 全日本トライアルRd.5へ向かう山陽道。ハイライトは突然やってきた。
 ここのところ、高速巡航速度は120程度と遅い。この日は風もあり、それでも結構なスピード感を感じていた。
 一台のバイクが後ろに付く。特にそういう気分でもなく、追い越し車線がクリアになると、走行車線に戻った。付いて行こうと思ったわけではないが、成り行きと流れで、今度はこちらが後ろに付く形となる。大阪ナンバーのGPZだった。
 彼の単独での巡航は160程度、追い越し車線が詰まると、走行車線から抜きをかけていて、こちらは付いて行く気もなく、「自然と追いつく」、「また見えなくなる」というパターンを繰り返しているうち、先に行ってしまった。
 しばらくまた普通の流れに戻り、走行車線を走っていると、追い越し車線をシルバーのポルシェが追い抜いて行った。またまた成り行きで後ろに付く形となったが、前が空いた所でどんどん逃げ始めた。

(プチッ)

 ここでスイッチが入ってしまった。ジャーマンスーパーカー「ポルシェ」。どのくらい出るのだろう?昔、夜の九州道シルビアとのバトルが強く記憶に残っているが、この時は最高で200ちょっと。まだ余力を残していた。さてポルシェは?背伸びをしても仕方が無いので正直に書きたい。

「ギリギリだった・・・。」

 とりあえず220くらいまでメーターを見たが、さらに加速するポルシェに付いて行くだけで精いっぱい。もうメーターを見る余裕などなかった。
 すいている中国道の直線で、最高速トライをするのとは訳が違う。日曜朝の山陽道。走行車線は行楽に向かう一般車で結構な交通量だ。この速度でケツにびっちり付くのはあまりにも恐ろしく、もし空けた車間に120で入って来る車があれば、とんでもない相対速度で追突する。はるか先を走る車一台一台の挙動にも神経が集中していた。これ以上出されたら、もう付いていく事は無理だっただろう。
 年季の入った車体も悲鳴を上げていた。200を過ぎた辺りからグニャグニャと波打つフレーム。普段あまりしないニーグリップを強め、ステアリングを押さえつける。もし、何かのはずみでフロントが切れ込んだら、少なくとも数十メートルはダイブするだろう。中央分離帯を乗り越え、反対車線に飛び出るかもしれない。人間だけで。。。 今これを書いている自分、いや、走っている最中でさえ気付いていた狂気。

(死ぬぞ・・・。)

 先ほどのGPZが、あっという間に左後方に消えて行った・・・。もちろんミラーを見る余裕など無い。
 前が詰まり、ポルシェとの間に車が入ろうとした。すかさずパッシング。普段めったにしない行為だが、ここでバックマーカーに入られるわけにはいかない。

(いつまで続くのだろう?)

 「もういい。」という気持ちと、「もう少しこのままでいたい。」という気持ちが同居していたその時、ポルシェが減速し、走行車線に戻った。そのまま横に並び、左手を挙げる。

(終了だ。)

 とても前で引っ張る余裕は無い。こちらも走行車線に戻り減速。しばらくすると、再び右を追い抜いて行ったが、ルーティーンストップの福山SAはもうすぐ。

(どこの誰かは知らないが、楽しい時間をありがとう。)

 福山SAで、かなりの時間ボーっとしていた。言葉に出来ない脱力感。スピードは麻薬だ。先ほどのバトルに何の意味があったかといえば、何の意味ももたない。自分はレーシングライダーでは無く、バイクを道具として使っているツーリストにすぎない。しかし、追いかけずにはいられなかった。ヘルメットに貼った#81を見ながら、200キロオーバーバトルはこれで終わりにしようと感じていた。

 再スタート後の巡航160では、まるで徐行しているかのように、ゆっくりと景色が流れて行った。。。


リーバイス・シュリンクトゥフィット
 大学時代より501だけを履いてきた。と言っても、マニアックな知識を持っているわけでも、高価なビンテージ物をはいていた訳でもない。ただただ、ワンウォッシュのブルージーン。
 当時のサイズはW(ウエスト)31-L(レングス=股下)36。古いもの(穴が開いたり、破れたりしているが、ほとんど取ってある。)を取り出して見てみると、街履きでは少し長いので切る事もあったが、そのまま裾をほどいて履いていた物もある。中には記憶に残る色落ちやキズ、破れがあり、古き良き時代が思い出される。
 タグを見ると、そのほとんどがMade in USA。さらにRタブも何本かある。ショップで選んで買っていたからだ。
※Rタブ…右後ろポケットの左側に、Levi'sロゴの入った赤い小さなタブがある。数十本に一本の割合で、ロゴ無し、丸Rだけのものがある。
 いつ頃だったか?、もものゆとりを取ってW32-L36にサイズアップ。この頃から米国製でありながら、リーバイ・ストラウス・ジャパンK.K.のタグが入リはじめた。
 さらに、W33にあげた2000年ごろ、神戸・元町のリーバイス・ストアで買った501においては、レングスが32オンリー。それに・・・、生地が薄い。。。
 街履きではL32で何とかいける。しかし、多くの時間を占めるのはライディングであり、ひざを曲げて乗るバイクでは致命的に短い。これが最後に買った501となった。。。
 以後、唯一残っているL34ラインナップの502に移行。ほぼ同シェイプの2本だが、大きな違いはボタンフライである501に対し、ジップフライの502。長年慣れ親しんだボタンフライだけに、「ブチブチっと開くつもりがジッパーだった。」という事もよくあった。

 2-3年、普段履き501、3本とバイクで出る時の502、3本、計6本を回していたが、何本か弱ってきたのでW32-L34の502を2本追加した。行きつけのショップのマスターが、「だまされたと思ってワンサイズ下げてみろ。」というので、W32にサイズダウン。実際、もものゆとりを優先するあまり、ウエストはかなりゆるかった。他の陳列棚に並ぶほとんどが、最初から古着加工された偽USEDもの。興味を持てない。作られたしわや擦れは、自分の物ではない。その上、「値段も高い」となってはまったくの本末転倒だ。
 ところが、Levi's関連のキーワードでネット検索していたところ、とんでもないものを発見した。

「リーバイス501XXオリジナル・アメリカライン、¥6,800」
(アメリカライン?ろくせんはっぴゃくえん?)

 日本で流通しているものが、フィリピン、ベトナム製であるのと同じく、アメリカ本国でも03年国内生産が終了し、中南米で作られているらしい。価格にしても、昔7,800円だった501は、9,800円に上がり、今や11,000円超え。元々作業服だったジーンズがだ。しかし、それよりも惹きつけられた言葉があった。

「シュリンクトゥフィット。」(洗ってフィットさせる。)

 一度も洗っていないものだという事は知っていた。激縮みするので、サイズ選びが難しいというイメージがあり手を出す事がなかったが、今回惹かれたのは必然だったのかもしれない。
 何よりサイズが豊富。すべてのウエストサイズに、合わせられるレングス。洗う前と、洗った後どのくらい縮むかしっかりと表に明記してある。おまけに2本買うと送料無料。迷わず2本に決めた。
 それでも恐いのがサイズ選びだった。当てはまるのはW32(87センチ)-L38(97センチ)。これが3度くらい洗うとW84センチ、L88センチになるという。これがほんとなら、ジャストサイズだが、股下9センチも縮むものなのか?

 注文の翌日という、迅速な対応で届いた梱包をほどくと、まるで新品の剣道着や柔道着のような匂いを発する「くすんだ藍」のドミニカ製2本。糊付けされゴワゴワだ。ちなみに1本はRタブだった。
 まず寸法を測ってそのまま履いてみると、当然のごとくダボダボの大岡越前状態。心配になりながら、ある挑戦をしてみた。

「履いて洗い、履いて乾かす。」

 履いたまま風呂に行き、シャワーをあてた。しばらくすると、インディゴブルーの青い汁が足を伝っていく。(ジェームス・ディーンみたいだ・・・。)
 さすがにビチャビチャのまま乾かすわけにもいかないので、とりあえず脱水に。足が青い。脱水後、足を通してみると。。。(ほんとだ、かなり縮んでいる。)
 脱いでレングスを測ってみると、89センチ。なんと、一度の洗いで8センチも縮んでいる。乾くまで履いていたら、”膝出まくり”、”ひとがた”がくっきり。まさにシュリンクトゥフィットだ。
 さらに、2本目と一緒に洗濯機へ。洗剤を入れずに、洗い〜すすぎ2回〜脱水。そしてコインランドリーに行き、強制乾燥でさらに縮ませる。
 一日置いた所で、1本目のRタブ3回目、2本目の普通タブ2回目の洗い。それを陰干し、自然乾燥させた最終寸法は?「W82センチ、L87センチ」(素晴らしい!)
 まさにライディングに最高のサイズに仕上がった。これほど期待と不安の入り混じった洗濯は初めてかもしれない。そして、目の覚めるような鮮やかなインディゴブルー。
 これから何年もの間、共に旅をする。オンライドでは、ブーツとボディーの間で擦れ、オフライドでは木に引っ掛けるかもしれない。それぞれのシチュエーションで、それぞれの”しわ“、”擦れ“を刻んでいく。他人の作ったものではない、自分だけのUSED加工。。。


 ジーンズと同じく、疲労の激しい道具が何点か発生している。
 BATES/ナイロンメッシュグローブ/04年秋より使用。転倒などで寿命を待つ前に破れるMXグローブと違い、磨耗のみで最後まで来た数少ないグローブとなった。数え切れないほどのクラッチ操作で、左手、人差し指が擦り切れ穴だらけ。
 新しく買ったのは、FOX/BOMBERグローブ。オンでの使用目的で買ったが、オフ用のためとてもしっかりしている。何よりデザインがカッコいい。
 次にゴーグル。疲れ果てているのはSPY/ブラッドショウスカル。こちらは04年春より使用。ストラップゴムが伸びきり、スポンジは剥がれている。変わって購入したのはOAKLEY/O FRAME METALLIC RED。90年代前半使っていた定番モデルで、「戻ってきた」と言う感じ。
 最後にブーツ。現在ライディング専用で使っているのが、NIKE/エア・トゥマロ、NIKE/エアズームタラックプロGTX、OAKLEY/FLAKSIX。うちエア・トゥマロ(05年正月、鳥栖プレミアムアウトレットで購入。)の痛みが激しく、通勤用に回して新しいものを探していた。
 そこで新しく買ったのが、FOX/COMP5 SHORTY。FOXのオフブーツCOMP5のショート版。MXベースのブーツだけあってかなりゴツイ。足首までガチガチで、オンに使った時のプロテクションは絶大。逆に夏場や長時間の歩きには向いていない事一目瞭然。


index写真のデータ。
 案山子のは、トライアル原瀧山に向かう途中の岡山・県297。稲刈り前の水田。
 山幸釜マグカップは、今治・岡村島・ナガハマ展望台。奥に見えるのは大島から今治へ架かる「しまなみ海道・来島海峡大橋」。
 バイクはもちろん全日本トライアル原瀧山。2ラップ目、セクション8にトライする、今シーズンのポイントリーダー黒山健一。見てのとおり、あれをバイクで上がる。
 カラスは、テキストにも書いた豊島・十文字展望台。

8

August.12-13 阿波踊り・剣山・早明浦ダム
Day One
 (またかよ!)
 9:40竹原港発のフェリーに乗るはずが、スタートは8:40。フェリーどころか、ETCの時間さえギリギリだ。過去三度、出港したばかりでまだ防波堤内にいる船を見送った。それでも間に合う事を信じ、激走モードに。
 時は盆本番。交通量はいつもより多く、追い越し車線でさえ、110キロ前後の一般車で詰まっている。(付き合っている暇は無い。)車間すり抜けを繰り返し河内IC、そして峠から竹原市内、さらに港へ。
 フェリーはまだ出港前だった。時間を見ると、9:30。なんと家からここまで50分。すいてれば40分は可能か?いや、命とフェリーを天秤にかけるのは釣り合いが取れない。次回からは1時間半見ておいた方がいい。

 阿波踊りという目的が明確なため、一路、徳島を目指す。
11:21、まず昼飯として、道の駅「湯ノ浦温泉」にて海道ラーメン。
13:30、川之江にてあまりの暑さに緊急避難。マックフルーリー「ブルーベリー」でクールダウン。
15:10、道の駅藍ランドうだつにて、藍染のバンダナ購入。そして、阿波踊り後の暫定ルートを模索。
16:30、市内到着。いつもの臨時駐車場「新町小学校」に入った。この時間車ならまず満車。バイクは200円で、ほぼ間違いなく停められるはず。演舞場まで歩いても近い。
16:45、南内町演舞場当日券売り場に行くと、17:00から発売。たった15分待っただけでB席のチケットを手に入れた。(Sは当然売り切れ。)
 再び走り出すまでに6時間以上あるので、すぐにアサヒプレミアムを一本、一気飲みした。炎天下歩きながらのビール、それはうまいさ!寄り道せず両国本町無料演舞場で最前列を確保した。阿波踊りには有料演舞場と無料演舞場、その他にはホールなどの舞台、川沿いの広場と、いたるところでやっている。
 無料演舞場で一部を見てから、有料で2部というのがパターンになっている。有料といってもS席(あればの話)当日券で2000円程度。B席は1700円でとっても安い。
 無料はもちろんタダで、三段ほどのひな壇があるが、17:00過ぎにはほぼいっぱい。無料で良い場所を取るコツはズバリ横道。小さな道や立駐の入り口などはひな壇が無い。踊り開催直前まで普通に車が通っているので、その近くにいると地べた座りで超最前列で見る事が出来る。敷き物と麦茶2リットル持参で今年も最前列に陣取った。始まるまで1時間程度あるが、詳細ルーティングなどを検討しているとあっという間だ。
 ここで阿波踊りについて語るのはやめておこう。とにかく行ってみる事をおすすめする。面白かった点だけ書いておくと・・・、
 参加している連(グループ、チーム)には有名連と企業連、学校などがある。有名連は、普段から練習を積んでいて、踊りは素人が見ても洗練され、フォーメーションもかっこいい。企業連は、タレントを立てたりして人目を引く。この日見た有名人は・・・、
阿藤快、勅使河原郁恵(元スピードスケート選手。NHKでたまに見かける。)、イラク派遣・ヒゲの隊長、あまり知らない覆面プロレスラー、島崎和歌子。彼女には驚いた。テレビで見るのはあまり上品でないバラエティーキャラだが、着物で黙って手を振っている姿はものすごく綺麗。ただ、彼女のいた連は四国銀行連。放送席で企業PRする訳だが、喋るといつものキャラを爆発させていた。でもあの綺麗さは特に印象に残った。
 徳島大学泌尿器科珍宝連。「踊りはー?(掛け声)」「ちんぽー連!(全員)」参加の女の子(生徒?看護師?)が照れながら連呼しているのには笑った。
 姉妹都市?となっている仙台のすずめ踊り。こういう踊りがあるのは知らなかった。踊りの激しといい、キレといい、自然と観客の拍手を誘っていた。
 そして、見ている人すべてを微笑ませる子供たちの踊り。すでに「女」を感じさせる少女も素晴らしいが、恥ずかしがってお母さんのお尻から離れない男の子に、みんなの視線は釘付けだ。将来青年となった彼は、迫力のある男踊りをするに違いない。
 20:30。今回のメインである南内町有料演舞場に移動した。ここは映画「眉山」のロケにも使われた。目玉は最後の総踊り。通常、連ごとに別れてパフォーマンスするのに対し、複数の連が一斉に踊りこんでくる。この日の総踊りは総勢1750名。演舞場は踊り子でいっぱいになる。圧巻だった。それでも連の特色であるフォーメーションを披露するわけではないので「大味だな・・・。」と思っていたその時、なにやら騒がしい裏通りに、人けの少なくなった観客席を駆け上がった。
「すごい、すごすぎる!」
 踊り子達が去った後、最後の力を振り絞ってかき鳴らす鳴り物に合わせて、観客も演舞場に踊りこむ。踊れるものは踊り、自分のように歩いていくだけのものも多い。実際、それに混ざって歩き始めていた。ところが2000名近い踊り子達だ。出口であふれたあとも裏通りへと踊りこんでいた。。。

 踊りの余韻を引きずって飲み屋街に出る。「渦の会」の生ライブや、数人でのパフォーマンスも見ごたえがあった。時間は0:00。ビールを飲んでから8時間近く経つ。街にはたくさんの見物客や、いろんな連に所属している踊り子達も飲みに繰り出している。こういう時はさすがに一人では寂しい。徳島在住の方が見ていたら、友達になってください。(笑)

(そろそろか・・・。)寝場所を求めて行動を開始した。
 まず風呂。以前に行った事がある銭湯「川内温泉」に。そして夕食。ここはもう軽く済ませようと吉野家。おなかがいっぱいになった所で、剣山への山岳ルートに進路を取った。
 深夜2:00、徳島市内から走る事数十キロ、道の駅「神山温泉」で寝心地のよさそうなベンチ発見。まわりには他県ナンバーの車ばかり泊まっている。車で旅していたり、それこそ遍路している人もいるのだろう。銀マットを広げたと同時に夢の中へ。。。


ゑびす連女連長:サイトによると4歳でゑびす連に入ったらしい。今、笑いを誘っている子供達も侮れない。普段はタダのおばちゃんだろうに、このかっこよさといったら。。。

ゑびす連ちびっこ踊り

ブレブレだけどあえて。下駄の打ち鳴らす音と振動が、今も耳に残っている。1メートルと離れていない。

大好きな連の一つ「阿呆連」

阿呆連鳴り物

最も激しく、力強かった鳴り物「竜美連?」大黒天?

総踊り後、演舞場に踊りこんだ観客

あふれた踊り子達が裏通りへ踊り込む

Day Two
 すぐ近くを通り過ぎた道の駅利用者の気配で目が覚めた。すでに日は昇っている。寝ているとき上側になっていた部分が湿っている。(夜露・・・)季節は確実に移り変わっていた。
 昨日の阿波踊りを思い出していた。出発の時点では今回で一度休止し、来年の夏は別の場所をと考えていたが、数時間寝ただけでまた行きたくなっている気分に気付く。徳島市内までまだ30-40キロしか離れていない。正直、今晩も行こうかと考えたが、ここはお得意のネタ取り置きという事で。これまでに有料演舞場三つ、無料演舞場二つを見た。残るは紺屋町と新町。ホールでの舞台も見てみたいしまた来年だ。
 7:30スタート。最初に見つけたコンビニで、ゆっくりと食事を取り、詳細ルートの検討をした。広い駐車場にテーブルとベンチが2基ずつあり、とても居心地の良い場所だった。
 道の駅「藍ランドうだつ」で決めた暫定ルートを練る。「剣山スーパー林道」。名実ともに日本最長を誇る長距離ダート。91年車で、92年バイクで完全走破している。いくらダートが好きだといっても90キロ近くの悪路をZZ-Rで走るなどジョークにもならない。今回は林道とユニゾン(使い方違う。笑)で走る国道439号線。帰ってから知った事だが、通称「ヨサク」と呼ばれるこの国道は、最高ランクの酷道として有名らしい。記録の残ってない90年代、一部走行している可能性もあったが、その酷さを身を持って知る事となった。
 剣山登山口に到達する国道438号からすでにその兆候はあった。急激に高度を上げるワインディング、と言うより「つづら折れ」が連続してはいたが、はるか下に見える「ついさっき通り過ぎて来た道」を絶景に変え、その辛さを相殺していた。バイクを道端に停めて見とれていると、ツーリングのバイクやロードバイク(ほんとにここを登ってくるのか?)が走っているのが見える。
 洒落にならない出来事もあった。調子に乗って飛ばしていると、なんとフロントがスライド。瞬間的に右足を出した。オフでは良くある事だが、このクソ重いバイクで右足一本の支えなえど何の役にも立たないだろう。転倒するほど大きなものではなかったが、以後慎重になった。
 登山口、見ノ越峠では、かなりの数のバイクや車が止まっていた。駐車場整理の警備員もいて、リフトで山に登っているのだという。興味はあったが今回はスルー。先へ。
 とにかく長い。走っても走っても狭いくねくね道が続く。路面はひどく荒れ、剥がれた舗装や落石、砕かれた剣砂利が常時散乱している。(これは選択ミスだった。)RMXなら逆に楽しめたに違いない。しかしこのバイクでは・・・。ブレーキも悲鳴を上げている。
 東祖谷新居屋から京柱峠に至る道でそれはクライマックスに達した。(もう飽きた。。。)ギャップを避けるために視線は路面に釘付け。鋭い剣砂利に速い速度でヒットしたら、致命傷にもなりかねない。
 ホット一息ついたのが京柱峠。かなり人里はなれた場所なのに、食事のできる茶屋がある。入ろうかとも思ったが、少し高かったのでやめた。
 この峠で再会したバイクがあった。見ノ越で見かけたXRモタード。その時は会話はしなかったが、ここで少し立ち話。無事を声掛け合って先行した。どうせ追いついてくるだろう。一転して峠から西側の下り区間では、とても走りやすかった。
 走行中抜かれる事はなかったが、大滝集落で水分補給している時に前を通過、軽く手を振って見送った。さらに国道32から439の分岐で今度は向こう側から合流してきた。行き過ぎてしまったのかわからないが、前に付いた彼と、しばしのランデブー走行となる。
 大豊の信号待ちすり抜けでパス。今度は目的地手前の早明浦ダム休憩所で、地元ゼファーの二人組みと談笑中抜かれ、さらにさらに、その先の道端の休憩所で再会した。こういう抜きつ抜かれつもあまり無い。笑
 お互い、旧大川村役場を目指していたので、もう一度会えるだろうと別れたが、ここで最後となった。無事に目的地にたどり着いただろうか?
 旧大川村役場。今や全国ニュースでも渇水の代名詞となった、ダム湖が干上がった時だけに現れる建物だ。スピードを押さえ、湖面を注意しながら進むが、いっこうに姿を見せる気配すらない。(まだ水面下に沈んでいるのだろうか?)と思いつつ、かなりの上流まで登ってきた所でそれらしいものを発見。(あれだ!)
 屋上部分だけではあったが、緑と水だけが織り成すあたりの空間に、明らかに異質な空気を放っている。(来た甲斐は十分あった。)
 これで今回の目的はすべて消化。帰路につく事にした。選択したのは県道6号。まともに考えるならこのまま県道17を走行し、国道194から西条に抜けるのが妥当だろう。でも国道より県道。うまくいけば別子に抜けるこの怪しい道を進んだ。実は持っている05ツーリングマップルでは災害通行止めとなっている。それであのXRの彼が持っていた06年版を見せてもらい、通行止めが解除されているのは確認していた。それでも2年前の話。もしかしたら引き返さないといけないかもしれない。。。その上、高度が上がるにつれ怪しい雲が。パラパラと降り出したかと思うと雷も。ここまで序盤部分で一台の軽トラとすれ違ったのみ。雷に打たれ、腐乱死体となり朽ち果てるか?
 峠を過ぎても、酷い道はなんとか続いていた。そしてちょうど県道47にたどり着いた時、雨は土砂降りに。(それでも何とか抜けた・・・。)そのT字路にはバス停とも休憩所ともいえない小屋があった。(すべては良い方向に行くようにセッティングされている訳だ。笑)進行方向の雲行きは暗いので、その小屋で迷わずレインウェア着用。
 雨は最近よくあるゲリラ雨で、すぐにやんだかと思うと新居浜到着時には快晴。再び灼熱地獄と化していた。乾かすためだが、炎天下にカッパを着ている奇妙なヤツだったに違いない。
 あとは帰るのみ。再び今治で寄った道の駅「湯ノ浦温泉」の鯛釜飯は美味。
 おまけとして、竹原から河内ICまでリッターネイキッド(車種不明)の後ろに付いた。逃げようとしていたか、普通に走っていたかの判断は出来ないが、後ろから他人のライディングを見る事は少ないので楽しかった。
 さて、今日を含め8月後半はメンテナンス期間。通勤車モンキーの前後シュー交換。キャブ清掃&オイル交換。RMXフロントパッド交換。ZZ-Rリヤパッド交換。フロントタイヤは先週行きつけのショップにてBT021に持ち込み交換。BT014、12,500キロ走行。前回の半分近くでダメになった。秋以降、イベントへの旅が中心になるので、プロスト走り復活でタイヤに優しい走りを心がけたい。度重なる悪路走行でフロントステムが逝き始めている。さすがにやった事無いので、ショップで聞いてみると3万!来年の車検までにか?バイクも適材適所ということで。


August.9-10 無明橋と国東半島。
「無明橋での計画とは、橋で一夜を過ごすことだった。。。」

Day 1
 準備準備と思いながら、当日起きてからキャリア装着、そして荷造り。結局スタートは10:00に。船を使う旅の最大にネックに直面する事となった。250だから高速は使用しない。2時間で徳山にたどり着けるのか?
 宮島の手前で、07年のホクレンフラッグを差したチャリダーを追い抜いた。少なくとも1年は旅を続けているのだろう。時間があるなら先回りした所でひっ捕まえ、コーヒーの一本でも飲ませてやりたいところだが今回はスルー。無事を祈りながら先を急ぐ。
 熊毛であわやネズミ捕り。よくやっているポイントなので寸前に気付いて急制動。取り締まりレーダーが、オフの細い車体を認識しているのか疑問だが、100キロ近くは出していたのでかなりしびれた。そして出港前の11:45、何とか間に合った。いつもの事ながら、こういう激走は良くない。余裕を持った配分が出来ないものだろうか?
 バイクでこの航路に乗るのは、00年沖縄からの帰り以来。黒緑に汚れた海を見ながら、「これがあの南の島の青い海と同じものか?」と思った記憶が鮮明によみがえる。
 竹田津港到着。フェリーでは、「夜までに現地の入ればいいのでどうしたものか?」と考えていたが決定打無し。立ち寄ったスーパーで地図を見ていてひらめいた。
 二階堂美術館。大分麦焼酎「二階堂」の、ノスタルジックなCMが好きな人は少なく無いだろう。中でも06年版の「未知の力」編では、実際にロケの行われた白水堰堤と音無井路円形分水を訪ねた。しかし、現在時刻14:30。地方の美術館が、入場を16:00か16:30に制限していることを考えると、ゆっくりと堪能できるのか?少しでも時間が取れるよう激走モードに入った。
 久しぶりに感じるオフでの爽快感。まさに水を得た魚のように、ギャップ、浮き砂利、落ち葉の木漏れ日ロードを、リーンウイズとリーンアウトで走りぬけていく。船に遅れないように急いだ午前中とはまったく違うものだ。
 走水峠から県709へ入った所でガソリンがリザーブに入った。長い下りではエンジンを切り、惰性で燃料を節約、順調に飛ばしているかに思えた。しかし何か違う事に気付く。目的地である川中不動への分岐。
 道を間違える事はあまり無い。もちろん自分の位置を失うことは旅の一部分だが、発生した時、必ず適当に進んだりしないし、早い段階で把握できる位置まで戻る。ところが今回の原因は単純だった。進むべき県31を34と勘違いしていたのだ。昔はこれほどのミスを犯すと、とことんブルーになっていたが、今はそれほどでもない。
 ところが大きな問題があった。美術館行きを決めた竹田津の時点でR10までギリギリの燃料で、間違いが無ければ無事、基幹国道に出れるはずだった。。。15キロ近く間違っているので戻るだけでも30キロ・・・。途中、田舎の値段の高いスタンドを横目に見ながらなぜか入ろうとしなかった。そして、

(ボボボボボーーー・・・)
「あ・・・。」

 バイクでガス欠を起こした事は今までに2度。最初は大学時代の通学中、確か広尾辺りで力尽き、押していくとすぐにスタンドがあった。2度目は数年前。通勤帰りの市内で力尽き、こちらも平地で、押してスタンドで行く事は大した労力ではなかった。そして今回。まず、最寄のスタンドは?
 何店か通過したがとても押して行けるような距離ではない。次に携帯。両子山では圏外だった。取り出すと無事3本。まあこれは圏外なら民家のベルを鳴らすという手があり問題ない。#8139をコールした。
 JAFへの救援の記憶もたどってみた。最初は東京に住んでいたとき、車のキー閉じ込み。2度目が広島に帰ってきてから同じくキー閉じ込み。3度目が神戸へ向かう途中、福山でファンベルト緩みによる異音。4度目が自宅駐車場でのバッテリー上がり。すべて車。バイクでの利用は今回が初めてということになる。
 やり取りはまず現在位置。目の前にはのどかな田園風景が広がり、数軒の民家が並んでいる。先ほど県34と31の分岐を右折したので、波多方という所のはず。
「予備タンクは使いましたか。」
 バイクに乗り始めたばかりで予備タンクの存在を知らなかったなら、もう3リットル残っていてハッピーエンド。だがそうもいかない。
「40分くらいかかりますが大丈夫ですか?」(支部は別府か?)
 大丈夫って待つしか無いでしょう。パートナーは今、鉄の塊です。
 今更ながらある事に気付いた。ガソリンはゼリー状ではない。リザーブが水平面ならともかく、走っている最中は大きく揺れている。コックは油面レベルの高さを変えるだけなので、残りの規定量を通り越して供給され、実際はそれより少なくなっているはず。さらに、街乗りで回せばリッター12キロ、信号の無い田舎道でパーシャルを維持すれば20キロまで伸びるという2ストの特性。ゆえに残り3リットル=45キロは走れるという間違った計算を立てていた。まだまだだ。(リザーブに切り替えてから、35キロでストップ。)
 それでも常に前向きに捉えるのが成長した証。二階堂美術館が、急いで見る事を拒絶したと適応機制。制約の無い、時間のある時に来いと言う事だ。そう思えると、目の前の風景が素晴らしく思えてくる。
(ここで止まったのも何か見えない力が働いているのだろうか?)

15:56。力尽き、鉄の塊となったパートナー。TRIPは215.3キロを表示していた。見たことも無い数値だ。

 最初に通りかかったのはヘテロクロミア(右目が茶、左目が青)のダルメシアンを連れた地元のおばちゃん。少しやせ気味だが、青い目がかっこよかった。
 次に、目の前の民家で畑仕事をしていたおばちゃんと話しになった。隣の家のおばちゃん、さらにその旦那さんも加わり、井戸端ならぬ道端会議。周辺の重要情報も仕入れる。ガス欠もたまにはいいかもしれない。
 そうこうしているうちにJAFが到着。レギュラー10リットル持ってきてくれていた。聞くとリッター190円。こればかりは値切るわけにもいかず、すべてタンクに収まった。他のトラブルが発生していないか、念のため隊員さんに待ってもらいキックスタート。始動を確かめ、礼を言い見送った。(ありがとうございました。)
 道端会議に戻り、今度は精悍なドーベルマンを連れたご婦人が通りかかった。先ほどのダルメシアンといい、どんな集落だ?田舎は雑種というのはある意味偏見だが。。。
 さて、ガス欠終息後もしばらく話し込みスタート。まず日出(ひじ)に出て今晩のワイン、朝食のパンとソーセージを調達。皮肉にも二階堂美術館はこの近所だ。また新たな再訪ポイントが発生した。そのまま戻るのもつまらないので、遠回りして速見農道経由。なかなかの快走路だった。
 食事と風呂を目的に寄ったのが「風の郷」。展望は無いが、露天がなかなかの広さ。結構な人数で賑わっていた。レストランで頼んだのはシシコロ定食。イノシシ肉を使ったというコロッケはお世辞にもうまいとはいえなかったが、この施設全体の雰囲気と、インパクトのあるメニューで加点。損した感じは無い。
 おなかもいっぱい、さっぱりと汗を流した所で、目的地に向け動き出した。やはりナイトランは涼しい。21:00近く、すれ違う車もほとんど無いカントリーロードを一人快走する。天念寺の案内板が1キロごとに現れる。天念寺というお寺はそんなに有名なお寺なのだろうか?そして、「川中不動」の大きな看板にY字路を左に進んだ。
 すぐに現れたトイレ付きパーキングに寄った後、Y字路に戻って先へ進んだ。どうも行き過ぎているようだ。再び戻ると、(あった!)天念寺。(しかしこれは・・・。)
 古い寺の隣に駐車場。その奥の民家では盆前の土曜という事もあり、なにやら宴会が開かれている。この静かな川沿いの集落に響き渡る2ストサウンドは、不審者以外の何者でもない。何とか入り口を見つけようとゆっくり進むがまったくわからない。そのうちに先ほどのパーキングに出た。
 (神様、もう一度だけ)。バリバリ言わせながら、もう一度往復してみたが、入り口らしい道は見当たらない。そう、一本だけ斜面を上がる細い道があったので入ってみると、なんとすぐに墓場が!それも現代の御影石のものではなく、苔むした少なくとも200年以上前のもの。ビビったというより申し訳ない気持ちが先に立ち、謝ってすぐに立ち去った。時は盆。皆あっちから帰ってきてゆっくりしているに違いない。寝てるときに耳元で2ストバリバリされたら誰でも怒る。
 どうしたものかと考え、エンジンを止めて天念寺に入った。すごく古い建物で常時開放されているようだ。辺りを探しても、やはり入り口は見つからない。宴会の人たちに聞いてみる手はあるが、そうなると「こんな時間に登るんですか?」という話になるのは必然。(これは・・・、今日は無理だ。)「無明橋の一夜」を断念し、パーキングに戻った。
 トイレの横にちょうどいいベンチを発見。(ここに泊れという事か。。。)懸念材料の一つにトイレもあった。通常のウンコサイクルは朝ごはんの後。登ってしまうと、必ずその時間が来るだろう。普通の山なら、その辺の草むらで野グソだが、神様やら仏様がたくさんいる山だ。いくらなんでもマズイ。銀マットを敷き、蚊取り線香を付け、虫除けをスプレーして、キュベ・ミティークを開けた。
 しばらくの間、ヒグラシやアブラゼミの残党が鳴いていたが、そのうちコオロギやスズムシ、キリギリスやクツワムシの鳴き声に変わった。(なるほど、活動時間帯が違うわけだ。)
 天を仰げば天の川と満天の星。数分間に一度は流れ星が流れる。(橋で見たかった・・・。)どうでもいいが、03年キュベ・ミティークは渋みが強い。去年沖縄で、二人に手土産として渡したが、この味だったとしたら申し訳ないことをした。

Day 2
 5:00起床。すでにヒグラシが鳴いている。片付けて天念寺へ。昨夜の広い場所は、食堂と土産物屋が併設している「鬼会の里」(おにえのさと)の駐車場だった。歩いていた第一村人に聞いてみる。入り口は数十メートル先の民家。田んぼに沿って歩きながら上を見上げると、はるか山の上に・・・(あった!)あれが無明橋だ。想像通りのありえない場所にかかっている。右の岩峰突端部分にも石灯籠のようなものが見える。
 さらにそこにいた民家のあばちゃんに聞いてみた。色々なルートがあり、民家の横から、そして鬼会の里の横からも登れるという。どうせなら行き帰り違う道をということで、民家から入ることにした。
 6:30登山開始。すぐに「橋での一夜」が、計画以前に破綻していた事を納得。この民家ルート、まったく普通の家の横から侵入する。知らなければ絶対行こうとしない場所。深夜、一人で入っていたならそれこそ通報されそうだ。
 のっけから足場の悪い急登が続く上、腰の高さまで倒れた竹が連続、中腰での登りがきつい。さらにその竹の間には必ずクモの巣があり、笹の先を折ってすす払いしながら進む。かなりの重労働だ。
 分かれ道を右へ。しばらく歩くと絶壁の下で行き止まりになった。戻って分岐を左へ。何の表示もなく、分かれ道も多い。夜、初めて来るには危険だっただろう。そして最初の鎖場が現れた。
(夜来なくて良かった。)
 鎖場から、岩の裂け目の橋を渡ると、下から見た石灯籠にたどり着いた。(しかしなんとまあ・・・。)こんなところに作らなくても。。。
 下の覗くと、急登を登ってきただけに集落が真下にある。子宝島の竹の山を思い出した。ついさっきいた民家が、手を伸ばせば届きそうな所に見える。石灯籠の横には地蔵が座っている祠もあった。横に文字が掘り込まれている。
「文化八辛未、四月吉旦、天念寺支配所」。
(すごい!)文化とは日本史で習った文化・文政時代の事か?内側にはノミの痕がしっかりと残っていて、昨夜の墓場が浮かんできた。(これを掘った職人か僧?は、この近くに眠っているのだろうか?)繰り返されてきた人間のサイクルに、センチメンタルな気分になる。江戸時代のここには、どのような生活があったのだろう?
※帰宅して調べたところ、文化八年は1811年。今からおよそ200年前に掘られたという事になる。徳川11代将軍「家斉」の時代。有名な古い観光名所は、どこか別世界の事のような気がするが、このような何でも無い集落にある古いものには「身近な何か」を感じてしまう。
 上から眺めていると、入り口を聞いた民家からトラックが出て、昨夜を過ごしたパーキングに止まった。(なるほど。)トイレに「管理のおばちゃん」という文言があったが、あのおばちゃんが掃除などの管理を委託されているのだろう。来た道を戻り、今度は左へ。ちょっと進んだだけであっさりと目的地が現れた。
「無明橋」
 同じ名前の橋は普通の寺の山門前などにある。煩悩のある者が渡ろうとすると落ちてしまうという橋だ。実際、石をアーチ状に積んだだけの作りで、地震などがあれば恐らくもたないのではないか?
 とりあえず渡った先の社にお参りをした。ここ数年、通りかかった神社にはなるべく寄るようにしている。お願いも、将来のことではなく、この場所まで無事に来れた事への感謝。神様だって、知らない者がいきなり来て、わずかな賽銭で何か叶えてくれと言われても迷惑だろう。無事故でこれた事の報告と、また来た時まで覚えていてもらうために。特に危険な場所の多いこの場所で、300円を並べて置いた。もう来る事の無い場所か、いつか再び来る事になる場所かは瞬間的に判断できる。いや、感じると言った方が正しいかもしれない。この場所は間違いなく後者だ。
 橋に戻り、縁に腰かけ下界を見下ろした。(本当にすごい場所だ。)そして、(何考えとんじゃ?)という思い。どういう経緯で、このとんでもない場所に橋をかけたのだろう?ちょうど尾根筋にあたるので、反対側を通る県道654と、無動寺というお寺が見える。。。
 (素晴らしい・・・)時間が止まっているかのように錯覚するが、まわりの木々が少し強い風にあおられ、現実のものであるという事を教えてくれる。
 さらに少し上の岩峰へ。ご丁寧に両側に鎖が回してある。ピークには壊れて朽ち果てたテレビのアンテナ。さえぎるものが何も無い頂上を吹き抜ける風が気持ちいい。鬼会の里には、観光客がちらほらと現れ始め、豆粒のように動いている。そして驚いた事には、なんと海が見える。感覚的には国東半島の山の中。海などはるか先にあるような場所。目の前はおそらく高田沖の周防灘だが、その先にしっかりと陸地が見える。北九州やら宇部に当たる方角だ。
 しばらくすると、直射日光が当たりはじめた。いくら風があるといってもやはり夏の日差し。ジリジリと攻め立てる。日陰を求め、再び橋に戻り、縁に腰を下ろした。
 どのくらい時間が経っただろう。左の方に人の気配を感じ目を向けると、一人の男が現れた。聞くと、友人と二人で登り始めたが、もう一人は断念し引き返したとの事。ちょうど下を見ると、鬼会の里の横道から人影が現れた。
「おーい!」彼が手を振って叫ぶと、振り返してきた。どうやら連れらしい。(結構聞こえるもんだ。。。)
 福岡から来た彼がここに目指した理由とは、全国の面白い場所を集めた深夜番組「ナニコレ珍百景」で放送され興味を持ったからだという。※帰ってから番組サイトを検索したところ、4月ごろにオンエアーされていた。
「よくそんなところに座れますね。立ってるだけで恐いです。」
 確かに高い所が好きだ。よく「馬鹿は高い所に登りたがる。」という。確かに転落の恐怖を認識できないとか、単純に人より高い所で優越感を得るとか、色々考え方はあるが、どちらかというと、はるか下、豆粒のように見える人間に自分を重ね合わせている。楽しかろうが苦しかろうが、笑おうが悩もうが所詮あの豆粒の小さな頭の中で考えているちっぽけな事。(小さいよ・・・)ちょっとした幽体離脱により、神の目線から自分を見ているのかもしれない。
 物理的にもそう。平面である道路の白線をトレースして恐怖を感じる人はいないだろうが、それが高さのある平均台だと恐くなる。逆に考えると、平均台を平面だとイメージすると簡単に克服できる。なんだかんだと言葉を並べるより、単純に高い所が好きという事だろう。
「お先に。」と彼が下山の途に着いた。(こちらもそろそろ。)時間はすでに11:00を回っている。登り始めてから4時間半を超えている計算だ。ひょっとしたらあの民家のおばちゃんが心配しているかもしれない。
 先ほどの岩峰の鎖場から降りる事にした。かなりの落差がありながら、鎖は錆びていて、いまいち信頼性に欠ける。かといって岩だけの支持では危険だ。
 行きに比べ、分岐はさらに多く、仏像が多数現れた。最初の広場では恐ろしげなスズメバチの巣に遭遇。一枚撮っておこうとカメラを構えると、巣に群がる集団が明らかにそわそわし始めた。次の瞬間一匹がこちらへ!反転ダッシュ。(危ない危ない・・・)
 土で出来た仏像の中には、侵食により崩れているものも多かった。(仏様にも寿命があるという事か・・・。)そして上り開始から5時間、無事下界に生還した。
 鬼会の里で手打ちそばを頂き、バイクに戻った所で、案の定おばちゃんが現れた。
「心配したよ。普通なら1時間くらいで降りてくるから。」
 この心配は頷ける。道中、どこででも転落の可能性があり、怪我をして身動きが取れなくなっているならまだしも、頭を打って死んでいてもおかしくない場所がたくさんある。
「ご心配かけました。あまりに景色が素晴らしいんで。」おばちゃんごめんなさい。

 無明橋の余韻も覚めやらぬまま、豊後高田市中心部へ向かった。現金を引き出すためだ。旅先ではガス代をクレジットカードで支払い、現金は必要最低限しか持ち歩かない。ところが今回、ガス欠で発生した現金払いのため、同じく現金払いである帰りのフェリー代が足りなくなった。
 もう一つ。橋の強力なインパクトは、他のポイントへの興味をすべて奪い去っていた。惰性で回るより次回へ持ち越し、ゆっくりとした温泉巡りにプラン変更。
 市内のマックスバリューでガリガリ君の時間。この夏、広島ではなぜか種類が少ない。定番のソーダと梨、イマイチなリッチチョコくらい。いちばん好きなのはコーラなのに。ところが、この店にはたくさんあった。コーラにグレープフルーツ、そして巨峰。一つに絞りきれずコーラと巨峰を2本食い。残念ながらあたりは出ず。
 無事現金を下ろし、最短の農道を使ってスパランド真玉に向かった。(それにしてもこの空・・・)なんという抜けの良さだろう。朝、無明橋でも感じていたことだが、日が高くなったこの時間も続いている。深い青にぽっかりと浮かぶハイコントラストの白い雲。だいぶ背が高くなっている稲を、バイクと同じ速度で撫でていく風。
(ただ走っているだけで楽しい。)こんな気持ちは久しぶりだ。あまりの気持ちよさについ脇道に入ってしまったが、ヴィラ・フロレストという宿泊施設の前を抜け、ちょうど「スパランド真玉」に出た。ここはそれほどでもなかった。露天が狭い上に展望が無い。
 そのまま県道654を使って高度を上げる。次の目的地は国見温泉「あかねの郷」だが、途中重要な立ち寄りポイントがあった。無動寺。朝、無明橋から見下ろした場所だ。天念寺と反対側から見上げる橋はどのように見えていたのだろう。
 この道程も素晴らしかった。見通しの良い直線。いくつもの雲が路面に影を落とす。その影が、上空の強い風に流され、あたかもこちらへ向かってくるように走ってくる。何気ないルート検索においても、地図上に落ちる木漏れ日が美しい。
 無動寺から見上げる橋は、天念寺から見るよりはるか遠くに見える。午前中、あそこにいたのがどこか夢のような気がした。ネット情報によると、こちらからも登る道があり、幾分なだらかなのだそう。
 あかねの郷は当たり。その露天から見える景色は、いつかまた訪れるに値するものだった。

 さっぱりとしたところで、初めて時計を見た。15:15。船の時刻表を見てみると、次便15:30。(これはありえない。)さらに次が17:50。これだと余裕がありすぎる。せっかくなので、この半島の最高峰、「両子山」の名を冠んする「両子寺」に行ってみる事にした。
 この途中でも面白いものが。大鼻峠の道端に、養蜂の箱があった。無明橋でのスズメバチを巣を思い出し、思わずバイクを止める。彼らは、凶暴な奴等とはまったく違っていた。マクロでわずか10センチまで寄っても何もしてこない。忙しくてこちらに関わっている暇など無いのだ。
 肝心の両子寺はというと、なかなかのものだった。特に奥の院とその奥の洞窟はかなり古い。ちなみに、安産や水子供養が有名なよう。
 まだ時間が余るので、半島中腹を縫うオレンジロードを遠回りしてみた。こちらは狭くオフ向きの山頂周回路と違い、オン向きの爆走路。若干バンピーな場所もあるが、アップダウンがあり、交通量は少ない。もみじマークのセダンが意外に飛ばして逃げるので、楽しくなって追いかけた。
 その後、効率よくフェリーを乗り継ぎ無事帰宅。途中の玖珂では、花火大会に遭遇するというも「おまけ」も。
 予想を100キロも上回る400キロ強の行程ながら、その多くをスタンディングで走り抜けケツ痛なし。たまにはオフでの遠出も良い。本来のフィールドはこちらだ。一日仕事して、今度は徳島へ。


August.6 「250にも旅をさせろ。」RMX投入
 国東半島。通常通るのは、スオーナダフェリーを利用した際の竹田津から海岸線。半島中央部は大昔に一度アクセスした事があるが、どの道を通ったかはまったく覚えていない。
 両子山からふもとへ放射状に広がる県道。情報の無い状態から面白そうな温泉、寺、磨崖仏など成り行きで押さえる。そうなると小回りの利くRMXの方が強い上、フェリー代も安くなる。トカラ・大東以来の県外へ。ZZ-Rの消耗品は徳島で使いきり、すべて丸く収まる。


August.5 行動開始
 ここには楽しい旅の話しか書かない。普段「苦しい」からこそ、「楽しい」が光り輝く。
 具体的プランニング開始。まずギリギリのRパッドとFタイヤを注文。パッドの換え時は九州から帰ってきて。タイヤは同じく九州帰りか、徳島から帰ってきて。結局、耐久性とウエット性能を重視しBS/BT021に決定。
 9-10プラン。無明橋と国東半島を走り倒す。余裕があれば羅漢寺。
 上記消耗品、ハードな1週間を考慮し、スオーナダフェリーで往復。これにより実走距離を半分の300キロ前後に押さえる。フェリー代は、体力、ガソリン代、高速代、時間、トータルで考えた場合、元が取れると判断。無明橋で、ある計画を実行に移したい。
 12-13プラン。阿波踊りプラスα。
 いつものように中四国フェリー、吉野川に抜ける。こちらの総想定距離は400キロ強。当初、連夜の見物を考えていたが、二日目にそれをやると午前様&仕事となり無理がある。戻り方向で何か面白いものが無いか出たとこ勝負。今年の踊りは南内町演舞場の第2部へ。それまでの時間は、市内各所をうろうろと。
 2プランともテントは持ち出さず、こちらも成り行き勝負。どこでも寝れるよう久々の銀マット持参。さて何が待ち受けているのだろう。。。


August.4 8/3 飯山貯水池・飯ノ山ダム

「無事に走り続けるということ。」
 14:30スタート。ルーティーンコース、県41に入り、普段より少しだけ爆走していた。宍道湖のキャンプが久々のフルパッキングで無理は出来ず、空荷の軽さを感じていたからかもしれない。登りのなだらかな左ブラインドコーナーを駆け上がり、すぐ左の路側帯に事故車両を視認、さらにそのすぐ後ろに大破したバイクを見た時、自然と減速し、Uターンの体勢に入った。
 「隼」。問答無用、世界最速ツアラーの一つだ。相手は軽。両者とも左側が壊れていて、状況を推測しづらい。この壊れ方から見て恐らくライダーは無傷ではいられないだろう。さらに現場検証のチョーク跡や、まかれた砂も新しく、今日発生したものと思われる。。。
 過去2輪において、最も危険だった転倒は91年10月、KDXに乗っていた峰越、中津川林道キャンプでの事だった。登りの左コーナーを加速。登りきったところが若干下りになっており、減速せずに突っ込んだ結果、トラクションを失いスリップダウン。マシンは反対車線を滑ってガードレールの下に突き刺さった。人間はやはり反対車線を転がりながら、何とか止まり、幸いにもすり傷程度。もちろん、対向車がいたなら昇天、もしくはシリアスなダメージを負っていたに違いない。
 隼のライダーも、自分と同じようにワインディングを楽しんでいたのだろう。自らオーバーランしたか?それとも軽の方が突っ込んできたか?この状況では知る事は出来ない。
 写真を撮った後、必然的にクルーズモードに。ヘルメットに貼った#81に語りかける。公道の一寸先は闇。どんなテクニックを持ってしても、避けられない闇がある。
 つい先ほどまで自分と同じ速度で、物言わず後ろへ去って行った白いガードレールがささやく。
(死ぬ気なら、いつでも拒まんよ・・・。)
 曲がりきれず、突っ込んでいくイメージが浮かび、左をかすめて行く白いエッジが刃に見える。スタート前に書いた文があまりにもリンクし、視線をコーナーの先に移した。
 スポーツをしていた人にはよくわかるだろう。ピンチに陥った時、一瞬でもネガティブなイメージが浮かぶと、頭から離れなくなる。普段から常に良いイメージ想像出来るよう訓練していた。それがこういう時役立つ。
(この先には抜けるような青空が待っている。そっち側に行くにはまだ早い!)
 危険はそこらじゅうに転がっている。それが学習というチャンスを与えてくれるか、すべてを奪い去っていくかは運しかない。予測とセーフティーライド、わずかばかりのテクニックによって引き寄せられる運は、それほど大きくない。出来るなら虹はくぐりたくない。

「無事に走り続けるということ。」
 それは大きな意味での継続ではなく、コーナー一つ一つ、交差点一つ一つ、一瞬一瞬の積み重ねなのだろう。家に帰りついたとき、無言でタンクを2度、軽くたたく。それが無事帰り着いた時の儀式だ。
 隼のライダーの無事を祈る!

 目指す飯山貯水池が近づいてきたR186で、今度は路肩に大きな鳥の死骸を見つけ、再びUターンした。鳥に詳しくないのでよくわからないが、くちばしの形からトビではない?大きさはカラスよりひとまわり大きい。
 恐らく大多数の人が気持ち悪いと思う死骸に、廃墟や墓と同じノスタルジーを感じる。
(どこで生まれ、どこを飛び、なぜここで息絶えたのか?空から素晴らしい景色を見下ろしてきたのだろうに。)
 その映像をアウトプットできるなら、ぜひ見てみたい。
 知り合いじゃ無いので埋葬するほどでもないが、無機質なアスファルトの上で朽ち果てていくのは忍びない。ガードレールの外の土の上に、そっと移動した。
(土に還り、また違う命になって帰ってこい。)

 考えさせられる出来事が続く中、目的地の入り口に到達した。MRC乗馬クラブでは、結構な数の人たちが乗馬を楽しんでいる。レストラン「レイクサイド」は、予想通り廃墟の様相を呈しており、どうやら、乗馬クラブの一施設として使用されているようだ。
 飯ノ山ダムという、古い石積みのダムに行き着いた。電力会社の管理用建物がある以外は何も無い。人が訪れている雰囲気も無い。(地味だな。)と思いつつ、標示板を読んでみると、建設はなんと昭和7年。かなりの大先輩に見方が変わった。
 暑さは都市部ばかりなり。県北快走路はすでに涼しい。冷房のきいた部屋で、貴重な休みを過ごすのは人生の無駄遣いだ。


 連休となった9-10日のプランが全然浮かばない。一日だけの休みではなくなった事で、豊島は却下。隠岐は2泊欲しい。見島は2日いらない。テントは地獄なので、野宿か泊りでと考えているが。。。

スタート前
 8月に入った。実際の感覚としては、ここから1年の後半が始まるような気がする。9-10日と急遽連休となり、一日働いて連夜の阿波踊り、そしてナイトラン朝帰り後の仕事。暑さによる疲れは確実に自覚しており、調子に乗っていると痛い目にあいそう。コントロールしていかなくては・・・。
 9月に、隠岐、島前のプランも発案中。これは大きな意味合いを持つ。18年来の悲願、モンキーシャトル発進による島旅。モンキーを買った目的はこれまで何度も書いてきたが、ジムニーで進めなくなったその先を見たいという願望から。一方、これまで2度ほど具体的計画までいって流れている隠岐。ここに、ガソリン高騰と島旅でかバイク不要論が合致した。
 メイン三島からなる島前のフェリー代を押さえ、この悲願を達成するには願っても無い地である。車を七類に乗り捨て、一人旅立つモンキーが出会う風景とは?

 地図を見てても、もう行くところが無い。走ってるだけで体力を消耗する暑さ。GoogleMapで水のあるところを徘徊していると、行ったことの無いダムが。いかにもやってなさそうなレストランもある。閉まっていれば自分だけのレイクサイドカフェ開店。久しぶりに本も持ち出そう・・・。

 例の女の子。無事原付免許を取得し、リトルカブを購入した模様(納車待ち)。無事故無違反で良い旅を。彼女の感じるものすべてがうらやましい。

 先日の虹の話を読み返していると、バイク乗りが虹をくぐるというのはどうも縁起が悪い。パレストリーナのミサ曲をBGMに、背中には羽。天に召される感じをぬぐいきれない。ネロか?(笑)
 コーナーの先にあるガードレールを見ていると吸い込まれていくように、視線は常に出口の先へ先へ!人生と同じく、良くも悪くもすべては見た方へ進んでいく。そう考えると、ドン・キホーテや孫悟空で結構。いつまでも手の届かない虹を追い続ける方が幸せだ。自然の中では、人間一個体など釈迦の掌の点にしか過ぎない。

7

July.28 7/26-27 北九州WYさん合流、宍道ふるさと森林公園・おろち湯ったり館・八重滝・常清滝・流川
7/26 五日市IC-三次IC-R375-R183-R54-宍道ふるさと森林公園キャンプ場
7/27 R54-県45-おろち湯ったり館-県176-R314-県176-県51-県176-R54-八重滝公園-R54-県55-R375-常清滝-R375-R433-広域農道-県64-高田IC-安佐SA-西風新都IC

Day One
 仕事が予想外に早く終わり、予定より2時間以上早く出れるようになった。通勤割引時間帯に間に合うだけでなく、何より早く現地に入れる。
 18:40スタート。辺りはまだ灼熱地獄で、とてもジャケットを着る気分にはなれない。貸切状態の中国道をあっという間に走り抜け、三次でR54へ。ソロ激走&4-5台ダンゴ抜きを繰り返し、20:08、ふるさと森林公園に到着した。このキャンプ場は、3年前、福島のN君が利用した事があり、なかなか良いキャンプ場という情報を得ていた。
 まず管理棟を探していると、暗がりから、いきなり彼女が駆け寄ってきた。
「もうお金払ったから。ここから下って300メートルくらい。バイク一台しかいないからわかるよ。」
(わかるよって・・・。ちょっと待ってよ、そうじゃないよ!再会のシチュエーションは、「こっちが遠くから視認して、徐々に近づいていき、感動する。」はずなのに。。。)
 不意をつかれ、言われるがままサイトを下って行った。土曜日という事もあり、ファミリーキャンパーたちで賑わっている。しばらく走ると、少し孤立したフリーサイトの土手に、ポツンと止まっているBMW R1100Rを確認。一日ばかりずれたが、ジャスト1年ぶりの再会を、ここで初めて実感した。

 彼女との出会いは、今まで何度か書いてきたので過去ログ参照。ちょうど1年前、わずか数十キロを一緒に走っただけだが、その後MIXIでのやり取りが続き、今日に至る。古い友人に再会したわけでもないし、かといって初対面でもない。今までにない感覚だ。
 さらに、なんとすでに出来あがっていた。ビール500mlを3本って。。。どういうこと?再会の瞬間から、ある意味主導権を握られていたが、以後、姫とその家来。。。
 保冷剤と酒と生ものだけ。ほぼクーラーボックスと化した左のサイドバッグから取り出したプレミアムモルツで再会の乾杯。お互いの環境、というより彼女の環境から話がつながっていく。さらにワインから地酒「賀茂泉」へ。この辺りで姫がご就寝。フライングのビールはともかく、今日一日で500キロ強走っているので疲れているのは当然だろう。明日も時間はたくさんある。良い夢を。

Day Two
 それにしても寝苦しい無風の熱帯夜。首筋を流れる汗の不快感といったら気が狂いそうだ。日の出と同時に空を見た。局地的雨が降るという昨日からの予報通り、どんよりとした怪しい雲が流れ、ポツポツと雨が落ち始めた。そのうち、起きてきた姫と再び話が始まった。
 テニスコートの屋根付きベンチから炊事場、そして管理棟のベンチと場所を変えつつ、話題は尽きない。目の前には稲妻と滝のような雨。ちょうどいい。
 彼女の話はかっこいい。そして良い意味で男前ですらある。昨夜お得意の血液型トークを切り出し、B型ということが判明していた。というか、多分聞いてなくてもB型丸出し。(これは大変だ)と思ったが、フィーリングが合いつつも、自分に無い物を持っているという点で、話していてすごく楽しい。
 考えてみると、福島のN君、とてもかわいがってもらっている東京(軽井沢)のCMさんは共にB。相手がどう思っているかはともかく、意外に合っているのかもしれない。。。
 スコールが過ぎ去るのを待って出発。協議の結果、時間制限なく堪能したい足立美術館は次回へ持ち越し。温泉プラスアルファの成り行きで広島方面に進路をとった。高台から見る宍道湖は、雨に洗い流され澄んだ空気の中、幻想的なムードを醸し出していた。

 キャンプ場を出てすぐミラーを確認したのだが・・・。
 町道からR54へ、さらに4-5台追い越した時、初めてミラーを見た。その時点では抜き切れなかったと判断し、車列に飲まれ走っていたが、どうにも付いて来ている気配が無い。心配になり路肩に寄せた。さらに待つも現れる気配無し。嫌な予感が走る。過去に3度、同じようなケースで引き返すと連れがクラッシュしていた。
 Uターンして走り出すと、すぐにすれ違った。こちらを見失ったあと、違う道に進んだらしい。何はともあれ一安心。同時にいきなりのソロライド展開を反省。ゴメンナサイ。
 12:15。おろち湯ったり館到着。気持ち悪い熱帯夜の汗を洗い流す。ここで再ルーティング。姫が県176を指差した。(その選択肢、いいよアネキ!どこまでも付いて行くよ!)そして目的地は八重滝。さて昼御飯はという事で、どうせだからコンビニで買って、八重滝で食べようという事になった。道の駅「掛合の里」手前のローソンで、昼調達&ガリガリ君タイム。さらに走り出してすぐに八重滝に着いた。

 手頃なベンチを見つけ、お昼時間。昨夜からかれこれ10時間近く話している。マスツーリングに関する質問。あの千鳥隊列のどこに「Fun」があるのか?その答えは興味深いものだった。姫の所属するクラブのツーリングはその多くがフリー区間。目的地だけ決めて、飛ばすものは飛ばし、クルーズするものはクルーズする。なるほど、それは面白い。
 ソロへのこだわりについて、あえて言葉にするなら、一人でありながら一人じゃないという事だろうか。次のコーナーを先取りしながら、いつもの自分が、内なる自分へと語りかける。普段考えない少し深いところへ思考が及び、青空と緑の中で、いかに自分がちっぽけな存在か認識する。たったそれだけで、小さな悩みなど吹き飛ばす事が出来る。現実逃避ではなく、次へのポジティブなステップとして。そして、リセットした新鮮な心を持って、日々の生活に戻っていくのだ。
 ここで姫、分割して小さく出来る携帯用箸をくれた。なるほど、男前でありながらこの気遣い。見習いたいところ。

 広島へのルートを取りながら、もう一つアクセントとして常清滝に寄る事にした。R54から県55へ。入り口からパジェロミニに付き、譲るどころか逃げ始めた。(軽と張り合っても・・・)と思いつつ、逃げられると追いたくなるのが動物の本能とばかり、後ろに付いた。しばらく走ると見事な木造校舎を持つ学校が目に入り減速。校舎の壁には標語のような垂れ幕も下がっており、現役だろうと感心する。すぐに姫も追い付いて来た。
※この旧・谷小学校は、帰宅後の調査で、平成17年を持って閉校したとの事。地元の厚い保護を受けているのだろう。立派な木造校舎。いつまでも残っていて欲しい。
 峠を過ぎた下りから先に怪しい雲が出ていたのには気が付いていたが、パラパラと落ち始めたかと思うと一気に本降りになった。後ろの姫のことが気になりながらも、続いている「カッパ着たくない症候群」は継続中。たまりかねて道端の木蔭に入った。姫曰く、「もうちょっと走ったら抜けるでしょ?」。さすが!
 R375に出て、雷を伴い土砂降りになった。これはもう危険と判断し、町の集会所みたいなところで雨宿り。一気に水溜りとなった水面に、大粒の雨がレインドロップスクラウンを作る。そう思っていて見ていると、姫が同じ事を口にした。似たような感性を持っているようだ。

 雷をやり過ごし、再び走り出した。すぐに滝に到着。常清滝は広島ではそこそこ知られているが、全国的にはどうだろう?そういう自分も、初めて訪れた時、その過小評価からあまりの見事さに驚いた記憶がある。
 びしょ濡れ蒸し蒸しの状態で10分ほど歩かなければならず、少し気を遣ったが、彼女の「歩いた価値はあるね。」という言葉に救われた。(さあ、あとは帰るだけだ。)と思っていたが・・・。

 R375から分岐したR433、そして高田へ抜ける広域農道。ここは大好きな道だ。ローカル色をこれでもかと発揮する三江線の踏切。いつもよりしっかりと一時停止をして、左右につながる線路の行き先を思う。すぐ右には式敷駅の誰もいないホーム。それでも現役の駅としての存在感はしっかりと保っている。
 広域農道に入って再び雨が降り始めた。しかし、太陽光の降り注ぐ中での雨のキレイさといったらとても言葉に出来るものではない。普通の道が金色に輝き、まったく違う顔を見せている。姫はどう感じているだろうか?
 ふと左手に目をやると、近年見たことが無いくっきりとした虹。さらにその上にはもう一つ薄いのがあり、広い空にダブルアーチをかけている。ミラーをちらっと見て、左を大きく指差した。
 県64に突き当たり、高田ICに入るため東へ。今度はあの虹が真正面に。先ほどのパジェロミニを思い出した。アクセルを開ければ追いつく先行車と同じく、スピードを上げればあのアーチをくぐれるような錯覚に陥る。しかし、それをあざ笑うかのごとく、いや、まるでこちらなど眼中に無いかのように同じ位置に居続ける。
 ♪Somewhere, over the rainbow・・・のメロディが浮かんできた。いつの日か、あのアーチをくぐりぬける事が出来るだろうか?

 高速に入り、本郷PA手前から再び雨が降り始めた。カッパを着るチャンスのPAには10台近いバイクが止まっているのが見える。スルーした直後から雨はさらに激しくなった。姫に申し訳ないと思いながら、雨にひたる。
 50キロ規制発令中。多くの車が減速し、走行車線でおとなしく走っている中、モーゼのごとく追い越していく。激しい雨が路面にぶち当たり、その衝撃で水煙となった霧が光り輝いている。
(美しい・・・。)
 雨粒は弾丸となり、良くも悪くも、肌はそれを受け止めざるを得ない。シールドに容赦なくたたきつける雨は、少しあごを引くだけで、140キロのスピードがワイプしてくれる。多くのライダーが嫌がる雨を楽しむことが出来る事を、幸せに感じる瞬間だ。
 そこへ現れた安佐SAに減速。同じように数台のバイクが足止めを食らっていた。くしくも、去年姫と出会ったSAで、思うところあり。びしょ濡れの服に、
「明日もう一日あるのに〜!」と姫。(大丈夫。走れば乾くよ。でもごめん。)
 小降りになって走り出すと、すぐに雨はやみ、路面もドライになった。典型的な局地的雷雨だったのだろう。

  市内のホテルに送り届け、お互い身支度。流川で第二ラウンド、連夜の宴会開催。今度はスカートにメイクと、まるで別人のよう。こちらはといえば、引き続きジーンズにTシャツなので、さしずめ「セレブOLと年下のヒモみたい。」と笑う。
 昨日から何時間話してるかわからないが、いっこうに飽きる気配が無い。中でも面白かったのが、2番手を走った彼女の目線。自分も景色を見ながら、こちらが何を見ているかをしっかりと観察している。あの虹も先に気付いていたらしい。
 いつも、恐ろしくキョロキョロしながら走っている。カントリーロードでは、風にそよぐ稲、斜光線に絶妙なコントラストを見せる田園風景、瞬間でしか見れないわずかな建物の隙間などを見逃したくない。
 さらに走行中の地図チェックや、高速での覆面パト確認など、ライダーにしかわからない視線の動きを指摘されたのには驚いた。道中出会った車の話なども盛り上った。聞くと、マスツーリングでは休憩時定番の話題だという。なるほど、この楽しさは否定する事が出来ない。
 西風新都IC〜沼田町伴、五月が丘〜己斐峠を抜ける短いワインディングを「楽しい道」と言ったのもさすが。
 締めのお好み焼き。明日こちらは仕事、姫は最終日。そろそろ時間だ。最高に楽しい旅をありがとう。無事帰るのが最優先。そして明日も良い旅を。娘、妻、母、女、すべてにおいて楽しんで!また近いうち、ぜひお供させてください!

 雨に演出された、光に満ちた旅だった。結局、数度のスコールに見舞われながら、一度もレインウェアを着る事は無かった。予定にあった足立美術館を、あっさりと諦めたのにも感心。これで次回のネタを温存できる。
 5回に1回、一人でいい、地元に同じ価値観を持った旅人が欲しいと認めざるを得ない。さあ、豊島と徳島が手招きしている。。。

♪Liquid Tension EXPERIMENT "Liquid Tension EXPERIMENT 2"
July.24 7/26-27 Yさん合流、宍道ふるさと森林公園・足立美術館
 別に自慢するような事ではないが、出発準備はいつも旅立ち2-3時間前。ゆえにスタートが遅れることは日常茶飯事だが、ソロなのでいくら遅れようが何の問題もない。
 今回は数時間人を待たせることになる。仕事から帰ればすぐスタートできるよう準備を開始。二日も前から準備を開始するなどいつの事だろう。
 前から書いているように、今年はなるべくおとなしくするように心がけている。これだけ出て何がおとなしいか?それはなるべく泊りを避け、片道300キロ以内の日帰り圏内をキープする事。そう考えると、この旅も片道200キロ以内、一泊一日という位置付けだ。テントを持ち出すのも3月の別府以来。
 さらに、終日晴れた休みの今日、野暮用を除けば、一日中家にいた。こういう日は今年初めてかもしれない。疲れがたまってきているのは確かだ。一日を無駄にしたのではないとポジティブに考えよう。
 前置きはこれぐらいにして、やはり「旅先で誰かが待っている。」という事にワクワクしないわけがない。それも最高のシチュエーションである、お互いのホームタウンではない場所での再会だ。


July.20 深入山・八幡高原
県290-県41-R433-R488-県41-R186-R191-深入山-R191-県307-県115-R186-県307-R191-八幡高原-R191-戸河内IC-西風新都IC

 14:30スタート。暑いのは言うまでもない。休憩に寄った、春の山焼き以来の深入山だが、あまりの緑に驚く。たった3ヶ月前焼け野原だったとは信じがたい。
 R191爆走後、県307へ。道幅も狭いプチ酷道だが、今日のコンセプトはすべて満たしている。(風、木蔭、高高度、川沿い)
 くねくね道をゆっくりとトレースして峠を越えると、懐かしい光景が広がっていた。関東でも好きだった道、本栖湖から下部に抜ける「本栖みち」に良く似たロケーションだ。思わずバイクを止め、ヘルメットを脱いで走り出した。ノーヘル、エンジンストップ走行はオフでよくやるが、オンではあまりやらない。ブレーキに負担がかかり過ぎるので、エンジンストップはやめた。
 谷側の深い渓谷を望み、顔全体で風を感じながら下っていく。(気持ちいい、最高だ。。。)ヘルメットでミュートされていた微妙なエンジン音や、エンジンブレーキで引っ張られるチェーンの音が生々しい。まわりではヒグラシがこれでもかと夏を演出している。その後に続く、県115ほぼ全線をノーヘルで走り抜けた。
 R186から再び県307へ。年に必ず数度は訪れる八幡高原に到着。ここでもヒグラシ、それにウグイスとカッコウが加わり大演奏会を開いている。
 夏の夕暮れに聞くヒグラシの鳴き声は、どこかセンチメンタルな気分にさせる効果があるらしい。。。一日が終わっていく切ない時間帯。夕日が山の端に消えるのを確認して帰路に。
 帰りは少し肌寒いくらいだった。暑さに対抗する手はある。どんなに暑かろうが、あと半月もすれば立秋だ。。。そう考えると夏も短い・・・。

スタート前:暑さに対抗する手はある。
 トラブル報告書作成で先ほど帰宅。お疲れモードの明日(今日)はどこへ?
 先日書いたとおり、四季の中でもっともライディングに適してない季節は夏だと言い切りたい。真夏日、一口目のビールは最高だが、凍てついた夜空の下、指先を暖めてくれる缶コーヒーの方が心にしみる。寒いのは重ね着で対応できるが、暑いのは裸でも暑い。この炎天下、どこを目指すか・・・。電気のない自然界で冷やす方法はそれほど多くない。
「風を当てる。水に浸かる。標高を上げる。日陰に入る。」バイク乗りなら当たり前の空冷水冷だ。これなら合わせ技も可能。
「標高を上げながら、木蔭の道を、風と共に駆け抜け、湖畔でくつろぐ。」明日はこれに決まり。
「熱中症になりかけ、冷房の効いた建物に逃げ込んだ。」例えそうなったとして、ここには書かない。(笑)

 前回書いた原付取得勉強中の女の子。初めての遠出になんと熊本を企画している。もちろん無謀である事は間違いない。しかしすぐに引いて考えた。各種文化、スポーツにおける新人賞と同じく、「初めての旅」は一生に一度しかない。無から始まる往復800キロの旅が実現され、成功したなら、彼女に何がもたらされるだろう。
 あまりの無謀さゆえそれをさとしながら、実はひそかに決行される事を期待している。おりしも、「旅する東次郎」、初めての旅先が彼女。51年前の大冒険は、決して小さくはない影響を与えたはずだ。果たして、平成20年の「女東次郎」は誕生するか?昨日立ち読みした「RIDE14」に東次郎のページがあって驚いた。やはり今年は何かがつながっている。。。
 ちなみに・・・、2輪での初めての旅は、Honda Dioでの“東京都目黒区鷹番〜埼玉県幸手市緑台”、往復150キロのクラスメイトを訪ねる旅だった。自分にとっては忘れられない新人賞だ。


July.17 無限に広がる世界。
 同僚の22の女の子が、原付免許を取る(普通免許は持っていない)。バックパッカーとして、インドやチベットを旅した事があるという彼女に、バイクのジャンル特性について説明した。
 スクーターは、単なる足としてみた場合、ベストな選択といえる。新車にこした事はないが、中古でも流通量は豊富だし、何より、ギア付き、クラッチの概念を持たない彼女には入りやすい。
 次にリトルカブ。燃費と3速ロータリー、そしてスクーターとの差別化は魅力的だ。
 最後にモンキーをはじめとするクラッチ付き。これから旅人の素質を持続できるなら、さらに大きな排気量へステップアップしていくのに最良の選択肢。4速リターンのライディングは、たとえ50ccといえど大排気量と大差ない。毎日の通勤においても、どこかに「Fun」があるのだ。
 もちろん、MTの世界を無理強いするわけではない。スクーターに比べ、逆に不便な事も多いし、女の子一人で旅する危険や、2輪特有の危険、車両価格の違いや保険の重要性についても言及した。だが、幸いにもうちの会社の駐輪場には、黒いモンキーが止まっている。そんなことならいくらでも練習に使って欲しい。瞳をキラキラ輝かせて聞いている彼女に、はるか昔の自分を重ね合わせた。
 4輪の限界を感じていた時、やはりバイトの先輩に乗せてもらったモンキー。ジムニー搭載マシンとしての利用法や、ギヤ付きの楽しさに即購入を決意。その年発売されていた限定のブラックモンキーに一目ぼれし、都内を検索。今のようにネットもない時代だ。中目黒のCat's(すでに閉店)というバイクショップで発見し、¥99,800(車両価格)で即決した。忘れもしない納車の日、店の前から最初に発進しようとした時ウイリーしてたまげた。以後18年間、先ほども乗って帰ってきた。
 簡単な操作説明をしてまたがり、キックスタートに四苦八苦している彼女を見ながら、本当にうらやましいと思った。どのバイクに乗るとしても、これから見るものすべてが新鮮な世界へ旅立つのだろう。同じ景色を見ても、きっと光り輝いているに違いない。その気持ちを常に維持しようと心がけててはいるものの、100%感性のみで感じ取る事はもう出来ない。
(いいなあ・・・。)
 一言、付け加えた。
「ノーマルモンキーは、原チャリネーチャンにブッちぎられるよ。」
 そして最後に、
「どれに興味がある?」
「リトルカブ・・・かな?」と彼女。
「あれっ、モンキーは?」
「遅いんですよね?」
 おいおい、そっちかい?(苦笑)

 ちなみに。。。
「旅する東次郎」の初旅行の行き先は彼女。


July.15 夜を駆ける〜佐方PA〜
 午後から羅漢渓谷でお茶でもしようと思っていたが、時間が過ぎていくうちに夕立ちに。そろそろ休養が必要だったのかもしれない。かといって、貴重な休日を全部家で過ごすなんてもったいない。22:00から西広島バイパスを西へ走り出した。
 おあつらえ向きに、激しい車線変更を繰り返し、短い車間に割り込んできた車を追い掛け回す。といっても普通の車で、すぐに皆賀の側道に降りて行った。
 めったに入ることのない下り佐方PAにてしばし考え事。週始めの夜で、トラックが多い。
 再び走り出すも高架工事の一車線規制で渋滞。迷いもなくUターンした。たった小一時間の事を履歴に刻むのは反則だが、別に決まり事があるわけではなく、これきりという事で。なまあたたかい風ではあったが、やはり夜は涼しい。

 今トップにしている緑の写真。過去ログにあるように山口上関にある皇座山山頂。バイクが止まっている場所は、この日の目的地にして展望ゼロの狭い草むらだった。他の人にはなんでもない写真であろうこの絵がとても気に入り、何度も眺めている。なぜなら、これまでの自分の旅を象徴しているから。
 目の前に続く道の行き先が知りたくて旅を続けてきた。車からダートバイク、さらにリッターバイクになってもそれは変わらない。
「この道はどこへ続くんだろう?」
「この脇道は抜けられるのだろうか?」
 名所より、走りより、追い求めてきた小さなアドベンチャー。300キロ近いマシンを、転回すら出来ないダートの先へ躊躇なく進める人間はそうはいないだろう。ガソリン高騰、食料、介護、仕事。間違いなく今ほど乗れない時が来る。それまで少しでも多くの探険を重ねたい。たとえその先が狭い草むらだったとしても。。。

 最近お気に入りのアーティストがalan。チベット系中国人の彼女が生まれ育った村は、なんと美人村。どんな村なんだ?という疑問はさておき、歌が良い。特に大貫妙子や坂本龍一が関わり、キャンペーンソングにもなっている売出し中シングルは、デビュー時の民族臭さが抜けて、大陸的な大きさを感じる。カップリング曲では、昔好きだった井上昌己(今も現役)を彷彿とさせる歌いまわしもあり、フルレンスアルバムが出たら買うかもしれない。ちなみに、もう10年近く、日本のアーティストの音源を購入した事はない。
 今日NHKに出るというので見てみたが、生歌がヨレヨレのシンガーが多い今、なかなかの歌唱力。avexが好きそうな超高音も出て今後が楽しみ。

alanオフィシャルサイト(avex) http://alan-web.jp/
alan中国語blog http://blog.sina.com.cn/alanlan
 この中国語サイトのジュークボックスに、スティングの「shape on my heart」があった。映像と最もマッチしたテーマ曲の一つとして大好きな曲。帰ってくることのないジャン・レノを待つナタリー・ポートマンの姿が浮かんでくる。ゲイリー・オールドマンの存在感もすごい。


July.13 室津半島スカイライン・大星山・皇座山・上盛山
五日市IC-宮島SA-玖珂IC-県70-県7-R188-ゆめタウン-室津半島スカイライン-大星山展望台-白雲稲荷大明神-皇座山-県23-上盛山展望台-御汗観音-県23-県72-R188-県22-県70-県7-県138-周東広域農道-R437-玖珂IC-玖珂PA-廿日市IC-R2

 9:00までギリギリの8:45スタート。己斐峠で3台のバイクに追いつく。先頭はGSX-R、2台目がラッキーストライクカラーだったのでγ250?、3台目は不明。急いでいるので抜きたいが、バイクの隊列は長く、車より抜きづらい。五月が丘交差点の信号でグループの2番目になってしまった。
 8:59、何とかゲートをくぐる。こういう時のため時計を数分進めており、見かけ上、9:00に間に合えば大丈夫という事になる。走り出してすぐ、宮島SAで大休憩となった。スーパーカーのミーティングらしきものをやっていて、カウンタックやらフェラーリ308やら、とんでもない車が集結している。正直なところ、30年前の車であり、今のスーパースポーツ(バイク)の方が速いだろうが、発散するオーラは否定しようがない。走り出したところを追いかけたいが。。。
 1時間近くダラダラして10:00再スタート。オシャレなカフェなどない山の中が目的地なので、柳井のゆめタウンで買出しをした。それにしても・・・、この暑さ。無理。。。ガッポリと3袋クラッシュアイスを入手して弁当を冷やす。
 尾根筋の入口はこのゆめタウンからすぐ、注意して走っていると、「室津半島スカイライン」の看板が現れた。取り付きには「全面通行止め通り抜け不可」の表示。風力発電施設建設のため、9月ごろまで通行止めという。こんな時は行き止まりまで走るのが常。特に日曜日は工事がなく、通れる場合が多い。とりあえず大星山まで行ってみる事にした。
 スカイラインからの分岐を山頂展望台方面へ。駐車場に入るなり驚いた。
「なにこれ!」
 すごい展望だ。これだから「行くところがない」と錯覚するのはまだ早い。こういう何でもないところにも絶景は隠れている。それにしてもこの風力発電のプロペラは。。。景観が台無しだ。おまけに風がないためまったく回っていない。大金かけてどうなんだろう?
 昼をここで食べ、出る支度をしている時、上の方で「ギィー」という音が。プロペラがゆっくりと回りだした音だった。(一応回ることは回るんだ。。。)
 山頂からの分岐に戻った所で、建設中の2基目のプロペラの現場に入った。(近くで見るとデカイ!)よく見ると風下側に向け、反っているのがわかる。山頂の説明板によると、直径は70メートルもあるらしい。
 目的の皇座山へ向かう。室津半島スカイラインはあまり広い道ではない。舗装もかなりバンピーで、道路を横切る、大きな段差の溝が連発し、快走路とは言いがたい。
 白雲稲荷大明神という怪しげな神社を発見し、バイクを降りた。朽ち果てた鳥居が連続する参道はいい味を出していて、思ったよりも距離が長い。「いったいどこまで歩くのか?」と思い始めた頃、急に視界が開けた。
「なにこれ?」
 清水の舞台も顔負け、海に落ち込む山の中腹に建っている。赤ペンキも仰々しい、中途半端な社ながら、御神体は今にも倒れそうな岩の裂け目。いやいや、いい物を見せていただきました。廃墟を感じさせる苔むした参道に反して、社の日めくりは昨日の日付で、しっかりと管理されているようだ。秋にはお祭りもあるらしい。そもそも、20年来愛用しているMXアパレルは「FOX」。キツネと縁遠いわけではない。
 バイクに戻り、時計を見るとPM1:08。トリップが家を出てからちょうど108キロ。どうやら煩悩が渦巻いているようだ。こういう偶然は好き。事前にわかっていたなら、賽銭を108円にしたのに。
 稲荷を出てすぐ廃道っぽい細い道になったので、間違えたと思い引き返した。しかし、戻っても今来た道。どうやら間違ってはいないようだ。(これかい!)車幅軽トラ一台分くらい、細く荒れている上、残り数百メートルから荒れダートになった。(ZZ-Rで来る場所じゃない!)と思いながら、それでも躊躇なく進むと・・・、
「なにこれ!」
 狭い円形の広場に容赦なく太陽が降り注いでいる。真ん中には三角点と山頂を示す立て札。驚いたのは、360度展望ゼロ。これがダートの先にある目的地か・・・。でかいミミズが待っていてくれたので、良しとするしかあるまい。
 なんだかんだ言って14:00まで長居し、上関は上盛山展望台に向かい支度を始めた。ふと下を見ると、先ほどのミミズが干からびて動かなくなっている。「もしかして踏んじゃいましたか・・・?」
 上盛山展望台は、360度の絶景を誇る最高の場所。3年ぶり、2度目だが期待を裏切る事はない。ラジオをつけると、博多の放送局の番組が飛び込んできた。(たった100キロの走行で九州旅行だ。)木陰を吹き抜ける風の心地よさに昼寝をしてしまう。
 起きてから『十五少年漂流記』を4章から7章まで読みコーヒータイム。ここまでの暑さに、(ホットなんてありえん)と思っていたが、山頂の涼風はおいしいホットコーヒーを淹れてくれた。
 再び展望台に上がり、360度の展望を楽しむ。大星山のプロペラ、皇座山、上関大橋から祝島まで、何時間見ていても飽きない。そのうち何か霧のような物が流れていくのに気付いた。強風は吹いているが、日向ではまだ暑いし、空は晴れ上がっている。霧なんて。。。だが徐々にそれは濃くなっていった。(風が見える。神に近づいたか?)あっという間に、今見えていた海がさえぎられ、辺りは真白い霧に包まれた。太陽の反対側を見ると、虹ではないが、七色に輝いている。(これは・・・、いったいなんだ?)距離感が失われ、不思議な感覚を味わった。時間にして十数分。徐々に霧は消えて行き、何事もなかったように元の景色に戻った。
 (今のはなんだったんだろう?)と考えながら、何気なく皇座山の方を見て謎が解けた。(なるほど!)。
 推測だが、強い海風が山の斜面を駆け上がり、山頂に一時的な雲を作った。つまり雲の中を旅した訳だ。皇座山の頂上付近も、突然雲に覆われた。その雲はしばらく山頂に居座っていたが、少し目を放した隙に、跡形もなくなっていた。あの雲の中には「ラピュタ」があったに違いない。肩に小鳥を乗せたロボット兵が散歩する姿を思い浮かべた。
 ラジオは「福山雅治」から「あべれいじ」へ。それも終盤へさしかかり、時計を見なくても時間の経過がわかる。
(18:00、そろそろ帰ろう。)
 帰り道にあった御汗観音に寄り道。帰りの無事を祈願したが、群生するアジサイのなんと見事な事。賽銭はこの拝観料だけで十分。無事祈願までは欲張りかもしれない。
 帰り道。県道72からはるか見上げた大星山のプロペラは、「ラピュタの風」で、ブンブン回っていた・・・。(しっかり回るんだ・・・。)

大星山展望台。

風力発電プロペラ。でかい!

クレーターのような土台。

このアングルでは反っているのがよくわかる。

羽断面直径は、ほぼ身長と同じ。

この後干からびて動かなくなっていた。

皇座山山頂。オンには荒れた道。

展望ゼロ。あっけない幕切れ。

木漏れ日を映す。

上関大橋と上関の街並み。右奥は平群島。

雲の中。一時はまったく見えなくなった。

ついさっきまでいた皇座山山頂付近。あの中に天空の城ラピュタが。

たんぽぽランプ。

July.11
 日曜のスタート前プラン。地図で見る限り、柳井からの縦走は尾根筋のスカイライン。しっかりと9:00までに高速に乗り、宮島SAでくつろいでから玖珂まで。一日フルに使いたい。余裕があれば、上関上盛山展望タワーへ。ここには05年4月にも来ていて最高の眺めが楽しめる。持ち出しは『十五少年漂流記』か?火曜日は再び見島計画。
 『旅する東次郎』、現在一人待ち。帰ってきた時のサインがどんな大きさで、どんな場所に書かれているか?すごく楽しみ。


July.8 下蒲刈:蘭島閣美術館・松濤園・白雪楼・三之瀬御本陣芸術文化館 上蒲刈:大浦・豊島大橋
R2-R31-県34-県174-R185-安芸灘大橋-蘭島閣美術館-松濤園-白雪楼-三之瀬御本陣芸術文化館-県74-県287-大浦港-豊島大橋-県287-県74-安芸灘大橋-R185-R31-R2

 毎週計画中の見島。パートナーの予定があわない上、ウィンブルドン決勝で寝不足。延期決定。
 14:00スタート。今期初めてジャケットを脱ぎ、長袖Tと半袖T重ね着で出たが・・・、暑すぎる。昨日書いたとおり、日中はもうバイクに乗る時間帯ではない。安全面から言ってもシャツでは恐いが、都市平野部はもう10月まで走りたくない。いかに高度を上げて、田舎道へ出るかが勝負。
 05年3月以来の蒲刈。今回の目的は11月に完成する豊島大橋。実は朝早く出てフェリーで豊島に渡り、大崎下島の御手洗まで足を伸ばそうと考えていたが、結局いつものごとく遅いスタートになってしまった。
 安芸灘大橋料金所。バイクにしては高い通行料金(¥550)に、往復割引はないかと聞いてみたところ、おばちゃんが面白いパンフを出してくれた。上蒲刈の三之瀬にはこの島の見所が集中していて、今まで二度訪れた事があるにもかかわらず、そのどれにも入った事がなかった。パンフは、松濤園(必須)と他の指定文化施設を合わせて三つ以上回ると、帰りの通行回数券がもらえるという物。これに乗らない手はない。
 最初に蘭島閣美術館(¥500)。メインは花や野菜などの静物画でイマイチなじみがないが、決して損したというわけではない。その足で松濤園へ。受付で上記4施設を訪ねるパック料金の設定に気付き聞いてみると、差額を出せば対応してくれるとの事。これでかなりの割引がある上、帰りの橋回数券もゲット。お姉さんもかなりタイプ。
 松濤園(¥800)はかなりの見ごたえあり。残りの2施設を回る事を考えると時間が押していて、家を遅く出たことを後悔。特に旧吉田亭を移築した建物には、家に置きたいくらいの骨董タンスがたくさんあり、古いランプなどはもう少し時間をかけて見たかった。
 白雪楼(¥300)。ここがいちばん気に入った。豊島との海峡を一望できるお茶室で、自分の嗜好の変化に気付いたという点で大きな収穫があった。元々、こういった類の古い建物にはあまり興味をもてなかったが、お茶室や、最高の展望を持つ二階の楼閣の持つ雰囲気には素直に共感でき、住んでみたいとさえ思った。二畳位しかないお茶室で、囲炉裏の鉄瓶で湯を沸かし、コーヒーを淹れる・・・。年をとってきたのか?それとも何かがわかるようになってきたのか?その答えを見つけるにはもう少し時間がかかるかもしれない。それと、この入館料で抹茶と小さな和菓子が付く。「茶室でお茶を飲む。」来た甲斐があった。
 最後に三之瀬御本陣芸術文化館(¥500)。何とか国太郎という画家の作品をメインに展示してあったが、これがかなりはまった。少しダークな色調で、ごつごつとした油絵の具のタッチが生々しい。特に1940代に描かれたという鳥の絵がとても印象的で、故ブランドン・リーの映画「クロウ」を彷彿させた。写真と違い、思ったものそれだけを創り出せる「絵」が、うらやましいと思った。
 以上4施設。単純に入ると合計2,100円の料金が1,680円に。さらに帰りの橋通行料金が出る。作品といい、お得感といい、良いモノを見させていただいた。特に松濤園以降の3施設においては連絡を取り合い、まだお客さんが来るという事を伝えてくれていた。
 17:00を過ぎ、上蒲刈へ渡り、大浦港へ向かった。今日は時間的に無理だが、ここから豊島に渡り、大崎下島、平羅島、中ノ島、そして岡村島へ橋づたいに渡りたい。ちなみに06年2月、安芸津から大崎上島に渡り、下島の大長まで到達している。
 大浦港でチケット売り場のおばちゃんに聞いてみた。人190円、大二520円、計710円。所要時間17分。橋完成後の航路について聞いてみると、やはり廃止されるらしい。(これは11月までに再び来る必要がある。)そう思っていると、ここのおばちゃんもパンフをくれた。

TOYOSHIMA SOUL FAMILIAR 2008

 8月10日、豊島の高所「十文字展望台」にて開催される夏フェス。聞いた事のない参加アーティスト達で、恐らく興味のないジャンルの音だろうが、夏フェスの雰囲気、そして行こうと思っていた「十文字展望台」が重なった。検討してみる価値は大いにある。二人のおばちゃんから聞いた話がどこかつながっている様な気がした。
 外に出てバス停のベンチにてルーティーンワーク、地図への書き込みと帰り道検索。ふと、まわりの騒がしさに上を見上げた。なんとそこには、背伸びを一切必要としない、手を伸ばせば届くところにあるツバメの巣が・・・。(おいおい、大丈夫かよ!いくら都会より安全とはいえ・・・。)しかし彼らも馬鹿ではない。本当に安全な島なのだろう。くちばしを真一文字に結んで親を待っている5羽を写真におさめようと、マクロでかなりの距離近づいた。ちょっとだけマナー違反かと思ったその時!親が攻撃して来た!100%威嚇行動と取れるほど一直線にこちらに飛んできて、最も近づいたとき聞いた事のない声を発する。明らかに怒っている。それを旋回しながら何度も繰り返した。まさかぶつかって来やしないだろうが、正直よける必要があるくらい突っ込んで来る。つい先日の鳶の事を思い出し笑ってしまった。
(ごめんごめん、悪かったよ。)それにしても何倍も大きな人間への攻撃に、子を守る親心を見た。その後は少し離れたベンチに座り観察。こんな所で1時間も使うライダーもいないだろうと苦笑、18:00過ぎ、建設中の橋のたもとに向かった。
 豊島大橋(仮称)は11月に完成予定。これにより東の岡村島まで陸続きになる。先述のとおり、開通後はフェリーが廃止されるらしい。特に思い入れのある航路ではないが、間近になくなると聞けば一度は乗っておきたい。架橋はほぼ完成していて、最終段階に入っているように見えた。
 帰りの料金所。行きと同じおばちゃんがいて、貰った回数券を渡すと素直に喜んでいた。知り合いに関係者がいるのか?それとも単なる郷土愛か知る由もないが、「地元の人と会話する事の意義」について再確認した。地図を見るよりも、ネットで調べるよりも新鮮で詳しい情報。後続の車が来るまでの短い間話したが、料金所ブースでこういう事も珍しい。
 安芸灘大橋から呉市広へ、ずっと追いかけていた夕日が沈んだ。2008年7月8日。二度と来る事のない一日が、静かに暮れていった。。。

白雪楼。

大浦港(これを撮っていて親ツバメの攻撃を受けた。怒られて当然。)

全部で5羽いる。強い3羽が前にいるのだろう。


July.6 カフェ「花みずき」 & 『十五少年漂流記』
 16:00スタート。ついに30℃超えの季節がやってきた。個人的意見だが、4シーズン中最も旅に適してない季節だと思う。正直なところ、夏より冬の方が楽しい。温暖化による殺人的暑さはもちろんだが、行楽渋滞によりそれは倍増、何より夏のテント内の寝苦しさといったら。。。できるだけ高高度を目指すのは当然だが、移動中のニーグリップさえ出来ない熱風地獄は辛すぎる。すでに今日それを感じた。
 「花みずき」への行程に快走区間は少ないので、ゆったりとクルージング。それでも出せるところはしっかりと回す。フロントがかなり来ているのがわかる。そろそろ注文しておかなくては。
 走りながら最近読んだロッシ(バレンティーノ・ロッシ/MOTO GPライダー)のブレーキングについて書かれたブログの事を思い出し、自分のライディングにおける操作を考察。
 微妙に違うそれぞれを無意識に使い分けているのが面白い。どちらかというと、右コーナーより左コーナーが苦手。ZZ-Rのタイヤを見ると一目瞭然で、右はキレイにエッジまで使っているが、左はわずかに残っている。そうこうしているうちに「花みずき」に到着。

 今日はランチではないのでケーキセットをオーダーした。ケーキはシフォンのみで、アイスカフェオレを付けて980円。少し高めだがお気に入りのロケーションも含まれていると考えれば気にならない。かなり暑いが少し風があるので屋外の席に座り、『十五少年漂流記』を取り出した。誰もが知っているジュール・ベルヌの空想小説だが、実は今まで一度も読んだ事がない。『無人島に生きる十六人』と、『エンデュアランス号漂流』が驚くべき実話のためどうしても比べてしまい、どこかに作り話だという思いがつきまとう。
 次に地図を取り出して、今日の行程を記入した。以前にも書いたが5年ごとに新調。今もっているのは2005版だ。通った道をピンクの蛍光ペンでなぞり、行った場所には日付と短いコメントを記入。ページをめくっていて面白い事に気付いた。このツーリングマップル05版見開きのうち、線が引いてないページは数枚しかない。05年以前に通っているものもあり、つくづく良く走っているなと感心。岡山東北部から兵庫北部、鳥取東部辺りの探索がイマイチ薄い。もちろん全ページ制覇してやろうなどという考えはサラサラないが、まったく通ってないページで、攻略意欲が再燃したのが隠岐。
 04年GWに、渡航寸前まで計画したが延期、4月に七類港まで行った事で再び気になっていた。連休があれば実行しようとひそかにプランを練っている。それはモンキー購入当初の目的、母艦から戦闘機が発進するがごとく、ジムニーに積んで港で下ろし、島へ渡るという18年来の悲願。今のところ島後には興味がなく、行くなら島前の西ノ島、中ノ島、知夫里島の三島巡りである為、4度のフェリー代を押さえ、高い離島のガソリン代に対応し、それでいて小回りのきく原付は最も合理的。今年中に達成なるか?

 店内から、かすかにクラシックの調べが漏れ、まわりの木々からは鳥のさえずりが聞こえる。今日も優しい時間を過ごせた。第3章を読み終えたキリのいい所で帰路に。。。

スタート前プラン
 この後、お気に入りのカフェ「花みずき」へ。昨日買ったのは、江國香織「冷静と情熱のあいだ Rosso」、木藤亜也「1リットルの涙」、ジュール・ベルヌ「十五少年漂流記」の3冊で、Tポイント利用の165円。どれを持っていこう?

 先日の津和野〜須佐。現在トップページの背景にも使っているカフェレストラン「ポンム・スフレ」のサイトに登場中。興味のある方は是非、ランチorディナーを!http://www.tsuwano.ne.jp/pomme/
 さらに、
安野光雅美術館、http://www.town.tsuwano.lg.jp/anbi/anbi.html
板橋アンティックドール美術館、http://itahashi.com/
もおすすめ。


July.4 おめでとうKさん、改めIさん!
 今日仕事から帰ると、横浜のKさんから便りが届いていた。
「結婚しました&引っ越しました。」
 ハガキには幸せそうな彼女とご主人の笑顔があった。
 当時バックパッカーとして旅していたKさんとは00年4月、長崎の旧浦上が丘YHで知り合った。その夜稲佐山の夜景へ。一緒に行ったメンバーが、Kさん、川崎のK君、現うわじまユースのペアレント夫妻と1歳の赤ちゃん、自分を入れての6人。これが8年後の先月、「宇和島の旅」へとつながる。夜景の翌日、浦上天主堂の早朝ミサ、さらにK君とKさんをそそのかし(?)、3人で軍艦島初上陸を果たした。
 もう一つ面白いエピソードがある。沖縄から帰ってきて、知り合った人たちの連絡先を整理していた時の事。出会った場所も日付もまったく関連のない二人の住所が、町名まで同じである事に気付いた。その二人とはKさん、そして今でも交流が続く横浜のヒロだ。ヒロと出合ったのは長崎から2週間後の那覇新港、石垣行きフェリー埠頭だった。
 その後北海道へ北上する途中、Kさん、K君、ヒロを交えて山下公園近くの焼肉屋で食事をしたが、Kさんとヒロの実家が歩いて数分の距離にあると聞き、さらに驚いた。これだから旅は不思議だ。


July.1
五日市IC-久地PA-吉和SA-六日市IC-R187-県3-県226-広域農道-県226-ポンム・スフレ-アンティックドール美術館-津和野駅SLやまぐち号-県13-県17-県124-R315-須佐大橋-R315-県305-高山山頂-皇帝社-沖浦集落-県305-R191-R315-県13-県226-広域農道-県226-県3-R187-六日市IC-吉和SA-西風新都IC-県71

中国道:ガラガラの一人旅が続く。SAも完全貸し切り状態。SAでダラダラしていると、いつも福島のN君を思い出す。

津和野:イタリアン、ポンム・スフレ。¥1,000のAランチとケーキを注文した所、かつてライダーだったマスターがアイスクリームを付けてくれた。今日のパスタは「キャベツのペペロンチーノ」。粉々に砕いた「クラッシュカリカリにんにく」が最高。今後もこっち方面のお昼は寄りたいと思う。帰り際、「ブログに載せるので。」と携帯で撮られる。珍しい体験だ。

アンティックドール美術館:以前から気になっていた美術館。秘宝館っぽいマイナーなイメージを漂わせているが、展示されている人形達はすごい。。他の客はなく貸し切り、夜一人で来たら変死体より恐そう。しかし、100年200年経つものもあり、それぞれの人形が歩んできた道のりを思うと思いは尽きない。印象に残ったのはレースのドレス。何人の人がそでを通したのだろう?赤ちゃんの人形を集めたウインドウでは今にも動き出しそうな感じ。「ハーイ、アイム、チャッキー。」恐い。
 まじめな話、入館料800円は惜しくない。今はその技術が失われたというあの瞳には何が映ってきたのだろう?心の中を見透かされている様な気さえした。ぽっちゃりとした、ふくよかな顔の少女が多いのが印象的。

SLやまぐち:ちょうど美術館を出た時、聞きなれない警笛を聞いた。あたりを見回すと蒸気機関車が通り過ぎていく。すぐに駅のほうに引き返した。(かっこいい・・・)。鉄道ファンでなくとも動く機関車が見れるのは貴重だ。入場券を買ってホームでまじまじと見つめた。

須佐大橋:R315の途中から遅い車の後ろに付いた。抜こうかどうしようか迷っていると、須佐大橋のPAへ。同じく後に続いた。高さは深谷大橋に勝るらしい。この橋の下は川ではなく民家や道があって、高いもの好きにはたまらない。身を乗り出して写真を撮った。ここで先ほどの遅い車の二人と少し話す。一度は挨拶して別れたが、遠くから駆け寄ってくるので見ていると、バイクを撮っていたのを見つけて撮ってあげるという。写真には自分は入れない事を伝え、再び礼をいって別れた。

高山山頂:この間行った大麻山より展望がいい上、山頂公園がよく整備されている。やはり林立するたくさんの電波塔が邪魔だが、これらがあるから山頂までの道があるわけで仕方がない。コーヒーを淹れていると、なんと須佐大橋の二人が登ってきた。徳山から来たという。EOS 5にリバーサル(スライドフィルム)という今時めずらしい御主人。撮って送ってくれるというので住所を伝えた。手書きで文字を書いて、送ってもらう約束をするなんて久しぶりだ。考えてみると、ポンム・スフレとここで一日に二度も写真に撮られるなんてめったにない。
 この場所はキャンプサイトとして再度訪れるにはかなりいい環境だ。トイレは完備だが水が出なかった。持参すれば素晴らしい展望と貸し切り感がある。3時間ほど滞在したが、徳山の二人以外誰も現れなかった。
 鳥がさえずり、アゲハが舞う中、近くに止まった蜂が面白い動きをしていた。最初にハエのように前足2本で顔面をブラッシング。次に前の4本足全部を使って上半身をブラッシング。最後に前の4本をつき、後ろ足でお腹と羽根をブラッシング。身だしなみは整ったようでとこかへ飛んで行った。
 さらに、謎の磁石石や風穴を発見。特に風穴は、入り口からロープが垂らしてあり、まさか真昼にヘッドランプがいるなど予想もしていなかったのでバイクに積んだまま。取りに帰るのも面倒だったので絶好のリベンジポイントとなった。中からヒンヤリとした空気が漏れ出している。次回は南大東以来の洞窟探検か?すぐ行き止まりに違いないが・・・。
 もう一つ。展望台にはお金を入れないでも見れる双眼鏡が設置してあり、今日の本当の目的地であった見島を確認。肉眼でもしっかりと見える。こちらもまた次回。

皇帝社:山頂より少し下った分岐から入る神社。かなりの廃墟感があったが、不動明王の像は威厳を保っていた。ここまでの無事と帰りの安全を祈願。

沖浦集落:県道305の終点。最近「行き損」の岬の先っぽが多かったがここはすごかった。しばらく人家のない狭い道が続いた後、ぽつぽつと点在する家。最終的に一軒の民家で行き止まり。すごい所に住んでいるもんだと感心。車椅子で自宅に戻る途中のおじさんに挨拶した。田畑をやるものがいないと言っていた通り、草ぼうぼうになった農地が目立った。
 ホルンフェルス断層はやり過ごした。10年くらい前に行った時、階段を踏み外して手の親指の爪を割った(翌日、外科に行くほど)という悲しい思い出がある。

 という訳で、高山周辺にはまた訪れる必要がありそうだ。行者様(山の名前)も気になる。
 帰って入れた行きつけのGSではまだ166円だった。無給油での行程だったので20.44L/3,393円。安いと感じてはいけないのだが・・・。
 FタイヤBT014がもうない。22,000キロもった前回には程遠く、現在その半分の10,800キロで両サイドのスリップが完全に出ている。理由は明白。日帰り中心のスポーツ走行がほとんどのため、高速道路がメインのフルパッキングテント泊が減っているから。プロスト走りはなりを潜め、センターよりサイドの方が減っているのも初めてだ。端までよくとけているタイヤを見るのはいいが、お金がない。次はBT016か021。

主要SAでのこの光景は初めてかもしれない。

ポンム・スフレ。津和野郵便局すぐ近く。

機関車を見れたのはまったくの偶然。

須佐大橋より下を望む。写真では表現できないが、100メートルある。

沖浦集落最奥の民家。

沖浦へ続く道から日本海。

スタート前
 昨夜ほたる後夜更かしし睡眠時間2時間半。今日仕事で、明日は見島決行と意気込んだが、偶然、難病にかかった方のサイトにたどり着き思いなおした。見島に日帰りで行くには深夜2:00には起きないといけない。明日一つの節目を迎えるにあたり、無理は禁物だ。これから08後半に入るにあたり、特別なイベントを除き、なるべく普通の時間に出発し、普通の時間に帰って来るという事を心がけたい。
 通勤1区間、西風新都IC-六日市ICから津和野で「ポンム・スフレ」に寄って、県道を縫い頂上付近までいけそうな須佐の高山、その隣にある魅力的な名前の山「行者様」、ホルンフェルスはパスして、県道305の先っぽで引き返すという暫定ルーティングでスタート。40キロ先の見島は見えないだろうか?それにしても途中の県道337、かなりヤバそう。遠回りな中国道。普段通ることのないこの区間を久々に走ってみたかった。

「がむしゃら1500キロ」を読み終えた。ここでの詳しい内容は避けるが、いつの時代も変わらないバイクの旅を、自分自身が続けられている事に感謝。特に、エンリコ宣教師とのやり取りには引き込まれた。それにしても浮谷東次郎という中学3年生、恐るべし!

6

June.29 湯来ほたる祭り・吉和・もみの木森林公園・「がむしゃら1500キロ」・鍛冶屋川の蛍
県290-県41-R433-湯来ほたる祭り-R433-R488-県41-R186-ドライブイン吉和-R186-R488-もみの木森林公園-R488-蛍の鍛冶屋川-R488-県293-R488-R433-県41-美鈴が丘-県71-R2

 値上がり対策のガソリン満タンを兼ね、軽く出るつもりだった。晴れ間が少しだけのぞきはじめた16:00スタート。久しぶりのルーティーンコースを走り出した。北の方には暗い雲が広がっている。川角でMVアグスタとすれ違った。広島で見かけることは少ない。
 湯来温泉。6月初め、足湯に来た時情報を得ていたほたる祭り開催中。ここでまた「ちょっと出」が旅モードに変化。暗くなる8:00に合わせ戻ってこよう。
 R186に出て高速を併走している時再び雨が降り始めた。いつものようにドライブイン吉和で休憩、屋根のある反対車線のバス停で浮谷東次郎「がむしゃら1500キロ」を取り出したが、本を読むには少し落ち着かない。バイクにまたがり、もみの木森林公園に向かった。雨を避け、公園内の休憩所で本を開く。読み始めてすぐ、この本がただの本ではない事に気付いた。
 1957年十五歳の夏、浮谷は中学最後の夏休みを使って、千葉〜大阪への旅を決行した。マシンはドイツ製2スト50ccの「クライドラー」。読んでいくうちに、今ではなんでもないこの千葉〜大阪間が、とんでもない行程だという事がわかってきた。あのチェ・ゲバラ「モーターサイクルダイアリーズ」のわずか6年後。今から51年前の話だ。マシンの性能、信頼性、道路事情すべてにおいて、今とはまったく異なる時代。ほとんど故障しない今のバイクに比べ、いつ壊れるかわからない。それを修理できる店はほとんどない。舗装路は都市圏のみで地方は砂利道。オフ車乗りにとっては天国みたいな時代だが、今の自分のバイクを基準にするのは大きな間違いだ。
 それでも十五歳の男子ならではの表現は、声を出して笑うくらいだし、いつの時代にも変わらない、バイクでしか感じることの出来ない気持ちを的確に表現している。これは、チェ・ゲバラやアルヴィン・ストレイトに匹敵するバイクロードムービーになるのではないだろうか?
 初版昭和56年、平成元年の14刷、今日現在ですでに20年間旅をしてきている本であり、自分の旅暦とまったく同じ。どのくらいの人の手を渡ってきたのだろう?
 時折目を休め、薄暗く、そこそこの風雨が吹き付けている外を眺めた。かなりの時間ここにいるが、通った車は数台。普通の人なら寂しいと感じる場所だろうが、嫌いではない。澄み切った青空と同じく、自然の素顔の一つだと考えると愛着すら感じる。さあ、そろそろ蛍の出る時間だ。。。

 吉和には戻らず、湯来に抜ける酷道R488を進んだ。この道に沿った鍛冶屋川で、蛍が見れるかと思ったからだ。ヘッドライトを切り、ポジションランプのみで走行、何か感じたときには、ニュートラルのランプさえ邪魔になりエンジンを止めたが、見えるのは木立の間に曇天の狭い空だけ。
 そうして走ること数キロ、右手に光を感じ、エンジンを切った。(やっぱりいるんだ!)数匹だがそれは紛れもなく蛍だった。その後何度も止まり緑の光を追った。
 雲出の集落近くに差し掛かり、遠くに赤い光をとらえた。明らかに人工の光であるそれはトンネル前の街灯。(今年の蛍も見納めか・・・)ヘッドランプを点け、アクセルを開けた。
 集落を抜け、次の集落へ進む途中また林間に。今度は多数の光を感じ、エンジンを切った。(すごい・・・。)ここまででいちばんの数。それでも視野に入っているのは20-30匹程度で、決して乱舞というわけではない。しかし、今期見た灰塚や向原に勝るとも劣らない光景だった。大きな違いは、ここが人工光の届かない場所であり、蛍の住処にお邪魔させてもらっている感覚だからだ。わずかに見える空には雲が広がり、辺りは漆黒の闇。あの小さな蛍の光が辺りの霧に浮き上がり、まわりを照らしてさえいる。見とれている間、一台の車が通りかかった。街灯一つない暗闇の山道に浮かび上がる一台のバイク。気持ち悪かったに違いない。
(さあ、今度こそまた来年。)再びアクセルを開けた。。。
 6/29 レギュラー1リットル163円なり。今年も半分過ぎた・・・。

「がむしゃら1500キロ」。今現在、大阪到着まで読んだ。この旅の8年後、浮谷は23歳の若さで鈴鹿サーキットに散った。

Rパッド内側が見えそうで見えないので困る。デジタルカメラでこの通り。まだいける。

もうこの時期レインウェアより忘れてはいけない蚊取線香。去年は腕にはめる電池式のやつを使ったが、やはり長く使っているこちらの方が落ち着く。服はユニクロでも気にならないが、蚊取は金鳥じゃなきゃダメ。

蛍待ちで、暗くなるまで読みふけった。LEDライトで。

帰り際、巨大クモの見送り。


June.29 AM
 08後半に向けて、何かが動き始めている。昨日二つの動きがあった。まず仕事中立ち寄ったコンビニに張ってあったイベント告知。「08阿波踊りチケット発売」。オフ期でもまめにサイトをチェックしているし、つい最近「眉山」の原作と映画を同時に体験した事もあり、いつになく盛り上がっている。今年は有料演舞場はパスして、小さな通りをめぐってみようと情報収集を展開中。

 さらに今日朝(正確には昨日)、一通のメールが届いていた。送り主は福岡M家族のお兄ちゃんTくん。
「サッカー頑張っています。今年もバルーンに行きますか?」
 佐賀バルーンフェスタも、すでに4月からサイトをチェックしている。今年の休みは取れて二日間、1日(Sat)、2日(Sun)にするか、2日(Sun)-3日(Mon)にするか?休みが取れない場合、土曜の仕事終わりからナイトランで日曜のみという事も考えられる。
 それにしても嬉しいメール。彼らに会うためだけでも参加する価値がある。
「またトランプしよう!」


第3回めんそーれ沖縄展::南大東でお世話になった伊佐さんの「大東そば」が、日本橋三越「第3回めんそーれ沖縄展」に出店。絶海の孤島の空気を感じたい方は是非。
開催期間 6/24-29
大東そば http://www.daitousoba.com/


June.24 中国モーテル“Seven Years Later”
R2-シャンテ本郷-中国モーテル-県59-県82-中央森林公園-県82-県73-河内IC-小谷SA-志和IC-県83-県33-県274-R2

 微妙な天気の中サイトをいじっていると、中国モーテルの文章が目に留まった。あれから7年・・・。キリの良さに今日の行き先が決定した。
 16:30スタート。空は厚い雲に覆われている。時間も時間だし、他に用もないのでR2を東へひた走る。たった2週間だが通勤のモンキーが続いていたせいで、なんとなくライディングが変な感じ。
 シャンテ本郷到着。この場所は普段でもよく通過する道だし、その度に目をやる建物だが、入るのはまったくの7年ぶり。特に避けていた訳ではないが、廃墟としての興味は失っていた。それでもバイクから降りて準備をしていると、鼓動が速くなるのを感じた。恐いからではない。生きた人間に遭遇する事を警戒していたのと、万が一、また骸(むくろ)を見つけでもしたら警察にどう言おうか。
 前言撤回。やはり恐いのかもしれない。何度も書いてきたことだが幽霊は存在自体信じていない。死体や幽霊は攻撃してこないが、恐いのは生きた人間だ。カメラポーチをベルトに装着し、携帯三脚を伸ばした状態で歩き出した。普段なら「クモの巣」や「ヤブこぎの毛虫払い」の為だが、今回は軟弱な警棒も兼ねる。
 すぐにあの時と違う状況に気付いた。シャンテ本郷のバリケードの扉が開いている。そもそも7年前、国道からすぐのこの建物を探索しようと裏へ回ったとき彼に出会った。こんなにあっさりは入れるとは。
 このラブホテルは、全室一戸建てとなっている。営業時利用した事はない。一棟一棟見てまわったが、この時点でもう自分を偽る事は出来なかった。死体、もしくは生きた人間に対する警戒で、心臓が脈打っている。「ぷっすま」のナギスケなら、ビビリはレッドゾーンを越えた状態に違いない。全室チェックしたが、シャンテには浮浪者の生活の痕跡はあまりなかった。
 いよいよ中国モーテル。シャンテを抜けたところにも出口があり、奥からのアプローチとなった。まず一階の店舗部分へ。相変わらず人の気配が強い。焚き火の跡や弁当カスのコンビニ袋、エロ本などが散乱している。以前見つけた「不夜城」の文庫本は見つけることが出来なかった。
 二階へ。心臓はもうバクバクだ。万が一襲われた時の事も考えて、後ろを確認しながらゆっくりと登った。あの部屋は踊り場からすぐだ。嗅覚も研ぎ澄まされている。(死臭はしない・・・)7年の歳月がにおいの元を分解したか?ただ、ゴミ捨て場と同じにおいは相変わらず。
 宿泊室は左右両方に部屋があるので、危険を避け、誰もいない事を確認して覗いたあの部屋。シャンテを確認した窓は閉まり、ひと型を残したマットレスは向きが変わっていて、明らかにその後誰かが寝たものと推測できる。しかし、彼がなすりつけたであろう便はそのまま。ミシンの位置も変わっている。
 さらに反転。さっきまで誰かが寝ていたような布団。そして、じいさんのいた部屋だ。ゴミのベッドは同じ。その中に足や手が埋まってないか三脚で突付きながら真剣に確認した。事もあろうに、部屋の右奥隅に広げて掛けたような意味深な新聞紙が数枚。間違いなく今日最高の心拍数を自覚し、めくった・・・。
 ゴミ。
 ホッとした。ほんとに。あのじいさん、もしくは浮浪者の白骨死体を覚悟していた。とにかくここのゴミは生活感がものすごい。今にも誰かが帰ってきそうだ。自他共に認めるところだが、こういう探索は大胆かつ恐いもの知らず。実際、ほとんどが単独だし、あの時もそうだった。しかし、今まで一度だけ今日と同じ状態で対応した事がある。そう、あの出来事の一ヵ月後、ここを再訪した時だ。どこもかしこも、何が埋もれていてもおかしくないほどゴミゴミゴミ。ここでやっと身体の力が抜けた。
 もう来る事はないだろうが、他人に危害を加える事のない安全な浮浪者なら、夜露をしのげる貴重な場所としてずっと残っていて欲しいと感じた。
 帰りは広島空港に隣接する中央森林公園に立ち寄ったが18:00閉園。時計は18:30。久々に小谷SAを堪能しつつ帰路に着いた。

彼のいた場所

めくる時ドキドキがMAXに達した右奥の新聞紙。7年前この部屋にじいさんがいた。

万年床。


June.22 向原保垣ホタル 今期もう一度ホタルを見ておこうと訪ねた。そこそこいたものの乱舞は見られず。街灯があったり、到着してもライトを切らない見物客も多く興醒め。中には懐中電灯点けっ放しでホタルの居場所を照らす者もいて驚く。やはり総領の木屋がお気に入りの場所。また来年。

DVD 「眉山」
 途中まで原作のダイジェスト感が強かったが、微妙に違う後半部分は意外に楽しめた。やはり阿波踊りはいい。現時点で毎年必ず行きたいと思うイベントは、バルーンフェスタとJSB岡山国際、そしてこの阿波踊りの三つだけ。初めて見た時、感動で身体が震えた。

 雨で走れない分、いまだにPS2「Tourist Trophy」をやり込んでいて、すべてのレーシングモディファイをTTワールドシリーズで「白抜き#1」にしようと、一日ワンレース程度こなしている。TZ125での戦いが一番楽しかった。実際にはありえない、排気量にして10倍以上のマシンをねじ伏せるのは最高だが、残念ながら「もてぎオーバル」での1位は不可能だった。今はRG250γRMを駆り富士スピードウェイの予選。1位を取らないと決勝でのポジションアップは厳しい。ただγには#1より#34の方が良く似合う。


June.10 墓参り・天狗岩 & “眉山”
R2-R31-R487-音戸大橋-県35-早瀬大橋-R487-県44-ゆめタウン江田島-県44-天狗岩-R487-早瀬大橋-県35-音戸大橋-R487-R31-R2

 陀峯山 “山頂カフェ” & “眉山”のつもりだったが、昼を食べてウトウトしているといつの間にか15:00に。人生の貴重な21,915分の一日を無駄にしてしまった上、ついでだった墓参りがメインになってしまった。
 思えば今年、母方の墓に参るのはすでに三度目。正月、ZZ-Rの不具合で別府行きを延期し、バッテリー充電がてら一度目。二度目は春のお彼岸に母を連れ二度目、そして今回。何度か書いてきたが、うちの墓はにぎやかだ。二箇所に別れて十一基。七基がある先祖の墓は、そのうち二つが合墓。正直なところ誰が入っているかわからない。(もちろん先祖だが。)さらに二基は、なんでもない「ただの石」が墓石で、なんとそれが骨壷の蓋をかねている。つまり、開けたらいきなり骨で、最初に開けた時は度肝を抜かれた。ガイコツなら家に置きたいくらいだ。
 違う場所にある近代の墓には近い人たちが入っている。それでも面識があるのが祖母のみ。自分自身両親が年をとってからの子供で、若くして亡くなった祖父の没年などは昭和十二年六月。今からちょうど七十一年前の事だ。小さい頃からおじいさんに似ているといわれ、願わくば話してみたいが、明治生まれの祖父から見れば、今の自分など「喝」入れられまくりというのが関の山だろう。
 全部足すと二十人近くは入ってると思われ、頭の良かった人も多いため、道に迷う自分としては何かいいアドバイスをしてもらえれば助かるのだが、いつも言われるのは同じ。
(元気でやっていればそれで良い・・・。)
 仕方なくぼうぼうの草を、墓の前だけ抜き取り、とりあえずの報告をした。
(ぼちぼちやってます。)
 今年の夏、祖父の亡くなった歳になる。

 バイクへの戻り道、草を刈っているおじさんに出会った。一般道から離れているこの場所で出会う人は、恐らく母の知り合いだろうと挨拶した。案の定、同級生。母も元気だと伝えた。

 さてこの時点で18:00過ぎ。今日という日が終わろうとしている。茫然としながらゆめタウン江田島店に。ミスドでおいしそうな「ストロベリーホイップフレンチ」を見つけ、「チョコファッション」と「山ぶどうスカッシュ」の合わせ技でモチベーションは復活。陀峯山の手前にある天狗岩に向かった。すぐ眼下に早瀬大橋を望み、右手には倉橋が広がる。一番高い岩峰に座り、「眉山」を取り出した。
 ちょうど、龍子が寺澤医師を叱りつける緊迫した場面で、活字に入れ込んでいる頃、周りがやけに騒がしいのに気付いた。辺りを見回してみると、今いる岩峰の少し下を一羽の鳶が鳴きながら滑空している。夏のはるか高い空に飛んでいる時の「ピーヒョロヒョロ」という声ではなく、何かを訴えている様な聞いたこともない鳴き声。
 観察していると、その声を絶え間なく発しながら、こちらの周りを旋回している。それも最も近づいた時には5メートルと離れていない。今までに飛んでいる鳶にここまで接近された事はない。しばらく面白がって見ていたが、飽きてまた「眉山」に戻り、しばらくした時、
「ビュン!」
 鳶の羽が風を切る音だった。正直、攻撃を受けたのかと思った。恐らく2メートル以内をかすめて行ったはずだ。
(なるほどね。。。このあたりにお前の家があるのか・・・。)
 周りをチェックしてみると、糞のあともある。遅まきながら鳶の意図を察した頃、活字が読みにくくなるほど暗くなってきた。時間はすでに19:30を回っている。考えてみれば、あと十日もすれば夏至。
(日が短くなってゆく・・・。)
 旅人としては、一年の半分が過ぎたわけだ。日帰りだろうが何だろうが、残りの人生で塗りかえられないほどのヒストリーを刻む。それもやっつけではなく、内容を伴ったもので。ここまでは十分すぎるほど成功している。
 感慨に浸る時間を与えまいと、鳶が催促してくる。
(邪魔だよ。早く帰れよ。)
「わかったよ。帰るよ。」(ほんとに声を出して答えた。)
 150メートル離れたバイクに戻ると、鳶の声はやみ、姿も見えなくなっていた。
(申し訳ない。お宅の前で立ち往生させて。)
 しかし、おかげで数時間の「ちょっと出」が、このたった30分のやり取りで「一つの旅」になった。今日の出来事は一生忘れる事はないだろう。。。


June.8 灰塚 “Lakeside Cafe” & “Fireflies Glow...”
R2-県274-県33-県80-カドーレ-県80-県33-県340-R375-県61-県78-総領町木屋-県78-三良坂町灰塚-県78-県61-R375-県340-県33-R2

 14:00スタート。前を通ったので、カドーレでジェラートを食べながら、しばしヤギと戯れる。
 04年蛍を見た総領町木屋に到着。歩いていた地元をおっちゃんをつかまえ聞いてみた。ここでは少し早く、西へ戻ったところにある灰塚ではそこそこ出ているとの情報を得る。この時点で16:00過ぎ。蛍が現れるにはまだ早く、県78に戻った湖畔のベンチで、「彼のオートバイ、彼女の島」を取り出した。
 たんたんと始まり、バイクの表現が偏っているので惰性で読んでいた。文章も、「〜だった。」という言い回しが頻繁に使われ気になったが、中盤以降から面白くなってきた。総評としては、書かれた頃、昭和50年代のバイク好きな若者の生活を、一部分だけ切り取った感じ。終わりもしっかりとしたものではなく、そのまま続いて行くような雰囲気だ。「絶賛するような内容ではなかったが、読んで損した訳ではない。」というところか。
 バイクを背景に置いた本の写真を撮っていると虫が飛んできた。
「こんな明るい時間になんだよ。」
 それは蛍だった。両手を使って暗室を作りのぞいてみたが、やっぱり昼間には光らないようだ。何かを知らせにきてくれたような気がした。
 読み終わった18:20、灰塚に向け動き出す。木屋からはすぐ近く。来る時も感じたが、田舎には似合わない碁盤目状の団地で、御殿のような一軒家が立ち並んでいる。一昨年完成した灰塚ダムの立ち退きによるものだと容易に想像できた。まず団地中心部の山崎商店で情報収集。近くの小川に出るという。
「こんな家のたくさんあるところに?」
 さらに小川の横にあるお好みハウス「なにわ」の前で、女将と近所の人が立ち話をしていたので聞いてみた。4キロ近くある小川に現れるが、少し上の灰塚小学校近くの池にたくさん出るらしい。暗くなるまでにはまだ1時間半以上かかるので、店の前の公園の東屋に陣取り、昨日買ったさだまさしの「眉山」を取り出した。昨年、松嶋菜々子主演で映画化された記憶も新しい。まだ見ていないが、良かったという話を聞いて原作から入ることにした。「世界の中心〜」以降、病気モノの話が多く、食傷気味だったので敬遠していたが、実際の眉山は阿波踊りで今年も見る事になるだろうし興味がわいた。そこへ、
「蛍を見に来たんですか?」
 通りかかった自転車のおばちゃんが話しかけてきた。推測だが、普段平穏な黄昏の公園に、レザージャケットの男が居座っているわけで、不審者ではないかと確認されている様な気がした。山崎商店やお好みハウスでも聞いたが、昨日夜、この公園では蛍祭りが開催され賑わったそうだ。やはり小学校辺りが一番出るとの事。そのうちに日が暮れ、バイクを公園に置いたまま小川に沿って歩き出した。すぐに蛍がちらほら。
 小学校に着くと、乱舞とはいかないまでも、そこそこ飛び交っている。やっぱり来て良かった。写真に撮ってみたが、最大15秒の露光ではきつい。
 帰りは2年前寒かった記憶があり、革ジャンを来て出て正解だった。

80年代に、竹内力、原田貴和子主演で映画化されている。それにしてもこの時代の眉は太い。

上の写真を撮っている最中に飛んできた昼の蛍。

すぐ近くには大きな家が立ち並ぶ。車もわりと通るので、蛍見物に適した環境ではないかもしれない。


スタート前
 去年の7/25、面白い出会いがあった。デイトリップで、松本清張「砂の器」の舞台になった奥出雲・亀嵩を目指していた安佐SA。西風新都ICから中国道へ乗ったとき最初によるSAで、時間の制約のないこの日もくつろいでいると、一台のBMWが横付けした。
 普段、こういう形で自分から話しかける事はまずなく、挨拶はしてもそれきりという事がほとんどだが、地図を見て話しているうちに「おろちループ」まで一緒に行こうという事になった。これに関してはお互いの記憶があいまいで、こっちから切り出した覚えがあるが、向こうからすると「逆ナン」したという。
 彼女は北九州から来た奥様。仕事関係の祈願のため出雲へ向かう途中だった。パートナーもライダーで理解もあり、こういう別行動もあるらしい。結局この日はおろちループを過ぎ、亀嵩辺りでお互いの無事を祈り別れた。
 経験上、これきりになる事がほとんどだが今回は違っていた。メール交換し、マイミクとなった事からやり取りは継続し、出雲のお礼参りを予定していた彼女に提案、合流キャンプ宴会を計画したのがこの週末だった。
 おりしも、「週末ライダーの特色」を維持しながら放浪するモッチーが来広した事で、「スタイルの違い」について、再認識する事となった。乗らない人にとって、ライダーはすべて同じように見えるはずだが、色々な観点から区別する事が出来る。例えば乗っているマシンのカテゴリー。
 大別すると、アメリカン(ハーレーなど)、ツアラー(旅中心。普段これに属する)、スポーツ(峠を攻め、走りを追求するタイプ)、ネイキッド(一番見かけるバイク。)、オフロード(ダートを走るモトクロスタイプのバイク)。他にはモタード(舗装路用タイヤを履いたオフロード車)やビッグスクーターもあるが、個人的には疑問符が浮かぶ。
 3種類を乗り分けていると、それぞれの仲間意識の違い強く感じる。通勤ではモンキー。完全に原付スクーターと同じ仲間だ。オフ車で旅に出れば、同じカテゴリーに属する人たちと交流する確率が上がり、リッターバイクではまた違う。同じ人間が乗っているにもかかわらず。。。
 次に旅スタイル。休日のみを利用して旅する週末ライダーは、乗っている時間が長く、周回コースを取る傾向にある。反対に、時間の制約のない放浪ライダーは、目的地そのものを重視、同じ場所に複数日とどまり、キャンプ場をベースに空荷で周辺を回る。放浪タイプは基本的にソロライドが中心だが、週末ライダーはそれに付け加え、マスツーリング(複数台でのツーリング)派も多い。
 もう一つ重要なのがバイクそのものに対する考え。カスタムやチューンを施し、自分だけのバイクに仕上げる。名前をつけて擬人化するというのもとても興味深い。(特に女性ライダーに多い)
 個人的には、上記とは正反対に位置し、道具以外の何者でもなく、壊れずに走ってくれればそれでいい。バイクに乗ることが目的ではなく、乗ってどこに行くかが最大の目的。そもそも、今のままで300キロ近く出るバイクにチューンなど必要なく、旅の中では能力を出し切るテクニックも場所もない。「ライダー」とか「バイク乗り」ではなく、「旅人」と呼ばれたい。
 今回延期になった出雲の旅で、とても面白いと思ったのが「予約」と「延期判断」。まず、予約に関してはまったく考えが及ばなかった。一人の場合、時間の制約を嫌う。「何時にどこまで行き着いていないと。」というのが最も避けたい行動パターンであり、ダメならよそか、最悪道端にでもテントを張る。しかし、相手がいる場合そうはいかない。特に今回は先行してチェックインするのは彼女であり、状況が変わったとき判断しづらくなる。
 次に、延期判断。水曜日に「ギリギリで申し訳ない。」と延期のメール。この時点で出雲の日曜の天気は雨だった。結局、土日両日とも晴れたのは皮肉だが、懸命な判断だったと思う。プライベートな生活においても色々考えている事例だからだ。独り者にとって、いや、特に自分の場合、ソロ思考に偏りすぎる。ギリギリの最終決断とは出発時であり、その後はどうにでもなると・・・。旅に限らず、実際、そういうケースによく遭遇する。自分の中で、そしてまわりの言葉からも「独り」について考えはじめている事は確かだが・・・。
 今回にしても、彼女には延期ならやらなければならない別の用があるはずだ。そんな観点から聞いてみたい事がたくさんある。また7月に!

 さて、延期を受けて参加した金曜の会社の親睦会では、終了1:30。電車はなく10キロを歩いて帰り3:00。翌日、というより3時間後の6:00に起床で仕事とヨレヨレ。今日は自分だけの「林間カフェ」で休息し、ファンタジックな蛍の光に酔う。読みかけの「彼のオートバイ、彼女の島」、昨日買ったさだまさし「眉山」と、浮谷東次郎「がむしゃら1500キロ」を持って。場所は今検討中だが、庄原近辺か。
 結局、『「独り」についてまったく考えてないじゃないか。』というオチで。。。


June.4 浜松のモッチー来広
 屋久島の旅を終えて、浜松のモッチーがやってきた。彼とは00年、道の駅「知内」で出会った。その数日後、支笏湖に近い、道の駅「フォーレスト276大滝」の一億円トイレでバッタリ再会。02年には沖縄帰りに来広、04年には完全歩き遍路を実行していた彼を、四国に2度陣中見舞いした。
 面白い思想と行動パターンを持った旅人で、平和公園で待ち合わせをして4時間近く話し込み、先ほど見送った。今回の再会で、彼のスタイルの一端に触れたような気がする。一度浜松に戻り、北海道へ旅立つとの事。お土産話を期待している。
 彼の愛車は、Kawasaki W650。くしくも、今読んでいる片岡義男「彼のオートバイ、彼女の島」に登場するマシンであり、何かのめぐり合わせを感じる。少し乗らせてもらったが、マイルドでトルクフル。自分のバイクとして乗る事はないだろうが、魅力は十分感じることが出来た。。。良い旅を!


June.3 羅漢渓谷ランチブレイク・湯来温泉足湯
  急遽、今年のプランの一つ、「見島牛を訪ねて」を決行予定だったが、朝4:00の段階で大粒の雨に順延とした。正直プランが減って行く喪失感を感じていたので少しホッとした。本末転倒か。代替案は渓谷の静かなお店でゆっくりとランチした後、湯来温泉足湯。こういう日もあって良い。

 期間社員の合間を縫って一週間ずつエリアを絞って旅に出ている静岡の友人モッチーが現在岩国にいるらしい。彼は非常に珍しい旅人だ。特筆すべきはその移動の早さ。次々と名所をコレクションし、一日にかなりの距離を走る。日曜には屋久島にいたというのに今日はもう岩国。一つの場所をこれでもかと堪能するこちらとは正反対だ。
 岩国でビジホが見つからないというので、家に来いとメールしたが、どこか人の世話にはならないという空気を漂わせている。自分を含め、多くの放浪旅人が旅先での友人宅を目指し、逆に世話になったお宅への恩返しに出会った旅人を泊める連鎖。それとは一線を画した彼の行動は、ネガティブな意味ではなく、非常に興味のある所だ。そういう話をしてみたいが、今回はその時間を与えてくれるか・・・?どちらにしろ引き続きよい旅を!


MAY.31-JUNE.1 宇和島YH・凸凹神堂・三浦半島・紫電改・宇和海展望タワー・由良半島

Day1:R2-R31-県34-県334-県353-R185-竹原港~中四国フェリー~波方港-県38-R196-R317-石手川土手道-R56-森の宿・うわじまユースホステル-海鮮割烹「一心」

11:00出発。雨が残るという予報ははずれ、晴れスタート。
竹原港:安芸津で12:10。中四国フェリーの時刻表は持っているので、信号待ちで確認すると12:20。港に着くと、出港した船はまだ防波堤内にいた。同じような光景を去年も見ている。乗り遅れたわけではなく、着いた時間の便に乗るだけだが次便まで1時間20分待ち。

ルーティング:船待ち、船移動と有り余る時間の中で考えてもつながりの良い県道はなく、何より今回は久しぶりの宿という事もあり、少しでも早く着きたいため最短の国道を選択。

森の宿・うわじまYH:結局、こちらの事は覚えていなかったが、もちろん稲佐山の夜景の事はしっかりと覚えていて、あの旅のその後を話した。お母さんに抱っこされていた赤ちゃんは小学校3年生のお姉ちゃんになり、弟も増えていた。
 同泊は今治の54歳、Hさん(BMW F650CS)。埼玉の27歳、スクーター(アドレス125)で日本一周中のD君。鈴鹿の25歳、バックパッカーの女の子。オランダはユトレヒトの32歳、バックパッカーのステファン。
 YHを利用したのはこれで5度目。最初は先に書いた93年の宇和島。大学の後輩であり、現98RMXの前オーナーでもあるWと訪れ、頼み込んで庭にテントを張らせて貰った。2度目は00年の旧浦上ヶ丘。最も居心地の良かった場所で、一週間滞在し、初めて端島に上陸した。(うわじまYHのペアレントさんとはこの時出会った。)3度目はその数日後の桜島。ロケーションも温泉も最高だったが、すべてを帳消しにする接客の悪さ(当時)。そして4度目は03年、浦上ヶ丘から移転した現長崎ゑびすYH。ソロライドの宿泊は基本的にテントのためなかなか利用する機会がない。
 この日のメンツは面白かった。まずHさん。若い時はヨーロッパをバックパッカーで回ったという旅人の先輩だ。話を聞いていると、結構やんちゃな走りをしているらしく、今日も黄色車線追い越しでキップを切られたとのこと。これは真似しないようにしないと。英語が話せるのでステファンとのコミュニケーションでみんなの橋渡しとなってくれた。
 次にD君。日本一周中だが、この時は同時に八十八箇所巡り中でもあった。スクーターなのでかなりのペース、いっそうスタンプラリー的要素を感じた。驚いたのが昨夜帰宅してからの事。マイミクになった彼のプロフの中にGoogleのマイマップがあった。何気なく見てみると、数ヶ月前、対馬のオメガ塔を検索した時ヒットしたものだった。10年ぶりに行った宇和島の普段利用しないYHでの出会い。不思議だ。
 女の子(名前を聞くのを忘れた)は鈴鹿サーキットのすぐ近くに住んでいるらしく、エキゾーストノートが聞こえてくるという。8耐も行ったことがあり、スプーンという言葉が出てきて驚いた。移動は電車だがこのYHに来た目的がすごい。ビーパル5月号で特集されていたツリーハウス(木の上に作る家で、このユースにある。)を求めて、そのためだけに来た。明日はしまなみに移動し、貸し自転車を借りて橋を走破する予定らしい。素晴らしい旅のプランだ。
 最後にオランダから来たステファン。日本語は出来ない。英語はメインで、話せるHさんがいてくれたので非常に助かった。言う事は理解できるがこちらの話したい事を英語にするのが難しい。
 なかなか頭の切れるヤツで、会話の内容がこちらに伝わっていないとわかると、すぐに別の話に切り替え、会話が途切れないように話題を提供し続けていた。東京から入国し、高山(渋い!)京都、岡山から四国入りしたと事。そもそも地球的に見てとてもマニアックな宇和島にいるのがニクイ。この後6月中旬には上海へ渡る。

海鮮割烹「一心」:話が前後するが、この夜の食事が一心。YHでおすすめ数店の情報を得た。その中で選んだのがこのお店。鯛めし定食と生中2杯で3,000円ちょっと。正解だった。

Day2:YH-R56-多賀神社・凸凹神堂-R56-県37-県346-細木運河-矢ヶ浜漁港-水ヶ浦段々畑-県346-県37-R56-県320-紫電改展示館-宇和海展望タワー-R56-県292-由良半島・網代-県292-R56-石手川土手道-R317-R196-県38-波方港~中四国フェリー~竹原港-R185-県353-県334-県34-R31-R2

 翌朝。まず女の子が最初に旅立つ。駅まで歩いて(結構ある)バスで今治まで。次にHさん。海沿いに四万十を目指す。そしてD君。彼には凸凹神堂を勧めておいたので後で再会の可能性あり。さあ、こちらも出発だ。ステファンは眠れなかったらしく、こちらが発った時間(9:00)もまだ眠っていた。彼のバックパックにメモを挟んだ。
「Have A Nice Travel !」※この場合、Trip、Journey、Travelのどれを使うのが正しいのだろう?ともかく、日本を楽しんで欲しい。

凸凹神堂:世界の「性」に関する色々なものを集めた資料館。15年前に一度入ったことがあり、その時買ったキーホルダーを今も持っている。金属製で内部に鎖がつないであり、引っ張るとちんこが勃起する。
 ここからは持論だが、そもそも性はなぜ秘め事なのか?確かに、裸で街を歩けといわれれば恥ずかしいし、違った意味で捕まる。しかし、世の中は(基本的に)男と女しか存在せず、大小の差こそあれ似たようなものを持っている。その目的は繁殖であり、生物が最も最優先する本能だ。極論すればそれがすべてで、恋だの愛だのはその遺伝子の管理下にある。親個体は次世代を残した時点で目的を全うし、サケのように息絶えたり、虫のようにメスがオスを食うというのはその端的な例だろう。
 性行為がなぜ気持ち良いものなのか?仮に痛いものだといしたら誰もしなくなるだろう。これでは繁殖率が下がる。オスは自分の遺伝子を残そうとばら撒き、メスは少しでも優れた遺伝子を選ぼうとする。そう考えると、男女の恋愛感の違いが頷ける。
 宗教的にも奥深いものがあった。特にインド、チベット、ネパールなどの宗教にはそういうものが多く。館内に展示してあるものの中でかなりの数を占めていた。合体した状態で千手観音のようにたくさんの手が色々な道具を持っている神々。中でも両性具有の神には納得した。インドにはちんことまんこを同時に持つ神がいて、片方を必要としない、完璧を表すものだという。なるほど。
 いちばんリアルなのはエロ浮世絵「春画」だ。局部がリアルすぎる。陳列棚下方の、鍵のかかった本棚には、ただのエロ本も入っていて苦笑する。文章が散漫になってきた上、めんどくさくなってきたのでこのあたりで。
 到着した時、帰りかけていたD君と再会し、再度見送った。事故のないように!同じ駐車場に新車のようなRZとカワサキの750。福山ナンバーだ。

三浦半島:HさんやD君が前日訪れ、YHでもお勧めスポットして大きく紹介されていた水ヶ浦の段々畑に向かったが、半島北側に出た所で道を間違え西へ。すぐに気付いたが段々畑の後に予定していたルートなので迷わず進んだ。尾根伝いに走るワインディングを快走、立ち止まったのが細木運河。運河というだけに切り開かれたのだろうが、それを知らないと小さな海峡にかけられた橋にしか見えない。しばらく眺めていると、意外に交通量が多く、数艘の漁船が通り抜けて行った。
 行き止まりは2種類あったが、矢ヶ浜へ至る道を選択。いつものように漁村に到達し、なんでもない普通の駐車場で引き返すことに。

水ヶ浦段々畑:おすすめスポットではあったが、正直ピンとこなかった。確かに地元観光バスが2台停車中。かなりの観光客が降りていたが・・・。

紫電改展示館&宇和海展望タワー:近くの湾から引き上げられた大戦末期の高性能ファイター「紫電改」を復元して展示してある。思ったより大きかった。大昔、杉浦直樹が宣伝していた同名の毛生え薬を思い出してしまう。
 しっかりとした生地で、1,500円と安価だった「343剣、紫電改」Tシャツも購入。旭日旗もプリントされていて、靖国問題が再三話題になる今着るとちょっと右っぽいが、それとこれとは別問題。お国のために散った若きエースたちに敬意を表したい。
 同じ敷地内にあったのが展望タワー。これが掘り出し物だった。その高さ、地上から107メートル、海抜260メートル。ゆっくりと回転にしながら上昇し、上で2回転して再び回転しながら下降する。¥410で6分間。欲を言えばもう少し長い時間堪能したかった。さえぎるもののない展望は真の360度。他の利用客はおらず、完全貸切でガイドさんと世間話。

由良半島:すでに三浦半島から先っぽシンドローム発症中。結局、行き止まりの網代の普通の駐車場で引き返し、地元民の不審者を見る眼差しを浴びる。途中で前を走る車の運転席からスーパードライの缶が投げ捨てられらたのでテンションダウン。

波方港:由良半島から帰路に。波方港に到着すると、どこかで見たようなマシンが。RZだ。くつろいでいた二人に、
「どこか出会いましたよね?」言いかけている途中、凸凹で会ったのを思い出した。
 福山ナンバーの二人は実は竹原のライダー。こちらとほぼ同じようなルートをたどり、出会った凸凹や紫電改、昨夜は段々畑の近くの民宿に泊まったらしい。以前2泊の旅に出た時も、偶然行きと帰りに同じライダーに出くわした事があり、船旅を絡める面白さを再認識した。今回の目的は宇和島YHのペアレントさんとの再会が唯一の目的だったが、おまけとしての紫電改や展望台、そして、15年ぶりで違う見方の出来た凸凹神堂はなかなかの収穫だった。半島の先っぽはもう飽きた・・・。

HさんとBMW F650CS

森の宿・うわじまYHツリーハウス

D君、八十八箇所巡り

凸凹神堂「お尻じゃないよ。」

性は・・・、宗教なり 哲学なり 道徳なり 科学なり 生命なり 人生なり

水ヶ浦段々畑

紫電改

5

MAY.27 宇和島、じゃこてんの旅

ミレニアムツアー、長崎での出来事。
2000/4/16(日) 佐賀〜長崎
 一気に長崎へ向かう。15:00、浦上ヶ丘ユースホステル。TEL後、即チェックイン。平和公園でゆったりとした時間を過ごす。原爆資料館に寄ろうと思ったが、閉館時間に間に合わず明日へ持ち越し。
 この夜はひとつイベントがあった。以前からネット上で交流のあった方と会う。関東在住のLynneさんは学生時代を過ごした長崎へ旅行中。名物皿うどんとちゃんぽんをごちそうになった上、居酒屋でお酒までいただく。ごちそう様でした。ネット上で知り合った人と会うのはこれが初めて。不思議な感覚だ。写真談義で盛りあがる。
 この日のYH宿泊者、宇和島YHのペアレントになるご家族3名。いつか訪ねたい。八人部屋に一人。快適。

2000/4/17(月) 長崎観光
 平和公園、原爆資料館、浦上天主堂、坂本国際墓地、一本足鳥居、松翁軒カステラ、26聖人殉教地、眼鏡橋、第2眼鏡橋、思案橋周辺、観光通りアーケード街。ペアレントさんのすすめにより、ユースのある大橋の電停からすべて徒歩でまわる。バイクの旅ではこれ以上進めないという所までバイクを使う事が多い。ツーリング先でこんなに歩いたのは初めてだ。見過ごしていたものが見えてくる。帰りは市内電車。全線100円。
 ユースに帰ると、川崎のK君と横浜のKさんが食事中だった。この後、稲佐山の夜景を見に行くとの事。これがなかなかよかった。夜景で有名なだけの事はある。
 明日は長年の夢、軍艦島へ渡る。Kさんの希望で、浦上天主堂の早朝ミサにも行くことになった。5:30起床…。

 キーワードは4/16の「この日の宿泊者、宇和島YHのペアレントになるご家族3名。いつか訪ねたい。」と4/17の「稲佐山の夜景」。宇和島YHには93年10月に宿泊した事があり、その時はバイク好きな前任のペアレントさんだった。8年間ずっと頭の隅にあったプランで、ついに決行する気になった。この夫婦とはその後連絡も取っていないし、稲佐山に一緒に登ったことは覚えていても、こちらの事は忘れているだろう。こういうピンポイントの出会いを掘り起こすのもワクワクする。
 宇和島にはこれまで3度ほど訪れた事がある。大きな入り江である湾内を目指し、R56を下っていく地形、そして世界の「性」に関する色々な物を集めた「多賀神社・凸凹神堂」が特に思い出に残っている。
 波方まではいつものルートだが、現地まではつながりの良い県道がない。休憩&ルーティングで出たとこ勝負。今回は本来の姿、「目的地では走らない」を実践したいが、このあたりには「先っぽ心」をくすぐる半島がたくさんある。どこまで押さえられるか?

森の宿・うわじまユースホステル http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/
多賀神社 http://www3.ocn.ne.jp/~dekoboko/


MAY.25 JSB Rd.3 AUTOPOLIS
R2-県15-R2-県70-玖珂IC-壇ノ浦PA-小倉東IC-R10-R201-県28-R496-R212-R210-R212-県647-県12-R387-県12-オートポリス-県12-R387-県12-R212-R210-県48-県676-R212-R496-県28-R201-R10-小倉東IC-めかりSA-王司PA-山口南IC-R2

 日帰り720キロはさすがに疲れて昨日はすぐ寝た。もちろん帰りも遅かったので睡眠時間は少なく、今日で回復させる予定。レースそのものの話は公式メディアにまかせるとして、このデイトリップの総評としては。。。
 まず、行きで寄った壇ノ浦PAでトラブル発生。休憩を終えてキーを回すとバッテリーがあがっている。先週と同じ症状だ。去年2月に換えたものなので、寿命とは考えにくい。運良くまだ夜も明けてないPA内は車も少なく、押しがけ一発でかかった。とは言うものの気分はブルー、以降エンジンを止める場所を考えてストップしないといけない。現時点でも原因がつかめないが、バッテリーの異常、電気系の問題で充電されていない、セルフスターター自体の故障など。とりあえずかかってしまえば普通に走れるので火は飛んでいる。コンビニやスタンドは広い場所を探すようにしたが、キーをONにして即スタートすると何とかかかる。やはりバッテリーが怪しい。
 到着は8:00過ぎ。結局、九州に入るまで雨が続いた。面白かったのが野峠から日田に下るR212。恐らくオートポリスに向かうだろうマスツアラー6-7台に追い付いた。この台数でも田舎道では長く抜きづらい。少しでも早くついて休息したいので、左の登坂車線から追越しをかけると抜ききれず、先頭の後、つまり2番手についてしまった。先頭が気付いて譲ってくれるまでしばらくその状態が続いたが、不思議な時間だった。
 オートポリスは(行ったことのある岡山と鈴鹿と比較すると)観戦しずらいサーキットと感じた。コンパクトで全体を見通すことが出来る岡山、そしてコーナー一つ一つが世界にとどろく鈴鹿に比べ、移動が大変でコーナーの名前も知らない。
 ストレートエンドに設置されたメインスタンドの裏に広場があり、そこにファクトリーブースやイベントステージがあった。案内所ではコースマップも配っておらず、対応も良くない。ただ、土日通し券をパスに換えるとか換えないとかでメイン側に移動した時、境界があいまいで、パスもないのにパドック内をうろうろ出来た。
 ひと冬越して、半年振りに見たJSB1000クラスはやはり速かった。特に最終コーナーの反対側にある登りきったヘアピン。見ていた場所のせいもあるが、驚きのバンク角。あそこまで倒してなぜ転倒しないのか。
 最後の250も見逃せない。実際のところ、1000クラスが終わると大多数の人たちが帰ってしまう。試合の決まった野球場のような雰囲気の中、天まで吹け上がる2ストエンジンと漂うオイルの香り、残照にきらめくフェアリングは文句なく美しい。
 印象に残ったのが、多く見かけた車椅子。かつてその多くがライダーだったのだろう。引き続き気を付けなくては。

ST600クラス須貝のドゥカ。1000クラスに2台、600に1台出走していたが、音で異彩を放っていた。
PS2 Tourist Trophyのライセンスモード画面のよう。

5/25 2:00、小雨が降ったりやんだり。大東そばTシャツ発進!
5/24 0:54、いまだ降っている。予報によると西から回復。突入するか?やむのを待つか?
5/24 21:09、たった今チケット購入。もう後戻りは出来ない。現在土砂降り。0:00まで仮眠。

「エンデュアランス号漂流」を読み終えて。
「表現しがたい感動を覚え、しばらく茫然とした。」
 巻末の「あとがき」を書いたライターの言葉は、憎らしいほど的を得ていた。サウスジョージア島に至るケアード号の苦難の旅は、どんなに想像しても、それを超越したレベルであり、「人間はこの状況下で生き残れるのか?」、「この物語はフィクションではないのか?」と疑うほどだった。残り少なくなっていくページに、ずっと読み続けていたいという思い、そして、読み終えた時には言い様のない喪失感を覚えた。「無人島に生きる十六人」ともども、人生の教本として愛読書としたい。彼らが生還してから92年目の同じ季節に記す。

 一転してオートポリス。6:4で行く方向に展開中。1時間刻みの天気予報で、出発時間を算定し、深夜1時くらいにスタートか?「レインナイトアタック」とは名ばかりで、「ずぶ濡れソロライド、やめて帰ろうか」というところか。。。(笑)
 高速は大竹-日田間を考えているが、時間を見て門司で降りて野峠越え。寒そう。。。


MAY.23 JSB Rd.3 オートポリス中止
 やはり天気は無理そうだが、車で行く事も視野に入れて検討していた。ところが岡田忠之のファンサイトの情報によると、オートポリスには参戦しないとの事。これにより即中止決定。天気も悪いし何する?

 静岡の旅人モッチーが、期間とポイントを区切って北海道から九州まで旅するらしい。屋久島も入っているそうなので帰りに広島に寄るとの事。04年、彼の歩き遍路途中陣中見舞い以来の再会。


MAY.20 大麻山
県71-県265-県38-R191-県304-県303(広島)-R186-R191-県34-県48-R9-県303(島根)-大麻山-県303-R9-浜田バイパス-R186-県40-広域農道・大渡・畑ヶ谷・平見谷線-県308-県40-R433-県40-R261-R191-県38

 「とにかく出る」で推移してきた上半期だが、さすがにポイントがなくなってきた。Google Mapをドラッグしていると、頂上まで道が付いている山を発見。マップルを見てみると赤字でビックリマークになっている。「今日はここにしよう。」
 まず最初に前の職場に寄った。辞める時バイク好きの同僚から一度乗ってきてくれと言われていて、こちらも落ち着いたのと、今日のルート途中のため立ち寄る事にした。久しぶりに会った皆は以前と変わらず元気だった。エンジンをかけてみてくれといわれ、セルを回すと、なんとバッテリーあがり。普段キルスイッチでエンジンストップする癖があるので、小一時間話している間、オイルとニュートラルのインジケーターランプが付きっぱなしになっていた。でもこれであがるものだろうか?去年冬に換えたばかりなのに。会社の駐車場を出てから20-30メートルの下りがあるので、難なく押し掛けしたが、今後はしっかりキーを抜くように心がけないといけない。
 R191、加計のショートカットのため入った県304-303ではノスタルジックな光景が広がっていた。数年前廃線となったJR可部線・三段峡区間。まだ走っている時乗った事はほんの1-2度、鉄道そのものにあまり興味もないが、敷石だけ残るかつての線路には哀愁を感じる。今や普通の舗装路となったかつての踏み切り跡には、一時停止を喚起する看板がその意味を失い錆びついていた。
 久々のR191はやはり最高の快走路。見通しの良い、緩いコーナーの激走区間はかなりのトップスピードに達する。ただ以前、ブラインドコーナー立ち上がりで耕運機を押した地元民が現れビックリした事もあり、注意は怠ってはならない。
 目的の大麻山だが、たいしたところではなかった。頂上には放送局のアンテナが林立し、大きくて立派な鉄骨の展望台もある。その下には東屋とテーブル・ベンチもあって、日曜に引き続き「エンデュアランス号漂流」を取り出したが、今日は寒い。広島市内も寒いのだろうか?
 もう一つ、すごく気になったのがアンテナ施設の空調機械の騒音。もともと人がいることを想定していない場所なので、その音は大きく、自然との一体感はまるでなかった。あと、ベンチからの展望は一切ない。
 早々に頂上を切り上げ帰路についたが、R186は怪しい区間。追い付いたトラックを抜かずにいると対向車がパッシング。半信半疑で走っていると発見。単独で走っているとかなり危険だった。広島に比べて、島根、山口は危険なトラップが多い。今回の正確な場所は、金城町上来原西の右コーナー南向き。白バイも待機していたので逃げられない。
 県40に入ってからすぐ右に折れた広域農道。短いけどかなりの激走区間だった。沿道に民家も少なくて見通しも良く、アップダウンもあり変化に富んでいた。その後とくに追い越しもかけずに走ったが、新緑と田植えの終わった水田、そして青空と白い雲に癒された。島根・広島県境では国道の温度計が12℃を表示していた。
 今週末のオートポリスは天気悪そう。雨なら中止。オイル交換も土曜日の段階で残700キロ。日曜と今日の走りすぎで残り300キロ。換えて行くか、帰って換えるか・・・。


MAY.19
 先ほど南大東の伊佐さんよりメールがあった。
「台風が直撃するかも、心配です。」
 この時期の台風は関係ないと思っていたが、あのキビ畑を暴風雨が襲っていると思うと人ごとではない。さらに、
「広島からバイクで来た青年がバーちゃんの家で避難しています。」
 伊佐さん、広島の旅人をよろしくお願いします。そして、台風が大きな被害なく通り過ぎる事を祈ります。


MAY.18 深谷キャンプ場「新緑カフェ」&「エンデュアランス号漂流」
県290-藤の木-県41-R433-R488-県41-R186-R434-県16-深谷キャンプ場-県16-R434-R186-県30-R2

 深谷キャンプ場は大好きな場所だ。思い出深いのは98年2月。雪の玉を作って、深谷大橋からはるか下の石めがけ「的当てごっこ」をした。六日市方面に向かう際には通り道にもなり、先週津和野に行くときにも通過。
 今日は最初、「もみのき」と思っていたが、火を使うにはデイキャンプ場に入らなければならず、面倒なので浮かんだのがここ。行きかう車もまばらで、聞こえるのは木立の擦れ合う音と、鳥の声のみ。読書にはベストな選択だった。11:50ころ到着。昼食後コーヒーを淹れ、違うテーブルにZ-Liteをひいて読み始めた。
 アルフレッド・ランシング「エンデュアランス号漂流」。1915年南極探検に出かけた帆船「エンデュアランス号」は、南極・ウエッデル海で厚い氷に閉じ込められた。南極点制覇を競い合ったアムンゼンやスコットと同じ時代であり、かかわりもあるリーダーは、40歳にしてナイトの称号を授けられた「サー・アーネスト・シャクルトン」。興味を持った人のためネタばれを避けたい。以前絶賛した「無人島に生きる十六人」と同じく、自己啓発的意味合いも含めた素晴らしい本。逆境を逆境と思わないポジティブな思考と、経験に裏打ちされた行動力は、時代を超えて学ぶべきもの多数。写真が残っているのもすごい。活字での想像力を阻害しないレベルでの実際の絵は、絶大な説得力を持っている。
 文字の向こうには、木漏れ日がゆっくりと移動していくのがわかった。16:00まで読みふけったが、そこそこ厚い本で、今の時点で三分の一ほど。先を読むのが楽しみだ。

大東そばTシャツ:デザインは賛否両論あろかと思うが、個人的には好き。今年はこれを来て旅に出る。
深谷大橋:高い所好きには最適な場所。

 今年、行く直前や行った直後の場所をすぐにテレビや雑誌で目にする。これが一度や二度ではなく、その中にはマイナーな場所も多い。今見た「旅の香り」では、来週「見島牛」の予告。先週行った萩であり、今年の構想の一つ「見島」。何かの導きだろうか?

大東そばTシャツ

「エンデュアランス号漂流」

深谷大橋下流部


MAY.15 「旅におけるガソリンはミルクであり、高速道路はパンである。」
 ところが、4月以降400キロ500キロオーバーのデイトリップを連発している上、5月からそのミルク代がやたらと高い。普段、現金はあまり持ち歩かず、足りなくなると、全国どこでもおろせて土日も手数料の要らない「ゆうちょ」。ガソリン代や高速代はクレジットカードで落ちる。当然請求はまとめてやってくる。晴れたら行く25日のオートポリスは700キロ行程だし、6月の支払いがキツイ。
 という訳で、今週末はルーティーンコースから「もみのき」での「新緑カフェ&読書」。100キロ以内でガソリン代は¥1,000以下。先日買った「エンデュアランス号漂流」は読み応えありそう。

※人の多そうなもみのきを避け、静かで木陰の多い深谷に変更。


MAY.13
 午後から雷雨があるというのでおとなしく必要なものを買いに出た。
長崎堂バターケーキ ¥4,250(¥1,100x3+送料¥950)
大東そば(中)・大東そばTシャツ ¥6,000
Kawasaki純正T4 ¥5,920(1,480x4)
スーパーゾイル450ml ¥9,261
5L用廃オイル処理箱 ¥275

 バターケーキは、広島の人間でも知らない人がいるというのは驚き。個人的に、食べだしたら止まらないケーキというのをこれ以外に知らない。来広時ごちそうになったCさんへのお礼に(中)二つと、家にも(中)一つ。持って帰って昼御飯後、8分の3をペロリといってしまった。バター高騰の折、100円値上がりしていた。

 大東そばは、伊佐さんの息子さん幸二さんの店でのネット通販。年末「年越しそばに」と伊佐さんにメールを貰っていたが、先延ばしにしていた。あれだけお世話になっておきながら気になっていたので、やっと落ち着いてきた今日発注。 そばはもちろんだが、楽しみなのは「大東そばTシャツ」。去年頼んだ時、Tシャツだけサイズがなく、残念な思いをした。夏はこれを着て旅に出る。

R&Rネット通販
FOX BOMBER GLOBE 
ZZ-R KIJIMA OIL FILTER
LAVEN KINGSTAR WHITE CHAIN LUBE 

 オイル交換まであと700キロ(5,000キロ交換)、デイトリップ2回分程度。前回からほぼ半年で理想的なペース。少し減りが早いのが気になる。
 市内のバイク屋を回ってみたが、RSタミヤのゾイル以外は高くてどうしようもない。チェーンオイルなどは、舟入の「2りんかん」で¥2,600。通販では¥1,700円で、他のものもあわせて、ある程度まとめて頼むと送料がいらない。他にも必要なものがないか検討中。
 タイヤはBT016が気になった。現在FがBT014、RがBT021。フロントは20,000km近く持つし、次回は016を試してみたい。
 グローブは今使っているBATESのメッシュ、人差し指の横に穴を見つけた。オンでもどこかにオフを身に付けたいという事で、FOXのボンバーグローブ。

片岡義男「彼のオートバイ・彼女の島」 ¥105
アルフレッド・ランシング「エンデュアランス号漂流」 ¥450

 ブックオフにて今更ながら「彼のオートバイ・彼女の島」。表紙の原田喜和子がレトロ。読みかけが増えているのでどれかに絞って読まなくては。

 最後にガソリンの話。今日の給油は通勤用モンキー。
走行58km 給油1.52L 燃費38.2km/L @168(ハイオク) ¥255
¥170近くって・・・。

日曜のZZ-R
往路、走行236km 給油15.31L 燃費15.4km/L @156 ¥2,373 長門
復路、走行265km 給油14.85L 燃費17.8km/L @151 ¥2,242 大竹
 行きはそこそこ激走の為、帰りは通常。エコライドするとリッター20km近くいくが、そういう乗り物でもないし。驚いたのが先日の岡山。走行400キロオーバー無給油で、家の近くに帰ってきて入れたのがこれ。
給油22.09L @160 ¥3,534
 ¥3,500って・・・、はじめて見た。


MAY.11 安野光雅美術館 津和野カフェレストラン「ポンム・スフレ」 龍宮の潮吹き 川尻岬 楊貴妃の里 油谷島 角島

県290-県41-R433-R488-R186-R434-県16-R187-道の駅「かきのきむら」-県3-県226-基幹林道波佐・阿武線-県226-津和野 安野光雅美術館 カフェレストラン「ポンム・スフレ」-県13-県11-県10-県11-R191-県66-龍宮の潮吹き-県66-県356-川尻集落-県356-川尻岬-楊貴妃の里-県357-油谷島外周-俵島-県357-県66-R191-県276-角島大橋-県275-R191-R435-美祢IC-美東SA-玖珂IC-R2-県15欽明路-R2

R488:
 もみのきの手前十数キロがかなりの酷道。ジムニーでは年に何回かは通るので問題ないが、ZZ-Rではなかなかスリリング。前日の雨でウエット、落ち葉&苔。

R186:
 魅惑の里前でネズミ捕り。いつも吉和向きでやっているが、羅漢向きでやる事があるのだろうか?

R187から津和野に至る県道:
 かなりの激走区間。車に詰まっても抜けるし、なにより、新緑とキラキラ光る木漏れ日が時を忘れさせる。

安野光雅美術館:
 津和野出身の画家、絵本作家、安野光雅の作品を集めた美術館。ここに入ったのは偶然だった。11:30に入ったポンム・スフレではシェフが料理教室で外出中。12:30からという事で、バイクを置かせてもらい徒歩で歩き出した。すぐに見つけたのがこの美術館。最後にこの地を訪ねたのは99年、その時まだ存在していない。
 安野の本にはわずかながら縁があった。小さい頃、親戚が送ってきたのが、「旅の絵本」、「あいうえおの本」、「ふしぎなえ」の3冊。今現在もうちの本棚に並んでいる。作品を見ていくうち気付いた。安野も旅人だと。
 さらに館内にはプラネタリウムを見ることが出来、安野の星に対する考えにも共感した。ちょうどこの間の別府の旅で書いたことに通じる。小さい頃から、理科の授業で地球は太陽の周りを回っていると教えられてきた。しかし夜空を見ていると、どう考えても半球を針で突っついたとしか思えない。無理やり天動説を唱えさせられたガリレオのように、今の自分達も、実は地動説を信じるように洗脳されているのではないか。そもそもこれは相対的なものであって、ちっぽけな人間には地球は止まっていて空が動いているという考え方のほうがしっくりくる。だって実際そうなんだから。バイクで西に向かうと、自転に逆らって進むので速い?そんな事ない。安野の本にも「天動説の本」(内容は見てない)というのがあった。

カフェレストラン「ポンム・スフレ」:http://www.tsuwano.ne.jp/pomme/
 Cさんがよかったというのでネタにさせてもらった。今日はここのランチを目的に走ってきた。結局、プラネタリウムを見たので入店は13:00。頼んだのは小エビのクリームパスタのランチ。初めて入るイタリアンでは必ずペペロンチーノを注文する。オリーブオイルと塩、そして鷹の爪というシンプルな構成は、ゆで加減とともにとても奥が深い。同じ理由からはじめて入るラーメン屋では醤油ラーメンを頼む。しかし、ここではなぜか小エビのクリームを注文した。今考えると、また来る可能性が高いと感じたからだろうか?次回はペペロンチーノで。パンもケーキもおいしかった。すべてがほぼ同時に出てきた事だけ気になった。サラダとパンをゆっくり食べているとパスタが冷めた。
 息子さんがこの春から広島の大学へ通い始めたというのでその話で盛り上がった。街中に近いが、公共交通機関のアクセスが悪い地域だ。
 精算ではわざわざ名刺をくれた。写真を撮っていたからだろうか?帰り際シェフの一言、
「昔、XJRに乗っていました。」
「また来ます。」普通の言葉だが、ライダー同士の会話に変わった。

県13〜県11:
 このつなぎは圧巻だった。視界に入る光景は、間違いなく安野光雅の世界。いや、もともとあった風景を安野が絵にしただけに過ぎない。だがあそこに入っていなかったら、こういう感覚では見れなかったに違いない。何かが連鎖しているような気がした。
 田植えの終わった水田には風になびく苗。田植え前の、水を張っただけの田んぼには青空が閉じ込められ、風が起こすさざ波が、その青を再び空間に開放する。時が止まる瞬間だ。

R191バイパス:
 萩を過ぎてからすぐに県64に入るつもりだったが、やたらと「無料区間」を連発する標識につられバイパスへ。新しい道のようで、けっこう交通量があったが快適に走れた。

龍宮の潮吹き:
 ベストビュー&ベストテントサイトの千畳敷は今回パスし、龍宮の潮吹きへ。岩に当たった波が高く吹き上がるという「潮吹き」は見れなかったが、荒々しさは十分に伝わってきた。強風も手伝ってか、先日行った島根半島日本海側とはまた違う印象。高い所が大好きで、普段なら崖っぷちギリギリに立って下を覗くが、追い風強風のためさすがにビビる。

川尻:
 川尻集落から川尻岬へ抜ける流れがまた凄かった。白波を立てる海岸線と切り立った断崖、そしてそこに切り開かれた棚田と漁港。言葉で表現できるものではないので行って見るしかない。

楊貴妃の里:
 怪しい。楊貴妃の墓がここにあるなんて。義経が中国に渡ってジンギスカンになったと同じくらい怪しい。ただ、あの墓そのものには何かを感じた。

油谷島・俵島:
 ここも素晴らしかった。特に島の西側は普通車の離合も難しい完全一車線の農道。やはり棚田が続くほか、肉牛がいる場所もあって、どこかトカラを彷彿とさせる景色もあった。俵島は油谷島の最も西に浮かぶ小島で、ちょうど行った時には渡れそうな岩がつながっていた。そしてその奥には角島と角島大橋がはっきりと見える。しばらくの間この場所で写真を撮ったり、水分補給したりしてくつろいだが、一台も車も通ることはなかった。

角島大橋:
 04年に来ているので4年ぶり。R191のローソンで数台のツーリンググループがいたが、本土側公園についてからは一台も現れなかった。この寒さなら当然かも。島影に日が沈むまで震えながら今日の道程を振り返った。前にも書いた理由から、デイトリップ中心の今年だが、有り余る濃い内容が続いている。次はどんな旅が待っているのだろう。
 ちなみに角島。個人的にピンとこない。やたらと島を橋で結んでいる沖縄と比べてしまうし、海の色では勝ち目がない。近くを通ったとき寄る可能性はあるが、ソロでここを目指して来るという事はもうないだろう。

帰路:
 角島大橋を渡るつもりはなかったが、写真を撮って日が沈み、せっかくここまで来たので折り返した。角島側の公園で時計を見てビックリ。19:15だ。最後に見たのが18:00だったので、もう1時間以上もいたことになる。何よりあと45分以内に美祢ICに入らないと倍額だ。
 歓迎しないナイトランの激走で飛び込んだ時間は19:58。いやいや・・・。こういう走りは必ず事故の原因になるので気を付けないといけない。それにナイトランは予想していなかったので、寒さで美東SAの滞在時間が長くなってしまった。もちろんバイクは一台もおらず。
 そういえば、今年からETC残高管理サービスで出入り時間両方が表示されるようになり、ずっと気になっていた事が表面化している。SAでワンストップでもすれば違うが、走行距離と時間が明白になるため、カードチェンジ利用で急いでいるときには明らかにスピード違反。巡航160で1区間90キロ程度を休憩無しで走るとしたら、わずか30分ちょっとで出入りする事になる。どうなんだろう?
 ちなみに、ガソリン高騰対策として、深夜割引が暫定40%オフ。通勤割引カードチェンジ2枚まではまだお得だが、3枚超えると深夜割引のほうが安い。距離200キロ以上の高速走行は頑張って0:00-4:00を絡めるべき。

面倒なので写真は一切レタッチ無しで。

「ポンム・スフレ」ランチ

県道13 阿東町嘉年

県道66 山陰本線長門古市駅付近

県道356 長門市油谷立石

県道356 長門市油谷立石 トカラは子宝島の「うね神」を思い出した。

県道356 長門市油谷立石

県道357 俵島(油谷島西側)歩いて渡れそう

県道357 奥にうっすらと見えるのが角島大橋

これを含め俵島からの4枚は同じ場所で撮影

角島大橋の夕日


MAY.8 トワイライトカフェブレイク
 野暮用を済ませているうちに夕方に。このまま終わらせるにはもったいない一日。一杯分の豆とミルを持ち出して魚切に出た。考え続ける日々が続いていても、このひと時を過ごせるだけ幸せかもしれない。
 日曜はCさんの情報により、津和野のイタリアン「ポンム・スフレ」を目指す。しばらく行ってない角島や千畳敷など、山口の日本海側にも足を伸ばしてみたいが、ランチしてからではちょっと遠いか・・・。まぁ予定は未定という事で。


MAY.4 Cさんを追いかけて#2 うかん常山公園 満奇洞 羅生門 井倉洞
R2-県274-県33-県80-県340-R375-県56-県28-県27-県25-県27-県26-県27-R182-県21-県411-県9-県77-県299-R313-R180-R313-県49-県312-うかん常山公園-県312-県440-R313-県50-羅生門-県50-満奇洞-県320-県50-井倉洞-R180-新見IC-西風新都IC

 常山公園ですぐに連絡してみたが、すでにCさんたちは湯原へ。今回は追いつけず。せっかくなので未だ行けてなかった満奇洞と井倉洞をハシゴした。高低差の激しい井倉洞はかなり凄かったが、入る時に駐車料金を500円も取られテンションダウン。バイクで取られた金額では最高ではないだろうか?車(1000円)なら仕方がないが、二輪では損した感は否めない。まるでネズミ捕りのように呼び止められ請求される。あっけに取られ、言われるままに払ってしまったが、冷静に考えれば少し歩いても別の場所に止めなおすべきだった。帰り際、入り口に駐車料金の看板を見つけたが、入るときには微妙に見えない角度にある。たかが500円、されど500円のお話という事で。
 羅生門は、井倉洞へ向かう途中で看板を見つけ、ふらりと入った場所で、大きなアーチ状の岩があった。二度と行く事はないだろうが、決して無駄な回り道ではなかった。
 うかん常山公園は、風をテーマにした公園。石で作られた風車が回っているが、一つだけぐるぐると回っているのがあり、何か電動っぽい。
 一つ思い出したのが成羽の木口小平の生家。木口小平といえば、日清戦争で死んでもラッパを放さなかった事で有名。小さい頃聞いた話は強く心に残っていて、もう10年以上前からあの場所にあるのを見つけ気になっていた。そのロケーションは、国道から川向こうの山の中腹、とんでもない場所にあり、行っても何もなさそう・・・。でも気になる。
 弥高山のツツジがキレイだった。あとショートカットで通った岡山県県道299。秋に行くだろう全日本トライアル会場「原滝山トライアルパーク」はこの道沿いにあったという事を帰ってから気付いた。


MAY.3 Cさん再来広 遊食人「直」 お好み「厳島」
 CMさんの仕事の都合で、旅が短縮になった模様。それで復路の明日また広島で飲み会となりました。よく考えてみると、バイクで付いてくよりこちらの方がいいのかもしれない。月曜の夜に続いて今回もこちらの休みの前日に合わせてくれた。その間の五日間、山口を山陽側から山陰側へ回ってきたそう。

4

APR.28 Cさん来広 遊食人「直」 お好み「へんくつや」
 月曜、仕事を終えて携帯をチェックしてみると驚きの内容が、「今、平和公園にいます。」えっ?こちらの休みにあわせて駆けつけてきてくれた模様。これでゆっくり飲めます。話し合いの結果、同級生のやってる一杯飲み屋で飲んだ後、仕上げはお好み。4/29は宮島と原爆資料館との事。


APR.27 Cさんを追いかけて#1 由加神社・宇野港・野崎家旧宅・備前屋甲子・鷲羽山スカイライン
広島IC-福山東IC-R182-R2-R429-R430-県62-由加神社-県62-R430-宇野港-県22-R430-野崎家旧宅-R430-県21-備前屋甲子-県393(鷲羽山スカイライン)-県62-R430-R429-県382-県60-県64-鴨方IC-志和IC-県33-R2

 Cさんとは06年5月、鹿児島の薩摩硫黄島で知り合った。普段はテントだが、珍しく利用した民宿には秘境を求めて集まったマニアックな人たちがたくさん、その中の二人がCさんたち夫婦だった。島から帰り、国分海岸キャンプ場の宴会で盛り上がりさらに意気投合、それ以来切れ目なく連絡を取っている。
 Cさんはすでに60代後半で、人生の大先輩だが、かつて経営者であり、リタイアされてからは、奥さん共々悠々自適の生活をされている。実際、年齢とはかけ離れた若さとアクティブな行動力で、まったくそのような年には見えない。奥さん(以下CMさん)が輪をかけてすごい。若い時モデルで活躍されていて、当時は旦那さんよりはるかに稼いでいたそう。
 その後06年8月には、Cさんの所有する軽井沢(書きかけ)の別荘に1週間、ほぼ居候状態でお世話になり、別世界の交友レベルにカルチャーショックを受ける。国内海外問わず、しょっちゅう旅されているが、国内は車で一ヶ月程度、地域を絞って回っている。犬がいるため、ワゴン車をベッドにした車中泊がメイン。普段の生活レベルからすると、ギャップがあって面白い。
 昨年暮れから、中国地方を回るという話は聞いていたが、つい最近までCさんはハワイ、CMさんはヨーロッパと相変わらずの様子で、いつの事やらという感じだった。しかしついに先週、具体的計画のメールをもらう。計画といっても典型的放浪スタイルで、ルート設定は皆無。事前にピックアップしたポイントの中から、近いところをつなげていく感じ。
 今回は4/25より3週間程度で中国地方を回る。電話でおすすめポイントを伝え、広島にも寄るが、近くにいるなら日帰りでも合流したい。今朝はもう備前にいるという。当然もう日帰り圏内なので電話してみると、今日は閑谷学校からブルーラインを通って牛窓へ、そこから直島に渡り、戻ったら岡山城と後楽園、さらに時間が許せば吉備路。ただ、どうせ広島に寄るし、「明日あさってには会えるので今日は・・・」という事になった。だが・・・。
 運勢への反撃でかなり行き尽くし感のある近場。すでに気分は岡山モード。ふつふつとサプライズ魂が沸き起こってきた。連絡無しで二人を補足できるか?
 朝の情報からタイミング的には直島からの帰りか、岡山中心部。ベストは宇野港。時刻が限定され、待ち伏せはピンポイント。出発だ!

 9時ギリで高速へ。時間がなく広島ICから乗ったので100キロ圏内は福山東。そこから下で宇野港へ向かった。県62で由加(ゆが)神社を通った。聞いた事がなかったが結構大きな神社で、「厄除け」のキーワードに反応しお参り。ここでメール。
「直島に上陸しましたか?」
「今どこですか?」という聞き方はしなかった。向かっている事を悟られては意味がない。返信を待たず走り出す。
 11:40に宇野港に到着し、すぐに時刻表を調べた。朝の情報と照らし合わせる。7時に閑谷にいた。ブルーラインで牛窓。という事は8:22には乗っていないだろう。9:22か?そうなると直島発の次便は11:10。これだと直島をゆっくりみる時間はないが、なにしろ小さい島なのでこれに乗ったならもう到着して岡山方面へ。お手上げだ。神社で送ったCMさんへのメールは返信がないので、今度はCさんへメール。
「直島上陸中ですか?」
 しばらくして返信があった。
「12:45の船で帰ります。」
「やったー。」ご丁寧に便まで限定。これで確実に会える。まだ時間があるので安心して近くのコンビニに入った。
 港のベンチで食べていると、KTM400が現れ、話になった。大阪ナンバーだが、今は岡山在住、最近まで広島にいたという。笑ったのがバイクに張られた契約駐輪場のシール。袋町(広島市中心部)だ。鷲羽山方面に行くというので、「王子が岳」を勧めておいた。
 直島発便の到着が近づいてきた。ここからが難しい。まずやりたかったのが港で待つのではなく、走り出してから走行中に並んで手を振りたかった。そうなると下船時に完全に認識しなくてはいけない。違う車に付いたらすべてパーだ。
 車種はわかる。ワゴンタイプ。色は覚えていない。ナンバーは品川。港で気付かれたくない。出てどちらに曲がるか?普通ならR30を使うだろうが、自分なら県22から県45を抜ける。船が入港し、切符売り場に隠れた。最初に徒歩での乗客が降り、次に車・・・。1台目はワゴン!スキーキャリア(そうだ、Cさんはスキーが大好き。これか?)、県22方面へ向かった。さりげなく後ろへ付く。品川ナンバー!

「ビンゴ!!!」

 片側2車線。左からゆっくりと追い抜き、大きく手を振った。すぐに振り返して来たが、明らかに条件反射。2秒後、状況を把握した二人の表情が笑顔に変わった・・・。

 今日のハイライトは出会いの瞬間までなのでその後はさらりと。児玉の野崎家旧宅。塩で財を成した野崎武左衛門の屋敷で、一人ならまず立ち寄らない場所。次に下津井にあるホテル「備前屋甲子」の日帰り湯。ここの露天は素晴らしい。眼下は瀬戸内海、左手には瀬戸大橋、目の前にある六口島との海峡にはたくさんの船が行きかう。二人は出発後初めての風呂で、実務的にも必要としていた。
 ここで帰路につくことにした。何も考えず付いて行くだけの走りは久しぶりで意外に楽しかった。この後、児玉から高速で早島へ、そのまま岡山市街に入り、後楽園と岡山城だそう。
 こちらは鷲羽山スカイラインに。以前は平日、車だったので、あまりのサーキットぶりに驚く。待避所にはたくさんの走り屋やバイク。実際、対向する車線には攻めまくる車両多数。北上するこちらの車線では追いつきも追いつかれもせず。南下するのがバトルルートか?路面はけっこうバンピー。

 帰宅してすぐ興奮した様子で電話があった。あれから訪ねた後楽園と岡山城では、連休という事で開園時間が延長され、ライトアップとミニコンサートが行われていたという。実は今回のサプライズで二人の行動に影響を与えてしまうのではないかという懸念があったがこれで安心した。本来なら直島からすぐ岡山市内に行く予定で、夕暮れのイベントには当たらなかっただろう。「押しかけた事が逆に幸運でしたね。」と笑った。ただ、翌日が休みの月曜の夜に広島で飲みたかったので、それは不可能となった。数日後に広島で!


APRIL.25
 世の中GW、こちらは通常Wという事で、今後の予定など。
 まず、4月中は最近の日帰り旅継続。今年のプランは意図を持ってやっている。よくない運勢が重なっていることは再三書いているが、現実的にもそうだし、おとといなど雨の己斐峠で180度スピンして死にかけた。そのため、遠出を避け、トラブルに対応しやすい近距離で日帰りが基本。その中で運勢に対する唯一の抵抗が、出来るだけ数を重ね、それでいて内容の濃いものにする事。08年、366日、54週、どこまで継続できるか・・・。
 5月は「Cさんを追いかけろ!」が楽しみ。硫黄島や軽井沢でお世話になったVIP友人C夫妻。3月頃より山陰、中国と回るとは聞いていたが、奥さんはヨーロッパ、旦那さんはハワイと、相変わらず気ままなVIP生活を続けておられた。ところが先日連絡があり、今日4/25から3週間の予定でスタートの模様。残念ながらこちらは連休すら取れない。ならばという訳で、期間中すべて日帰りで雨でも追いかける。旅のパターンで一番楽しいのがこれで、お互いのホームタウンでない街で合流する時の、一番最初に見つけた時のうれしさといったら言葉に出来ない。最終的に広島にも来るそうなので、その時は夜だけでも。
 相変わらずマニアックなポイントが好みらしく、兵庫の書写山や、岡山・有漢の石の風車、島根・三瓶山や山口・角島などお目が高い。その中でも抜けていた山口・土井ヶ浜、徳山・大津島や姫路・太陽公園などをすすめておいた。作り物は嫌いといっていたので土井ヶ浜や太陽公園はダメかも。
 最後は「晴れたら」の限定付きでオートポリス。秋の岡山だけのつもりだったが、岡田忠之が参戦するそうでその気になった。これも行くとしたら日帰りハードコースになりそう。


APR.19 太華山・粭島(すくもじま)
県290-藤の木-県41-R433-R488-県41-R186-[山口県]-R434-道の駅ピュアラインにしき-県41-県366-太華山ドライブウェイ-出光プランテック徳山-県170-粭島-松屋商店-日本精鑞-沖山外周-県170-県366-R188-県144-R2-県15欽明路-県112錦帯橋-[広島県]-県1-R186-県289-県460-県42-県30-県42-県292-R433-県41-藤の木-県290

 家を出た時点からシールドに水滴が。向かう北の空には怪しい雲が発生している。県41に入ると路面は完全にウエット。慎重なライディングを要する移動だけの走りとなり、さえないスタートとなった。革ジャン、革パン、アンダーはTシャツのみで出たが、山口に入ったR434では気温8℃まで下がり寒い。
 それでも小雨の中立ち寄った道の駅で面白いものに出会った。函館ナンバーのキャンピングカーだ。外から見える小窓には数本の歯ブラシ。退職後、日本一周に出た夫婦二人旅とプロファイリングした。もし動きがあるなら話しかけてみたのだが。。。
 海側に南下するにしたがい、晴れ間がのぞき始めた。予想された状況であり、山間部ではレインウェアを着ないで走っていたので、袖がみるみる乾いていくのがわかる。太華山ドライブウェイは、山頂の一部を除いて一方通行となっていて、対向車こそいなかったが、ハイカーには出くわしたので注意。
 頂上は結構広く、展望台が二つ設置されている。徳山側はサイドを木に阻まれているが、ちょうど正面に大津島。人間魚雷「回天」発射場が肉眼でも確認できる。回天発案者の一人、黒木大尉は、この湾で訓練中事故死した。海底で制御不能となった回天の中で、酸素がなくなるまでの数時間、事故の原因について書き残していたという。後世の判断では愚かな特攻兵器だが、もちろん当時はそうではないし、開発という崇高な使命感だけを考えれば、死ぬまでそれに徹したという行為は別の次元にあるような気がする。
 もう一つの展望台からは下松側が見える。この半島と笠戸島に囲まれた湾内は浅く凪いでいて、岩礁と砂が透けて見え、ちょっとだけ南洋の海を思わせた。
 海岸に出て西側を南下すると、すぐに「出光プランテック徳山」の正門にぶち当たり通り抜け不可。直前でGPZとすれ違ったが引き返してきたわけか。
 県170に戻り、今度は東側を回って粭(すくも)島へ。半島へ右折する交差点で、先ほどのGPZ(横浜)に追い付いた。安全運転のライダーに手を振り快走で島の行き止まりまで走り、最後はなんでもない狭い土の駐車場で転回となった。すぐにまたGPZとすれ違う。「まったく人間というヤツは…。」自然とニヤついてしまった。
 高いガソリン代とバイクを消耗させて、何を好んでこの狭い駐車場を目指すのか?恐らくその理由は死ぬまでわからないが、今日一日に限ってみても自分以外にもう一人。何か得体の知れない力が働いているのか?
 そんな事を考えながら港に差し掛かり自販機の前で止まった。ふと向かいを見上げると、もの凄いものを発見。目の前の山の頂上に巨大な煙突が。赤く聳え立つ異様な光景、その先端は崩壊し、深い亀裂が縦に走っている。一瞬で廃墟回路が沸点に達した。GPZが先へ向かったがもうそれどころではない。すぐにそのよろず屋に入った。
 白髪の店主によると、大正末期、亜鉛の精製工場があり、海辺の工場から登り窯のように煙突が延びていたという。その店主ですら操業時の煙は見たことがなく、中学時代何度か登ったが、すでに崩壊した煉瓦がまわりに散乱していたらしい。有毒な煙も出していたみたいで、店主の幼いころ、山の樹木は育ちが悪かったとのこと。ただし、帰って調べたところによると、操業期間はたったの4年。大きなお世話だが、採算が取れたのか心配だ。現在工場があった海辺には、日本精鑞という「ろう(パラフィン)」を作る会社が現在も稼動している。
 貴重なお話を聞かせていただいた代わりにガーナミルクを買った。安いけど。。。このお店が松屋商店。
 興奮冷めやらぬまま、反対側の沖山方面に向かった。こちらはかなりの区間、木にさえぎられ展望も途切れ途切れだが、以前先っぽまで行った笠戸島が目前に広がる。ここまでで目的は達した。今日は夜に飲みが入っているのでこのあたりで帰路へ。
 最近特に強い傾向にあるのが県道。うまく行けば爆走できるので、信号と渋滞とストレスの幹線国道より早い。下松、光、錦帯橋を抜け、R186から県道をつないだ。特に今日のルートは山間部のダムを通る機会が多く、その湖の景色による癒し効果も絶大だった。
 もう一つ、広島側のR186。ちょうど小瀬川を挟んだ県境であり、こちらは普通の白いガードレールだが、対岸は山口のみかん色ガードレールで、その対比が面白かった。

松屋商店前 煙突

煙突近影 中腹にももう一本。白い煙突は日本精鑞。


APR.12 鞆・ホロコースト記念館
 目的地は鞆なので、通常ならR2、海気分なら安芸津、竹原、尾道経由というところだが、県央の県道をつないだ。これが正解で、信号のない見通しのよい道が続くのでかなりのハイペース。すり抜けや無理な追い越しも少ないので疲労度、ストレスとも非常に低い。唯一県道156だけ1.5車線の狭い道。ただ、先週に引き続き、桜の咲く里山の風景を見ていると、自然とスローダウンし癒される。低速走行時間込みでも松永まで2時間かかっていない。福山方面に出るにはこっちのほうが早かったりして。
 鞆では歩いてブラブラするつもりだったが、初めてではないし、弁天島対岸の防波堤で昼を食べた後も海風が気持ちよく、そこで満足してしまった。
 このまま帰るのも味気ないので、ホロコースト記念館が頭に浮かんだ。一昨年行った際は休館日。着いてみると、去年新館がオープンしたばかりで新しくてキレイ。観光バスが一台乗り付けていて館内は混雑していた。これで入場無料というのは驚き。「アンネの日記」は一度も読んだ事がなく、寄付金がてら文庫本を購入。
 帰りはしばらくR486を走ったが、こちらは交通量が多い。行きの快走が逆にストレスとなり、辛くなったので再び県道60号から爆走で帰宅。
 先週、今週と思ったことは、有名じゃない田舎道でもすごい桜がある事。そして、1年でたった2週間だけ景色を一変させる力に感心した。暖かくなってきて桜以外の花も結構咲いていたが、あの淡いピンクが日本の心なのだろう。


APR.6 深入山山焼き
 到着した時点ですでに神楽が始まっていた。神楽まんじゅうを頂きながら、しばらくの間ひんやりとした風を楽しむ。このあたりの路肩にも雪が残っているし、今年遭難事件で全国ニュースになった恐羅漢にいたっては、まだ冬山の様相を呈している。革ジャンを脱いでいると少し寒いくらいだ。
 そのうち護摩法要が始まった。山焼きとこの法要の種火は、日本三景宮島の「消えずの火」を持ってきたとの事で、ほら貝やら鐘やらの派手な入場。最初はちょっとした見世物かと思っていたのだがこれが間違いだった。
 運勢が低迷し、実際低いところで安定している今年。この催しにしても何かのメッセージかもしれない。燃え盛る炎と共に災いが去ってくれるといいのだが・・・。
 それにしても凄い火。杉の葉を燃やすので黄色の混じった大量の煙を発生させ、風下の人はみるみる逃げていった。こちらはというと予想して風上側の最前列に陣取っていたが、一番燃えているときには熱さに耐え切れず少し下がるほどだった。

 火が落ち着いてきた所で、免許証、財布、バッグなどに、「えいっ!」と加持してくれる。免許証も入っている財布をお願いした。さらに、残り火をならしての火渡り神事。テレビでは見た事があるが参加するのは初めてだ。どのくらいの人が渡るのか様子を見ていると、列はどんどん増えていく。これは行くしかない。裸足になり、合唱して災いを燃やす。すでに何十人もの人が渡った後で、まったく熱くなかった。
 ちょうどその頃深入山山頂のほうから火が上がっていた。初めてなのでそういうものかと思っていたら、手違いで先走ってしまったらしい。言われなきゃわからなかったのに。

 そしてメインイベント。参加者のトーチによる点火。凄い!火炎地獄があっという間に斜面を駆け上がっていく。最近増えているイカれた放火犯をここに連れてきて、着火させたら犯罪抑止になるのでは?もの凄い熱気が伝わってくる。

まるで噴火のような光景。

 もう10年来気になっていた山焼きだが、もっと早く来ていればと後悔した。護摩法要から点火までわずか2時間ほどのイベントだが、とても内容の濃い時間だった。昨日530キロ、今日140キロ走ってケツ痛と足筋肉痛。


APR.5 大根島・美保関・神々の海
 8時半出発で西風新都から高速で庄原へ。その後、去年と同じルートをトレースする。出来るなら違う道を通りたいが、山間部でなかなか思い通りのコースが取れない。

おろちループ周辺・・・まだかなりの残雪があることに驚く。日差しもあり寒い感じはしない。

県156・・・亀嵩をショートカットするため去年もトライした道だが、またとんでもないところに出た。しかし、指示標識のない道を探りながら進むのも悪くない。

大根島・・・ちょうど昼ごろ到着。島の中央にある大塚山にはライブカメラが設置してあって、よくアクセスするので思い入れの強い場所。なんと桜が満開。今回のプランは花見を考えていなかった。カメラを見始めたのは去年夏以降。いつも見ていた木が全部桜だったとは…。それに明日4/6から5/5までぼたん祭りというイベントがあるらしく、その準備と花見客で見たことのない賑わい。なんか得した気分。
 ここの桜は立派だ。幹は太く、枝も大きく広がっていて、幼児が直接手に取れる高さのものもある。桜のパラソルの下で食べるコンビニ弁当はおいしかった。

八束中学校・・・食後は野球観戦。以前読んだ「あさのあつこ」の『バッテリー』は、先週映画版を見たばかりだし、今月からNHKでドラマ版も放送されていて映像と重なる。校庭の周りにも桜がたくさん咲いていて、映画を見ている様な気分になった。

美保関灯台・・・灯台に着く直前の上り坂でフルパッキングのチャリダーを抜いた。一本余分にコーヒーを買い、灯台周辺を散策する。到着した彼は横浜の大学生。春休みを利用した輪行で、授業が始まるため境港から電車で帰るという。そういう旅のカタチもあるのだと感心した。
 コーヒーを渡しながら、
「重くなるかな?」
「ここで飲んでいくから大丈夫です。」チャリダーらしい答え。

諸喰集落・・・ここをスタートに、できる限り海側を通る。すでに感じ始めていた。見つけるのは神々ではなく人間かもしれない。そして、普段はなんでもない風景であろう静かな漁村を彩る桜。

七類港・・・隠岐へ向かうフェリーの発着港。いつの日か必ず来る事になる。

隕石落下地点・・・松本邸?美保関隕石が落ちた地点とあったので降りてみたが、行き止まりの集落になったので引き返した。

片江・・・友人の生まれ育った地であるため他の地域より身近。

すべての集落・・・確信に変わっていた。現れては消える岬と入り江。波風を避け入り江ごとに形成された人々の暮らし、少ない平地と急斜面に建てられた家々は、はるか昔の時代から見えない神と共存する人の知恵だったのだろう。

マリンパーク多古鼻・・・目を付けていたキャンプ場で、サイトの予約状況によると混雑している事が多い。疑問を感じながら訪れてみると、とても賑わっていたのに納得した。展望の良い岬の最上部に位置し、最高のロケーション。テントを持ってまた来る事になるだろう。

佐波チェリーロード・・・進行方向手前の東側は出口専用となっていて花見時期だけ一通になっているようだ。海沿いを縫うように走る結構な距離でありながら、ほぼ全線に渡って桜並木が続く。車もたくさんいた。

幼い兄妹・・・どこの集落だったが忘れたが、低速走行中すれ違い様に「こんにちは!」と。歩いているならまだしも、走っているバイクにまで挨拶とは素晴らしい。

島根原子力発電所・・・原発を初めて生で見た。ガードレールのすぐ外には金網と有刺鉄線、そして監視カメラ。望む海辺には原子炉と林立するクレーン。荒涼感のある沿道にはどこか放射能の影響があるのではと勘ぐる。

横手林道・・・全線舗装。静かな海沿いの道には、桜がひっそりと、それでいて存在感を誇示しながら咲いていた。

魚瀬-細原・・・この時点で午後4時過ぎ。もう一本西のラインは一畑薬師で昔訪ねた事があり、今日はこのあたりが潮時だろう。あえて地図を確認せず南下すると、ちょうど一畑電鉄伊野灘駅近くに出た。

三刀屋桜並木・・・川土手に続く桜並木はすごい。

 帰りはR54から三次、高速を千代田まで走ってR261、R191、久地経由で帰宅した。海辺の快走が目的だったが、予期しない桜と入り江の旅。なんとなく、今後の新たな方向性を指し示している様な気がした。夕暮れの風が運んでくる野焼きの煙のにおいが、ちょっとだけセンチメンタルな気分にさせる。次に通るときにはもう桜は咲いていないだろう。
 ちなみに海側を通ってしまった境港では、鬼太郎に会う事が出来なかった。。。

事前計画
 高かろうが安かろうがどっちみち出るが、燃料費も安くなっている事だし久々に早朝からの遠出を敢行。早朝割引で西風新都から三次か庄原まで高速、あとは県道、町道、農道を絡め、酷道覚悟のローカルルートを状況に応じて選択する完全成り行き計画。
 注意事項はスタートした春の交通安全運動。はるか昔、免許を取って初めて捕まったのが安全期間中で、トラウマとなっている。そのためこの期間中の幹線国道でのハイスピードは自分的にタブー。次に花見行楽一般車の回避。ただ、平地はともかく山間部ではまだ開花していないため取り越し苦労か。
 大根島は去年7月以来。島に渡る道は沖縄の海中道路を彷彿させる。島中央部の大塚山にはライブカメラが設置してあり、よくチェックしている。
 美保関の先までは初めて。灯台しかないが人間とは先っぽに行きたがるもの。それと、命名した「神々の海」出発点。これは以前から暖めていた企画で、島根半島の日本海側を横断するというもの。美保関から北側には道はなく、七類までは漁港を結ぶ南北のものしかない。七類から東へ戻って法田漁港までピストン往復するかは微妙。
 その後も県道以下の酷道が予想され、どちらかというとオフ車でのアタックがベストだが、そうなると日帰り不可だろう。通り抜けがかなり怪しい区間も多くあり、14万分の1ツーリングマップルではアドベンチャー度大。日御碕へは行った事があるし、恐らく途中で時間切れとなる可能性が高い。全走破を目的としているわけではないので、太陽と相談しながら南下帰路予定。どんな神々と出会えるだろうか?鬼太郎もいたりして。。。

3

MAR.29 ジェラテリア・カドーレ、県央の森公園
 若干雲が広がりつつも良い天気。今日は気分を変えて、「2+2」に乗って出かけた。市内を抜け瀬野川沿いを快走していると、コンクリートガードにカラスが。ちょっかいを出すべく信号明け左に寄って手を差し出した。
「うわっ!」
 辺りは血だらけだった。なるほど、これに寄って来てたって訳か。人間でない事を祈るがこの量は。。。とにかく嫌なイメージがどこかで発生する今年。いつものように「気を付けろ。」というメッセージと判断。
 志和から福富への道は先行車は多いが見通しのよい快走路。どんどんパスして気分良くカドーレに着いた。駐車場に止めていると、
「○○さん!」
 声のした方を見てみると、おととし5度目の軍艦島に一緒に行ったT君とその彼女。このページの予告をみてデートコースに組み入れたとの事。それもいつ現れるかわからない「404 Not Found」なのに、なかなか洒落たサプライズをする面白いヤツだ。彼はCBR250に乗っているが、もう一つ面白いものを持っている。加藤大治郎がパドックで使っていたというAPE。バイク雑誌の懸賞で当たったそうだ。この日は二人連れでもちろん車。軽く立ち話をして別れた。
 カドーレの駐車場はほぼ埋まっている。暑くもなく寒くもないちょうど良い温度でジェラートもおいしく、牛とも戯れた。わずかながら乳牛、肉牛とも仕事としてかかわりを持った現在、ホルスタインにはホッとする。その先に屠場をイメージしにくからだ。それになんといっても野郎じゃなく女の子たちだし。(笑)
 仲間の革から何かを感じ取ったか?革ジャンに鼻汁を付けられたので退散。県央の森に向かった。今日はこのバイク(2+2)。スピードが遅いので色々なものを見つけることが出来る。(笑)コーナーでの倒しこみが出来ないのが辛い?

 県央の森はR375から5キロほど登るが、途中に広い2車線の道もありなかなか楽しめる。持っている05年マップルには載っていなかった。公園敷地内に入っていくと、
「あれっ?」
 見覚えがある。何のことはない一度来た事がある場所だった。近場にはもう新鮮な場所はないのか?とは言っても駐車場には誰も乗っていない車が一台だけ(恐らく登山者)。静かだしキレイなサイトもあって一度テントを張ってみたい。夏には人も増えるのだろうか?車の音はまったく聞こえず、鳥の声、キツツキの音、山鳩の声くらい。寝転がって流れる雲を見ていると何もかも忘れる。小一時間過ごし帰路に着いた。
 市内に戻ってからZZR1400が追い付いてきた。けっこう派手なすり抜けをかけるヤツで、追い付いていこうかと思ったが、ふとカラスがいた大量の血痕が浮かび思いなおした。実はこの日事故の夢も見ていた。無事に帰ることでイメージを払拭していかなくてはならない今年だった。
 来週は深入山山焼き。山焼きというイベントは、それこそ10年以上前から気になっていて、もちろん規模の大きい秋吉台がベスト。しかし天候、気温で順延になる事が多く、なかなか実現されず今日に至る。(今年はすでに終了。)平尾台に影響され、ついにその気になる。それなら県内でという事で、こちらも広島では有名な深入山。念願はかなうでしょうか。。。


MAR 22 ZZ-Rルーティーンコース…石内-藤の木-魚切-湯来-筒賀-吉和(-もみの木)-羅漢。約100キロ。
 日曜は雨という事で、昨夜から少し遠出のルートを検索。挙がったのはプラン継続中の鞆に加えて、萩と井倉洞。しかし、道中の快走路がうまくつながらず、イマイチ乗り気でなくなった。そこに入ってきたのが友人とのランチ。4ヶ月くらい会ってないし、どうしてるか気になっていたので楽しみ。
 残念ながら彼女は奥様。一切気を遣う必要が無く価値観も似ていて間違いを起こしそうだ。(笑)決まったのはファミレス「ジョイフル」。
 洒落たイタリアンではなく、なぜジョイフルか?それは話が尽きないから。前回のジョイフル会では5時間近くしゃべった。お開きも買い物の時間になったため。今回もまたしゃべりっぱなしで、無言になる時間はまったくなかった。再び夕飯の準備のためお開き。どうやら、強制的な終了時間がないと話は終わらないようだ。このランチはもちろん旦那さんも知っていて、彼女曰く、
「○○さんもう同性だから。」
 おいおい、それも複雑だよ。。。(笑)という訳で、来月の旅行気を付けて。また次回。
 終了時間17時。まだ明るい。(軽く走ってくるか…)
 日没を見計らって折り返すつもりだったが、時間も遅いので前がすごくクリア。先行車もあるが、対向車線も少なく抜きやすい。結局、折り返し無し、休憩無し、100キロを北海道並みのタイムで駆け抜けた。「スパ羅漢」にはバイク無し。みんな夜は走らないんだ…。今季初めて、シールドで虫が飛び散った。季節は確実に移り変わっている。。。


MAR.16 ZZ-Rルーティーンコース…石内-藤の木-魚切-湯来-筒賀-吉和(-もみの木)-羅漢。約100キロ。
 平日から福山の鞆を考えていたが、どうにも遠出の気分ではなくなり、久々の定番コースに出た。旅と違い、「走る事そのもの」を楽しむルート。市内では気温が20℃近くに達するという予報もあり、ついに春到来。区間1では遅い車を頭に大名行列だった。
 区間2から快走状態に入り、区間3では久々にレッドゾーン近くまで回してみた。スポーツ寄りのBT014からツーリング寄りのBT021に変えての違和感はそれほど無い。まだ路面温度も低いし、気温が上がってくればそこそこ食いついてくれるような気がする。なんといっても耐久性重視。
 驚いたのが残雪。県41以降の県北区間では、路肩にまだかなりの雪が残っていて、バンクのあるコーナーでは融け出た涙が路面を一部ウエットにしている。調子に乗ってると危険だ。
 区間5では高速を走る車を追い抜き(笑)、いつものようにコーヒーブレイク。たくさんの行楽客が現れては消えるが、ここでゆっくりする時間が好きだ。シートの上に寝転がる。シーズン到来でバイクもそこそこ通り過ぎていく上、特色としてそのほとんどがソロ。恐らく、単独で攻めているヤツらばかりだ。ドゥカなど外車率も高く、音だけで楽しめる。しばらくすると後方から、
(パリパリパリ、カラカラカラ)
 これほど特徴的な音は無く、振り返らずに特定できる。珍しくこちらから話しかけてみた。

「'88あたりですか?」
「'90です。」

※この数日後、雑誌「RIDE」で同じような会話が交わされていて苦笑。
 中古車市場でもタマが無く、値段も高い上、素性の怪しいものが多い。話していると、またまた癖のあるバイクが。このオヤジライダーの話が最高に面白かった。4輪、2輪ともレース経験があるという事で、4輪ではフォーミュラカー、2輪ではRS250まで乗っていたらしい。
 オンオフに限らず、レーサー(レース専用車)というのはまさにモンスターで、市販車しか乗った事の無い者にとってはとても扱えるものではない。125のモトクロッサーに乗った事があるが、簡単に振り回せるものではなかった。ましてや250などありえない。タイムを削っていくセッティングから資金集め、最後にはブレーキ・クラッチを何本指で操作するかなど細かい話まであり、とても楽しい時間だった。
 2人に、一つ疑問をぶつけてみた。
「マスツーリング(集団でのツーリング)って楽しい事あるんですか?」
「行った事ないです。」(最初の彼)
「(会社で行く事もあるけど)あまり無いね。」(オヤジ)
 やっぱり。。。
 ただ最近、たまにでいいので地元でつるむ、ほんとに気の合うヤツを見つけたいと思うこともある。もちろん一台だけでいい。さらに5回に1回で充分。行動パターンから言って非常に相手を選ぶのは必至。止まってる時間も多いし。自分勝手すぎて無理か…?(笑)もしくはどっかのキャンプ場で合流して一晩盛り上がるのも楽しそう。
 センタースタンドを立て、超くつろぎモードの'93 ZZ-R(自分)をはじめ、思い思いバラバラの方向に止まっているジャンルの違う3台は、バイク乗りなら傍から見て面白いに違いない。3台キレイに並んでいるより個性的だ…。

「昭和の終わりのバイクだから。」とオヤジさん。

 ただでさえ古い自分のよりさらに古い2台だった。
 1時間近く話し込んだだろうか?まずオヤジを見送った。彼のマシンは'88 BROS 650。Vツインの野太い排気音を残し、戸河内方面に走り去って行った。ああいう歳の取り方をしたい。
 次に30前くらいの彼を見送る。再び、
(パリパリパリ、カラカラカラ、パィーン///)
 乾式クラッチ独特の音を残し、'90 NSR 250が走り出す。すぐに吉和インターに消えた。さてこちらもそろそろ。
 羅漢方面へ走り出すと、CB1300が後ろに付いてきた。気付いてすぐ、先に行かせる。しばらくは前の車に詰まっていたが、黄色車線をはみ出して追い抜き、すぐに見えなくなった。この区間単独で飛ばすのは危険。時間を置いて2台のパトカーとすれ違った。どこかでやってたか…。
 区間8の羅漢渓谷ワインディングに入ってスロットルを開ける。数台の車をパスすると、前に詰まっていた先ほどのCBに追い付いた。CBの入った道の駅「スパ羅漢」にはいつものように30台近くのバイク。あの中の一台にはなりたくないので素通り。
 区間10・県道30号にはいると、もう楽しめる要素は一つもない。走りながら気付いた。スパ羅漢、もしくはコーヒー場所から折り返すのがベストかもしれない。特に吉和ならちょうど50キロ地点。折り返せば今までどおり100キロ程度のちょうどよい行程となり、帰りも楽しめる。


MAR.8 鹿島
 広島湾の最も南にある鹿島。着いた時13時前で、「昼食だけ」と、砂浜の防波堤に座った。すぐ目の前に大館場、小館場島。浜から南東の方角で、右奥に連なる島が中島、うっすらと左奥に写っているのが四国。肉眼では伊予北条の街並みも確認できる。

 昼御飯はすぐに終わったが、とてもここを離れられる状況ではなかった。なぜなら、ここに「春」があったから。革ジャンを脱ぎ、長袖Tと薄手のフリースになる。そして防波堤に寝転がり天を仰ぐと、まったく寒さは感じなかった。しばらく潮騒を楽しんだあとラジオを付けると、「広島FM」より「FM愛媛」の方がよく入る。なんとなく四国に来ている感じ。1枚目と同じ方向でマップルと重ねてみた。すぐ目の前の海上に県境がある。
 空には鳶。翼がもらえるならバイクは無くてもいい。。。結局この場所に居座り、桂浜(帰りに通過)と陀峯山はパス。


MAR.1-2 鍋山・高崎山
3/1 なんだかんだで結局1時のスタート。天気が怪しいので革ジャンではなくナイロンジャケット着用。
 4ヶ月ぶりの遠出。本来、1/5に考えていた行程で、やっと先週決行を検討するも天候がバツ。代わりに出かけた「のうが高原」で右足負傷。ダートでの怪我はある程度避けられないし、それ自体は仕方がないが、今年に入ってからの色々なトラブル考えると、思うところ多々あり。
 順調に飛ばしていたが、周南(徳山)あたりでパラっときた。そのまま走っているとすぐやんだが、宇部あたりで再び雨。徐々に強くなり、「もう無理」というところで見つけた「潰れたガソリンスタンド」に逃げ込んだ。今日はどういうわけか無性にカッパが着たくない。しばらく雨宿りをして様子を見てみることに。反対車線のバス停に一台の車が止まった。どうやらUターンしたい模様で、こちらに頭を向け転回し始めた。自然とヘッドライトがこちらを照らす…。誰もいない田舎道の「廃ガススタ」で浮かび上がる全身真っ黒の男。背筋がヒヤッとしたはず。想像しただけで楽しい。
 そうこうしているうちに少し小降りになりカッパを着ないで走り出した。我慢して走り続けていると、下関に入る頃にはあがった。
 その後順調に走行し「道の駅おこしかけ」(豊前市)へ。いつもここでトイレとコーヒータイムを取るが、昼明るい時の様子を見たことがない。(笑)
 「おこしかけ」出てから少しして東の空が白んでくる。深夜からずっと追いかけてきていた「冷たい下弦の月」とお別れ。気温は、標高上がった場所で一度だけ4℃があったが、概ね6-8℃で推移。高速道路ではなく、巡航速度も低いので苦になる寒さではなかった。
 7時過ぎ、無事別府市内に到着し、前夜買う事が出来なかったパンを手に入れるためコンビニへ。少し品薄だったがとりあえずゲット。バイクに戻りリヤタイヤをチェックすると、
「・・・。」
 もう言葉無し。タイヤを回して確認するまでもなく、見える所に思いっきり「マイナスビス」が刺さっている。今回はしっかりと修理道具を持っている。携帯エアポンプでは空気圧2.9まで入れるのが辛いので大きい足踏み式のも持ってきた。ただ気分的に…、
「もうええ…。」
 放っておいて鍋山に向かう。(チューブレスタイヤはよほどの切り裂きでない限り、刺さったままにしておいても空気はあまり抜けない。もちろん早めの修理は必要。)
 到着してすぐにテント設営。先客はバイク1台とスクーター1台。風呂に入っているのだろう。辺りはかなりの強風で、いちいちペグ止めしないとテントが飛んでいってしまう。この場所から湯船までダートを5分くらい登らないといけない。とりあえず朝食をとってからと思っていたが、疲れとブルーな気分からすぐに寝てしまった。

 夕方まで持ってきた本には一切手も付けず寝たり起きたりの繰り返し。といっても時間を損したような感覚はなく、言葉にするなら「有意義なぐうたら」。疲れとマイナスネジによる気分を払拭するには必要な代価だったような気がする。テントのフライシートに風に揺れる木の影が映っている。時折目が覚めた時、それを見ては幸せな気分に浸った。。。気温も春を感じさせる陽気で、お昼2時頃のテント内では長袖Tシャツとパンツ一丁でちょうど良い温度だった。
 昼間目が覚めているとき、駐車場の車が絶えることはなかった。。口コミで広がっているのかもしれない。夕方外を覗いてみると、もう車は一台もいなかった。やっと重い腰を上げ動き出す。
 ゴロゴロ石の道を上がって行くが、やはり足が痛い。この時、鎖場や急な登りのある無明橋は無理だと判断した。引き続き風が強い。
 下の湯船に着き後ろを振り返ると、別府と大分の夜景。二つの街を結ぶ海岸線S字には、ヘッドライトが光の道を作っている。
「これは写真に撮らないと!」
 3脚とカメラを取り出し撮り始めたが、今のカメラで長時間露光などした事無くデータを持っていない。「1秒」真っ暗、「3”2秒」まだ暗い、寒いのでやめ。この数分で手がジンジンに冷えていた。

 2秒で服を脱ぎ「ドッボ〜ン!」。
「最高…。」
 鍋山には二つの湯船があり、この下の湯(無色透明)に入ったのは初めて。もう少し登ったところに泥湯(ドロドロではなく白く濁っている)があり、今までそっちばかりだった。
 湯船に浸かってしまうと枯れススキが邪魔をして夜景が見えないのが残念。今この空間は、ビュービューと吹く風の音とそれに翻弄されるススキ、チョロチョロとお湯が流れる音のだけ。見上げると、もう一つ忘れてはならないものがあった。空に瞬く星々。
 星はそれほど詳しくないが、こういう形で見ることも少なくない為、ヴィクセンの星座早見盤を持っている。誰もが小学校の理科の授業で一度は使った事があるはず。(東急ハンズなどで500円くらいで売っている。)
 やはり一番目に付くのは最も明るいシリウス、そしてオリオン座のベテルギウスと、こいぬ座のプロキオンを結ぶ冬の大三角形。ちょうどこの時の視界で、ちょうど真ん中にあるのが、そのすぐ上にあるふたご座の足先で光るアルヘナ。
 たまに旅客機も通る。同じ視界に数機同時に飛んでいることもあり、意外と空も狭いなと感じる。中にはありえない速度で飛んでいく航空機もあり、チカチカしているので人工衛星ではないだろう。築城の自衛隊機か岩国の米軍機か…。
 遠近感のない夜空の天球。どこをどう見ても同一曲面上にある針穴。ゼウスが向こう側から針で突っついたとしか思えない。中世ヨーロッパに動物が重なったような面白い地球儀があるが、あれを否定できる知識を持っていない。
 自分の星から出ることも出来ない一宇宙生物が宇宙を語るなど究極の「井の中の蛙」。ビッグバンから広がり続ける宇宙の果てなど、自分の持っているわずかな知識の外では想像することすら不可能な世界。そもそも、今もっている知識ですら言わば教わってきた「教科書の受け売り」であり、実際、街で歩いている人を捕まえて宇宙の真理を聞いてみても答えられる人などいないだろう。仮にスティーブン・ホーキングが限りなくそれに近づいたとしても、「およその理論」であり「真理」ではない。
 何かに行き詰った時、何万光年も前の星の瞬きを眺めて、いかに自分がちっぽけな存在かを認識し、前向きに生きる。そんな所でいいのでは?
 翌朝のラジオでタイムリーな事を言っていて驚いた。太陽光も8分くらい前の光だそう。それはそうだろう。夜空の星に比べて太陽は身近な存在。光もリアルタイムな物だと錯覚していた。
 湯船から空を見上げた時、天球の中心にあった「アルヘナ」が、わずかに西へ移動していた。とある宇宙の片隅での一夜が静かに更けていくかと思われたが…。
 21時頃テントに戻り、夜のメインディッシュ「スープカレー」を食していると、車止めのタイヤを乗り越え、数台の車が入ってきた。テントのすぐ前で止まっているので、外を見てみるとビッグフット(巨大タイヤを履いて、車高を上げた四駆)。なにやら打ち合わせをして温泉の方に登って行った。その後が最悪。トライアル(難所を乗り越える遊び)を始めたようだ。確かにトライアル向きの地形ではある。だが、温泉を求めて来る人もいる公共の場で如何なものか?案の定、しばらくしてカップルが登って行った。すぐ降りてくるかと思われたが、結構な長湯でビックリ。
 何が最悪かってそのエンジン音。高回転でぶち回している上、時折、銃声のようなバックファイアが、「パン!パン!」と響く。静かな夜が台無しだ。時間差で数台が合流し、最終的には20台近くになっていたのではないだろうか?結局、0時くらいまでエンジン音が響いた。放浪旅ではないので、暗くなったら寝るという訳ではないが、何ともすっきりしない夜だった。

3/2 日の出前、目覚ましで起床。よく眠れた。なぜかと言うと、昨夜風呂から戻る際、食事で使って空いたペットボトルに、一番熱い温泉を汲んで湯タンポにしていた。保温性は抜群。朝触ってもほのかに暖かかった。外に出てみると、バイクのシートやタンクに霜が降りている。タンク内が結露してないといいが…。ここに来るには、かなりバンピーなダートを登ってこなければならず、少しでも車体を軽くする為ガソリンはすでにリザーブ。中で水が発生すると嫌だ。

 朝のテントサイト。一応道端なのでバイクを盾にして居室をガード、万が一倒れても居室を直撃しないよう少し離している。テント内部の頭が来る部分にはヘルメットを置いて安全対策。車ごと突っ込んできたらお手上げだが。。。

 朝日と朝風呂に向かうが、気掛かりは四駆軍団。あれだけの台数がテントのすぐ前を通り過ぎる訳だから絶対目が覚める。知らないという事はまだいるに違いない。様子を伺いながら登ってみたがなんと!一台もいない。帰り道は一つだけ。熟睡していたのか?温泉湯タンポ恐るべし。
 泥湯に向かう。上の湯船が空になっていて、下のはどう我慢しても入れないほど熱い。湯音調整用の水ホースを入れてみたが、とてもすぐ入れる状態ではなったので透明湯に戻った。昨日は暗くなってからだったので、たくさんのゴミが落ちていることに気付く。温泉卵に使ったであろうザルと食卓塩。使い捨て歯ブラシやその歯磨き粉チューブ。極めつけはT字カミソリ。さすがに裸足で歩く所ではないが、これには驚いた。荒れて閉鎖された無料露天がいくつかあるが、深夜のドンチャン騒ぎ宴会場にならない事を祈る。
 天気予報を聞いてテント撤収開始。夜には福岡で雷雨?これは早めに帰路についたほうがよさそうだ。念のため空気圧チェック。減っていない。別府の市街を抜け高崎山に到着した。昔、農作物の被害に苦しんだ行政が、一箇所に餌付けするという方法でそれを克服したという。実際、餌付けはされているが、本来野生の猿で、特に柵が設置してあるわけでもなく、その辺にウロウロしている。やはり猿は仲間だと感じた。鳥類以下と比較して目に意思が感じられる。ただ、彼らは人間をまったく相手にしておらず、好き勝手に振舞っている。毛づくろいをしている猿を観察していると、その指使いは人間そのものだった。

 雷雨を回避するため早めの帰路につく。別府では懐かしいジョリーパスタを通過。2000年沖縄からの帰り、最後の夜に立ち寄った店だ。やたらとアメリカナイズされた宇佐の市街も面白かった。「Welcome To USA(宇佐)」って…。
 その頃、北九州の友人やっこさんが、平尾台の山焼きに繰り出しているとのメール。タイミングが合えば会いたいし、平尾台はいつでも行けるとずっと先延ばしにしてきた場所。山焼きにいたっては毎年狙っているイベントだが未だ行けず。近くでは秋吉台や深入山などがあるんだが。
 行橋辺りでメールしてみるが、お互いバイクでの移動。なかなかリアルタイムでの返信は難しい。(この時点では車だと勘違いしていた)10分ほど返信を待ってみたが、またいつか再会できる事を祈って家路を急いだ。雨に降られる事無く無事帰宅。翌週、パンクも修理。
 この旅では同一場所へのリピートについて新たな考えに至った。06年12月に2度も訪れた鍋山だが、あの時の新鮮な気持ちをまったく感じることが出来なかった。そう考えると、やはり行った事のない場所を目指すのがベスト。再訪するにしても、かなりの年月を開けた方が良いような気がする。

FEB.23 のうがライテク
 2008年、非常にいいペースで出かけています。オンでは散々なスタートでしたが挽回中。それよりオフでの快調さが上回っています。
 さて、3週連続ののうが高原。先週は初めて泉水峠を下り、未熟さを痛感しました。今日は、かつて走り回った支道の現状を訪ねると同時に、丸太やステアケースにおけるフロントアップの高さコントロール、ガレ場でのトラクションコントロール、それらに伴う効果的な抜重を意識してアタックしてみたいと思います。
 11時スタート。取り付きのガレ場に人の乗っている黒い軽が止まっている。かなり怪しい。といっても向こうから見ればこちらこそ怪しい。
 雪は残っているものの、予想通り減っている。調子よくクリアしていると、中間地点で失速、右に傾いた。こういう時、フラットダートならマシン捨てて逃げるが、ガレ場ではマシンのダメージを避けたいため極力耐える。しかし、タイヤが石に乗っている状態で車高が高く、バイクと一緒に倒れてしまった。
「痛〜!!!」
 バイクにはさまれ、右膝外側のグリグリが尖った石にヒット。あまりの痛さにまともに立てず。。。オフに関して、こういうアクシデントは避けられないが、最初からこれではライテクどころではない。
 川を渡った所でお食事。今日はおかずの「かさ」を減らす為ラップで持ち出した。自分が江戸時代の旅人になったような気がする。徒歩しか手段の無い昔、こういう狭い登山道のような峠道で、葉っぱに包んだ握り飯を頬張る自分の姿。
 今日の広島は強風が吹いていて、杉の葉ががパラパラと落ちてきたり、木々が大きな軋み音を立てたり、まわりの何もかもが揺れている。鳥は現れなかったが、今日は木の精たちがこちらを伺っているような気がした。
 例の倒木。今日は雪が無いので、先日置いた石を外した。何度か挑戦してみるが、痛くて踏ん張りがきかない。
 頂上盆地に出て、グランドの方へ行ってみた。これまでに何度か、マイクロバスが向かっていくのを見た事があり、休日などに野球をしている気配が感じられる。実際、鍵がしっかりとかかっていて小奇麗にしてある。
 道端の斜面に登ってみた。2ステップになっていて、一段目でスピードをそがれ、二段目で失速。2回チャレンジするも撤退。
 展望台には行かず、そのままカート場へ降りた。泉水峠から反対側の、ふたこぶダウンヒル・ヒルクライム。ここももう5年以上来ていない。さらに鉄塔を下り舗装路へ出た。
 今度はカートコース上の広場に出る名無し林道。少し登ったが、もう廃道状態。雪もあってすぐ引き返した。
 玖島別れに向かったが、なんとなく消化不良の感じは否めない。思い立ち、大久保から再びダートへ。この道は、のうがへ登る最初のガレ場からさらに直登すると抜ける道で、急傾斜ガレからV字溝、急な下り後、ロックセクションを経て川を渡る超ハードアタックルート。以前はそこそこバイク通りがあったが、今日見る限りはもうその痕跡は見つけられない。正直なところ、反対から下るのは可能だが、逆からはまったく自信が無い。案の定、川を渡り、岩場をクリアしてすぐ助走の無い曲がりくねった急登となった。
「これは絶対無理!」と何度も独り言を言いながら、それでも挑戦し続ける自分に笑ってしまった。
 クリアしてもクリアしても続く登りにリタイヤ。先の様子を見に少し歩くが、右足が痛くてまともに歩けない。
「今日はこの辺で勘弁してやろう。。。」
 西広島バイパスに出て驚いた。
「嘘だろ?」
 もの凄い雪。道路脇法面の枯草にはもう積もっていて、井口あたりで危険を感じ下道に降りようと思ったが、何とか旭橋までたどり着いた。大分、延期して正解。明日もアタックのつもりだったが、この足では無理。


FEB.17 のうが高原雪中アタック#3
 先週、広島市内でも積雪がありました。今日も日中小雪がちらついていましたが、今週中頃より最高気温が10℃を超えてくるとの予報。今日を逃すと雪がなくなってしまうかもしれません。
 のうが高原は家からも近く、大抵14時15時に家を出ますが、今日は珍しく、冷蔵庫のありあわせを持って、午前中からのスタートです。
 時間に余裕があるので、ゆっくりと写真を撮りながら進んでいきました。量は増えていましたが、先週は握っても玉を作れないほどパウダーだった雪が、少しガリガリ君。グリップが若干いいような気がします。
 ちょうど12時。倒木のところで御飯にします。今日はガソリンストーブ(コンロ)を持ってきました。先週持ってきたガスは低温と風に弱く、沸騰まで時間がかかったのでその対策。それと、そこそこ燃費の高いガスに比べ、満タンでも650cc、全部使っても100円しないレギュラーガソリンの方が安い。気温は0℃を切っていると思われ、点けっぱなしにして焚き火代わりにするつもりでした。
 外で食べるお昼は「理想のイタリアン」に匹敵するくらいおいしい。暖かい「わかめスープ」で生き返ります。
 さっきから同じ色の鳥が、
「なんだ?コイツ?」と、離れたり近づいたり、こちらの様子を伺っています。
 見上げると、木漏れ日に照らされた雪が、キラキラと降りそそいできます。
「このために生きている。。。」という瞬間です。
 お腹いっぱいになり、リスタート。頂上盆地に出ます。この時点では新しい足跡はなかったのですが、登山道と合流する地点で、おそらく今日のものであろう新しい足跡を発見しました。
 いつもの展望台に登った時点では吹雪いていましたが、徐々に視界が開け、晴れてきました。強風に流された雪雲がどんどん遠ざかり、突き抜けるような青空です。同時にあまりの寒さにウエッジウッドのティーバッグを取り出し、ストーブの上に手をかざします。ガソリンストーブは大正解でした。
 ここの景色は最高。広島のデルタから広島湾へと続くパノラマは、グーグルアースを髣髴し、地形が立体的にイメージできます。360度写真を作ろうと思い立ち、回りながら撮っていきます。
 14時前から16時まで、2時間ほど頂上で過ごし、帰路につこうとバイクに戻った時すごいものを見つけました。
 なんと、バイクのリヤフェンダーからつららが垂れています。さらに、その中の一本は、強風にあおられあらぬ方向へ。感動しました。寒いはずだ…。
 帰ろうとカートコースに出ると、新しいトライアルタイヤの跡が。。。同じようなバカがいるものだとニヤつきながら跡をたどると泉水峠に消えている。
 この峠は、10年以上前に一度下ろうとしましたが、当時はどこに抜けるかわからず、引き返した覚えがあります。
 その後抜けられる事は知りましたが、通った事はありませんでした。いくつものタイヤの跡がおいでおいでしています。
 行っちゃいました。ところがこの道。かなりの難易度。きついです!この雪にもかかわらずここまで0ゴケだったのに3ゴケ。知り合いはここを登るといいます。信じられん。。。もう少しテクニックを磨きたいと思います。今期の雪中アタックの中でも一番楽しかった。冬は雪山を駆け巡り、夏は各地へ遠出する。幸せです。

 いつものスタート地点。昔ここでコケてミラーを割った事があり、取り外して登り始めます。トライアルやモトクロスをしている人は問題ないですが、街乗りしかしてない人は、「えっ、これ行けるの…?」という感じです。

 数年前まで、写真右手に道があり、そこを通っていましたが、災害によりご覧のとおり。偶然か人的か?倒れたコンクリートの溝で、最高のスロープが出来上がっています。

 川渡り。といっても浅く、大した難易度ではないですが、ちょっとしたアクセントになって面白い。夏、水温計が上がった時は、ここの水をぶっかけます。

 空を捕まえました。

 この場所のすぐ上に低い瀬があるのですが、飛び散ったしぶきが凍っていました。

 鳥が様子を伺っていた場所です。この倒木を一気に越せるようになるのが目標です。

 リヤタイヤの下にフロントアップしやすいよう石がおいてあります。先週、雪で滑って難しかったので設置。今日もこれがあると楽です。こういう道を走っていると、通り抜けるため、誰かが何かしら手を加えている事が多く、人の気配が感じられて楽しいです。ちなみに、94年からこの道で遊んでいますが、人(ハイカー)に出会ったのは一度だけ。タイヤのあとはよく見かけますが、おそらく、走る時間帯が違うんでしょう。15時から出かける人なんて少ないから。。。

 ランチタイム!これに勝るレストランなし。

 こういう場所が4箇所あります。落ちたら20-30メートルあり、15年前からほぼ同じ状態。意外に持ちこたえています。いつか落ちて通れなくなると時が来るはず。。。

 このまま、ずっと崩壊しない事を祈ります。

 ガソリンストーブ、MSRウイスパーライト。ホワイトガソリン用ですが、ずっとレギュラーガソリンを使っています。倒木の昼食場所と、この展望台で、ずっと点けっぱなしにして暖をとっていました。写真では日が差していますが、到着した時は吹雪。これがないと、とても長時間いるのは無理。

 くっつけただけで、補正してないので見にくいですが、廃墟がのうが高原。>奥に見えるふもとの市街地が宮島口。>すぐ沖の島が日本三景宮島。>白んでいるのは太陽光と、雪が降っていると思われます。>頂上盆地付近。のうが高原の営業時、左のアンテナから盆地の池までリフトが付いていました。>鉄塔のところから帰ります。>綺麗な月が見えます。>大きな赤白の鉄塔の奥が広島市中心部。そして広島湾。
 展望台の上に組んであるやぐらの上から撮っています。身体を持っていかれるほど強風が吹いていて、手がしびれるほど寒い。ストーブに飛んで帰りました。

 バイクのナンバーが付いているリヤフェンダーから垂れたつらら。展望台の上にいた2時間ちょっとでこれ。先っぽまで完全に凍っています。感動です。強風が吹いているため、左の一本が風にあおられて固まっています。南大東島の地底探険で見た鍾乳石、「ヘリクタイト」を思い出しました。このあと走り出したら、長いのはすぐ折れましたが、短いのはしぶとく頑張っていました。

 この写真はヤラセです。逆光が綺麗で、普通に撮ったけど面白くないので倒しました。ここまでは一度もこけなかったのですが、このあとハードな泉水峠下りで3ゴケしました。もう写真どころではなく、これが最後のカットです。


FEB.9 のうが高原アタック
 取り付き地点ガレからいきなり積雪。ただウッズセクションにはいると木の枝がが傘となり地面は露出している。
 ガレを登りきり右折してすぐの木橋がやばい。近い将来落ちるかもしれない。川までけっこう高さがあるので迂回は厳しい。もしここが落ちたら、反対側からしかルートはなく、深いV字に掘れたあそこを登るにはかなりのテクニックが必要。最後に登ったのは01年だがもう無理かもしれない。
※翌週2/17に確認しましたが、この橋が落ちてもすぐ上流部から迂回できそうです。ご安心を。
 なんでもない倒木にわずかながら斜めに進入し、久々の1ゴケ。雪で雰囲気がぜんぜん違うが、タイヤが新しいのでよくラッセルする。
 面白いのが足あと。動物もさることながら、トレッカーの足あとがけっこうある。人の事は言えないが、このクソ寒いのに物好きな人はいるもんだ。
 頂上盆地に出ると積雪は20-30センチに達している。山頂湖は結氷とまでは言いがたく、土手側の一部がシャーベット状になっている。
 池沿いに、普段行かない道を進んでいくと、ここにも一人の足あと。なんとも尊敬します。
 別荘地からアンテナまでの道がきつかった。ニュータイヤは平地ではグイグイ進んでくれるが、さすがに傾斜が付くとつらい。トラクションさせる事は難しく、空転しながら、ブロックをフィンにして進む感じ。斜度が上がると押す。そのうち水温ランプ点灯。気温は低いが、歩く早さでしかなくラジエーターに風は当らない。その上左右とも外から3列のフィンがつぶれていて放熱効果も落ちている。前回と同じく、休憩しながらラジエーターに雪を詰める。
 途中から車の跡があった。アンテナ施設につながっているので保守点検だろう。登山道に合流して足あとが一気に増えた。もう15年近く通っているが、けっこうな人が訪れているのだと初めて気付く。これも雪のおかげ。
 展望台は小雪が舞う強風。クソ寒いがバイク押しまくりのポカポカなので、紅茶を一杯飲むくらいの時間的余裕がある。
 帰りはいつものように反対側から。下りの舗装路に出て大転倒3回。これは仕方ない。フロントブレーキはまったく掛けられないし、リヤはロックするだけ、雪道では大したダメージはない。起き上がるときですら人間だけ転ぶ、そんな場所。
 タイヤの内側に雪を付け市内に戻ってきた。気付いた人は「どっから来たんだ?」と驚いてるに違いない。(笑)

 ステアケースの途中で止まってしまいました。かなり立ってます。立たせたまま写真を撮って休憩していると、エンジンがかからなくなりました(笑)よく見ると、クーラントのリザーバが半分も。(通常走行時は空)低速でのラッセルが原因です。

頂上盆地に出たところ

ニュータイヤ

展望台にてティータイム。

1

JAN.26 南原・彫刻村林道>鬼ヶ城山
 南原林道。最後は95年。この年は怒涛のアタックイヤーだった。特にのうがと彫刻村。モノクロームに熱中していた頃で、写真ページに載せている”FOREST”の何枚かはこのルートで撮った物。
 釣堀から前半の超ガレガレロックセクション。それを過ぎると展望のきかないタイトなクネクネの道が続き、県69に抜ける。途中、備前坊山山頂直下に至るピストン林道があったが、今はどうなっているやら。
 この林道で思い出深い出来事があった。95年夏、この日もガレガレを登っていると、前方から一人の男が歩いてきた。登山という感じでもない。よく見ると、片腕から血を流している。さらに…、近づいてきた男の顔を見て驚いた。なんと!同じ職場に勤めるN君。彼とは会社ではよく話す事があったが、プライベートでの接点はない。もちろんこんな場所で出会う事など想像もしていなかった。
 まず怪我の状態を確認し問題ないと判断、事情を聞くと、写真を撮りに来たこの先で車ごと谷へ落ちたと言う。(ジムニー1300)当時まだ携帯は普及しておらず、タンデムで公衆電話のあるふもとのコンビニまで下り、引き上げなど、いくつかの手配が一段落した所で彼が言った。

「楽しいですか?」

 よっぽど楽しそうな顔をしていたのだろう。。。
 普通の人には理解できないと思うが、4駆乗りやダートライダーにとって、アクシデントは後日、武勇伝に変わる。もちろんシリアスな怪我があれば別だが、身体の無事が確認できたらすぐやる事は記録写真。そして我に返り、恐ろしい修理代に愕然とする訳だ。
 しかし、N君はジムニー乗りではあったが、普通の人だった。人の不幸を喜ぶとんでもない人間と思ったに違いない。
 連絡も取れ、一人現場に向かった。彼のジムニーは、路面からすぐ脇の谷側に、木に引っかかった状態で完全にまっさかさまになっていた。木は何本も生えているし、九死に一生という感じではないが、谷底までの高さはかなりあり、引っかからなければ大変な事になっていたに違いない。路肩は大きく崩れた様子はなく、寄り過ぎたのだろう。
 車は無事引き上げられ、一時廃車宣告されたが、別の修理屋に持って行くと、再び乗れるようになったとの事。あえてここで彼に言いたい。

「怪我も大したことなく、車も戻った。あの出来事はネタ以外の何者でもない。」(笑)

 で今日。10年以上来ていないこのルートだが、台風での崩壊がすごいと聞き、ワクワクして乗り込んだ。が。。。走り始めの橋から、明神ダムへのピストン、峠両方とも工事作業中で腰砕け。あまり遠くにいきたくなかったので、近くの鬼ヶ城山へ向かった。
 こちらはたまに来るダート。しかし、中腹より想定外の積雪。意図した雪中アタックではないのでガックリ。タイヤはまったくグリップせず、水温ランプが何度も点灯。人間、バイクとも息も絶え絶え押し上げる。エンジンを止めてはラジエーターに地面の雪を詰め込む。じかに熱いシリンダーに雪を当てるのはさすがに躊躇。融けた雪が水滴となり、チャンバーがジュージュー湯気をたてている。
 というわけで、白木山尾根筋ルートの手前で体力を使い果たし引き返す。下りはふもとまで惰性で。この音が好きだ。普通ならエンジン音でかき消されている新鮮な響き。
 雪道では、「キュー」と雪を圧する音しか聞こえない。止まると、雪面には人以外の足跡がたくさんある事に気付く。自分が乱入者である事を認識。息を潜め、気付かない所からこちらの様子を伺っているに違いない。ふと、誰かに見られている様な気がした。
 高度が下がりダートに戻ると、「ジャリジャリ」と小石を蹴散らす音。時々、タイヤのブロックエッジが「パコーン」と小石を跳ね上げる。ブレーキングすると「ダダダダー」と減速、音をたよりにリヤをロック寸前でコントロールしたり、わざとロックさせて違いを楽しむ。同時に、「クゥーン」とパッドが鳴き、ディスクを挟みつける感覚が伝わる。時間が止まっているんだろうか?
 だがダートが途切れた瞬間、現実に引き戻される。2度の撤退で、なんとなく損した気分の午後だった。


JAN.19 のうが高原アタック
 06年11月以来。のうが高原とは、昭和50年代営業していた巨大レジャー施設。営業時何度か訪れた事があり、山頂から池に降りるリフトやお化け屋敷、流しそうめん、食堂で注文した「のうが焼き」であまりにも待たされ、キレた父が怒った事などよく覚えている。廃墟化してからは、94年に初めて到達して以来、アタックツーリングコースとして度々訪れている。ガレガレロック、倒木廃道、ステアケース、川渡りとあらゆるセクションが楽しめ、山頂の展望や、施設廃墟も含め、ベストプレイスから外せない場所。
 90年代、墓地を作る計画が浮上したが、地元の反対にあい白紙に。近年の廃墟ブームにより全国的に有名になり、新たな立ち入り禁止看板などが設置された。最近なにやら動きがあるというし、実際入り口にダンプが止まっているのを見たので行ってみた。
 相変わらず楽しい道。廃道というのは生きている。人間や自然の影響を受け、行く度に状況が変わる。そして、ギリギリの崩落箇所も数箇所あり、いつ通れなくなるかわからない。だからこそ行ける時に行くべきだ。
 知り合いから旧施設前の道路が封鎖されているという情報を得ていた。なるほど、建物前100メートル位がバリケードによって封鎖されている。山頂盆地の池を回りこみ、反対からアプローチ。この道を通るのは久しぶりだ。
 展望台前の広場に着いて驚いた。なんと「象のオリ」が出来ている。大きさこそ小ぶりだが、あの沖縄、読谷の楚辺通信所にそっくりだ。表示を見ると、「大阪航空局」とある。1年前にはこの広場で簡単なライテク練習をした。あの時が嘘のようだ。なるほど、もしかしたらこれを建設する動きだったのかもしれない。
 いつもの展望台で紅茶をいれる。明日の広島の最高気温は5℃。セクションクリアで汗だくになった体が一気に冷える。目の前にはいつものように広がる廃墟。この大浴場は、規模といい展望といい日本でもトップクラスと断言できる。もしまだ営業していたなら、月に一度は来ていただろう。今なら立ち寄り湯でも1,000〜1,200円位取りそう。それでもこの展望は捨てがたい。
 旧道を下ってみた。このルートのふもとには、常駐の警備員がいて、92年ごろ車で来てからは一度も訪れていない。その警備員に、かなりキツイ言葉で追い返されたからだ。そのため、エンジンを切って下る。途中には人の住んでいる家が一軒。さらにゲート近くまで降りると、同じく人の気配のする小屋があった。例の警備員と関係がありそうだ。ここでエンジンスタートし、また登っていく。
 頂上でエンジンをかけたとき、リヤブレーキのストップランプスイッチの引きずりに気付いた。「そうか。。。」最近、後ろに付いた車が、不自然な車間距離を取る事があった。恐らく、ブレーキランプが点灯しっ放しになっていたのだろう。調べてみると、ペダルの戻しスプリングが弱り、ブレーキそのものは引きずってないが、ランプが切れにくい症状が出ている。しっかりあげてやると消えるので、家に着くまではそれこそ左足のシフトアップのごとく、リヤブレーキペダルを上げてやるしかない。タイヤももう限界。たいしてスピードの出てない、なんでもないコーナーでリヤがスライドしまくる。冬のタイヤ交換は、ビードが固くて嫌だ。
 帰りはかなり寒かった。明日の中国駅伝の選手たちが気の毒だ。帰宅後、ペダルスイッチ調整。本来の状態に戻った。次回は安佐北区の南原林道へ。かなり崩落が進んでいると聞いている。この道にも忘れられない思い出がある。話はまたその時に。


Jan.14 リトライ
 12/31雪で断念したルート。広島市内でも最高気温10℃以下。さて、どこまで進めるか?早々撤退の場合は、久々にのうが高原に寄ってみるつもり。建屋を再利用して何かを作っているらしい。どう変わっているだろう。。。
結果。
 まず前回雪で引き返したルートからスタート。あの雪が嘘のようにない。航空写真では数キロで行き止まり、地図上には道があるので、どちらが本当だろう?航空写真は撮影時期が古いこともあるので、その後に道が出来ているということも考えられる。
 途中、登りの脇道に入って驚いた。この地域は広島では有名な湯来温泉に近い場所。そこそこ内陸部に位置するが、(市内の)黄金山や広島大橋がくっきりと見える。南にはのうが高原山頂の電波塔軍も確認できる。
 先に進んだが航空写真どおり、その先数百メートルで行き止まりとなっていた。
 引き返し、電波塔を目指す。別荘地を通過。けっこう廃墟と化した建物が多い中、しっかり管理されているものも多く、オーナーとお知り合いになりたい。今は寒いけど、夏は涼しくて楽しそう。
 目標の電波塔に到着したが展望は無し。そのまま帰るのも面白くないので、阿弥陀山西峰と書かれた登山道に進入。だが。。。
 タイヤが恐ろしくグリップしない。ここ数年、舗装路を走る割合が多く、オン寄りのTW302を履いている。さらのこのタイヤ。島旅の時、少しでも山のあるものをと取り出したかなりの古タイヤ。すでに2分山だし、気温と経年劣化で硬直している。おまけに道は厚い枯葉と霜柱でフカフカ。登らない!もう次のトレールタイヤを買ってしまっているが、無性にエンデューロタイヤ(オフロードに強いタイヤ)を履きたくなった。
 きれいな紅白の鉄塔に下にたどり着く。危ないとわかっていながら下ってしまい登れなくなる。鉄塔敷地内でルートはいくつかあり、トライしたが不可。体力もかなり消耗し、最終手段へ。2速で押しながら、斜面をスイッチバックした。スペースは広いので空気圧はそのまま。無駄に疲れた。。。
 見上げると、あのシンメトリーが広がっていた。青空に紅白が映える「TOWER2008」(写真ページ20.に。)
 最後のルートへ。実際のところ、15年近く前にウロウロしていた地域ではあるが、忘れていて新鮮。最終区間では、路肩にまだかなりの雪が残っていて、日陰ではその雪から溶け出した水が完全に凍っている。それ以外の路面は完全にドライなので、調子に乗っていると痛い目に遭うのは確実。
 二万五千分の一地図を使い、こういう形の探索をするのは久しぶり。GPSにも興味はあるが、自分の位置を簡単に把握できるのは味気ない。「ここはどこ?私は誰?」ならではの面白さと言うものもあっていいのではないだろうか?
 県道293から湯来経由で帰ったが、考えさせられる光景に出くわした。自然破壊や日本社会の崩壊を特集するテレビにうんざりするのは自分だけではないだろう。しかし、山奥の集落に点在する朽ち果てた民家や、子供のいない、老人のみの”とんど焼き”など、限界集落という言葉を思い出さずにはいられなかった。日本はどうなっていくのだろう。。。
 のうが高原は時間的切れまた今度。


Dec.31 2007 阿弥陀山北回りアタック
 07締め雪中アタック。といってもすぐに雪で撤退。積雪はアクスルシャフトまで達し、30センチはあろうかと思われます。先にはタイヤの後どころか足跡すらありません。
 島旅からそのままのツルツルトレールタイヤ。2速発進ホイルスピン、3速発進エンストの2サイクルエンジンではこのあたりが限界でしょう。
 ダートライダーだという事を再確認。200キロで飛ばすよりこちらの方が断然面白い。
 帰りに魚切の東屋でコーヒータイム。雪景色というのは見ていて楽しい。雲の流れによって色温度が変化し、青みがかったり赤みがかったりします。カメラもホワイトバランスに苦労しているようです。先日来た時と同個体であろうネコ発見。前もこの東屋にいたので入りたそう。ごめんな。雪がとけたらリトライです。