現在の名称    :宝満寺跡(県史跡)
足利時代の名称
  :宝満寺

所在地   :鹿児島県曽於郡志布志町帖
帖(ちょう)地区の南、前川左岸にあった。秘山密教院と号し、創建は「三国名勝図会」などでは奈良時代と伝えるが不詳。鎌倉時代後期以降は西大寺流律宗で、なら西大寺末であった(西大寺文書)。本尊は西大寺から招来した如意輪観音で、蓮台に元応2年(1320)9月19日造功と記されていたという。
鎌倉時代の西大寺流律宗(叡尊教団)は、北条氏と結びついて教線を拡大した。一方鎌倉前期以来島津庄日向方地頭は北条氏で、志布志はその支配拠点のひとつであったから、宝満寺も北条氏と西大寺流律宗との結びつきの中で、律宗寺院として再興されたものと考えられる。
歴応3年(1340)、室町幕府により一国一基の利生塔が当寺に建てられ(足利義直寄進状)料所を寄進された(足利義直御教書)。
江戸時代には寺領31石余を与えられ(三州御時世要覧)境内には鎮守八幡宮、鐘楼、岩窟(いわや)文殊と隠穴、弁財天社など、石造の仁王を置く大門の外には地蔵堂、下馬札があった。
慶応3年(1867)廃寺となり(日向地誌)、堂塔・寺宝は失われた。
明治19年(1886)に大滋寺説教所として宝満寺跡に観音堂仮堂が建てられ、その後説教所は廃止されたが、昭和11年(1936)に観音堂が建てられた。現在はこの観音堂のほかに、庭園・仁王像・下馬札・岩窟文殊、歴代住職の墓などが残り、宝満寺跡として県の史跡に指定されている。
         
     日本歴史地名大系  鹿児島県の地名  より
2001/09
関連リンク
       宝満寺跡(要検索)                 観光鹿児島
        
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