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5.63 |
私は私の世界だ。(ミクロコスモス。)
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5.631 |
思惟し表象する主観などというものは存在しない。
『私が見出した世界』という本を私が書いたならば、そこには私の体のこともリポートされ、そして、そのどのパーツが私の意志に随い、どれが随わないか等々が述べられることになるだろうが、これは、主観を分離する、というよりむしろ、或る重要な意味で主観など存在しないことを示す一方法なのだ。ただそれだけが、件の本で話題にされ得ないのだから。――
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5.632 |
主観は世界には属さない。それは世界の境界だ。
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5.633 |
世界の何処に形而上学的主観なるものが感知され得るのか?
この場合、眼と視野に関してと全く同様になっている、と君は言う。だが、当の眼を君は実際には見ていない。
また、それが眼によって見られることを推論させるようなものなど視野には何も無い。 〔5.6331〕
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5.634 |
これは、我々の経験のどんな部分もアプリオリではないことに関聯している。
我々が見るものごとの総ては別様でもあり得たことだろう。
およそ我々が記述し得るものごとの総ては別様でもあり得たことだろう。
ものの間のアプリオリな秩序など存在しない。
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