現在の名称 :室戸山明星院最御崎寺
(ほつみさきじ)
所在地 :高知県室戸市室戸岬町
宗派 :真言宗
太平洋に突出する室と御崎の山上、標高160メートルの地にある。真言宗豊山派で本尊虚空蔵菩薩。行戸(ぎょうど)岬にある金剛頂寺を西寺というのに対し、東寺と呼ばれる。四国霊場88ヵ所の24番札所である。空海が青年期に修行したゆかりにより、唐より帰朝後の大同2年(807)に創建したと伝えられる寺で、嵯峨天皇の勅願所とも伝える。土佐国の名刹と伝えられながら建仁2年(1202)、永禄6年(1563)など再三の火災により縁起や古文書をことごとく焼失、仏像も石造り如意輪観音像・木造薬師如来坐像および月光菩薩立像(以上国指定重文)、その他8躯の破損像があるにすぎない。いずれも平安後期から鎌倉時代の作である。
歴応3年(1340)土佐における南朝方の拠点大高坂城(現高知市)が落城すると、その翌年足利尊氏は66基塔婆料所として、東寺に地頭職を寄進した。
天正15年の東寺の地検帳によれば山上には本寺(大坊)のほか西之坊・上之坊・北之坊・池之坊の四脇坊の名が記され、山下の高岡には里坊、領家側には藤之坊・西林坊・用蔵坊・桜坊などの名が見え、盛時の面影を残している。
江戸時代の南路志」には本堂・多宝塔・鐘楼・護摩堂・勤行所・求聞持堂や山上、山下の神社が記されるが、その多くは石州浪人僧最蔵(勝)坊の奔走により、2代藩主山ノ内忠義が寄進したものである。
明治維新後、廃仏毀釈で荒廃したが、大正年間に再興、多宝塔・仁王門・客殿なども再建された。現在は他に本堂・大師堂・護摩堂・鎮守祠・聖天堂・通夜堂・求聞持堂などがある。
日本歴史地名大系 高知県の地名 より