山城(やましろ、京都)から下野(しもつけ、栃木県)までの旅


近江国府(東山道−1)

所在地:滋賀県大津市
交通 :JR東海道本線瀬田駅
人口 :22万9千


東海道を西へたどったので、今度は京都から東山道を通りながら東に国府を訪ねてみたい。近江の国は琵琶湖の東岸を取り囲むような国であり、その一番西にあり京都に隣接しているのが大津市であるが、ここに近江国府がある。現在の大津市内には江戸時代は「大津宿」、「膳所藩本多主膳守六万石城下町」、「瀬田宿」があり、国府は東部の瀬田に置かれていた。

国道1号線を京都から東に向い、大津市街を通り抜けると瀬田川に出る。ここを渡ると大津市瀬田であり、大江交差点のやや南に「近江国衙跡」がある。旧東海道は瀬田川を国道1号線からすこし南にある瀬田の唐橋で渡り「近江国府」を通り抜けその先で国道1号線に入っていた。

国分寺跡はロードマップには見られないが、その所在を示す「国分」町が瀬田唐橋の西にある。


   参考資料:この「国府」をめぐる「旅」の参考資料は次の通り。

    「国府」        藤岡謙二郎  吉川弘文館刊行
    「古代の道と国」   丸茂武重    六興出版
    「エリアマップ」              昭文社
    「民力」1997年             朝日新聞社
    「大日本行程大絵図(安政四年)」(復刻版)

    その他

美濃国府(東山道−2)

所在地:岐阜県垂井市
交通 :JR東海道線垂井駅


東山道は大津市から現在の東海道線(国道1号線)を北東に向かう。隣町の草津市街地を通り過ぎたところから国道1号線は東に向い、三重県に入るが、東山道はそのまま直進し国道8号線になる。この道はその後中山道(中仙道)と云われた。近江町からは更に分岐し国道21号線となる。関ヶ原町から美濃の国にはいり、次の垂井町市街地の少し北の「府中」が「美濃国府」のあったところである。
「府中」の東に「美濃国分寺」跡があるが、ここは大垣市の東端である。

JR東海道線はさらに先の岐阜市から中山道と分岐している。

江戸時代はここは「垂井宿」といわれた。


飛騨国府(東山道−3)

所在地:岐阜県国府町
交通 :JR高山本線美濃国府駅


垂井から国道21号線を東に進む。岐阜市から、各務原市(かがみがはらし)、美濃加茂市にいたり、岐阜国府はここから枝道となり飛騨川ぞいに北上する。上呂、下呂を通り高山市を過ぎたところが「国府町」であり、ここが、飛騨国府である。国分寺跡は高山駅のすぐ北にある。
「国府町」は古国府であり、その後の国府はやはり高山駅の北にあるというのが考古学的には説となっているようであるが、「旅」としては、「国府町」を国府であるとしたい。

ところで、中山道(東山道)は現在の国道からはずれているところが多い。東海道は現在の国道1号線と見なしてよいが、中山道は国道の番号が短い距離で変わる上に、旧中山道といわれて、県道となっているところが相当の距離に達する。この岐阜県にも旧中山道が多い。

東山道のころ飛騨国府は行き止まりの国府であったが、江戸時代には越中高岡宿まで道が通じている。高岡市は金沢加賀中納言管轄下の城下町。国府町は、地図に記載されていない。


信濃国府(東山道−4)

所在地:長野県上田市
交通 :JR信越本線上田駅
人口 :11万6千


「美濃国府」岐阜県垂井市から「信濃国府」長野県上田市まで旧中山道をたどる。

旧中山道は垂井市から現在の国道21号線の北側を通っている。「垂井宿」、「赤坂宿」(大垣市赤坂)、「みえじ宿」(巣南町美江寺)、さらに長良川の北岸を通り厚見郡加納藩3万2千石城下(岐阜市加野?)から「鵜沼宿」(各務原市鵜沼、名鉄各務原線に「うぬまじゅく駅」もある)で国道21号線に合流する。従って岐阜市は中山道には無い。

21号線を東に進むと「大田宿」(美濃加茂市大田)、「伏見宿」、「御嵩宿」(岐阜県御嵩町)となり、御嵩町美佐野から再び旧中山道は21号線を離れる。「細久手宿」、「大湫(おおくて)宿」(現在も宿場の跡が見られる)、「追分宿」(以上瑞浪市.みずなみし)、「大井宿」(恵那市)、「中津川宿」、「落合宿」(中津川市)と続き、美濃の国が終りその先は信濃の国になる。

御嵩町で21号線から分岐した旧中山道は現在の道路地図では瑞浪市釜戸で国道19号線に合流しているが、「釜戸宿」は中山道の宿場ではなく、さらに北東にある「追分宿」で現在の19号線と出会ったはずである。しかし、「追分」という地名は現在の地図に無い。恵那市の西はず
れに「宿」という地名が見られるが、ここがそうであれば、現在の旧中山道GCがまさに旧中山道にあるGCといえる。

「落合宿」からさらに旧中山道は国道19号線と別れる。信濃の国に入り「馬篭宿」(長野県山口村)、「妻篭宿」とすぎ、「三留野宿.みとの」(南木曾町.なぎそ)で19号線に合流する。旧中山道の面影を残している「馬篭、妻篭宿」は国道も電車も走っていないからこそ残っているのですね。

南木曾町から旧中山道は19号線となり、塩尻市まで北上する。塩尻市からは国道20号線にはいり下諏訪町から国道142号線になる。「下諏訪宿」(下諏訪町)、「上和田宿」(和田村)、「長久保宿」(長門町)、「あじこ宿」(立科町)、「望月宿」(望月町)を通り、浅科村八幡から142号線をはずれ県道にはいる。佐久郡「岩村田」内藤豊後守1万5千石の城下町(佐久市)から、「小田井宿」をへて、「追分宿」(軽井沢町)で国道18号線にぶつかる。

「信濃国府」のある「上田」には「追分宿」から「善光寺道」にはいり「小諸」、「田中」をへて到達する。「上田」は松平伊豆守1万5千石の城下町である。

現在上田市の南東部に「国分寺跡」があり「国分」町がある。国府はその北の「古里」町に有ったのではないかと推定されている。また、信濃国府は「上田」から「諏訪」に移り、さらに「松本」に移ったとされている。
「上田」は六文銭の家紋で有名な真田家の出身地であるが、江戸後期には真田家は10万石の大名、信濃守として長野市「松代」を城下町としていた。

岐阜県垂井市から長野県軽井沢町に至る間の旧中山道は国道も電車も走っていないところが相当ある。


上野国府(東山道−5)

所在地:群馬県前橋市
交通 :JR上越線新前橋
人口 :27万5千


信濃国府上田市からは国道18号線で高崎市まで東に進む。ここまでが旧中山道で、東山道はここから東北に向かって行く。高崎市から国道17号線に乗り換え、上越高速道路「高崎インター」を少し過ぎ前橋警察署の北、「大友町」に上野国府跡がある。

「国府」を示す地名はここにはないが、ここよりすぐ西に「元総社町」、さらに西の群馬県群馬町に「上野国分寺跡」、「上野国分寺」、地名で「国分」等「国府」関連を示す名前が見受けられる。

「上州」で名高いのはやはり「大前田栄五郎」。彼の住んでいた「大前田村」は前橋から上毛電鉄にそい東進し北原駅の北の「宮城村大前田」である。ここには栄五郎の墓が残っている。

江戸時代前橋は三国街道の宿場であった。


下野国府(東山道−6)

所在地:栃木県栃木市
交通 :JR両毛線栃木駅
人口 :8万7千


前橋市と栃木市を結んでいるJR線を「両毛線」という。これは、「国府」がおかれる以前、上野、下野を「上毛野国造(かみつけのくにのみやっこ)」、「下毛野国造(しもつけのくにのみやっこ)」が支配していた。ここから両国のことを「両毛」といい、その「国府」を結ぶ路線の名称としてつけたものである。群馬県では今でも「上毛」の名が残っている。

江戸時代の街道で高崎市から栃木市を通っているのは「例幣使街道」といわれ、天皇の勅使が日光東照宮を参拝する際に利用した街道である。かつては公家さんも家康さんに頭が上がらなかったのですね。

京都から中山道を通ってきた勅使は高崎城下の次の宿場「倉賀野」から中山道と別れる。現在の国道354線にそって「御料」(玉村町五料)から利根川を渡り「柴」(伊勢崎市柴町。現在柴宿本陣跡が残っている)、境町から県道に入り「木崎」(新田町木崎。。。上州新田郡ですよあの!)、「太田」(太田市)、さらに県道を真東へ進み栃木県に入る。「梁田」(足利市梁田町)で渡良瀬川を渡り「川崎」(足利市川崎町)、「佐野」(佐野市)、現在のJR両毛線を横断し「犬伏」(佐野市犬伏町)、「富田」(大平町富田)、「栃木」と宿場町が続く。(「」は宿場の名前)「例幣使街道」はここから現在の東部日光線沿いに日光にいたる。

下野国府は栃木市街地の東北にある。「国府町」、「総社町」がその場所を示す。「国分寺跡」、「国分尼寺跡」は鬼怒川の対岸、栃木県国分寺町「国分」にある。

陸奥、出羽国府(東山道−終)

「下野国府」栃木市から東山道は国道4号線に出、北に向かう。福島県白河市に「関」があり、そこからは蝦夷地で鎮守府が置かれていた。
陸奥国府は「多賀城」(724年設置宮城県多賀城市)、出羽国府は「秋田城」(秋田市)といわれ、「城」であった。さらに、時々により出城として「桃生柵」(柵は捕虜収容施設ともいわれている)、「新田柵」、「伊治城」、「胆沢城」(水沢市)、「志波城」などがあった。

東山道の旅は下野で終る。


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     飛騨           出羽
東山道