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6.11 |
論理の文全般は、だから、何も述べない。(それらは分析的文だ。)
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6.111 |
論理の何らかの文を内容に充ちているように思わせる理論はきまって誤っている。ひとは、例えば、「真」および「偽」という語は諸属性のうちの或るふたつの属性を特に表示すると考えるかも知れないが、そうすると、どんな文もこれらの属性のひとつをもつことは奇妙な事実に思えることだろう。これは、もう自明どころではなく、例えば「総ての薔薇は黄色か赤かのどちらかである」という文はたとえそれが真だったとしても自明になど響かないだろうが、それと同断に見える。件の文はいまや或る種の自然科学的文のキャラクターをすっかり帯びているのであり、このことは、それが誤って理解された確かな徴候だ。
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6.112 |
論理的文全般のまっとうな説明は、それらに総ての文のうちで或る比類ないポジションを与えるはずだ。
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6.113 |
ひとは論理的文が真なことをそのシンボルだけで認識し得るということは、論理的文全般の特殊なメルクマールであり、また、この事実は論理の哲学全体を自らのうちに封じ込めている。そして、非論理的文の真偽は当の文だけでは認識され得ないということも同じく最重要な事実のひとつだ。
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