Iojiama

Day one ...
 準備に手間取り0:30に寝たにもかかわらず2:30に目が覚めた。長い旅の前にはいつもより少しテンションが上がる。すぐにネットに接続し天気予報をチェック。調べたのは新潟・佐渡と鹿児島・種子島屋久島地方、そして長崎南部。

 最初の目的地は佐渡だった。数日前の予報から1日は雨。旅の途中で降られるのは仕方ない。しかし、初日800キロの高速移動が雨なのは極力避けたいところだ。

 2案に浮かんだのが鹿児島トカラ列島。何度も行き逃がした都井・佐多岬をからめるルートは魅力的だ。地図とネットでルート検索していると、トカラではなく三島村の硫黄島が目に付いた。硫黄島といえばすぐに思い浮かぶのは「総員玉砕」、小笠原の硫黄島だが、調べているうちにこの硫黄島もただの島ではないという事がわかってきた。そういえば絶景の露天風呂「東温泉」の名前は何度も聞いた事がある。。。

 深夜割引のタイムリミットは4:00。ギリギリまで悩む。なぜなら鹿児島の天気も雨だったからだ。睡眠時間は2時間。休みは7日まで。行き着く結論はもうひと眠り…。あせる事はない。。。zzz…

 再び8:00頃起床。この時点でもう気分は鹿児島になっていた。島へのフェリーは3日鹿児島発で帰りは5日。リサーチによると食材の調達が不確定なので、初日は宿を予約。GW真っ只中、一人ということもあり無理かと思ったがあっさり取れる。4日はテントだが居心地がよさそうなら連泊しよう。船はないのだから3日がOKなら4日もOKのはず。

 あらためてバイクを整備。リヤタイヤがかなりきつい。全行程1500キロを予想。もつだろうか?昼御飯、食後のコーヒーを終えスタートは14:00。結局いつものパターン。

 通常料金の高速は高いので一般道で行ける所まで行く。しかし平日ではあるがGW中だ。レジャーの車が多い。その上、ネズミ捕りや白バイに何度も遭遇。中でも白バイが1台わざわざUターンして後ろについてきた。勘弁してくれ。しばらく50キロぴったりで走行すると、白バイはあきらめて路肩に寄せた。ミラーの中で見えなくなるの確認しアクセルを開ける。。。

 遅い一般車や白バイの追尾にうんざりし始めた16:00過ぎ、まよわず高速へ。割引の100キロ走行する頃にはちょうど17時を過ぎるという計算だ。山口南から小倉東。ちょうど100キロ圏内。
以降、年末年始に九重へ行った時と同じルートを一般道で南下する。
 20:00過ぎ、日田の「奥耶馬渓憩いの森キャンプ場」に到着。やられた!がっちりとゲートが閉まっている。どうやらこの時期はやっていないようだ。長年旅を続けていて寂しいと思うことはほとんどない。しかし唯一それを感じる時がこのパターン。
 暗くなり、空腹となり、寒い。周りに人家の明かりはなくテントサイトは見つからない。ほんとに帰ろうかと思う。(実際その気はないが…)

 さらにその先の伏木公園キャンプ場を目指す。地図には夏休み期間開設とあり嫌な雰囲気だ。たった数キロだがとても長く感じる。路上にはでかい蛙がいて低速走行。できるなら殺生したくない。何よりコーナーリング中フロントタイヤでヒットすると、こちらが転倒する。

 ヘッドライトに浮かび上がった伏木公園の文字にほっとした。先客は誰一人いないが、これに寂しさは一切感じない。時間を見ると21:00過ぎ。非常食の魚肉ソーセージとパンですぐに眠りについた。

 FMラジオから、Melody の”Be As One”が流れてきた。Melodyは気になっていたアーティストだったが音源は持っていなかった。旅先で聴く音楽というのは、家で聞くより深いところに入ってくる気がする。今これを書いているBGMは、Melody の New Album ”Be As One”しばらくこの曲を聴くと、伏木公園のテントの中へフラッシュバックするだろう。あの場所の風の音、空気、温度、匂いへ…。

307km

Day two ...

 明るくなった伏木公園はきれいな所だったが、残念ながら天気は良くない。出発前の予報どおり昼過ぎまで曇りのようだ。今日の目的地は宮崎・都井岬と鹿児島・佐多岬。

 大きなルート選択を迫られる。熊本へ出て高速に乗り一気に都城まで行くか。それとも渋滞を覚悟し一般道を延岡に出て宮崎を南下するか。
 検討の結果、宮崎ルートを選択。阿蘇・高千穂を抜け延岡からR10を南下。阿蘇から高千穂へのルートは、何度も通っているので走りながら景色を楽しんだ。
 やはり阿蘇は何度来てもすごい所だ。だが予想通り遅い行楽客の車に悩まされる。昼を我慢し、たどり着いた道の駅フェニックスでは、その時間食事は出来ないとの事。さらに道の駅なんごうのまぐろ丼も15:00で終わっていた。結局昼抜きで8時間走り続け、都井岬へ到着したのは17:00。ヨレヨレだ。
 だが岬の灯台からの眺めや馬たち、猿までも現れ、ハードな行程をねぎらってくれた。

 都井岬は気分を癒してくれたが疲労はピークに達している。明日のフェリーが9:30鹿児島港出港なので佐多岬はまたも延期。大隅半島を横断し桜島フェリーで市内に入ったのは昨日と同じ21:00。すぐに電話帳で天文館近くのビジネスホテル「メイト」を確保。白いシーツだ。

 シャワーを浴びすぐに天文館にくりだした。焼肉!このために港近くではなく天文館を選んだ。以前行ったのは「華連」と「和牛門」。フロントで「なべしま」を勧められるがまた「和牛門」に。特選和牛コース4500円と生2杯。昼抜きでここまで来て当然の選択。出発してから初めて幸せな眠りにつく。。。

497km [ 804km ]

Day three ...

 焼肉、ホテルのモーニングでHPは最大に回復。気が付くと時計は9:00前になっている。今までにないスピードで荷物をパッキングし、急いで埠頭に向かった。手続きもギリギリになんとか乗船。乗り遅れたらこの旅は終わりだった。2等客室は満員。最上階甲板のベンチを確保する。3時間の程よい船旅だ。

 この旅での第一友達は埼玉のバックパッカー立石君。開発総合センター裏のキャンプ場にテントを張るという。島の地形図を持っていてなにやら本格的だ。

 彼と話しているうちに開聞岳がしだいに遠くなり、最初の寄港地竹島、そして、目的地硫黄島が見えてくる。硫黄島のある三島村は、竹島、硫黄島、黒島の3島からなり、当初、全部の島にバイクで乗り込んでやろうと考えたが、フェリーが一日おきのため日程的に無理。いちばんインパクトのある硫黄島を選んだ。
 竹島は文字通り竹に覆われた島で硫黄島のすぐ隣。すぐとなりに見える硫黄島も含め、想像したより大きい。

 竹島港を出たフェリーは、噴煙を噴き上げ、印象的な硫黄岳側からアプローチする。この時は山頂は雲だか噴煙だかに覆われ見る事が出来なかったが、ふもとはそのまま海中に没するすさまじい光景だ。桜島もすごいが、外海にそびえる活火山はまた別物だ。

 さらに近づくと島の周りの海水がずっと赤茶色に染まっている。海中に鉄分を含んだ温泉成分が湧き出しているらしい。海上からみる硫黄島はトム・ハンクスの映画「CAST AWAY」か、昔見たアニメ、「ふしぎな島のフローネ」を連想させた。

 埠頭に到着すると物資を待つ島の人やお客を迎えに来た民宿の人などでにぎわっていた。とりあえず立石君と別れ、宿へ。フェリーから一番近い建物でとても便利だ。

 とりあえず荷物を置き、島に2件しかない商店へ向かう。品揃えを見ておかないと次の入荷は自分が帰ったさらに後。昼がまだなのでパン、明日テントかもしれないので魚肉ソーセージ、空腹時の非常用にポテトチップスを購入。ちょうど出たところで散策に向かう立石君と遭遇。しばらく話す。

 宿に戻り、自炊セットを持ち出し、島の北にある坂本(元)温泉に向かった。メインで有名なのは東温泉だが一応押さえておく必要はある。
 バイクのそばで、バックパッカー2人が昼食をとっていた。同宿だろう。見ると使用ストーブはドラゴンフライだ。かなりのつわものとみた。

 走り出しすぐに貸し自転車の立石君に追いつき、少し引っぱるが難しい。
「先にどうぞ。」との彼の言葉に甘え走り出す。温泉まではけっこうな距離があった。上陸した人たちはほとんど歩き。少し心配になる。

 不安要素がもう一つ。スリップサインが出た状態で強行したリヤタイヤだが、すでに800km走行し、センターの溝がなくなりかけている。島のアスファルトは傷みが激しく、骨材なのか?とがった小石が路面に浮いている状態。オフロードの経験からかなりスピードを抑えて走行。

 坂本につくと軽1BOXが1台。地元の人らしく海で何かをとっていた。御飯だけ炊き、レトルトカレーとインスタントみそ汁の遅い昼食。

 ここでたくさんの人と知り合いになった。鹿児島の先生とその友達3人組。東京から来たC夫妻。シーカヤックのグループ。冒険らんどの親子連れ。地元の海ぶどう養殖の社長。中でもこの4月から赴任してきたという三島小・中学校の先生と話が弾んだ。かれこれ1時間は話しただろうか。実はその先生、校長先生だったのだが…。

 そう、予感が当たった。海ぶどうの社長の車が、坂本温泉までの下りでフロントがパンクしたらしい。やはり島内で飛ばすのは危険だ。何より飛ばす必要はないし、大切なものを見逃してしまう。ちなみにパンクした車のタイヤに溝はまったくなく、スリックと化していた。

 時間も18:00を過ぎ夕食の時間が気になりはじめ、2人で坂本を後にした。

 帰りに、平家城をまわってきたC夫妻に追いついた。たった今、椿園で羽を広げた白孔雀を見たという。この島には半野生化した孔雀がそこらじゅうにいる。昔リゾート施設があった時の置き土産らしい。

 部屋に戻り、18:30ころには夕食となった。同宿は…
坂本温泉で会った東京のC夫妻。鹿児島のI先生、M先生、Sさん。(みな女性)。大阪のダイバー、Kさん(男性)とKさん(女性)。背の高さが印象的なパックパッカーのカップル。昼間自炊していた2人だ。まだ1才前後のお嬢さんを連れた親子3人。自分を含め計12人。今気付いたが満席だった。

 つなげた一つのテーブルに皆が座る。最初は少し戸惑ったが、その心配はまったく必要なかった。しばらくすると旅の話で盛り上がった。

 小さな島を旅する楽しみは、良い意味で見るポイントが限られる事だ。みな同じ場所に行くのだが、それでいて行く時間や移動速度、天候で感じ方が違う。「そんな所があったんですか?気付かなかった。また明日行ってみよう!」みたいな感じ…。

 しかしこのメンバー。。。濃すぎる!
 C夫妻などはえらくマニアックな場所を旅してるし、大阪の2人も海関係に詳しい。先生たちからは鹿児島の話が聞け、バックパッカーの2人には歩くスピードでしか見れないものがある。ここに泊まってよかった。この島を訪れている事自体、相当マニアックな面々だ。
 最終的にお開きになったのは22:00。3時間以上喋っていた事になる。

 部屋に戻りこれからが自分のペースだ。メインの絶景露天風呂「東温泉」へ向かう。最近の温泉は夜時間制限があるところが多い。いつでも入れてこそ温泉だ。星と月とそして海。この時間に湯船に浸かれないなんてこれほどもったいない事はない。タオルだけ持ってエンジンをスタートさせた。

 誰もいない温泉への道をヘッドライトの頼りにすすむ。少し肌寒い。明るいうちに位置を確認していないので、アスファルト舗装が終わるところでバイクを止め、さらに懐中電灯を頼りに歩く。この道であってるかと心配になりかけた時、ライトの先に緑色の湯船が浮かび上がった!やった!!!

 まさに至福のとき。天空には流れ星の流れる満天の星、東の空には湯船を程よく照らす三日月。そしてたった一人素っ裸で入る幸せ。。
 昼間入った人の情報ではけっこう混み合い、その場合水着を着て入ったとの事。水着など持ってきてないし、着て入るなど嫌だ。星空を満喫し宿に着いたのは23:30だった。

 バイクを止めていると後ろに人影が!拉致されるのかと身構えるとI先生とSさんだった。ここでもしばらく星を見ながら話した。これが旅の夜。。。遠くで孔雀が鳴いている。。。

走行距離15km。本来の姿。

15km [ 819km ]

Day four ...

 6:30起床。食事までボーっとしていたが7:30を過ぎても呼ばれる気配がない。窓の外には海を見ながらたたずんでいるSさんが見える。

 中途半端な時間をもてあまし、外に出ようと食堂を確認すると、バックパッカーカップルと親子3人がすでに食べ始めているではないか!あわてて席に着いた。

 C夫妻は、夜明けに東温泉に行ってきたとの事。5:00頃には着いたらしいが、すでに先客の若いカップルが入っていたらしい。おそらく、立石君とテントを張っている2人だろう。

 朝食後、みなぞくぞくと出発していく。C夫妻や先生たちは車を調達してきた。当然の選択だ。昨日走ってみて、歩いてまわるには微妙に大きな島である事はすぐわかった。各ポイントからは必ず町中を経由するため、誰かとどこかで遭遇するだろう。

 部屋に戻り重要な選択をしなければならない事を忘れていた。今夜どこに泊まるかだ。テントを張るつもりでだったがそれはいつでも出来る。それよりこの濃い面々たちと別れる事は大きな損失だ。気分は迷っていながら、実は連泊は必然だったに違いない。なぜなら、開かれた荷物を片付けようという態勢はまったくなかった。
 女将さんに伝えるとあっさりOK。今日、島に来る船はないのだ。

 今夜の宿も決まり、くつろぎムードに。テレビのワイドショーは平塚の事件一色。宿を出たのは10:00。

 最初に向かったのは総合センター前の俊寛像。彼が流刑になった鹿ケ谷の陰謀は、中学の歴史の授業で記憶に残っている。そばにいたおじさんと、像の説明文を読む。
おじさん : 「(俊寛が)37にしちゃずいぶん老けてるな。」
自分 : 「ほぼ同年代ですよ。」
おじさん : 「とても同じ年には見えんよ。」
 おじさんは冒険らんどにに宿泊中。冒険らんどとは島のアウトドア宿泊施設で、バンガローや常設テント、テント持ち込みも可能だそうで、価格も非常に安い。

 どこから来たのかと訪ねると和歌山は御坊から。御坊といえば煙樹海岸だろうという事で、ローカルトークに花が咲く。


俊寛像 May 4 10:13

 次に向かったのは通称「恋人岬」と呼ばれている永良部崎。途中の景色が圧巻だった。
集落からの坂を上り、最初に広がったのは広い丘陵地帯。遠くに海を望む牧場は、一瞬、宗谷丘陵を髣髴させたが、決定的な違いはホルスタインではなく黒毛の牛だった。

 牛たちがたむろしている場所に近づき、エンジンを切って惰性走行。パイプ椅子を取り出し座り込むこちらに、牛たちは全員注目している。

 吹き抜ける風と、草を噛む音だけが時間を止める。自分がいてもいなくても、この光景は日常として過ぎていくのだろう。この感覚が好きだ。違う空間にタイムスリップしたような…。

 30分も過ぎると彼らのこちらへの警戒心は薄れ、完全に同化していた。岬の方角から同宿の2人が歩いてくる。1頭がゆっくりと立ち上がりウンコをして歩き出した。すると次々に用を足して歩き出す。何か合図があるのだろうか?それとも「もう行けよ。」と促されたのか。。。
 2人とすれ違いざま軽く挨拶し岬のほうへ進む。

 またしても寄り道せずにはいられない場所が現れた。急にくぼんだ尾根筋をつなげる短い橋なのだが、硫黄岳をはじめ島が一望できる。先ほどの俊寛像もよく見える。防波堤で釣りをしている人。浜辺を歩く人。常に下から吹き上げる強風に、雲上から下界を眺めているような錯覚を覚える。


風の橋から見た集落と矢筈山 May 4 11:28

 恋人岬からの眺めは最高だった。ベンチや東屋もあり、また長居してしまいそうだ。

 眼下に港と集落、左には矢筈山。真正面に稲村岳。そして、その奥に硫黄岳が噴煙を上げている。どうしても硫黄岳に目を奪われがちだが、矢筈山もいい味を出している。硫黄岳と稲村岳は、ちょうど阿蘇中岳と米塚のような雰囲気。

 そうこうしているうちにおなかが空いてきた。腹時計は正確だ。宿で作ってもらったおにぎりとグレープフルーツ2個。おにぎりにはゆで卵や山菜が付いていて気が利いている。グレープフルーツは福岡・行橋のスーパーで買い一緒に旅をしてきた。食後のコーヒーもうまい。

 10年以上愛用しているストーブ(キャンプ用コンロ)の調子が悪いので、分解修理をしていると最初の訪問者が現れた。同宿の親子3人だ。
 あまりしゃべらない2人だったが、この晩の会話でお父さんの方はブラックバード乗りという事が判明。しかしここでは軽い挨拶のみ。

 次に現れたのが立石君と一緒にテントを張っている若い2人。実際に話すのはここが初めてだ。立石君に今日も宿に泊まる事を伝えておいて欲しいと頼んだ。

 すぐに3番目の訪問者が現れたのだがこれが不思議。新顔だ。10人くらいのグループでおじさんから子供までいる。水着を着ている人もいてフェリーでは見かけた覚えがない。話していて驚いた。

 彼らはなんと今日自分たちのヨットで来たという。それも大阪から鹿児島へ、そこで飛行機で来た家族を拾い、種子島から屋久島をまわってここに来たという。どおりで見た事がないはずだ。「フェリーがない=誰も来ない」という認識は間違っていた。とんでもない人たちが集まる島だ。

 テントの2人から重要な情報を得た。飛行場付近で白い孔雀を、それも2羽見たという。「よしっ探しに行こう。」時計を見ると14:00。また2時間たっている。ゆっくりと、最高の時が流れていく…。

 まず飛行場へ。ヨットのグループの1BOXを追い抜く。特に見るものはなかった。そのまま大浦湾方向へ。広い草地で普通の孔雀が鳴いている。さらに遠くに目をやると
「いたっ!白だ!」それもたくさん。「あんなにいるのか?」と、じょじょに近づいていくと全然違う白い鳥だった。がっかりしたすぐその矢先、
「いたっ!!!」今度のは本物だ。羽を開いてこそいないが、長い羽を揺らしながら歩く立派なオスだ。エンジンを切り惰性で近づくが、すぐに草むらに消えていった。仕方なく先に進む。
 違う草むらで普通の孔雀が突然飛び立った。直後、すぐ近くに白孔雀を発見。時間と距離を考えると、先ほどのとは別個体だ。離れては行くが、しばらく姿をとらえる事ができた。
「こんなもんだろう。。。」

 大浦湾では釣り客数人、そして孔雀を見ている間抜いていったヨットのグループが、シュノーケリングを始めていた。透明度は高く、泳いでいる魚が見える。

 大浦湾で島の西側は全部まわった。次に向かったのは反対側。北東部に突き出た平家城。途中、見逃していた俊寛堂へ。バイクを止めリュウキュウチクに覆われた小道に入っていく。
「なんだこれは?」
 わきは竹が生い茂っているのだが、地面全体が苔で覆われている。いかにも滑ってこけそうで慎重に進むが、意外に乾燥していてしっかりとグリップする。だが苔のイメージというのはおそろしいものだ。頭では滑らないとわかっていても、足が確かめながら進んでいく。何とも不思議な空間だ。

 「まだかな?」と思い始めた頃俊寛堂に到着した。そこにはかんぬきのかかったお堂とその説明文があるのみ。俊寛伝説は他の島にもあり、いまいち説得力がないが、俊寛がここで暮らしていたと考えると気の毒に思わずにはいられない。「まだ若いのに…。」

 俊寛堂からすぐ行った所に、昨日C夫妻が羽を広げた白孔雀を見たという椿園がある。
「行ってみるだけ行ってみるか。」入り口から歩いていると、後ろから良い音をした2ストエンジン。振り返るとおばちゃんがパリパリ言わしながら走ってくる。何をしに来たかはすでにわかっていた。竹の子取りだ。先に進むとヤブからがさごそ音がする。「来た!今日3羽目の白孔雀か?」と思いきや違うおばちゃんだった。
 あきらめ反転して帰路につくと、またさらに違うおばちゃんに出会ったので、白孔雀について聞いてみたが、孔雀の行動まで把握してるはずもなし。しかし竹の子。そんなに取ってなくならないのかと思いかけたがすぐに考え直した。ほぼ島全体が竹に覆われているのだから。。。

 昨日行った坂本温泉への分岐を右におれ平家城へ。島北東部に突き出た高台で、オレンジ色に染まる穴之浜がずっと先に続いていた。裏側から見た硫黄岳もまた違った印象だ。


平家城から北の断崖を見下ろす May 4 15:39


平家城から見た硫黄岳北側 May 4 15:47

 ここにはテーブルとベンチもあり、高台で見晴らしも良い。「テントを張りたいな。」と思った。

 平家城でもやはり1時間以上ゆっくりし、とりあえず見るところは見た。一度宿に戻りバイクを置き今度は集落を歩いてみよう。

 歩き出してすぐ大阪のKさん(女性)に出くわした。大浦湾以来顔見知りに出会わなかったので新鮮。軽く挨拶を交わし神社の方へ、さらにウロウロしながら総合センター裏のキャンプ場へ。テント組が気になったからだ。立石君とは昨日昼間に別れたきりだ。

 総合センターの広場で「こんにちは!」と少年。この島の子供たちは、見ず知らずのよそ者にも挨拶してくれる。そのわきを通り抜けキャンプ場に出る。例の若い2人と立石君が談笑中だった。

 彼はやはり硫黄岳の展望台まで行ったとの事。最初に船で話した時立ち入り禁止の情報を教えてくれたのは彼だが、行きそうだなと感じていた。さらに近くで見る山はどんな姿なのだろう?

 今日も宿に泊まると軽く詫びつつ、釣りに行くと先行した2人を追った。ちょうど宿の前で校長先生と再会、3人で立ち話。ただの世間話なのだがどこか実のある会話だ。

 防波堤ではテントの2人とI先生が釣りをしていた。港の海は外海のそれよりさらに茶色で、とても魚などいそうに見えないのだが…。

 I先生の釣果は…。5時間でアジ2匹。なんと原価と拘束時間の高いアジだろう。彼女らは午前中車でまわり、昼からじゅう釣っていたらしい。でも良い時間の使い方じゃないか。島時間。

 夕食の時間が近い。立石君たちに別れを告げ防波堤を後にした。何よりI先生のそばにいると、3匹目のアジになりそうだ。

 2泊目の夕食。なんて言うのだろう…昔からの友人が集まったかのような雰囲気。すぐに楽しい宴が始まった。この日はビールを注文。昨日は昼間位置と距離を確認していない東温泉にバイクで向かうため飲まなかった。場所もわかっている今日は歩いて向かうつもり。飲酒OKだ。

 まずC夫妻。午前中は借りた車でまわり、午後から宿の本棚にあった厚さ5センチにもなる「三島村誌」を読みふけっていたらしい。本の内容を色々語ってくれたが、結局のところ「よくわからなかった。」(Cさん談)らしい。。。笑

 バックパッカー2人が椿園で見かけたというが、残念ながらこちらは気付かなかった

 先生たちは午後から釣り。

 そして、今夜の主役は間違いなく大阪のKさんたちだろう。男性のKさんは竹島近くまで潜りに行き魚を獲ってきたと。その後が最高だった。話題が俊寛堂の話に移り、そこでKさん、
なんと!あのかんぬきを抜いてお堂の中を見たという。一同大爆笑。
 「バチが当たるぞ。」とか思いながら、中はどうだったか興味津々だ。中は賽銭箱くらいで大した事はなかったらしいが、あの扉を開けるという暴挙に今思い出しても笑いがこみ上げる。

 ダメ押しは女性のKさん。続いて話題に上った硫黄岳。Kさんさらりと、
「展望台まで登ってきました。」それも一人で。

「えっー!!!」一同驚きと大爆笑。

 硫黄岳は今現在立ち入り禁止。何でも、車が崖から転落したとか、火山ガスで危険だとか情報を得ていた。入り口には鉄パイプのゲートがあり、車輌進入禁止になっている。さらにKさん、途中で立石君とすれ違ったらしい。立石君も同じ事を言っていたような気がするが、
「車輌はダメって書いてあったけど人がダメとは書いてありませんでした。」それはそうだが…(笑)と思いつつ、もう心は。。。

「明日朝登るしかない!」

 当然1人を考えていたが、同じく立ち入り禁止で登山を諦めていたCさんと2人で登る事になった。朝5:00スタートを約束しCさんは部屋へ。

 こちらは今夜も星空の東温泉だ。ビールやKさん提供の焼酎も入っているので、歩きのつもりだったが、ダイバーKさんたちも一緒に行く事になった。先生たちも行きたかったらしいが、宿の風呂は23:00まで。頭を洗いたいのでその後気力があれば来るという事でとりあえず3人で出発。
Kさんが車を調達。

 昨日と違い3人で見る星空はやはり言葉を必要としない。しかしあれだ。絶景露天風呂といいながら、その絶景たる昼間の景色をまだ見ていなかったりする。

 車の戻ろうと歩いていると向こうから電灯の明かりが。「自分たち以外にもこの時間に来る人がいるのか。」と驚いていると、先生たち3人だった。この暗がりに歩いてきた事にさらに驚く。徒歩だと25分くらいはかかるはず。軽く足湯して全員で宿へ。さて明日も早起きだ。

20km [ 839km ]

Day five ...

 5:00前起床。外はまだ暗い。今回の旅は夜更かしと早朝行動が多く、身体は明らかに疲れている。だがこれから目にする景色は疲れを吹き飛ばしてくれるだろう。5:00ジャスト、Cさんとともに硫黄岳へ。

 東温泉への分岐まで20分。さらに北に折れ5分。例のゲートに到着した。確かに「車輌通行止」だ。ここからが実質的な登山開始。しばらくは歩きやすいアスファルト。Cさんと色んな話をしながら登っていく。ヨットや登山、バイクにも乗っていたというアウトドアの先輩だ。高度が上がるにつれ徐々に路面が荒れてきた。といってもまだまだ車でも通れる道だ。

 そうこうしているうちに、ふもとからも確認できるつづら折りに到達。この辺りからスゴイ強風が吹き付ける。特に海側のUターンはさえぎるものもなく飛ばされても不思議はない。崖から車が落ちたというのもまんざら嘘ではなさそうだ。

 登りきった所が目的の展望台だった。広い柵の中にぽつんと見張り台のように建っている。
木製なので階段は朽ち果て抜けそうだ。強風や火山ガスにさらされかなり苛酷な環境。耐久性を求めるのは無理だろう。立石君やKさんも昨日ここまで来たはずだ。

(まだ時間はある。)おそらくCさんもそう思ったに違いない。さらに先を目指して歩き始めた。

 硫黄岳はだんだんとその姿を変えはじめる。展望台まで景色の主役だった緑の草はなくなり、ごつごつとした岩にとってかわられた。もう生物は生きられない。路面は落石だらけで車で来ても進むことは不可能だろう。

 見上げると噴煙を噴き上げる山頂はすぐそこに見える。と同時にその斜面には岩、岩、岩。さらに激しさを増す強風に一つが転がりはじめたら即あの世行きか?

 Cさんに
「落ちてきたら逃げるのは山側にはりつきですか?」するとCさん、「海側じゃない?」この馬鹿な会話が楽しい。

 さらに、法面や路面に手を置くと暖かい。そこらじゅうで蒸気がシューシューいっている。箱根の側溝から出てる湯気とはわけが違うぞ!すでに舗装路面は落石に覆われ見えない部分の方が多い。
「すごい…」
この空間において自分たちがどれほどちっぽけな存在か。。。矢筈山、稲村岳はすでに見下ろす高さ。恋人岬、東温泉、はるか遠くのようでもあり、手を伸ばせば届きそうでもあり…


硫黄岳より May 5 6:16

 この辺りで残念ながらタイムリミットが近づいてきた。今までの時間を逆算し朝食までに帰らないといけない。(もう少し先に行ってみたいが…)足元の石は黄色の硫黄ではなく白い結晶に覆われている。これがシリコンなどの原料になるケイ石だろうか?後のネット検索によると頂上付近で97年まで採掘が行われていたらしい。先に行きたい気持ちを抑え下りはじめた。


あきらめ、下り始める May 5 6:18

 展望台まで戻り上を見上げると引き返した地点よりすぐ先で道が崩落しているように見える。
「やられた!」
もう少し行ってみるべきだった。Cさんとくやしがる。どちらにしてもいい経験だった。元気でいればまた来る事も出来るだろう。「また会おう硫黄岳。」

 朝食後やることは荷物のパッキングだけ。フェリーの出港は10:00。違う宿に泊まった人たちも続々と集まってくる。行きのフェリーやその後の島内で見た顔も多い。

 バイクに荷物を積み終え女将と話していると孫らしき男の子が乗りたそうだ。というより女将が乗せたそうだ。自分の前に座らせ走り出す。乗り場までの短い距離だが喜ぶ孫。乗り場にいたテントの2人と立石君。
「いつの間に子供作ったんですか?」(笑)

 バイクから降ろすと糸の切れた凧のように消えていく孫。遅れて下りてきた女将が写真を撮っておきたかったと残念がるもすでに手遅れ。どこにいるかわからない。旅人の素質がすでに備わっているとみた。

 旅先でたまに興味を見せた子供を乗せてやることがある。小さい頃のそういう記憶は忘れない。将来のライダー予備軍だ。

ここから空想シーン

〜20年後〜
 地元のいつも通る交差点で信号待ちをしていた。週一で通っている浪曲教室の帰りだ。おれももう年を取り頭は真っ白。動体視力は落ち、スピードが出るバイクには乗れないが、
原チャリ姉ちゃんには負けたくない。
 愛車は「HONDA SUPER CUB 500 RR」(ほんだ すーぱーかぶ ごひゃく だぶるあーる)
6速ロータリー。高速から低いギアに落とすと、強力なエンブレで人だけ前にすっ飛んで行きそうだ。最高速はどんなにひっぱっても200キロが精一杯。

 そこへ後ろから来たバイクが並んだ。カワサキの最新型、「ZZZ 1800R」(とりぷるぜっと えいてぃーん あーる)なんか居眠りしそうな名前だが250馬力を超えるモンスターマシンだ。

 リヤシートには荷物が満載。黄色い三角の旗を立てている。そこには、
「SAFETY SUMMER HOKKAIDO 2026」その下に小さな赤丸で「国後(くなしり)」とプリントしてある。そういえば国後のホクレンスタンドでしかもらえない旗の事は聞いた事がある。おれたちが若い頃あの海には国境があった。今は羅臼、標津、根室から定期船が出ている。

「北海道帰りか…」と突然そのライダーが振りかえり話しかけてきた。

「この街にコインランドリーはないですか?」信号は青に。

「渡ってから路肩に寄せなさい。」交差点内を彼の後ろにつく。鹿児島ナンバーだ。

「洗濯なら家でやっていきなさい。鹿児島からかい?」

「はい。」

「わしが若い頃バイクで硫黄島という島に行った事があるがすごい島だった。」

「えっ?ボクはその島の出身です。」

「ほーっ、それは奇遇だね。あの時XXXという旅館に泊まったんだが…。」

「何で知ってるんですか?『XXX』はボクの実家です。」

「えっ?まさかキミはあの時の。。。」

空想終わり


 フェリーに乗り込み最上階甲板に出た。埠頭のみんなが手を振っている。あと2日島に残るバックパッカーのカップルともお別れだ。元気で、良い旅を。
 そして、ありがとう硫黄島。感覚的に感じる。いつの日かまた来る事になるだろう。


帰りのフェリーから硫黄岳東側を望む May 5 10:23

 フェリーは行きと同様、竹島を経由し順調に鹿児島に向かっている。そろそろ本土上陸後のルーティングを決めないといけない。長島から天草を抜け島原へ。テント泊し長崎・端島上陸のはずだったが。。。週間予報どおり6日午後から雨。

 地図を見ているうち気持ち悪くなってきた。外海で揺れはするが、まわりの人たちはピンピンしている。睡眠不足がピークか?風に当たりに甲板へ出た。

 テントの2人の隣に座り、ここで初めてプロフィールを聞く。2人とも某大学歯学部の学生。
彼は福岡からだが彼女の出身地を聞いて驚いた。なんと新潟出身。
 この旅はこんなところにオチを持ってきた?今回のルート第一案新潟。佐渡の事を聞きだす。鹿児島の離島帰りのフェリーで、新潟県人に出会う確率は決して高くはないだろう。もし佐渡に行っていたら…帰りのフェリーで鹿児島県人と出会っていたかは神のみぞ知るというところか?

 立石君から市内とんかつの店「六白」へのお誘い。テントの2人もおすすめらしい。遠くに目をやると、硫黄岳の噴煙は遠ざかり、開聞岳の美しいラインが見えはじめている。

 ロビーに下りみんなとアドレス交換。Cさん夫妻は佐多岬・都井岬などまわった後、翌月曜に屋久島へ。大阪Kさんたちは水俣方面。立石君はまだ未定。何かの縁で点となっていたみんなが、再び線となり飛び出していく。



と思っていたが…それは少し先に伸びた。I先生より企画。例のアジ2匹とKさんの獲った魚で宴会だ。この時点で参加は3人。少し寂しいが楽しみには違いない。

 フェリーは無事鹿児島港に接岸。みんなと別れの挨拶。夏にはぜひ軽井沢で再会したい。ありがとう。さようなら。

 立石君と「六白」で待ち合わせ店内へ。特上の黒豚とんかつを頼むがなんと売り切れ。そんな商売っけのない…。仕方なくその下のおろしとんかつ。こちらももちろん黒豚。

 立石君も宴会に誘ったが、徒歩でのアクセスが悪そうで、結局吹上浜YHに予約を入れた。この週末、浜では砂の祭典が開催されておりこちらも興味深い。この先も無事を祈り、握手を交わす。

 立石君と別れ宴会会場に設定した国分キャンプ場へ向かった。きれいな浜と芝の緑が美しい無料キャンプ場。すぐにテントを張り落ち着く。ここで長崎・端島は中止という最終決断。やはり天気は雨だ。

 Sさんよりメール。先ほど別れを交わしたCさんたちも参加との事。予想外の早い再会に笑ってしまった。しばらくしてほぼ同時にI先生、Sさん、Cさん夫妻到着。I先生のキャンプ道具は充実している。楽しい宴会になりそうだ。

 途中からI先生の知り合い家族(やはり先生)も加わり、総勢大人7人赤ちゃん1人、プラス1匹(Cさんとこの犬ロコちゃん)で盛り上がる。旅館での3泊目ではないかと錯覚するほど。Cさん夫婦の馴れ初めや先生たちの離島勤務の話は面白かった。途中、あまりの眠気に意識を失いかけた時はあったが・・・(笑)

 お開き後みんなを見送る。楽しい夜をありがとう。Cさんはキャンプ場の駐車場で車中泊。早朝から佐多岬へ向かうとの事。今度こそ再会を約束しテントに戻った。祭りの宴の寂しさを感じる間もなく爆睡。

54km [ 893km ]

Day six ...

 5:00起床。十分寝たわけではないが、明るくなると目が覚めるのがテント泊。すぐに駐車場を見にえん堤に上がるが、Cさんはすでに発っていた。ここで昨夜の宴会とのギャップに寂しさを感じる。
 気を取り直し今日の天気をチェック。やはり雨。
 「決断だ。帰路に着こう。」I先生が車で案内してくれるという魅力的な提案もあったが、もう1日延ばすとずっと降りそうだ。

 だが理由はそれだけではない。出会った人たちと硫黄島の強力なロケーション。雨の中もう2日まわったところで、それに勝る場所などないだろう。旅が消化試合となるのは目に見えている。
撤収!

 7:00ジャスト。国分キャンプ場を発つ。

 溝辺鹿児島空港より高速へ。八代IC、1回目のカードチェンジ。南関IC、2回目のカードチェンジ。割引リミットの9:00までに休憩無しで距離を延ばす。古賀SAで最初の休憩!と思ったが、手前で雨がぱらつきはじめた。
「くそっ。」最近カッパを着るのが非常に億劫だ。東の空はまだ明るい。
「よしっ!逃げるか。。。」
せっかくの大休憩を給油のみに変更しすぐ発進。若宮ICで3回目のカードチェンジ、これよりノンストップだ。もう書いて残すような出来事は何もない。

 そして12:00ジャスト、その後一度も降られずに無事帰宅。(雨は広島でも15:00ころから降りはじめた。)

人、場所、空、海、この旅のすべてに感謝!!!

547km [ 1440km ]

 予想した走行距離がほぼ的中したが、天草、長崎をまわっていたらプラス200キロ前後にはなっただろう。。タイヤは十分持ち、現在も引っぱっている。近場をつなぐならまだいけそうだ。

 出会った人たちはその後みな無事帰宅した。また再会したい人たちばかり。

5/21

 今日(5/21)出かけたのは山口県周南市鹿野の長野山緑地公園。通常のデイキャンプだが、硫黄島に持っていった食材の残りを消費した。カレーなどは行く前に地元で買ったものだが、「まろ茶」は硫黄島の商店の自販機で買ったもの。ずっと封を開けたくないがそうもいかない。口にすると、あの店の前の休憩所で立石君と話した時間に戻る。

 本木修次の「無人島が呼んでいる」を、本棚から取り出し持っていった。宿の本棚にも本木さんの離島本が置いてあったからだ。2000年鳩間島の民宿で出会い、三冊揃えたうちの一冊。


硫黄島の「まろ茶」 May 21 13:44