現在の名称  :宝珠山東妙寺

所在地   :佐賀県神埼郡三田川町田手
宗派    :真言律宗
長崎街道沿い田手宿やや北にある。東妙寺文書の官宣旨によると東妙寺は弘安年間(1278〜88)に、蒙古掃壌の祈願を込めて創建された。この文書には東妙寺に隣接する妙法寺(現神崎町)の記述があり、これによると妙法寺は尼寺で東妙寺より40年余り以前既に建立されていた。この東妙、妙法両寺を住持するために後宇多天皇の信任厚い唯円が下向してきた。唯円は奈良西大寺中興の祖叡尊の高弟である。大伽藍を持ち小京都と賛美されたと言う、往時をしのばせる東妙寺古図が残っている。
南北朝時代の東妙寺は南朝方につき、後醍醐天皇・後村上天皇や征西将軍懐良親王の厚遇を受けた。また、足利義直、義満および鎮西探題少弐・今川・一式各氏は同寺を祈願所としたり、乱暴狼藉の禁止あるいは騒乱訴訟の判決などの判物を送り、幕府方に引き込もうとしていたことがわかる(東妙寺文書)。
元亀元年(1570)豊後の大友宗麟の軍が竜造寺軍との戦闘に際し兵舎とさした東妙寺は焼失された。現在の本堂は昭和41年(1966)に再建されたものである。
本尊の釈迦如来と木造聖観世音立像は鎌倉時代の作品で国重要文化財に指定されている。同寺には懐良親王直筆の紙本墨書梵網経一巻(国指定重要文化財)があるが、これは当初は妙法寺に納められていたものであろう。
                 
日本歴史地名大系    佐賀県の地名   より
上記「大系」に「利生塔建立」が明確ではないが、東妙寺ご住職の話によると足利尊氏が九州で体勢を立て直す際東妙寺を使い、利生塔も建立されたと伝わっているとのことである。いろいろとご教授いただいたご住職に厚くお礼申し上げます。