現在の名称  :福地山修禅寺

所在地   :静岡県田方郡修善寺町修善寺
宗派    :曹洞宗
「修禅寺」は修善寺温泉の入り口にある。

この寺は大同2年(807)に弘法大師が諸国巡歴の途中においでになり、秘法と奇蹟で土民からあがめられたので弟子の杲隣(こうりん)大徳だけお残りになり、伽藍を建てて「福地山修禅萬安禅寺」と名づけ、大師を開基として発足したのがその最初で、真言宗に属した。
鎌倉時代、寛元4年(1246)に宋より来朝した蘭渓道隆禅師(鎌倉建長寺開山)がここに住み臨済宗となり中国にまで名が広まった。
しかし、康安元年(1361)の戦火、応永9年(1407)の火災で伽藍は焼亡し寺は衰退の極に達した。
その後北条早雲が延徳元年(1489)叔父の隆渓繁紹禅師を開山として迎え曹洞宗の寺として再建し今日に及んでいる。
本尊大日如来像は国の重要文化財である。
    修禅寺略縁起より
足利尊氏が南北朝初期に行なった全国に安国寺・利生塔を設置するという幕府の宗教政策は、一方で幕府の威信を高揚し、又各国の守護とかかわりの深い寺院を安国寺とすることによって、間接的に守護を統制するという政治的意味も大きかったとされる。
伊豆の場合、利生塔が貞和元年(1345)に修禅寺に設置されたことはわかるが、安国寺は確認できない。しかし、守護上杉憲顕(山内家の祖)が建てたと思われる奈古谷(元韮山町)の国清寺の可能性が推測される。(静岡県史)
  日本歴史地名大系
    静岡県の地名より
 
現修禅寺の縁起には利生塔のことは全く触れておらず、宝物館の中にある文書にも「足利氏」関連のものは一つもない。そこでご住職に話を伺った。
「寺伝に利生塔の話は全くない。もしかしたら、昔は非常に多くの寺で編成されていたので別の寺院に建立されたのではないか。」ということである。
静岡県史との連動は取れていないようである。

2001/06
山門
本堂
鐘楼
本堂にかかる額
本堂欄間