論理哲学論考 1-7 6.1-6.5 6.21-6.24 6.231-6.234
      
6.232 フレーゲは言う。これらふたつの表現は、同じ意義〔Bedeutung〕をもつが、相異なる意味〔Sinn〕をもつ、と。
等式で本質的なのは、だが、等号が結びつけるふたつの表現が同じ意義をもつことを示すのに当の等式は必要ではないということだ。それは両表現そのものから察知され得るのだから。
6.2321 そして、数学の文一般は証明され得るということが意味するのは、数学の文の正しさは、それが表現していることがらそのものがその正しさの点で事実と比較されるのを必要とすること無く、悟られ得るということに過ぎないのだ。
6.2322 ふたつの表現の意義の同一性は主張され得ない。というのは、それらの意義について何かを主張し得るためには、私はそれらの意義を知る必要があるが、それらの意義を知ることで、私はそれらが同じものを指すのかそれとも別々のものを指すのかを諒解するからだ。
6.2323 等式は、私がそこから当のふたつの表現を考察するその観点、つまり、それらの同義性という観点をマークするだけだ。