西暦 年号 主な出来事
538 宣化3、欽明7 百済の聖明王、仏像と経論を献じる(仏教公伝・552年説あり)<帝説>
645 大化元年6月 大化の改新<紀>
672 天武元年6月 壬申の乱が起こる<紀>
685 天武14年3月 諸国の家(国府)毎に仏舎を作り、仏像、経を置き礼拝供養させる<紀>
694  持統8年5月 金光明経を諸国に送って毎年正月の上弦に読ませる。<紀>
     12月 藤原京に都を移す。<紀>
701 大宝元年8月 大宝律令成る<続紀>
710 和銅3年3月 奈良(平城京)に都を移す<続紀>
718 養老2年12月 僧道慈、唐より帰国し金光明最勝王経をもたらす<懐風藻>
723 養老7年4月 三世一身の法を定める<続紀>
724 神亀元年2月 聖武天皇が即位する<続紀>
725
神亀2年7月
攘災招福の為社寺を清掃し、国家平安の為金光明経・最勝王経を読ま
せる<続紀>
728 神亀5年12月 国家平安のため金光明経を諸国64カ国に領つ<続紀>
729 天平元年8月 藤原光明子が皇后になる<続紀>
735 天平7年・ 天然痘の流行、全国で死者多数出る<続紀>
737
天平9年3月
(疫病終息祈念のため)国毎に釈迦仏像挟侍菩薩を造らせ、大般若経
を写させる<続紀>
740   天平12年6月 国毎に法華経を写させ、七重塔を建てさせる<続紀>
      9月 藤原広嗣が北九州で反乱を起こす<続紀>
      9月 国毎に観世音菩薩を造らせ、観世音経十巻を写させる<続紀>
741

天平13年2月

国分寺・国分尼寺建立の詔発布<三代格>
国毎に七重塔を造り、金光明最勝王経・法華経を写し塔に納め、僧寺 を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺と命名する
743  天平15年5月 墾田永年私財法を制定する<続紀>
     10月 毘盧舎那仏金銅像(大仏)造立の詔を発する<続紀>
744  天平16年7月
国毎に国分寺・尼寺に正税各二万束を割き、出挙させ造寺の用に充て
る<続紀>
     10月 勅により国分寺造営に国師も関与させ、督励する<三代格>
746
天平18年9月
恭仁京大極殿を山背国分寺に施入(国分寺関係の具体的記事の初見)
<続紀>
747 天平19年11月 国分寺、尼寺の造営を国司郡司に督励、さらに田地を施入する<続紀>
749
 
天平勝宝元5月
諸寺の墾田地の限度を定める(国分寺千町歩、国分尼寺四百町歩)
<続紀>
       7月
上野国石上部諸弟ら国分寺へ知識物を献じ外従5位下を授けられる(国
分寺に対する献物叙位の初見)<続紀>
752 天平勝宝4年4月 東大寺毘盧舎那仏の開眼供養を行なう<続紀>
756     天平勝宝8年4月 聖武太上天皇崩ず(56歳)<続紀>
        6月 諸国に使者を遣し国分寺の丈六仏像を検閲催促させる<続紀>
        ・ 詔して聖武天皇一周忌までに国分寺造営を終えるように命ずる<続紀>
        ・
諸国(丹後、伯耆、出雲、備中等主に西国26国)に灌頂幡等を領下する
<続紀>
       12月 越後国に仏具を下賜、国分寺に納め用いさせる<続紀>
758 天平宝字2年・ 武蔵国分寺この頃までに完成か
759 天平宝字3年11月 国分ニ寺の図を諸国に領下す<続紀>
760 天平宝字4年6月 光明皇后崩ず(60歳)<続紀>
761 天平宝字5年6月 諸国分尼寺に阿弥陀丈六像、脇侍菩薩像の二体を作らせる<続紀>
764 天平宝字8年9月 藤原仲麻呂の乱(道鏡が政権を掌握する)<続紀>
768  神護景雲2年3月 越後負担の佐渡国分寺料稲、自国負担許される<続紀>
       閏6月 美濃国造雄万、物部孫足、六人部千代貢献により外従五位下を授けら
れる(雄万外従六位下か)<続紀>
770  宝亀元年4月 美濃国方県郡少領国造雄万、国分寺へ私稲二万束を献じ外従五位下
を授けられる<続紀>
      8月 道鏡を造下野国薬師寺別当に任じて配流する<続紀>
775 宝亀6年8月 伊勢、尾張、美濃で異常風雨、国分寺並びに諸寺の塔19被害を受ける
(国分寺の羅災に関する具体的記事の初見)<続紀>
794 延暦13年9月 京都(平安京)に都をうつす<紀略>
805 延暦24年2月 諸国国分寺に薬師悔過を行なわせる<後紀>最澄・空海(翌年)新仏
教開く
811 弘仁2年8月 遠江、相模、飛騨三国国分寺が羅災焼失<類国>
830 天長7年4月 諸国国分寺に金剛般若経を読ませる<紀略>
837 承和4年6月 疫病流行により諸国国分寺に金剛般若経を読ませ薬師悔過を行なわせ
る<続紀>
845 承和12年3月 武蔵国前男衾郡大領壬生吉志福正、国分寺七重塔を再建する
<続日本後紀>
853 仁寿3年12月 災害沈静のため諸国の国分寺、尼寺に陰陽書法を行なわせる<文徳
861 貞観3年8月 梵本尊勝陀羅尼を諸国国分寺の塔心柱に納めさせる<三実>
863 貞観5年4月 伯耆国不作疫病のため講師賢永一万三千仏、一切経を書写国分寺に
安置する<三実>
871 貞観13年・ 出雲国講師薬海、木造五尺の像を造り国分寺に安置する<三実>
873 貞観15年12月 陸奥国分寺に五大菩薩像を作り安置する<三実>
887 仁和3年6月 美濃国分寺火災に遇い席田郡定額尼寺を国分寺となす<三実>
888 仁和4年・ 常陸国飛鳥貞成、国分寺で千部法華経を書写し法会・講経を行なう
<扶桑>
934 承平4年閏1月 陸奥国分寺七重塔、雷火で焼失する<紀略>
935 承平5年2月 承平・天慶の乱おこる(〜941平将門、藤原純友の乱)<将門記>
939 天慶2年2月 諸国国分寺ニ寺堂舎仏像資材などを大破・汚損するもの多し。官符を
下して正税等を以って出挙し、国司講師をして修理させる<政要>
941 天慶4年・ 下野国分寺仏菩薩像破損、資材実なし。勘解由使、国司等に修理させ
949 天暦2年12月 伯耆国分寺より出火し法華寺炎上。道興寺を以って国分尼寺とする
<政要>
1001 長保3年5月 国分ニ寺の祈修は「攘災難祈年穀」にあるとし国司の督励をする<政要
1002 長保4年10月 国守在任中、国分ニ寺定額寺の破損十分のニ三を修理させる<政要>
1004 寛弘元年閏9月 美濃国分寺塔雑舎の破損状態を実検のため、官使・土木・算師・長上・
工長等を派遣する<類聚符宜抄>
1016 長和5年1月 藤原道長が摂政となる<御堂関白記>
1023 治安3年4月 武蔵国分寺の修造を命ずる<小右記>
1030 長元3年5月 丈六観音像を造らせ、国分寺にて疱瘡の防止を祈る<類聚符宜抄>
1080 承暦4年8月 筑前国分寺講堂造進される<水左記>
     閏8月 陸奥国分尼寺傾倒するも、。先例なしとて再興のことなし<水左記>
1096 永長元年5月 諸国に下知し国分寺に木造丈六観音像を造り安置する<後二条師通
記>
1180 治承4年2月 平氏が東大寺を焼く(〜1190年重源が東大寺を再建する)<玉葉>
以下略
大垣市歴史民族資料館 各地の国分寺 展示解説
           ―史跡の整備とその現況   昭和58年10月5日発行
                より資料館のご了解を得て転載いたしました
★出展については次のように略称を用いた
  日本書紀→紀     類聚三代格→三代格    扶桑略紀→扶桑    類聚国史→類国
  続日本紀→続紀    日本後紀→後紀       政治要略→政要     日本紀略→紀略
  三代実録→三実    日本文徳天皇実録→文徳  上宮聖徳法皇帝説→帝説