北陸道終着「佐渡国府」より「畿内」に向かう


「佐渡国府」(北陸道−1)

所在地   :新潟県佐渡郡真野町
交通     :佐渡汽船 佐渡両津港より車


東京上野駅よりJR上越新幹線を利用2時間で終着駅新潟駅に着く。駅から車で5分ほどで新潟港。この港は信濃河の河口に作られている。新潟港は明治2年の開港であり、わが国が鎖国から開国に方針を転換し最初に設けた5港のうちの一つである。現在開港時に作られた新潟税関庁舎が市の郷土資料館として保存されている。
新潟港から佐渡汽船ジェットフォイル(水中翼船)で1時間程で佐渡両津港に着く。佐渡は現在では東京から片道3時間半程で行き来できる近いところになった。

両津港から車で国道350号線を南西に30分程走ると「真野湾」に突き当たる。これを南東に向い間もなく「国府川」を渡る。渡りきったところが「真野町若宮」であり、「佐渡国府」である。

若宮から南東約2Km程のところに「佐渡国分寺跡」がある。ここは金堂、七重塔の礎石が整然と並び史跡公園になっている。真野町は町が「歴史の郷」としてPRしているとおり歴史的な建造物が多い。「国分寺跡」の外に、「順徳上皇の火葬塚」、「真野御陵」、日連宗の「妙宣寺」、本間氏の居城「壇風城跡」などがある。「妙宣寺」には佐渡で唯一の「五重塔」が昔のまま残されている。

「妙宣寺」の隣には「大膳神社」がありここには「能舞台」が設けられている。佐渡の神社、寺院には「能舞台」を持ったものが多いのも特徴である。能は、「佐渡宝生流」であり、両津港から東南約2.5Km加茂湖ぞいにある「本間家」の能舞台が家元の能舞台である。
佐渡は「国」でありながら「遠国」のせいか、島流しにされた貴人がいる。流された人達が都を思い、ここに都を思い出させるのものを作ることにより心を静めていたのではなかろうか。。。。
佐渡の資料には無いが能「観世流」の大成者世阿弥(観世元清)も佐渡に流されているので佐渡の能の発展と関係があるのかもしれない。佐渡にはこれらの外、日連上人の住んだ「根本寺」、真言宗の古刹「蓮華峰寺」、「佐渡金山」なども昔の姿で見ることが出来る。

佐渡を訪れる人にとって珍しいものは、加茂湖の「蛎」、焼物の「無名異焼」、お土産の「竹細工」など。

「国府」を訪ねるのが本旨ではあるが、佐渡は食い物、観光、史跡巡り、レジャー等々楽しみの多い島であり、思わず紹介に力が入ってしまった。酒は勿論新潟から旨い酒がはいっており、また、島にはアルコール共和国(尾畑酒造、真野町)なるものもある。

江戸時代は幕府直轄地「佐渡奉行」支配。
一宮は「渡津(わたつ)神社」(羽茂町)


越後国府(北陸道−2)

所在地    :新潟県上越市直江津(推定)
交通     :JR信越本線直江津駅
人口     :12万8千人


佐渡国府から京に向かうには、佐渡一宮を通り小木町沢崎から船で越後国府に渡る。直江津駅の西、「五智」に「国分寺」があり、また同所に越後一宮「居多神社」があるところから。「直江津」に「越後国府」があったものと推定されている。現在佐渡小木港と直江津港の間は佐渡汽船のフェリーが運行されている。

現在ある「五智国分寺」は行基の開基といわれている天台宗の寺である。

越後には一宮が2社あり、現在有名なのは西蒲原郡弥彦村にある「弥彦神社」で、711年以前の創建といわれている。直江津に国府が置かれて以降北の豪族を従えていったものであろうか。

上越市は直江津市と高田市が合併して出来上がった市である。旧直江津市の春日山には上杉謙信の「春日山城跡」があり、旧高田市には家康の6男松平忠輝の「高田城跡」がある。また、信濃に向かう「北国街道」をはさんで春日山に向かい合う山々には上杉謙信の支城があり城跡として残っている。「高田城跡」は4月桜、5月さつき、8月蓮と花を楽しむことが出来る。

また、上越市は降雪量がもっとも多いところで「がんぎ」という建物の構造で知られているが、現在の生活の知恵は「除雪日」を設けているところである。「除雪日」には指定地域は交通が遮断され、その地域の住民は屋根の雪を道路に落し、道路の雪を市で手配した車が排除していくのである。これにより「がんぎ」は現在では不用のものとなった。

江戸時代の港町は「今町」で、これが現在の直江津港であろうか。


「越中国府」(北陸道−3)

所在地   :富山県高岡市伏木
交通    :JR氷見線伏木駅
人口    :17万7千人


越後国府から越中国府まではやはり海路を使う。新潟県糸魚川市と富山市の間は北アルプスが海に落ち込んでいるところであり、交通の難所として有名な「親不知、子不知」がある。ここはむかし崖下の波打ち際を激しい波を恐れながら通ったと言う。北陸自動車道は現在全通しているが、最後まで残ったのがこの部分であり、トンネルが殆どの道である。古代は海路だけであったようである。

直江津を出た船は高岡市を流れる小矢部川河口の伏木港に着く。ここに「古国府」、「国分」の地名がある。古国府の「勝興寺」は「国衙」のあったところと言われ、周囲は堀で囲まれている。

古国府のやや西に「気多神社」があり、ここが「越中一宮」ともいわれているが、現在「越中一宮」は高岡市から南にある井波町の「高瀬神社」であり、「能登一宮」が能登にある「気多神社」であることから以前は一宮であったというような関係はあるのかも知れない。
さらに西の「二上山」は大伴家持の歌に残る万葉ゆかりの山で、紅葉の名所になっている。「二上山」の北にある「国泰寺」は臨済宗国泰寺派の総本山である。

高岡市は江戸初期前田利長の城下町で城跡があるが、江戸後期には宿場町となった。


「能登国府」(北陸道−4)

所在地    :石川県七尾市
交通     :JR七尾線 七尾駅
人口     :5万人


越中国府、高岡市伏木より海路を使い七尾港に着く。七尾市街から国道159号線を南に向かうと「本府中」という地名が見られるが、国府はそれからさらに南、「追分」から県道に入って間もなくの所、「古府」にあったものと推定されている。「古府」の西北に「能登国分寺跡」があり、
「国分」という地名が見られる。

七尾市には室町時代の畠山氏の居城跡「七尾城跡」、前田利家が住んだ城跡「小丸山公園」があり、古代から能登の政治経済の中心地として続いた。

江戸時代には加賀中納言の支配地。


「加賀国府」(北陸道−5)

所在地:石川県小松市
交通 :JR北陸本線小松駅  車
人口 :10万7千


能登国府から加賀国府へは陸路を使う。石川県七尾市から国道159号線の北側を走る県道に従って古代の道が走っていたものと推定されている。この県道が国道249号線に出会うところ(羽咋市、はくいし)に能登一宮の「気多大社」があるところから、ここを通り南下するものと推定する。
金沢から国道8号線で南下、小松市街にはいる前、小松警察署を左折し川沿いにおおよそ4KMほど東に行ったところに「古府」町があり、ここが「加賀国府」である。古代の道は金沢から現在の国道8号線の東側を通り、鶴来町にある「加賀一宮」の「白山比刀iしらやまひめ)神社」を訪ねつつ上ったというコースがもっともらしい。

「加賀国府」の港は川の下流「安宅」にあったものと考えられている。この「安宅」は鎌倉時代に名高い「安宅の関」があったところであり、駐車場つき小公園といった感じの「関跡」がある。古代の北陸道には、「不破」、「鈴鹿」とならぶ3関の一つ「愛発(あらち)」の関があったが、これはまだ南の越前にあり、「関」も北上したことを示している。

現在の地図(昭文社10万分の1)には「古府」の付近にはやや南西に「八幡」という地名が見られるが、それ以外、「国府」に関連する史跡などは記されていない。しかし、「全国国分寺所在地一覧(武蔵国分寺資料)」では「加賀国分寺」の所在地として「小松市古府町」とされており、「国分寺跡」が残されているのであろうか。

江戸時代の小松市は北陸道の宿場町。


「越前国府」(北陸道−6)

所在地:福井県武生(たけふ)市
交通 :JR北陸本線 たけふ駅
人口 :6万8千


「加賀国府」小松市から国道8号線で南下すると間もなく「加賀温泉郷」。有名なところだけで「粟津温泉」、「片山津温泉」、「山城温泉」、「山中温泉」、「芦原温泉」と続く。その他温泉も多い。しかも、JR特急の停車する駅名前が、ずばり「加賀温泉」、「芦原温泉」となっており、その稼ぎ度が想像される。「粟津」、[山城」、「山中」温泉は1300年前の開湯、「山中温泉」は「行基(ぎょうき)」によって発見されたといわれている。
ところで、「行基」は日本の「総国分寺」である「東大寺」の建立、「大仏」の建立に貢献し「大僧正」となった僧侶で、大仏開眼供養(752年)の3年前に没した。ちょど、「国府」、「国分寺」が作られている時代の高名な僧侶である。古い寺を訪ねると「行基の開基」というのに多く出会う。

国道8号線をさらに南下、福井市、鯖江市を過ぎると「武生市」に入り、江戸時代には「府中」と呼ばれていた「越前国府」に着く。「国府域」は現在の武生市街地に当ると推定されており。JRたけふ駅の西に「越前国分寺」、「総社」がある。

江戸時代には宿場町「府中」。隣が「鯖江藩」間部安房守4万石の城下町。


「若狭国府」(北陸道−終)

所在地:福井県小浜市
交通 :JR小浜線 東小浜駅
人口 :3万4千


「越前国府」武生市から京都に向かうには、現在の国道8号線では武生市から海岸線に出、敦賀を抜け、琵琶湖の東岸を通り草津(栗東町)で1号線に合流し西に向かう。江戸時代の「北国街道」は武生市から現在の国道365号線になり、彦根で中山道に合流、草津で東海道に合流し京都に入った。

古代の「北陸道」は琵琶湖の西を通った、これを江戸時代の道でたどってみる。
「府中」から「今宿」(武生市)、「脇本」、「鯖波」(南条町)、「湯尾」、「今庄」(今庄町)と「北国街道」を南下し「今庄」から西にそれ、「二つ星」(今庄町)、「鉢伏」(峠)、「葉原」、「谷口」(敦賀市)の宿場を通り、「敦賀」に入る。ただ、鉢伏山の峠超えの道は現在は通じていない。
敦賀市には「越前一宮」、「北陸道総鎮守」の「気比神宮(けひじんぐう)」がある。

敦賀市からは「丹後街道」に入る。現在の国道27号線である。南下し上中町から西に向かい海岸線に出ると「若狭国府」の「小浜市」である。小浜市を流れる「北川」の河口近くに「府中」がある。また、南東の27号線沿いの「国分町」に「国分寺」、その南に「若狭一宮」の「若狭彦神社」がある。
「若狭国府」から「畿内」には若狭街道を通り琵琶湖へ、滋賀県高島町勝野から船で大津迄行き陸路を通る道と琵琶湖西岸を通る陸路が使われた。

江戸時代、小浜は「小浜藩」酒井若狭守102,558石(石高に端数のあるのは珍しい)の城下町。現在も城跡があり、本丸跡には酒井公を祭る小浜神社がある。
             
若狭
越前→加賀→越中→越後→佐渡
      ↓
     能登
北陸道