現在の名称  :三日山如来

所在地   :熊本県宇土市岩古曾町
宗派    :曹洞宗
本尊は釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像でともに県指定文化財。「国誌」によれば、文永6年(1269)宋から帰った寒巌義尹(かんがんぎいん・皇族)の開山で、古保里越前守の娘素妙尼の請いにより、如来寺の七堂伽藍を三日村(さんちむら)に建立した。曹洞宗大慈寺(現熊本市)の末で、当時は寺領75町を有していたという。現在地に移ったのは永正元年(1504)で、天正16年(1588)に退転、慶長5年(1600)加藤清正の時代に再興した。近年本尊の解体修理が行なわれ、釈迦如来坐像胎内の収納部蓋から寒巌義尹の自筆と思われる朱筆銘文が発見された。
三尊のほかに韋駄天像・寒巌禅師像がある。また花園町三日の大門では伽藍跡の一部と見られる掘立式柱穴が発見されている。
  
                日本歴史地名大系    熊本県の地名  より

なお、前記文書には「利生塔建立」については書かれていないが、如来寺ご住職の話によれば「寺には古文書等は残っていないが、ある学者さんから如来寺に利生塔が建立されていたと聞いている。」とのことである。

2001/09

訪問記

今回借りたレンタカーのナビは番地が入らない。従っておおよその場所までしか案内してくれない。如来寺にたどり着くのは大変であった。数人の人に聞いてようやく見つけたのである。ただ、見つけたとはいえ寺の前に立ってもそこが寺とは思わなかった。普通の民家の前と思い、更に奥の道に入って寺を探し裏の建物にいた人に「如来寺」を尋ねると、民家と思ったところが寺だという。この人に出会わなかったら山奥に入っていくところであった。
当日は残念ながらご住職にお会いできなかった。本堂を覗くと県指定文化財の三尊仏が安置されている。お寺の由来を見たが「利生塔」については記入が無い。現在地に移転する前の利生塔が建てられた時の場所現花園町三日を訪問したかったが、場所の発見さえ困難と思いあきらめて、次の訪問地に向かった。
2003/10
本堂
ご本尊