◆現在の名称:華厳宗本山東大寺

◆所在地  :奈良市雑司町東大寺
◆宗派    :華厳宗
◆交通    :近鉄奈良線 奈良駅 徒歩約15分


鉄奈良駅から歩いて約15分ほど、奈良国立博物館のさきを左に入るとそこはもう参道であり、お土産屋、屋台に混じりお婆さんが鹿の餌を売っている。そして、その間を若いペア、観光団体、外人さん、修学旅行生がひしめいている。もう毎日がお祭りのようなもの。

「東大寺」は全国の「国分寺」の総本山として「聖武天皇」が根性を入れて作ったもので、大仏の建立にあたっては、松本清張によれば、「そのレプリカを鋳造するため(完成度を高くするため)に「恭仁京」を造営した」と言われているものである。また、この造営は国民に取っては「苦痛」なものであり、時の人に取っては「権謀策術」の渦に巻き込まれたもので、松本清張は「古代の終焉」で相当多くのページをさいて考察している。

「大仏」、正式には「ビルシャナブツ」と言われるものは聖武天皇が749年に退位した後の753年に完成し、聖武は上皇として「開眼供養」に参加した。現在の「東大寺」は鎌倉時代に再建された「南大門」、「鐘楼」と江戸時代に再建された「中門」、「大仏殿」で構成されている。当然のことであるが、「総国分寺」として「七重の塔」、「講堂」など、大きな構造をしていた寺院であった。そして、それを示す「東塔跡」、「西塔跡」、「講堂跡」があるが、それらは「鹿の遊ぶ松林」程度の保存状態であり、その「跡」を示す掲示板も無い。
さらに加えて、東大寺発行のパンフレットには「総国分寺」の文字さえ書かれていないのである。

「大仏さんの居る奈良時代の寺」として公開するのではなく、やはり「総国分寺」、「古代の大きな夢の寺」、現存する貴重な「国分寺」として公開して欲しいものであ。
宗派の「華厳宗」は聖武天皇が名づけたものであるが、パンフレットによれば、「今日の東大寺は葬礼を行わぬせいもあり檀信徒はもちろん土地財産すらない世界最小というべき貧弱な宗派であります。」とのことである。

1990/9

関連リンク
       東大寺            
総国分寺東大寺のホームページ
                     http://www.todaiji.org/index.html
その後の東大寺
特に変わりのない様子の中に新しいモニュメントが目に飛び込んできた。「世界遺産」の記念碑である。これはいい。なんせマイナーな趣味「国分寺跡を訪ねる」象徴の場所の東大寺が世界遺産になったのである。
これまでずっと国分寺跡を訪問する中で東大寺に対し新たに認識するようになったことが一つある。それは東大寺が「再現されて現存する寺院」ということである。国分寺跡付属の資料館には伽藍模型が置かれているが、東大寺は復元された本物なのだから先ず最初に古代国分寺のイメージを作ることが出来る見本となる建物なのだということある。
ところで、「東大寺は総国分寺である」という文言は天平時代の詔に出てこない。中世になって国分寺が西大寺の末寺として組み込まれた時、東大寺が「うちが総国分寺だ」といっているのが残っているだけである(資料「西大寺が国分寺の総本山」参照)。

東大寺が「総国分寺」として認識されるのは次の状況証拠によっている。

1.聖武天皇が建てた
2..七重塔をシンボルとしている
3.「金光明四天王護国之寺」である
4.東大寺の毘盧遮那を主仏、国分寺の釈迦仏はその化身とする仏教思想があった

ということである。

東大寺に欲しいもの、それは復元「七重塔」である。奈良薬師寺に三重塔が復元されたように。
東塔跡
中門、回廊と大仏殿
2001/06