現在の名称 :五岳山禅通寺
所在地 :香川県善通寺市善通寺町
宗派 :真言宗
五岳山の一つ香色(こうしき)山の北東麓にある。真言宗善通寺派総本山、本尊は薬師如来。境内の東側を東院または伽藍とも称し、金堂・五重塔・常行堂などが並ぶ。旧寺域にあたり、方二町の一画には土塁が残る。金堂基壇の石組みには旧礎石も使用されている。旧境内は県の史跡に指定され、大クスは県指定天然記念物。四国霊場八十八ヵ所第七十五番札所。
古くから弘法大師空海の誕生地と伝えられている。江戸中期成立の多度郡屏風浦善通寺之記によると、大師帰朝翌年の大同2年(807)12月、父佐伯田君(法名禅通)の寄進した4町四方の地に、唐の恩師恵果の住んだ長安青竜寺を模して建立に着手し、弘仁4年(813)6月にいたって落成したという。創建については平安時代から大師建立説と大師の先祖建立説の二説があった。いずれにしても境内地から奈良時代前記の瓦が出土しており、奈良時代から佐伯氏の氏寺と思われる古寺が存在していたことは間違いない。
鎌倉後期、後嵯峨・亀山・後宇多3上皇が讃岐の国の院分国主であったときに、その信仰と保護によって一つの盛時を向かえた。現在三帝の遺髪・爪を安置する宝塔が境内にあり三帝御陵と呼ばれる。境内に49坊の寺院があったと伝えるが、中世史料に見えるのは誕生院のほか勧学院・安養院・玉泉院である。玉泉院は寿永年間(1182-84)に西行が庵を結んで住んだところ。法然が参詣し境内に法然の逆修塔と伝える石の宝塔がある。また一遍も正応2年(1298)に巡礼している。
鎌倉末期頃から善通寺はやや衰退の方向に向かうがこの状況を防いで善通寺を再び隆盛に導き、中興の祖とたたえられているのが宥範である。堂塔の建造も進み、五重塔も再建された。この塔は康永3年に讃岐国の利生塔に当てられ、同年12月10日、宥範が導師となって落慶供養が行なわれた。
天保11年(1840)、五重塔は火事により全く灰燼に帰した。再建された塔が内部・外部とも完成するのが明治35年(1902)で、同年入仏法要を営むに至った。
金銅錫杖頭は中国唐代の作といわれており国宝。一字一仏法華経序品は平安期のもので国宝。国指定重要文化財には木造地蔵菩薩立像・木造吉祥天像(共に平安期の作)、善通寺伽藍扞寺領絵図がある。
昭和6年(1931)当寺は独立して真言宗善通寺派大本山となり、後に総本山となった。
日本歴史地名大系 香川県の地名 より
寺紋は現在16弁菊の中心に「善」と書いたものであるが、以前用いていた「三つ雀」を背景に使用した。
2001/11